「ようこそ!」連呼はちょっと面白すぎるんよ。
クラスの視線を受ける事に慣れている平田が、ホワイトボードへ、体育祭に於ける大まかな方針を書き出した。
競技の参加順、それから推薦競技の参加者、これらを決める話し合い。どうしても必要なフェーズだ。この時点での意思統一に躓くようでは準備期間が無駄に延長されてしまう。他クラスと開けられる差は明白となる、なればこそ迅速な結論を出すのもまた必要な事。
論争となるべき部分は、平田もそうだが、今教卓の前に立って教室中の視線を貰い受けている堀北も理解している筈だ。
一番に込み合う話題を後回しにして、クラスを取り纏める2人は、手っ取り早く結論へたどり着けられそうな内容から着手することにしたようだ。
「体育祭の練習へ移る前に、まずは決めなければならないことがあるわ」
皆からの視線へ真っすぐに見つめ返しながら、いっそ偉そうなまでの態度で進行させていく堀北。『何故平田では無く堀北が仕切っているのか』なんて視線も貰っている自覚はしているだろうに、全く臆することなく胸を張れる度胸は買いだ。元から持っていたプライドの高さが功を奏している。
堀北の言葉に、書記の役割を引き受けていた平田が頷きながら補足を入れた。
「全員参加でも推薦の方でも、議論すべきは『能力制』か『挙手制』のどちらにするかってことだと思うんだ」
提案するように教室中へ語り掛ける平田へ同意を示すように、堀北もまた、彼の説明を補完するように話す。
「『能力制』は読んで字の如くね。運動能力を計測してから、その結果に則って能力上位の人を優先させて競技へ参加させる。メリットは言うまでもなく、勝率の高さへ直結するという事。デメリットは、個人の意思を無視してしまう点かしら。…………」
最期にめっちゃ不自然な間があった。絶対あの間で「でも勝ちに行くなら能力で決める以外に考えられないから貴方達の意志など知ったことでは無いわね」とか言い掛けて止まってると思う乃亜だ。思うだけで留めて言葉にしない辺り、リーダーとして集団の空気感というものを大切にしようと努めている、善き努力だ。
慣れない様子ながらも集団としての舵取りを頑張る堀北。そんな彼女を、へらへらとした表情をさせながら乃亜は静かに眺めている。
横顔はきっと、実に好機嫌な色が備わっているかもしれない。
「『挙手制』は皆の参加の意思を反映させて、希望を出来る限り叶えていく形になるかな。メリットは皆が楽しく参加できるという点だと思う。そしてデメリットは、どうしても勝率にムラが出来てしまうという点だね」
「重視するのが勝利か雰囲気か、という二択にもなるのでしょう」
堀北はそう言い切ってから一拍置いて、言葉を続ける。
「それじゃあ意見を募っていきましょうか。疑問、異論、提案、何かしら意見がある人はいるかしら」
予定調和を待っていたかのように、誰かしらが口を開くよりも先んじて、乃亜が発言する。
「能力制以外にあり得んの?」
「貴方はそう言うと思っていたわ」
「推薦競技の参加メンバーを滞りなく決められる分、練習へ移行するまでの効率化も図れる。クラス全体としての勝利を目指すなら一択だと思うけどな」
クラスとしての勝利を。乃亜の掲げる名目はどこまでも、この学校に於ける正義そのものだ。その為を優先して行ってきた言動は、常に一貫した発言力を持っている。要所要所では遊ぼうとするも、何だかんだでクラスへ貢献しようと奮闘する男であり、実際にこのクラスでは誰よりも分かりやすく貢献している男。それが今現在の佐々木乃亜の評価であると自己分析している。
クラス内カーストグループとしては、やや孤立している側だ。しかしクラスの地位としてはそこそこな存在感を誇っている。
そんな乃亜の立場を利用するように、堀北は一度頷いて乃亜の意志へ同調の雰囲気を醸した。
「確かに佐々木君の意見は、クラスポイントだけを狙うのなら正しいわね」
「俺も佐々木に賛成するぜ。やっぱやるからには勝たなくちゃな」
ウンウンと、したり顔で賛同する須藤。そうだよね、お前の晴れ舞台だものね。機嫌良さそうで可愛いなコイツ。
今回のゲームでは、運動能力が高いほどに貢献度は高くなり、貢献度が高い人物ほどに発言力は増す。つまり普段なら一蹴されかねない須藤の発言にも、一定以上の力が宿る。加えて乃亜を発端とする意見に、クラス内ではまず間違いなく優秀の側である堀北の同調。
そして追撃ともなる意見が、幸村から発される。
「……推薦に関しては俺も佐々木に同意見だ。運動が得意じゃない俺が推薦競技へ参加してもな」
「今のユキたんの意見ってさ、運動できない組の奴からして頷ける部分は多そうじゃない?」
「なら……推薦競技の参加者は、能力制で決めていく形で良いかしら? もちろん意見があるなら気兼ねなく言ってちょうだい」
一応のポーズとして堀北は全員へと呼びかけるが、反対意見は出なかった。……というよりも出せなかったが正しいか。
男子なら須藤、女子なら小野寺といった風に、学年を通してトップクラスに動ける人材はいる。だがこのクラス全体としての運動能力はそれほど高い訳じゃない。
人は、恥を避けたがる生き物だ。身の丈を超える挑戦を忌避したがる本能がある。推薦競技は全員参加とは違って、上位入賞時の貢献度が高く設定されている。だというのに明確に自分よりも優れた存在を遮ってまで出場して、箸にも棒にも掛からない結果でも出せば……うーむ、乃亜からすれば楽しそうな空気が形成されそうな気がしますね、地獄の空気に出来ちゃうよね。
「うん、それじゃあ推薦競技は能力制で決まりだね」
ホワイトボードへ決定の旨を書き記していく平田。
乃亜からすればまずまずといった進行具合。とは言え推薦競技に関しては着地点の予想も容易い。
問題はここからだ。
「全員参加の競技も同じく能力に準じて順番を決めようぜ」
「具体的に言ってくれないかしら」
ここで乃亜は、思い切りヘイトを稼ぎにいこうと思うのだ。
理由? 仲良しこよしの空気感に巻き込まれては面倒だからだ。ヘイトを予め稼いでおけば、いざやらかした時でも『まあ佐々木だし……』といった雰囲気で許される余地が出てくる。好き勝手にやっても見逃される余地も出てくる。
中途半端な好感ならば、いっそ捨ててしまうが吉だ。
「使えるのを活かして、使えないのを捨てに使う」
「はぁ……省略しすぎよ。もう少し噛み砕きなさい」
端的に伝えるも、何やらご不満な様子。
溜め息を吐かれたが、無論ながら乃亜の発言の意味するところを堀北は理解している。しかし相手への理解力を多分に求める圧縮会話は、必ずしも万人が理解してくれるわけではない。その程度は乃亜とて心得てはいるが、これも内政の一つという訳だ。
乃亜をジト目で睨みながら、言外に『周りに合わせろ』と述べる堀北リーダー。
そんな彼女のためにも、理解が及んでいないクラスメイトのためにも、とっても分かりやすい解説を入れる。
「足が速いの同士で競技に出して潰し合わせるのはアホの戦術。だからノロマの雑魚を捨て石にして速いのと組ませれば効率が良い」
「誰が悪口を混ぜろと言ったのよ」
「だが理に適った、いわゆる勝利への最適解ってやつだ。勝ちの目があるなら実行すべきだ」
「そうね……───みんなは、今の佐々木君の意見をどう思う?」
呆れつつという態度を隠すことなく、こめかみを揉み解しながら、堀北は話題を全体へと広げていく。
この意見に反応を示すのは、ノロマと断じられて、捨て石として使われる側の人間だ。
現に篠原が、黙っていられない様子で声を上げた。
「それってさ、私みたいな運動が得意じゃない人が負けても良いってことじゃないの?」
「理解力足りてるぅ? そう言ったつもりしかないんだがぁ?」
間髪入れずに、精神を逆撫でる声色を出しながら肯定した。
苛立ちを感じた芯篠原が言い返してこようとする前に、乃亜の口はもっと早くに動き出す。
単純でいい。明確ならよりよい。真実こそがこの場の大義だ。普段の言動のように、芯を喰っているような勘違いをさせる必要はない。無理を通して誤魔化す意味は無い。
「どうせお前じゃ勝てないのに?」
短く、強めに言い切る、ただそれだけでいい。
突破口はそこから勝手に開かれる。
「ハナから組み合わせの強弱で勝負を捨てるような考えのテメェじゃドべがいいとこだろ」
「なっ、なにそれ! そんなの分からないでしょ!」
「おおっと大きく出たね。そのセリフ覚えとけよ、俺は当日まで絶対に覚えてるからな。いやぁ楽しみだなぁ、篠原さんは味方の組み合わせが自分に都合よければ絶対に上位入賞できちゃう訳かよ、すげぇな全競技上位入賞かよ頼りにしてるぜ篠原サン!」
み、みじ、短く……うーむ、乃亜の悪い癖である、人を煽ってると楽しくってつい長台詞になってしまう。反省はちょっとする、だが後悔は微塵もしていない。
「あー、しっかし強い味方じゃなくて弱い味方と組ませてほしいとは、酷い事抜かすね」
「そんなこと言ってないし……! 私はもっと、みんなの意見を取り入れた方が良いと思ってるだけ!」
「テメェの言う
鼻で嘲笑いながら、見透かしたような態度で篠原から視線を外してやる。
そして次の呼吸の瞬間には、表情を真面目な印象の形へ整えて、堀北へ向けて真っ当な懸念材料を投げつけた。
「間違いなく、そう思いたくなる連中は大なり小なり出てくるぞ。須藤と一緒に走りたくないだの、堀北と走ったら勝てないだの、分不相応な要求を声高らかに叫ぶ輩だ。そんでもって往々にしてその手のクレームを入れるのは、自分本位で無駄なテイクを挟むアホな輩って相場が決まってんだ。要は自分への不利益を他人へ押し付けたがる薄汚い心を持ったゴミだ。
なので変に揉めるよりかは、運動能力という絶対の基準を作っておく方が無用な面倒は回避できると愚考しまーす」
「確かに順番を決める基準があれば、平等な決定は出来るでしょうけれど……」
この意見に異を唱えられる者などいない。
一定の理屈は通っている事を、優秀な堀北が渋々そうに保証する。そして大前提として、掲げた大義はクラスの勝利第一というこの学校に於ける大正義。態度こそが人を喰ったモノであれども、言葉の一つ一つはどこまでも合理に則ったものだ。
乃亜のこの発言を気に入らなくとも、対立するような位置に立った時点で、それはもはや利己的な発言と捉えられてしまう。反論すればするほどに『自分は我儘を通したいだけ』というレッテルを張られてしまうだろう。そも、この効率かつ合理的な発案を賛同する側の人間も少なくないはずだ。
運動が得意な連中を味方に取り込んだ空気感の色も見える。よし勝った。場の空気の掌握は成った。後は堀北からの諫めの言葉を貰って、彼女の出す折衷案を呑み込めば『堀北鈴音≧佐々木乃亜』という力関係の地盤を作り上げられそうだ。
堀北からの小言を貰う取っ掛かりとして、いっそ篠原を泣かせようかと罵倒のレパートリーを喉元へ装填し始めていく乃亜。
趣味1割の効率9割による人格否定の嵐が幕を開ける、その時。
「ねえ、いい加減にしてくれない?」
「あー?」
ついつい、憤りが限界に達して、そんな声を醸した軽井沢が立ち上がった。
「次の試験で使える点数だって欲しいし、プライベートポイントを諦めるのも嫌だし、それに最下位のマイナスは苦しいの。頭も良くて運動もできるっぽいけどさ、やっぱ佐々木くんって人の心っていうの? そういうのが分かってないよね」
「……え、ああ、うん」
欲望に塗れた意見を引っ提げて、軽井沢が席から立ち上がりながら喧嘩を吹っ掛けてきた。……何か勝手に動き出して勝手に歯向かってきたのだが。指示とか一つも出していないのに。つい生返事を出してしまった。素の驚きだよこりゃ。
よもや綾小路の差し金かと、後ろをちらりと覗いてみれば、綾小路も乃亜と同様の所感だったらしい。若干の驚きの色を出している。
乃亜も綾小路も感心混ざりの驚きだ、だって軽井沢の色は、これっぽっちも乃亜への反抗心を宿していない。
これはいちゃもんでもなく、我儘でもなく、議論進行のための一つの意見。そして、こうして対立する軸が現れた時、どの立場が一番に場を掌握しやすいのか───どの立場が一番の得をするのか。
仲裁する立場の存在こそが、それだ。
彼女
「あー、そういうことかい…………でも勝つためだ。なにせ今回のゲームはマイナスをどれだけ軽減できるかってのがミソ、なら身の内の事情は最低限整えて最適解を用意しなくちゃ勝機が薄まる。足を引っ張んなよ、テメェだって運動が得意って訳でもねぇくせして和を乱してさぁ」
「誰もかれもがあんたみたいな戦闘民族なんかじゃないから、勝つためなら何でもアリって考え方にはならないし」
「ポイントが欲しいなら勝ってクラスポイントでの収入を増やせばいい、点数が欲しいなら体育祭が終わった後にでも自分で勉強すればいい。単純明快な話だろ───俺の言いたい話が分かるか低能女。それとも努力で勝ち取れる要素を自分で捨てる愚かな怠慢がお望みか? 欠陥だらけの劣等生丸出しな考え方だって自覚はしてんのか?」
「だからさあ、それで犠牲になる人の気持ちを分かってないよねって話をしてんの。そんなサイコパスの意見とか受け入れたくないんだけど」
口論を白熱させながらの、乃亜による今回のゲームの
軽井沢は中身も無い反論を使い続けて、乃亜による思考誘導を加速させる発言を促進させていく。
「そういえば言い忘れていたわね」
すると気の抜けた声で、意味不明な発言を堀北が差し込んでくる。
「競技毎の最下位ペナルティは気にしないで大丈夫よ、ポイントは補填するから。佐々木君が」
「ふむ?」
本当に意味が分からない発言だった。
「え? そうなの?」
「……ふむ??」
疑問符を張り付けた顔で、軽井沢が素の色をさせて乃亜へ真偽を聞く。
だがちょっと待ってほしい、初耳の少年だってここにはいるのですよ。
確かに払えないこともないが、払いたいという心が有るか否かはまた別の問題だ。乃亜に服従してくれるマリオネット軍隊が作れるのなら喜んで支払うが……無駄に強い自我が集まったこのクラスだ、費用対効果は実に悪そうに思える。
クラスのために動くのが乃亜の規定ではあるが、それはそれとして、与えられるのを待つだけの雛鳥なんぞに興味が無い乃亜は堀北の戯言を突っ撥ねる気しかない。支払う分の働きはしてくれないと困る、そして残念ながら、支払った分の働きが出来る連中かと言われると……ううむ。
やはり断ろう、そう心に誓った矢先だった、追撃の意図の色が堀北から噴出したのは。
「それから全員参加の個人種目は、順位に関係なく2000ポイントをくれるそうよ。佐々木君が」
「ふむ???」
「マジかよ佐々木さん!? 太っ腹すぎるだろ!」
「というかどんだけポイント持ってんだよ!」
「──────ふむ?????」
参加するだけで2着の報酬額が別途支給だと? 美味い話が過ぎるだろ、詐欺を疑いなさいよアホ山内とアホ池。
山内と池からの熱い期待の声を受けて、疑問の渦中に叩き込まれていた乃亜は気の抜けた声で茶を濁す。……ええいどいつもこいつも卑しい視線の色で乃亜を見るな! 強請るだけの愚物か己らは! 勝ち取ろうという気概が薄い! ハングリー精神を宿せよ!
落ち着こう、一旦落ち着いて考えてみよう。乃亜、綾小路、堀北、どうせサボる高円寺、人の良い平田、人の良い(笑)櫛田、仮定ではあるがこの6名を除いた34人が対象だとしよう。
1人2000ポイント×34人=68000ポイント。一つの競技で68000ポイントか。
個人種目は、100メートル走、ハードル競争、障害物競走、200メートル走、これらの4つ。
68000ポイント×4種目=272000ポイント。
都合272000ポイントという額になるのだが、別段乃亜からすれば払えない程に高いという訳でも無いのがタチ悪い。ここに上乗せで最下位時のペナルティを掛け合わせたとしても、100万にも届かないのならやはり払えてしまう範疇だ。
ザックリとしたどんぶり勘定を即座に終えると、後ろの席の綾小路が、顔を寄せて小さな声で話しかけてくる。
「マジなのか?」
「あの女ってば妄言が上手くなったな」
「という事は有効活用されているのか。ぷっ、笑える」
この綾小路をどうしてくれようかしら。……ともあれ佐々木乃亜の性質と強みを使おうとする、堀北の謀り事がこれか。
財力の活用、話し合いの誘導。これらの手段を堀北自身から経由して用いることで、己の発言力を高めるための財力としても活用する。実に効率が良い、その上で乃亜の好む手法だ、特に利用しまくってやろうという気概が気に入った。……乃亜好みというツボを押さえている点ですら計算通りの可能性もあるのかもしれない。
考え込む様子の乃亜へ、挑発的な笑みを浮かべた堀北が念を押すように言う。
「そう言っていたわよね?」
「───……あー、んだよテメェ、あの話を覚えてたのか」
話も何も、覚えてるも何も、とんと中身の無い会話だった。けれど重要なのはそこではない。乃亜と堀北との関係性でなら、この場限りのハッタリだろうと妄言だろうと言いがかりだろうと、実現させるだけの余地が生まれるということだ。
……結束という絆による繋がりは強力だ、しかし育むのには時間が必要だ。信頼関係を全員と築く必要がある、その七面倒を即座に熟さなくてはならない。それこそ一之瀬のような圧倒的なカリスマでもなければ、時間を省略してまでの結束を作り上げるのは困難だ。
今の堀北では、実力や恐怖政治などで無理やりの圧制を強いるくらいでしか結束は結べない。だから堀北は、実力を以て黙らせていく方向性を選んだ。
実力───現時点で、このクラスの舵を一番に握っているのは佐々木乃亜だ。
そんな佐々木乃亜を御せるのなら、それは一つの実力として周りの目には映るのではないか。
「忘れていたと思っていた? 残念だけれど、クラスの利益となる話をむざむざと忘れるような真似はしないわ」
荒業を好む佐々木乃亜を嗜めて、見事に穏便に、尚且つ利益を齎すように活用できる存在。
そんな女傑であることを己へ言い聞かせるように……虚勢に近い強がりが、尚も、乃亜の好意を強く惹き寄せる事を自覚しているのだろうか。それとも無自覚で、自然体なままに努力を続けて、己の精一杯を見せつけるほどに乃亜の好む色を放っているだけなのか。
佐々木乃亜は人間だ。悪魔なんかじゃない。人の心を明晰に読み取ることはできない。……それが今この時だけは、強く、惜しんだ。
心の内の腑分けた有様を、詳らかにして、抉り千切って、全てを知りたいと感じた。
「それで、貴方はどうなの」
「どうってぇ?」
「吐いた唾を呑み込むようなみっともない真似がお好みかしら」
「言ってくれるじゃねぇか。───オーライ、従うよ」
毅然とした、凛と音を鳴らすような横顔をさせて、乃亜を睨みつける。
故に、この帰結は必定だ。
諦めた顔をさせて、乃亜は薄く笑いながら、こう言ってこの話し合いを締めるのだ。
「参加賞で2000のBONUSを贈呈、最下位のペナルティも俺が請け負う、ただし本番で手を抜いてるようならそいつには一銭も渡さない。……これで満足か、
「そう。──────みんなも、それでどうかしら」
反対の声は、一つも出なかった。
かくしてこの瞬間から、堀北クラスは本格始動を果たす。
そして──────その、約一か月後。
数多の思惑を交わらせ、体育祭は始まる。
履き慣れなさが未だ残るシューズで、地面を均すように掻きながら、ふと呟く。
「行進、要るか?」
「まだ言ってるのか」
お揃いでもあるシューズを一瞥しながら、すぐに乃亜の顔へ呆れた色をぶつける綾小路。
堀北兄による開会の宣言を聞きながら、マイフレンドへ愚痴る乃亜。規律の在る集団行動というものがやはり性に合わない乃亜は、どうしても気に入らない。ボイコットでもすれば減点対象になりかねない可能性があるからこそ大人しく従っているだけだ。
もう既に心が疲れた乃亜は、なんとなしに視線を巡らせて周囲の様子を伺ってみる。
ギャラリーは想像よりも多い。グラウンドの外には、敷地内で働く大人達。歓楽街の方面で見たような顔も散見される。物見遊山気分で気軽に覗ける一種のイベントとでも化しているのかもしれない。
先生方は監視の意味合いの強い色で、生徒達の様子を見守っている。生徒の動向を管理したがるのがこの学校の雰囲気であるのならば、怪我等の万が一、それから不正行為には一際敏感と見るべきか。……どうせ、バレなきゃ何やってもお咎めナシだろうが。
他にも結果判定用カメラ、教職員、ギャラリーと、監視の眼の位置と数を頭に入れながら周囲を観察していると、一年のAクラスのテントが視界に入る。
日差しを遮る屋根の陰で、慎ましやかにベンチへと腰掛ける坂柳を見つけた。
見つけると同時に、目が合い、坂柳は口端を柔らかく緩ませた。視線がかち合うにしてはちょっと早すぎる、待ち構えていない限りは成立しない交錯だ。どうせにやけ面で観察していたのだろうが。
ふわりと、表情を浮かせてほころばせる坂柳。
それをガン無視しながら、乃亜は後ろの綾小路へ愚痴を連発するのだった。
「あー、だりー、クソくだらん、長話だるーい」
「なら言えばいいじゃないか、ちょうど声が届く位置だ」
「おい会ちょ「やめなさい」……痛いですリーダー」
手刀が鳩尾へ突き刺さる。
痛みに呻くことに忙しくなった乃亜は、結果的に暇を潰す事に成功したのだった。これが怪我の功名か。ふざけるなよ暴力女。
合理的に。効率的に。能率的に。それでいて論理的に。
今日ここに至るまでの佐々木乃亜の印象がそれだ。おどけてふざけた態度こそ目に付くものの、言う事成す事の根底には、どこまでも冷静で的確な利益だけを見据えたモノがあった。
だからこそ、冷徹だとか冷血漢だとか、クラス中からはそういった目線で見られていたであろうことは本人が一番に理解しているだろう。はしゃぐにしてもクラスポイントが得られた時など、やはり冷徹で冷静な視点が根元にあるもの、と。
体育祭プログラムの最初の種目───100メートル走の最初の走者。
走ったのは平田だ。他のクラスのメンバーを見る限り、勝ちは固いと思える組み合わせだった。それも圧勝では無く、手を抜いたら負けるが、真面目に走れば勝率は7割は超えるという良い塩梅。明確な格下相手ではない分、組み合わせとしては相対的な旨味があった。
そして、レースが始まった途端、堀北クラスの生徒達は……いや、佐々木乃亜という人となりを知っている者は全員が、佐々木への印象を乱されることとなる。
「走れ走れ走れ走れ!!!! いけるぞ勝てる勝て勝てそのままいけ平田ぁぁぁぁぁ!!!!」
誰よりも声を張り上げて、遠く声が届きづらいと思われる距離だろうとお構いなく、羞恥という概念を踏み潰す堂々とした様子で。
誰の心にも伝わる熱を載せて。
「いよっっしゃぁぁぁぁぁ!!!!! ナイスだ平田ぁぁぁ!!!!! ───ナイスランだったぞ鬼塚ぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
熱い血潮の如く、佐々木は全力で仲間を応援していた。
「───お帰り平田! 鬼塚! 特に鬼塚だ! テメェマジで走ってたろ! やる気に満ちてるのが伝わってきてたぜ!! 入賞できずとも最下位免れただけでも大したもんだよ!!!!」
他が1位を取った平田を褒め称える雰囲気の中、周りの空気の一切を無視して、好成績とは言い難い鬼塚を褒めちぎる。
普段のような、人を小馬鹿にする態度は鳴りを潜めて、他人を認める事へ頓着しない様子で佐々木はとにかく嬉しそうだった。本人の内では成績だって重視しているだろうに、しかしきっと、今しがた口に出している言葉も全ては真実なのだろう。
努力する色が好きであると、佐々木は以前に言っていた。
「いや、でも……全然だめだったし」
「ハッ! このアホめ! 本気で走れる人間を褒めない訳にはいかねぇだろうが!!!! テメェはよくやったよ!! こういった人の目につく場でなりふり構わないってのがどれだけ難しいことか!! 最高の走りだったぜ!!!!!!」
満面の笑みで、綺麗とは言えない口ぶりで、けれどやはり純粋にも思える透度の上機嫌で佐々木はまくし立てるように。
人が懸命に進み、ひたむきに進み、愚直に進み、邁進へ努める在り方を好む。
その善性は、間違いなく公平そのものだ。
「ガハハ! このまま俺らが軽快にヴィクトリールォードを駆け上がってチビもトカゲもアイドルもチャラカスもメガネも全てを凌駕して完膚なきまでに勝っちゃうのだぁ!! ───っしゃあ行ってこいや幸村ぁ! 馬鹿真面目なガリ勉精神で全員ぶち抜けぇぇぇぇ!!!!!!」
……というかこいつ、ちょっとうるさいな?
圧倒的な走力を以て、須藤の足先がゴールラインを割る。
目測では須藤の勝利が固いと予想はしていたが、レースとは何も予定調和とはいかない。それを数多の経験で財布が軽くなるほどに知っている乃亜は、ちょっとドキドキしながら眺めていた。
Bクラスの柴田、Cクラスからは園田、Aクラスは鬼頭と、クラスの戦力が不自然にも揃った組み合わせだ。何でかなぁ、不思議だねぇ、乃亜の好みな頂上決戦みたいな感じになっちゃってたねぇ。ちょうどギリギリでCクラスが上位に入り込めなさそうな感じがふんわりとする組み合わせなのもおかしいなぁ。
自分が走る番になったらどんな嫌味を言われるのだろうかと、未来が楽しみになっていると、須藤が戻ってくるのが見えた。
「お疲れさんバスケマン」
「おいおい、俺にはそんなテンション低いのかよ」
「あー? テメェなら勝つって信じてただけじゃん。不服かよ?」
薄く笑いながら言葉を投げると、快活な笑みを浮かべて、照れくさそうに鼻をこする赤髪バスケマン。
流石に我がクラスの最大戦力だった。綾小路と高円寺という天井が存在してはいるものの、戦力とは、安定運用が出来て初めて有用性を宿す。その点で言えばあの天才コンビは落第も良いところ。肝心な時に撃てない鉄砲なんぞに価値は宿らず、全力で取り組んでくれる須藤の方を評価するのはいっそ当然だ。
満足そうな顔をして、堀北へと自慢をしに行く須藤。何か可愛いまであるなバスケマン。褒められ待ちの犬か。
次は綾小路の出番だ、はてさて、どうなるかが実に楽しみだ。
遠目ながらも、マイフレンドの所作から見える色へワクテカしながら期待していると、背後から不服そうな声が掛けられる。
「な、なあ」
「なに」
たった今走り終わってテントへ戻ってきた、山内からの声。
だがそこに情は無く、乃亜は彼へ一瞥もしない。
「俺には、こう、何かないの?」
「全力でやらない奴に? 何で?」
「い、いやいやっ、全力出してたって! そりゃ健と比べたらあれだけど……でも俺だって真面目にやってたってば!」
「弁明する暇があるなら本気出して走ればよかったじゃん」
走っている様子を観れば分かる乃亜に、その言い訳の一切は通らない。
思春期特有の気恥ずかしさも理解できないことも無いが、こういった行事で真剣にやれないのは好かない。乃亜の好悪の話でもあるが、何よりも、恥を堪えて悪い成績だろうと本気で取り組む仲間に失礼だ。
故にまともに取り合わない。
一方的に言葉を浴びせて、この話はそれで終わり。
「結果は二の次でいい、真剣にやれ。───次にやったらお前にはビタ一文も払わない」
乃亜の発言には明確な力が備わっている。一種の強制力を与える力、そのために堀北は最下位ペナルティの代替と出場BONUSという、ある種の脅しの道具を乃亜へと授けたのだ。
幸いな事に、多少の反感などは跳ね除けられる性格だ。
だからこうして、酷なまでに冷徹な声で、空気を律することが出来る。
やる気があるなら褒めちぎり、やる気が無いなら塩反応。……成程そうか、堀北クラスに於ける自らの立ち位置と役割が見えてきた。
ナマケモノを整える事が、きっとクラス内の乃亜の役割なのだ。
山田アルベルト。オレの隣でスタートラインに立っているこいつは、Cクラスで一番運動能力が高い……というのが、佐々木が手に入れたデータから読み取れる情報だ。高円寺はやる気を出さず、オレも同様に本気を出すつもりが無かった現状までの話ならば、勝ちの目が有るのは須藤くらいなものだろう。
つまるところ、このレースでオレに背負わされた役割は、捨て石だ。……ここまでの男子の100メートル走の成績は、堀北クラスが一歩抜きん出てながら、坂柳クラスと一之瀬クラスとを絡めた三つ巴の接戦を競り合っている。一方で龍園クラスは、これといって揮わない結果が続いている。
断定するには早いが、事前からの佐々木の匂わせ方からして、やはり参加表かそれに準ずるほどに力のある情報を手にしているのだろう。それも3つのクラスがだ。
もちろんオレが走る今回のように、明らかな捨ての配置もあったが───殆どは、勝率を高く維持できる組み合わせをされていた。
「……成程な、だからタイムが欲しかったのか」
今回もまた、面白い事を考える男だった。だがオレの推測が正しいのなら、どうしても参加表は必須となる筈だ。こうまで正確な組み合わせを作るのならば、やはり誰がどこへ配置されているのかを知る必要がある。
そこが恐らくは、佐々木の策が上手く嵌った部分なのだろうが。
さて──────思惑通りに事が運ぶ快感は楽しいか、佐々木乃亜。
だがお前はいつだって、予想外を望んでいるだろう。
先を見据え過ぎてしまうのがお前だ、だからこそギャンブルという不確定を愛しているんだ。
……始まる。走者が一斉にスタートの形を取る。オレも同様に、走り出すための最適な形を全身で象っていく。
これはどっちだ。
予測の範疇か? 色で以て把握を終えていたか?
それとも、予測の外側の行動か?
実を言えば、自分でも驚いている。あのプリンスの熱に動かされたのだろうか、或いは度肝を抜いてやりたいという企みか、それともごく身近に尊敬へ値する女傑が居たからか、それらすべての要素がオレを変えでもしたのだろうか。
人として未成熟な自分には分からない、が。
「──────ッ」
精一杯の挑戦で見えてくるものもあるのかもしれないと、そう思い至ったのは確かだ。
だからオレは、力強く一歩を踏み出し、
───っっっしゃぁ計算通りぃ!!!!! かんぺきぃーー!!!!!!!
走り出して数秒後、自クラスのテントの方角から大きな声が聞こえてくる。走りながらでも耳に残る声量だ、トーンもテンポも不思議と胸の内へと入り込むような気がする。これなら確かに、あいつの声援は確かな力にもなっていそうだ、励まされる者もいるだろう。
しかし……くそ、予想の範疇だったか、そう考えると癪な声に早変わりだなこれ。後で殴ろう。
どれくらいの威力にするかを悩んでいると、景色はあっという間に過ぎ去っていき、オレはいつの間にかゴールを通り過ぎていた。
『今からオレはお前を殴る』
『なにがゆえぇぶふぅっっ』
テントへ戻って早々に、乃亜の横腹へ見事なまでの有言実行を果たしたマイフレンドは、今ではクラス中からもみくちゃにされていた。凄まじく戸惑っている、青春ですね、素晴らしい景色だ。
何よりも、あの綾小路がだ───全力で走ってくれたのだ。友として喜ばない方が嘘だ。
戦略上での意味は正直薄かった。そりゃ負けるよりも勝ってくれた方が良いのは確かだが、目立ちたくないという意思を尊重して、負けたとしてもトータルでマイナスが少ない配置にしたのだ。
「まあ? 妙にやる気あるっぽかったし? ワンチャンでガチる可能性があるってんなら、どうせだったら大物喰わせたろーってね? ───テメェへの嫌がらせも込み込みでなぁ? りゅーうーえーんー?」
「チッ。……てめえら揃いも揃ってグルだったって事か。ひでえことしやがるなあ? 優等生共の行いとはとても思えねえよ」
苛立ちが止まらない龍園は、感情へ伴うように舌打ちを隠すことなく、隣に立つ橋本と神崎を睨みながら吐き捨てる。
特に、Aクラスの金髪へ向けては、乃亜へのものと大差無いほどの激情を込めながら、強く睨みつけている。
「白々しいな、俺達Bクラスの参加表を坂柳へ流していたことはもう知っている。……最初に陥れようとしていたのは龍園、お前だ」
「そうとも限らないぜ。佐々木がてめえら丸ごと騙し抜いたって可能性だってあり得る。それともまさか、未だにこの悪魔が一之瀬へ全面的に味方をする都合の良い善人だとでも言うつもりか?」
「そうだそうだ! そもそもテメェらBクラスの連中が盲目気味に一之瀬を持ち上げすぎてるから無意味な不和を呼び込んでんだろうが! もちっと本当の意味で一之瀬を支えてやれや!」
「佐々木の立ち位置はどうなってんだ?」
龍園の後ろから援護口撃! 神崎はバツの悪い顔をしている! 橋本は面白がるような顔を
予想していた通りに楽しい時間であったことへ満足げに頷く乃亜。そんな乃亜へ、憎しみ交じりの声で、龍園が言葉をぶつけてくる。
「この並びもテメェの差し金って事か」
「さてどうかねぇ、テメェにギリギリのラインで勝てそうな選出したらこうなったってだけじゃね? わっかるかなぁりゅーえーんくーん───テメェは舐められてるってコトだね!」
今回は、龍園へ全ての種を明かしたりはしない。きっとこいつなら、自力で行き着いてくれる。
こいつもこいつで、成長株であることは間違いないのだから。
「ウチのクラスの地雷が世話になったなぁ? どこぞのジャスティス蝙蝠も暗躍してそうだよなぁ? 真鍋にも目が吸われてたよなぁ? 自分と同じ経路で調達される可能性は排除したくなるよなぁ? ハッ! 残念なことに、ぜぇーんぶブラフなんよ! ───ハナっから参加表なんぞを手に入れる気は一ミリも無かったんだよね」
「……チッ」
龍園は忌々し気に再びの舌打ちをした。そのたびに乃亜は楽しそうに笑って、周りを見回しながら、そしてその目は、一人の男の瞳で動きを止める。
意志の在る挙動で止まった視線の動きは、視線を向けられている橋本の全身を硬直させる。
蛇に睨まれた蛙とは、きっとこういうもの。薄く笑い掛けながら、何を喋ってやろうかと楽しく目論む乃亜。
そして、言葉は出来上がる。
「でもよぉ、龍園討伐のメンバーに選ばれるってことはさ、橋本って運動とかできるんだな? 龍園も身体能力が悪いって訳でもねぇし」
───スタート係の人から声が掛けられて、走者は全員位置へ着く。
「坂柳からの信頼が厚いね~、流石は坂柳の手持ちポケモン」
「そうだったら光栄? ……な話だけどな」
「少なくとも坂柳は、かーなーり、橋本を
橋本が浮かべたのは軽い笑みだった、軽薄な印象は拭えないが、しかし不愉快さは意外と少ない笑み。日常の中で形を作られる、自然に浮かび上がるような。
けれど乃亜は見逃さない。
確かに見えるのだ、怯えの色が。
「裏切りとかされたら、信頼も反転してかなりブチ切れそうなくらいにはねー」
それは如実に結果へ表れて、きっとこのレースで、彼は上位入賞を逃すことだろう。
だって膝が震えている。裏切りの暴露を恐れて、乃亜の行動だけに注視しようとする意志がある。唆された事実を恨みながら、その事実を露にしていない意味を理解しながら、それでもどうする事も出来ない現状に怯えてしまっている。
そして、スタートの合図を聞いた瞬間───乃亜は、一歩目を力強く踏み出した。
ちなみに勝った。勝った! 普通に! 勝った! 未来のジョッキーを舐めるなよ!
この日のために用意したブツがある。
そも、これはレースだ。それもタイマン形式ではなく、複数人が入り混じる短距離レース。
レースだ、それも乃亜の仕込むが嵌ったことにより、激熱な対戦カードを作って堪能できる。
───ならば必要なブツは決まっている。
「なんだその紙は」
「馬券」
あ、間違えた。
「走るのは人だし人券か」
「響きが最低だ。健全な仲間想いの熱血少年はどこへ消えた」
右手に握られた1枚の感熱紙を眺めながら、綾小路が興味深そうに言う。
「胴元はどこなんだ」
「胴元っつーか、龍園とさっき賭けてきた。あっちは伊吹に10万」
マイフレンドと共に眺める視線の先では、簡単な柔軟をする伊吹の姿が。その隣では堀北が、おろしたてのシューズの履き心地を確かめるように、足首を丁寧に回してほぐしている。
走力のデータを手に入れて、龍園クラスの参加表の順番を把握した時、乃亜に電流の如き天啓があったのだ。
───伊吹澪! こいつ、堀北と身体能力で競えるぞ!
「白熱したマッチメイクが可能なら、この手の玩具も事前に作れるってな話よ」
「100メートルのタイムは五分くらいの差だったか。……勝ちさえすれば、煮え湯を飲まされてばかりのお前へ少しでも精神優位を得られる要素でもある賭け事。しかも勝率は悪くない、となれば龍園は乗るしかないな」
「しかも対抗馬には神室ちゃんまでついてくる! 事前に坂柳に話を通して良かった!」
「この一戦は完全にお前の道楽じゃないか」
スタート位置で待機するメンバーの中で、やはり堀北は当然として、伊吹、そして神室と、一年女子の中でなら運動面での上澄み側の存在が揃っていた。
片手に馬券……人券を握り締める乃亜だが、もう片方の手が非常に寂しい気分に襲われる。本当ならばメロンソーダかコーラかを左手に備えている筈だが贅沢は言うまい。
そして、各馬……各生徒、ゲートに収まり──────スタートしました。
「ぶっちぎれぇぇぇ!!!!!」
勢い良く飛び出していったのは、5番カムロマスミ、Aクラスから歓声が上がります。
続くように一頭身分の差を維持するのは4番イブキミオ、そしてすぐ後方に着きます2番ホリキタリーダー、ホリキタリーダーはやや出遅れながらのスタートです。
「ギア上げろ短距離だぞ様子見なんざ捨てろぉぉ!!!!!!!!!!!!!!!!」
折り返しとなる50メートルを超えます、ここでホリキタリーダーが前へ踏み出していく。
イブキミオは耐えるが、ホリキタリーダー、超える、超えていく、イブキミオを追い越した。カムロマスミまで射程範囲だ。
「いけいけいけいけ差せっ! ────差せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!」
! ホリキタが前へ出る! ホリキタが出た! 捉えた! カムロマスミを越えていく! 先頭にホリキタリーダーが飛び出した!!
残り25メートル、逃げ切れるかホリキタリーダー! 逃げるホリキタリーダー! カムロマスミは追いつかず! ───ホリキタが決めた!!
勝ったのはホリキタ! ホリキタリーダー! リーダーとしての初陣を見事に決め切りました!
「っっっしゃぁあっぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!」
「さっきからうるさいんだけど」
失礼な軽井沢だ、こんなにも一生懸命に応援しているだけじゃないか。
こうして100メートル走は好調も好調の結果で終わった。龍園クラスが分かりやすく最下位の成績なのもそうだが、坂柳クラスと一之瀬クラスと比べても、堀北クラスの成績は頭一つ抜けている。
勝率が高い組み合わせなのもそうだが、それだけではない。
秘密は、クラス全員が履いている、同じメーカーのシューズにこそあった。
「堀北、これいくらしたんだよ」
「一足3万くらいかしら」
「それを40人分だから……120万ポイントも使ったってことか!?」
「クラスのためだもの、大して痛い出費でも無いわね」
池の疑問へ端的に返す堀北。
仏頂面で、しかし棘の抜けた態度で、当たり前のように会話をしているが。
さも私が自腹を切りましたよみたいな面で、いけしゃあしゃあと語っておられますが。ところで、乃亜が送っていた150万の行方なのですが。数十万は余らせている気がするのですが。返してもらった覚えが全然ないのですが。
「あの女ぁ……中抜きしやがったな汚職リーダー」
「完全に財布扱いだなお前」
乃亜は思い返す、練習中のある時、堀北はクラスの連中へこう提案したのだ。
「貴方達は───靴に拘りがあるかしら」
「(お……俺の150万が……俺の貯蓄が……有象無象の為に浪費されていく……)」
「(資金は余るだろうし堀北と一緒にちょろまかすか。DQモンスターズの新作が欲しいな)」
その答えが、Dクラス全員が履いている、カーボン搭載シューズだ。
高反発の厚底仕様により、より地を蹴る勢いが増して、タイムの短縮に繋げるためのシューズ。それをクラスの全員で履いてしまおう、どうせ学校指定じゃなければいけないというルールなど存在しない。……という、堀北考案の小細工だ。
使えるモノの悉くを使っていくスタイルはとても良い……のだがね。
「うへぇ……残高が一気に100万を切っちまったぁ……」
「むしろまだあるじゃんって感じなんだけど。……ってことは、やっぱり佐々木くんがポイントを出してたんだ?」
ベンチに座って力なく項垂れていると、軽井沢が声量を抑えながら確信の色を醸し出しながら話しかけてくる。
今は他学年が100メートル走を走っている最中だ、勝敗が気にはなるが、大きくフォーカスを当てるような要素も無いだろう。実質的な休憩時間も同然……というよりも、やはり南雲はやりやがっていた、八百長の色がすごい、見てるだけでつまらん予定調和な結果だらけだった。
軽井沢が平田では無く乃亜へ話しかけてきたのは、暇を埋めつつ、平田と別れる時のための準備の意味合いを込めた周囲へのアピール、といったところか。細かな指示を出さずとも行動を起こしてくれるのは有難い。
「出したというか、実質的なカツアゲを受けたというか」
「あんたが? どう考えてもする側でしょ」
「甘いな軽井沢。コイツは楽しそうだと判断したら、カツアゲの被害にだって自分から逢いに行くぞ、満面の笑みで」
「新種の変態じゃん」
「
Aクラスのテントから愛らしいくしゃみが聞こえた気がする。気のせいか、気のせいだな。
「……ところで、私達のクラスが今のところは一位なんでしょ?」
「ああ、ぶっちぎれてる訳じゃないが、このままの差を保てりゃ勝てる」
「坂柳さんが持ってきてたあの参加表が利いてるんだね」
ふむ、少し悩むが……まあいいか、共有しておこう。
「あれは完全な偽物だぞ」
「え?」
「多分だけどさ、どのクラスも最初に作り上げた参加表は嘘っぱちな内容だと思うんだよね」
参加表を巡る時系列を整理していこう。
まず最初に、一之瀬クラスと龍園クラスが、合同で意見を擦り合わせて早々に作り上げていた筈だ。龍園からすれば早めに乃亜と坂柳へ情報を流したいだろう。一之瀬からしても、早いところ龍園の警戒の目をBクラスから逸れさせたい理由があった。互いの思惑がどう作用するかはさておき、利害と目的を一致させた行動は迅速だったことだろう。
こうして作られた一之瀬クラスと龍園クラスの偽参加表は、龍園から坂柳へ、そして坂柳から経由して乃亜達にも共有されることとなる。
本来であれば、その情報を元にして、一之瀬クラスを囲んでぶっ叩こうという話だったのだが。
その計画も、すぐに破綻した。
「坂柳と龍園の目的は、俺のとこを巻き込んでの一之瀬叩き。でも俺がその目論見をぐちゃぐちゃにしちゃってさ」
「例の坂柳押し倒し事変か?」
「それも要因の一つではあるけど……その次の日くらいかな? 俺さ、龍園に挑発しまくって喧嘩売りまくったんだよね」
「いつものことじゃん」
「……そういうことか、お前は龍園に
綾小路はそれを知った時点で、今回の頭脳戦の奥行きを把握したらしい。
あの日、バッタリと龍園と出くわしたあの日だ。出くわすまでは、BもCも纏めて相手にして勝てばいいじゃんとしか考えていなかったが、思いついてしまったのだ──────この蜥蜴、虐めてみたら跳ねっ返し強いんじゃね?
そこで乃亜はこれでもかと挑発しまくったのだ。
乃亜のクラスへピンポイントに勝ちに来るように、『お前は眼中に無い』と伝わるように。
「強い相手には雑魚を出してダメージを最小へ収める、弱い相手には勝てる相手を出してリターンを得る。敵の配置さえ分かるのなら、二つの基本的な戦術を使ってれば勝てるゲームに早変わりだ。だから参加表の存在は大きい。
……でも参加表に沿って選出していく、それはつまり、選出を誘導されているってことでもある」
選出誘導、それさえできれば、あとはこちらの手札が噛み合うように当てはめていくだけだ。
だが軽井沢は、まだ納得がいかない様子だった。
「言いたいことは分かるけどさ、それだけじゃ無理じゃない?」
「何で無理だと思う」
「え。……えっと……だって、今のあたしたちって『ギリギリよりもちょっと余裕がある』くらいで勝ってるんでしょ? それって相手の強さに合わせて、少し強い人を選んで出してるってことじゃん。それって……んーっと、何て言ったらいいかな……」
「敵のクラスの戦力が細かく分からないと出来ない芸当だな」
「そうそう。でも佐々木くんってCクラスのこと知ってるの? それこそ100メートル走のタイムとかを知ってないと厳しいんじゃない?」
「ああそうだ、だから100メートル走のタイムを一之瀬から
額を聞いた瞬間、表情を引きつらせて信じ難いという顔をした軽井沢。だがお買い得な値段である。だってそれは、乃亜からすれば実に大事な勝利への1ピース。
一之瀬クラスと龍園クラスが、偽物だろうと参加表を早期に作り上げられた理由はこれが大きく起因していた。
龍園からすれば、とっとと参加表を作って流したい。
一之瀬からすれば、参加表を作る名目の流れの中でデータを抜き取りたい、速攻でデータを抜いてその事実を時間経過で有耶無耶にしたい。
両者の目的傾向は合致して、尚且つ事の進行速度は早ければ早いほど互いに好都合。自然と爆速で話は進んでいったことだろう。
「それで100万って……買う必要あったの? 直接偵察しながら計測すればよくない?」
「俺が? 直接出向いて? タイム測定? まず間違いなく手を抜かれて意味のないデータを掴まされるね」
「一之瀬を経由させたのは不自然さを消すためか」
「……まあ確かに、佐々木くんよりは警戒されないのかも」
龍園から笑えるくらいに警戒されている自覚の在る乃亜にとって、今回の策で何よりも重要だったのは如何にして『佐々木乃亜の関与の可能性』を薄めるかだ。一定のラインを越えた警戒がある時点で、龍園は手を出さずに引っ込めるだろう。手を出させるにはどうするか、ただそれだけを考えていた。
そう、乃亜の懐へ手を出させるには、乃亜のとは別の思惑が働いていると勘違いさせ続ける必要があったのだ。
「そして、裏切り者を利用して、俺達の偽の参加表を龍園へリークさせる」
「…………えっ、は? 裏ぎ「待て待て待て叫ぶな落ち着け」
両手を眼前に突き出してSTOPのジェスチャーをすれば、その情報の重大さを理解した軽井沢は慌てたように口を噤む。
あの日に
「俺にキレてた坂柳は俺のクラスへ打撃を与えたい、裏切り者は裏切りたい、それからもう一つの経路を使って、計三つの経路からのリークをすると。……いやーしかし使い勝手の良い蝙蝠だったな、今後とも仲良くしたくなるくらいには有用だよ、アレは」
「悪魔に目を付けられた可哀そうな奴がいるらしい」
「同情しちゃうなあ……」
無論ながら、それだけでも情報に手を付けない可能性はまだある。だからもう一押し。
「そこまでを踏まえた上で、もう一つ、龍園に対する仮のゴールを作ってやったんだよ」
「仮のゴール? ……ってかどんだけ複雑なことしてたのよ」
「ハッ! そう褒めんなよ。……軽井沢ぁ、お前だって覚えのある愚物だぜ」
「真鍋だな」
綾小路が名前を出した瞬間、苦虫を噛み潰すような顔をさせる軽井沢。……その程度の色で済むくらいには回復しているようで何よりです。
船上試験が終わった直後。
自らを貶めようとしていた事実へ憤り、恨めしそうに睨んでくる真鍋へ。
乃亜は、処刑宣告を一方的に突きつける。
「これから先、テメェを集中して潰しに行くからよろしくゥー」
「!? な、なんで」
「俺のクラスメイトに手ェ出しちゃったもんなァ? ───覚悟しろよ俗物、自分から退学届けを書かざるを得ない状況へ必ずテメェを追い込んでやる」
血走った目で睨みつける、ただ怒りに任せて、無限とも思える滾りを視線へ変えて睨む。
乃亜を自分と同格の仲間だと勘違いしていた女は、絶望に暮れていく色をさせていた。
あの時、思ったのだ。
───あ、コレの使い道見っけた。
「真鍋には、一週間に一度、参加表の内容を教師に確認して俺に伝えるように約束させておいた」
「うわ、ゴリゴリに裏切らせてんじゃん」
「と、思うじゃん? ところがどっこいこの約束、裏切られていたのは俺だったんだよね」
正確に言えば、裏切ってもらわなくては困る、だったのだが。
「『参加表の内容に変化はない』ってさ、ずーっと嘘の報告されてたよ。きっと初動から龍園に即バレしてたんだろーなぁ、真鍋の動きはさぁ。電話での報告の色がなぁ……機械を介すると精度は落ちるけど、回数と相手の易さで補えてるしぃ? 確信へ至れるだけの洞察材料にはなる」
「い、色? ……ええ? 佐々木くんってかなり電波系なの? キモイよ?」
「……要するに、龍園が手を回して真鍋に嘘言わせてたってことだよ」
「(だから仮のゴールか、成程な)」
会得がいったように、小さく頷く綾小路へアイコンタクト。そうそう、そういう意味なのよ。
「人ってのは……会心と思える成果を手にしたらドーパミンが溢れる。幸福感ってやつだ、それもセロトニンとかと違って脳がハイテンションへ無理やりに押し上げられるタイプのなぁ。こればっかりは人の仕組みだ、抗う事の出来ない快楽ってやつだ、それを俺は
情報のリークが三件、どれもが合致している……俺の裏回し要員の真鍋を早めに止めて、しかも逆に嘘報告をさせて翻弄に成功……これならバッカみてぇに煽ってきた俺を欺いて出し抜いて、完膚無きまでの初勝利をこの手に収められる! ───とか、考えたくならない?」
「龍園の選出誘導を完了した時点で、お前の手元にはCクラスのデータがある。
後はDクラスの偽参加表と、Cクラスのデータを照らし合わせ、Cクラスへ高い勝率となる組み合わせを作る……ということか」
「頭こんがらがってきた……綾小路くん、よく理解出来てるよね」
「……いや、実を言えばオレもそこまでは。半ば適当に言ってみたが合ってるのか?」
「あー、まあ、概ねは?」
ちょびっとばかりの焦りが出ている綾小路。しかし軽井沢からの眼からは、疑いの類の色が消える事は無い。乃亜との仲の良さ、船上でのアレコレ、そして今回の100メートル走の劇的な勝利。身体能力を偽っていたのなら、頭脳面も、もしかしたら……という疑いは抱かれる。
ともあれ───無論ながら龍園だって細部を詰めようとはするだろう。リーク先へ再三の確認要求もひっきりなしにしていたのではなかろうか。だから乃亜は教師の発言権も、一之瀬からのデータと同様に買ったのだ、その額30万! 絶対にボッタクられているがまあ良しとする。
「誰かに参加表の有無を確認されたら、もう提出されてるって言って偽物を見せろ。それくらい出来んだろ? なにせAクラスへ上がるためだからなぁ? 生徒想いのせんせぇだもんなぁ?」
「……良いだろう。ポイントは使うか? 使わずとも言動自体は望んだとおりにするが」
「使うに決まってんだろ、いくらだ、その2倍出してやる。もしもそれ以上の額で口割らせようとしてくるなら……後で更にその3倍出してやる。とにかく死んでも口を割るんじゃねぇぞ」
堀北クラスの作成した参加表は、偽物であるVer.1こそ早期に全員へと共有したが、提出期限のギリギリになってから改めて全員へと伝えている。全員が集まった時、HRの時間を使って───櫛田桔梗が居る場所で、
これで釘刺しも無事に終わり、龍園は動向の全てを乃亜の掌の上で踊り狂って終わったのだった。
現に見ろ、今の櫛田を。笑えるだろあの色。乃亜が誰かと喋るたびにビクついてますよ。やだなぁ、言いふらしたりなんかしないのに。真実ってのは言いふらすよりも、本人だけに見えるよう掲げて首輪として使う方が有効なんだから。
「一之瀬には俺が得る情報を推論とセットで渡すことが取引報酬。坂柳は
で、今の結果に繋がってるって訳だな」
「ふーん? やっぱ色々考えてるんだね」
「理解を諦めんなよアホ女」
『色々』で一纏めにして思考を放棄するポニーテール。
乃亜はそんなアホへ睥睨を向けていると、綾小路は最終確認の問いをしてくる。
「お前からすれば後は消化試合か」
「そんな訳あるかぁ。最後までガチの尽力を続けて初めて勝利が手に入んだぞ、手を抜いてる暇なんざない。───その点で言えば、テメェがガチってくれるのはひっじょーに助かるラッキーイベントなのよ」
「そうそれ! 綾小路くんって結構足速いじゃん! 何で練習の時は本気出してなかったの?」
「面倒だから」
「ハッ! 言い分が終わってら!」
クラス中から詰められた際にも用いていた言い訳を、平然とした顔で言い放つポーカーフェイス。いっそ堂々と怠け者宣言をするだけ、下手な弁明を繕って大きな反感を買うよりもマシか。この体育祭中、乃亜が何度も真剣にやれと全体へ叱咤していたのも、綾小路が余計な悪意を向けられていない理由の一つ。
実力を隠していたとしても、カッコつけだろうと、すかした態度でいようと、態度がどうあれ過去が何であれ、足を引っ張ったところでどうでもいい。このクラスに於いて乃亜が作り出していた空気感はただ一つの結論へと帰結する。
すなわち『真剣にやるならそれが正義』だ。
……高円寺は、まあ、別に、無視でいいと思う。
「こっから手でも抜いたら猛烈な批判を喰らうんだろうなぁ、残念だったな綾小路、テメェはもう後戻りできねぇぞ」
「佐々木が都合の良い空間を作り出した、オレはそれに乗らせてもらっただけだ」
「それでいいよ。お前が本気になれるってんなら、俺はいくらだって居心地の良い空気感を作り出してやるからな」
「お前はオレの親か」
「それだけの仲になれるってんなら歓迎こそすれ、だろ」
人生初の友達がかなり好きな乃亜は、綾小路の変化を歓迎する。
変わり辛い事情だってあるだろうに、変わることの実感すら抱けているかも定かでは無いだろうに、それでも踏み出そうとしている無二の友だ。乃亜には祝福以外の取るべき択が存在しない。力添えが出来るのなら尽力しようとも。
ずっと変わることのできない乃亜からすれば、まるで自分の事の様に、それが嬉しいのだった。
「まさか佐々木くんってソッチ系? ……あ、だから坂柳さんとかに冷たいってこと? あちゃー、何か気まずい感じの真実に気づいちゃったなー……」
「なー、なんてことだー、オレはー、自分でも-、気が付かない間にー、坂柳の恋敵となってしまっていたのかー」
「テメェらのBONUSは没収だなこりゃ」
予想外の勝率───というのは少し違うか。
乃亜だけの戦略にフォーカスを当てるのなら確かに予想を外れた好成績。だが堀北からクラス全員へと提供(出資スポンサー:佐々木乃亜)された高反発カーボンシューズ、これが地味ながらも効力が有るのか、予想では7割だったものが8割5分にまで勝率を上げている。
綾小路が本気を出していたのも誤算の一つだ。
だがどれもこれもが嬉しい誤算、嬉しい悲鳴というやつか。
他学年のハードル走の最中を利用して、ここまでの堀北クラスのリザルトをノートに書き込みながら、隣で同じように考え事をしている堀北へ話しかける。
「マジのギリギリの相手を当てるしかなかった底辺組の勝率が、予想よりも上がってる」
「貴方ならどうせ際どい相手と組ませると予想していたわ」
「だからこそ走力が数パーセントでも上がるのなら、勝ちの目は底上げされるって?」
「ええ」
偽りの色は無く、当然の如くの表情をさせて堀北は肯定の意を示す。
つまるところ堀北は、乃亜が参加表での駆け引きを行うと踏んだ瞬間から、小細工の焦点を走力上昇の方向性へ定めていたのだ。乃亜だって全くもって思いつかなかった訳じゃない、それくらいは思い至ってすらいただろう、ただポイントがもったいないという理由で…………いや、これは違うか。
「…………我ながら見苦しくて情けねぇな」
「?」
自身の中で勝手に産まれた負け惜しみを悔いるように、顔を手で覆って、すぐさま殊勝な形へ思い直す。
考えはした、有効ではあるという結論も出てはいたのかもしれない。だが実行に移そうとしていない時点で、それを実現させようと動いた堀北と、無意識にでもその手段を避けようとしてた乃亜とでは、天と地ほどの結果の差がある。
事実、勝率は数字で表せるほどに動いている。ここは乃亜が反省しなくてはならない。
言葉の続きを促すように、疑問の色を浮かべた堀北が乃亜の顔を覗き込む。
「いやさ、お前とか綾小路のためとかならドバっと使えるんだけどさ、『その他』の括りにはどうしても勿体ないって発想が湧いちまう」
「親しくもない相手に無償で施すのは忌避感が生まれるという事? ……人なら、当然の感覚じゃないかしら」
「勝ちへ徹底的に拘る言動をしてる俺がそれじゃ説得力が無くなるだろ。……あー、おーけー、反省しなくちゃだな……もっと勝利の嗅覚には貪欲じゃねぇダメだ」
「非人間と思ってはいたけれど、どうやら貴方にも真っ当な人らしい感性が宿っていたのね」
堀北はくすりと、勝ち気の強い笑みを浮かべて、己を顧みている少年へ表情を向ける。
「どこまでも情動的な俺になんてこと言いやがる。どこが無機物だよ」
「機械というより、有機的意味合いでの非人間よ。神話の怪物や悪魔とかが相応しそう」
「人扱いをしておくれ~」
そろそろ泣くが。
さて、閑話休題もそこまで。
目に見える結果として出てくるのが当日だった分、情報の氾濫による混乱を嫌って事前に伝えておくのは避けていた訳だが、こうして乃亜の人心掌握による暗躍が成功しているのなら、懸念するべき問題が生まれてくる。
龍園は、暴力行為に対する躊躇が極めて薄いという事。
それでいて現状の一年生間では、暴力手段は実質的に龍園クラスだけが用いている強力なカードでもある。アイデンティティにも近い強みを使わないような大人しい男なら、乃亜は興味も抱いていないだろう。
「目に見える形で龍園クラスが最下位まっしぐらだ。しかも俺はあいつをこれでもかと煽って貶めてる。この後に予想されるのは───」
「妨害行為。怪我も辞さないやり方が待ち受けても不思議じゃないわ。……だから穏便な手段って言ったわよね私。過激なのは控えなさいって確かに言ったわよね。早速命令違反とはいい度胸をしているわね」
乃亜の耳からは都合の悪い言葉の悉くが弾かれていく。音の揮発性が高い。防音仕様の鼓膜なのかもしれない。
「あー、狙われるのは、まあ中心人物か。俺だったら中核を崩して潰して壊して、全体的な士気を削いで脆弱性を増やさせる」
乃亜は絶対に恨まれている、そういう行動ばかりを意図して取っていたし、100メートル走だけでなくハードル走でもわざわざ隣に並んで土を付けてやっている、直接言葉を交わしていた際の色からしても滅茶苦茶にキレていた。……とは言えども、分かりやすいヘイトタンクだ、警戒されているのが分かり切っている相手だ、素直に手を伸ばすかどうかを簡単に決めつけるのも早計か。
故に、平田や須藤が狙われる理由が増していく。戦力としても大きい2人だ、怪我でもさせて競技を棄権せざるを得ない状況へ追い込めれば、団体や個人だけでなく推薦競技にも影響を及ぼす利益へ繋げられる。推薦で選手を交代させられるのなら、それだけで10万ポイントのダメージと考えると……うわすげぇや、乃亜も実行したい利益に満ちている、お試しでCクラスの山田アルベルトを潰してみようかな。
「男子は佐々木君、次点で平田君か須藤君かしら。女子は恐らく私、とか?」
「お前は確実に候補の一人だろうな」
「……櫛田さんはどうなのかしら」
「アレが狙われるかどうかは正直予想できん」
「人望があって、クラスの柱の一人でもある彼女は、本来なら格好の標的だけれど……貴方がそう言うのなら、やっぱり
「ああ、バーッチリとやらかしたよ。───つーか、やらかして
船上に続いての裏切りと。いやはや、乃亜としては中々に見所のある行動力だった。
特に、未だに諦めていないのがとても良い。ただ失敗しただけじゃなく、利用されてすらいて、その事実をこれでもかと結果で見せつけられても尚、櫛田桔梗の眼からは諦観の色が一切存在していない。メンタルが化け物、そう呼んで差し支えないほどに強い芯がある。
屈服は恐らくは無理だ。乃亜でも坂柳でも、もしも櫛田をどうにかするのなら、退学させる以外の道を選べない。心を絆して懐柔するにしても、あの精神性の頑強さを前にしては徒労の方が勝つ。
承認欲求から端を発するハングリー精神。だが前のめりな精神とは、どうにも視野を狭くする。
利用できる間は使い尽くして、限度が近づいたら堀北に投げて解決させよう。頑張れリーダー、地雷処理も君の仕事の一つだ、その為でもあるのだよ君をリーダーにしたのは。
「ハッ! 忌々しい佐々木乃亜の育てた秘密兵器がお披露目されるってんだ。龍園視点なら、華々しいデビューは穢してみたくなりそうなもんだ。てか俺だったらそうする」
「最近はつくづく安心することが多いのよね」
「何が?」
「貴方が龍園君と同じクラスじゃないこと」
胸をなでおろしながら、堀北は遠い眼をさせて、龍園クラスのテントの方角を向いた。
もしも乃亜がCクラススタートなら、龍園と意気投合して他のクラスをぐしゃぐしゃにすると? さてそれはどうだろうか。案外、龍園の暴君ムーブに苛ついて対立、或いは面白半分で対立して、円環の蛇みたいに互いを食い散らかそうと争いまくりな、内戦だらけのクラスにでもなりそうなものだが。
───ハードル走が終われば、待っているのは棒倒しや玉入れなどの、全クラス総動員の団体戦だ。この隙間が団体戦が始まる前の最後の話し合いにもなる。早いところ要点を整理させて、堀北と共に、坂柳と葛城の元へ向かわなければ。
「そろそろ行くか」
「そうね」
ノートへ書き留めた現在のリザルトを抱えて、堀北クラスのリーダーとその参謀は、ベンチから立ち上がった。
そして──────棒倒しが始まり、一戦目を終えた時。
結果は白組の勝ちだった。二勝を先に取った方が勝利となるこのルールでは、我ら赤組はピンチに追い込まれている訳なのだが。
乃亜からすれば、心底まで、どうでもよかった。
「大丈夫かい……?」
「……」
平田洋介からの声も届かない。
だってもう、結果は見えた。
「佐々木」
「なに」
「……いや、心配なだけだ」
無機物から脱しつつある怪物が、乃亜へ話しかけてくる。
確かに心配の情の色は見えるが、それ以上に、期待と興奮に満ちた色。綾小路の眼が語る、爛々とした興奮の色が語る、失望を捨てた色の中には懐古の恐怖が垣間見える。
そんなにも違うのか。
そんなにも、懐かしいか。
そんなにも、今の乃亜は、未完成であることを捨て去りつつあるのか。
「クソッ、龍園の野郎……!」
「黙ってろ、お座りだ単細胞」
「黙ってられるかよ!」
「そうじゃない、お前に突撃されると都合が悪くなる」
今にも飛び出しかねない須藤健を、冷たい声色で制止させる。
「易い連中だよ。単純に殴る蹴るだけしかできないから、こうやって俺の都合を整えてくれる
真っ赤に染まった視界の中で、ただ、乃亜の思考からは、
熱を発していた額を手の甲で拭い───手を濡らした赤色の意味を理解して、遠目に見える龍園翔の表情を見た瞬間。
悦に浸るその愉快な色を観た瞬間、
「気分はどうだ、佐々木」
「血抜きでスッキリ。
「……そうか」
思考は幾度も加速を続ける。何度も何度も、壁に当たっては他を探す試行錯誤を続けていく。その全ての速度が常人の全てを容易く凌駕していく。
こちらの駒を一つ進めたとして。
あちらの駒が一つ迫るのだろう。
だからその影にこちらの駒を潜ませる。
するとその影へあちらの駒が迫ろうとする。
潜んだ駒をワザと包囲網へと逃す。
見透かしたつもりのあちらは包囲網を崩そうとする。
───位置が大事なのだ、それを理解していた。敵の配置、攻勢角度、数、全てを俯瞰的に冷たく見ていた上で、こうすればいいが何となく分かる。分かっていく。
「綾小路」
「なんだ」
奥底で蠢く己を自覚した時、乃亜は理解した。
頭痛は、これっぽちもしなかった。
無理やりに縛り付けられるような、締め付ける痛みの棘は、どこにも無かった。
「退屈な奴らだと思わない?」
「──────全くだな」
自分は既に、完成している筈なのだと。
その再認識を共有してくれるように、最高傑作の怪物は、小さく笑って乃亜の問いへ応えた。