All or Nothing   作:真の柿の種(偽)

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Aクラス 1075cp→1095cp
Bクラス 743cp→1018cp
Cクラス 492cp→492cp
Dクラス 71cp→530cp



愛というものは、愛されることによりも、むしろ愛することに存する。

 無人島の特別試験に於いて、400以上のクラスポイントを見事に獲得して見せたDクラス。

 そしてその総指揮を執っていた佐々木乃亜。初手からの破天荒な一手、しかして裏側に流れる情報戦を制し、まさしく『完全勝利』の意味を余すところなく実現へと導いた、他称賭博プリンス───今回限りの自称投資プリンス。

 そんな彼は船へ乗り込みながら、一之瀬と喋くる今この瞬間を全力で楽しんでいた。

 

「いえーい! 作戦大成功ー!」

「いやー、本当に苦しい日々だったねー」

「ハッ! 圧の在る日々があったからこそだろうが! 俺らの完全勝利はよぉ!」

 

 もう一度、どちらともなく、自然と弾けるハイタッチの音。

 そんな二人を先頭に、後から続くのはDクラスとBクラスの生徒達。雰囲気はクラスの筆頭もである乃亜と一之瀬に釣られてか、最高潮と言える、まさしく凱旋だった。

 

「でもこれでよーやく、普通に一之瀬とおしゃべりできるようになったって訳だ」

「こっそり電話する毎日も楽しかったよ?」

「同感。秘密のこそこそ話な! ドキドキして楽しかったんだよなー、寝落ちもちもちもできたし!」

「佐々木くんは相変わらず好きだねぇ、それ」

「口馴染みがとっても良いからな」

「ふふっ、子供っぽいなぁ」

「そりゃとーぜん、お前とようやく話せんだから機嫌だってガキみたいにはしゃぐわけよ」

 

 船上へと乗り込んだ乃亜は、一之瀬との小気味良い会話を交わしながら、視線を巡らせていく。

 

「あ! みっけた!!」

「へ?」

「ちょっと行ってくる!」

 

 物言いたげな視線に気が付かず、小さなその姿へ向かって、勢いよく走り出す乃亜。

 船外デッキのオープンラウンジで、夕暮れを眺めながら、優雅にティータイムを嗜む小さな人影。涼しげな潮風が前髪を乱しても、それを整える仕草にすら雅な魅力を内包させる、現実感の無い上品な存在感。

 

「おい坂柳ぃ!」

 

 彼女は、乃亜の声に気が付くと、ふわりと笑って歓迎の意を示してくれる。

 ───そうだ、坂柳有栖、彼女の居場所こそが乃亜の探し求めていた目的だった。無人島へ隔離されて一週間、ずっと心細かったのだ。まるで魂が欠けたような、そんな不安を常に抱きながら過ごしていたのだ。

 坂柳の目の前で急静止した乃亜は、肩で息をしながら、少しづつ、告げるべき言葉を考える。

 優れた頭脳の回転力をフルに使い尽くし、そして、決まった。

 乃亜をこうして待ってくれていた、優しい(腐りかけたライチのような性格の)美少女幼馴染へ、乃亜が渡すべき思いの丈は──────たった一つだ。

 わたがしのような笑みを浮かべる彼女へ向き合って、乃亜は、これ以上なく大事な話をしたい。

 

「お疲れさまでした乃亜君。……ふふっ、よろしかったのですか? 私が恋しかったのも分かりますが、一之瀬さんと仲良く喋りながら……───成程、これは乃亜君にやられてしまいましたね」

「何余裕ぶってんだアホ女コイン返せや負け犬女ぁ! やーいやーいAクラスはたったの20ポイントー! 俺と協力した一之瀬んとこは275で俺んとこは459ですけどっ? 3桁! ですけどぉ!!? あっれれー? Aクラスは確かぁ……えっ、ええっー!? にっ、20ぅーっ!? うっそだろたったの20ーっ!? こんなボーナスゲームでたった2桁ぽっちの「えいっ」ウギャアァァァァァァ!!!!???」

 

 ───海に向かって、1枚の硬貨が投擲された。 

 


 

 5月1日───Sシステムの説明をされた、あの日。

 一年生達の、本当の意味での高校生活が始まった日に、乃亜は一之瀬と対面していた。

 発端は単なる乃亜のポカである、大ポカである。全財産である数百万ポイントを、坂柳へ預ける筈が間違えてしまい、一之瀬帆波の口座目掛けてぶん投げてしまっていたのだ。

 そうしてHR後の僅かな時間、乃亜は一之瀬を強引に人のいない場所へ連れ出して、ポイントを取り戻すための交渉を行おうとしたのだが。

 

「もちろん返すよ!」

「即答っ、あ、あまりにもっ、善人……!」

 

 太陽の如き後光を背にした笑顔で、彼女はそう言った。

 交渉もクソも無かった。話が秒で終わっていた。乃亜が戦慄している間には、もう一之瀬は携帯を操作して、乃亜の送り付けた全額を戻す手はずを整えていた。躊躇いが無さ過ぎて逆に怖いのだ。

 

「いっ、いいのか? 俺が言うのもなんだけど、ぶっちゃけこんなのは利用してナンボだろ。それなのにってうわぁマジじゃん、ガチで返ってきちゃったよ……確認しました本当にありがとうございます一之瀬帆波様」

「ちょっ、ちょっと土下座はやめてってばぁ!」

 

 そりゃするのである、だって600万超えだもの、元手にした賭けの楽しさを思えば崇拝せざるを得ない。

 土下座外交をしぶしぶ取り止めた乃亜は───けれど、やはり気になってしまう。

 これだけの大金が転がり込んできたのに、一之瀬からは一切の名残惜しさが見えなかった。それは善性がどうこうではなく、もっと単純なクオリアの話だ。何かがごっそり抜け落ちると、人は誰しもが、その置いてあったはずのスペースを見て一抹の寂しさを感じいるものだ。本棚でも、食器棚でも、衣装棚でも、冷蔵庫でも、収納されていた時の光景を見比べて、寂しさに近い色を出す。

 乃亜のこれまでの人生経験、そして4月中に行った200万コイントスの南雲先輩の色などから推測するに。

 乃亜は立ち上がりながら、悪戯好きのような顔を浮かべて、呟いた。

 

「そうだな……大体残高は100万弱くらいか?」

「やだなぁ、こっそり抜き取ってたりなんかしてないよー?」

「金を持ってるやつ特有の特徴でさ、大きな額の移動の頻度が多いからか、口座が一気に寂しくなっても気にしなくなるんだよね」

「私がそうだって?」

「まあ答えなくてもいいよ、別に当てる気も無いから。───当たってるのも読み取れちゃったし」

「前のポーカーの時もそうだったけど……佐々木くんって、やっぱり怖いなぁ」

 

 口ではそう言いつつも、一之瀬には余裕を崩す様子は無い。……とりあえずは、これはリップサービスということで。

 別に今の時点での乃亜の立ち回り方は特に決めていない、隠れて、こっそりと戦局を掻き乱したりして、たまに綾小路や坂柳と遊んでみたりでも構わないのだ。

 ただ大きな額のポイントを稼げるという事実だけでもなく、更に上乗せして、人を()()眼がある人間がDクラスにはいる、その情報くらいは渡しておかねば罪悪感で乃亜が困る。

 だって一之瀬ってば、本気で見返りを要求しないつもりなのだ。その時点でもう乃亜は気に入ってしまった、善人が大好きだ、故に一之瀬帆波という少女を大層気に入った。

 

「つっても、一之瀬の秘密を追加で知っちまった訳だし、もうちょい何かしらをこっちからも渡したいところだけどな……うーむ」

「大丈夫だってば、むしろ私の方こそ送られてきた時にすぐ返せばよかったもん。……でも630万かぁ……方法は……ちょっと聞かないでおこうかな」

「お前に送ったクラスポイントの仕様についての推測と同じだ。賭けだ。ギャンブルだ。幼い頃から俺を支える柱であり核だ。誰にも奪えないし奪わせない俺のルーツだ」

「だからDクラスなんだろうなぁ……」

「納得すんな」

 

 敵視を欲するような人生を求めていたからなのか、生暖かい眼には慣れていない乃亜。……くそっ、これが善人か、善人力の成せる技か……!

 この時間も長い訳では無い、各クラスとの対立が明確化した今後は、こうして一之瀬と面と向かって喋れる機会も少なくなるだろう。───彼女は確実にBクラスの中枢へと身を置く生徒だ、多少の繋がりは欲しい。

 メリットの提示を考える乃亜は、やはり短絡的ではあるが、しかし会心の作戦へと思い至る。

 

「クラスポイントだな、これしかない」

「中間テストの話?」

「中間テストぉ? なにそれ」

「えっと、聞いてないの? 佐々木くんが?」

「たぶんそのタイミングで誤送金やらかしてる」

「あはは……成程ね」

 

 詳細は後々に綾小路が教えてくれるはずだ、きっと。……聞き逃していたりしない、と、思う。あのぬぼーっとした顔つきでは、うーむ……信じよう。

 

「とにかく、そうだな……クラスポイントが増える試験がある、これは一之瀬も聞いた話だろう」

「そうだね、直近では中間テストがそれに当たるとも教えてもらったよ」

「あー、はいはいはい、そういうことね……ハッ! ──────一之瀬、契約しよう」

 

 乃亜は、楽し気に笑って、一之瀬へと一つの提案をする。

 先輩方との賭けの報酬、そこにはポイントだけではない。ポイント相当の情報、それも入学したばかりの一年生では知れないような内容も含まれている。

 例えば、最初の中間テストは、例年同じ内容を出題されている、だとか。

 例えば、夏休みの期間には、毎年()()()()()がある、だとか。

 匂わせるようなものから、直接的なものまで、無論整合性に難はあるだろうが、そこは乃亜が自慢とする人間洞察力で補う、すると見えてくるのだ、『結末』が。

 故に乃亜は笑いながら、力強く断言をする。

 三連単? NOだ、手始めの()()()でも的中させなくては話にならない。

 

「突然だが宣言する! ───次の中間テストの平均順位は、上からAクラス、Dクラス、Bクラス、Cクラスになるだろうよ」

「ふーん? 随分と自信満々に言っちゃうんだねぇ、『どうして』を聞きたいところだけど」

「言えねぇな、むしろこの予想こそが契約締結のための()()()になる」

 

 乃亜から差し出された手を、一之瀬はまだ掴もうとはしない。

 人が善いだけではなく、彼女は物事を深く考えることが出来る。そして当然のように頭の回転の速度も速い、乃亜はますます気に入った。

 

「そうだな……話は変わるが、夏休みにはクラスポイントを大きく変動させる何かがある」

「佐々木くんのその情報は、私からすれば信憑性は無いよね。だから中間テストの結果を的中させて実力を示す───それがそのまま信憑性へと繋がるってことかな?」

「ハッ! 流石だぜ一之瀬! 説明の手間が省けらぁ」

 

 知性がある、機転も回る、可愛い、善人、スタイル良し、善人、可愛いしそして善人で善人。

 これは非常にマズいのだ、助けて坂柳! 乃亜クンってばこの子のこと好きになっちまうよ! 坂柳がもっと胸も背丈も大きくて性格が聖女様だったらなぁ! ───スタイル抜群の坂柳有栖だと? もうそれって同名なだけの別存在なのでは? 0%を認めない乃亜ですらその可能性の宇宙は存在しないと言い切れちまうのだが? うーむそれはなんといいますかホラーですなぁ!

 

「その契約の内容はまだお預けかな?」

「いいや言えるとも───夏休みに起きる試験の時、俺達は手を組むことになるだろうよ」

 

 乃亜の言葉に、一之瀬は───流石だった。

 感心したように頷く彼女は、乃亜の提案の大枠の予測を既に済ませているのだろう。

 

「契約を結ぶのは、今じゃないといけない理由がある」

「だよね、ただ協力関係を結ぶってだけなら、後日でも、それこそ試験中とかでも間に合うもん」

「ああそうだ、俺達は犬猿の仲になろうって話だかんな、今からじゃなけりゃ説得力が出ねぇ」

「……うわぁ、そういうことかぁ……」

 

 爆速理解をした一之瀬は、爆速でテンションを下げていた。

 

「えーっと……私はあんまりそういうのは苦手な気がするなぁー」

「だから使える手だ、一之瀬の印象は概ねが善人で通ってるだろう、「まさかそんな手は使わない」と勝手に思い込んでくれるんだよ人間てのはな。しかも今からなら……3ヶ月! 3ヶ月間も『BクラスとDクラスは最悪の仲である』ってハッタリを染み込ませられる!」

「確かに有効な手ではあるんだろうけど……でも、私もそうだし、佐々木くんも、クラスでの象徴のような存在になれないと機能しない作戦なんじゃないかなー?」

 

 乃亜も舐められたものだ───その探りを入れるような視線に臆するような男なら、そもそもこんな提案などしない。

 

「ハッ! 笑わせんなよ一之瀬! お前は確実にBクラスの中心に居座るさ……つーか、もう既に玉座にいたりしてな?」

「どうかなぁー?」

 

 互いに笑い合う、薄く。

 きっと心境も、笑っているのなら乃亜は嬉しいが。

 

「そして俺は勝手に悪く目立つだろうよ、何かクソダサ二つ名も出回ってるらしいからな!」

「おおー、確かにって思える説得力があったよ!」

「納得すんな」

 

 感心するような視線を向けるのはやめなさい。

 

「まあ今決めなくてもいい、ただ中間テストが終わるまでの間だ、それまでは仲が悪い素振りでいてくれ」

「まだやるって言ってないんだけどなー……佐々木くんって強引なんだね」

「ハッ! 印象通りだろ?」

 

 悩むような素振りをして、口を尖らせながら、乃亜へ軽く苦言をぶつける一之瀬。そんな表情もキュートかよ! 最高か!? 今すぐ乃亜の彼女になれ!

 それに、どうせもう───腹は決まっているくせに。

 

「で、どうだ、乗るか、反るか?」

「取り敢えず中間テストの結果までの間だよね……うん、それまでは一先ず佐々木くんの企みに乗っておこうかな」

「っしゃあ! 決まりだな!!」

「すっごい嬉しそうだね」

「ったりめぇだろ! この手の大掛かりな悪巧みを通しきった時の爽快感ときたら……あはぁ」

 

 今度はドン引きした色をさせている。ドン引いたり、生暖い視線を送ったり、感心したりと忙しい子だな彼女は。

 

「演技してそのままガチの不仲になっても不味い、夜には定期的に電話して寝落ちもちもちしよう寝落ちもちもち」

「意味知ってるの?」

「知らんけど必殺技みてぇで気に入ったわ、くらえや寝落ちもちもちぃ!」

「子供みたいでかわいいなぁ」

 

「寝落ちもちもち……ッ波ァーーッ!!」とか気合と共に両手を空へと向けて解き放つ、佐々木乃亜15歳。片足を上げながら「よんべぇだァーーッッ!!」とか言い始める乃亜を、一之瀬はぽわぽわした目でそれを見守っていた。

 分かりやすく気分が上がっていく乃亜、その様子に気圧されつつも邪気の無い姿に毒気も感じられず、『弟がいたらこんな感じなのかなー』とか呑気に考えている一之瀬だった。

 

「ハッ! 密やかな賭けの始まりだぜ一之瀬ぇ! 楽しく踊ろうか!! くぅーっ! これだよこれぇ! 思惑を重ねていくこの感覚! やっぱ対人知能戦が一番楽しいなぁ!!」

「賭けっていうよりも投資じゃないかな?」

「確かにぃ! 俺は知らず知らずのうちに投資家デビューを果たしてしまったって訳だ!! つまりアレか!? 安牌ばかりを望む投資家のアホ共と同じ穴の狢になっちまったのだ! くぅーっ、やっぱ人生って分からんもんだぜ! 生きててよかったね乃亜クンガハハの巻!!」

「すっごい元気だねー」

 


 

 殴り書かれた、複数枚のメモ。テーブルの上に並べられたそれらは、もはや今後は不要の長物、話題提供の種となったとしても船から降りる頃には誰からも存在を忘れられているであろう。

 くしゃくしゃになったそれらを眺めながら、夕陽に明かされた頬を緩ませながら、一之瀬は感慨深く呟いた。

 

「すごいよねぇ」

「さっきからそればかりだな」

 

 船外の潮風が、ふわりと、心と足並みを揃えるように、一之瀬の髪先をうならせる。

 

「……まあ、一之瀬の言う通り、先を観通せる男であるのは認めるさ」

「きっと8割くらいで思い付きなんだろうけどねー」

「思い付いたその先を鮮明に観れるのは……悔しいが俺では真似が出来そうにない。というかあそこまで先が読めているのに、どうして言動がああも狂人なんだ……」

 

 まず間違いなく故意犯だった、素の彼はもっと素朴で、騒がしさを演じて、強がろうとする普通の男の子である。……それを自分だけが知っていると───一之瀬は、そう思わせられている。

『君だけしか知らない』『貴女だけには伝える』『本当は誰にも言ってはならない』こうした秘密の共有とは、手っ取り早く親交を深めるのに有効な手段だ。短絡的な手段だからこそ、実際の共有する秘密の内容については考えなくては逆効果にもなり得るが。

 乃亜は、一之瀬との関係を保つため、電話越しの精神分析を以て『一之瀬帆波の傷』をとにかく手始めに聞き出していた。コールドリーディングにも連なる手法は乃亜の専売特許でもあるが、電話越しは少し自信が無く、なので持ちうる経験と技術と才覚の全てをつぎ込んで、一之瀬帆波の篭絡へ勤しんでいた。

 傷を明かしてくれたなら癒すように労り、次は自発的に乃亜の傷を提示する───乃亜からすれば大した傷ではない、肝心なのは、相手にどう思わせるかだ。そして顔を禄に合わせない状況も手伝い、一之瀬は時間の経過と共に『佐々木乃亜』を勝手に美化していく。

 そして秘密の共有の出来上がりだ、乃亜は電話中、すっごい罪悪感で胸いっぱいだった。

 楽しんでいたのは、楽しんでいたが。

 

「坂柳見なかった?」

「へー? 見てな、ぃ……えぇ……」

 

 浮かれた表情をしている一之瀬へ、ずぶ濡れの乃亜が声を掛けた。足元がぐしょぐしょの靴で水溜まりを作り出してしまっている。とても不快だ、早く着替えたいが、乃亜の心はそれに待ったをかけている。

 

「チッ……船内に逃げやがったか? ハッ! 俺がそんなんで日和るとでも思ってんのかねぇあのシルバーロリは」

「かっ、海藻ファッション?」

「最先端を走る存在でありたいからな」

「先鋭的と言うんだぞ」

 

 神崎からのツッコミもなんのその、額に腕に足にと、乃亜の全身には海藻が巻かれ尽くした、世界的ファッションスターですら道を譲るファッショモンスターがそこにはいた。

 

「坂柳にこのまま抱きついて磯臭くしてやるんだ」

「それは……セクハラとスメハラ、どっちだろう」

「火蓋を切り落としたのはあいつだ、これは順当な応報だ」

「何故かは知らないが俺には断言が出来る、絶対にお前が悪いと」

 

 理由を問わんとする色を感じた乃亜は、胸を張って答えるのだ。

 

「諸事情あって海に飛び込んでたんだよ」

「まさか船から?」

「船から」

 

 右手で弄ばれているコインとの関連性は一見すれば無さそうか。いやどうしてなのか、一之瀬と神崎の視点からしてみると、関連性がありそうな気がするとってもする。コインを追い掛けて船から迷いなく飛び出すのか否かとか言われれば……きっと乃亜は空へと挑むのだろう。それくらいの絶妙な信頼感が、一之瀬の中には存在していた。

 濡れたズボンを動きずらそうに揺らした彼は、一之瀬の座るテーブルに広げられた数枚のメモ用紙を見て、ニヤリと子供っぽく笑った。

 

「ものの見事に炸裂させてやったぜ」

「そうそう、ちょうどその話をしてたんだぁ」

 

 にへらと笑う一之瀬に、神崎がため息を吐く。

 

「……まったく、2人とも人が悪いな。どうせこの性格の悪い作戦は佐々木が考えたんだろうが、乗る一之瀬も一之瀬だ、俺達は本気で佐々木に何かされたのかと心配していたというのに……」

「こっそりと夜にでも部屋に呼び込んでグチャグチャにしてやりたかったけど我慢してたよ! 褒めて(カン)ちゃん!」

「ぐっ、グチャグチャ……って!? ……その……佐々木、くんは……しっ……した、かったの……?」

「───無論ながら冗談でございますとも、ええ、Bクラスの偶像様をお手付きにするなど考えた事もございません」

「というか神ちゃんはやめろ」

 

 おおっと視線───これはもう死線である。綾小路ですら遠慮する視線だ、熱を直接放ちそうなレーザービームも同然か。確かに乃亜もあまりいただきたくは無かった。

 しかしだ、ちょっとまてよ──────大怪盗の如く「ヤツはとんでもない一之瀬を盗んでいきました」すれば、憎悪に満ちたBクラスが見られるって事なのでは? ふむ、憎しみを糧とする感情は薪を継ぎ足さなくては効率が悪いが、瞬間最大風速という意味ならちょっと楽しそうかも分からない。こんど綾小路へ相談してみようと思う乃亜だった。

 

「でもやっぱりすごいよねぇ、佐々木くんは1日目の時点でどこまで見えてたの?」

「一之瀬との結託を使えば9割勝ちってのは、ルール説明の時に。その後にリーダー変更権利やらを知って、もう100%勝ったなって確信した」

「そっか、だから堀北さんを通して、テントの配置なんかも指示できたんだ」

「だな」

 

 テント配置やそれに伴うスポット場所の選び方等は、共闘の意を伝えさえすれば彼女が良い塩梅の采配を行ってくれる、そういった一之瀬への信頼も含めた堀北への指示。

 その内容は「お前の自由にしろ」である。

 伝えるべきさえ伝えれば、後はどう動こうと、何を喋ろうと、全て自由。無論ながら何かしらのミスでもあれば綾小路を(拒否権無しで)使って、もちろん乃亜も全力のフォローに回るつもりだったが。

 その結果は想像以上だった。Aクラスへの挨拶に始まり、Cクラスのポイント使い切り作戦へ疑念を覚え、そしてBクラスへは堀北独自の判断による先を見据えた配置すら指示していた。全ては、先の予測を常に立てようとする意識が無ければ思い付かない行動だ、もはや短絡的な浅慮は堀北に期待できないとまで言い切れる程に。

 目覚ましい成長だった、赤点回避を諦めて須藤達を見捨てようとしてた女か、これが? たった数ヶ月で? カンフル剤を打たれでもしない限り、人はこうも急成長を遂げる事は無いはずだが。

 

「テントを複数置けるスペースを、Bクラスのテントが取り囲むようにか……確かに後々の事を思うのなら必要な措置だろうな」

 

 堀北には、メモを渡せとしか言っていない。

 他の全ては彼女の采配だ。

 

「佐々木くんから何が起こるのかを事細かく聞いていないと、中々できない提案だったよねー」

「そらそうよ、Noahクンだぜ? 果ての未来までを予言なんざお茶の子さいさいよ」

「───なーんてねっ」

 

 すると一之瀬は吹き出すように笑って、いたずらっ子のような視線で乃亜を刺す。

 

「本当は知ってるよー? 堀北さんが自分で考えてたってこと。前もって指示されてたにしてはねぇ、ちょーっとだけたどたどしかったかなー?」

「ハッ! あいつがぁ? 楽しい冗談だな一之瀬ぇ、あいつは勉強が出来るだけの頭でっかちコミュ障アホアホ暴力女だ、全体を俯瞰するような行動はできやしねぇ」

「そういうことにしておきたいんだよね───今は」

「頼む」

 

 らしからぬ切実な表情で、一之瀬へと乃亜は頼み込む。

 おどけた顔しか見たことの無い神崎は、そんな乃亜の横顔に些か以上の衝撃を受けている、そんな色をしていた。

 そして、直接会話は交わせずとも、夜の電話でかなり仲良く───互いの大きな秘密()を曝け出してすらいる一之瀬は、戸惑うことなく首を縦に振った。

 

「うん、いいよ、今回Bクラスがリスクゼロで大きなクラスポイントを貰えたのは、佐々木くん達が派手に立ち回ってくれたおかげだもん。……そうだね、次の試験が終わるくらいまでなら、胸にしまっておこうかなー」

「ハッ! ……あー、いいなぁお前、やっぱ良い女だわ、好きです付き合って……ジョウダンダヨー?」

 

 互いにとっての落としどころを用意して、尚且つこの共闘が、この一戦限りのものであるとも理解してくれている。その良い女っぷりに勢いで告白しかける乃亜だったが、百合百合しい電波を感じて即座に撤回の判断を実行する。

 即断即決、これで乃亜の大体の人生は説明が付く、単純明快な道のりである。

 またもや睨まれてもたまらず、髪に張り付いた海藻を振り回しながら、乃亜はこの場を後にした。

 


 

 ───罪は罪だが、悪じゃない、俺が保証する。

 

「彼って、今、ポイントはどのくらい溜まってるのかなぁ」

 

 ───()()()()()()俺が何度だって言うぞ、一之瀬は善いやつだ。

 

 折り曲がってくしゃくしゃになったメモを、大切な宝物を眺めるように、もう何度目かも分からない回数か、それでも、もう一度見る。

『犬猿解除 完全勝利を獲りにいく』

『リーダー変更の権利は50ポイントで買える 購入権は6日目の午後の点呼までの時限制 一度のみの使い切り』

『俺達で勝とう』

 頼りになる男の子だった、当たり前のようにリスクを背負って、一之瀬帆波への負担は最小限に抑えてくれて──────それが偶然で、少年の都合とたまたま噛み合っただけで、佐々木乃亜からすれば戦術上の過程で意図せずそうなっただけでも、単にリスクを背負う側へ立ちたかっただけだとしても──────乙女は、運命性を信じた。

 一之瀬帆波を、佐々木乃亜はまだまだ知らなかった。

 彼の想像よりも、脆く、意外と普通の女の子であったことを。

 

 ───つーかあれか、俺の抱えてる過去も言っとくわ。

 

「私達と合わせて……2000万とかにも、届いちゃうのかな?」

「…………まず間違いなく賛否両論になると思うぞ」

「にゃはは……だよねー」

 

 もし仮に届いているのなら、一之瀬帆波はどうしたいのだろうか。

 彼女は自分でもままならない想いに、口元を少し、緩めるだけだ。

 

 ───俺、母親を追い込みまくって自殺させたことあるんだよねー。

 

 抱え合った傷へ触れるように、そのメモを、彼女は優しく撫ぜた。

 


 

「ふふふっ、1日目からパワーゲームで事を運ぶとは……ふふっ、とっても乃亜君らしいですね」

 

 船内に用意されたカフェのラウンジ内で、くすくすと、隠しきれない笑みが、晴雲のように浮かんでいく。

 予想の通りの反応されて、葛城はつい、苦笑いを浮かべてしまう。

 

「してやられた側からすれば笑い事では無いがな」

「ふふ、お気を悪くされたのなら謝らせて下さい……ですが……ふっ、ふふふ……生き生きとしたお顔をして森を駆け巡る姿が、あまりにも想像しやすくて……」

 

 であれば、きっと彼は、心の底から楽しんでいたのだろう。

 少しだけ妬ましい、直接宣戦布告していたという龍園も、彼の傍で様子を見れる位置にいた綾小路も、舌戦を繰り広げたという葛城も、秘密を共有していた一之瀬も、少しだけ……ほんのちょっぴりだけだが、嫉妬の情を覚えずにはいられない。

 この身体の脆弱さを強く呪ってしまう、久々だ、本心から煩わしいと思うのは。

 共に参加できたのなら、きっと自分なら、もっと彼を楽しませてあげられたというのに。

 

「完膚無きまでの完全敗北だ。すまない坂柳……お前がいない間にかなりの差を詰められてしまった」

 

 真っすぐに頭を下げる葛城へ、やや少しの面倒くささを感じる坂柳だった。愚直であるが故の葛城という少年なのだろうが、これから先、同じクラスで袂を共にしていくのに一々これでは辟易としてしまうかもしれない。

 ───クラス全体を傀儡にしてしまえば楽なのでしょうけれど。

 とはいえチーム戦である、そして坂柳だけでは手が届かないであろう存在が要るのも事実、そしてそのクラスには同等とも言えるホワイトルームの少年がいるのも事実。

 何よりも、あの少年はチーム戦を楽しもうとしている、なら仕方ないから、この面倒にも付き合ってあげなくてはならない。真摯に真摯に、と、『面倒ですから全てを支配して差し上げましょう』と言い出しかねない己を律する。

 

「いえ、お気になさらず。葛城君には申し訳ないのですが……正直なところ、戸塚君をあそこまで揺さぶられていた時点で、今回に関しては勝ちを捨てる意識で見送らせていただきました」

「……マイナスとなるルールでないだけマシだったと考えるべきか」

「戸塚弥彦の矯正……と言えば聞こえは乱暴でしょうけれど、これはやはり必要な事です。……今回の試験の推移をお聞かせいただいて、やはり確信しました、佐々木乃亜は集団戦においては穴が多いということを」

「破天荒かつ破壊的なまでの正面策が目立つが、裏から回していた小細工も見事なものだった。佐々木乃亜に弱点はあるのか?」

「『制限された自由』がテーマであったことも大きな要素なのでしょう。何分、ルールの隙間を探すことに快感を得てすらいます、それはもう爽やかな笑顔でグレーゾーンを探っていたことでしょうね、アレは」

 

 葛城、橋本、神室、状況の只中へ身を置いた者達から聞いた状況を並べ立て、俯瞰し、綻びを見つける。いつものことだ、普段通りの、乃亜のクラスメイト(チェスピース)と坂柳のクラスメイト(チェスピース)を使ったお遊び。

 久しぶりのチェスに、坂柳は心が躍動しているのを感じていた。

 

「乃亜君の指揮には、個人的意向が多く含まれています。例えば葛城君との交渉時、好戦的な性質が、Aクラスと協力ないし利用するという選択肢を潰している。例えば龍園君との交渉時、好戦的な性質が、リーダーの正体を晒すという致命的な行動へ繋がっている。彼の船はクラスを乗せて共に航海をするのではなく、騙して乗せた船を無理矢理に操舵させているのです」

「不和が生まれないのが不思議だ……佐々木が意図して考えないようにさせていたのか、初日の強行からすれば納得だな」

「クラスを丸ごと傀儡にしてしまうことも不可能ではないと思いますが、そういった気配も感じられません。……もしかしたら乃亜君は、Dクラスを本当の意味で率いるつもりが無いのかもしれませんね」

 

 だとすればその内飽きてしまうだろうが───その時は、私の誘いにも頷いてくれるだろうか。

 

「無意識のうちに甘く見ていたのかもしれない。坂柳とのやりとりを見ていれば、尚更にな」

「…………その……少しくらいなら、接触を……控えましょう、か?」

「『嫌だ』と顔に書いてあるが?」

 

 成程、乃亜と心理戦を繰り広げた経験値は、葛城の中で確かな実力となりつつあるらしい。

 決して、そう決して、特定個人に関する坂柳有栖の反応が分かりやすいという話ではない。

 

「次回以降は適材適所といきましょう。今回は私の存在が足を引っ張ってしまいましたから、彼と相対するのならお任せください」

「頼もしいな」

「口喧嘩での勝率なら私が上回っておりますので」

 

 葛城の適正は外ではなく内へと向くものだ。外敵への外交が坂柳ならば、内側の内政こそがおそらくは葛城の本領を発揮できる場所だろう。クラスを恐怖支配こそできる坂柳だが、真の結束の方が諸々の都合が良いのは確かである。坂柳では出せない人間性は、しっかりと身内の手綱を握るために奮って欲しいものだ。

 ()との舌戦は楽しいから、その機会をなるべく渡したくないのも事実だが。

 

「佐々木は……会話の全てを楽しんでいた。不利だという状況ですら、佐々木からすれば戦意の向上に繋げて……俺のような堅物には理解の外に在る考え方をしている」

「アレは敗北の瀬戸際へ追い詰めれば追い詰めるほど、思考速度と洞察精度のボルテージを上げていく理不尽の権化なのです。熱を上げさせず、勝利の条件を水面下で揃えておき、一息に形勢を決定付ける、そういった立ち回りを必要とされる相手ですね」

「聞けば聞くほど怪物だな……っとすまない、訂正しよう、怪物級の人間であると」

 

 鋭く尖らせた目線を、即座に弛緩させる。

 葛城の訂正へ、坂柳は満足そうに小さな首を頷かせた。大事なラインであり、譲れない一線、それを尊重してくれる姿勢があるのなら、咎める必要も無い。

 一通りの報告を終えて、葛城は自室へと戻っていく。無人島での疲れを癒す前に立ち寄ってくれたのはありがたい。こういった責任感のある所も、乃亜が気に入る一員なのだろう。

 嫉妬を紛らわそうと文句の100ぽっちくらいはぶつけようかとも思ったが、流石に落ち込み過ぎていて、精神を折るつもりも無かった坂柳からすれば何も苦言は呈せなかった。乃亜をいじって暇でも潰そうかと、呼び出しのメッセージ作成するべく携帯を取り出した坂柳。

 ちょうど、その少年からメールが送られてきた。

 

『葛城は頑張ってたぞ、あいつにガタガタイチャモン付けるようならお前をガタガタ震わせるようなことしてやるから覚悟しとけよ』

「ガタガタ、ですか……が、がた、がた……ど、どんなことを……」

 

 誰かが生唾を飲み込んだ音がする、誰だ、ああ自分か。

 気になった坂柳は、返信してみる。

 


 

「あー? 返信は、や……」

『具体的に』

「……」

 


 

「あら、乃亜君にしてはレスポンスが……」

『大人しくしとけ変態』

「ッ───!」

 

 身を震わせる衝撃が、脊髄の奥底から這い上がるような、この、パチパチと脳細胞がはじけるような、この、身もだえしてしまうこのトキメキは──────悪くない。

 ぞわぞわした背筋の快感が残っている内に、坂柳はメッセージを返した。

 


 

『もっと具体的に仰ってくださらないと分かりません、抽象的すぎます、即刻メールを送り直してください。怒っているのならそれなりの言葉遣いやそれに伴った語彙力を用いていただかなければ何一つとして私には響きませんよ。いいんですね、今から葛城君に数多の皮肉を浴びせますが、その程度の罵倒で本当に充分なのでしょうか? 人格をなじって傷口を抉り出すような───』

「もうやだよ助けて綾小路ぃ……」

「どうした佐々木、お前にしては珍しく顔が死んでいるぞ」

「俺さぁ……あいつとの接し方間違えてたのかなぁ……」

 

 こわくなって半泣きの乃亜は、もう無視することにした。

 


 

 シャワーを浴びてサッパリとした乃亜は、堀北と綾小路を呼び付けて作戦会議───をしようとした矢先、坂柳へ釘を刺しておいたのだ。おいたのだが……。

 夏だからか、意味不明な文にちょうど良い塩梅でヒヤッとした乃亜は、目じりに涙を浮かべながら机へと突っ伏していた。ホラーすぎる文書は即刻削除済である、あんな怪文書をいつまでもフォルダに入れていれば、乃亜の携帯が呪われそうだ。

 

「スクロール5回でも底には辿り着かねぇ……まさしく呪いのメールだったぜ……」

「オレも見たかったな」

「どうせ痴話喧嘩でしょう、巻き込まれるだけよ」

 

 題名の欄が文字制限いっぱいに埋まっているメールなどお目に掛った覚えが無かった。

 何だか年齢を経るごとに悪化しているような気がした乃亜は、喋る気力も無かった。だってショックだもの、幼馴染だと? これが? 冗談きついぜ。

 突っ伏したままの姿勢で、今回の戦果を頭で並べていき───改めて、堀北に賞賛を送る。

 

「取り敢えず堀北、今回はオメーがMVPだ、よくやったよマジで」

「そうかしら……結局は今回も貴方達について回っただけだと思うけれど」

「葛城との交渉の下地、龍園の策破りの起点、一之瀬への指示全般、マジで言うことなしだった」

「全ての行動に『佐々木乃亜からの指示だ』と付け加えていたのも良かったぞ。一之瀬には気が付かれていただろうが、厄介な龍園から警戒されないように上手く存在を隠せている。葛城へ隠せていたのも良かった、あれは背後にいる坂柳を想定した発言だったんだろう?」

「よーやってくれたよ、ホントにさ、つー訳で報酬ぽちー」

 

 堀北には30万くらいだろうか、ついでに共に走ってくれた高円寺へ30万、そして本当は絶対に渡したくは無いがとある口止めに綾小路へ30万ポイントを送信した───一週間で90万! 金銭感覚がおかしくなりそうで壊れそうな乃亜だった。

 何だか嫌な金持ちにジョブチェンジした気分になって、勝手に落ち込んでいると、堀北から強めの視線を受け取った。何だ、足りないか、そうかならお兄さんもうちょい渡しちゃうよー。照れ隠しとかされてもね、乃亜はそういうのに追い打ちを入れていきたい人間である。

 

「っ!? 違っ、こんなに要らないって意味よ! 急すぎて怖いくらい!」

「貰っておけよ堀北。どうせこいつはこの程度ならすぐに稼げるさ」

「……(殴り掛かるのを我慢する佐々木乃亜)」

 

 追加の10万に慄く堀北を、机に突っ伏したまま眺めながら、乃亜は今後を考える。

 どうせ堀北もいるのだ、話題提供もかねて彼女にも色々と考えさせよう。

 

「この後直帰だと思う人ー」

「違うの……?」

「いや、正直俺にも分からん」

「クラスポイントの変動があること自体は掴んでいたとは聞いたが、二度目の試験がある可能性はどうなんだ?」

「それに関しちゃ、無人島でポイント取れすぎちゃった感はある、だから変動の幅と見比べると……あるのかなぁ、あってもおかしくないけど……って感じ」

 

 全ては高円寺だ、高円寺が悪い、あのアメリカン番長が頑張りすぎたのだ、いつか絶対にポーカーで剥いてやる。

 

「そうよね……たった一回の試験で、私達はもうCクラスへ上がったのだし」

「だからオレ達のクラスは全員が浮足立っている、そんな中でもしも、もう一度があるのなら……佐々木は動くのか?」

「わっかんねー」

「坂柳さんが参加できる可能性があっても?」

「……まあ、あいつに暇させない程度には、かな」

 

 せっかく付いてこさせたというのに、ゲームの一つも楽しめずに帰るのはかわいそうだ。

 どうせあるのなら、乃亜も坂柳も、互いに楽しめるように頑張るのである。

 覇気が些か抜けた様子の乃亜の視界に、何やら頼れる男の気配が見えた気がした。腕には軽井沢とかいう地雷をくっつけ近づいてくるボンバーマンもとい───

 

「やあ、3人とも」

「───出やがったな平和主義男(ピースマン)め」

「ぴ、ぴーすまん?」

 

 何でAクラスじゃないのですか選手権が開催されたのなら、恐らく彼はぶっちぎりのトップへ座すであろう男、頼れるみんなの平田洋介クンだった。

 彼の腕にしがみ付いているげっ歯類が、謎のあだ名で気安く呼んだのが気に入らないのか、げっ歯類らしく噛み付く色を見せてきた。

 

「ねえ、佐々木くんのそれ、つまんないって教えてあげたよね」

「あー? 誰だテメェ、俺には生憎だがヤマアラシの知り合いはいねぇんだが」

「何それ、意味わかんないし! ……ちょっと見直したと思ったら全然じゃん」

「ハッ! 『主語使って喋れよアホ女』、ほらこれが例文だ、齧歯類の声帯じゃぁ難しいかもだが恥ずかしがるなよなっ! ほらほら大きな声でぇ~、せぇ~のぉ~、りぴぃ~と、あふたぁ~、みぃ~」

 

 これでもかと扱き下ろせば、楽しいくらいに目を怒らせて、グーパンチで殴り掛かろうとしてきた。危ない危ない、平田が止めなかったらクラスポイントが減っていたところだぞ、やはり地雷であったか。

 何かしらを聞きにきた色をさせて、軽井沢の怒りを収めた平田は、だらけ切った雰囲気をさせた乃亜の方へ向き直る。

 真面目な視線だった、平田を気に入っている身としては、ぞんざいにし過ぎるのも心に不味い。こちらも真剣に取り組んでおこう。

 突っ伏した姿勢から起き上がりつつ、とりあえずの謝辞を述べる。

 

「細かいとこの指揮サンキューな、あればっかりは櫛田と平田にしか任せらんなかったから」

「あれくらいはお安い御用だよ、それに、皆んなも協力してくれたからね」

「まーそーゆーことにしとくわ、平田はその方が喜びそうだし」

「お見通しかい? 流石だね」

「……私には?」

「チーズに穴でも開けて暇でも潰しとけや齧歯類」

 

『チーズ代』というメッセージを備えた300ポイントを軽井沢へと送り付けた。……皮肉のつもりだったのに、かなり喜んでいる色をしている軽井沢が怖かった。どんだけ金欠なのこの子……今度の機会にでも昼ご飯とか奢ってあげようかしら。

 

「んで、何しに来たの」

「うん、実はだね「今お前は『佐々木君にはリーダーになって欲しいと考えているんだ』と言おうとしているなッ!!」

 

 ズバリと言い当ててしまい、平田からかなりの量の畏怖を貰い受けた乃亜。これたぶん、一字一句当ててしまったパターンである。それでも怖がったりよりも畏敬の方が多いのは、人の良い平田らしい、残念だったな平田クンよ、乃亜は貴様をますます気に入ったぞ。

 無人島試験の結果発表のタイミングでも、期待するかのような視線でチラチラと見られてはいたが、やはりそうだった。

 

「す、すごいね……一字一句も間違いがないよ」

「……心でも読んでるみたいで気持ち悪い」

「うっせーなぁー、チーズ代渡したんだから黙ってろや」

「ネズミ扱いはやめてくれない!?」

「あー? ヤマアラシだっつってんだろうが!」

「この2人、意外と仲良しだな?」

「はは、実はそうなんだよね」

「さっきから話が進まないわね」

 

 堀北の睨みで黙り込む軽井沢、そうかこの2人はあまり相性が良くないのか。堀北の抱えるコミュニティ障害はかなり重症である、というよりも、他人への第一印象の観点がかなり乃亜にも通じるところがあるから分かるのだ───バカっぽい言動の奴は軽蔑から入る、そういった視点だ。

 しかし堀北のソレも、徐々に柔らかくはなっている……筈だ。無人島生活中も、刺々しい発言をしていなかったように思える(乃亜と綾小路は除く)。

 女子グループのしがらみなどもあるのだろう、しかしだ、どうせ堀北はそういった性差を超越したリーダーの玉座へ座ることだから関係も無いのである。

 

「口を挟むのなら部屋に戻ってくれるかしら佐々木君」

「俺かーい、めっちゃ会話の中心じゃーん」

「自意識過剰もここまでくると……はぁ」

「テメェこら」

「……へえ」

 

 我らが秘密兵器は、緩衝材を使うということを覚えたらしい。

 平和と平穏をこなよく愛する男が、思わずといった様子で声を漏らす。今のは正直乃亜クンも、平田と同じように感嘆の声を漏らしそうになっていた。要するに乃亜を挟んで使ったのだ、遠回しに軽井沢も自重するような形をさせて、余計な衝突を生まないような配慮が今の一言には存在していた。……あれ、乃亜に対する配慮はいずこ?

 軽井沢も絶賛のギャルをやっているだけあって、場の空気はまあまあ読める方だ。こうして自然と話し合いの空気間へ戻っていく。

 

「あー、そんで、俺にクラスを引っ張れってぇ?」

「うん、今回の無人島で、君以上の適任者はいないと思ったんだ」

「現状はまあ、そうかもな」

「そうか?」

「んだテメェ喧嘩売ってんのか」

 

 心底不思議そうな声の綾小路クンには、学校に帰ったらポーカーで毟り取る刑に処すとしよう。

 堀北が少し、反応を示す。乃亜はそのまま綾小路を見たが、彼は何も言わず、静観している。

 まあそうだろう、元々の話通りに乃亜達は組み立てていくだけだ。───ちょっとだけ、予定は狂ってしまうかもしれないが、まあ、不測の事態こそが人生の醍醐味ということで。

 

「悪いけど断る」

「……理由を聞かせてもらってもいいかな」

「俺がリーダー? ハッ! アホな選択だぜ平田、お前Aクラスに上がりたくないのかよ」

「みんなで上がりたいよ、その為にはきっと、佐々木君が中心になって纏めていくのが一番だ」

 

 分かっていない、平田と乃亜との絡みはまだ薄い、だから知らないのだ。

 乃亜はやはり、個人単位での考え方の方が性に合っている。堀北に様々な説教をした手前口には出さないが、邪魔な身内なら切った方が早いと断ずる側だ。

 ……確かに努力する姿勢を見せてくれる限りは、その尊さをより高みへ押し上げる手伝いはするだろう。だが努力をやめたのなら? 怠け者に食わせる飯なんて概念は、乃亜の辞書にはない。

 逆に言えば、立ち上がり続けてくれるのなら、むしろ気に入る。折れても、もう一度を期待するだろう。

 踏まえるのなら───『努力家以上』でなければ、速攻で切る。

 

「自由に使える兵隊なんか手に入れちゃったら、俺、普通に足切りとかするよー? 邪魔するだけで口しか動かさない無能とかさー、思考ロックした痴呆とかさー、あらゆる手口で追い詰めてクラスから追い出すけどー? 俺を完全な頭脳に置くってことはー、お前ら完全な手足として働いてもらう訳でー───どう? これが俺がやりたいリーダー像」

「それは……困るな」

「だろ? 俺、絶対に統率を執る側は向いてないと思うんだよねー」

「「「(無言の頷き)」」」

「おいこら俺から小遣い貰った分際共ー?」

 

 軽井沢までもがそっち側に居るのは解せないのだが。

 

「まあまあ、落ち着こうぜ平田。まだこのゲームも始まって半年も経ってないんだ、2年半以上も先がある。リーダーなんてもんはな、今年中にでも決めりゃいいんだよ」

「……そうかな、少なくとも僕は、次の試験がとても大事なものに思えてしかたがないんだ」

「かもなー、ちょっとスタートダッシュが良すぎたかも。次に負けちまったら一気に士気が下がるだろうなぁ」

 

 危惧するのも分かるが───乃亜からすれば、どう転んでもそれはそれで好機でもある。

 主導者不在での敗北、これは実に分かりやすい危機感をクラスへと植え付けるだろう。今すぐにでも! 誰か! このボロボロのクラスを導いてくれ! そういった空気が蔓延してくれるのなら、乃亜がもう少しこのクラスに於ける発言権の割合を獲得できたりもするだろう。

 そうなると玉座の移行もやりやすくなる。そう思うと苦戦くらいはしてくれないかと願う乃亜だった。

 

「今日のとこは解散にしとかない? 無人島でダッシュ繰り返してたから普通に疲れちゃった」

 

 

 

 

 船内の部屋へ、並んで歩く乃亜と綾小路。

 すぐそこまでの道だが、ささっと結論を出してしまおうと思う。

 

「そうだな……そろそろか? いや、ちと早いか? 綾小路はどう思う」

「正直判断には難しいな……試験内容を見てからでないと、最悪のスタートにも繋がりかねない」

「そこだよな、俺らが怖いのは」

「特に坂柳だ、堀北がお前のお気に入りの玩具だと知れば即座に潰されるぞ」

「あー? ……な、なにゆえ?」

「佐々木の場合だと鈍感の線はかなり薄くなるな。……お前の洞察力で気が付いていない訳が無いだろう二股キープクソヤロウ」

「きっこえなーい、あー、あー、あー、なーにーもーきーこーえーまーせーん」

 

 何も聞こえないので後半の戯言は捨てておいて、と。

 ともかくだ、坂柳の性悪具合が跳ね上がる内容だったり、龍園がイキイキと調子に乗れるような内容だったり、相性の次第では試走で潰されるという恐ろしい話にも繋がりかねない。

 一之瀬と組ませて安牌を取る手もあるが……ダラダラと関係を続けられるのもあまり困る。

 

「───まあいいか、次、前に出してみよっか」

「賭けか、いいな、オレも乗った」

「アホ、どうせ同じ馬に賭けてんだ、払い戻しも同額戻ってくるだけだっての」

 

 まだまだ賭けの何たるかも分かっていないマイフレンドへ指南をしながら、乃亜は部屋へ戻るのだった。

 だってほら! 壊れたり潰れちゃったらそれまでだし!

 

「それにしても、高円寺がよく7日間も大人しく協力してくれたな」

「あれは……何でだろうな? 声掛けたら普通に付いてきてくれてたけど……今更になって怖くなってきた」

「お前に心当たりがないならいよいよ高円寺は変人ということになるぞ」

「そこに関しちゃ問答無用だろうが、あんな珍獣はよ」

 


 

 今回の試験の顛末を、乃亜は自室で、心が逸るままに伝えていく。

 楽しかった、ただ楽しかったのだ。自分の中の良くない部分も全く出てくることはなく、平和に争って策謀を巡らせて、楽しいだけが詰まっていた7日間だった。

 乃亜が楽し気に話すそれを、部屋のベッドへ上品に腰掛けながら、静かに微笑んで耳を傾ける坂柳。

 子が親へ話すように、弟が姉へ自慢をするように、兄が妹へ語るように。

 年頃の男女が2人、夜の時間に共に寝所にいるというのに、爛れた気配は微塵も無かった。

 

「それでさぁ、高円寺のヤローが更に速度上げやがってさあのアホエリートマジで許さん」

「まあ、それで乃亜君はどうしたんですか?」

「ハッ! 一般人の意地で追い越してやったね! そしたらあんのヤローってば何か勝手に盛り上がって、もっと速度上げやがって……! ……いやはや疲れたぁ」

「ふふふっ、たくさんお疲れのようですね」

 

 手を口元で隠しながら、くすくすと笑う坂柳。本心から喜んでくれている色が見えて、乃亜は安心したようにベッドへと近づいていく。

 持ちうる限りの話題を話し尽くした乃亜は、キョトンとした顔の坂柳を避けて、ベッドの中心目掛けて飛び込んだ。

 シーツがふかふかとして気持ちが良い。空調もちょうどよい温度をして、疲労も相まってこのまま眠れてしまいそうだ。だが乃亜はまだ眠るつもりが無かった、もう坂柳と少し話していたい、そんな気分だった。

 がばりと飛び起きて、坂柳の方へ向き直る。

 乃亜がまだ喋り足りないと察した彼女は、仕方ないとでも言いたげな笑みを浮かべて、視線で話の続きを促す。

 

「坂柳がいればもっと楽しかったろうさ!」

「……私も乃亜君のお話を聞くほどに、参加出来ていればと思うばかりです」

「坂柳の親父さんもさー、もっと融通利かせた内容にしてくんねーのかな」

 

 例えば島をボードに見立てて、指揮と兵隊に分けて、人間チェスなど。

 そういった形で坂柳が参加してくれたのなら、絶対にもっと楽しかった。

 

「ギャンブルじゃなくてもここまで楽しかったのは久しぶりだなー」

「何を言っている乃亜君なのでしょうか、実質的なコイントス作戦でしょうに」

「でも保険を何個も掛けてたんだぜ? チーム戦だからってさ、ああでもないこうでもないって何百通りのメインプランを考えたりして!」

「慣れない事をしたとは他方面から聞き及んでいます。……ですけれど、ちょっとだけ、ほんのすこーしだけ、気に入りません」

「あー? なにさ」

 

 頬をむくれさせて、乃亜へと上半身を詰め寄らせた坂柳。

 鋭さのある目尻に迫力を覚えるも、口で言うほどは怒っていない色を……───不味い、結構怒ってる。

 

「協力者に一之瀬さんを選んだ事です。……タイミングを考えれば彼女以外にはあり得ないのも分かりますけれど……でも、一番に乃亜君の事を知っている私の方がもっと良い結果になっていたに決まっていますっ」

「アドリブの思い付きだぜ? とんでもない無茶言うじゃん」

「……乃亜君は私を相手にして戦いたいのかもしれませんけれど……私は……私だって一緒に、乃亜君と……秘密の関係でいたり……そういうのが欲しかったのに……」

 

 ドングリを頬に詰めすぎたリスのように膨れた坂柳が、全然可愛らしくない色をしている、例えるならカバとか象とか、サバンナのフィジカル強者のような上位種の色をしている。

 いやいや気のせいだろう、気のせいでは? 

 ───そっか気のせいか!

 

「でもなぁ、坂柳と他の連中とじゃ新鮮味が違うし」

「…………どうせ私なんて中古の女の子ですものね」

「ワードチョイス終わってんだろ」

 

 言葉が重たいのだが、少女然とした雰囲気はどこへ。

 

「お前は中古にした覚えがねぇ」

「お前()とは、とても不思議な言い回しをするのですね」

「ぉお前を中古にした覚えががねぇ」

 

 間違えた、言い間違いで言葉の綾、誤解で語弊で誤訳である、ただそれだけなのである、ということにしたいのである。

 路線を元に戻すことがこの場を乗り切る最適解である、乃亜の思考はそれを結論付ける。

 

「坂柳との関係はずっと続くだろうし! 卒業後に関係性切れる可能性高いやつと遊んでる方がいいだろってこと!」

「……それは……そう、なの、です……けど………………えへ……のあくんと、ずっと……ふふっ……そうですか……ふふふっ」

「どうしたのお前」

 

 嬉しそうに目を細めて、緩まった口角の隙間から、蚊の鳴くような声で呟き続ける坂柳。

 よかった、機嫌は良くなったようだ、急に可愛くなってビックリした乃亜だった。

 

「ほんでさっ、一之瀬と密約交わした時の話なんだけど、あいつめっちゃ善いやつだったんだよ。いやマジでさぁ、あんな綺麗な色した人間は初めて見たんだ!」

「……そうですか」

 

 一之瀬の話題になってから、乃亜はとにかく一之瀬の特徴を頭に思い返していた。

 ずっと話したかったのだ、彼女ほどの清い存在を乃亜は見たことが無い、その希少性は坂柳でも理解できると信じていた。

 好きなものは共有したくなる、これがきっと人間だ。

 

「綺麗……うん、綺麗だった、すっげぇ綺麗な色だった……眩しくて、暖かい感じがしてさ……一目惚れってやつかなぁ……」

「…………乃亜君は……本当に、善良な人がお好きなようですね」

 

 頬が熱いのを自覚する。夏だから? それにしてもやたらと内側から熱かった。

 まるで心から灯っているような、胸の中心をくすぐらせるような、自然と優しい笑みがこぼれる心地がする。

 

「ちょー好き。今まで毛嫌う演技してた分、沢山交流できりゃ嬉しいな……今度、夜に電話掛けてみようかな……め、迷惑かな……坂柳はどう思う?」

「───私なら……私が、乃亜君からお電話をいただいたのなら、とっても幸せに感じますよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 膝の上にある顔を覗き込んだ。

 私の影が、彼を電灯の明かりから遠ざけて、強張っていた目元から力が抜けて、安心の表情へと近づいていく。

 電気をつけたまま眠ってしまう時は、こうしてあげるのが好きだった。

 私が覆って、私の影で、私が光を遮って、彼が安心する。

 きっと私はこのままの姿勢で眠ってしまって、翌日身体を軋ませて目覚めるのだろうけど。

 この一時の贅沢の代償としてなら、あまりにも安い。

 

「乃亜君は相変わらず善良な人が大好きですね」

 

 悪人を嫌わない、世の中の悪性を普遍として「そういうこともある」と飲み込める。

 けれど彼はそれ以上に善人が好き、善良が好き、善性に満ちた人が大好き───けれど。

 佐々木乃亜は、状況に流されるだけの阿呆を嫌う。

 佐々木乃亜は、自らで考える事を放棄した能無しを嫌う。

 佐々木乃亜は、立ち上がる意志を抱けない伽藍堂を嫌う。

 だから佐々木乃亜は、壊れた玩具には、興味を一切示さない。

 何も行動を起こせないほどに壊してしまえば、佐々木乃亜の内のあらゆる選択肢の全てから外れる。優しくしない、怖がらせない、楽しくならない、憤らない、邪魔にも思わない、全てだ、壊せば佐々木乃亜は、もう二度と彼女へ構うことは無くなる。

 無人島での疲れを癒すために、深い眠りの中へ潜っている乃亜君。すやすやと、心を私の膝へと預けるようにして、安堵の表情で眠りこけたその髪を撫ぜた。

 くすぐったそうに身をよじる乃亜君、けれど払おうとはしない、私からの愛撫を受け入れてくれる。そんな子供のような仕草が愛くるしくて、私よりも大きな頭を、私の小さな体で覆い被せてしまった。

 

「はぁ……のあくん……」

 

 息苦しくならないように少しだけ隙間を開けて、けれど抱き抱えた彼を離すつもりはこれっぽっちもあり得ない。

 熟睡を堪能する彼の耳へ、こっそりと、告げる。

 それはまるで、懺悔のように。

 

「私が彼女を壊して差し上げますから、乃亜君もちゃんと彼女を嫌ってくださいね」

 

 手と手を合わせたあの瞬間、佐々木乃亜を見る一之瀬帆波の視線には一つの熱がありました。その視線の種別には覚えがある、まだ芽生えたばかりの形にすらなっていない、未熟な感情の種子ですが。

 ですが、見過ごせませんでした。

 2人の歩く景観を害する芽は、私が摘み取って砕いておく。

 それが坂柳有栖にとって、以前からの当たり前。

 坂柳有栖では持ち合わせない尊さは、全て、一つ残らず、彼の目に触れないようにしなくてはならない。

 佐々木乃亜にとっての坂柳有栖は、特別であっても、唯一無二であっても、他の何を置いても優先される対象とはならないから。

 

「私は意外と臆病なのですよ?」

 

 乃亜君以外は全部虫けらも同然なのに、たまに現れるのだ、彼の視線をフラフラと吸い寄せるような、眩い光を放つ虫が。

 端的に言えば、一之瀬帆波がとっても目障りになってしまいました。

 乃亜君がどこかへ消えてしまっては怖いのです。

 ですから害虫はぷちっと、 しておきましょうね。

 

「───でも、大丈夫ですよね」

 

 私が怖がっていたのなら、乃亜君はきっと「あー、ならしゃーねーか」と言って許してくれるのです。

 頭を掻きながら、諦めたように、そして数秒後には私にかまってくれますもの。今までがそうだったように、彼は、私のおいたを許してくれちゃうんです。

 眩しい彼女が、乃亜君が好む光を纏った彼女が、邪魔で邪魔で邪魔で邪魔なんです。

 ───私が覆って、私の影で、私が光を遮って、彼が安心する。

 それ以外は、この一時に、不要なんです。




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