All or Nothing   作:真の柿の種(偽)

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己のIQを誇示する者こそ敗者である。

 朝の日差しは乃亜を照らさず、曇りの空模様が天を支配している。まるで今日の運勢を暗示しているようだ。

 起き抜けの気怠さと共にエレベーターへと乗り込めば、乃亜を連れて下降していく。

 途中で止まり、扉が開く。知り合いならいいなと内心考えていれば、顔を覗かせたのは、この1ヶ月ですっかり見慣れたポーカーフェイス。この学校にて最初の友達となった綾小路だった。

 

「おはよーさん」

「おはよう」

 

 本日は5月1日、初月。

 即ち生徒の皆さんウキウキポイント支給の日だ。いわば給料日、浮き足立つ登校となるだろう。

 ……Dクラスは別の話ですがね。

 

「佐々木はもう見たか?」

「見た。増えてなかった」

 

 どうせ今頃はとっくに確認して、自らの予想が的中した事実にニヤついているであろう坂柳にも、一応の情報共有として現状を送っておいた。

 すると坂柳から帰ってきたのは、朝の挨拶が一言と、それから一つのスクリーンショット。坂柳の携帯の画面を写したモノらしい。

 

「そうか……俺も増えていなかった。こうなったら個人ではなくクラス単位での評価の可能性が高そうだ」

「まだまだこんなん序の口なんじゃねーの? GODGODGOD(全回転揃い)くらいには熱そうな予感がする」

「と言うと?」

 

 無言で乃亜の端末の画面を見せつける。

 乃亜が見せたのは、坂柳から送られてきたスクリーンショットだ。無許可で女子の証明写真までもを見せつけるこの男だが、幸いにも綾小路は無口な男だ、無闇に他言はしないだろう。されたら乃亜の命がとんでもないことになる。

 坂柳の電子学生証の下には、彼女の保有ポイントが表示されていた。

 

「99000か……元々の保有数は聞けるか?」

「ゼロ。コイツ、昨夜に俺の口座目掛けて全額振り込んできやがったから」

 

『端数が面倒でしたので』のメッセージと共に、いきなりである。ポイントを何と無しに確認している最中に、いきなりポイントを問答無用でぶち込まれたのだ。軽いホラー体験であった。

 文句を送りつけようとしたら、その瞬間に『元々差し上げるつもりでしたから』とかふざけた文面が飛んでくる始末。これにはさしもの乃亜もたいそう怒った。

 別に乃亜はヒモになってギャンブルを謳歌したいわけでは無い。パトロンなど必要無いのだ、いたらいたで楽ではあるが、それはそれ。ギャンブルを用いてヒリつきたい、ただそれだけに限る。……だというのに坂柳は、無償で乃亜へ施しを与えようとしている。それはダメだ、非常に良くない! 俺たちの未来の為にもそれはやめておけ! ……と、ここまでが坂柳との電話で伝えた話。

 坂柳を騙くらかして借りた全部を賭けにぶち込む! この一連の流れが乃亜にとっては快感だ! だからタダで貰うのは嫌なのだ! でも貰えるものは貰っとく乃亜なのだ! 指摘されたら速攻で満額を返して煙に撒くのだ!

 

「……1000ポイントの減算、か」

「やっぱ減点方式かな? ちなみに今見せた奴はAクラスだ。……おっと新情報、Bクラスは73000ポイントって話だとさ」

「それを踏まえると俺たちのクラスは……すでに振り込まれているんだろう」

「1に0を足しても1にしかならない、と。授業態度は最悪中の最悪だったもんな。……波乱のHRが始まりそうな予感」

 

 少し狭い空間で、眠気を覚ますように伸びをすれば、無表情の綾小路が迷惑そうな気配を醸していた。ごめんって。

 恐らくはこのポイントが減っている現象についての説明も、本日のHRになされるのだろう。

 つまりは佐々木乃亜の、ひいては今年入学した一年生達の高校生活はここからが本番だという訳だ。

 

「ハッ! いいね、眠気なんて即座に飛んじまったな」

「……彼女なのか?」

「は? 何の話してんだ」

 

 キョトンとした顔を綾小路へと向ける乃亜。だが綾小路も負けじと惚けた無表情を乃亜へと向けてくる、いや何でだよ、会話の流れをぶった斬ったのは綾小路だろうに。

 

「女子のポイントを見せてくれただろ? 文面だけじゃなくて写真を送れるなんて、ただの友達じゃ難しいと思った」

「あー、坂柳ね、あいつは腐りかけのメロンみたいな性格をした友人だ」

「散々に言うんだな」

「……そうだな、訂正させてくれ」

 

 過ちを認めて間違いを正そう、その精神性はまっこと黄金の如き代物である。綾小路は自分の友人を少し尊敬し始めた。ギャンブル方面を除けばこの男、人間性はそこそこの出来栄えらしい。それとも恋バナという展開に広がっていくのだろうか、綾小路は学生らしいとよく言われるその話題をひそかに期待していた。

 そしてエレベーターを降りながら、優雅に乃亜はこう告げた。

 

「坂柳有栖は腐りかけたメロンみたいな性格の美少女幼馴染だ」

「そこなのか」

 

 少しだけ尊敬できる友人がこう述べるのなら、きっとそれが普通なのだろう。

 雛鳥のように無垢なる綾小路は、こうして着々と間違った普通を蓄積していく。

 


 

「いつも以上に騒がしめだな」

「みんな不安なんだろうな」

 

 得られると安心していたモノが一転して、一向に手元に収まらない。これは確かに不安だろう。軽井沢? という生徒なんかは一番に分かりやすく慌てふためいている。先月に彼女のグループから聞こえていた会話は、どう考えても散財しまくりの放蕩三昧な会話内容だった。他にも狼狽えている面子は、『不真面目』の意味を余すことなく体現したような面子ばかりだ。

 

「何が起こると思う?」

「ハッ! ……この1ヶ月、俺が本当に賭博狂いで遊び呆けてたとでも思ってんのか?」

「ああ」

「……思ってんのかぁ……いちおー、賭けに乗ってきやすい人の学年やらクラスやらを比較してさぁ……ポイント制度の正体も掴みかけてたりしてたんだけどさぁ……」

「ギャンブルが好きだから暴れ回ってるだけかと」

「そっかぁ……そう思ってたんならしかたないかぁ……」

 

 そんな周りとは反対に、中には冷静な様子で机に座っている者もいた。一年生はどのクラスも似たような話題で持ちきりだというのに、こうも堂々と出来るのか。例えば堀北は、相変わらず世界ごと睨みつけるような目をして、周囲を呆れたように観察している。例えば高円寺は、周囲の喧騒を愉しむかのような表情をして、やっぱり机に足を乗っけて座っている。

 乃亜はこの光景に、明確な差が見て取れた───

 

「おっす堀北」

「おはよう堀北」

「……」

「やっぱりお前は落ち着いてる側だよな。そんな気がしたんだ」

「堀北は初日から節約していたからな。無料コーナーにも真っ先に注目していた」

「…………」

「節約好き? って訳じゃなければ、最初からポイントのシステムを疑ってたんだろ。すげえなお前」

「日用品すらも安物で揃えるくらいに慎重だったぞ」

「………………毎朝毎朝、嫌がらせもここまで来ると関心してしまうわ」

「「いえーい」」

 

 観念して乃亜と綾小路へ意識を向けた瞬間、本日の朝の勝者は男子軍(2名のみ)に決まった。勝鬨のハイタッチ、しかし教室中の空気感とはアンマッチ、何とも言い難い視線を一斉に向けられた小僧2匹は、何も言わずに大人しく着席した。

 4月中はずっとこの調子で、堀北へ話しかけ続けては、苦言やら毒言やらを食らっていた。しかし侮ることなかれ。綾小路は基本的にポーカーフェイス故にダメージを喰らっているのかどうかが分からない、つまり喰らってないってことに乃亜が無理矢理している(抗議は受け付けない乃亜である)。そして乃亜は、堀北を優に超える巨悪、腐りかけのスイカみたいな性格の美少女幼馴染と毎日対峙していた経験値がある。

 席が近いという不幸も相まって堀北女史は、学校の空気にも徐々に慣れ出した調子に乗っている小僧2匹からは逃げられないのだ。

 そしてただ話しかけるのにも飽きてきた小僧2匹は、遂には女傑を賭けの対象にし始めた。

 

「ハッ! ちょうど3ターン目に反応したぜ。俺の勝ちー」

「俺のポイントが賭博プリンスの養分に…………堀北」

「勝手に人を賭けの対象にしておいてよく言えたものね」

「……賭博プリンスってなんだ?」

 

 ───実力至上主義を謳うこの学校。だが、きっと、個の力だけでは無力なのだ。少なくともこの学校では、クラス全員での平均的な、或いは局所的な実力を求められている。

 Aクラスに支給されたのは99000ポイント、そして一之瀬から届いた情報ではBクラスに73000ポイント、そして我がDクラスは0ときた。Cクラスの情報は欠けているが、この分ならAからDへと順番に下っていくような結果を乃亜は予想している。

 4月中に賭けで上級生に喧嘩を売りまくった際の統計を、乃亜は記憶の棚から引き出した。

 乃亜の勝負に乗ってきやすいのはDクラスが多く、逆にAクラスへ近づくほどに少なくなる傾向があった。加えて勝負中の必死さも、DからAへ近づく程に余裕をもって勝負に臨む傾向も見えていた。

 ギャンブルとは───悲しいことに、富裕層は熱中しない。逆に不思議な話だが、資金が裕福ではない者ほどにのめり込むという統計も出ている。つまり、勝負を受けやすいか否かは、資金力、余裕があるかどうかで大きく変わる。

 

「……落ちこぼれの0点スタートは免れなさそうだ」

「たぶんそうだろう。結局は答え合わせを待つしかない訳だが」

「? ……落ちこぼれ? 0点? 答え合わせ?」

「集めた情報の6割は見た聞いたじゃなくて、顔色伺っての推測だ。信憑性としてはちと怪しいからな」

「佐々木の洞察力には目を見張るものがあるんだ。きっと推測通りの結果になる」

「情報……推測……洞察力……?」

「とはいえ幸先の悪さとしては絶望感がある。せめてマイナス域が存在しないのを願うばかりだ……マイナス切ってたら流石に責任を感じる佐々木乃亜だぜ」

「佐々木が注意喚起しても焼石に水だっただろうな。真面目にやって損をするよりも今の方がマシだと思うぞ。いっそ好き勝手にやれる自由な一ヶ月だったってことにしよう」

「…………貴方達の会話内容に対して強烈な興味があるわ。是非聞かせてもらいたいのだけれど?」

「「あ」」

「そう、ならお昼休みにまた説明をお願いね」

 

 了承は誰もしていない。なんか堀北が勝手に尋ねて勝手に約束を取り付けている。おかしいな、人と人との予定ってのは、相互の会話が成り立たなくては取り付けられないのでは無いのか? 乃亜と綾小路は不思議そうに顔を見合わせるのだった。

 ともあれだ。Aは最優秀。Bは優秀だが何かしらの穴がある? Cは謎めいているが、まあDよりはマシだろうと勝手に乃亜は思っている。そしてDはクラス崩壊レベル。……こんなところだろうか。

 乃亜の知り得ていた情報が、AクラスとBクラスの中心人物へと渡った影響があるかどうかは不明。しかしあの2人なら有効的に使うだろうという確信はあった。優等生判定を受けるのも納得な『実力者』の気配と言えばいいのか。片や純粋なる巨悪の坂柳、片や純正の善性の一之瀬、何だか拝火信仰が思わず浮かぶ対比である。

 朧げでも見えてくるこの学校像は、クラス間に明らかな格差を作ろうとしている。競争意識を育てるのなら確かに差別は楽な手ではあるが、楽であると同時に底からスタートした者は這い上がる気力を失いがちになってしまう。

 さて、Dクラスは這い上がるだけの気概があるのか、そも這い上がれるだけの余地をこの学校はまだ許してくれるのか。

 きっと、たった今教室へと入ってきた担任殿が教えてくれるのだろう。

 


 

 遅刻欠席、98。授業中の私語、携帯を弄った回数、391。

 我らが誇らしきDクラスの叩き出したスコアである。天晴れな新記録が出てそうな気がする、外は全然曇天だけど。いやヤバすぎだろ。

 

「(屑呼ばわりもしゃーなしだろうな。さしもの乃亜サマでも数字で聞かされればドン引きよ)」

 

 小学生ですらまだもう少し利口かもしれない。……つまるところアレか、小学生にも出来るようなことが出来ていないから、0点評価であるという事か。

 Sシステム───結果が評価に繋がるという分かりやすい形は、中々どうして面白そうではある。でもこんな仕組みを作った奴は、絶対に優生思想に取り憑かれてるガリ勉バカなんだろうなとも思う乃亜である。もしくは重度の学歴中毒者。

 

「お前達Dクラスは、見事にお前達が最悪の不良品である事を証明した」

 

 乃亜とて期待はしていたが、まあその答えも概ね予想通りだった。懇切丁寧な学校ではないというのは既に空気感として把握している。『情報収集能力も実力の内、備えられていないのは、備えていない貴様等が悪い』とか本気で教師陣は考えていそうだ。

 とはいえ、情報を探るための土台は常に用意されていると見た。例えば無料品コーナーもその一つだ。あとは至極分かりやすい例なら、先輩の存在、その立ち振る舞いと所属クラス、或いはシンプルに仲良くなって聞き出すなど。

 能動的に、尚且つ的確に、それでいて限られた期間の内から適切な情報を取捨選択して正確な行動を。

 頭を回し、心理を量り、即断即決で立ち回り、結果を待つ───つまるところポーカーだ。

 単に規模の大きいギャンブルであるのなら、乃亜の臨むところ。

 

「(てかそういった能力を育むためなんだろうなぁ……ハッ! ワクワクしてくるねっ!)」

 

 乃亜達の端末で確認できるのは『プライベートポイント』、この世界ではその呼称で通っているらしい。個人個人が持ち、使用するためのモノ。月初に全生徒へと配られる支給金。そして『ポイント=貨幣』という認識は先月に受けた説明のままだ。ここには大きな発見は無かった。

 ただし、プライベートポイントの支給額は、もう一つのポイントの存在に大きく依存している。

 そして、聞いた瞬間にこれが肝であると誰もが確信した。

 

『クラスポイント』

 

 月初に支給されるプライベートポイントは、このクラスポイントの数で決まるらしい。クラス毎のポイントが書き込まれたホワイトボードを見て、乃亜は推測の殆どが的中していたのを認識した。

 

 Aクラス 990 cp

 Bクラス 730 cp

 Cクラス 490 cp

 Dクラス──────驚異の0cp

 

「(初給が10万で、今日のAクラスには99000支給、なら初期値は1000で1クラスポイント=100プライベートポイント。……他が400切ってないあたり、1000を0にした俺らのインパクトがスゲェや)」

 

 乃亜の計算が正しいのなら、我らがDクラスは一日あたりで約33クラスポイントを削られていた訳だ。一日を終えるごとに約3300ポイント分の減給が発生していたと考えると、そのエグさがよく分かる。なんなら土日には審査が甘くなっている可能性や、入学式の日などの日程上のズレなどを鑑みれば、一日で削られたクラスポイントはもっとえげつない数字の予感がする。

 次に目を引くのはAクラスだ。だってほぼ無傷も同然だもの。優等生ほどにAクラスへ配属されやすいという推測も乃亜の中にはあったが、それにしたって凄まじいインパクトを誇っている。Aにだって騒がしそうな連中は居たような気がしたが。それから監査してる人、最大の悪性を見逃してますよ、人の弱みを握って振り回して召使いを作り出す女がいるはずですよ。

 クラス間での競争を強いる姿勢であろうことはもう理解した。各陣営の差を数字という冷たい端的な形で見せつけて、負け犬感情を煽ったり、上層意識を高めさせたりで切磋琢磨。

 ……もしかして、乃亜はやらかしたのではなかろうか。坂柳と一之瀬へ乃亜の集めた情報を送ったのは、敵に塩を送った的な話になってこないだろうか。しかも現状では、味方に対して何一つも利を齎していない。戦犯かな? 露呈すればクラスメイト達は集団ヒステリーに襲われて、セイラム裁判の悲劇が幕を開ける事になるだろう。絶対に黙っていようと思った。

 

「……しかし、逆に感心もした」

 

「え? アザッス」とか反射で本気で口から出かける。仕方ない。パチ友との会話場所は常に店内だ、騒音だらけの場所でまともに会話などできる訳がない。断言してもいい、あの空間で楽しそうに喋ってる連中は、絶対に会話内容を理解せずに何となくで頷いてる。

 そんな乃亜のふざけた心境を見透かしたように、茶柱先生がジロリと睨みながら、その上で心底からバカにしたような声を向けてくる。

 乃亜は、教師に見つめられると悪いことをした気分で一杯になる病の持ち主なのだ。こんなにも清廉潔白にして悪欲とは無縁の象徴も同然だというのに、乃亜ってば難儀な人生を送っていますこと。

 

「一ヶ月で全てのポイントを吐き出したのは歴代のDクラスでも初めてだ」

 

 入学してたった一か月の期間でオンリーワンの称号をゲットした、実はDクラス、結構伸び代があるのか? 大物達の集まる最悪の世代なのか?

 

「先生」

 

 乃亜が半分冗談ながらに感心していると、平田が居ても立っても居られないといった様子で立ち上がる。

 平田洋介、彼は絵に描いたような優等生だったと乃亜は記憶している。

 顔良し、しかも尖ったイケメンではなく柔らかいタイプ。成績良し、こないだの小テストでもまずまずの成果だったとか、あのテスト自体がかなり遊びに寄ってはいたが。性格良し、男女共に好かれるタイプだ、さぞモテるだろう、乃亜とて善性も持ち合わせていそうな彼は嫌いじゃない、むしろかなり好印象を抱いている。ついでにサッカー部だと聞いた、無敵か?

 棘の無い綺麗なイケメン君って感じだ、けれど敢えて指摘するならば、事なかれ主義の気質は大いに感じられた。平和を主とする在り方は、普通の学校ならプラスにしかならないだろう。

 だが、普通ではないという認識が既知となった今ではどうか。

 

「せめて……ポイント増減の詳細な理由を教えてください」

「実社会と同じだ」

「(エッグ。バッサリすぎんだろ)」

 

 それを言われちゃどうしようもない、平田は力なく着席した。

『こうすればいい』を簡単に教えてしまえば、不確定に対する対応力を見る事ができなくなる。生徒がどう動くのかを見たがる学校側としては、当然といえば当然か。……減点の基準すらも探れって話ならば、乃亜のテンションがますます上がってくるのですが。

 しかし、「分からなければ聞け」を実践した平田を乃亜は讃えたい。

 生徒が質問をすることの出来る流れというものが生まれた。今なら、悪目立ちする事なく、それでいてクラス全体へ向けたメッセージも伝えられる。

 なので、乃亜も質問をするべく挙手と同時に問いかけた。

 

「クラスポイントが増える機会はあるんですよね?」

「ああ、もちろんだ。結果としてCクラス以上のポイントを得れば、お前達は昇格し、CクラスはDに昇格する」

「次の中間テストとか?」

「そうだな、成績次第では100のクラスポイントが加算される」

 

 最初期の1000と比べれば一割だ。嘆く声が聞こえはするが……乃亜としては是が非でも獲得をしたいところ。

 ───賭けの土台に上がれるのは、いつだって種となるチップを持っている者だけ。それで言うならば、今のDクラスでは、そも勝負するための権利すら持ち合わせていない。

 勝者などあり得ない、敗者ですらもない、何者でもない、それが今のDクラスだ。

 

「授業中や生活態度を除けば、クラスポイントは増えるだけですか?」

「結果次第では減る事もあるだろう」

「じゃあクラス間で奪い合う形での試験とかもあるんですか?」

「……どうした佐々木。まさかお前がプライベートポイントに苦心する訳がないだろう? 最近になって羽振りが良くなっているという噂もあるほどだからな」

 

 コイツヤバすぎだろ。プライベートって個人って意味だぞ? プライベートポイントはプライベートな部分なので指摘してくるとは思わないじゃないですか。……ほら言わんこっちゃない、金欠男子どもがこっちを見ている! 池とか山内とかのチャランポランどもがよ! 乃亜が真面目に賭け麻雀や賭けポーカーとかで貯めてきたポイントを狙ってる目つきしてやがるのですが!?

 意訳すると「テメー最近暴れてんなぁ? 調子良さそうだよなぁ? ところでこの学校は賭博禁止なんだけどなぁ? ───ちょっとジャンプしてみろよ」ってことだろう。そんなに乃亜の質問はウザったいかしら。それともアレか、法の穴を調べる為に2時間ほど質問攻めにした過去が効いてるのか。

 飛び跳ねれば20ポイント分のコインやら4ポイント分の銀球やらが溢れてしまいそうなガバガバポケットですので、釘を刺された乃亜は大人しく着席するぜ。大人の交渉力ってすごいのね。

 

「いや、俺、金欠、っすけど」

「そうか、ならそれでいい。他に質問はあるか?」

「いえ、大丈夫です」

 

 それでいいって何さ! コイツ絶対に意図的に乃亜の質問タイムを封殺しやがったのだ! 金欠で騒いでる輩どもに格好の餌を与えやがって!

 すまし顔で着席した乃亜は、机の中にぶち込んであった携帯を爆速で操作する。

 淀み無い速度で、無駄のない手つきで、迅速な判断力だった。まずワン切りの電話を3回だ、携帯のバイブレーションにより意識を向けさせる。その後に『緊急避難だ受け取れ』というメッセージを送信。これで意図は概ね伝わるだろう。坂柳の頭脳はこういう時にだけ便利である。

 今度は口座内のポイント全てを選択した。そして、乃亜の全財産を、迷うことなくこの学校内で一番に信用できる性悪女へと送りつける。

 

「(これでよし。ポイントを集られても0の数字見せときゃ引いてくれるだろ)」

 

 内心の冷や汗を撫で下ろしながら、ボケっと茶柱先生の話を聞いていると、メッセージが2件届いた。

 片方は坂柳だった。はて、2件とも坂柳だとばかり思っていた。ではもう片方は?

 気にはなりつつも、まずは坂柳の方を確認してみた。……なになに? 『振り込まれてませんが、大丈夫でしょうか?』だってさ。……? …………。

 

「ッッッ!!!??」

「……どうした佐々木」

 

 後ろの席からマイフレンド綾小路が、静かに話しかけてくる。そんなに様子がおかしかったか。そりゃそうだ。乃亜の予想が正しければ、きっと、たぶん、乃亜はやらかしている。

 願わくば綾小路へ送っている事を願ったが、だったらそもそも話かけてはこない。彼なら諸々の事情を察して、黙って預かってくれるだろう。

 では誰に送ったのか? 答えはきっと、もう一通のメッセージの主だ。

 せめてこのクラスでありますようにと願い続けていた。櫛田か平田でありますようにと、賭け事以外で初めて神に祈った。軽井沢や山内だったら……死力を尽くしたコイントスのお時間が来るだけだが。

 恐る恐るメッセージを確認した。

 

『どうしたの? すごいポイントが振り込まれてるよ!?』

「こひゅっっ」

 

 呼吸が絡まった。

 ───今の時間は、他のクラスでも同様の説明が為されていることだろう。クラス間の対立は必至であると、頭のキレる連中ならすぐに気がつくだろう。

 そして、そんな最中に、この学校に於ける明確な力───大量のプライベートポイントが振り込まれたよ。しかも敵からの贈り物だよ。そりゃ困惑するよ。

 乃亜なら、抱え込んで賭博の元金にする。綾小路や坂柳なら、抱え込んで悪質に使う。池や山内なら、遊び呆けて使い潰す。他のクラスから送られてきたなら尚更のこと。敵対クラスに賄賂を配りまくって力を削ぐとかにも使える、誰だってそうする、乃亜だってそうする。

 

「大丈夫か?」

「おわったかもしれん」

「本当に大丈夫か……?」

 

 今、乃亜は、大きな人質(自分から送りつけている)を取られたも同然なのだった。

 

「すまんあやのこうじ、あとで、せんせいがいってたないよう、おしえて」

「…………お、おう」

 

 白く脱色されているような気持ち。魂が抜けるってこういう事だったのね。

 


 

 HRが終わり次第、速攻で席を立った乃亜。ポイントを無心しようとしてきた無礼者共を潜り抜けて、彼が向かうはただ一つ───ただ1人がいる場所であった。

 Bクラス……この場所に、彼女はいる!

 

「一之瀬ぇぇぇぇぇええ!!!!」

 

 Sシステムの説明を受けて浮き足立っているのはどこも同じ。Bクラスもその例外ではなかったようだが、そんな空気を一気に締め上げたのは、Dクラスの佐々木乃亜だった。

 凄まじき叫び。声量ではない。熱だ、これは熱なのだ。乃亜の叫びには、いつだってギャンブラー特有の熱が込められている。だからこのフロア全体へと乃亜の声が届くのも道理なのだ。

 名を呼ばれた張本人は、苦笑いでコチラに近づいてきてくれている。話が早いのは助かります。

 互いの姿を認識した瞬間、乃亜は迷わなかった。

 土下座──────まさか、こんなにも早く、乃亜のワイルドカードを切らされるとは。

 高育、恐ろしいところ。

 

「ちょっとだけっっっっ! いいかな……っっっっ!!??」

「ええっ!? とりあえず頭を上げて! ……まあ、うん……そうだよね、ここじゃちょっと話しづらいよね……」

 

 激烈な勢いで下手に出まくる乃亜に、一之瀬は圧倒されている。

 これで立場はイーブンだ、そう信じたい、平等な交渉を繰り広げられるだけの勢いはあると思う。でも彼女は彼女で優秀なので勢いだけでは通じないかもしれない、だとしたら乃亜はもうおしまいかもしれない。

 

「よし行くぞついてこい一之瀬ちゃん!!」

「!? あっ、あの、佐々木君! て、手が!!」

 

 そんなこんなで一之瀬の手を引いて、人の気配が少ない場所へ移動する乃亜。言い訳はしない、これは立派で真面目な誘拐だ、誘拐犯が手を離す訳があるまい。交渉可能な場へと実力行使で引き摺り込むのだ。万一にも逃げる可能性があるのなら、ちょっとの羞恥心なぞ知ったことではない。

 クラス間の対立が露わになった直後に逢引きである。廊下の視線は笑えるほど2人占めだったが、背に腹はかえられぬのであった。あとBクラスからは嫉妬の熱視線を感じたのですが、送り主は女子なのですが、これって一之瀬狙いのキマシタワーってやつですか?

 一之瀬はかなり愛されているようだ。そんなBクラスのアイドルを無理やり引き摺り回している乃亜は、かなり敵対視されそうな予感。今後の情勢に関わってこないかしら? 乃亜はめちゃビビってた。

 

「(っ……? 何か……Aクラス、空気が一気に澱んでる?)」

 

 扉が開いていたからか、一瞬だけ坂柳と目があった気がする。視界を外れてから、なんかAの教室の重力がドシリと増した気もする。

 気のせいか? ───まあ気のせいか!

 


 

「何があったんだ?」

「誤送金」

「……取り戻せたようだな」

「分かるんだ」

「友達だからな」

 

 どや顔が面白かわいい綾小路くんである。

 一之瀬との()()な話を済ませた後、乃亜はプールサイドにて綾小路と仲良く座って喋くる。

 授業中に生まれた自由時間を利用して、乃亜が碌に聞いていなかった話の続きを教えてもらっていた。

 

「就職先の保証はクラスを上げなきゃ貰えない……クラスポイントが想像以上に重要だな」

「ああ。……佐々木には、今のDクラスがどう見える」

「諦めの色と逃避の色、根拠ナシの楽観視もちらほらと」

「今のままじゃC以上に上がるのは夢のまた夢か」

 

 なんとなしの会話だった。普段からぬぼーっとしている綾小路も、先の一件でいらぬ疲労を得た乃亜も、会話を弾ませる気がお互いにはないのだろう。

 そんな空気の抜けた炭酸のような2人を見かねてか、凛とした声が横からかけられた。

 

「貴方たちも混ざらないの? いえごめんなさい、友達がいないのだったわね」

「失礼だな堀北。ここにいる佐々木乃亜クンが目に入らないのか」

「俺たちゃ友達100人よりも唯一無二が1人で十分な超熱血派だもんなー」

 

 楽しくプールで遊ぶ高校生達。楽しそうだ、楽しそうではあるのだが、やはり心の底から楽しみ切ろうという者は1人もいなかった。

 しかし堀北の見解は、乃亜のそれと違うらしい。蔑むような声色で、体育座りでクラスメイトを観察している乃亜達に話しかけてくる。……彼女から話しかけてくるとは、すまし顔ではいるが、それだけ堀北も今朝のHRに衝撃を受けたということだろう。

 

「能転気なものね。あれだけのことがあったというのに」

「人は弱いからなー。逃げ道があればすぐにでも駆け込みたくなる生き物だ」

「自分は他とは違うとでも言いたそうね」

「ハッ! そんな訳あるかぁ! 俺はか弱い側の人間ですよー」

「か弱い……佐々木が? ……お前の冗談は分かりづらい時があるな」

 

 過剰な評価をくれた綾小路。それに対してのリアクションを乃亜は返さない。

 

「中間と期末で赤点を取れば即退学、ね。この学校らしいっちゃらしいな」

「怪しいのが数人いる。このまま座していれば脱落者が出るだろう」

「あの程度の小テストで苦戦しているようなら当然でしょうね」

「でも上に上がりたいってのならやるしかねーもんな。授業中や日々の生活態度を改める、これは前提だな。んでもってどうにかこうにか学力を上げて、赤点回避以上の結果を出してもらう、と」

「出来ると思う?」

 

 手厳しいコメントである。実際、4月に受けた小テストは、内容は殆どが初期も初期。頑張れば中学生でも解けるような問題ばかりだった。……最後の問は笑えるくらいの難易度で、絶対に出題者が趣味に走ったと確信できるようなお遊びだった。

 坂柳レベルの満点を出さずとも、普通の高校生であれば高得点程度なら余裕だろう。だが───ここDクラスには、例外が存在する。

 目下の問題点、あるいは壁は、直近の中間テストとなるのだろうか。

 

「ところで……貴方達、何か運動をしていたの?」

「へぇ? よく分かったな。堀北も体育会系だったりすんのか」

「ええ、色々と嗜んではいるけれど……綾小路君はどうなの?」

「俺は特に何も」

 

 流石に無理があるだろうとは思う。特別な出身の綾小路は、無駄が出ないような実践的な鍛え方をされているのだろうが、堀北のような武術経験者、それもそこそこ出来る人間からすれば、筋肉の発達くらいの違和感は見て取れるだろうに。

 誤魔化し下手な友人への助け舟として、乃亜は自分の夢をちょろっと語ることにした。

 

「俺は将来的にジョッキーになるかもしれないからな! 夢を巻き上げられる側から、夢を巻き上げる側に回るのも面白そうだと思ったのだ! 後はボートレーサーもだな! それからプロサイクリスト! どれも体が資本だからな、鍛えとかなきゃ話にならん!」

「ものの見事に公営ギャンブルと関わりがある職業ばかりだな」

「足腰がガッシリしているとは思っていたけれど……予想以上にくだらない理由だったわね」

 

 ため息を吐き捨てて乃亜を呆れた様子で一瞥する堀北。あまりにも覚えがありすぎる一連の動作に、乃亜は思わず苦笑を隠せない。頭が良いと仕草も似てくるのかしら。

 堀北が近づいてきたからか、櫛田が乃亜達の方へと向かって手を振ってくる。こちらに来る気満々だ。

 どうせ堀北は逃げるのだろうなと思いながら、櫛田の様子を観察してみる。

 

「よかったら一緒に泳がない?」

「遠慮しとくわ」

 

 予想通りだ。

 返答に対して、尖りのような苛立ちが生まれたと乃亜には分かる。

 

「堀北さん、泳ぐの苦手?」

「得意でも不得意でもないわね」

 

 うーむ端的な返事。喋りかけるなオーラがすごい。

 その後一言二言の単語を交わした後、堀北はスタスタとこの場を立ち去ってしまった。

 

「取りつく島もないな」

「もっと仲良くしたいんだけどな……」

「ふーん───……まあ、今はいいか」

 

 乃亜の呟きに気が付いたのは綾小路だけだったが、彼は言及することも無く、立ち去っていく堀北をボケっと見ていた。

 すると、平田がクラスメイトを集めて何かを喋っていた。リーダ気質か? 誰も纏めようとする人間がいない以上、確かに彼が主体となっていた方が今後は楽だろう。

 とはいえ、乃亜の思惑はもう少し先を見据えている。

 一時的な旗頭としては確かに平田はアリだ。だが、こう言っては何だがインパクトが足りない。

 Aクラスは、葛城という男子が率いる派閥と、坂柳の率いる派閥が協力体制を築き上げているらしい。あの腐った葡萄のような性格をした美少女幼馴染が、他者と協力しようなどとお笑い種だぜと、そう思っていた乃亜もいました。「お前が協調性身に着けたら無敵じゃん……」とぼやいたら無言でにんまりとしていたのは、ちょっとかわいかった、ちょっとだけね。

 Bクラスはアイドルがいるので、それによる圧倒的カリスマ統治によって成り立っている。

 Cクラスは……やはり知らん。

 そして少なくともAとBに対抗するには、平田では多少劣る面はある。一言で言うなら主人公補正みたいなオーラが足りない。

 乃亜がDクラスからリーダーを選ぶのなら、誰にしようか。

 

「前途多難もそれはそれで退屈しないだろうよ。つーか燃えてくるね」

「佐々木はいつでも楽しそうだな」

「上に進む楽しみってのは、いつだって地べたから立ち上がろうとする挑戦者にだけ許された特権なんだぜ」

「なるほど」

 

 感心したように頷く綾小路。コクコクと素直な様子が面白い男である。

 

「あの、佐々木君に聞きたいことがあったんだけど……聞いても良いかな?」

「答えられることなら」

「もしかして一之瀬さんと付き合ってたりする? HRの後に佐々木君が一之瀬さんを連れ出したって話を聞いてて……」

「───ぜんっぜん付き合ってない。けど大事な話はした。内容は言えんし言いたくない、そういう契約でな」

「そっか……それからもう一つ聞いてもいいかな?」

 

 そう言いつつ、胸元を腕で寄せながら顔を乃亜へと近づけてくる。分かりやすいくらいのハニトラだ。それにしたって探りすぎではないかなこの少女。

 大方、クラスで2番に堀北に近い位置にいる男子だからって事なのだろう。ポーカーフェイスの腕前は中々なものだが、残念な事に表情をひた隠しにしても乃亜には丸っとお見通し。感情を何となくで感じ取っているのだ、計算された顔を取り繕ったとしても、なんとなくで裏側までもが見通せる乃亜の敵ではない。

 だから櫛田が、堀北を心底から嫌って恐れているのも知っている。綾小路に絡んでいるのは、堀北と近しいからが理由だろう、詳細な中身についても大まかな推測はつく。乃亜に対しても似たようなものだろう。

 

「先生が言ってたよね、佐々木君はプライベートポイントに困ってないって。……あれってどういう意味なのかなーって」

「……いや、俺は全然金欠だけどね。こないだなんて性格の悪い女からカツアゲ(借金返済)にあったし。多分めんどくさい質問で話が進まなくなるから、俺を適当に言いくるめたかったんじゃないの?」

「本当に? ……もしもポイントを稼ぐ方法があったら教えて欲しいんだ。みんなに共有すればポイントに困ることも無くなると思うの!」

 

 別に言い切っても構わない、「賭博」と。

 だが正直、彼女に乃亜の一応の秘密を握られるのは、ちょっと怖い。茶柱先生のあの反応からして、乃亜の行いは公然の秘密ということだろう。当たり前だ、だって乃亜はルールに抵触しないような3点方式の契約でポイントを稼いでいる。だがグレーだ、手段としての色彩は黒ではないが、真っ白とは絶対に言い切れない。

 乃亜の口から直接「違法、やってます」と言い切るには、少し臆病になってしまうような危うさが、櫛田にはある気がした。

 

「……分かった、白状する」

「! ありがとう佐々木君! それでどんな「カモを見つけたんだ」……カモ?」

「ああ、ポイントを無償で貸してくれた女の子と知り合ってる」

「それって……あ、あー……えっと……」

「誰にでも取れる手段じゃないと思う」

 

 カモは先輩方、ポイントを貸してくれた女の子は坂柳、乃亜の稼ぐ手段は賭博一択。

 嘘はなかった。本当に嘘は一つも言ってない。文脈が繋がっているようには見えるのかもしれないが、別に乃亜は前後の話が繋がっているなんて一言も言っていない。

 見事だろうと隣の友人へ密やかなドヤ顔をすれば、別に何も思うところはないらしい無表情のままだった。この冷たい男の子はあとでプールに突き落としてやろうと思う。温水だもの、ちょうどいいよね。

 微妙な空気となった3人は、平田に突っかかっている須藤を眺めながら、不安の募るこれからに肩を落としたり落とさなかったりするのだった。

 


 

「2人とも……お昼、暇?」

「ん?」

「俺は野暮用」

 

 決して小さくはない決意と、義務感にも似た色を伺わせる表情をした堀北が、乃亜と綾小路に声を掛けた。

 姫君(笑)からのお呼び出しである。教室に来いとか抜かしてる。いやほんとに笑える、敵の陣中へノコノコ来やがれって事か。今日1日で各クラス同士での空気感がガラリと変わったと知っての所業か、知っててやってんだろうな、本当に坂柳ってばどこまでいっても坂柳すぎる。

 

「何か話があるなら、綾小路に伝えとい……いや待て、堀北、連絡先くれ」

「……そうしましょうか。内容は後で伝えるから」

「ういうい」

 

 こうして乃亜は女子の連絡先をゲットした。綾小路が羨ましそうにこちらを見ている。だが安心して欲しい、きっと君もこの後に連絡先ゲットのチャンスが訪れる。

 おそらく、堀北は赤点予備軍の救済について話すのだと思われる。大方乃亜と綾小路は、その為の雑用兼小間使いであると予想する。乃亜としては断る理由が無いため、対価が無くとも受ける気しかない。綾小路は……何か騙されて手下にされてそう。

 そんな2人を置き去りにした乃亜は、Aクラスの教室へと歩いていく。

 歩いている最中にちょこちょこ突き刺さる視線達は、一之瀬を誘拐した際にその現場を目撃していたと思われる者たちだろう。……今度から携帯を操作する際は、しっかりと目で見ての確認を怠らないようにしなくては。

 そしてAクラスの教室に着いた乃亜は、臆することも無く扉を開けたのだ。

 


 

 教室へ顔を覗かせて早々に捕まりました。

 名前は確か……なんだっけ。

 

「佐々木……お前また来たのか」

「よっす。えっと、小塚クン?」

「戸塚だ。……ハンっ、落ちこぼれのDなだけはあるな。人の名前も満足に覚えられないような記憶力で、よくこの学校に入れたもんだ」

「うわスッゲェ差別意識ぃ、たまんねぇなこのアウェー感」

 

 数字であんなにも差がついてたら、Dクラスってだけで虫にでも見えてくるだろう。その心理を乃亜は否定しない。

 それにしたっておかしいな、昨日以前までは、まだもっと対応が柔らかかったと思うのだが、たった一日でこの変わり様。今後はこのクラスへ気軽に出入りはできなさそうだ。

 ……ところで、絶賛絡まれている乃亜を眺めて、クスクスと笑っている輩がすぐそこの席にいる気がする。

 

「ハッ! 終わってんな相変わらずよ」

「は? おいどこ見てるんだよ。いや、お前みたいな屑が入って良い場所じゃないんだよ。とっとと消えろ」

「やいやいそこの腹黒女、俺の存在を無視してんじゃねぇ」

「お前が俺を無視してんじゃねぇ!」

 

 乃亜はビックリ驚いた。戸塚クン、キミまだいたのかいと。もういいのである。早く学食にでも向かいなさい。

 

「……あら、これは失礼しました戸塚君。彼は私がお呼びしたんですよ」

「ってことだ。顔つなぎごサンキュー戸塚クン」

「チッ……」

 

 綺麗な舌打ちを残して下がる戸塚。だが警戒を外す気はないらしい。遠巻きに乃亜の動向を監視している。

 ……乃亜に警戒を抱いているのは、どうやら戸塚だけには留まらないようだ。それも当然か。坂柳有栖という存在は、Aクラスの優秀性を代表するこれ以上ない女の子だ。それがDクラスの落ちこぼれと一緒に……それってどんな少女漫画でしょうか。

 

「どこもかしこもピリついてる時期に呼び出しやがって。張り詰めた風船に柑橘汁でもぶちまけたいのか? ったくよ……」

「そういうスリルがお好きでしょう?」

「お前は最高の女だと常々思ってたよ」

 

 絡まれはしたがともあれ、乃亜は用事を済ませに来たのだ。簡単なものならすんなりと終わらせて、綾小路と堀北元へ合流したい。

 すると坂柳が、携帯を徐に操作し始める。

 乃亜の携帯に反応があったため確認してみれば、坂柳から3000ポイントが振り込まれていた。先ほどまでの乃亜の残高は坂柳へ全てを預けていたので、現残高は3000ピッタリである。

 乃亜が坂柳の顔を見ると、小さく微笑んだ。これでおおよその意図が通じるのは、付き合いが長いが故の利便性と言える。「食堂で昼餉とする」と言いたいのだろう、そんな情の色を感じた。

 携帯をしまった坂柳は、杖を手にして椅子から立ちあがろうとした。

 

「ん」

「ありがとうございます」

「今日は何を食べる気分?」

「着くまでには決めようかと思っています」

 

 学食のメニューを誦じながら、乃亜の食欲が脳内で活発に動き始めている。

 いつものように右手を差し出せば、坂柳の小さな左手が、乃亜の手の中に収まった。

 当然と言わんばかりに淀みない動き。互いに互いがどう動くのかを理解して、寸分の狂いもなく動作は一致する。そんな光景に感嘆の息がどこかからか漏れている気がした。

 

「ああそうでした───先日の小テストの結果は出ましたか?」

「出たよ」

「点数を聞いても?」

「97」

 

 警戒していた視線の色が、一気に驚愕へと塗り替えられていた。そして乃亜はただただ、何を驚かれているのかに内心では怯えていた。……要らない警戒を買ってしまった気がする! またDクラスの不利になるような事をやらかした気がする!

 乃亜の手と杖へ体重を預け切った坂柳。互いの存在を確かめるように、互いの指が絡まっていく。交錯する指の数が増えるごとに、坂柳の笑みは少しづつ柔らかくなっていった。

 色々と雰囲気が乖離してる状況を、坂柳はやはり小さく笑って愉しむだけだ。

 ゆっくりと、ゆったりと、2人並んで教室を後にする。

 

「最後の問題は明らか趣味だろ。高校一年であんなん解けるわけねぇ」

「ふふ……ですが惜しいところまではいったのでしょう? でなければ90点で止まるでしょうから」

「イヤミったらしいやつ。満点のやつに言われても嬉しくないね」

「まだ私の点数をお伝えした覚えはありませんが……」

「ハッ! 俺で惜しかったんならお前は間違いなく満点解答に決まってら」

「ふふふっ……ありがとうございます、よく理解してくれていますね」

「褒めてない」

 

 廊下を並んで歩く様子がそんなにも珍しいのか、注目の数が尋常ではなかった。さしもの度胸があると多方面から言われる乃亜でも、これは流石に───問題なかったです。

 もとより坂柳の容姿は注目を常に集める。そしてそんな小さなお姫様に寄り添う男の立ち位置に居続けてしまっている乃亜も、どうしても注目されることが多い。

 だから乃亜は慣れた。慣れるまでは顔真っ赤だった頃もあった。でも頑張って慣れたのだ。羞恥心が理由で怪我でもさせれば、たぶん、乃亜は坂柳の両親にギタギタにされる。ただでさえ良くない疑惑を受け続けているのだから。

 

「で? これは何のアピールなの」

「犬のお散歩を見せつけている……でしょうか」

「背丈のサイズ的には、俺がチワワを散歩させてる感じぃひぃぃいったぁい!!」

「えいっ、えいっ、怒りました」

 

 白杖が右足の小指を的確に貫く。

 小さい(意訳)と失言したのが気に食わなかったらしい。こういう怒り方は昔から愛らしい、そして年月経ってもそのままな怒り方をするので結構好きな乃亜である。でも痛いのは嫌だった。

 

「いっ、痛い、いたっ……ごめんて」

「えいっ、えいっ、えいっ、えいっ、えいっ、ちゃんと潰れましたか?」

「可愛いって意味合いだったのにっ」

 

 執拗に狙いすぎて怖い。乃亜の小指の骨格を徐々に歪ませていっている自覚は無いのか、いやむしろ自覚したままな可能性も否定し難い。

 

「───ところで一之瀬さんとは何が?」

「耳が早いなお前は……ポイントの誤送金、それだけだ。坂柳なら察してるだろ」

「ふふっ、それにしては仲良く手を繋いで情熱的な逢引きを「黙れ」っ……ごめんなさい……何か、ありましたか?」

 

 不安な色で顔を曇らせた坂柳は非常に珍しかった。だがいくら珍しいからと言って、興味深そうに観察したりなどはしない。乃亜の様子を伺おうとする坂柳から、露骨に顔を逸らして意思表示をする。

 乃亜が取るに相応しい行動は、『思わず』といった空気を作り、一之瀬の話題が出ている間は坂柳と目を絶対に合わせずにいること。多少強引でもいい、乃亜の心からの本心として、一之瀬の話題だけは勘弁してほしい。だからプールサイドで櫛田から関係性を問われた際も冗談ではなかった、名前すら出したくない乃亜の心情を察してほしい。

 

「ごめん、驚かせた……でも俺の前でアイツの話はするな、頼む」

 

 坂柳から送られてくる純粋な憂いの気遣いも、今の乃亜は袖にする。

 

「───そういや、今日のプールの時間に友達と中間テストの話をしてたんだけど」

「どんなお話をしていたんですか?」

「赤点になったら即退学だろ? 危なそうなのがうちのクラスにはそこそこ要るっぽくてさ、このままじゃCクラス以上に上がるのは絶望的だねーってさ」

「ふふっ、良かったです。乃亜君のお友達ですから、てっきりお馬さんや回胴式遊技機の話でもしているようなダメダメな人種なのかと思いました」

「今度の日曜にメインレース一緒に見る約束してるぞ。その為のお菓子とかも買い込んでてスゲー楽しみにしてた」

「……愚者に相応しい愚かな友情ですね」

 

 胸が痛む、理不尽な態度をとっている自覚がある、罪悪感で全てを打ち明けたくなる。だって悪いのは乃亜だ、そして『彼女』の責任でもある。坂柳は何も悪くなどないのに。

 だがそんな苦痛すらも全て抑えて隠し通してこそ、最高にギャンブラーをしているというもの。

 何故ならば、そう───これもまた一つの賭けだからだ。

 


 

 放課後、乃亜は綾小路に引き留められていた。

 

「池と山内と須藤を説得しにいきたいと思う。頼れる我が友よ、手伝ってくれ」

「堀北からメッセージで概ねは聞いた。なるほど赤点予備軍ね、オーケー付き合うよ」

「助かる。どうもオレは人とのコミュニケーション能力がそこまで高くないらしい。……絶対に堀北ほど悲惨ではないとは思うが……佐々木がいた方が、俺だけよりも円滑に誘うことができるだろう」

「言っとくけどお前ら2人のコミュ力は似たり寄ったりだぞ」

 

 下を見て安心するくらいの人間性はあったらしい綾小路くんだが、バッサリと乃亜に一刀両断されて酷く傷ついた無表情だった。「断固とした意思を以て席を譲らない奴と同格だと……」とか、乃亜の知らない面白そうな話題を呟きながら、彼は普通の人間らしく落ち込んでいた。

 どんぐりの背比べは端から見てると実に笑える、笑っては失礼だと理解しているが、まあこれくらいは友人としての権利として許してほしいものだ。

 ───Aクラスへの昇格を目指しているらしい堀北。孤独なソロプレイヤーを気取る気満々だったであろう堀北が、手段はともかく綾小路と乃亜というクラスメイトを頼ってきたのは良い兆しだ。自分だけの力では上には行けない、それを本人も理解している。……ちなみに綾小路はスペシャル定食に釣られて手下となったらしい、情緒の無い子供かな?

 

「俺達は、堀北の愉快な仲間達その1とその2って訳だ」

「堀北からすれば雑用要因だろうな」

「ハッ! いいじゃんかよ雑用。パーティーメンバーを増やして新入りを作る。そうすれば俺達は上司に押し上げられるって訳だ」

「あいつについて来る仲間か……」

 

 くっちゃべっていても状況は変わらない。放課後の時間は、学生からすれば貴重なものだ。

 

「よっし、俺たちのコミュ力でパパっと済ませてやろうぜ」

「ああ」

 

 意気揚々と乃亜達は歩き出す────────────数時間後。

 

「やっぱ佐々木がいても無理かー」

「面目ない……」

 

 全滅だった。乃亜がいても特には取り合ってくれそうな雰囲気はなかった。

 綾小路の部屋で、やる気が抜けた様子でだらける小僧が2人。作戦会議という名の反省会だ。

 

「いや佐々木が悪いってことは無いだろう。あの三人は勉強という行為そのものに対して苦手意識があるようだった。あの分では平田が誘ったとして芳しくない結果になりそうだ」

「誘うならメリットともいえる看板を背負ってかないと釣れないかぁ……」

 

 メリット。男児高校生に与えられるメリットとは。

 例えば、HRでの反応を思い返せば彼らは金欠だ。山内なんかは、自分で買っていたゲーム機を幸村に売りつけようとしていた。だから報酬にポイントを出せばコロリと釣れるだろう。だが遠慮したい手段だ。

 

「……佐々木の」

「ポイントで釣るのはナシで」

「まだ何も言ってない」

「こっちから下手に出て与えるだけじゃ調子に乗るだろ。あくまでもあいつらが『本当は嫌だ、でも自発的に参加したい』と思わせるようなものじゃないと、数回ダラっと勉強して中間も終わるぞ」

 

 それに、どうせポイントを報酬にして釣るのなら、もっと大物を釣り上げたいというのが乃亜の本音だ。あの三名のためだけに使うのは、現段階ではあまりにも釣り合っていなさすぎる。好きな言葉はハイリスクハイリターンだ、だがハイリスクローリターンは普通に嫌いだ、だってつまらないもの。

 

「適当な女を餌に宛がえば何も考えずに食いつきそうかも?」

「あまり世間を知らないオレでも分かるぞ、とてつもないほど酷い発言だと」

「状況を俯瞰して堀北語に翻訳しただけだ。女性蔑視の思想は持ち合わせてねーよ」

 

 だが綾小路は、乃亜の酷すぎる発言からインスパイアを得たらしい。

 

「連中と上手に友達をやれているやつに頼もう」

「誰?」

「櫛田」

「結局ハニトラかよ」

 

 乃亜と綾小路は同じ穴の狢だったらしい。

 しかし櫛田なら快く協力してくれるだろう。内心は知らない、だが少なくとも櫛田のスタンスが『クラスみんな仲良く』であるのなら、思惑はともあれ勉強会という場を作り出してくれるはずだ。これまでの彼女の言動は、どうしたって櫛田に断る道を与えていない。

 苦しそうだ、キツそうだ、哀れでもある、しかしその努力は並大抵ではないと思う乃亜だ。

 

「つっても櫛田なら確かに間違いなしだ」

「だろう?」

 

 少しだけ口角を上げる綾小路くん。ドヤ顔のつもりか、どんどん表情を作るのがうまくなっていやがる、なんだこいつ可愛いやつめ。

 携帯を取り出して電話を掛けようとするが、指の動きが止まる。……なるほどそうか、連絡先を知らないらしい。

 ちなみに乃亜は知っている。あちらから声を掛けて、あちらから連絡先の交換をしようと言ってきたからだ。哀れ綾小路くん。女子の連絡先ゲットチャンスを逃しているとは、目立とうとしない彼の習性のようなものが災いした結果だろう。

 ふと、綾小路の視線が乃亜へと向けられた。

 

「やだ」

「え……なんでだよ」

「内線電話使ってみてほしいから。興味あったんだよね」

「最近気が付いてきたんだが、佐々木は結構いい性格をしているな」

 

 非常に遺憾の意を表明したい。そんな皮肉を喰らうのは堀北や坂柳くらいで十分ではないか。こんなにも善性の輝きに満ち溢れた佐々木乃亜くんに失礼な話である。乃亜だ、ノアだぞ、こちとら聖書に名高いNoahと同名だぞ。

 乃亜は綾小路を急かすように、机の上に置かれた受話器を何度も指さした。

 溜息を吐いた綾小路は、気だるげにベットから起き上がり、受話器へと手を伸ばしていく。実に不満そうで乃亜は満足である。

 

「万が一渋るようなら、勉強会が開かれた回数と進捗次第では報酬も出すって付け加えとけ」

「予算は?」

「50万。一か月のバイトにしては上々だろ」

 

 櫛田ならばまあ、費用対効果も鑑みてポイントを使うメリットがある。一人に使えば三匹釣れるのだ、三匹それぞれに金をかけるよりもお得である。

 それに彼女の立ち回り方では、乃亜に対してポイントをせびるような言動は滅多にしないだろう。稼ぎ方に関しても、お世辞にも褒められた手段ではないことを櫛田は知っている。『みんなのため』という大義名分を担ぎ出されようとも、乃亜から能動的にポイントを引き出すような真似はできやしない。

 今後の展望をふんわりと予想しながら乃亜は携帯を取り出し、ビデオ撮影機能を迷うことなく起動させた。録画対象は、電話口で声が上ずっている綾小路くん。

 ……あ、おい、人の携帯を蹴るなよバカノ小路め。

 


 

 積みあがる蔵書、人の背丈などいとも簡単に追い越していく圧倒的な量。図書室や図書館という空間には何度か足を運んだ経験はある。小学校や中学校の頃は、ちょこちょことした頻度でこの物静かな空間をぶち壊しまくっていた覚えがある。

 競馬好きな教職員を見抜いた乃亜が、坂柳直伝の言いくるめ殺法によって、競馬新聞を図書室へ置くことはできないだろうかと説得していたのだ。成功か否かは、無法地帯と化した我が母校の図書室の末路を思えば想像は容易い。

 時に───知識は、人の力である。

 すべからく、人は知ることでしか生きてはいけない。無知であることは悪ではないが、罪になりうるからだ。

 例えば、物を盗んではいけないという法律を知らない小さな子供が万引きをした、果たしてこれは悪か? 様々な意見があるだろうが、共通する見解として、その子供は罪を犯したという事実。

 最低限でも、世界を知らなくては人は生きてはいけない。人が獣を脱するためには知識が必要だったのだ。欲を知り、恥を知り、罪を知ることでようやく人としての文化は築かれる。

 知識とは、人が人を人たらしめるために作り出した、文明の第一歩とも言えるだろう。

 

「すんげー量だ」

 

 たまに気が向いたら、その程度の頻度で読書をたしなむ乃亜でも、つい目を輝かせてしまう。男の子はこういったデカいなにかに心惹かれる生き物だと、涼しい顔でネグレクトを自称するクソ親父は言っていた。

 膨大な知識の宝庫、そのスケールに乃亜は圧倒されていた。

 この全てを記憶しても、きっと人の世を理解し切ったとはならないのだろう。

 だからといって失望のような情は産まれない。むしろ逆だった、だってこの量で足りないのなら───足りないということは、まだまだ先があるという意味にも繋がるからだ。

 

「世界一の図書館と比べればまだまだなんだろうけど……でも、なんか、浪漫がある」

「へぇ──────浪漫、ですか」

「……ああ、風情とも言うのかな。先達が残していった『知識』の空間で、先達の『知識』を取り入れるためだけの時間がここにはある。……ちょっと気取ってはいるかもだが、星みたいだなって、俺はそう思った」

 

 過去の輝きは未来へと届き、その時代の人々が、思い思いの解釈を積み重ねていく。

 そうして新たな発見が息吹き、そのまた未来へと輝きは届くのだろう。

 そんな連なりは、きっと、ロマンティックではなかろうか。

 

「では、さしずめ此処は、貴方にとってのプラネタリウムという訳ですね」

 

 乃亜にも負けないロマンティクスを抜かすのは、乃亜へ突然に話しかけてきていた白髪の少女だった。

 この子素面でこんなこと言っちゃってるのかしら。すごいなメンタル。乃亜はかなり発言の内容を後悔しているのに。

 

「つってもざっと流し読むような俺は眼で見てるだけ。観察には程遠い俺じゃ、あんまし適さない居場所かもね」

「……シャーロックホームズを読んだことが?」

「趣味の片手間に呼んでみたけど、めっちゃくちゃ面白かった。正直、本の面白さを舐めてたわ」

 

 賭ける元金が本当にどうしようもなくなった時に、坂柳がいくつかを見繕って勧めてくれたのだ。曰く、「乃亜君の教養を育む貴重な期間ですから、私がしっかりと読破できるものを選んで差し上げましょう」とのこと。大人しく坂柳の言うとおりにしていた時期だったからか、珍しくその時はとても優しかった。

 

「意外ですね。噂に聞いた人物像では、もっと世俗にまみれたロクデナシと伺っていましたが」

「ハッ! 間違ってねーな。俺は三度の飯よりも賭け事が大好きなロクデナシだよ」

 

 噂などに臆することのない乃亜だ、素行の悪さもどんとこいである。

 残念ながら、今の時代はギャンブラーも読書を嗜むのです。だって金欠でどうしようもない時なんかは暇つぶしに重宝するからね!

 坂柳に言えばいくらでも貸してくれるので、乃亜からすれば無料の趣味だ。嫌がらせで露訳verを渡された時は鍋敷きに使ってやったが。そして坂柳の親父さんから普通に怒られたが。

 

「Dクラスの佐々木乃亜だ。そっちは? 雰囲気からして一年生と見たけど」

「───Cクラスの椎名ひよりです。……佐々木くんは、人間観察に長けているようですね」

 

 即座に同級生と看破した乃亜に若干の警戒心を抱いている。白い目で見られるばかりの人生だ、初対面なら尚更に堪えるわけもない。

 ……ホームズ名探偵を思い出して、乃亜の興がちょっと乗ったのだろう。例の名言チャンスが到来したという事実に、少年の心が今しかないと叫びつくしている。

 

「……例えば一年もこの箱庭で暮らしてりゃ流石に慣れる、目に映る景色に新鮮味はなくなる。置いてある本のジャンルや場所なんかも把握できる。だが椎名の目線はあっちこっちに引っ張りだこ、俺と会話してる時ですらキラッキラした目で視線が動きまくり。そんな反応は一年生くらいじゃなきゃ見られない……ってな」

 

 感心したように、乃亜の顔をじろじろと眺める椎名。初対面へぶしつけなこの感じは、綾小路にも似た対人経験が不足しているような所感を受ける。

 

「お前がよっぽど本が好きって確信も、推測材料の一つ」

「その確信はどこから?」

「ん」

 

 乃亜は、彼女が抱えている一冊の本を指さした。

 

「それ、自前のだろ」

「……続けてください」

「入学時に大抵の私物は持ち込み禁止、なら買うしかない。そしてその本は傷も少なくて見るからに新しい。早くて4月序盤に買ったとしても、図書館に置いてあるようなものはたいていが年季の入った古本ばかりだしな、一か月経過と数年経過とじゃ劣化のしかたが明確に違う」

 

 椎名は自分の私物である本を見下ろして、感心したような視線を乃亜へと再び向ける。

 

「本を買ってからわざわざ図書館で読もうってモノ好きは、紙とインクの匂いに包まれたいっていう本の虫以外にいない。よってこれらの情報を繋ぎ合わせると……『椎名ひよりは一年生で本の虫である』って事実が完成する」

「…………お見事です」

 

 小さな拍手が、図書館の空気を汚さない程度に鳴らされた。警戒心はいくらかほぐれたようでよかった。

 

「なあに特別なことなんて何もない……『初歩的なことだ、友よ。』……よっしゃ言えたっ」

「ふふっ……どちらかと言えば、あなたは教授の方が似合っていそうです」

「素行が悪いってだけであのイカれた理系と同じにするな。俺は文系だ」

 

「確かにそう見えますね」と言いながら、淑やかに笑う少女。坂柳とは違った儚さがある女の子だった。……少なくとも、あの人類の悪性のような腹黒に比べれば、圧倒的なまでの清涼感がある。

 癖が全くない人物かどうかなのは、これから分かるのだろうか。

 

「それで……何かお探しですか? 見事な推理を披露してくれたお礼です、少しの案内なら出来ますよ」

「マジか、そりゃ助かる」

 

 打算的な視点の乃亜は、少しと言わずに明日も会えないものかと思考を巡らせる。

 感情的な視点の乃亜は、まあ彼女の時間を拘束しすぎるのも申し訳ないしと、遠慮を少しだけ出している。

 Cクラスの人物との初のコンタクトだ。ぶっちゃけこのまま懐柔して、椎名を窓口に内情を全部丸裸にしてもらいたいくらいだ。……なのだが、人との縁というものは運にも似て、過ぎたるを求めれば遠ざかっていくもの。今日のところはちょっとした交流一つで満足しておこう。

 

「英訳版のダレン・シャンとかってどの辺にある?」

「和訳ではなく、ですか」

「うん。英語の自習をする時は、英訳の児童小説使ってんだ。児童向けってことは、分かりやすい文法が使われてるってことだろ? 英語の勉強にはピッタリかなって」

「なるほど、理に適っていますね」

「それに面白くて興味がある作品のほうがやる気出るだろ」

「……佐々木くんの勉強法に興味が出てきました」

 

 大層なことはしていない、落胆されなければいいのだが。

 

「イギリスの作家はこちらだったはず……」

「しかしすごい蔵書の数だな」

「ええ、素晴らしいものです。日本中を探しても匹敵する規模のものはそうそうにないでしょう」

 

 歩けば本、進めば本、止まれば本。図書館とはそういったものだが、ここはその量が圧倒的だ。慎ましやかな声で案内してくれる椎名も、歩くだけでやたらと嬉しそうだ。本の虫という通称ですら喜んで受け入れてそうな感じ。

 眺めるのが楽しくなってきた乃亜は、本来の目的を半ば忘れて、椎名の披露する図書館解説に聞き入りながらウキウキで探検していた。

 ふと───聞き覚えのある怒号が聞こえた。

 

「…………何の騒ぎでしょうか」

「あー……須藤と堀北かなぁ」

 

 苛立ちの表情が実に分かりやすい。深窓の令嬢にも思える雰囲気が、一気に刺々しい攻撃的なモノへと姿を変えようとしている。

 静謐な世界をぶち壊したであろう下手人に心当たりがある乃亜は、ちょっぴり申し訳なくなってしまう。

 

「予想通りの展開だけど、流石の二人だ、予想を超えた速さだ」

「お知合いですか?」

「遺憾なことに、今日はあいつらと勉強会の途中なんだよ。悪い椎名、案内してくれようとして嬉しかったけど、ちょっと場を収めてくる」

「はあ……佐々木くん()大変ですね」

 

 疲れたような苦笑いの椎名に見送られて、乃亜は早歩きで喧噪の中心へと向かっていく。

 

()()()()、問題児のクラスメイトには苦労させられるよな」

「……──────はい、本当に」

 

 さて、この後は堀北と話し合う必要があるだろう。その為の材料はプライベートポイントだ。

 このために貯蓄を続けていた乃亜の財産は、今日から火を噴き始めるのだ。

 

「勝ち分ぶち込んでの大賭けができそうな予感……!」

 

 立ち去っていく須藤の背中。追従するように、池と山内も席を立っていく。

 今回は顔見世程度だ。どうせ最初から全部がうまくいくとは思ってなどいない。だからこそ二回目はとても大切だ。一度目のマイナスイメージを払拭し、それでいて定期的な出席率を確保するために錯誤する必要がある。

 初回以上の困難さは付き纏う。だが、だからこそ、二回目の勉強会を成功させた際のリターンはとてつもなく大きい。

 そのために───乃亜は、坂柳へとメッセージを飛ばした。

 坂柳ATM(あくまでも預金の意味)からは、全額だ、全貯蓄を乃亜の口座へとぶち込んでもらう要請を出した。

 

「ハッ! 全員にとんずらされちまったのか」

 

 櫛田すらも帰ってしまった席に残されたのは、孤独な堀北と、所在なさげなマイフレンド綾小路。

 きっとこの賭けで、Dクラスの流れは変わる──────いや、変えてみせる。

 

「……何かしら。貴方まで説教するつもりなら……」

「いいやんなことしねぇよ」

 

 そして、乃亜は。

 

「俺と賭けをしようぜ」

 

 必ずAクラスでの卒業を果たしてみせる。

 


 

 

 

 

 

 

「これは中々の強敵です。……ですが彼が上手く立ち回れば、肩を並べるくらいの余地はありそう? ……いや、どうでしょうか……」

 

 或いは、同盟のように、なんて。

 そんな殊勝な考え方は今の龍園翔には難しいだろうし、提案でもすれば、逆に彼を利用して使い潰そうとするだろう。

 そしてあの『異才』は、策謀の全てを踏み砕き、時には愉しみ、時には逆に利用だってしてくるだろう。

 

「…………下手に手を出せば、コイントス一つで全部を壊していきそうな気がしますね」

 

 賭博好きの好戦的な彼は、きっと今後の台風の目となる。

 真っ白な彼女は、心中でそう締めくくって、読書を再開する。

 コイン一枚で全てを蹂躙する──────そんな賭博プリンスの姿を想像して、少し、笑みがこぼれた。

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