抑止力、それは争いを事前に遠ざけるための力である。……何だそれはバカバカしいにもほどがある、敵なんぞ多い方が嬉しくてたくさん幸せ───という発想は残念なことに普遍的人間の考え方とは乖離しているのだ、悲しい話ではあるが。
弾避け扱いなら万々歳、ファーストペンギン最高だぜ、そんな乃亜が自らの手で事前に闘争の気配を圧し潰してしまうのは実に勿体ない。
とはいえども、佐々木乃亜の内にある規定に従うのなら、軽井沢恵を守るための行動となるとやはりそういった事前の対応が必要だ。規定に従えば感情もそのように蠢く、佐々木乃亜とはそういう生き物。
気乗りはしないが、仕方ない、見たくもない幻覚を見ずに済む分プラスであると考えよう。
今回の一件へ綾小路から先手を打たれる前に、早いところ面倒を片付けてしまおうと、乃亜は我がクラスの誇るスーパー善人系男子へ電話を掛けていた。
「おはよう平田ァ! テメェなら早起きだと期待してたぜ!!」
『うん、まあ、うん……お、おはよう……佐々木君も随分と早起きだね』
何故だか戸惑った声は、平田洋介のもの。
ポーカーフェイスマイフレンドよりも先に彼へコンタクトを取らねば面倒が加速する、そんな予感がとってもしていた乃亜は、罪悪感も押し退けて、爽快一番な声で元気よく挨拶をしていく。
ついさっき起きましたとでも言いたげな雰囲気は、通話電波を通して乃亜には全然伝わらなかった。悪いが無視です、今の時刻が朝7時という事実には目を向けません。お前さんの彼女(偽造)の尻拭いだ、このくらいは飲み込んで欲しい。
挨拶も早々に、堂々とした命令形で乃亜は告げた。
「テメェの偽造彼女の連絡先を寄越せ」
『えっと、佐々木君なら構わないけれど……一応理由は教えて欲しいかな?』
「昨夜に真鍋が軽井沢に手ェ出しかけた。未遂で終わったが、今日中にでもまたコンタクトがあると面倒だ、事前に種を潰す、軽井沢の目の前で真鍋に土下座させれば話は解決だ───勿論だがあくまでも
『……きっと君になら出来るんだろうね』
大なり小なり平田洋介が絡んでいる以上は、暴力を用いての解決はあり得ない、軽井沢を泣かせるような過程も良くはない。であるのなら口八丁で精神を少しだけボコボコボコボコボコボコにしておくのが落としどころだろう。平田には嫌われたくない乃亜なのだった。
でも土下座を渋るようなら、腹に大きな青痣を作ってあげるくらいはしてあげたいものだ。軽井沢も平田へ告げ口はしないだろうし。幸いにも龍園という前例がある分、暴力による支配には慣れている筈だ、同じような態度で演じて詰めていけば口も塞げる。
一度は感情論すら潰すような理論武装で攻め立てる、厳しいようなら腹に蹴りを入れる、そして真鍋との諍いを軽井沢の圧倒的な勝利として終わらせる、その上で真鍋からは今後の反骨心すら産ませないほどの弱みを無理やり奪い取る、それでこの件はお終い。
早いところ坂柳の相手に着手したいのだ、それから一之瀬の好感度も上げにいきたいのだ、このモラトリアムタイムを真鍋如きに使い尽くすような真似はしたくないのだ。
ベッドの縁に座りながらコインを握って、平田からの返答を待つ。窓の外の海を眺めながら心を落ち着かせていると、携帯の向こう側から、考え込むような気配を感じた。
『それに関してなんだけど……話がしたいんだ』
「構わんぞ、場所は?」
数秒待ってからそのすぐ後に平田が話し始めてからだった、急激に嫌な予感というものがし始めたのは。
『もしよかったら今から僕の部屋に来てくれるかい? 実はもう綾小路君が来てるんだ』
「う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜わ、嫌な名前を聞いたァ」
『失礼な佐々木め』
「やってくれたなテメェ」
急に平田ではない謎の人物の声が聞こえた。ポーカーフェイスを張り付けてそうな男子の顔が思い当たる。
どうやら平田の横で、スピーカーにして通話を聞いていたようだ。マジかよ、今何時だと思っているんだあの自称普通の高校生は、非常識すぎる時間帯だぞ平田に迷惑だろう。
「行動力の化身がよォ」
『いいから早く来い。───フフン、喜べ、軽井沢も呼ぶ予定だぞ』
「Иди к чёрту」
いかんいかん、勝ち誇ったようなドヤ顔が簡単に想像できて、咄嗟に憎悪が。……あっちの方が一手早かった、あのアホに速度で負けた、その事実が普通に悔しいのだが。
『地獄の住人みたいな性格破綻者がよく言えたな』
『今のが分かるのかい? 僕には全然分からなかったな……英語ではないよね?』
『いや全くもって何も分からないが、オレ普通だし、普通だからロシア語とか知らないし』
「…………そうだな、マグレ当たりおめでとう」
「ロシア語って理解してんじゃん」という一言はグッとこらえた。友達思いな乃亜クンである。
そんな感じで、朝から集合となるのだった。
平田の部屋へ向かった乃亜。待ち受けていた綾小路に、平田も歓迎してくれたのだ、不自然に。
そして平田が呼び出した軽井沢が、眠たそうな顔を引き連れてやって来た。だが……だが。
事の概要を聞かされて、聞かされてしまって。
軽井沢と顔を見合わせながら、2人で同時に頷く──────うん、無理だよねそれは。
「「絶対に嫌だ」」
それが、即座に叩き出した結論だった。
無理、というよりも、嫌だ。理屈どうこうよりも、感情がその策を阻む。
軽井沢はもとより、乃亜だって嫌だ。
全く同一の拒絶の意志を灯した2人を見た平田が、他人事のように微笑みながら言った。
「あはは、2人とも息ピッタリだね」
「綾小路ィ……テメェには後で話があっからなァ」
「オレが、矛先……だと……!?」
心当たりあるクセに『!?』じゃないのだ白々しい。
「どう考えてもテメェ考案ッつー結論以外が出て来ねェんだよ……!! 俺の反応も予想してましたってツラしてんぞォ……!!!!」
「オレじゃないぞ、堀北考案の会心の策だ」
「あー、はいはい、なるほどね堀北ね……じゃあ堀北に言っとけ、『杜撰かつ稚拙かつ脆弱かつ浅慮かつ愚考極まった使い物にならねェ考えを寄越すんじゃねェダボハゼゴミカスが』ってよ」
「……いくら……堀北、でも……傷つく……だろ」
堀北を隠れ蓑にしようとして傷ついているアホノ小路を発見した。
疲れた顔で息を吐きながら、右手の指先でコインを回転させながら、少し考えてみる。
この提案、乃亜の中で考慮すべき事柄は三つだ。
一つ、確かに有効策であるという理屈。
一つ、『ざけんなアホが』という感情。
一つ、
こうして並べてみると、乃亜がどうするかなど、もはや決まっているようなものか。本当は嫌だけど、めっちゃ嫌だけど、マジで本気で嫌なのですがどうしてくれましょう。
「冗談でしょ平田くん! 何でこんな性格終わってる人なんかと!?」
「笑わせんな、冗談はテメェのアホさ加減だろうがァ」
「冗談みたいな性格の悪さしてる佐々木くんなんかには言われたくないもんっ!!」
「ハッ! 四方八方に喧嘩売る姿勢のクセしてよォ、いざ襲われたら頭抱えて泣き出す麩菓子メンタル女がよーくほざけるもんだなァ?」
「っ! 人の触れられたくない部分をそうやって嬉しそうに掘り返してさ!! この鬼畜!! 悪魔!! 人でなし!! 坂柳さんたらし!!!!」
「うっひょー、ボロカスに言ってくれるじゃねェの。……うん?」
───今、何か、何だ、聞き間違いか? 脳みその大部分を考え事に使っていてほぼ聞いていなかったが、何かこう、聞き捨てならないことを言われた気が……。
「……つーかおい平田ァ、マジで言ってんのか? こんなにも俺を褒め千切ってくれるようなアホ女と常日頃一緒に居たらよォ、その内辛抱堪らなくなってガバっと襲っちまうぞ?」
「ほらこんな事言ってるよ!? 悪口しか言ってないのに喜んでるよ!? とんでもないサイコパスだよ!!」
「サンキュー!!!!」
「1ミリも褒めてない!!」
「打てば響くこのテンポ感、素晴らしきナイスカップリングじゃないか?」
ワクワクしてやがるこの野郎、どうせ呑み込む結果が見えていそうな顔をしやがって。
軽井沢に睨まれながら、朝から痛む頭を誤魔化すように右手でコインを弄んでいると、穏やかな信頼感を含ませた口調で平田が喋り始める。
「きっと佐々木君は、軽井沢さんに酷い事はしないよね」
「どんな根拠で言い切れる」
訝しみの視線を一瞬だけ向けてしまう、まだそこまでの信頼を稼いでいたとは思えない。人を信じようとするのが平田洋介というのは察しているが、彼の目の前で何かを成し遂げた訳でも無いのにそれにしては──────ああそうかい綾小路コラァ。
あること無い事吹き込みやがったのか? 入学してから取り続けた乃亜の立ち回りを、まるで性根が聖人君子であるかのように説明しやがったと予想するが。
「佐々木はそういう存在だからだ」
平田から受ける過剰な期待と信頼をどうしてくれようかと思案していると、事の下手人が突然白状し始めた。
「佐々木乃亜は『クラスメイトのため』になら懸命になる、これは佐々木が自分の中に敷いた規定だ、そういう生き方で自分を律している」
「……よーくご観察していらっしゃるようで」
「自由に選んだ結果なんだろうが、お前も難儀な生き方をしているな」
「テメェには言われたくない気がするすっごくする」
「堀北が言ってたぞ」
堀北はそんな事を全然言わなそうだが大丈夫かしら。隠れ蓑にするにしてももう少し上手い事やってほしい、堀北の評価に繋がるのだぞ。
「そう在らんと振る舞う姿を……ある意味では、軽井沢さんと似ているように僕は思うよ。軽井沢さんだって、佐々木君が本当はクラスメイトの為に力を尽くせるような人だって知ってるんじゃないかな?」
「……だからって、でもっ……!」
全然似てないが。……軽井沢は平田の言葉へ同意を示すような態度をさせていた。別に自分を隠しているつもりは無いというのに。テメェらと一緒にしてんじゃねェよ
こんな仮面は単なる枷だ。
人を助ける、そうするのが当然、だからそうする。
仲間を助ける、そうするのが自然、だからそうする。
そういう行いはとても善い事、
楽しくなれる自分を締め付ける枷だ、邪魔な枷だ、取り払えるのならそうしたい、本当はもっと自分勝手に好き勝手にいれる自分で在りたいというのに。
けれどこの枷が無くては集団戦のゲームを楽しめない、なら仕方ない。
そういう自分である事は、あの子の優しさへの『証明』だ───決して有象無象連中の為に苦心してる訳じゃない。
「なんで
「綾小路君クゥーン! 軽井沢ちゃんが鏡をご所望よー!」
「持ってきたらぶん殴られる気がする」
いい性格をしているコメントを残した綾小路を睨みつけながら、軽井沢はぎゃいのぎゃいのと騒ぎ立てる。
たかだか証明一つを果たすための献身を続けた果てに、全く関係のない輩と男女交際をしろだなんて展開になるとは思わなんだ。
寄生宿主ルートがほぼ確定してしまって泣きたくなる。ふざけんなよ、マジでふざけんなよこいつら、平田に至っては無責任すぎるだろうがにゃろうめ。
「もう面倒だしカップル成立でいいんじゃないか?」
「おい軽井沢ァ、今すぐテメェの知り合い連中に連絡飛ばせ、『綾小路清隆は常日頃から女子のスカートをジロジロ眺めている』ってなァ」
「おいバカやめろ」
「『中身を透視するのが将来の夢』だって付け加えとくからね」
「ふざけるなよベストカップル共が」
「ハッ! ───送れ送っちまえマジで送れ速攻送り付けろ最後のタップを今すぐ押せェェ!!!!」
これは粛清だ! 綾小路の野郎から普通の学校生活を取り上げちまえ!
「…………平田ァ、妥協してお守りならしてやる」
「ネズミの次は子供扱いって……!」
「俺が軽井沢を守る。それだけじゃダメか?」
「……そんな真剣な顔で言われても」
「テメェには話してねェが」
「私の話なのに!?」
さっきから一人でうるさい女だ。
「交際だけは勘弁してくれ、互いの未来にも関わる」
「僕としては、佐々木君になら任せられると思ったけど……こればかりは無理を言ってもどうしようもないよね」
演技が上手い伊達男だ、元よりこの結論への展望を描いていたくせに。
騒いでいた軽井沢も、平田の言葉によって怒りを収めていく様子を見せる。彼女も『佐々木乃亜なら守ってくれる』という結論に対しては特に異論は無いらしい……え、無いの? マジで? 本気で言ってる? そこまで好感度稼いだ記憶が無いのだけど?
ともあれ───騒々しい朝の始まりに、その関係性は定まった。
「クラスメイトは絶対に守る、だから助けを必要とする軽井沢を、俺は絶対に守る……あー、テメェは結局それでいいのか?」
「…………言っておくけど、何がどう間違っても絶対にあんたなんかと付き合ったりしないし、佐々木くんなんかを好きなったりなんかしないんだから、変な勘違いしないでよね」
「気が合うなァ、俺だってテメェ程度の知能指数は断固ご勘弁でよォ~」
「指一本でも触れたら警察だからね!」
「今の時代は逆セクハラもあるにはあるんだが……珍事例として仕立て上げて突き出してやろうかァ?」
へらへらと笑いながら、喚くアホ女を眺める乃亜。
こういった騒がしいのは嫌いじゃない、惜しむらくは口喧嘩で負ける気がしない点だ、口八丁が強すぎるあまりに勝者は常に乃亜となってしまう点だ。
だがこういった言い争いの実力も、乃亜との論争を通して成長していくことだろう……いやちょっと待ってほしい、そんなにも長い期間をコレのメンタルガードに費やせという事か、ふざけるなよマジでよ?
「おお、見ろよ平田、ネコとネズミの海外アニメみたいじゃないか?」
「喧嘩するほどってことかい? そうなってくれたら嬉しいよね」
「「外野、うるさい」」
相性という部分だけを見るに、存外、悪くはなさそうだ。
非常に遺憾な意に満ちた心境の内で、溜息を吐きながら、納得のし難い結論を出した。
「今のお前が不調なのは分かっている」
「どっちかと言えば不機嫌なだけだが」
「佐々木の調子は機嫌次第だ、上機嫌か不機嫌かでパフォーマンスも大きく変わる。情動で生きるお前らしいと思う」
荒々しく食器の音を鳴らしながら、カレーライスを掻き込んでいく。
ここは船内のレストラン。綾小路と共に昼餉をとっていた乃亜は、軽井沢の件に対する自白タイムを設けることにしたのだ。
「お前のケアはすぐにでも坂柳に任せたいところだが……軽井沢の件を先延ばしにして須藤の時のように後手に回ってしまえば、佐々木は更に絶不調に陥るからな」
「下手くそな言い訳しやがって……それでテメェの何が困るかよ?」
「不調の佐々木を眺めてもつまらない、理由なら、それで十分だと思うが。……睨むな、一応の屁理屈くらいは許してほしい」
普通に許さんが。
「本当は軽井沢を壊そうとしてたろ」
「やはりバレてたか」
驚愕の気配も醸すことなく、マイフレンドはそう答えた。
乃亜へすり寄らなければならない程に切羽詰まった、寄生先の必要性。
平田から聞かされた、軽井沢の内に潜む闇の核心。
真鍋とのやり取りの中で見えた、軽井沢の脆弱性。
程よくアホだから動かしやすく、精神構造は麩菓子みたいな骨粗鬆症だからぶっ壊しやすく、依存先を常に求めるから手元に収めやすく。……凄まじいほどにクラスの弱点だ、そこそこ有用な駒なのが厄介さを増している、龍園や坂柳に目を付けられる前に判明して良かった。
「しかも壊した軽井沢を俺に押し付けようとしたろ」
「かもしれないな」
いけしゃあしゃあとなんだこいつ。
「坂柳対策のデコイも兼ねた内部統制の道具に仕立て上げようとしてたろ……俺に押し付けた上でよォ!!!!」
「すごいな、全部当たりだ」
乃亜は激怒した、少年の自由を奪おうとした綾小路を叩きのめさねばならぬと決意した。
……でも乃亜が軽井沢係を引き受ければ、平田の手が空くので、その分だけ平田はクラス統一のために馬車馬の如く働かせられる。そう思えば、まあ、引き受けるメリットは大きいのも確かだ。
だが、しかし、まるでぜんぜん、佐々木乃亜の怒りを鎮めるには程遠いんだよね。
「なーにが『すごいな』だァァァァ!!!! 地雷女を俺に植え付けようとしやがってっ……壊した女をアテンドするなんぞやり口がヤクザのそれだぞ、普通の高校生を自称してる奴の手口じゃねェだろうが!!」
「だが有用だ。佐々木なら軽井沢を上手く使いこなせるだけじゃなく、個の戦力として育てる事も出来る。堀北の育成能力を見て確信した」
「あー? 堀北に関しちゃほぼ勝手に育ったようなもんだろうが」
「そうか、意見の相違だな人型カンフル剤」
人類の枠を外れて、人外扱いから更に外れて、果てには薬品扱いへ移行していくのが悲しい今日この頃。マトモに人間扱いしてくれるのは坂柳くらいかよ。
周囲の人の目が、騒ぎ始めた乃亜の方へと向くが、視線の一つ一つへあらん限りの敵意を含ませて睨みつけると……あら不思議、注目の気配が一目散に消えていくわね、なら初めからこっち見てくんじゃねぇのだわ腰抜け共め。
怒りで荒くなった息を整えながら、ゆっくりと着席をする乃亜。
一瞬の瞠目を挟んだそのすぐ後、綾小路の無機質な瞳を真正面から覗き込みながら、問う。
「……そんで、高校デビューギャルぶっ壊しプランから方針変更した理由は?」
自分で口にしてなんだが、あまりにも酷すぎるプラン名称である。
「昨夜の時点でお前には殆どを見破られていた。佐々木が強引にこの一件を鎮めてしまう前に軽井沢を押し付けるには時間が足りない、お前なら真鍋が再び暴走する前に動くだろう? かと言って佐々木よりも早くに動いたところで有効な手立てを打つ猶予は無い……となれば正面策が逆に有効だと思ったんだ」
「普通に軽井沢と仲良くなろうとは思い至らないのォ?」
「関係性によって構築される絆もあると考えた、佐々木なら簡単に絆せるという期待も込みだ。坂柳対策の囮としても使える、仲を築いて損は無い」
言わんとする事は分かる、言いたい事も、まあ、有用性も認めるが。
だが一つだけ、綾小路は見落としている事実がある───こいつの企みには、決定的なまでにとある情報が欠けている。
坂柳対策? 囮? 仲良くなる有用性?
全ての要素が何故だかどうしてピッタリと当て嵌まる女の子なら、もう既に存在しているというのに!
「アホノ小路め、坂柳に対する弾除けはもう居るだろうが」
「……お前、まさかとは思うが……」
きょとんとした顔から一転、若干の畏怖を感じさせる無表情のマイフレンドへ、その存在を乃亜は今この瞬間に示すのだ。
夜に電話して夜中に寝落ちしちゃうくらいに仲良しもちもちな! 善性の塊が!
「ああそうだよそのまさかだ……俺らのクラスに被害が来ないうってつけが居たんだ! 坂柳の目眩しには一之瀬を使おうと思ってたんだ!!」
佐々木乃亜渾身の演説に、しかし呆れた目をさせるマイフレンドだった。だが納得のいく説明ならいくらだって出来るのだ。
坂柳対策! 一之瀬なら抗えるだけの実力がある! 説明不要!!
囮! 一之瀬なら堀北へ向かうものだけでなく! Dクラスへの被害からも遠ざけられる!!
仲良くなる有用性! 一之瀬と仲良しだと乃亜がとっても嬉しくなる! 一之瀬大好き! 付き合いたい! 結婚したい! 佐々木帆波に名を変えろ! 一之瀬乃亜でも全然いいよ!!
「外道だな」
「どーして?」
カレーライスを頬張りながら、心底から不可思議そうに首を傾げる。道徳が欠如してる野郎から外道扱いされたのだが? 自分だって元は女の子の心をボロクソに壊そうとしていたくせに。
ロボット状態から脱しつつあるマイフレンドではあるが、まだまだ道徳心を勉強中らしい。頑張れ綾小路、立派な普通の高校生になるんだぞ、卒業する前に競馬の楽しさだけは絶対教えてやるからな、馬券片手に怒声を飛ばす歓びを知ってから卒業しろよな。
「気づいている上でとは言わないよな」
「大なり小なり好かれてるのは自覚してっけど、その話?」
「いやまあ、有用なんだろうが…………悪魔過ぎないか?」
「どーしてそーなる?」
物言いが更に酷くなった、マイフレンド同士の絆はいずこ……?
「一之瀬の事は気に入ってたんじゃないのか」
「ハッ! 一之瀬だぜ? 一之瀬帆波だぜェ? あんなにも綺麗な色をさせた子は、坂柳だっていつも通りには潰せねェよ。─────────あんな綺麗な色が壊れる訳ないからなァ」
「俺に色は見えないが、お前が一之瀬へ期待しているのは伝わってくる。………………しかし可哀想な一之瀬だな」
「なーんでそーなっちゃうのー?」
遂には一之瀬に同情し始める綾小路だった、解せぬ、だって一之瀬なのに?
「だからああも人目を引くように好意を撒き散らしていたのか」
「一之瀬愛が溢れる少年っつーのは間違いねェよ、趣味と実益を兼ねてるってところだ。
───善性の一之瀬! 悪性の坂柳! そういった対決が見れる特等席へまんまと座れちゃったっつー訳よ!! だってのにテメェが軽井沢を俺に押し付ける悪手に走りやがって、俺にとっちゃ余計な負担だ……てか軽井沢にだって人権はあるんだぞ外道め! 囮扱いとか非道な真似だぞこんにゃろう!! 人の心というものを知りなさいよねテメェはー!!」
「佐々木にだけは言われたくない」
「こんなにも情動的な俺に何を抜かすかー!!」
人間は感情で動く生き物、感情とは心、心を原動力にする自分こそが人間らしさの最先端であると自負しているのだが。
納得がいかずにコインを指で弾いていると、机の向こう側から伸びてくる手が、宙に浮いたコインを奪い取──────────────────
「やはりコレは安定剤か」
「返せよ男」
「堀北から聞いた話じゃ、龍園に渡していたらしいが?」
「あれはノリだ、今は俺が許可していない」
「成程、興が乗れば……どうやらお前の中では、坂柳の存在は第一優先にはならないようだな」
ゴチャゴチャうるせェな、よく観察してる眼だ、目障りな色だ、潰してやろうか。
「返せ」
「大人しく軽井沢を受け入れろ、オレの目的に必要な要素だ」
「返せ」
「佐々木を縛り付ける枷は、お前が不安定になるほど脆くなっていく。お前を揺さぶるのに必要な要因はまだ理解し切れていないが───軽井沢の存在が、どうにもお前の中の何かを刺激していると推測した」
「いい加減にしろよ」
「須藤の一件とは違うな、今の深度へ至るまでの速度が速すぎる……現場を見たからか? それにしては軽井沢の被害が少ない。人数の問題か? いいや須藤の時に比べて少人数だ。性別の違いか? シチュエーションの違いか? 何が違う? お前の中で息をしている悪魔を引き摺り出すためのファクターは何だ? ……どうすれば佐々木乃亜は───あの頃の悪魔に戻れる」
よく喋る肉袋だ、頭痛がする、機嫌が悪くなるほどに嬉しそうな色をさせている、消してやろうかその色。
御託を抜かす前に早く返してくれないかな。大事なモノなのに。コイン、勝手に触られるのはやだな。乃亜が自分で買っていたものならまだしも、それは、別物だというのに、その事情すら知らずにコレは許可なく触れて握って、イライラする。
もう一度、首を押さえつけながら血反吐をもう一度吐かせるまでとか、物騒なことをちょっとだけ考える。
最後の線引きを、目の前の人間に説いた。
「
「本気のそれを浴びたのは8年ぶり、だが…………足りないな、やっぱりお前は鈍ったよ」
失望したような色をさせながら、ふわりと無造作にコインを投げてくる。
それを受け取って、少し、息を整える。
肩を落とすように息を吐いてから、睨みつつ言葉を荒めに交えた。
「チッ。…………あー……悔しい話ではあるが、確かに昔の方が色々と冴えてたな」
「チェスの腕の時点で察してはいた。だがこうして懐かしい気配を向けられてようやく確信した。何があった、佐々木ほどの存在を縛り付けるような過去があったのか? ……坂柳の存在のせいか?」
チラリと、害意に似た色を彼から感じた。
「別に。坂柳とのあーだこーだは、その気になればいつでも切れる」
「オレからはそうは見えない」
「だったらテメェはまだまだ俺を知らねェってことだ」
トレーの上に置かれたコップを手に取り、胸の内を流し込むように、水を飲みほした。
これまでの乃亜を見ていれば簡単に出せてしまえるような疑問に、用意していたような周到さで、乃亜は、するりと己の中の事実を述べた。坂柳を標的にしようともどうでもいいが、それで綾小路が望むような状況を作れるとは微塵も思わない。これは、そういった、答え。
佐々木乃亜の脆弱な部分となり得るのなら、坂柳有栖なんぞは捨てればいい、と。
その断言を、綾小路は信じた───そういう色をさせていた。
「……佐々木乃亜の中身を知る上で、軽井沢の存在は鍵になると踏んだ」
「否定はしねェよ。確かにあの女には、俺の過去と被る要素がある。だが決定的な部分を間違えてるぜ綾小路」
「だがその間違いすらオレは解き明かす」
「くだらん事に寿命を費やすねェ」
「くだらない事に楽しみを見出してこそ、だろう」
「同意しかできねェ理論だ」
片や、表情を大きく歪ませて。
片や、表情を小さく薄く動かして。
共に、笑う。
「オレには、この学校に居る間に成し遂げたい目的がある」
「あー、そうだったな。……いいぜ、好き勝手やって遊んで過ごしたいのはお互い様ってな」
色々と乃亜の思惑で振り回していた自覚もある。本人は楽しんでこそいただろうが、使い走りの様に働かせていてばかりだと、乃亜の罪悪感が刺激されて困る。
上下など無い。背中合わせではない。横並びだけではつまらない。
向かい合って出逢い、たまには同じ方向を向いて、そして最後に向かい合ったまま終わる、綾小路とはそういう関係の方が楽しそうだ。
「『
「欲張りだな佐々木は」
「何も望まない人生なら心臓を動かしている意味が無ェ、そうすりゃ無駄な二酸化炭素を生まずに世界食糧だって逼迫させない、地球の資源を食い潰さずに星の栄養に置き換わる、遠い眼で見れば他人様の未来にも繋がる。
欲こそ人の命だ───無欲なら黙って死ね、みたいなね」
「過激な思想だ」
「だが効率的だろォ?」
欲されるのは悪い気分じゃない。
欲した目的が決着そのものなのか、決着の先に見据えたものがあるのか。
どちらにせよワクワクする。過去を穿り返されるのは痛手には繋がらないが、しかし彼は答えを今知るのではなく、乃亜の日々を観察して知ろうとしている。そんな過程も楽しみたいのなら、無論ながら乃亜は友達の力となるべく、ネタバレは避けることとしよう。
隠して隠して隠し続けて、綾小路が作り出した状況が吐く以外の選択肢を奪うほどになってから、ようやくお披露目。
楽しい、きっと、そうやって探り合う日々は、坂柳とのゲーム以上に楽しそうかもしれない。
「佐々木は……あの日のコイントスを覚えているか」
「1秒だって忘れられるか」
「───そうか」
共に笑って見送ったコイントス。
乃亜は表。
『俺が勝ったら、卒業後に2人で一緒にホワイトルームをぶっ潰す』
綾小路は裏。
そして。
『なら、オレが勝ったら──────────────────
そして、夕焼けの光に包まれながら、綾小路の弾いたコインは。
乃亜の返答に、薄く笑いながら、綾小路は言う。
「勝つのはオレだ」
ホワイトルームのマスターピースは、在野から産まれた悪魔との再戦を望んでいる。
真っ白な世界を汚したあの一幕に、彼は、何を思い、感じ入るところがあったのかは知らない。
屈辱か、憧憬か。
恐怖を拭いたいのか、それともただ無機質な理念があるのか。
はたまた、彼の無機質を溶かす程の情熱が、乃亜にすら覗けない胸の奥底で渦を巻いているのだろうか。
いずれにせよ───これもまた一つのゲーム。お付き合いしよう、友人からのたっての願いだ。きっと楽しい未来になる、どんな結末だろうと、どんな末路だろうと、地獄も極楽も、乃亜は恐らく笑って終わる。
心から、悲惨も、悦楽も、最後には腹を抱えて大笑いしていると思うのだ。
「ハッ! オーライ、あの地雷女は大人しく押し付けられてやんよ。……ただし、テメェの望んだ通りに事が運ぶとは思うなよ、俺は俺で好き勝手に状況を動かしてやる」
「オレだってお前を好きに動かせるとは思わない……が、予想通りに全てが進む方がつまらない。佐々木の巻き起こす予想外すらもオレが操ってみせるさ」
手始めにこの船上のゲーム。
早速だが、軽井沢という押し付けられた弱点、或いは資源を有効活用してみせようか。
さあ、勝ちに行こう。
試すような笑みを仲良く浮かべていると、懐の携帯が震え始める。
お相手は───茶柱か……なんか嫌な予感。
「…………茶柱から怒られるような事したっけ」
「真鍋達を追い払う時に壁に穴開けてただろ」
「え、ばっ、バレんの早くね!? …………は、はい、もしもしィ……い、いえいえ、とんでもない、身に覚えナッシングっすねェ……ちょーっと何言ってるのかサッパリっすねェ……ヤニの吸いすぎで脳味噌灰色のスカスカゴミカスになっちまって……おいたわしや……ヤニで穢れた肺を抱えて老い先短い碌でもない人生を強く生きてくださいねェ…………あ?」
はっ、背後に気配っ! 紫煙の香りの染みついたスーツの気配! ポニーテールのスーツの聖職者(汚職)がそこにいる気がする!!
振り向かんとした瞬間、両側のこめかみを挟み込む、成人女性の拳。
中指を尖らせた拳が、捻るように回転して頭蓋を圧迫していく───!
「お前にも気遣いというものが出来たとはな、方向性は的外れもいいところだが」
「痛い痛い痛いふざけろ教職者ァ! こんなにも可愛いらしい生徒に対して暴力指導ってのは如何なものかと思われますよヤニクズ先生ェ!!」
「恩師に対して何て言い草だ、先生、どうぞもっとやっちまってください」
「綾小路テメェェェェェ!!!!」
そこからの時の流れは速いもの。
最終日のディスカッション、その残された回数も二回というのに渾身の一手は未だ思い浮かばない。これに関しては優待者を擁する側であるというのが大きな原因であると自己分析する。攻める側が超得意、では逆に守る側はどうなのかという話だが。
乃亜は有耶無耶にするのが得意なだけであり、打ち立てる策の本質のおおよそは初見殺しだ。乃亜の手練手管を知る連中からすれば、『下手な手出しは無用』という対策を講じてしまえばそれで終い。上手な防衛戦とは言うには少々お粗末だ。
入学する以前は知り得なかった己の弱点を知って昂揚はしているが、しかし乃亜の気分に関係することなくゲームセットまでの時間は迫りくる。だがこれ以上どんな策を弄しても、佐々木乃亜から零れた情報には触れてはもらえないだろう。
手始めに、前回の尾を引いている様子のBクラスへちょっかいを出してみる。
「何さ、ちょっと機嫌悪そうな顔しちゃってよ」
本心からの疑問を表情に浮かび上がらせながら、一之瀬へ言葉を投げる。
すると彼女は、頬を小さく膨らませながら、ちょっとだけ尖らせた視線を乃亜へと返しながら言う。
「前回の事……忘れちゃった感じかな?」
「ハッ! 一之瀬帆波との会話を俺が一言一句忘れる訳が無ェだろうが」
「……っ、へ、へぇー? そうなんだー?」
初対面時の会話だって全部思い出せる、何ならこの場でお披露目でも……気持ち悪がられそうなので止めておきます。
「つーか何? あの話題を蒸し返したいのかよ」
「……蒸し返したいのは佐々木くんじゃないの?」
一之瀬は訝しむような眼をさせて、乃亜とその隣のちっこいのを視界に収める。
坂柳と乃亜との画策。個人間で始まったゲームの概要は、その殆どを一之瀬は予想していたことだろう。それ故の雑殴り、基盤作りの整地とも言うべきBクラスへの口撃。ゲームを始める取っ掛かりを作るためには、乃亜か坂柳か、どちらかが大きくヘイト値を稼がなくては話にならない。
過剰なまでにBクラスを責め立てた事で、印象は紐付けられた。
佐々木乃亜とは、口が悪く、粗野で、性格が悪い。
坂柳有栖は、一之瀬と乃亜の喧嘩を納められる度量を持ち、佐々木乃亜の手綱を握っている。
実際の虚実に意味など無い。事実が混在していようと、事実が無根だろうと、大事なのはそういう目線で見られ始めているという事実だ。
2人共に欲しかったのは、マイナスでもプラスでも何にせよ、印象のとっかかりだ。
「いや、この機に一之瀬に危機感を持って欲しいって思ってさ、ちょびっとだけ強めに言っちまった、なんか悪ィな」
「撤回する気は……無いんだもんね」
「よく分かってんじゃん」
その印象の内、乃亜が今回用いるのは『性格が悪い』というファクター。
要因と組み合わせるべきこの場に置かれた変数は───軽井沢と真鍋とのトラブルだ。
「ちょびっとって……佐々木くんの匙加減壊れ過ぎでしょ。やっぱりどこかおかしいよ」
「あー? 足手纏いがぴーぴーちゅーちゅーうっせぇなァ、黙ってろって何べん言わせるつもりなんだよテメェはよォ、やっぱネズミの類かよ」
「……そっちこそ何回言わせるの───私は! ネズミなんかじゃないっ!!」
机を叩きながら、感情的に叫ぶ軽井沢。
一芝居うてる女というのは既に確認済であり、実証も済んでいる。
グループのメンツがメンツだ、見破られるのではないかという懸念もあるだろうが、問題ない。
何故なら今の軽井沢は、本気で怒っている。例の如く詳細は一切説明せず、軽井沢には『乃亜と喧嘩しろ』とだけ言いつけている。その不明瞭かつ不条理な命令こそが、軽井沢の不服を買い、怒りのボルテージを良い塩梅にまで引き上げている。
本気の怒りを多めに含有させる事が、演技の質を底上げすると理解している、理解できる女だ、だから喉から発される金切り声には、本気の熱量が含まれていた。
本気か演技か、どちらなのかという迷いの中へ誘うことはできる。
そして標的は幸いなことに、愚者の類だ。
「そうかそうだったなァ、今は兎グループの優待者だったから齧歯類っつーよりも兎形目だったなァ? おっといつの間にか哺乳類じゃん、昇格おめでとうウサちゃん! 上位種に怯えて暮らすって意味合いではバッチリじゃん!! 上手いこと強者から逃げ回って生き延びてけよ~」
「ッ! いっつもそうやって人の事バカにして! 何で私ばっかり───」
「ハッ! 自惚れが過ぎるぜ、テメェみたいな小動物を
「……最っ低」
「ほらなァ? 口を開けばワンパターン、『意味分かんなーい(裏声)』『サイテー(裏声)』『信じらんなーい(裏声)』の三種の神器のお出ましだぜェ! やっぱりテメェとの会話に容量割くのは無駄だわな。定型文いくつか作っといてやるから、今度からはそれだけで満足しとけよ兎形目」
「…………」
……何だか軽井沢の瞳が憎しみ交じりへ成り果てようとしている気もするが気のせいだ。一之瀬からも、ひよりからも、幸村からも、批難を示す色が向けられている気がするが、幸いなことに乃亜はその手の感情を無視できたりするので問題なかった。
ともあれ、この茶番がよく効いている相手は居るのだ。現に向かいの席に座るCクラスの方角からは、優越感に満ちた色が感じられる。
つくづく、愚劣だと思う。
乃亜は人間が好きだが、木っ端は木っ端、使われることでしか存在意義が思いつかない劣等はやはり存在する。悲しい結論だが、3年前から出ている己の中の結論は、環境を変えたとしても易々とは揺るがない。───無論、クラスメイトはその例外に収めたが。
術中に嵌っている自覚すらせずに、『自分なら大丈夫』という無根拠をどうやってか心の底から信じられる愚図。心が痛まない相手という事実は大事だ。
良かったと思う、いや本当に。この分ならばひよりを陥れて動きを止めておく必要性も無い。彼女へ非が向かうような事にはならないだろう。真鍋達3人が勝手に自滅する、それが、乃亜が導きたい結末。
「黙り込んでどうした、様子を伺うのは兎の得意技だったなァ? じっと息をひそめて事が過ぎ去るのを耐え忍んでるだけで何もかもが解決すると思ってんのか? ───ハッ! 鋭く睨んでくるのも結構だがなァ、何も言えてない時点で認めてんだろ、『悔しいけど全部が当て嵌まっている』とかなァ? 人は図星を当てられる黙り込む習性があるけど、何だ、兎形目にも共通した特徴だったとはなァ。初めて知ったぜ、人生ってのは何事も経験って訳だ」
「……ほんっとうに性格悪すぎ、友達なくすよ? ああそっか、だから友達が少ないんだっけ?」
「薄っぺらい連中とつるんで得られるような、程度の知れた
満たされていく仄暗い色の感情。きっと真鍋達は、このままでは満足してしまうだろう。
だが、人間の奥底にある悪感情の渇望とは、果てが無い。破滅へと向かっていくその奈落には限りが無い。身の丈を超えても尚、愉悦の泉へ浸るという行為には地獄の快楽だけが存在している。
なら、そのまま突き落としてやろう。
乃亜のクラスメイトへ手を出したのだ、代償は当然のように貰い受ける。
その隠しきれていない笑みを、一息に剥ぎ取ってやる。
「乃亜君、ウサギさんならここにもいますよ? 時計は持っていませんが、その分うんと寂しがり屋さんかもしれませんよ?」
「どう考えてもハートの女王にしか思えんのだが、
「……何かすごいムカついたんだけど」
ウサギを自称する
ディスカッションが終わり、軽井沢のお守りを平田へ預けてから、部屋へ戻る乃亜。
部屋へ着くや否やすぐさま携帯を操作して、先ほど別れたばかりの軽井沢へと電話を掛けていた。
1コールで通話は繋がり、開口一番に労いを入れておく。
「良い感じだったぞハリウッド女優」
『普通にムカついてたんですけど。何なら今も怒ってるんだけど』
「だからこそだ、マジ切れも含まれてるからこそ演技の中にも『真剣さ』が生まれる。お前だってそれを理解しながらのやり取りだったろ」
ちょこちょこ遠回しに褒めておく、これが人間を飼うコツ……なのだろうか。どうにも人を完全な道具として用いるのは初めてのことだ。道具であることを自覚させること無く動かすのなら経験だらけだが、或いはプライドを踏みにじって動かざるを得ない状況に追い込んだりなど。
道具の飼育とは縁が無い人生だ。潰さないようにとなれば、慎重すぎるくらいに気を遣うのがちょうど良いのだろうか。
「そんくらいは考えられる奴だしな、テメェは」
『……それで? 次はどうすればいいの』
「その前に軽井沢に伝えておく情報がある……他言無用で頼むぞ」
『ふーん……分かった、誰にも言わない』
うむ、従順で良い感じ。宿主の方針には従うという在り方なら、手頃な道具として使う分には便利かもしれない。その内にでも絶対に返品するが。
「優待者の正体は、俺だ」
『は? え、マジで? メールは私に来てるのに?』
「勿論───マジだ、裏技を使って秘密裏に俺へ優待者を移した」
勿論───大嘘だ、そんな裏技はゲームの土台そのものをぶち壊し過ぎている。一応は茶柱にも確認を取ったが、どんなケースを例に出しても無理だと断言されている乃亜だった。
軽井沢に真実を教える訳も無い。クラスメイトだろうと絶対的な信用をしてはならない、だってどうせ態度で漏れる。それこそ信じられるのは、今回で言えば綾小路くらいか。
真実であると誤認させるだけの成果は出している。
佐々木乃亜なら可能
「さっきみたいな言い争いの中で、俺が優待者だって情報をポロっと漏らせ」
『えっ? ……佐々木くんなら、まあ、考えがあるんだろうけど……どのタイミングで?』
「軽井沢に一任する、お前なら任せられる」
『…………あっそ』
電話越しにですら通じる喜びの色が……ちょっとチョロくないかこの女、肯定感に飢えている感じか。地雷は射止めるまでは楽だとは本で読んだ記憶がある、射止めた後は面倒だとも本で読んだ記憶がある、束縛されるのは面倒だ、接触は最低限を心掛けようと思った。
綾小路は、軽井沢を乃亜に絆してほしいらしいが、想像よりも早くに達成できそうな予感がして逆に焦ってすらいる。
「狙うのは結果4。───テメェに手を出したんだ、相応に痛い思いはしてもらわなくっちゃなァ」
これからの学校生活では、本心と演技が入り混じって、ますます忙しくなる気がする。乃亜の楽しい高校生活の時間すら奪われかねない、軽井沢を早々に育て上げて、1人で立ち上がれるように成長させなくては。
そんな未来が見えて、辟易としながら電話を切った。
そして、最後のディスカッションの数時間前。
衆目が溢れるカフェの一席に目的の人物が座っているのを見つけて、乃亜は気が不味いような態度を装って近づいていく。乃亜の顔を見つけて、怯えた様子を一瞬表へ出しかけるが、すぐさま引っ込めるのは───真鍋。
流石は櫛田だ、どこにでも顔が利く。その上にこうして実際に足を運んでくれる程度には信頼されている。これは乃亜や綾小路では実現できない有用性だ。
真鍋をこうして呼び出したのは、櫛田を通した乃亜。
乃亜がこれから何を行うのか、言うまでもないかもしれないが───篭絡と呼べる行為に走る。
「うっす」
「……話って何?」
早く話を済ませて帰りたそうな気配をさせている真鍋。
残念ながら、君は君の望むタイミングで離席することは叶わない。都合良く操られる、乃亜がそうさせる。
内心を完全に隠しながら、控えめな動作で向かいの席へ座る。……カウンター席なら隣り合って喋れたものを……贅沢は言うまい。
「まずは、そうだな、来てもらってありがとう。本当はドタキャンされてるかもしれないって不安だったんだ……俺、お前の事、その……脅かしてさ」
「別に、全然気にしてないから」
はい嘘。ビビりすぎ。目線泳ぎすぎ。色を出し過ぎ。
これがポーカー中なんかなら、これでもかと煽り立てるのだが……真摯に真摯に、落ち着いて「雑魚乙、俺に傅けやゴミカス」とか言い出しかねない自分を必死に律する。
「いや、俺が悪かったよ。……あの時は機嫌が悪くてさ……って言い訳にもならないよな……───本当にごめんなさい」
机へ額を付ける勢いで、頭を下げる。
真鍋は、息を呑むような気配を見せて、そして。
「っ……い、いいから、本当に私も気にしてないし、それに私も悪かったところもあるから」
「……ありがとう、やっぱり真鍋は意外と優しいな」
「意外って何よ、私とあんまり接点も無かったのに」
「でもディスカッション中のお前を見てれば分かるさ、藪と山下への仲間意識も強そうだし……軽井沢とのいざこざも、リカって子のために怒ってたんだろ?」
顔を上げて、表情を見て、機嫌が上がったような様子を確認して。
あまりに過剰な機嫌の高揚具合に、策の成立を確信した。
「仲間を大切に思う事は……綺麗な感性をしている人間じゃないと無理だ」
───
『佐々木乃亜に頭を下げさせた』という優越感に浸っている、そんな色を乃亜は認識した。
この手の色はカーストに敏感な気質だ、だからこそ龍園には従順で、乃亜に対して一定以上の怯えを抱き、各クラスの主要メンバーの居るディスカッション中も禄に声を上げていなかった。それでいて子分へ舐めた態度を取る相手───この場合は軽井沢だ───には強く突っかかる、それは自分の管轄するグループの地位が下がるのを恐れて……とか?
そう言った輩に共通するのは、総じて、『自分はこの程度ではない』というゴミにも劣る蒙昧な自尊心だ。
この程度に地位に甘んじている
───スッと染み入るだろう? テメェらんとこの暴君龍園サマですら手をこまねく
真鍋志保という個人の為だけに、学年必至の実力者が頭を下げている。
真摯な態度で、罪悪感を顔に張り付けて反省した風に、真鍋志保は正しいと背中を押している。
テメェの自尊心は、目の前で不意打ち気味に得られた事実で、どれだけ満たされている?
その程度で嵩一杯なんて寝言は抜かすな。
もっと満たしてやるよ。
「成り行きでクラスのリーダーになっちまった手前、人を観る眼はあるつもりだ。……真鍋は決して悪い人間じゃない、むしろ善人の側だと俺は思う」
「やめてよ、持ち上げすぎだし……何が目的なの?」
「目的、か……そうだよな……いやそうだな、警戒されてもしょうがないと思うよ。……でも俺は、本当に真鍋に謝りたくて、櫛田を通して呼んでもらっただけなんだ。ディスカッション中には一之瀬にも酷い事を言ってたし……でも、あれだって本心じゃない、真鍋なら分かってくれるだろ? 熱くなってしまうと思っても無いことをつい口にしてしまう事とか……」
「確かに……つい言い過ぎちゃうこともあるかも」
「そう、だ……あの時の俺もそうだったんだ……本当に、あの時は、ごめんなさい」
もう一度、頭を下げる。
人の目が付く場所を選んだのは乃亜だ、人の気配が無くては逃げられる、そもそも来ない可能性。
そして、
周りからの注目を集める中で、憚らずに頭を下げること、この行為そのもの。
意外性、乃亜がこの場所で使いたかったのはその材料。
実力者という印象が付けば付くほど、頭を下げることの意味は増していく、そして理解していく。頭を下げるとは、己の価値を下げる行為であると認識する人間も多いからだ。……乃亜は一ミリも気にしないどころか、そういった認識を利用することで美味しい思いをしまくる側の人間だが。
周りからは、佐々木乃亜はDクラスのリーダーであるという共通認識がある。
クラスのリーダーは、簡単に頭は下げない───と、人は思いこむ。
だから、それほどの人物が自分へ頭を下げる=自分にはそれだけの価値が有る、とか。
現在進行形で思いあがっちゃってんじゃねェのかなと、乃亜は予想するが。
「元々は軽井沢が悪かったんだし……佐々木君は何も悪くないよ」
「軽井沢……
そうして次に作り出すのは、共通の『敵』。
立場は対等である、そう思わせた。
だから対等同士で共闘を───そんな提案は、まるで自分が主役へ躍り出たような気分にはならないか?
このゲームの舞台には、各クラスの主要人物が登場している。
坂柳も、ひよりも、一之瀬も、そんな実力者達を押し退けて、自分が選ばれた。
どうだろうか、真鍋が喜んでいてくれている提案だったのなら、乃亜にはとっても良い話。
真鍋の今の色は、乃亜にとって非常に好都合な彩りをさせていた。
「軽井沢は……その、リーダーとしては恥ずかしい話だが手を焼いてるんだ」
「しょうがないよ、あんな人」
「……折角の機会だし、軽井沢の件で真鍋に意見が欲しいんだが」
同意、同調、同感と、『同じである』というリアクションとは、人とのコミュニケーションを円滑に進めるのに便利な概念だ。
『軽井沢はどうしようもない』、この認識を一致させたと誤認させた時。……いやまあ乃亜もどうしようもねぇ生態をした兎形目だとは思うが。
何にせよ、これでようやく既定路線。
だがもう一つ、このままではあまりにも真鍋優位に話が進む。それでは駄目だ、一度空気間をリセットして、それでいて軽井沢は敵であるという話題を進めるための行動をとらなければならない。
「他の人の方がいいんじゃないの」
「いや、これに関しては真鍋が適任だと思うんだ、軽井沢の厄介さを理解している人間の中では、誰よりも俯瞰的に状況を見れる人物だと思った……んだけど、この後何かしら用事あるっぽい? ならもう解散にしようか」
さっぱりとした態度で、軽々しく席を立つ。
色を見る限り、この女は、乃亜を大分下に見ている。自分と同じ位置にまで落ちてきていると思い込んでいる。
ところで、『聞き返させる』とは、会話の主導権を奪う一つのテクニック。
背を向けた瞬間、真鍋の声が掛けられた。
「待って」
「───どうしたァ、まだ何かあるかァ?」
「私にもその話を聞かせてよ」
引き留めた瞬間、場のイニシアティブは乃亜へと渡る。
そこから先は退屈な、しかしスムーズな時間が続いていた。
自覚なく、それでいて嬉しそうに、真鍋は軽井沢への愚痴と悪意を吐露していく。
乃亜はただ、それを煽り立て、薪を提供し、悪意の焚き火を激しく燃え上がらせる。
何だかんだで1時間は経過した頃だろうか、話疲れた真鍋が、一息入れるためにグラスのストローへ口を付けた時。
悪魔は、提案をした。
「軽井沢を懲らしめないかァ?」
嬉しそうな色をさせた真鍋は気づけない。
乃亜の瞳の奥の色を。
心底から見下し果てた、路傍を眺めるような無機質な色を。
今回乃亜が選んだ勝利への道筋は、真鍋の手による失敗だ。
軽井沢に頼んだ、ディスカッション中の誤情報の漏洩、これはいわゆる一つのスイッチ。
真鍋へと教えた『優待者が乃亜である』とい誤認情報を、真鍋へ一番に被害が大きくなる形で爆裂させるためのトリガーだ。
「今回でラストかー、長引かせた原因が言うのもなんだけど、退屈な時間だったなー」
「楽しいかどうかでしか判断できないの?」
「人生なんざそんなもんに決まってらァ。理解できないかァ?」
軽井沢の声に、意図した尖りを込めて返答する。
分かりやすく、貶められたと理解できる形で自爆してもらわなくてはならない。
自分に価値は無いと、自分の選択は自分で選んだものでは無いと、自分の意志などは強者に弄ばれるだけの砂利なのだと、そう自分で飲み込めるような状況が欲しい。
そうまでしてようやく、軽井沢へ手出しした事を後悔するだろう。
もう二度と、Dクラスへ手を出さないと誓う事だろう。
どうか生涯拭えぬ敗北感を抱いたまま、屈辱に満ちたくだらない人生を無気力に歩んで欲しい、腹を抱えながらの嘲笑で応援するぞ。
「人生とか大げさに言ってさ、大人ぶってる子供みたい」
「何が悪ィ、何事も形からだぜェ? だったら大人の真似事を続けてりゃその内にでも成人男性の仲間入りってなァ。───テメェだって真似事が得意な人種だろうによォ」
「っ! ……ふん、好き勝手に言えばいいじゃん」
「ハッ! 話なんざ耳に入れませんってか? テメェにゃ絶対無理ィ! 外聞が気になるお年頃のウサちゃんはァ、自分を貶める言葉には過剰反応しなくちゃ生きていけないもんねェ!」
乃亜からボロクソに言われて本気の苛立ちの色をさせる。これでこの後の展開の仕込みは上々。
ついでに真鍋の御機嫌も上々。真鍋から教えられたのか、お供の藪と山下も、好き勝手言われている軽井沢へ対して、小気味良さそうに厭らしく嗤っている。実に能無し無能の馬鹿共である。情報を広げる意味と重要性と有効性の欠片も理解せず、無駄に群れようとする本能のままに話を広めたのだろうが。
失敗時のダメージが増えるというリスクに気が付かないあたり、どうしようもない。
「なァ、誰か優待者メールを送ってくれるアホはいないの? 軽井沢が優待者な可能性はやっぱりかなり高めだと思うんだよね俺」
「そうですね……可能性という話では確かに高確率ですけど……乃亜くんが絡んでしまっている以上は、やはり見送るのが最適だと思います」
「俺の事高く見過ぎじゃない? 本当は全部ブラフだぜ? 軽井沢を虐めたいからって理由でプレッシャー与えてるだけかもしれないしィ」
「なにその理由……! ふざけすぎでしょ!」
ひよりの意見は真っ当だった。奥行までを見据えつつ、人読みも絡めた判断。
彼女のその色を見て、その色の示す方向性を見やって、真鍋達の様子のおかしさに違和感を覚えていることに乃亜は気が付く。
だがまだ時間はある、が、展開を進めるに越したことはないだろう。
「少しは落ち着け軽井沢。……どうあっても状況は動かない、ならこのまま結果1を目指した方が安定して、誰も損をしない結果になると俺は思うが」
「ユッキーちゃんよォ、安牌安定安寧クソ喰らえさね、荒れた状況じゃなくちゃ人の心には熱という運動エネルギーが灯らねェんだ。つまらんくだらん面白くないの三拍子が揃った提案しかできねェなら、単語帳の内容を暗記するぐらいでしか有効活用できないその口を塞げよ」
「こんなに言われる提案だったか!?」
「こいつの言葉は気にしちゃだめだ、幸村の意見は至極真っ当だったとオレは思うぞ」
幸村が口を挟まないように、強めの棘を含ませた言葉で黙らせる。
綾小路には事の次第を全て伝えている。坂柳はまだ様子見だ……一之瀬からの信頼を焚いて譲られた先行なのである、黙っててくれないと乃亜がキレる。坂柳が黙っている限りは、神室も町田も喋り出すことは無い。
一之瀬には事前にメールで伝えてある。軽井沢と真鍋とのいざこざを軽く話して、Cクラスへお灸を据えるという名目だ。その為の注目を惹くためにBクラスを責めたとも。だから一之瀬と、浜口と別府も喋らずに様子を伺って───別府の様子がおかしいな、不可思議な緊張感が見て取れる。
隠し事をしている人間特有の態度が節々から出ているが……しかし言及はすまい。一之瀬も気には掛けている色をさせているが、理由が分かっていない、つまりは何も伝えていない何かを抱えている?
まあ頭も痛いし──────(別府なんざどうでも)いいか!
「あー、あれか? 軽井沢が優待者だって根拠をもう一度事細かく並べておく? そうすればメール送ってくれるのか? ……つーかそうだ、おい軽井沢、メール見せてやればいいじゃん」
「嫌だって何回言えばいいの!?」
「ほら見た事か、この態度! 優待者メールを受け取ってないと見せないって選択肢は出ねェだろ! つまり軽井沢が優待者なんだよ!!」
「……いっつもいつも私をバカにしながら矢面に立たせるようにして! いい加減にしてよ!!」
あ、やるのか、今、ここで。
決意の表情を隠すようにして、衝動的を装った軽井沢が、偽りの決定的言葉を宣言した。
「佐々木くんが優待者のくせに!!!!」
場の空気が、凍った。
……えーっと、発汗させなきゃ…………思い出すのだ佐々木乃亜……坂柳を騙して奪ったお年玉をその日のうちに全額スロットへぶっ込んだ日のこと……ボロ負けした次の日の親父さんの羅刹の如き怒りを……坂柳本人はギャンブルに使った事実に悲しんではいたが、何故かどことなく悦の色を醸す仄暗い笑みを浮かべていたな……思い出すだけでも悍ましいあの瞬間を……。
焦燥に満ちたメモリアルが、額を汗で少しずつ濡らしていく。そんな様子も相まって、乃亜の一見のピンチ度合いは鰻登りである。……搾取される事実をWin-Winと捉える不可思議文化の存在を、乃亜はあの日に初めて知ってしまったのだ……よしよし、汗が更に出てきた。
「………………あっ」
「え──────はっ、はァ!?」
「……あー、マジかこれ」
我へ返ったように、ぽつんと、思わずと言った様子で、唖然とした一文字を溢した軽井沢。
そのあまりにも自然体な態度に、幸村は絶叫とも取れる声をさせる。乃亜は頭を掻きながら、瞬きを普段よりも多く起こして、唇の端を困ったように歪ませる。
真鍋はその瞬間を見て、悪意の笑みを深めていく。
「ねえ、今のってどういう事なの?」
「……いや、軽井沢の妄言の苦し紛れっつーか───そう! つまり! これこそが俺の策! これで俺と軽井沢で二者択一! まさしくコイントス!!」
「それにしては軽井沢の様子がおかしくない?」
真鍋が軽井沢を指さしながら、勝ち誇った笑みを浮かべていた。
己の失態を隠すように、表情を伏せる軽井沢。付け焼刃の演技力を補うために、顔色を隠そうという努力はここにある。現在進行形で騙されているバカもここにいる。
マリオネットの自覚も無い真鍋は、導かれるままに、携帯を周りへ見せつけるように操作し始めた。
嬉しそうに一つのメールを作り上げていくその様子を見て、ひよりが冷静に声を掛ける。
「待ってください真鍋さん、まだ決めつけるには早い筈です」
「椎名さんも見たでしょ今の。優待者は佐々木くんだよ」
一連の出来事の裏を知っている側の人間───自分は出来る、自分ならやれる、自分には相応の実力がある───どうやら乃亜の仕込みは上々。知恵者であるひよりの意見すら耳に入れず、あろうことか一番に信用するべきの椎名ひよりを見下したような視線まで向けている。……クズめ、真鍋如きじゃ、やはりひよりの良さは分からんか。
求める言葉を強請るだけの欲しがりなど、聞く耳持たずの強情へ仕立て上げることのなんと易い事か。
そのまま使われている自覚もないまま、乃亜のクラスへ貢献してもらいたい。
「今の反応だけではあまりにも情報の精度に欠けています。彼の演技だという可能性も捨てきれません。彼は人を操られている自覚もさせずに弄びます、軽井沢さんにわざと自供させることが狙いなのかもしれません、乃亜くんはそういうことをします」
「……(速攻で見破られてんじゃん……どうすんのよこれ……)」
「……(酷すぎる見解だなひよりィ! テメェの思慮深いところは好きだがな!)」
「……(椎名は理解度が高いな、オレも同意見だが)」
幸村を除いた乃亜達は、ハラハラとしながら見守っていた。
何故ならこれは賭けだ、ひよりの理解力の速度が追い付くか、その前に真鍋の浅慮の即決力が勝負を決めるかという賭けに他ならない。ちょっと楽しい。
「椎名さんには見えてないんだけなんじゃないの」
「見えていない、とは?」
「私には分かるよ、軽井沢がうっかり本当のことを言っちゃっただけだって」
「…………まさか」
やべ、バレそう───だが、もう遅い。
真鍋は勝利を確信した顔をさせて、メールを送信する、瞬間───
ポポポポポポポポポポポ!!ピロピロピロピロピロピロ!ピロロロロロロロロロロロロ!ブゥーーーウ↑ブゥーーーウ↑ブゥーーーウ↑ これが私たちのぉ! ブゥーーーウ↑ブゥーーーウ↑ 絶唱だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!
───おっと電話が。
「きゃっ!? うるっさ!!??」
「なぁっ、なんだこの脳に悪影響な音は!?」
「あー? 電話きてんだが」
「佐々木の着信音かよ!!」
「頭がおかしくなりそうなんだけど!!」
「鼓膜を突き抜けて心臓が痛くなりそうだ……佐々木、二度とそれを流すなよ」
乃亜を除いたグループ全員の意見をDクラスは代弁していた、我がクラスの面々は勿論のこと、全員が不満タラタラの御様子。真鍋ですら、場の空気を破壊せしめるその大音量に気を取られて、メールを送ろうとしていた手を止めている。
速攻で目が覚めるシンフォニアに対してなんて言い草だ、金色の輝きが見えそうではなかろうか、見えない? じゃあ君たちは適合係数が足りないな、もっと歌を歌え、そうすれば見えてくる未来へのツバサもある筈です。
冗談はさておき、発信相手の名前を見て───この電話を鳴らした張本人を、乃亜は睨んだ。
「おい、何の用だよ坂柳」
「何ですかその気が狂ったような雑音は……」
「大歓喜の調べだろうが」
ゴミ捨て場の生ごみを見るような眼をさせた坂柳。……愛らしく咳払いをしてから、彼女は表情を整える。
花が咲くように、柔らかな笑みが表情へ飾られる。
伺える色は───勝利の色。
「目的は」
「もう
坂柳の口から、淀みなく紡がれた言葉の直後だった。
この場に居る全員の携帯が震える。
偶然などではない、規則性に従った現象、今試験でそれが示すものは。
「……やられた?」
「ふふっ、はい、やらせて頂きました。───結果4を追い求めるこのゲームは、私の勝ちです」
全員へ例外なく送られてきた一通のメール。
───兎グループの試験が終了いたしました。兎グループの方は以降試験へ参加する必要はありません。全グループの試験終了アナウンスまでは自由時間となります。
真鍋の顔を見る───送ったのは彼女ではない。
ひよりの顔を見る───送ったのは彼女ではない。
そうして順番に顔の色を眺めていくと、一人の少年が、後悔と空虚に侵されている表情をさせていた。……狐につままれた可哀そうな被害者は、彼だったようだ。
「ご協力感謝いたします」
小さく、その方へと向けて会釈をする。ベレー帽のリボンが揺れて、そんな些細な視界の変化ですら愉快そうに笑みをたたえ続ける。その意味するところを、乃亜は分かる。
というよりも、この場の全員が理解しただろう。
儚い雰囲気をさせたこの女が、男女関係なく魅了しかねない笑みで、誰を陥れたのか。
「別府君、あなたのお力添えがあってこそ、結果4という結末へ導くことが出来ました」
「あなたが無能で助かりましたって言ってるも同然じゃん、外道すぎる発言じゃん」
「言葉にしない思い遣りというものを乃亜君は知った方が良いですね」
別府の表情には、深い深い絶望の色が刻み込まれていく。
色が見える乃亜には、坂柳も別府も、口にはしていない声が聞こえてならない。歓喜か無惨か、そういった方向性の違いはあれどもだが。
取り敢えず──────合掌。
「乃亜君は何をしているんですか?」
「悪辣女王に利用された純情少年が憐れで、つい」
「むぅ……プリンセスの方が可愛い響きなのに」
このゲーム、クラスとしては最高の勝ちではあるが、勝ち、なのだが……ちくしょう、坂柳には負けた。
試合に勝って、勝負に負けた、つまりはそういう事だ。
「クソッタレが! 真鍋にメール送らせた後にネタバラシして詰めまくって泣かせてやろうと思ってたのに!!」
「…………は!?」
歩きながら携帯を眺めて、溜息を吐く。また携帯の画面を見たかと思えば、やっぱり再び溜息を吐く。
乃亜はさっきからそればかりだった。
そんな少年の様子を珍しそうに観察しながら、綾小路もまた、学校側から受け取ったメールの内容を確認して、声を掛けた。
「奇しくも同じ手法を取った訳だな、悪辣プリンスと悪辣プリンセスは」
「賭博プリンスの方がまだ許せる」
軽口にも覇気が無い、敗北の衝撃がそうさせる。
敗北───そうだ、乃亜は坂柳に負けたのだ。
子(鼠) ───裏切り者の正解により結果3とする
丑(牛) ───裏切り者の正解により結果3とする
寅(虎) ───裏切り者の正解により結果3とする
卯(兎) ───裏切り者の不正解により
辰(竜) ───裏切り者の正解により結果3とする
巳(蛇) ───裏切り者の正解により結果3とする
午(馬) ───裏切り者の正解により結果3とする
未(羊) ───裏切り者の正解により結果3とする
申(猿) ───裏切り者の正解により結果3とする
酉(鳥) ───裏切り者の正解により結果3とする
戌(犬) ───裏切り者の正解により結果3とする
亥(猪) ───裏切り者の正解により結果3とする
「佐々木は真鍋を、そして坂柳は別府を狙い撃った」
「俺は軽井沢の自白をトリガーにメールを送らせる手筈だったけど、坂柳は俺への電話をトリガーにして送らせたんだろ」
「唐突な着信音で場の空気を停めて、その間に、か。……完全な人読みにしてやられたな、佐々木の行動を細かく予測していなければ仕込めないトリガーか、流石の長い付き合いだ」
ひよりの動きを制止しつつ、真鍋の動きも止めつつ、注目を一気に乃亜と坂柳へ集めることで、別府の独断行動を一之瀬からも隠しながらメールを送らせて───ゲームセット。
「別府を選んだ理由は……消去法だろうな。あいつはBクラスに結果4を触らせたがっていた、つっても一之瀬は当然だが操りにくい、浜口も警戒心はある。でも別府は……俺がちょっと詰めたのが効いたかなァ……」
「雑に殴った状況を利用されたな」
結束に固いBクラス……だが、今の彼ら彼女らの結束には、実のところ穴がある。ちなみに風穴を開けていたのは恐らく乃亜である。
クラス全員へ隠していた密約、アレが尾を引いているのだ。
無人島での作戦は、クラスメイトではなく、他クラスの人間を全面的に信じなければ成立しない作戦だった。そして一之瀬は信じていた、クラスメイトには誰一人も話さずに。それは乃亜の実力を信じてくれて、約束を守ってくれたという美談でもあるが。───翻せば、それは、クラスメイトの意志を度外視した独断専行でもある。
圧倒的なメリットを得られたからこそ大きな不満は出なかっただろうが、結束第一がスローガンとなっているBクラスからすれば思う所はあるだろう。
「はァ……そうだよなァ……俺が気が付いてる脆弱性はあいつも気が付くよなァ……」
「お前と一之瀬との仲の良さへ戸惑いを抱く期間は、その内にでも時間が解決する。だが言い換えればそれは、まだ整っていない隙に他ならない。手出しのしようもないほど強固だったはずの結束へ入った罅か……こうして状況を見返せば狙わない理由が無いな」
「別府への口説き文句も想像できるぜ、おおかた『あなたなら出来る』だの『一之瀬さんの力に』だの『
肩を落としながら歩く乃亜を、珍妙と言わんばかりの目で眺める綾小路。
坂柳は顔が良い、声も良い方だ、背丈とスタイルはアレだが、貧弱属性が儚さを強調して、御伽噺みたいに現実離れした美貌を助長させる。大抵の男子ならコロッといくだろう、傷心中だったりしたのなら尚更に餌食だ、オマケに共通の仮想敵『佐々木乃亜』が居るとなればそれはもう。迷いを抱いた人間をお手玉にすることなど造作もない女である。坂柳の悪辣さがまだ広まっていないのも一因かもしれない。
何にせよ、使えるモノを使いまくって手にした勝利だ、充足感マシマシで嬉しかろう、逆の立場なら超嬉しい乃亜だ。今頃さぞかしニヤニヤしながら楽し気に葛城と反省会でも開いているでしょうね、もしくはニヤニヤしながら楽し気に一之瀬を煽りに行ってるでしょうね、どちらにせよムカつくぜ。
「そして、坂柳が狙っていた結果がこれか」
「連絡が遅れた俺の失態だ、堀北にゃ悪い事しちまったな」
各クラスのポイントリザルトを眺めながら、堀北から呼ばれた場所へと歩いていく小僧達。
内訳の考察は、直接の解説を聞きながらと洒落こもうか。
「はァ……くそ……あーもうっ、ちくしょうがもうーっ!」
「悔しそうだな」
「悔しい!!!! ちょー! くー! やー! しー! いー!」
地団太を踏み鳴らしながら歩いていく、夜の船内で、少年の感情の行き場が音となって発散されていく。
初めて目撃した佐々木の敗北を観察しながら、綾小路はふと、小さく笑っていた。
「───何笑ってんだテメェぶっとばすぞゴラァ!!!!」
「どうどう」
「だから笑ってんじゃねェつってんだろうが!!!!!!!」
「許せ佐々木、無理だ」
「あーーーーーーーー!!!!!!!! もーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!」
これが、堀北が暴れた果ての結果だった。
「派手にかましたな」
「いいえ、私の狙っていた結末とは大きく違うわ」
不服そうに頬杖を突きながら、学校から送られたメールを睨みつける堀北。悔しそうに、口惜しそうに、
彼女が主導してのゲームとしては初の失敗とも言える、どのくらいにショックを受けているのかとも心配していたが、不要な杞憂だったようで。
「私が狙っていたのは300のプラスよ。……貴方の存在を笠に着てこの程度じゃ、私もまだまだね」
「そうか? よくやったとは思うが」
学校から送られてきたリザルトメールを眺めながら、呟く。
A +150CP
B - 50CP
C +250CP
D +200CP
結果が確定した際のメールのタイミングは、兎グループを除いては全てが同一だった。その際、乃亜と坂柳は同時に疑問を覚えていた、
そのカラクリも結果としてみればこうも分かりやすい、堀北と龍園の共謀───Aクラスも、その企みに一枚嚙んでいたという事だ。CクラスとDクラスだけでなく、Aクラスからも優待者の情報を
とはいえ堀北=乃亜の手下であるという認識があったとしても、乃亜が深く関与していない状況でここまでの結果を手繰り寄せられるとは思っていなかったのではないか。だからこそ坂柳からの視点でも、
───ならば、堀北の存在は露見したと考えるべきか。
「団結できているAクラスと、独裁によるCクラス、両方ともクラスとしての纏まりがある相手だ。……そんな二つのクラスと渡り合えたどころか、取り分も多く得られているのは、堀北さんの交渉があってこそだよ」
「そうだぜ! 堀北じゃなきゃこうはならねえって!」
「ありがとう2人とも。……そこのギャンブラーが真面目にやれば話が早いのでしょうけれど」
平田と須藤が、本心からの労いを堀北へ掛けていく。軽井沢も何も言わないものの、おおむね同意見のようだ。
場に居るのは乃亜、綾小路に堀北といつもの3人に加えて、平田、軽井沢、そして須藤を含めた6人だ。もうこの機に色々と進めてしまおうと思い切った訳である。
堀北から呆れ目で睨まれたそのギャンブラーは、笑って言葉を返した。
「へェー? 参謀に頼り切りな情けないリーダーでいたいって訳かァ?」
「貴方、この場でそれを……そう、そういう事、その為のメンバーを集めたのね」
「ご明察。平田は薄々察してるだろうがなァ」
「……やっぱりそうだったんだね、色々と腑に落ちたよ」
会得がいったような顔をした平田、理解しながらすっとぼけ顔の綾小路、そして渦中の乃亜と堀北。その4名だけが、乃亜の計画の概要を理解するに至る。
その他の2名、軽井沢と須藤だけが、置いてけぼりにされた顔をして、声を上げる。
「どういうことだ? 俺にも分かりやすいように説明してくれよ」
「俺はこのクラスを背負ってくつもりは無ェ、だがこのままじゃリーダー不在でクラス対抗の戦争を進む羽目になる」
「……じゃあ平田くんで良くない?」
「ところが全然良くないなァ、平田じゃパンチが弱い、搦手一発でも喰らえばすぐに終わる」
「そうだね、僕もその器じゃないって自覚はしてるよ」
不満そうに口を尖らせる軽井沢だが、平田が自ら身を引くような態度をさせて、批判を控える。そうそう、こういった感じで不満をなだらかに抑えつつ懐柔するのは平田にしかできない仕事だ。リーダーというより、気質としては内側へと向くものだ。
外と事を構えるだけの気概に不足している者では務まらない。
そして乃亜は、彼女ならばと考えるのだ。
「俺は、堀北鈴音を、このクラスのリーダーに据えようと考えてる」
「ま、マジかよ……! 良いじゃねえか! 俺は賛成だぜ!!」
「…………マジで言ってるの?」
「軽井沢さんは何か不服がありそうね」
「いや、不服というか……その……」
跳ねるように賛同する須藤に反して、言いにくそうにしている軽井沢。……なるほど、宿主の乃亜が擁立しようとしているからこそ、反対意見を出しづらいと。本当に従順になった、だがその空気感は不要である。
時と場合によりけりだが、しかしデフォルトとして『意見を出し辛い』という雰囲気には蔓延って欲しくない。軍隊を作りたい訳じゃないのだ、個人個人の個性を適材適所で用いるのがこのクラスの適正だ、個々の意見を潰すのは、堀北クラスには相応しくない。
その為の空気づくりは、乃亜の仕事と言えるだろう。
「言いたいことは理解しているわ、今の私じゃ不適格なのも理解している」
「そうそう、冷血、非道、無情、外道、人でなし、鬼畜、暴力的、美人、アホ、そんな罵詈雑言を煮詰めたのがこの女だって言いたいんだろ? 分かるわー、乃亜クンも全面同意します!」
「これって自己紹介してるんだよね?」
「それ以外に何があるというのかしら」
扱き下ろしていけば、冗談が許される空気間が形成される。そういった空間は、個々が意見を交わし易い緩さを内包していく。
これからは、この辺りも気を遣っていくこととしよう。
「だが悪ィな、俺はもう既に決めてる、コレに全ツッパする。全部を賭けたい。未熟なれどこのクラス───いいや、この学年じゃ一番の原石だと俺は信じてる。コイツがどこまでいけるのかが気になるから、コイツをリーダーに据えたい。……対抗馬が出るなら潰して学校から追い出すくらいはする、そんくらいに期待してる」
「ベタ褒めされてるが何かコメントはあるか?」
「……綾小路君のくせに生意気よ」
「痛いぞ、何故オレなんだ」
肋骨あたりを的確に手刀で突かれている、哀れな綾小路だった。
……リーダーに据えるにあたって、根回しとはどうしても必須だ。
だからその『根』にあたる平田と軽井沢は、ほぼほぼ必要な人材だ。須藤は手頃な猟犬として有用だ、声の大きい単細胞というのも使いようによっては便利だ、堀北へ仄かに恋慕を抱きつつあるのも非常に都合が良い。
乃亜も近頃では、手駒が多い事の真の優位性を把握しつつある、自らの反省をこうして堀北育成に活かすのだ。
「平田、軽井沢、須藤、お前らは堀北の地盤作りに協力してもらいたい、だから呼んだ」
「おう! 俺に出来ることがあれば何だって手伝ってやるよ!」
「よーし、単細胞バスケマンゲットだぜ」
「単細胞って言うんじゃねえ!」
まあ渋るようなら堀北に色仕掛けさせてたし、これは決まっていたも同然な結果だった。
「僕も勿論、クラスのためにも、佐々木君の……いや、
「あー、やっぱ平田は話が早くて良いね、目の付け所がシャープだぜ」
そして残すは軽井沢の意志を聞くのみだが。
「軽井沢」
「……分かってるよ、認めればいいんでしょ」
「違う、別に堀北を認めなくても良い」
乃亜は、キッパリと言い切った。
「これは無理強いさせたって意味が無い、あくまでも自身の決断にこそ意味は産まれる、自らの意志で同調しなくちゃ堀北にとって意味が無い、そういった類の事柄だ」
「……もっともな話ね。なあなあで認められても、それは私が望むリーダーの姿じゃない。心の底から納得させられるようでなければ、私の目指す場所には届かない……『彼女』に勝つなら、問答無用の信頼を得られるほどの人間にならないと」
「───ハハッ! 大口叩くのも似合ってきやがってんぜェ?」
「それは何よりの褒め言葉ね」
すまし顔で乃亜をいっそ睨みつけるように、真正面から目を見る堀北。彼女の態度へ機嫌良く、乃亜は眼元を緩めて細めながら、愉快さを声に出して笑う。
感情値をそのままに、声色を落ち着かせながら、再度、軽井沢へ声を掛けた。
「だから軽井沢が認め難いってんなら、それでいい。俺は咎めないし、他の奴にもとやかく言わせたりしない、自分で選んでいい」
「……」
「どんな答えでも私は必ずみんなに認められてみせる。だから気にしないでくれていいのよ」
「おお、不遜だな、どこかの賭博野郎に似「それ以上はやめておきなさい」……はい」
喉元にボールペンの切っ先を押し付けられて、綾小路の揶揄いがピタリと止まった。おいなんだよもっと頑張れよ、風穴一つくらいは許容して見せろよ最高傑作!
「……分かった、私もクラスが良くなるならそれに越したことはないから、協力する」
「そう、ありがとう軽井沢さん。……いつか、言い淀むことなく、同じ言葉を言わせられるように努力していくわ」
「ほ、堀北……カッコよすぎだぜ!」
「だろ? 俺が育てている途中なのよ、もっと伸びる予定なのよ、シニア全制覇の9冠超えよ」
「? えっと、つまり?」
「気にしちゃダメだ平田、知らない方が良い世界はあるんだ」
これにて、この集まりの目的は達した。一つの意識共有を済ませておくのは、結束力を確かなモノへと高めてくれる。時間を掛けるほどに堀北も成長し、それを観察していれば、乃亜の期待に間違いは無かったと認識をするだろう。そして結束はさらなる高まりを───無限ループである。
いわゆる『堀北グループ』が結成された瞬間だ、しばし表立っては乃亜が顔として動くが、その内にでも堀北に舵取りを任せて、クラスの顔を挿げ替えるのだ。
人数が多くなれば統率は取り辛くなる、人員は単純に二倍だ、立ち回りもその分だけ考える必要がある。苦労は多いだろうが、乗り越えれば後は楽だ、面倒事の全てを堀北へぶん投げて自由に遊び回れる時がいつかやって来るだろう。
その時は、龍園を挑発しまくろう、一之瀬を弄って遊ぼう、先輩方を虚仮にしまくって怒らせてみよう、坂柳へ喧嘩を売りまくろう。
綾小路とも、その頃にはきっと、存分に遊べるようになっている。
「あはァ……」
「うわ、キモっ」
「ポニーテール引っこ抜くぞコラ」
未来を想像して心待ちにするのは、いつだって、楽しい。
だって、乃亜君が見惚れるほどの善性の持ち主なのですもの。
慰めの集まりを開くでしょう。
無能が意味もなく数だけ集まって、無能の傷を舐めて癒そうとするでしょう。
お優しい貴女はそうするでしょう?
けれど、私は貴女ほどには優しくない。
私の優しさは、ただ一人以外には与えない。
なら、坂柳有栖がこういった行動に出るのは、自然な事のように思えるのです。
「こんばんは、別府君」
出し抜けた時の、あのお顔。
悔しそうに、悔やむように、自らの行動の粗を即座に洗っていく時の、あの愛らしい表情。
悔しいという感情の波を受け入れて、同時に、己を機械的に顧みる。二つの思考を流れるように、頭脳を止めることなく動かし続けて───それでも消化しきれない悔しさで不満そうに、子供のように、昔から変わらないように、唇を真一文字に結んでこれ以上の恥を上塗りしないように心掛ける、殊勝な乃亜君。
安堵が込み上げるのです、彼の予想外を振る舞って差し上げられた事へ。
不満も募るのです、彼が私の行動を予測してくれなかった事へ。
悦びが湧き上がるのです、彼の行動を理解出来ている自分へ。
「ああ、貴方などに用はありませんのでご安心ください」
暗い、愉悦が沸き上がるのです。
微塵も一之瀬さんへの考慮が存在していない、そんな瞬間が乃亜君の中に存在していた事実へ。
一之瀬帆波という存在を完全に捨てていた、あの瞬間の乃亜君が、愛おしくて。
他人を思う時間など無い、ただ、私とのゲームの勝敗に注視してくれていた、あの僅かな瞬間が、私の情欲を掻き立てるのです。
昔のように、彼は私とだけ向かい合っている、そんな一瞬を自覚した時でした。
胸の奥で、疼痛が、体温を動かすほどに蠢いていく心地よさがありました。
「一之瀬さんがお近くにいらっしゃいますよね、お電話を代わってくださいますか?」
───逆に言えば、今回のゲームでは、それ以外の時間、彼の中では私以外が中心にあった。
機嫌が悪くなっていたのはすぐさま気が付けました、原因が
どうやら、眩しくて目障りな羽虫だけでは無かったようです。
どうやら、乃亜君に纏わりつこうとする、低俗な寄生虫もいたようです。
『……もしもし?』
「こんばんは、無能なリーダーさん」
『───いきなりだね』
彼の優しさを履き違えて、失笑する他にないような勘違いをしていた虫。
彼の優しさを利用して、拒みはしないことを良い事に近づく虫。
どちらを先にしようか、迷ってしまいます。
「一致団結で事に及ぶ、そんな集団としての理想がBクラスだとばかり思っていましたが……ふふ、リーダーが自ら結束を壊すような行為に及んで、この様です、言い繕ったとしても、私にはとても有能だとは思えません」
『そう、だね……私の力が足りなかったかもしれない、でも今回の試験で、私達はもっと───』
「いいえ、
乃亜君は、規定をしています。
それはとっても優しい定義。己を律するための、己を知るが故の、凡俗の理解が及ばない素晴らしい取り決め。
それは、決して、凡俗の都合に利用されるようなものではない。
それは尊いもの、それは彼の中の葛藤と願いの結実、それは彼が願った理想の形。
じゃあ、それを我が身可愛さに利用する軽井沢恵は、とっても邪魔です。
乃亜君の綺麗な願いを汚す虫、汚らわしい虫、優しい乃亜君が汚れて良い訳がありません、乃亜君は汚れていません、乃亜君は素晴らしい人格者です、美しい純粋な心を持つ善人です、いじわるでも優しい男の子です、白い部屋での出来事を見たけれどもその上で断言できます。
彼の願いを汚すのなら、それは悪。
悪、悪なら、いいですよね、別に消えても。
寄生虫が消えたって、誰も困りません、誰も気にしません、誰も気が付きません。
「貴女が乃亜君を信じている限り、一之瀬さんが本心からクラスメイトに信頼される事はありません。理由は……お分かりでしょう?」
『何だか、知らない間に坂柳さんから嫌われちゃったかな? ……その理由も佐々木くんが関係してたりするのかな』
「……ふ、くふっ、あはっ……ふふ──────」
でもそれ以上に、コレは、何よりも邪魔。
彼の本質を知らず、知っているという勘違いをして、理解者の様な顔をして。
黒い情に支配された笑みが浮かんで、すぐに消える───そう、もう、消えて欲しい。
「───一之瀬さん、貴女が邪魔です」
消えて欲しい。
「私、貴女が大嫌いです」
『あはは……随分とストレートに来たなー』
消えてほしい。
「貴女のクラスにはDクラスにまで堕ちていただき、その後は貴女です一之瀬さん」
きえて、きえてください、いらない、きえてください。
彼の視界から、消えて欲しい。
だから、先に、眩しい方から。
そして、次は、汚らわしい方を。
煩わしさを全て取り払ってから、心おきなく、私達は遊び尽くせる。
「退学しろなどとは言いません、ただ貴女には壊れて欲しいのです」
『同じ意味に聞こえるよ?』
「かもしれません」
だから、待っていてくださいね。
「壊して差し上げます。何も考えられない木偶の棒になるのも、一つの人生経験ですから」
くだらない玩具は全部を壊して砕いて潰して差し上げますから。
ガラクタを積み上げた絨毯の上で、きっと満足するまで、一緒に遊びましょう。
今頃は坂柳が一之瀬に向けて喧嘩でも売っているのかしら、そんな予想がつい言葉に漏れる。
「しっかしよォ……坂柳も性格悪いねェ」
「どうして坂柳が出てくるんだ」
知っていて口にした綾小路が、議題の加速をしてくれる。良いフォロー力なマイフレンド綾小路である。
「坂柳、つまりAクラスはBクラスを狙ってる。───厳密にはもう今回のゲームから潰しに掛かってる」
言われてもピンと来ていない須藤。……それから軽井沢、君にもこれくらいは理解しておいてほしい気持ちでいっぱいな乃亜である。
「例えばそうだな……───これを見たまえバスケマンとポニテアホ女」
「……ネズミじゃなければ何を言っても良いとか思ってない?」
めっちゃそう思ってる乃亜は、手早く携帯を操作して、一つの仮の結果を作り出す。
A +150CP
B +200CP
C +250CP
D -50CP
Dクラスだけがマイナスだった場合の結果を見せつけながら、口で補足を入れていく。
「試験終了メールの殆どは一斉送信だ、示し合わせてよーいドンで送ったっつーことくらい誰だって理解できる。……その上でこの結果だったなら、Dクラス包囲網が完成している予感がしそうではないかね?」
「たしかにするぜ! メチャクチャピンチじゃねぇか!」
「じゃあBクラスが今どんな心境に陥ってるかも予想できるだろ」
「Aクラスの狙いは、Bクラスへ心理的プレッシャーを掛ける事、という訳だね」
平田が優しく総括してから、ようやく軽井沢と須藤は理解したような色を見せる。
Aクラスの関与を言及せず、龍園がDクラスを誘うことで、乃亜が避けていたAクラスとの共闘という形へ持ち込むことが出来る。そうして坂柳は、Bクラスを囲うような最終結果を叩き出すに至ったのだろう。
マイナスを与えられたのは単なる僥倖なのだろう。自らの楽しみと利益を兼ねて……やはり抜け目のない女だ。
「私はディスカッションのタイミングで交渉へ入ったけれど、それ以前の時点で既にAクラスとCクラスの間で話は付いていたのでしょうね。……龍園君からすれば渡りに船と言ったところかしら、良い様に利用されてしまったわね」
「一手遅かったのが敗因だなァ、そこに関しちゃ俺の責任だ、悪かった」
もしもAクラスよりも先に龍園へ声を掛けていれば、滞りなく300ポイントの権利を獲得していた可能性、それこそ堀北の理想通りに事が進んでいた可能性は高い。乃亜が日和ることなく即決していれば、堀北にとっての成功体験に繋がった可能性もある。
何にせよ、早めの行動はやはり大切だということだ。
だが反省ばかりではない、今回のゲームで、堀北は十二分に戦力となれることを証明している。前へ出すことに臆病になっている期間は終わったと考えても良いだろう。
龍園と張り合えているだけでも大したものだと、そう考えていると、やたらと偉そうな色の足音が聞こえた気がした。
その方へと顔を向けると、ロン毛が、すなわち龍園の姿が見える。ニヤニヤと厭らしく笑いながらだ。……うわ絶対に嫌味言いに来たじゃんこいつ。
「あー? 何の用だよ龍園」
「ひよりから聞いたぜ? クク。気分はどうだよ負け犬プリンス」
「右ストレートでブッ飛ばァァァァす!!!!!!」
座っていた椅子を跳ね飛ばしながら、乃亜は跳ねるように龍園へ走り出す。
出会い頭に言ってくれるぜこのリザードマン────────────鼻っ柱を只今より粉々にするべく行動を起こしたのだ、腰を浮かすことに迷いなく、足を踏み込むことに迷いなく、腕の振りかぶりに迷いなく。
綾小路から背中を羽交い絞めにされながらも、既に脳内で算段は付いているのだ、乃亜なら出来る、乃亜にならこのシミュレートが実現可能だ、想像通りに動けばいいだけだから───それを知っている綾小路は全身全霊で止めていた。
「落ち着け佐々木、有無を言わずの暴力沙汰は不味い、落ち着け」
「あ? ……妙に沸点が低いな」
「様子がおかしいと思ったら……そういう状態なのね、はぁ……本当に面倒な人ね」
閑話休題。
心を小川のように鎮めた乃亜は、改まりながら手始めの言葉を投げる。
「……でだ、堀北メガホンの調子はどうだったよ?」
「茶番劇なら要らねえぜ。上手く育てたなあ、お陰でこっちもAクラスへの言い訳に四苦八苦だ」
「あー……派手にやってたらしいしバレるわな」
ここまでは想定内。
さて、ここからどうするかだが……ちょっと待った、言い訳だと? 四苦八苦だと?
まさかと思うが、堀北、この女、もしやだが。
「葛城には上手く誤魔化しておいた、それでいいんだよな鈴音」
「そう、契約通りに動いてくれたという訳ね」
「……それって堀北の案?」
綾小路考案の説はあるが、はたして。
「ああ、鈴音から言い出した事だ。
『Cクラスへ400ポイント分の権利を渡す代わりに、Aクラスには堀北鈴音の関与を誤魔化す』ってなあ……クク、俺を使い走りにするとは肝の座った女だ」
「貴方程度に臆する理由がどこにあるのかしら」
「そうだったなあ、隣ではこの悪魔が常に引率してくれてる訳だからな」
笑いながらも侮りの無い龍園の視線と、真っ向から睨み合う堀北。……え、マジかよこの女。
綾小路と静かに視線を交わらせていると、彼も同様の心中なようだ。
「……(軽井沢を確保しておいて正解だったな)」
「なーんかやな感じじゃん、まるで俺の性格が悪いみたいなさ(うわムカつくわ俺にしか分からんドヤ顔しやがって)」
「その通りじゃん」
「てめーは一々口を挟みたがりかよアホ女ァ」
軽井沢を平田から引き剥がした事にも、想像を超えた意味が出てきていたのだが。軽井沢と平田がフリーになった事実が滅茶苦茶デカいのだが。
成長が早すぎる、大勝負が空振ったと判断するや否や、速攻でケアに走って傷を減らしたという事か。自らの重要性を理解して秘匿しつつ、自陣営の最低限の利益を確保しつつ、その上で兎を残すという判断をして坂柳の視線も逸らしつつ、だと。……ちくしょう、仲間を増やした上に龍園から隠している関係上、おいそれと綾小路と騒げない……肩組んではしゃぎたいのに。
こうなってくればクラス事情は、乃亜と綾小路の想定以上に加速していく。アカン、このままじゃ櫛田の爆発も前倒しの可能性が出てきた、いや好都合か、いやしかし。
ああでもないこうでも無しと考えを回していると、龍園が探るような色をさせて、乃亜を見てくる。
「……こうも鈴音の育成に労力を費やしていりゃ、その着地点も見えてくる。だとすれば佐々木ぃ……最終的に
「明日には明日のコインを弾くつもり」
「話にならねえな、お前の事だからマジで言ってる線もありそうだが……」
今度は再び堀北へ、値踏みするような眼を向ける。
龍園の問いには、乃亜はまともに答える気が無い、本人がどうなろうとも構わないのだから。
どうあっても、その時その場限りを楽しむだけだ。
「龍園、テメェはAクラスの思惑を知って乗ったんだろ」
「当然だろ」
「じゃあ、しばらくはBクラスを虐めるつもりか?」
「易い方から潰すのは基本だからな」
「一之瀬も可哀そうだな」
「……(お前が言っちゃうのはダメだろ)」
おい、うるさいぞ綾小路、特に色がうるさい。
「一之瀬を大層気に入ってるお前はどうなんだ? それとも鈴音に聞いた方がいいのか?」
堀北を見ると、沈黙して乃亜の様子を伺っている。まだ任せたい、或いは乃亜の方針を知っておきたい、だろう。
では、乃亜の中に在る考えでも語ろうか。
「ハッ! テメェなら10000ゲームハマりが絶対に確定している台に触れるか?」
「冗談だろ、目に見えたクソ台にのめり込む奴なんざいやしねえ」
「それが俺から見たBクラスだよ」
一之瀬個人ならともかく、後ろのオトモは邪魔だ。
クラス単位で考えるのなら、冷たい思考で、事実だけが浮き上がってくる。今回のゲームでBクラスがマイナスとなったのも、乃亜との密約が罅を入れた、それは事実だが……それは言ってしまえば、その程度の搦手一つの余波で崩れるような結束の方が悪い。
もっと深く言えば、一之瀬に寄りかかろうとしているアホが多いのが要因でもある。
「『一之瀬帆波最高』って看板を掲げる事だけへ必死に努力を捧げる、思考停止の風見鳥が集まった幼稚園生どものほんわかお遊戯会だぞ」
「なあ、佐々木の奴、流石に言い過ぎじゃねえか?」
「そうだろう須藤もそう思うだろう、ところがどっこい平常運転だ」
「……本当に一之瀬さんの事が気に入ってるの? コレで?」
「人格破綻者なのは今に始まった話じゃないわね」
苦言を言わないのは平田だけだった。乃亜の味方は彼だけだ。え? 別に同調している訳じゃないって? ……事実は事実だし。
「まあ、潰せるようなら潰してくれよ」
「随分と冷たい野郎だな」
「壊れた玩具に興味出るかよ、壊れたら壊れたでそこまでだったって話」
綺麗な、お日さまのように柔らかく、優しく、輝いた色。
それが壊れて潰れて砕けて散っていった果てで、そうなった一之瀬は、その時、どんな色をさせるのだろうか。
あの綺麗な色が壊れるのなら、それはそれで、見てみたい。
『壊れた一之瀬帆波』……──────ふと、興味が湧いた乃亜なのでした。
感想、評価、くれ