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作品
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玄関の扉を開けた瞬間、知らない靴が増えていた。
安物の革靴。サイズはでかい。
中から笑い声。母の声と、もう一つ。
――は?
ため息も出なかった。
リビングの扉を開けると、酒の匂いが鼻を刺した。
母はソファにだらしなく座り、隣には見知らぬ男。
男はこっちを見て、ニヤついた。
「お、帰ってきたのか。息子くん?」
その言い方で、全部理解した。
「……誰やお前…」
「お前の母ちゃんの――」
言い終わる前に、足が勝手に動いていた。
ドン、という鈍い音。
男の身体が椅子ごと後ろにひっくり返る。
「は?」
間の抜けた声。
ゆっくり近づく。
「ここ、誰の家か分かっとるんか?あ"?」
低く出た声は、自分のものじゃないみたいだった。
男が立ち上がり、顔を歪める。
「ガキが調子乗ってんじゃ――」
拳が飛んできた。
視界が一瞬だけ白く弾ける。頬に痛み。
でも、それだけだった。
口の中で血の味が広がるのを感じながら、笑った。
「……お前の方こそ調子乗り過ぎや、肉団子が…」
次の瞬間、踏み込んでいた。
一発、腹。
息を詰まらせたところに、もう一発、顔面。
鈍い音が続く。
男は何か叫んでいたが、もう聞こえていなかった。
掴んで、床に叩きつける。
起き上がろうとしたところに蹴りを入れる。
「..二度と入ってくるな蛆虫が…つくねに加工して鍋にぶち込むぞコラ!」
それだけ言って、襟首を掴んで玄関まで引きずった。
ドアを開けて、そのまま外にゴミのように放り出す。
振り返ると、母が立っていた。
「何すんのよあんた!私のダーリンに!」
酒で赤くなった顔。
怒ってるのか、怯えてるのかも分からない。
その姿を見た瞬間、何かが切れた。
「働きもせず毎日遊び呆けてる奴が何を言ってる…」
ゆっくり近づく。
母は一歩下がった。
「テメェのその汚い面切り刻んでやろうか?」
返事はなかった。
ただ、目を逸らした。
その瞬間、手が伸びていた。
髪を掴む。
「っ、痛っ――!」
そのまま引きずって玄関へ。
「やめなさいよ!あんた何様――」
「知るか、自分で落とし前付けろや」
低く吐き捨てる。
「ここにいる資格ねえんだよ…ここは俺と父さんの家だ」
ドアを開けて、そのまま外へ投げ飛ばした。
よろけた母が、失神した男の横に倒れ込む。
近くを通りかかった人が、驚いた顔でこちらを見ていた。
その視線に向けて、吐き捨てる。
「おい、このゴミをソープで働かせて来い。まだ40にも行ってないから少しは役に立つだろ」
自分でも何を言っているのか分かっていた。
分かっていて、止まらなかった。
背後でざわつく気配。誰かがスマホを取り出す。
でも、どうでもよかった。
ドアを閉める。
鍵をかける音だけが、やけに大きく響いた。
静かになった部屋で、しばらく立ち尽くす。
――息が荒い。
手が震えていた。
ゆっくり壁にもたれて、座り込む。
「……なめやがって」
吐き出した声は、さっきまでのものとは違っていた。
優しさも何もない、ただの疲れた声だった。
サイレンの音は、思っていたより静かだった。
赤色灯だけが、やけに鮮やかに回っている。
玄関の前。
倒れたまま動かない二人。
近所のざわめき。
全部が他人事みたいに見えた。
「君、ちょっといいかな」
制服の警官に声をかけられる。
抵抗する気はなかった。
「はい」
それだけ答える。
手首を掴まれるでもなく、ただ促されてパトカーに乗り込む。
ドアが閉まる。
狭い後部座席。
少しだけ間があって、口を開いた。
「……そういえば」
前の席の警官がミラー越しにこっちを見る。
「ごみ処理は終わりました?」
一瞬、空気が止まる。
「……何の話だい?」
「人様の家の玄関前で呑気に寝てるやつらですよ。あのままだと邪魔になるし生臭いんで、一般ゴミの袋なら家にたくさんあるんで必要なら使ってください。」
自分でも驚くくらい、声は落ち着いていた。
警官は何も言わなかった。
ただ、ため息みたいな息を一つ吐いた。
警察署の中は、やけに明るかった。
事情聴取。
同じことを何度も聞かれる。
「相手に暴力を振るったのは事実だね?」
「もちろんです」
「やりすぎだと思わなかった?」
少しだけ考えるふりをして、肩をすくめる。
「帰ってくるなり知らないおっさんに殴られたんで、二度と空の下を歩けなくしてやろうとしただけですよ。当然の帰結です。」
口角が勝手に上がる。
「……冗談ですか?」
「半分くらいは」
沈黙。
「正当防衛の範囲を超えている可能性がある」
淡々とした声。
それに被せるように言った。
「社会の役に立たないゴミに、生きる価値なんてないですよ」
自分でも、どこか遠くから聞いてるみたいな声だった。
「なんなら、その場で殺した方がよかったですかね。たぶん放っておいたら、また誰かに迷惑かけますよ」
机の上でペンが止まる。
「……そういう考え方は危険だ」
「人類の歴史的には珍しくもないですよ」
少しだけ身を乗り出す。
「環境で人は簡単に壊れるって、いくらでも証明されてる。心理学の実験でもそうだし、戦争でも同じでしょうが」
言葉が滑るように出てくる。
止まらない。
「だったら、最初から排除した方が効率いい――」
「やめなさい」
低く、はっきりとした声で遮られた。
「正論に聞こえる部分があったとしても、それは倫理的に許されない」
「そうですか…なら仕方ありせんね。」
まっすぐ見られる。
その視線だけが、少しだけうるさかった。
しばらくして、ドアが開いた。
「ご家族が来ている」
その一言で、時間が戻る。
廊下に出る。
向こうに見えた顔。
じいちゃんと、叔父。
いつもと同じ、穏やかな表情。
それを見た瞬間――
足が止まった。
喉の奥が詰まる。
何か言おうとして、声が出ない。
視界が歪む。
「……おう」
叔父が軽く手を上げる。
それだけで、全部が崩れた。
気づいたら、声が出ていた。
「……ごめんやりすぎた」
何に対してかも分からないまま、涙が落ちる。
止まらない。
さっきまでの言葉も、顔も、全部嘘みたいに消えてい
く。
「大丈夫だ」
じいちゃんの手が、肩に置かれる。
それだけで、力が抜けた。
数日後。
静まり返った家に一人で立つ。
酒の匂いも、散らかった服も、そのまま。
深く息を吐く。
「チッ…汚ねぇな……まず、掃除するか」
バケツに水をためる。
雑巾を絞る。
床に手をつけた瞬間、少しだけ現実に戻る。
ここからだ。
何もないけど、少なくとも――
ここは、自分の場所だ。
最後のゴミ袋を縛って、玄関に置いた。
パンパンに膨らんだ黒い袋が、いくつも並んでいる。
数日前までこの家にあったものの残骸。
腕がだるい。背中も痛い。
でも――
「……終わった」
声に出した瞬間、実感が来た。
しばらくその場に立ち尽くしてから、ふっと笑う。
「ふん、めちゃくちゃ綺麗じゃねぇか…」
誰もいないのに、つい口に出る。
床は見えるし、テーブルも本来の色に戻ってる。
窓を開ければ、ちゃんと風が通る。
たったそれだけのことが、やけに嬉しかった。
そのまま床に座り込んで、背中を壁に預ける。
「……父さん、見てるか」
ぽつりと漏れる。
返事なんてあるわけない。
でも、少しだけ誇らしかった。
「俺、ちゃんとやったぞ」
小さく笑う。
ほんの少し前まで、あんなことがあったとは思えないくらい、穏やかな顔だった。
――ただ。
視線が、玄関の方に向く。
並んだゴミ袋。
そのうちの一つを、足で軽く蹴る。
ガサッ、と鈍い音。
「……全部、いらねえもんだな」
口調は軽い。
けど、どこか温度が低い。
しばらく無言。
やがて立ち上がって、手をパンと叩く。
「よし」
少しだけ伸びをする。
「次は飯だな。腹減ったし」
明るい声。いつもの調子。
だけど、玄関を出る直前――
一瞬だけ立ち止まる。
振り返って、空っぽになった部屋を見る。
ほんのわずかに目を細めて、
「……ペヤングでも食べるか...」
静かに言ってから、扉を閉めた。
目が覚めたとき、しばらく天井を見ていた。
静かだった。
酒の匂いも、誰かの物音もない。
ただの朝。
ゆっくり起き上がって、制服に手を伸ばす。
新品の生地は、まだ少し固い。
袖を通して、ボタンを留める。
鏡の前に立つ。
「……似合ってんじゃん」
思わず口に出た。
肩幅も、腕のラインも、そこそこ様になっている。
自分で鍛えてきた分、ぶよぶよの体よりはマシだと、素直に思えた。
十五にしては高い身長も、こういう時は悪くない。
ネクタイを軽く整えて、視線を落とす。
ほんの一瞬だけ、別の記憶がよぎる。
――何も言わずに、息を吐いた。
「……行くか」
玄関へ向かう。
靴を履いて、ドアノブに手をかける。
そのまま開けようとして――止まった。
振り返る。
誰もいない部屋。
整えたばかりの空気。
ほんの少しだけ間を置いて、口を開く。
「……行ってきます」
返事はない。
それでも、ちゃんと聞こえた気がした。
ドアを開ける。
朝の光が、まっすぐ差し込む。
一歩踏み出す。
鍵を閉めて、ポケットに入れる。
少しだけ空を見上げてから、歩き出した。
ヘッドフォンを首にかけ、軽く位置を直す。朝の空気はまだ少し冷たく、妙に澄んでいた。
「にしても家からかなり距離あるな」
通学初日。期待よりも先に面倒くささが勝つあたり、我ながら性格が終わっていると思う。
そんなことを考えていた、そのときだった。
――バシュッ!!
突風のような風が横を駆け抜けた。
「……速くね?」
一瞬、視界の端に映ったのは、人影。いや、人じゃない。
「あれもしかしてウマ娘? なんかうちの制服着てたし……」
風が収まったあと、違和感に気づく。
「あれ? ヘッドホンは?」
首元にあるはずの重みがない。
嫌な予感がして振り返ると――数メートル後方。
地面に叩きつけられたそれは、無残にもバキバキに割れていた。
「最悪だ……カニパンの腹筋みたいなとこ並みにバッキバキに割れてやがる……」
拾い上げる。完全に終わっている。
悲報。バイト代で購入したヘッドホン、数日で死亡。
「これが中国四千年の歴史か……(ヘッドフォンは多分中華製)」
誰に向けたのかも分からないツッコミを入れつつ、ため息をついた。
――さらに歩くこと十数分。
やっとの思いでバス停にたどり着く。
「……(うちの制服を着てる人ばっかだな)」
視線を感じる。明らかにこちらを見ている。
ひそひそ声。
「ねえ、あの人身長高くない?」
「スタイルよくない? てか普通にイケメンじゃん」
「おまけにあの雰囲気……無口系? やば、タイプかも……」
「……(そりゃあどうも)」
内心でだけ返す。
悪いが、人間の女には興味はない。あの件でもうこりごりだ。
二次元最高です。
「てかさ、話しかけてみる?」
「無理無理無理!! 緊張で死ぬ!」
「いやでもワンチャン……」
「くだらん……」
視線を外し、バスの到着を待つ。
ちょうどよくバスが来た。
乗り込もうとしたそのとき、近くの女子が何かを落とした。
小さなハンカチだった。
「……これ落としましたよ(だる)」
「あ……え!? あ……す、すみません!!」
顔を真っ赤にして受け取る。
「次からはお気を付けて。私がいたから今回はよかったですが、うっかりしてると本当になくしますよ。では……」
「は、はい……!」
背後で小さな悲鳴のような声。
「キャーーー!! やばい今の!!」
「いいな~! あーしもイケメンに拾ってもらいたい~!」
「てか声落ち着きすぎじゃない!? 大人すぎる!」
「……これだから女は……嫌いだ」
女嫌いレベル100、更新。
窓際の席に座り、外を眺める。
流れる景色。揺れる車内。
ぼんやりしているうちに、目的地へと到着した。
――校門前。
「桜がキレイと言いたいが……」
人、多すぎんか!?
しかも全体的に頭良さそうな雰囲気が漂っている。
(高校偏差値70とか聞いてねえぞ……いや聞いてたわ)
圧に若干引きつつ、校門をくぐる。
そのとき。
視界に入った。
ヘアバンドをつけ、右耳には球状のアクセサリー。左のこめかみには四芒星の髪飾り。
栗毛が風に揺れている。
「彼女……どっかで見たことが……」
数秒、思考。
そして思い出す。
「……あ、俺のヘッドホンこわした人じゃん……」
そう、数十分前のあの突風の主。
「さて……どう落とし前つけてもらおうか……」
その後、俺たち新入生はボロくて汚い体育館へと集められた。
校長の話。学校の歴史。進学実績。
「……(マジでどうでもいいわ。はよ終われ)」
さらに、生徒会のありがたいお言葉。
「……(な~~~に偉そうにしとるんやこのボケカスが……東京湾に沈めるぞワレェ!!)」
周囲では真面目に聞いている生徒も多い。
「すごい学校なんだね……」
「うん、やっぱ来てよかったかも」
「……(温度差えぐいな)」
なんとか式を乗り越え、クラス発表へ。
俺は――1年4組。
教室に入り、席につく。
そして隣を見て、固まった。
さっきのウマ娘。
「サイレンススズカです。よろしく」
落ち着いた声。
まっすぐな視線。
(……え、なにこの美人)
「よろしくねスズカさん。僕は翔太っていいます。仲良くしてくださいね」
外面だけは完璧に整える。
(めちゃくちゃかわいいくて美人なんよ!! やっぱ栗毛最高だぜ!!)
「そういえば翔太君って家族はいるの?」
「え?」
「失礼かもしれないけど……どこか寂しそうな顔をしてたから……」
一瞬、言葉に詰まる。
「そうかな? まあ家族はいるけど、父さんは病死したし……今は実家で一人暮らししてる。名義は叔父とじいちゃんだけどね」
「お母さんはいるの?」
「追い出した……」
「え?」
「あ! いや……何でもない! 今は世界一周の旅してて、ロンドンにいると思うよ。あはは……」
(言えるわけないだろ……警察沙汰になったなんて)
「翔太君はどうしてこの学校に来たの?」
「制服がかっこいいから!」
「ふふっ……翔太君らしいね」
「どういうことだよ!!」
少しだけ、笑った。
「そういえばスズカさんこそ、なんでここに?」
「ここの学食のイチゴ大福がとてもおいしいと聞いて、推薦で来ちゃったの」
「理由軽っ」
「ふふ」
柔らかい笑み。
「ところでトレセン学園の受験は考えなかったの?」
その瞬間、空気が少し変わる。
「……考えてはみたけど、昔ケガしちゃって。それ以来うまく走れなくなってしまって……」
視線が少し落ちる。
「誰もいない先頭の景色を、もう見れなくなってしまったの……」
「……なるほど」
少し考える。
「でもさ、あんなに速く走れるならまだ希望あるんじゃないか?」
「え?」
「今朝、結構飛ばしてたでしょ」
「え? なんで知ってるの……?」
「さあね。そのせいで俺のヘッドホン死んだけどな」
ポケットから取り出し、見せる。
無残な姿。
「ああ……ごめんなさい。私ったらつい……」
「謝る必要なんてないよ。安かったし」
「でも……」
「でも、じゃないよ」
「……根に持ってるでしょ?」
「バレた?」
「バレバレだよ。顔に出てたから」
「マジか……ごめん」
「大丈夫。全然気にしてないわ」
「目が笑ってないよ……」
「ふふふ……冗談よ」
「怖いこの人!!!」
教室のあちこちからクスクスと笑いが漏れる。
「なんかあの二人、もう仲良くない?」
「てかお似合いじゃない?」
「いや距離感バグってるでしょ初対面で」
「……聞こえてるぞ」
思わずつぶやくと、さらに笑いが広がった。
――このあと、めちゃくちゃしゃべって盛り上がった。