ひよりが言うところの『悪魔』を最初に自覚したのは、例の、白い場所だった。
当時から既に競馬に嵌り、競艇で師匠と出会い、競輪の影響もあってムカつく同級生からチャリパクしたり、忍び込んだパチスロ屋を追い出されたりと、ギャンブルという『熱』のある概念に惚れ込んでいた佐々木乃亜。冗談抜きで、少年はここから先の一生を共にできると確信していた。賭け事と共にあれば、自分はどんな暗闇を進んでも幸せでいられると推測していて、きっとそれは真実だったのだろう。
ただ、自分では理解できていなかった歯痒い部分があった。
自分は『何故』ギャンブルが好きなのか。
スリルが好きだ、それはそう。リターンが好きだ、それもそう。ドラマ性が好きだ、それだって間違いない。だがどれもが、根幹を成すべき理由としては、何かが欠けているような気がしていた。
とはいえ小学生の時分に過ぎない。情緒だって年相応のものだったと思われる、たぶん。極稀に深く考えようとするも、「今考えても分っかんねーや」ですぐに思考を切り上げていた。
防衛反応、なのだろうか。
考えないようにしていただけなのだろうか。
考えたらいけないと、本当は知っていたんじゃないのか。
考えて、『出来る』と知ってしまえば、自分はギャンブルをこれまでのように楽しむことはおろか、普通の人間としての歩みすら止まって、人間として生きることを諦めてしまうのではないか。
「ついて来い」
クソ親父にそう言われて連れていかれたのは、7歳の頃だった。
自称スーパーネグレクト。自称するだけあって、乃亜の教育には一切興味が無いように振る舞い、賭博、酒、煙草、女と、欲望の殆どを謳歌し続ける、まさしく悪徳の化身のようなロクデナシだった。乃亜を賭博馬鹿にしてくれた一因は間違いなくコイツだ、乃亜は滅茶苦茶感謝している。薬にだけは絶対に手を出していなかったのは、『雨の日のヤンキーと子犬』理論で、ちょっぴりとだけ尊敬していた。
───さて、そんなロクデナシ街道をブラジリアンサンバで堂々と練り歩くようなクソ親父だったが、乃亜はやはり幼かった。だから息子としての情はどうしてもあったし、嫌いになろうとしてもどうしてもなり切れない。そんな折にどこかへ遠出で連れて行ってくれるというのだから、乃亜は、まあ、そこそこ? 嬉しかった。……本当は、前日に眠れなくなるくらい、嬉しかった。
車に揺られ、家にこびりついたものと同じ銘柄の煙草の匂いと、車特有の匂いに囲まれて、うとうとした乃亜が目覚めた時には─────────なんか、真っ白い部屋の中にいた。
「ハッ! ───いやなんだこの部屋キモすぎだろ、趣味終わってんな」
開口一番カラーリングにケチをつけていく少年。目覚めた目の前に見知らぬ大人が要るのは知っていたが、とりあえずは話しかけられてあちらのペースに乗らされる前に、とにかく視覚情報をガンガン口に出して、頭の中を冷静に整理させようとしていた。
傷は無く、拘束されてもいない、つまり相手方は乃亜を害するつもりがないのだ、逃げようとしなければある程度は自由だろうと高を括ってすらいた。
この辺りからして、色々と何かが一線を画していた。
「汚れ一つないのもキモ。怪我した時とかの異常を見つけやすくするってやつか、病院とかと同じ理屈か? なら血が出るようなことをしたり教わったり? 白いってことは薬品関係はやらねーんだな、液薬品って大体透明だしな。色付きでいろいろやる可能性は否定できんが、まあ今はいい。
つってもカメラもあるし配置の位置と数からして監視───え、マジかよあのクソ親父、まさか実の息子を身売りしやがった感じか? えー……親として終わりすぎだろ……遊ぶための
にしても伝説のスーパーネグレクトを自称するだけはあったか、流石だわいっそ。ちょっとウキウキしてた俺の気持ちをお返しください、キラキラした目で期待してた俺が可哀そうとは思わんかね、思わんか? まあ思わんよね! しっかし佐々木家って夫妻揃って人間失格で笑えらぁ!
……ふーむ、ただの監禁のためには金掛けすぎだよなここ。椅子に座らされてるし……机あるし、紙とペンあるし、何かの知能テストでもやらされんのかね? あー、ボードゲームかありゃ? っつーことはマジでデザイナーベビーとかその辺を育て上げるためのアレ?
もう映画とか漫画みたいな飛躍した展開しか思いつかないんだけど、その辺どうなんすかね?」
「キミはよく喋る子供ですね」
「あー? ってことは喋らないようになっちゃった子供が沢山いるんだここ」
「──────何故そう思ったのか、知りたいものです」
「顔、リアクション、雰囲気、直感、何となく。あんたもだけど、ここの関係者全員纏めて地獄行じゃん、ちわっす、地獄行確定サークルでも組んでみないっすか?」
つまらなそうに、乃亜の返答に戦慄している男を鼻で笑って。
つまらなそうに、目の前にいる職員だか研究員だか構成員だかの服の特徴やらを観察しながら。
つまらなそうに、佐々木乃亜という名を授かった少年は、吐き捨てた。
「失礼だな、バ母さんと同じ顔してら。まぁいいですよー、俺なんかどーせ化け物ですものねー」
つまらなそうに、自身の評価を正確に客観視して捉える。
「てか何すかここ、お冷とおしぼりすら出さねーの? 日本のおもてなし舐めてんのか? ……いや、居酒屋のサービスの平均値が高いだけか。ちなむと、俺のお通しは蕗のとう以外ならオールオッケーっす」
齢7歳にして、この少年は既に完成していた。
カーテンの隙間から、朝の陽射しが乃亜の顔をチカチカと刺激する。
徐々に覚醒していく意識が、昨夜最後の記憶を手繰ろうとしている。脳の覚醒のためには無理やりにでも思考することだ、これが何だかんだで乃亜には性に合っている。
白い霞は───脳には掛かっていなかった。睡眠状態から覚醒していくほど、脳のクリアさが自覚できるほどに違っていた。佐々木乃亜へ囁く白色は、少なくとも今は全くない。寝ても覚めて悩まされていたが、はて、こうもスッキリとした状態になるのなら、何かしらの要因があると考える。
違いは何なのか、起床直後の脳トレのつもりで考えてみた。
「……っ、……あー……はいはい……」
急いで飛び起きようとして、ゆっくりへと即座に切り替える。
乃亜に抱き着いて寝てるアホが要るからだ。
まあ、些細な違いでしかないが、変数となったのはきっとこれだろう。
───これは、坂柳有栖から佐々木乃亜君へ向けた、心の籠ったプレゼントなんですからねっ。
「……んむぅ……」
「バカ有栖」
寝顔を確認して、確実に眠っていることを確認してから、普段では聞かせられない悪態をつく。
起こさないように布団から静かに抜け出して、とりあえず何かしらの水分を体に入れて、昨日の残りで朝餉でも作ろうかしらと───思ってはいた。
乃亜の寝間着の袖を掴んでいるバカのせいで、ベッドから抜け出せない緊急事態が発生している。
無理やり引っ張り上げてついでに叩き起こすかと、そう考えながら振り向いた。
「ぅふぇへへぇ……のあくん……」
「うわキモ」
涎を垂らしながら、二やついていた。
アホ面、マヌケ面、バカ面、色々思いつくが、共通しているのは知能指数という概念をどこかへぶん投げて捨て去ってしまっている顔だということだ。……涎きったね、洗わないとじゃんめんどくせー。
表情を今一度見てみるが、狸寝入りということは無いらしい。起きてて涎を垂らしてるようなら普通にキレるが。
「……神室に……」
溜め息を吐きながら、枕元に置いてあった携帯を手に取り、昨夜登録したばかりの連絡先へ向けてメッセージを飛ばした。
『今朝の坂柳係は俺がやります。本日は貴重な自由のある朝をお楽しみくださいませ』
きっと喜んでくれるに違いない連絡を入れた後、再び携帯を枕元へ投げて、とりあえずは有栖が自然と起きるまで、乃亜はボケっとベットに腰かけていることにした。
何もすることが無くて暇なもので、有栖を眺めるくらいしか娯楽が無い。ギャンブルに特化した人生の代償がこれか。だが後悔などはしないのだ。乃亜は一生をコイントスで決めて、トランプカードとチップの海に埋もれながら、パチンコ球を飲み込み過ぎて死ぬんだい。有栖に聞かれでもすれば本気で足の小指をもぎ取られかねない夢だった。
「む」
携帯が振動していた。大方神室からのレスポンスだろう。
有栖を起こさないように携帯を手に取り、確認してみた。
『本当に、本当にありがとうございました』
「だいぶ振り回されてたなこれ」
何度も繰り返される絶望から解放されたような文面だった、何だか乃亜は物悲しさを感じずにはいられない。神室真澄サンには幸せになってほしいものだ。まあHRの頃には終わりを告げている束の間の希望でしかないが。
クスリと笑っていると、有栖が身動ぎをした気配を感じた。
起きようとしているのかと振り返ろうとしたとき、右肩にちょこんとした感触があった。びっくりするほど重たくない。人間の頭って脳があって水分量も多くて重いとされてるはずなんだが……御伽話から出てきたようなこの幼馴染らしいと思ってしまう。
紫銀の髪に寝癖を付けながら、有栖───坂柳が、乃亜の肩に顎を乗せて携帯を睨みつけていた。
「ん……だぁれ、です、か……ぁ」
「神室」
「……だぁめ、ぇ……で……す……だ、め…………だめ、ですぅ」
「お前だろ、連絡先渡してきたの」
寝ぼけ眼で乃亜を睨みつける坂柳。顔が近いという事実にも気が付いていなさそうだ。
むにゃむにゃほざきながら、猫みたく、頭を肩に擦り付けてくる。半分寝ているだろうに器用なやつだった。
乃亜は立ち上がり、右手を差し出した。すると目を手でこすりながら、左手で乃亜の腕に体重を掛けてくる坂柳。全然重くない。もう面倒だし幼児のように抱きかかえて洗面台まで向かおうかも悩ましかったが、それをすればどういう訳か後々に小指が痛む、何故かは深く語りたくない、ネクストノアーズヒントは『杖』と『子ども扱い』だ。
よたよたと、頼りない足取りにはらはらしながら、ようやく洗面台まで到着する。
洗面台に坂柳を置いてけぼりにしてから、杖を渡しに行こうとしたが……腕を離してくれない。
「わたし、ませ……ん……っ」
「いやだから、昨日お前が連絡先を渡したんだろ」
「わ……たし、の……あく、んで、……」
洗面所で座り込んでしまう坂柳。
朝の起き抜けもあり、具合が悪いのかと思ったが、どうにも違うようで───
「ほかの、おんな、のにおい、しました」
「……………………」
───知能指数が低い今の内に勝負を付けなくては不味い気がした。
寝ぼけて目つきが悪い、きっとそうだ、そういうことにしておこう、うん。
そも、神室の話はどこ行った。
「気のせいだろ」
「めすの……はつじょうする……においが、しました」
「何の話をぃ、いつの話だよよ」
大丈夫、ほら落ち着いてる、乃亜はこんなにも冷静だった。
坂柳が若干幼児退行を起こしているからか中和されている感はあるが、あまりにも朝に聞きたくない単語すぎる。何も腹に入れて無いにも関わらず重たいのだ、雌て、発情て。
しかし時系列に言及したのは、恐らく乃亜のミスだった。
そう、記憶を手繰ろうとした坂柳は、脳へと血液を回してしまったのだ。
「昨日、ずっと……シャワー、あびる……まで」
呂律が徐々に回ってきている。それ即ちリミットは近いということだ。何ならもう断頭台は目前で研がれているのかもしれなかった。
焦りのままに何かを喋ろうとするが、絶対に何も考えさせない単語など、むしろ考えれば考えるほど出てくるわけがない。そうして与えられた猶予を、乃亜は笑えるくらいに無為な消費を続けていく。
坂柳の身体が乃亜の方へ、こてり、と倒れてくる。
受け身を取る気が無い様子に、慌てて咄嗟に受け止めたとき、するりと、坂柳の華奢な手が乃亜の首を掴んだ。
乃亜の首の血管を、坂柳の細い指がなぞりながら、彼女はこう囁いた。
「…………シャワーを浴びるまでの間はずっと知らない女の匂いを撒き散らしていましたよね?」
坂柳有栖、ブランクモードからの復活であった。
昨夜は言及してこなかったくせして、朝になって思い出す坂柳。昨日に考えつくした言い訳などは寝て起きたら忘れていたために、パッと出てくるモノが無い。……あ! それが狙いか!
そもそも乃亜は悪くなくないか? 別の女の子と一緒にいたとして──────とかなんとかは、絶対に言いたくない。無理である。だってそれ開き直って認めてるではないか。そしたら事実が確定するではないか。つーかなんか、こう、嫌だ。……あれ? 結構最低な意地を張ってる?
とはいえ事実は事実として認識されることが無ければ、不確定というの箱の中で揺蕩うのみだ。つまり。
「しらない」
「思えば部屋の窓も全部開いていましたよね、部屋に入った瞬間に足早で急いで開けてましたね」
「しらない」
「普段なら私の手を取ってくれるというのに、昨夜だけは何故か私を置いて。オマケに換気扇も回して、浴室の換気扇も扉を開いて空気が通るようにして、何故か私を置きっぱなしにして。まるでその場の空気を一刻も早く外に出したいような、どうしてか私を放っておいて」
「しらない」
乃亜にできることは、首を横に振ることだけだった───!
たった四文字だけで押し通して見せる。ブラフ、ハッタリ、嘘八百、テーブルの上ではまさしく無敵の佐々木乃亜! 賭博プリンスの異名は、朝の起き抜けだろうと威光を輝かせることを示して見せろよ──────!!
「しらない」
「……」
「しらない」
「ずっと図書館にいたのは?」
「しらな───っ!?」
決意の四文字、陥落。
あの後はまさしく戦争だった。
「聞いてくれ」「違うんだ」「ただの友達」「俺を信じて」この四天王が乃亜の心に宿っていなければ、今日の乃亜の登校自体が危ぶまれていたかもしれない。坂柳有栖───やはり彼女は、Aクラス筆頭の実力者なのだろう。もう乃亜は怒らせたくない。足の小指が痛い。
坂柳をAクラスへ届けてから、他意は全くこれっぽちも無いが、携帯端末の連絡先を交換したら位置が分かるとかいうふざけた機能をどうにかできないか模索中だった。
『機能を切ったらこれです』
とか言いつつ、コンクリがちょっと欠けてそうな威力で杖が鳴ってた。いたそう。
オンオフがあるかも知らないが、ポイントで機能そのものを取り払えないかしら。そうすれば『切ったら』の範疇には触れないのでは? 乃亜はこの閃きで颯爽と茶柱へ質問しようと考えていた。
でもなんかよく分からん恐怖が背中に塗りたくられた気がしたので、無事に自分のクラスへ舞い戻るのである。
───別に、職員室への道の近くにひよりと坂柳の反応が携帯で確認できたとか、そんなんじゃないのである。『位置的に目の前でトライアングラー歌えそう』とか考えてないのである。
「おっはよーさーん」
「おはよう佐々木」
マイフレンド綾小路と朝一番のハイタッチを掻き鳴らす。
乾いた小気味いい音が、教室の活気の一つとなって溶けていく。
うーむ素晴らしい、やっぱりDクラスは最高だぜ! AでもCでもないここが乃亜の居場所なんだ! もう一生ここに閉じこもってたい!
「堀北もおっはー」
「……おはよう」
本から目を一度も話さずに、けれどしっかりと挨拶を返してくれた堀北。
アイサツは大事と教えたことを実践してくれているようで何よりである。
「さってさてさぁて? 今日がCクラスとの最終決戦になるんかねー?」
「フッ───そうだな、カメラは昨日の内に付けてある、櫛田を経由して呼び出すようにも頼んでいる。後はお前の口八丁の出番だな」
「
「……私だって危険な橋は率先して佐々木君に渡ってもらいたいもの。今回は大人しく2人を盾にして下がるわよ」
「ファーストペンギン上等だけどさぁ、もっとこう仲間に対して労りをだね?」
「仲間……な、か、ま……? ───下僕ならしっくりきそうな響きがあると思うの」
今日も今日とてプライド高めの堀北だった。
相変わらずの様子に勝手な微笑ましさを覚えながら、ポケットに手を突っ込む。
──────一枚のコインを、取り出した。
「返してもらったのか」
「あー、いや、新調した? 新調
「誰に───というのは野暮だったな」
まだ慣れていない様子の、けれど彼自身無意識の小さな笑みが乃亜へと届けられる。
彼からそんな
「お節介サマサマなあいつのお陰で、手遊びも捗るってね」
親指に添えたコインを、気分のままに指で弄ぶ。
金属を肌で叩く微かな音が、乃亜の心を震わせる───聞こえる響きは、心を柔らかくしてくれる。
一度放り投げて、手の中へと綺麗に納まるコイン。
これは新品だ、だが、不思議な感覚があった。
右手に収まるソレは、妙に馴染む、安堵とも言い換えられる。
───これを私だと思ってくれたなら、乃亜君はいつでも安心できますね。
そんな小さな重みを、乃亜は微笑んで、優しく握りしめた。
「Cクラスとの小競り合いも今日で終わらせる。───ハッ! 楽しい一日になりそうだな!」
「ちなみに昨日は何かあったと思うが、何があったんだ?」
「絶対言わんけど……コミュ
「ごみ……かす……」
「───ダメね、見てられない、その物言いは間違っているのよ佐々木君」
「ほ、堀北、お前……!」
「元から存在しない物の数値を計ることはできないわ」
「た、確かにッ、圧倒的論破力に脱帽しちゃう!」
「……坂柳に言いつけてやる」
「待てお前一体どのネタを握ってるってんだァ!?」
右のポケットには、コイン。左のポケットには、今しがた
特別棟の廊下を歩いていく。
暑さで思考が茹だっていくのを感じる。夕暮れ前の一番気温が高い時間帯だからか、冷房の効かないこのフロアは殺人的一歩手前の灼熱だった。
額を伝って汗が顎へと滴り落ちる。
この先で須藤は、リンチ行為を受けたのか──────頭痛がする。
ジンジンと頭蓋を締め付けていく不快感は暑さのせいだと信じながら、乃亜は人の気配がする方へと歩いていく。
綾小路と堀北が、先の話し合いで参加していた三人を、偽りの監視カメラで詰めている。
今、友人である2人は、二者択一を迫っているのだろう。
そして自分で考えた策でもないから、この一連をおジャンにする許可を求めて、石崎が携帯で誰かと連絡を取ろうとしていた。
「よっすー!」
そんな彼の背後から、乃亜は携帯を取り上げる。
連絡の相手は───龍園翔。
「会いたかったぜェ、思考停止のストーンモンキーヤロウ」
「さっ、さ、佐々木!? なんで、どうして……!」
「あー? 俺が此処にいることがそんなにも不思議かー?」
石崎の表情に浮かぶものなど、いとも簡単に見通せる。
焦り、苛立ち、ちょっとの使命感、それから恐怖に……罪悪感?
この期に及んで、卑劣に手を染めて、誇りを汚して─────────頭痛がする。
左ポケットの
「ひよりが何か抜かしてたかー?
「ひっっ、ひぃぃ!!?」
心中の全てをぴたりと言い当てられて、もう石崎の中には恐怖しか存在していなかった。
「へいへいどうしたどうした、堀北と綾小路の話は聞いてたんだろー?」
それがどうした、何も楽しくない、何も嬉しくない、何一つ喜べない。
きっと暑さで冷静な判断力が失われているのだろう、乃亜だって感情のある人間だ。
頭痛がするんだ、さっきから、この場で、鼻血の臭いが残ってる気がするんだ、暴力の残影を感じる気がするんだ、殴られて呻く声が聞こえるんだ、お前たちは違うのか、俺には聞こえる、ほら、白い囁きは俺を誘うんだ、頭痛と共に悪意の背中を押すんだ、悪意によって甚振られた気配の在るこの場所でこそ報復と応報の絶好の機会であると俺になら出来ると乃亜になら可能だと囁いている首元に埋められた呟きを乃亜は叶えたがっている。
────────────ポケットの中のコインを、右手で握りしめる。
「……───ハッ! 分かってんのかお前ら、この場所にお前らが来た時点で詰んでんだ」
石崎の携帯の画面を閉じて、手の届かない方へと放り投げた。
小さな思い遣りを手の中に感じている間は、頭痛が引いていく。少しは冷静に話せそうだ。
ポケットに手を突っ込んだまま、へたり込んでしまった石崎の目線に合わせて、乃亜もしゃがみこんだ。
「なぁ、お前らよぉ、その怪我で
座り込んだ石崎の髪を軽く掴む。痛みが無いように、けれど乃亜の視線を外させはしないように。
そう、これは全部ブラフ、いつものこと。
実行はしない、見せかけてビビらせる、それだけ。
佐々木乃亜による規定は既に終わっている。
まさか、本気で痛みを与える訳が無いじゃないか、やめろよ、怯えた顔を見せるなよ、殴りたくなる顔をするなよ──────頭痛がする、だからコインを握りしめる。
「堀北は武術経験者、綾小路はクソ雑魚コミュ障だがモテたいから身体だけは筋トレしまくってる悲しき普通の高校生「……まあ普通だし許すが」「黙ってなさい」そんで俺はお前らをぜぇぇぇぇぇぇったいに逃がすつもりが無いって執念がある。少なくとも、先に逃げ出そうとした一人目には数年間の病院生活を送ってもらう気満々でさ」
脅しの言葉をなぞらえながら、髪を掴んだ手を、痛みが無いように左右へ振る。
視界情報を安定させることなく、絶対に心に安寧だけは訪れさせないように。乃亜の言葉の心意を何一つ理解されてもらっては困るのだ。
「オマケに加えるなら、テメェらはウチのクラスの須藤をリンチしてくれた、無抵抗のアイツを寄って集ってよ。──────俺が言いたいこと、理解できるか?」
顔がどんどんと白くなっていく。血の気が引いていく様子が間近で見れる。
血の気が引くとは言うが、本当なのだろうか?
嗚呼、クソ、頭痛がうざったい。
「二者択一だ、特別に選ばせてやんよ。お前らの推測通りなら、あのカメラは機能しないんだろうよ。だったらこの誰も助けに来ない場所で、俺らにボコボコのボコにされて、二度と地面をその足で歩けないようになっちまうなァ?」
涙が目じりに浮かび始める石崎。
だが待ってほしい、泣き喚かれては困る、泣くなら決めてからにしてほしい。
多少の正気を取り戻させるために、頬をぺちぺちと軽く叩いた。
「それともこの場で須藤への訴えを取り下げて、龍園に泣きつくか。あー、一応アドバイスだけど、多分、どっちにしても龍園にはシバかれるぞ。まぁ好きな地獄を選べよ」
その後、石崎には震えた声で電話を掛けさせ、Cクラスの担任を通して須藤への訴えを取り下げさせた。前もって作成していた契約書にも一筆書かせた。日米修好通商条約も真っ青な条件も、何となく壁を蹴ってみたら喜び勇んで飲んでくれた。
松葉杖をついている奴がいたから、その杖を目の前で蹴り折ってから、Cクラスの3人を解放した。怯えた顔も見れたし、歩きにくそうに帰っていく背中も見れたが、思ってたほど楽しくは無かったな。
そして特別棟には、堀北と乃亜の2人が残されている。
「それで───貴方は行かなくてよかったの?」
一件落着した直後、綾小路に届いた一通の電話が即切りされ、その時には言葉も少なく走り出していた。
堀北はその走り出しの速さに驚いていたし、乃亜はその顔が分かりやすく焦燥で埋まっていたのに驚いていた。ポーカーフェイスは相変わらずだが、多少の関りがあった他人のために感情を出せるようになっている、悪い話ではないのだろう。
事情はまあ、後で聞けばいい。
何せ
今の乃亜には、まだ、
「綾小路だけで十分だろ。問題解決能力に関しちゃ俺の何倍もある、流石は普通の高校生だな」
「……そうね」
例の常套句に呆れながらも、文句を言う素振りすらない。手団扇で顔を涼ませようして、生温い空気しか送られてこないこの空間に嫌気がさした顔をする。
溜め息を吐きながら、堀北は乃亜を促した。
「早くカメラを回収して帰りましょう。これ以上は熱中症にでもなりかねないわ」
「堀北は先に帰ってて。カメラも俺が回収しとくからさ」
携帯端末から、連絡先から位置情報を特定できるという例のシステムを開いてみた。
……何となく、妖精さんがどこからか野次馬してる気がした。長い時間隠れさせても熱中症で本気で死んでしまいかねない。
早いところゲームを始めるとしよう。
「───最近は色々あって、賭博のトの字にすら触れてなかったかんな。2年の先輩からの甘い誘惑すら蹴ってこの件に没頭してたんだぜ? ねえねえ偉くない? 多分数百万のコイントスが待ってたのにだよ? 褒めて褒めてー!」
「大きすぎる独り言ね……というかちょっと待って、そんな大きな賭けの機会を投げていたの? 貴方は本当に佐々木乃亜君? 疑わしいわ、近づかないで頂戴」
「てーめーえ、俺を賭けしかないアホだと言いたいのか!」
「ええ」
ともあれだ、時間を掛けても仕方がない。
準備に時間は掛かった、ここまで漕ぎ着けるのに数年でも待っていたような気がする。
そんな壮大な前振りを、たった数分でフイにする可能性がある、だからギャンブルとは、賭博とは、佐々木乃亜の心を掴んで離さないのだ。
──────この数分後、乃亜の死体が転がっていたとしてもだ。
いや、だからこそ、なのかもしれない。
「んで、帰らんの?」
「まだ何かあるんでしょう?」
「いやカメラ回収して帰るだけだよ。俺は堀北を気遣って……」
「まだ、何か、あるんでしょう?」
「だ、だからさ、ここ暑いじゃん? 設置も買い出しも御膳立ても任せた俺としては雑用で点数稼ぎをしてかないと心の良心が───」
「ま、だ、な、に、か、あ、る、ん、で、しょ、う?」
レベリングを速めすぎた弊害か、乃亜のバッジが足りなくていうことを聞いてくれない堀北。
見破られたのは、急成長した観察眼のせいか、はたまた乃亜への理解度のせいか。
オーディエンスは少ない方が良かったが、もう四の五の言っても仕方ない。
乃亜の我慢が出来ないから、もう、堀北に目撃されても仕方ない。
「しゃーねーか───暑い中ごくろーだったな、もういいだろ
「…………まさか」
特別教室の扉が、荒々しく音を立てて開かれる。
汗が、額に長い前髪を張り付けている。恐らくは綾小路と堀北が特別棟へ来る寸前に、教室内へ隠れていたのだろう。
手の甲で顎に滴る汗を拭う、ワイルドな印象を受ける端正な顔立ちもあってか、そのサマは実に絵になっていた。
「ハッ! ───おっせぇ登場じゃねぇの龍園君よォ!!」
「そういうテメェこそ遅れてやってくるなんて、味な真似してくれんじゃねぇか、賭博プリンスサマはよ」
脱いだ上着を片手に、見下すような仕草で、龍園は乃亜を観察していた。
───そう、観察している。暴力的な手段こそこの男の真骨頂ではある物の、こいつはそれだけをメインとするのではない。この男からした暴力とは、他者を屈服させるのに一番効率の良い手段ということでしかない。
考え無しに殴るのではなく、殴ったらどうなるのか、殴る状況を作るにはどうするのか、前後の背景をキッチリ計算できる。最後の一押しとして使うべきか、最初の一手として用いるべきか、状況を手繰るために中盤で使用するべきではないか、その判断が利く男だ。
あの綾小路も厄介だと太鼓判を押す。坂柳だってこの男を一目見れば、その真に厄介である理由も理解する。卑劣な手段を許容する者でなければ、この男の実力の真髄を知るところにはないのだろう。
「……貴方が龍園翔」
「クク……気が強そうな目だ、顔もいい、悪くねぇ女を侍らせてんな」
「だろ? 妾ってやつだ、後でデートしてやる予定なのよ」
「明日以降、貴方の食事に鉛を混ぜて殺すわ」
「嘘ですごめんなさい」
どの食事なのか、どの日程なのかを指定してないのが怖かった。昼食かもしれないし、夕飯かもしれんし、来年まで続くかもしれん、執念深い殺し屋かな?
「妾ねぇ……プリンセスサマはいいのかよ? ご執心って噂が広がってるが?」
「ああ、別にアイツに手を出そうが出さなくたってどっちでもいいよ。昔とは違うし、俺が守んなくたって自分でどうにかする女だし」
言外に『襲うぞ』と言われても、こっちとしては『どうぞご勝手に』としかならないのだ。坂柳のことだ、各クラスに於けるリーダー格が誰なのか、どういった性質をもっているのかなどは既知であることだろう。テレフォンパンチを容易に喰らってくれるような可愛げのある女だと思っているのかこいつは。
それから、まあ──────たかだか爬虫類一匹、乃亜と坂柳でなら、路傍の砂利でしかない。
「よく先回りできたな。俺はてっきり、ストーンモンキークン達に任せて偉そうに結果報告だけ聞いてこの件は終わる気かと思ってた」
「よく言うぜ……──────ひよりを脅しやがったか」
「ハッ! ……バッカお前バカ! んなことできるか! 俺の手に負えんわあんな壊れてる子!」
この時点でまあまあ経緯は察した。石崎の反応も考えると……黒幕過ぎるムーブをかましているひよりの姿が想像できてしまう。え、あの子そんな子だったかしら。
「…………まあいい、今はテメェだ」
「沈黙こっわ、何吹き込まれたのお前」
乃亜に会う前から壊れていたのか、はたまた乃亜と会ってから何かしらの経緯で壊れたのか、乃亜はその真相を知りたくない思いで一杯だった。でも初対面の態度を考えたら後者の可能性を感じて、考えるほどに乃亜は怖かったです。
───しかし、少し意外なのは、ひよりの名前を出した瞬間、龍園の顔には懸念と危惧が浮かんでいたことだった。存外仲間思いな部分はあるのかもしれない。有能な部下だからという点もあるのだろうが。
これは、
「……んで? もう石崎たちは訴えの撤回を教師に通した。契約書も書かせた。これからお前はどうする気なの?」
「笑わせんなよプリンスサマ……これからどうするかってのは、こっちのセリフじゃねぇのか?」
「ああそうだよ俺は今キレてるよ、分かってんじゃん」
急激に膨らんだ怒気に、後ろで控えている堀北が後退った。
「舐めたことしてくれたじゃんお前。俺さ、普段の素行や言動的にも自分でもどうかなって思うけどさ、人の善意っての? 人の頑張りっての? そういう青臭いのが結構好きらしいんだよね」
「ハッ、お友達が惨めにボコられてる想像だけでそんなキレるか? あんなのは遊びだ、地面に蹲るクズを転がす楽しいお遊びなんだよ。中学生の範囲のお勉強を一生懸命やって喜ぶような低能だぞ? クク……だがまあ、クズだが、それなりに蹴り心地は悪くなかったらしいな」
「……殺してやろうかな」
頭痛がする、頭痛がする、内から発する激痛が頭蓋骨をねじ切るんじゃないかと思える。
痛みによって歪み始めた視界をねじ伏せて、左ポケットに突っ込んでいたものを、おもむろに取り出した。
「! ……呆れたぜ、玩具振り回して喜ぶようなガキだったとはな」
「ビビり散らかして逃げ回るような奴に何言われたって響かねぇさ」
左手に握られていたのは、プラスチックの袋に収まった、持ち手の在る、武骨な何か。
袋を開けて、中の果物
「俺、ずっと考えてたんだ」
袋を捨てた。頭痛がする、少しだけ指に押し当てた。頭痛がする、指先から血がぷくりと浮かんでくる。頭痛がする、切れ味の確認は十分だった。
ナイフを左手で握り込む。そのあまりの強さに、手が震え始める。
──────いいや、白状しよう、今、乃亜は、恐怖している。
「
堀北は……なるほど、ナイフを確認してから、乃亜をいつでも取り押さえられるように構えていた。クラスメイトにそこまではさせられない、と。そういった雰囲気を乃亜は感じた。
龍園は、警戒した表情で乃亜を睨みつけていた。余裕などは無かった。
だが、龍園は、乃亜が何をしたいのか知った時、真の恐怖を知るんじゃなかろうか。
そして乃亜は、感じる恐怖も、張り詰めた緊張感も、汗が噴き出る不快感も、感じていられる何もかもが乃亜の全てを生かしているような気がして、
「なあ──────お前さァ! 理解しちゃったんだろ!? お前の頭じゃさァ!! 俺にはぜえええええったいに敵わないってさァァァァ!!!!!」
一度だけ、乃亜はポケットの中に収めていたコインを握りしめた。
頭痛は、一気に吹き飛んだ。
「だからこうやって暴力的な手段に頼るしかなくなっちゃってんだろ!!?? ───カハハァッ!!!! 雑魚の感じる恐怖ってのはどんな味なんだァ!!?? 俺さァ!! ずっと強者の側にしか立った事ねぇからさァ!!!! お前の気持ちがわっかんねぇんだわァ!!??」
そして乃亜は、安心感を手放す──────右ポケットに入っていたコインを、龍園に投げ渡した。
困惑した表情で、しかし龍園は優秀だ、頭の回転は素晴らしいものがある。
乃亜がコインを渡したその意味を、知ったのだろう。見る見るうちに、表情を驚愕へと変化させていく。
今、龍園翔は、佐々木乃亜の命運を握りしめていることを、彼は知ってしまった。
「
乃亜は、心底から笑いながら。
左手に握られたナイフを、
鉄のひんやりとした感触が、心身ともに火照った乃亜に心地よい。今から始まるのは文字通りの一世一代だ。たまらない。Dead or Aliveだ、夢にまで見ていた、想像だけに留めていた、そもそもそんな状況自体に恵まれていなかった。
これが銃ならば、もっと楽しいルールを付けれただろうに、そこだけは不満だ。刃物一つじゃ刺す切るかしかなくなる。リボルバーとかがあれば、不発という不確定が備わって、もっともっと楽しいだろうに。
「俺は表か? 裏か? ああどっちでもいいぜェ! お前が選ぶ逆にしてやんよォ! 分かるだろ? 理解できてんだろ? 俺より劣ってるその脳細胞でもわかっちゃってんだろォ!? 今から始まるコイントスの意味が!!! お前が握ってる運命が誰を左右するモンなのかァッ!!!!」
「…………ハッタリだ、話にならねぇ、分かりやすい罠に付き合っ「ああ、そういうのいいから」
突然無表情に切り替わった乃亜は、ブレザーの胸ポケットに畳んで入れていた紙を投げ渡す。
乃亜に警戒を払いながらもそれに目を通した龍園は、何というか、そう、絶句した。
「読んだな? 理解したな? もちろん事前に用意しとくだろうが! 担任にも印を押させたのも分かるよな!? サインなんぞ後でいいさ、何たって時間の前後関係なんざ誰にも証明できない、ここにはカメラがねぇからな! だから書いてある通り、『佐々木乃亜の身に何があっても、龍園翔には一切の責任を与えることは無い』んだぜ!!??」
正しさなど、どこにも無かった。
善意などは、どこかへ捨ててきた。
悪意だけが、乃亜を支配していた、そして悪意を乃亜は使いこなしている。
「──────弾けよ」
少し力を入れてみた、もしかしたら上手くいかずに死にぞこなっちゃう可能性もあるからだ。そしたら、ぷつりとした感触があって、上手く血は流れてくれた。よかった、これならちゃんと手遅れな深度まで食い込んでくれそうだ。
龍園は
でなければ、龍園翔という少年を構成していた『これまで』が殺される。
勝者で在らんと、強者たり得ると、そう規定してきた自分を、自分自身で拒んでしまう。
己の確固たるものだと思い込んでいた価値観を、自分自身で捨て去ることになる。それも納得の中ではなく、他者からそうしろと強制された形で、乃亜に囁かれて無理やりに。
「龍園翔ゥ? 大層な名前しやがって。負け犬は負け犬だ、それ以外にお前は表せねェ」
俯いた龍園の肩が、ピクリと反応した。
───これは佐々木君が楽しんでいたゲームとは違います。
事実だった。言い返す術もなかった。ひよりは、乃亜の悩んでいた部分を、白くて柔らかい言葉で摘出してしまった。──────だから、乃亜が楽しめるように、
これが存外、楽しくてこまる。
「責任は負わない! 証拠もない! 何なら俺が死んだところでそれは単なる自殺だ!! ここまで御膳立てしてやってんだぞ!? 負け犬の称号を返上するチャンスを
「──────ッッ!!」
龍園が、目を見開いた。
計算していたのだろう、頭を回していたのだろう、今後の展望を頭の中で賢く。
無駄なのに。だって龍園は、もう、コインを弾くことでしか乃亜には勝てない。
そして、長髪の隙間から、あらんばかりの憎悪を乃亜に向けながら、コインを親指に添えた。
「俺は表、テメェが裏だ」
「ハッ! いいね!! じゃあ表が出たらド派手に真っ赤な噴水を見せてやるよ!!!!」
「裏が出れば……須藤に詫び入れてやるよ」
「へぇ? ──────んー、いや、いいよ、そっちのリスクゼロで」
黙って何も言えずにいる堀北も、戦慄の表情で震える龍園も、口を挟むことすらできない。
もう乃亜は、須藤程度はどうでもよかった。
「だってよォ!!!! 生きるか死ぬかだぜ!!!??? そのスリルだけでもう俺にはリターンしか無い訳なのよ!!!!! 相対的に俺の負担も増してんじゃんサイコー!!!! ……あっ! そうだいいこと思いついた!!!!!!」
乃亜の中の『悪魔』は、レイズを繰り返す瞬間が好きだ。
だから『悪魔』は、全部を差し出すことにした。
「表が出たら───俺の持ってるポイント全部やる! 坂柳を
「っ! これ以上バカな真似はやめな「邪魔すんなら普通に殺すよ」
前に出ようとしてきた堀北の首元に、乃亜は迷わずナイフを添える。真っすぐと目を見て、『やめないとやっちゃうけど、あんまりやだなぁ』と考えながら、少しだけ刃を触れさせた。
面白いように動きを止める堀北。邪魔だったので、肩を押して後ろに下げると、どさりと座り込んでしまう。熱中症だろうか、お大事に!
───彼女の考える通り、確かに意味が無い行為だった。
だが、人生とは、人間とは、意味が無い行為にこそ楽しみを見出す。そういうものらしい。
「俺の後ろポケットに録音機がある。言質も取れた、龍園の都合の良い内容に変えりゃいい」
「………………」
もはや龍園は、乃亜の言動に裏を疑うこともしなかった。
喉を鳴らす音が、誰のモノかも分からない。
もしかしたら、乃亜かもしれない。
「────────────お待たせ!!!! じゃあ弾こっか!!!!!!!!!」
人1人の命運どころではなかった。
今、たった一枚のコインに乗せられているのは、一年生全クラスの情勢そのものですらあった。
他人の人生すらもベット───レイズ──────いいや、オールインだ。
全てを失うか、それとも、賭けた全てを取り戻すか。
「あはぁ……────────────カハァッ! あはははははははははっははっははっはははっはははははははっははっははっははっははははははははははっはは!!!!!!!」
『悪魔』が、狂ったように笑って待ち望む。笑顔の振動で、小さく食い込んだ刃が、小さな傷を少しだけ開かせる。それが、何かを示唆するような気がして、何かに似ているような気がして。
────────────ああ、これ、先読みじゃん、赤チャンスくらい?
硬貨が示す未来を楽しむために。
そして。
「っ、ぁ──────ラァッッッ!!!!!!」
臆病に揺れる手を蛮勇でねじ伏せて。
『悪魔』に挑んだ『龍』は、コインを天へ向かって弾いた。
「『
やっとコイントスさせたげられた