ようこそスタイリッシュ至上主義の教室へ   作:GC

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第35話「スタイリッシュ・ピラミッド」

週末のケヤキモールは、過酷な実力至上主義の学園生活において、生徒たちが唯一息を抜けるオアシスとして機能している。

 

ポイントさえ支払えばあらゆる娯楽や日用品が手に入るこの巨大な商業施設は、普段であれば平穏な空気に包まれているはずだった。だが、オレの警戒心はかつてないほどに跳ね上がっていた。

 

オレの根源的目的は目立たず平穏な学生生活を送ることだが、坂本の行動がクラスの精神的支柱になりつつあり、物理的・精神的な不可解現象のせいで胃痛が慢性化している。

 

綱引きの練習において芸術的な麻縄の巨大建築を見せつけられたオレの胃壁は、もはや市販の安価な胃薬では太刀打ちできないレベルにまで荒れ果てていた。

 

そのため、休日の喧騒に紛れて、より効き目の強い、そして何よりパッケージを握りつぶしても中身が粉砕されない頑丈なボトル入りの胃薬を調達する必要があったのだ。

 

モール内にある大型のドラッグストア。

日用品から薬品、化粧品までが揃うその店内の奥、胃腸薬コーナーの前に立ち、オレは成分表を睨みつけながら深い思索に沈んでいた。

 

防御策であるスルースキルを強化し警戒していたが、もはや平穏な逃げ道は存在しないと諦観の境地に近づきつつある。

棚の端から端まで、すべての胃薬をカゴに放り込みたい衝動を必死に抑え込んでいると、背後の通路から、微かな、しかし確かに聞き覚えのある足音が近づいてきた。

 

オレは即座に気配を消し、隣のサプリメントの陳列棚の陰へと身体を滑り込ませた。

 

現れたのは、Aクラスの葛城康平だった。

 

常に冷静沈着で論理的な戦術を好むはずの男だが、今の彼から放たれているオーラは、かつての威厳あるそれとは完全に異なっていた。

 

自身の堅実な戦術がスタイリッシュに大敗し極度のショックを受けた彼は、理解不能な善意に精神的制圧を受け、恐怖と混乱の渦中にいる。 葛城の瞳には一切の生気がなく、まるで水族館の深海魚の展示を眺めるように、虚ろな視線でドラッグストアの棚を見つめている。

 

彼が見つめていたのは薬品ではなく、なぜか女性向けの「高級ヘアケア用品」のコーナーだった。

 

ツヤと潤いを与えるというローズの香りのトリートメントを手に取り、その成分表を読んでいるのかいないのか、ただピクリとも動かずに立ち尽くしている。 論理的価値観が完全に崩壊している証拠だった。

 

「おや、葛城じゃねえか。奇遇だな」

 

さらにオレの胃を痛めつける声が、通路の反対側から響いた。

 

その声の主は、新Dクラスのリーダー、龍園翔。

 

かつては恐怖でクラスを支配していた独裁者である。

しかし、オレの視界の端に映った龍園の姿は、以前の彼とは別人のように穏やかだった。 無人島のハーブティーで怒りが霧散し完全敗北した龍園は、完全に平和主義の伝道師と化し、平和を説いている。

 

龍園の買い物カゴの中には、暴力や策略のための道具など一つもなく、オーガニックのバスソルト、カモミールティーの茶葉、そしてアロマキャンドルが美しく並べられていた。

 

「……龍園か。奇遇だな。俺も今、このトリートメントの持つ真理について思考を巡らせていたところだ。論理で武装しても、髪の潤いという物理現象の前には無力なのかもしれんと……」

 

葛城が、抑揚のない声で答える。

もはや会話のドッジボールすら成立していない。

 

しかし龍園は、その葛城の異常な発言を否定することなく、聖母のような慈愛に満ちた笑みを浮かべて歩み寄った。

 

「ククッ……迷える子羊め。てめえもようやく、闘争という名の無意味な呪縛から解き放たれようとしているようだな。いいか葛城、髪の潤いとは心の潤いそのものだ。争いを捨て、平和を愛する心こそが、真の美しさを生み出すんだ。そうだろ?」

 

男言葉のまま平和と慈愛を説くという、脳の処理能力を狂わせる狂気の布教活動。

 

アイデンティティを完全喪失しているにも関わらず、穏やかな微笑みを崩さないその姿は、ある種の宗教的指導者のような底知れない不気味さを放っていた。

 

葛城は抵抗する気力すらなく、「……そうか。平和、か……」と呟きながら、トリートメントを胸に抱きしめていた。

 

このままではオレの胃が完全に限界を超える。 オレはボトル入りの強力胃薬を素早く掴み取ると、彼らに気づかれないようにレジへと向かおうとした。 その時だった。

 

「キャアアアッ!」

 

ドラッグストアの入り口付近、特設コーナーの方向から、女性客の悲鳴が上がった。

 

オレが視線を向けると、そこでは週末の特別プロモーションとして、数千本の高級栄養ドリンクの小瓶が、天井に届くほどの巨大なピラミッド状に積み上げられていた。

 

その美しくも不安定なディスプレイの前に、はしゃいで走り回っていた上級生の男子グループが激突してしまったのだ。

重力という絶対の法則に従い、土台を失った数千本のガラス瓶の塔が、スローモーションのように崩れ落ちていく。

 

総重量とガラスの破片を考えれば、周囲の客が大怪我を負うことは避けられない大惨事だ。

誰もが息を呑み、絶望的な破壊の音を待った。

 

だが、その崩壊の連鎖に、一つの赤いの影が割り込んだ。

 

黒縁メガネに七三分け。 休日のモール内であっても、一切の乱れがない完璧な学生服姿。

 

坂本だ。

 

彼は常にクール、クーラー、クーレストな日常を体現し、いかなる悪意や事故も善意と受け取りスタイリッシュにもてなす男である。

 

彼は手にした買い物カゴ(中には上質なティーカップのセットが入っている)を床にそっと置くと、崩れ落ちてくるガラス瓶の豪雨の真下へと、無造作に歩みを進めた。

 

【秘技:万有引力の調律(グラビティ・チューニング)】

 

坂本は、落下してくる最初の栄養ドリンクの瓶を、右足のつま先で極めてソフトに受け止めた。

 

衝撃を完全に吸収する神業的なボールコントロール。

さらに、その瓶の上へと、次々と降り注ぐ数千の瓶を、両手、両肘、さらには肩や頭頂部すらも駆使し、瞬く間に空中で組み替えていく。

瓶同士がぶつかる下品な音は一切鳴らない。

坂本の身体を中心に、重力の方向そのものが歪められたかのように、空中に放り出された瓶がまるで意思を持つ鳥の群れのように旋回を始めた。

 

彼はつま先でバランスを取りながら、流れるような舞踏の動きで、数千本の瓶を新たな形へと再構築していく。

 

崩壊のエネルギーを回転のエネルギーへと変換し、遠心力で瓶の軌道を完璧に制御する、物理学を冒涜するような超絶技巧。

 

わずか数秒後。

坂本の左足のつま先を頂点とした逆三角形の、あまりにも美しく、そしてあり得ないバランスで成立した逆さピラミッドのオブジェが、ドラッグストアの空間に完成していた。

 

周囲の客も、店員も、そして原因を作った上級生たちも、声を発することすら忘れてその神々しい光景を見上げている。

 

「足元がおぼつかない時は、焦る必要はありません。こうして視点を逆転させるだけで、世界はまた新たな美しさを見せてくれるのですから」

 

坂本は、逆さピラミッドを支えながら、静かに、そして恭しく上級生たちに向かって微笑みかけた。

 

もはやそこには怒りも、パニックも存在しなかった。

上級生たちは、自らが引き起こした破壊が、一人の男のスタイリッシュさによって至高の芸術へと昇華された事実に感極まり、その場に崩れ落ちてむせび泣き始めた。

 

「あ、ああ……俺たちの愚かな過ちが、こんなにも美しいものを……!」

 

「なんてことだ……。争いや破壊の先に、こんなにも静寂な芸術が存在するなんて……!」

 

いつの間にかオレの隣に移動してきていた葛城が、胸にローズのトリートメントを抱いたまま、両目から滝のような涙を流して逆さピラミッドを見上げていた。

 

彼の隣では、龍園がオーガニックのバスソルトを握りしめ、「美しい愛の形だ……」と穏やかに微笑んでいる。

 

学園の頂点を目指すはずの強者たちが、休日のドラッグストアで、一人の男のスタイリッシュな挙動によって完全に洗脳され、浄化されていく。

 

オレは、手の中のボトル入り胃薬の冷たい感触を確かめながら、静かに目を閉じた。

平穏な生活など、この学園のどこにも存在しない。

坂本という男がいる限り、日常のあらゆる場所が、彼をもてなすための舞台へと強制的に変換されてしまうのだ。

 

オレは深くため息を吐き、静かにレジへと向かう足を進めた。

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