ようこそスタイリッシュ至上主義の教室へ   作:GC

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第25話「グランド・フィナーレ」

豪華客船の第五会議室。 兎グループの最終話し合いの場であるこの密室において、Cクラスのリーダーである龍園翔は、己の前に置かれた美しい三色のグラスをゆっくりと持ち上げた。

 

 深紅のハイビスカス、黄金色のカモミール、そして透き通るようなブルーマロウ。

 彼はグラスを傾け、その美しき液体を喉の奥へと流し込んだ。

 

 ――瞬間。

 

 龍園の肉体と精神に、未曾有の事態が発生した。

 坂本が提供した『重力逆転の層(アンチ・グラビティ・グラデーション)』のハーブティーは、間違いなく至高の逸品だった。 絶妙な温度管理によって抽出された成分は、一口飲んだだけで全身の筋肉の強張りを解きほぐし、脳髄の奥深くまで圧倒的な安らぎを届けてしまう。

 

 だが、それが「効きすぎた」のだ。

 

 龍園翔という男の脳は、他者への支配欲、剥き出しの悪意、そして絶え間ない闘争のストレスを栄養素として機能してきた。いわば、極限の重圧に耐えて生きる深海魚のような存在である。

 そこへ、坂本が提供し続けた無人島でのおもてなし、そして三日間の過剰なまでの純粋な善意と、この最後の一杯がもたらした細胞の隅々まで行き渡る極上の平穏が、致死量を超えて注ぎ込まれてしまったのだ。

 

 深海魚を、いきなり光あふれる無菌室の真水へと放り込むに等しい行為。

 あまりにも急激かつ圧倒的な心身の浄化作用に対し、闘争を前提として構築されていた彼の脳の処理能力が、ついに限界を迎え、完全に飽和した。許容量を超えた平穏の過剰摂取。あまりにも心地良すぎる状態を、彼の脳が未知の致死性異常と錯覚したのである。

 

 脳髄がその異常な平和状態を処理しきれずに極限の拒絶反応を起こし、生命維持の防衛本能として、最も強く根付いている初期状態――冷酷な暴君の顔を、強制的に表出させたのだ。

 一時的な防衛本能の暴走とはいえ、その姿は完全に、かつての龍園翔そのものであった。 獲物の喉首を食いちぎる機会を虎視眈々と狙い続ける、あの冷酷な蛇の目を輝かせ、彼は中央で涼しい顔をしている坂本をねめつけた。

 

 この極限状態における彼の急激な覚醒に、Aクラスの町田と森重、そしてBクラスの一之瀬帆波がハッと顔を上げる。

 

「お前がこの三日間、ひたすらお茶会を開いて俺たちの思考を奪ってきたのは、単なる善意なんかじゃねえ。……そうだろ?」

 

「善意以外の何物でもございませんが?」

 

 坂本は、自らが生み出した精巧な花々の彫刻を整える手を止めることなく、優雅な所作で小首を傾げた。

 

「ククク、しらばっくれるなよ。俺は気づいたぜ。お前のその過剰なまでのホスピタリティ……それはすべて、俺たちの目を『本当のターゲット』から逸らすための、完璧な目眩ましだ」

 

「目眩まし、だと?」町田が食ってかかる。

 

「ああ。この三日間、坂本が誰を一番『特別扱い』していたか、よく思い出してみろ」

 

 龍園の鋭い視線が、部屋の隅で所在なさげに座っているDクラスの女子――軽井沢恵へと向けられた。

 

 オレは内心で重い溜息を吐いた。

 やはりそうなるか。実力至上主義の生徒たちにとって、坂本の行った町田が問い詰めようとした瞬間にゼリーを口に放り込んで黙らせたことや、軽井沢が孤立しないように常に気を配っていたことなどは、すべて明確な意図を持った防御行動として映ってしまうのだ。

 

「なるほどな。確かにこいつは、あの軽井沢って女を異常なまでに庇っていた」

 

 Aクラスの町田が、まるでバラバラだった推論が完璧に組み合わさったかのように身を乗り出した。

 

「普通に考えれば、あからさまに守られている軽井沢が優待者だと思える。……だが、それはあまりにも露骨すぎる」

 

「どういうことよ、町田」

 

 壁際に寄りかかっていた神室真澄が不機嫌そうに尋ねる。

 

「簡単なことだ。この坂本という男の異常なまでの身体能力や、場の支配力。無人島であの葛城さんを出し抜いた手腕。そんな男が、これほど分かりやすく自クラスの優待者を庇うはずがないんだ。 だとすれば、答えは一つしかない」

 

 町田は、確信に満ちた笑みを浮かべ、坂本を真っ直ぐに指差した。

 

「坂本。お前が、この兎グループの『優待者』だな? 軽井沢を守るフリをして、俺たちの意識を彼女に向けさせる。そして裏では、お前自身が優待者としての余裕を隠し持っていた。この異常なお茶会も、すべてはお前自身の正体を隠すための、壮大なブラフだったというわけだ!」

 

 その言葉に、会議室の空気が完全に一変した。

 Aクラスの森重も、Bクラスの一之瀬たちも、そしてCクラスの伊吹までもが、驚愕と納得の入り混じった表情で坂本を見る。

 誰もが、その論理の美しさに絡め取られてしまったのだ。

 これほど堂々と、そして狂気的に空間を支配できる人間が、ただの一般生徒であるはずがない。彼こそが特別な権限を与えられた存在――優待者に違いないと。

 

 

(……見事なまでの、論理の飛躍と致命的な勘違いだ)

 

 オレは、静かに息を吐きながら、胃薬の空になったシートを指先で弄った。

 

 彼らは根本的に間違っている。

 坂本は、誰かを庇っているわけでも、高度なブラフを張っているわけでもない。

 彼はただ純粋に、一番弱っているように見えた軽井沢をレディ・ファーストの精神で優遇し、全員を平等にもてなしているだけなのだ。

 だが、常に他者の悪意や策略を疑うことに慣れきった彼らにとって、その無自覚な善意はブラフにしか見えないのである。

 

「坂本くん。町田くんの推理、君はどう答えるのかな?」

 

 一之瀬が、最後の一押しとばかりに問いかける。

 試験終了まで、残り二十分。

 もしここで誰かが解答権を行使し、「兎グループの優待者は坂本である」と送信すれば、その時点でグループの試験は終了する。

 

 十四人の鋭い視線が、中央に立つ坂本に突き刺さる。

 極度の緊張感が室内に張り詰める中。

 当の坂本は、一切の動揺を見せることなく、メガネのブリッジを中指で優雅に押し上げた。

 

「……皆様。一つ、訂正させていただいてもよろしいでしょうか」

 

 坂本は、静かで、よく通る声で口を開いた。

 

「私は、何かを隠したり、ブラフを張ったりしているわけではありません。私がこの三日間、皆様に提供してきたものは、すべて私の真実の心……純粋なるホスピタリティです」

 

「ふざけるな! じゃあお前は、自分が優待者だというのか!」

 

 町田が苛立ちを露わにして机を叩く。

 

「私が、優待者(特別な存在)かどうか、ですか」

 

 坂本は、ふっと柔らかく、しかしどこまでもクールな微笑みを浮かべた。

 

「ええ、そうです。私が皆様に極上の時間を提供し、この素晴らしい航海を導く者。……皆様にとっての、最高のおもてなしをする『ホスト』であることに、間違いはございません」

 

――違う。

 

 オレは内心で頭を抱えた。

 坂本は「私が皆様をもてなす特別な存在(ホスト)です」と言っているだけだ。

 だが、この極限の心理状態において、その言葉は他クラスの生徒たちにとって、完全なる「優待者宣言」として響いてしまった。

 

「……自ら認めやがった。やはり、お前が優待者だったんだな!」

 

 町田が、勝利を確信したように携帯端末を取り出す。

 

「待ちなさい、町田! これは罠かもしれないわ。あんなにあっさりと認めるなんて、不自然よ!」

 

 神室が慌てて止めようとするが、もはや手遅れだった。

 

「神室様のご懸念も尤もです」

 

 坂本は、さらに追い打ちをかけるように、用意していた小さな銀色のトレイを掲げた。そこには、人数分の豪奢な封筒が乗せられている。

 

「本日はグランド・フィナーレ。皆様には、この三日間のティーサロンの集大成として、私から一つの『謎』をご用意いたしました」

 

「……謎、だと?」

 

 龍園が目を細める。

 

「はい。皆様に召し上がっていただいたこのグラデーションティー。実は、三種類のハーブの他に、ほんの僅かだけ『第四の隠し味』が含まれております。それが何であるか……」

 

 坂本は、封筒を一人一人の前に滑らせながら、恭しく一礼した。

 

「さあ、皆様。どうか私に、皆様の導き出した『真の解答』をお送りください」

 

 その瞬間、会議室の空気が完全に沸騰した。

 坂本の意図は「紅茶の隠し味を当ててみろ」という、ただの優雅な余興だ。

 しかし、他クラスの生徒たちには違った。

『自らが優待者であることを明かした上で、今ここで解答を送信してこいという、究極の挑発』。

 そう受け取ってしまったのだ。

 

「なめるなよ、坂本……! 俺たちがその挑発に乗らないとでも思っているのか!」

 

 町田が、血走った目で端末の画面を激しくタップする。

 

「町田、やめなさいってば!」

 

 神室が叫ぶが遅い。

 

 それに釣られるように、Aクラスの森重も、功を焦って独自の判断で端末を操作する。さらには、Bクラスの一部生徒までもが、一之瀬の制止を振り切って送信操作を行ってしまった。

 

 龍園はといえば、防衛本能の限界を超えたのか、額にべっとりと汗を滲ませながら一連の凶行を薄笑いを浮かべて眺めているだけで、自ら端末を操作することはなかった。急激な覚醒の反動で肉体が悲鳴を上げているのか、あるいは本能でこの行動が命取りになることを理解していたのかもしれない。

 

「皆様、素晴らしい決断の早さです。それでは、答え合わせと参りましょうか」

 

 坂本が優雅に微笑んだ、その直後。

 

ピリリリリリリリッ――。

 

客船のスピーカーから、無機質な電子音が鳴り響いた。

 

『――兎グループにおいて、他クラスの生徒からの解答を受理しました。これより、解答の照合を行います。これをもって、兎グループの試験は終了となります』

 

静寂。

 町田は荒い息を吐きながら、勝利を確信した笑みを浮かべて坂本を見下ろしている。

 

 その一分後。

 町田の携帯端末に、学校からの個別通知メールが届いた。

 各位から同時に送信されたかと思われた報告は、町田のメールの受信をもってゲーム終了のアナウンスを知らせた

 

「よっしゃ!!!……は?な、なんだと……?」

 

 画面を見た町田の顔から、一瞬にして血の気が引いた。

 森重も、Bクラスの生徒たちも、町田の画面を覗き込み、信じられないものを見るような顔をしていた。

 

そこに記されていたのは、無慈悲な結果。

『解答:不正解。ペナルティとして、貴クラスから五〇クラスポイントを没収し、優待者の所属するクラスへ付与します』

 

「う、嘘だろ……? お前が、お前が優待者じゃないって言うのか!?」

 

 町田が、震える声で坂本に詰め寄る。

 

「ええ。私はただのホストであり、主賓ではございませんから」

 

 坂本は、全く悪びれる様子もなく、静かに答えた。

 

「じゃ、じゃあ……一体誰が……?」

 

 全員の視線が、第五会議室を彷徨う。

 その視線の先で、軽井沢恵が、坂本の作ってくれたブルーマロウの紅茶を片手に、ぽつりと呟いた。

 

「……あれ? 私、何かした?」

 

 彼女は、この三日間、ただ坂本のお茶会を満喫し、美味しいスイーツを食べていただけだ。嘘をつくプレッシャーも、誰かを騙す重圧も一切感じていない。

 真の優待者である彼女は、坂本という巨大すぎるデコイの陰で、完璧に、そして誰よりも安全に守り抜かれていたのである。

 

「あはは……あははははっ!」

 

 神室が、乾いた笑いを漏らしながら壁に寄りかかった。

 

「何よこれ……結局、私たちは三日間、ただこの男の極上のもてなしと、的外れな勘違いのせいで、勝手に自滅しただけってわけ? ……坂柳の言う通りね。こんなの、私たちの常識で計れる相手じゃないわ」

 

 オレは、静かに席を立ち、ゴミ箱に向かって歩き出した。

 ポイ、と音を立てて捨てられたのは、この三日間で完全に空になった胃薬のシートだ。

 結果だけを見れば、オレたちDクラスは奇跡以上の大勝利を収めた。

 誰も解答しなければポイント変動はゼロだったはずだ。だが、坂本の常軌を逸したホスピタリティが他クラスの疑心暗鬼を極限まで煽り、結果として彼らに誤答を強制させた。

 Aクラスの誤答。これにより、Dクラスにはペナルティボーナス(+五〇ポイント)が転がり込むことが確定したのだ。

 

(これが、意図してやったことではないというのだから、恐ろしい)

 

 オレは、窓の外に広がる暮れなずむ海を見つめながら、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 この男は、実力至上主義というルールそのものを、優雅なティーカップの中で回るスプーンのように扱っている。

 オレが介入する隙など、最初から一秒たりとも存在しなかったのだ。

 

 

 

 数時間後。

 豪華客船のメインホールは、きらびやかなシャンデリアの光の下、異様なほどの熱気と静寂が入り混じる奇妙な空間となっていた。

 一年生全員が集められ、茶柱佐枝をはじめとする担任教師たちがステージ上に並んでいる。

 いよいよ、すべての特別試験の総合結果が発表されるのだ。

 

「……静かにしろ」

 

 茶柱の声が響き渡る。彼女の目元には深いクマが刻まれ、その瞳からはどこか生気が失われているように見えた。

 

「これより、無人島特別試験、ならびに船上特別試験の総合結果、および各クラスの現在のクラスポイントを発表する」

 

ホール全体が、固唾を呑んで見守る。

 

「まずは、Aクラス。現在のクラスポイント、1124ポイント」

 Aクラスの生徒たちからは、安堵の息が漏れた。無人島での手堅い節約と、船上での被害(町田の誤答によるマイナス)を最小限に抑え、なんとか首位を死守したのだ。 だが、葛城の表情は暗く、神室は疲労困憊といった様子でため息をついている。

 

「続いて、Bクラス。803ポイント」

 

 一之瀬帆波が、クラスメイトたちに向けて小さく頷く。彼女のクラスもまた、堅実な立ち回りでポイントを維持した。

 

「次に、Cクラス」

 

 茶柱の視線が、ホールの中央付近に陣取る龍園のクラスへと向けられた。

 

「現在のクラスポイント……492ポイント」

 

 ざわっ。

 ホールが異様に静まり返った。

 無人島での豪遊による全損。 船上試験での沈黙。すべてが裏目に出た結果、彼らはポイントを一切増やせず、入学時よりも低い数字を叩き出してしまったのだ。

 

「そして……」

 

 茶柱は、手元の資料を忌々しそうに見つめた。まるで、そこに書かれている数字が、何かの悪い冗談であるとでも言うように。

 

「最後に、Dクラス。現在のクラスポイント……507ポイント」

 

数秒の空白。

 その直後、爆発的な歓声が客船のホールを揺るがした。

 歓声を上げたのは、オレたちDクラスの生徒たちだ。

 

「おい、マジかよ……!?」

 

「五百ポイント超え!? Cクラスを抜いたぞ!!」

 

 無理もない。五月の中間テスト前にはゼロだったポイントが、無人島での完全生存による莫大なボーナスと、今回の船上試験での他クラス誤答によるペナルティボーナスを加算し、奇跡的な大躍進を遂げたのだ。

 

「静かにしろ。……結果は以上だ。これをもって、明日からDクラスは正式に『Cクラス』へと昇格することになる」

 

歴史的な、逆転劇。

 隣で堀北鈴音が、信じられないものを見るような目でステージを見つめている。

 

「私たちが、Cクラスに……」

 

「ああ。結果だけを見れば、大成功だ」

 

 オレは淡々と事実を述べた。

 だが、オレたちの視線の先には、この勝利がどれほど異常な手段によってもたらされたかを象徴する光景が広がっていた。

 

「ククク……素晴らしい。数字が入れ替わるというのも、また一興。万物は流転する、大自然の摂理というやつだ」

 

 最下位であるDクラスに転落したというのに、龍園翔は一切の怒りを見せることなく、用意されたカモミールティーを優雅に啜っていた。 会議室で極度の拒絶反応から一瞬だけ見せたあの狂気と実力至上主義の刃はどこへやら、彼は再び、坂本の接待による過剰な安らぎの底へと沈み、浄化された穏やかな人物へと戻ってしまっていたのだ。

 どうやら彼の覚醒は、深海魚が水圧の変化に耐えきれず一瞬だけ暴れたような、防衛本能の気まぐれに過ぎなかったらしい。

 

「さて、素晴らしい結果発表も終わりましたし、そろそろ夜会の続きと洒落込みましょうか」

 

 坂本は、周囲の熱狂などどこ吹く風といった様子で、メインホールの奥に設置されたグランド・ピアノへと歩み寄った。

 

「あら、坂本くん。今夜も何か面白いことを見せてくださるのですか?」

 

 そこへ、ステッキを軽やかに鳴らしながら近づいてきたのは、Aクラスのリーダー、坂柳有栖だった。

 

「坂柳様。ごきげんよう。今宵は、この素晴らしい航海の締めくくりにふさわしい、ささやかな贈り物をご用意したいと思いまして」

 

坂本は、グランド・ピアノの前に立つと、静かに目を閉じた。

 そして、おもむろに椅子には座らず、そのまま直立の姿勢で、両手を交差させるようにして鍵盤の上に指を置いた。

 

ポロォン……。

 

――秘技:交差する白鳥の狂詩曲(クロス・スワン・ラプソディ)。

 

 ホールの喧騒を一瞬で黙らせる、あまりにも澄み切った、深く美しい和音が響き渡る。

 直立不動のまま、交差させた両腕だけで、信じられないほど複雑で激しい旋律を奏でる坂本。

 右手で低音域の重厚なリズムを刻みながら、左手で高音域の繊細なメロディを紡ぎ出し、片足のつま先だけで信じられないほどの高速タップを行い、ペダルを完璧なタイミングで操作する。

 

敵も味方もない。

 ホールにいるすべての人間の心が、その異常なまでにスタイリッシュな演奏によって、一つに束ねられていく。

 

「ふふっ……あはははは!」

 

 坂柳有栖が、耐えきれなくなったように声を上げて笑った。

 

「本当に、彼は最高ですね……!」

 

 彼女の瞳には、かつてないほどの強烈な執着と、歓喜の色が鮮明に浮かんでいた。

 

演奏がクライマックスを迎え、最後の一音が静かに虚空へと溶けていく。

 数秒の完全な静寂の後。

 割れんばかりの拍手と喝采が、豪華客船のメインホールを包み込んだ。

 

「やれやれ……」

 

 オレは、再び誰にも聞こえない声で呟いた。

 オレたちのクラスは、昇格を果たした。

 だが、その代償として、学校中の注目がこの異常なクラスに、そしてその中心にいる坂本に集まることになった。

 実力至上主義という冷酷なシステムの中で、一人の男がスタイリッシュさという名の魔法で、全員を魅了し、そして狂わせていく。

 

 オレの目立たず平穏な隠キャ生活は、もはや完全に大海原の彼方へと消え去ってしまったのだ。

 オレは、鳴り止まない拍手の中で、胃の辺りを軽く押さえながら、ただ深く、深く、諦めの溜息を吐くのだった。

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