ようこそスタイリッシュ至上主義の教室へ   作:GC

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第34話「スタイリッシュ・あやとり」

騎馬戦という名の空中ティーサロンが終わりを告げ、坂柳有栖が満足げな微笑みを残してAクラスの陣地へと引き上げていくのを見届けても、オレの胃の痛みは全く和らぐ気配を見せなかった。

 

むしろ、周囲の熱狂と困惑が入り混じった異様な空気は、これから行われるであろう次なる惨劇の予兆のように肌にまとわりついてくる。

 

「えー、みんな、騎馬戦の練習お疲れ様。坂本くん、天空の舞踏会、とても素敵だったよ」

 

平田洋介が、完全に毒気を抜かれた、というよりも常識の向こう側へと足を踏み入れた爽やかな笑顔でグラウンドの中央に立ち、ホイッスルを軽く吹いた。

 

彼の目にはもはや実力至上主義という学園のシステムへの執着はなく、ただ目の前で繰り広げられる平和で美しい何かを全肯定する光だけが宿っている。

 

「それでは、本日の全体練習の締めくくりとして、クラス対抗『綱引き』の練習に移ろうか。用具委員のみんな、準備をお願い」

 

平田の指示に合わせて、グラウンドの端に待機していた用具委員たちが、大蛇のように太く長い麻縄をズルズルと引きずってきた。

 

綱引き。それは体育祭における団体競技の中でも、最も原始的であり、純粋な物理法則が支配する競技だ。個人の小細工や戦術よりも、クラス全員の総体重、筋力、そして息を合わせる同調性が勝敗を分ける。

ごまかしの利かない、完全なる力と力のぶつかり合い。

 

「……綱引き。これならば、いかなる奇行も入り込む余地はないはずだ」

 

Aクラスの陣地から、地を這うような重く低い声が響いた。

 

声の主は、葛城康平。先ほどの騎馬戦練習において、渾身の突撃をワルツのステップで優雅に躱され、挙句の果てには坂柳に無粋と切り捨てられて完全に居場所を喪失していた男だ。彼の瞳には、地に落ちたAクラスの誇りを取り戻さんとばかりに、血走った執念の炎が燃え盛っていた。

 

「Aクラス総員、聞け!先ほどの屈辱は、すべてこの綱引きで晴らす!我々の圧倒的な質量と統制された力で、あの男の奇行ごと真っ向から粉砕しろ!綱を引くという単純な物理運動において、いかなる舞踏もティータイムも存在し得ないのだ!」

 

葛城の切実な号令に、Aクラスの屈強な男子生徒たちが地響きのような雄叫びを上げて応える。彼らもまた、理解不能な現象によって自分たちの努力や戦術が無意味に帰すことに、強いフラストレーションを抱えていたのだ。

 

対するオレたちCクラスも、所定の位置へと移動を開始する。綱の最前列には、持ち前の怪力に加えて大地の息吹を感じることで謎の身体能力向上を果たしている須藤が陣取り、その後ろに池や山内、そして他の男子生徒たちが並ぶ。オレは予定通り、最後尾に近い目立たない位置で綱を握った。

 

そして、その最後尾。クラスの命運を託されるアンカーの位置には、当然のように彼が立っていた。

 

坂本。

 

純白の体操着には先ほどの騎馬戦の砂埃一つ付着しておらず、左目の下のホクロは秋の斜陽を浴びて艶やかに輝いている。彼は太い麻縄を前にしても決して構えることはなく、まるで高級ブティックでシルクのネクタイを吟味するかのように、優雅な手つきで綱の端にそっと指先を添えていた。

 

「アニキ!今度こそ俺たちのパワーを見せつける時ッス!あの頭の固いハゲ……ゴホン、葛城たちを、大地の彼方まで引きずり回してやりましょう!」

 

須藤が鼻息を荒くして後ろを振り返る。彼の中ではすでに坂本への信仰心が限界を突破しており、勝利そのものよりも「坂本に自分たちの力を見てもらうこと」が最優先事項となっていた。

 

「力に頼る必要はありませんよ、須藤君。この綱は、僕たちと彼らを対立させる壁ではなく、互いの熱き想いを伝え合うための、大いなる架け橋なのですからね」

 

坂本は黒縁メガネを中指でクイッと押し上げながら、涼やかな声で諭した。彼の辞書には、そもそも『敵』や『対立』という概念が存在していないのだ。

 

一方、Dクラスの陣地では、さらに周囲の理解を置き去りにする光景が展開されていた。

 

「龍園さん、綱引きの練習っすよ!Aクラスの連中に、俺たち新Dクラスの意地を見せてやりましょう!」

 

側近の石崎が必死に叫ぶが、かつての独裁者である龍園翔は、自陣に配られた綱の端を優しく撫でながら、聖母のような笑みを浮かべていた。

 

「意地だと?そんなつまらないもののために、この美しい綱を汚そうってのか、石崎。見てみろよ、この編み込まれた麻の繊維を。これは人々を縛り、引きずり倒すための道具じゃねぇ。人と人とを繋ぐ、愛と絆の象徴なんだよ」

 

龍園はそう呟くと、ポケットからどこで調達したのか色とりどりのリボンを取り出し、綱の端に丁寧に、そして愛おしそうに結びつけ始めた。

 

「りゅ、龍園さん……それじゃ綱が引けないっすよ……!」

 

「引く必要なんてねえ。俺たちはただ、この綱を通じて相手に愛を送り届ければいいんだ。そうだろ?」

 

もはや完全に別世界に生きている。石崎をはじめとするDクラスの生徒たちは、平和主義という名の狂気に呑み込まれたかつてのリーダーを前に、完全に戦意を喪失して立ち尽くすしかなかった。

 

「ピーッ!」

 

無情にも、平田のホイッスルがグラウンドに鳴り響いた。

練習の開始の合図。その瞬間、Aクラスの陣地から爆発的なエネルギーが解放された。

 

「オーエス!オーエス!粉砕せよ!!」

 

葛城を筆頭とするAクラスの生徒たちが、一糸乱れぬ動きで体重を後ろに倒し、全力で綱を引き始めた。その圧倒的なパワーと質量は凄まじく、綱の真ん中に結ばれた赤い目印が、一瞬にしてAクラス側へと数十センチも引きずり込まれる。

 

「ぐおおおおっ!重てえっ!なんちゅうパワーだ!」

 

最前列の須藤が顔を真っ赤にして踏ん張るが、Aクラスの統制された力の前には防戦一方となる。オレも目立たない程度に力を込めるが、このままでは一気に勝負がつくのは火を見るより明らかだった。

 

だが、綱引きにおいて最も重要な役割を担うアンカーの位置で、坂本は一切の力を込めていなかった。

 

彼は綱を握りしめることなく、ただ指先を添えているだけだ。Aクラスの強烈な『引く力』が、綱を伝わって坂本へと直接向かっていく。普通であれば、そのまま前のめりに引きずり倒され、無様な姿をグラウンドに晒すはずだ。

 

葛城の顔に、勝利の確信に近い笑みが浮かびかけた、その時だった。

坂本は、引きずり込まれる綱の張力に逆らうのではなく、自ら前へと軽やかにステップを踏み出した。

 

そして、彼の手元で、極太の麻縄が鞭のようにしなった。

 

坂本は綱を『引く』のではなく、綱の波に乗るように、あるいは巨大な弦楽器の弦を弾くように、指先で繊細なタッチを加えたのだ。

 

ビンッ!という、麻縄とは思えないような高い振動音がグラウンドに響く。

 

Aクラスが全力で引く力。それはすなわち、綱に対する巨大な『張力』を生み出しているということだ。坂本はその極限まで張り詰めたテンションを利用し、なんと綱をトランポリンのようにして、空高く跳躍したのである。

 

「なっ……綱引きの最中に、空へ飛んだだと!?」

 

葛城が両目を見開き、驚愕の絶叫を上げる。

 

秋の空へと舞い上がった坂本は、引き絞られた綱を指先で弾き、足で絡めとり、流れるような空中の身のこなしで綱を複雑に交差させていく。

彼の動きに合わせて、極太の麻縄が意思を持った大蛇のように空中でうねり、幾何学的な模様を描き始める。

 

【秘技:星屑の綾取り(コズミック・ストリング・クレイドル)】

 

Aクラスが勝利を渇望し、全力で綱を引けば引くほど、その張力は坂本のあやとりの形を空中で維持するための『完璧なテンション』へと変換されていく。

 

坂本の指先と足首が目にも止まらぬ速さで綱を編み込み、瞬く間にグラウンドの中央上空に、巨大で美しい『東京タワー』のシルエットが麻縄によって形作られた。

 

「あ、美しい……!俺たちの引く力が、あの巨大な芸術作品の土台になっているというのか!」

 

葛城の隣で全力で綱を引いていたAクラスの男子生徒が、感涙に顔を濡らしながら、引く力を緩めて空を見上げた。

 

「馬鹿者!手を休めるな!引け!引け!あれはただの巨大なあやとりだ!物理法則を無視した幻覚だ!」

 

葛城が血を吐くような声で叫ぶが、もはやAクラスの誰一人として彼の声を聞いてはいない。全員が、自分たちの腕力が芸術の創造に加担しているという未知の感動に打ち震え、綱を引く力を破壊から創造の維持へとシフトさせていた。

 

坂本は、完成した巨大な麻縄の東京タワーの頂点に、まるで妖精のように軽やかに着地すると、沈みゆく秋の夕日に向かって優雅にポーズを決めた。

 

「力とは、他者を排除するためのものではありません。こうして、皆さんの情熱と僕の指先が交わることで、一つの巨大な『美』を創造することができる。これこそが、協調の真髄でしょうか」

 

坂本の涼やかな声が、夕暮れのグラウンドに響き渡る。

Aクラスの生徒たちからは、もはや敵意は完全に消え去り、自分たちが参加した巨大なパブリックアートの完成に対する万雷の拍手が巻き起こった。

 

「争いは……やっぱり虚しいだけだったじゃねえか……。この美しき世界に、勝敗なんて不要だろうが」

 

グラウンドの端では、リボンで飾り付けられた綱の端を愛おしそうに抱きしめたまま、龍園が一筋の涙を流していた。

 

オレは、空中に浮かび上がる巨大な麻縄の東京タワーと、その頂上で夕日に映える坂本の純白のシルエットを見上げながら、本日五錠目となる胃薬のパッケージを静かに握り潰した。

 

体育祭の練習。それはクラスの団結と身体能力を測る場であるはずだった。

しかし、現実としてオレの目の前に広がっているのは、勝敗という概念そのものが芸術の前に溶解し、学園のルールが根底から上書きされたシュールすぎる光景だけだ。

 

オレの平穏な陰キャ生活への道は、あの東京タワーよりも遥かに高く、手の届かない場所へと消え去ってしまったことを、今更ながらに痛感していた。

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