All or Nothing   作:真の柿の種(偽)

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Aクラス 1075cp
Bクラス 743cp
Cクラス 492cp
Dクラス 71cp


And you know the abyss
恐れは常に無知から生じる


 夜更かしをした乃亜は、今年最高潮の眠気に悩まされながら、寮の玄関を出た。

 これは実に不味い、眠すぎて居眠りでクラスポイントを減らされてしまう可能性がありうる。日付が変わっても仲良く喋りすぎて疲れが積み上がってしまったのか、相手が先に()()()()()()()してしまったのだ。楽しくお喋りしすぎたかしら、一方的に喋りまくって迷惑を掛けていないかと心配だ。

 通話中に取り残されて寂しい思いをしたので、いっそ徹夜でもしてやろうかと頑張っていた。

 頑張って───今に至る。

 瞼が中々に開かないままならなさに苛立ちを覚えながら、エレベーターホールへ向かっていると、乃亜より3割はマシそうなマイフレンドの背中が見えた。

 

「はよっす」

 

 大欠伸をかましながら、綾小路の肩を優しめにどついてみる。

 特に理由などは無い、学生間における肩パンなんて会釈以上に気軽な挨拶であるのは確かだ。

 断言できるが、今の一撃は絶対に痛く無い。痛みレベルで表せば、『運命の女』の最後でギアを引く時の強さなはずだ。……絶対誰しもが心の中で諦めながら引いていると思う乃亜である。

 

「いてー」

 

 マイフレンド綾小路、迫真の棒読みであった。

 

「やりやがったなーこのやろー」

「いづっっ」

 

 マイフレンド綾小路、迫真のヤクザキックであった。

 実戦を知るプロ直伝、そして綾小路の持つ圧倒的なセンスも相まって、技術と力が見事にフュージョンしていた。空気を荒々しく引き裂いて進むその一撃は、乃亜の脇腹へ深々と突き刺さり、壁へ向かって少年は跳ね飛ばされていく。

 内臓が反作用で跳ね回る。骨が皮膚を圧迫して、肌と肉の間にある血管から内出血してしまう。

 トドメに遠心力で大きく振らされた頭蓋が、壁へワンテンポ遅れて激突する。

 星がチカチカと視界の中で弾けては消えていく。綺麗な光景に眠気が再び乃亜を睡魔へと誘おうとしてくる。

 一撃から始まる連鎖的被害を経て、そして乃亜はこう言った。

 

「ぎゃぴっぃ」

 

 佐々木乃亜、迫真の鳴き声であった。

 

「……」

「おはよう」

「…………うん、おはよ」

 

 壁に頭を擦り付ける変態の構えをしたたまま、今日一日目の挨拶が交わされた。

 


 

 力だって対して込めてないのに、5千倍返しで返ってきた事実にはちょっぴりオコである。

 

「腕に痣出来てる……ぴえん……」

「どうしたんだ佐々木ぃー、何があったんだ佐々木ぃー、オレはお前が心配だ佐々木ぃー」

「このエレベーターだけは─────墜とすッッ!!!!」

「馬鹿2匹のやり取りで心中させられるのは勘弁してほしいわ」

 

 言外に「共に死のうか」宣言をしながら、朝一番に作られた腕の痣をさする乃亜。

 乃亜と綾小路よりも先にエレベーターへ乗り合わせていた堀北は、溜息を吐きながら目を瞑った。失礼な堀北は朝から健在だ、一日の始まりから2匹の小僧を視界情報としてすら取り入れたくないってか。

 

「悪かった、まさか佐々木がそんなにも軟弱の骨なしクソ雑魚になってしまっていたとは」

「だから昔が全盛期だっつってんだろうが。俺のバトル街道は衰退期を進むだけなの」

「しかし足腰の仕上がりは凄まじいものがあったぞ、自分で言うだけはあった。巨木でも蹴っているのかと思って、思わず捻りと震脚も途中から加えてしまった」

「思わずで芯まで蹴り貫くなァッ!!」

 

 とある一発のコイントスから時は経ったが、あれ以来、綾小路からは何か遠慮のようなものが消えていたように思える。具体的には物理的接触が少しづつ増えていった。───変な意味でなく。

 以前からハイタッチのようなことはしていたが、あくまでも『乃亜がやったから』でしかない。

 

「今すぐ貴方達は黙りなさい」

「よし佐々木、今週の『堀北の黙りなさいノルマ』は早速達成だ」

 

 拳を掲げて、乃亜からの拳を待ち構える綾小路。

 

「やりぃ。……いたぁいもうやだコイツ拳堅ぁい」

「あはは……2人とも相変わらず仲がいいね!」

「ああ、オレは普通の高校生だからな」

「その称号がワイルドカード扱いになるとでも思ってんの?」

「明日から時間をずらさないとダメね……」

 

 拳と拳がゆっくりと打ち交わされる。軽く音が鳴るくらいには、綾小路の方から強めに打ってきた。軟弱な乃亜からすれば、人を殴り慣れてそうな拳は結構痛い。普通にふざけんなって感じではあった。

 共に乗っていた櫛田が持て囃し、綾小路は調子に乗っていつもの常套句を抜かしている。

 ───こんな風に、綾小路からは遠慮と呼べるモノが抜け落ちているような気がするのだ。

 きっとそれは、決して悪いことではない。

 


 

 エレベーターから降りた途端に、櫛田から逃げるようにして先に行く堀北。

 櫛田と同じ空間にいるだけでも苦痛を感じていたように思う。櫛田への敵対意識というよりは、櫛田からの敵意に辟易としていると言ったところか。

 

「あーあ、せっかく一緒に登校しようと思ってたのに……」

 

 もう櫛田の情の色を計ろうとするのはやめていた。だってこと堀北に対する色は決まり切っていて、()()()こっちが辟易とするのだ。女子同士のバチバチって怖い、それは昔の坂柳の一件で学んでいる。

 それよりもとにかく眠かった。こうなれば綾小路と櫛田を置き去りにする速度を見せつけて、HRの時間まで寝るしか────────────「おっはよー櫛田さーん!」

 

 眠気は即座に吹き飛んだ。

 声の方へと、呼ばれた櫛田が、隣にいた綾小路が釣られて、顔を向ける。

 もうその時には既に、足を進めていた。

 

「っ……さ、佐々木、君……ッ!!」

「──────」

 

 何かを嚙み潰すような顔で睨まれたところで、乃亜は興味が無いように前へと歩く。

 一之瀬を含めた周囲の視線を受け止めている自覚をしながら、乃亜はけれど、学校へと歩く。

 『()()』の声が聞こえてから、乃亜の横顔は──────ずっと、色を宿していなかった。

 


 

「あれは何だ、一之瀬と何かあったのか?」

 

 いっそ分かりやすいくらいだったのは、今日も今日とて無表情ボーイな綾小路クン。

 オーラで出ているのだ、『めんどくせー』『どうせ答えないだろうしなー、めんどい』『でも今聞いたほうがいいんだろうなー、めんどくせー』『聞かないほうがあとあとめんどうだろうなー、あー、めんどくせー』って。

 でも流石に面倒くさがりすぎだ。乃亜なら気づけるって知っててこの『めんどくせー』オーラをダダ流しなんだろうが。……だとすればこの野郎は普通に喧嘩を売っているだけでは?

 

「あったよ。でも言えない。そういう契約」

「そうか」

 

 ダメだ確信した、この男は擬態が致命的に下手くそすぎる。「そうか」で着席するな。聞き分けが良すぎる、貴様はPVA素材スポンジの生まれ変わりか。もっと深掘るのが普通の高校生というものだろうに。

 ……あっ! 『だってめんどくせーし』じゃないのだが! 乃亜の洞察力を利用して特殊すぎる会話方法を成立させるな! 何でそんなところでは器用なんだ綾小路清隆!

 

「喧嘩をしたのなら早いところ謝りなさい。謝るのは一秒でも早い方が良いと私に教えたのは貴方でしょう」

 

 ホワイトルーム最高傑作の実力に戦慄していると、見かねた堀北が良い塩梅でつついてくれた。声量も普段と比べれば大きく、周囲へ向けてのアピールをメインとした質疑応答を繰り広げてくれるらしい。

 快い気遣いに感謝しながら、乃亜はけれど不機嫌に吐き捨てた。

 

「あいつには要らないって判断した。つーかお互い、視界に入ってるだけでも邪魔だろうしね」

「───ああ……()()、貴方にしては珍しいわね、いつもなら人を食ったように笑って、何を言われようとも気にしないでしょうに。構って欲しがりで我儘な貴方のために……()()()()()()()聞いてあげる、一之瀬さんと何があったの」

 

 周囲の声を勝手に代弁するような態度にも、周りは特に反感を浮かべている様子は見られない。堀北がDクラスの代表者かのような発言より、一之瀬とトラブルを起こした疑惑の真相の方が気になっているようだった。

 一之瀬の噂ともいうべきか、彼女の善性はそこそこ有名だ。無論ながらBクラスの連中が良い印象を吹聴しているのもあるだろうが、注目すべき点は、Bクラスの誰もが一之瀬への悪印象を喋っているところを見たことが無い。ほんの細やかな愚痴の一つや二つはあるかもしれないが、少なくとも乃亜は一度だって聞いたことが無い。人の弱みを常日頃探すためだけに外出してると言っても過言ではないあの坂柳ですら、一之瀬への評は悪いものではないんじゃないかと考えている。

 

「『会いたくない』『暫く顔も見たくない』『アイツと俺は嫌いあっている』これで満足か?」

「語る気が無い以上は不毛ね。なら()()()()()()()()()()がみんな、貴方ばかりに気を遣って過ごすようなお人好しではないの。幼稚な佐々木君には分からないでしょうけれどね」

「ハッ! そりゃいいね。ポイント振り込みがされてないっつーホットな話題もあることだし、俺のことなんざ忘れてもらってどうぞ結構。アレの話をしないのなら、これで晴れて佐々木乃亜もいつも通りに戻れるって訳だ」

 

 空気間の誘導としては上々だ。

 平田辺りは個人的に聞いてくる可能性はあれども、堀北が大勢の前で作り出した空気には、『佐々木乃亜にとって一之瀬帆波の話題は地雷である』と見事に印象付けられただろう。乃亜の中にある思惑か、はたまた()()()()()()()()のか、判断が付かなくなった堀北は早いところで会話を切り上げたが、その判断も善き。

 堀北だって多少は気になっているだろう。何せBクラスを象徴する生徒だ、そんな存在と問題を起こしていたなんて、手始めにDクラス全体を掌握する気でいる堀北からすれば不安の種でしかない。無駄な衝突か、それとも必要な衝突なのか、それすら分からない現状を彼女なりにある程度は解消してから、ある程度の安堵をクラスへと還元しようとして──────この着地点。

 この間の『提案』と『検討』から考えると、めまぐるしい成長だった。

 未勝利新馬が、7馬身差で一位くらいには成長している。

 

「……」

「……」

「ところで昨日、ついに空を飛べるようになったんだ。すごいぞ空は。色んなところへ探索をし直している。あれはいいな、一度訪れたエリアでも新鮮な達成感があった。それに高所には珍しい素材や装備も多かった。その分強敵も多かったが、リターンは大きかったな」

「えっ、ドルマゲスどころか神鳥倒したの? 早くね? 鳥は一発クリア? すごすぎだろ」

「さっきまでの空気をすぐに忘れられるのは貴方達の愚かな長所ね」

「いやだって、綾小路がドラクエの話してきたし」

「ああ、今は犬を追いかけて、大聖堂に乗り込むところだ。絶対に負けないさ」

「……それは何よりだわ」

 

 普通の高校生共に呆れた視線を送りながら、堀北は深い溜息を吐いた。

 


 

「少しトラブルがあってな」

 

 茶柱は、空席となっている空間を一瞥し、腕を組み直して言葉を再開させる。

 彼女が見たのは、須藤の席だ。

 HRが始まっているというのに、須藤の姿は一向に見えない。登校自体がまだなのは、鞄すらも机に置かれていない点からしても明らかだった。

 

「一年へのポイントの支給が遅れている」

 

 池や山内から始まり、クラスメイト達は口々に声を上げていく。

 その中で、堀北は、綾小路は、そして乃亜は、早々に当たりを付けた。

 

「須藤君の空席と何か関係が……あるのでしょうね」

「でーでん、ここで問題です。

 パターン1、須藤がぶん殴る系の問題起こした。

 パターン2、須藤が女生徒を襲って捕まった。

 パターン3、須藤は単なる寝坊で、ポイントの問題とは別口の話だった。

 もちろん現時点じゃ仮の話ではあるけれど、堀北はどれだと思う?」

「1以外に無いわ」

「即答。いいね、その心は?」

「2はすぐにでも退学になる可能性が高いし、他のクラスのポイント支給に響いている理由が分からないもの。……3は……寝坊はもうどうしようもないわね」

「なら仮に1だった場合、須藤がまだいないのは何故だ? 佐々木は少し黙っててくれ」

「あい」

 

 家庭教師の仕事を張り切って全う中の綾小路。お仕事の邪魔なんて無粋はしない乃亜である。

 

「……登校していないのではなく、登校できない状態にいる。教師に事情聴取をされている最中なら、茶柱先生がここにいるのは少し違和感があるわ……もちろんこの後に行う可能性もあるのでしょうから、それは一度置いておくけれど。……登校できないほどの怪我をしている、或いは登校が不可能な妨害を受けている……? そんな荒業は……Aならもっと陰湿、Bはそもそも印象からして考えづらい、恐らくはCクラスの仕業」

「───ハッ!」

「……怪我なら流石に茶柱から連絡があると思うが、ああ、ひとまずはその結論で良い」

 

 登校妨害の可能性にまで手を伸ばすとは思わず、乃亜はついつい笑いが漏れてしまう。邪道を知っておけというアドバイスを素直に受け入れている証拠だ。

 あくまでの仮定の想定を展開しただけに過ぎない。これ自体に分かりやすい成果などは無い、ポイントが増えるようなこともないが、要するに───『かもしれない運転』は大切だということだ。

 こうした思考テストのような光景は、今後もしばし行われるだろう。それも抜き打ちで。

 いつかは堀北が、このやり取りに軽い楽しみを覚えるくらいにはなってほしいものだ。

 

「気に入らないわね」

「……どうして睨まれる」

「上から目線で生意気よ、スペシャル定食で不平等条約を結んだ綾小路君のくせに」

「あれはまだ許した覚えはないぞ」

「逆ね。綾小路君が私から許しを得る立場なのよ、さあその場で土下座しなさい」

「ハッ! 仲いいねおめーら」

「だろう? しょうがないからお前も混ぜてやろう」

「やったー、うれぴー」

「1分5万ポイントで」

「くったばすぞ」

「やってみろ」

「……」

 

 手を額に当てて、頭が痛むような動作をする我らが堀北リーダー。

 乃亜の宣言に小さくファイティングポーズを取った綾小路クン。構えがサマになってて結構ガチな目つきで睨んでくるアホに怯えていると、教室の扉が開かれた。

 須藤が来たのだ。随分な重役出勤だったなと、一声かけてやるつもりでその方へと向いた。

 

「────────────マジ?」

 

 正直なところ、喧嘩だろうなとは思っていた。

 だから青痣を目元に作る、口元が大きく腫れている、他にも打撲の赤い跡があっても驚きはしなかった。堀北も呆れこそすれど、減ってしまうであろうクラスポイントをどう取り戻すかへ、すぐさま思考をシフトさせるだろう。綾小路は言わずもがな、思考の基本骨子自体が乃亜と似ている部分も多い、同じ結論にたどり着いて驚くこともしないだろう。

 茶柱を除いて───教室中の誰もが、喉の奥で悲鳴を上げた。

 

「須藤……! お前その腕ッ!!」

「…………転ばされただけだ」

 

 池が悲痛な声を漏らす。

 白いギプスを指さして、山内は何も言葉が出てこなかった。

 櫛田は口を手で覆い、足にも包帯が巻かれていることへ衝撃を受けていた。

 平田は愕然と、思わず立ち上がって、それでも開かれた口からは何も出てこない。

 軽井沢は顔を含めて殴打を続けられたような痛々しい姿に何を想起したのか、怯えたように目を背けていた。

 堀北は、自分の予想を軽々と超えた惨状であったことに、思考を少し止めていた。

 綾小路は、ただ少し、目を細めてから乃亜を見る。

 そして、須藤の全体像を観察していた佐々木乃亜の中には、ただ一つの疑問があった。

 


 

「疑問がある」

 

 昼休みの時間が訪れて、乃亜は堀北と綾小路を誘ってすぐに食堂へ来ていた。

 食堂の隅の隅に、三人で並んで座る。

 湯気の立ち上る食膳は、各々の目の前に用意されてはいるが、三者三様に思考を整理することへ時間を使いたいのか、箸には誰も手を付けていなかった。

 

「お前からそう切り出されるのは珍しいな」

「たまには逆もいいだろ。思考整理に付き合えよ」

「もちろんだ」

「……私は強制参加ね」

 

 堀北の溜息を転機として、会議は始まった。

 

「まず前提として、須藤の怪我の数々」

「ああ、痛ましいものだった。複数人で囲まないとああはならないだろう」

「それも2人や3人程度じゃない、もっと大勢でなければ無理よ。……あの腕、最低でも骨に罅は入ってるでしょうね」

「集団でのリンチは、一人一人が無意識に加減をするんだろうが……怪我の状態をざっと見る限りは、暴行を加えることに対して躊躇を感じられない。ただの学生の精神性でそんなことが可能なのか?」

「1人くらいなら居てもおかしくは無いのでしょうけど」

 

 荒事に対して知見のある綾小路も、武術経験者である堀北も、見解は殆ど一致していた。

 

「それだけじゃ、ない、須藤、アイツ、多分、抵抗してない」

 

 思考の渦に意識を置いているからか、言葉の出力がたどたどしくなってしまう。

 けれど煩わしさすらも置き去りにして、思考は淀むことなく回っていく。

 

「! ……そうか、だとしたらあの重傷にも納得がいくな」

「本気……? あの須藤君が相手に臆して、手も足も出せず身を守ることしか考えなかったって?」

「登校してきた直後の須藤は、ちょと誇らしそうにしてた」

 

 堀北と乃亜の方へ顔を向けた途端、その気配は濃くなっていたように感じる。

 ──────何故?

 

「ついに賭博だけでなく薬にまで……哀れね」

「佐々木は本気で言ってるぞ」

「だとしたら尚更にバカバカしいわ」

 

 喧嘩に勝利したから誇らしい、これは理解できる。

 勝利の余韻の味なら、形は違えど乃亜だって大好きだ。

 だが、喧嘩に無抵抗で敗北したから誇らしい? 意味が不明だ。

 手放した勝利に未練も持たず、手にした敗北の味に喜びを覚える? バカだろそれは。

 何かを見落としている気がした。

 まるで設定示唆を確認することを忘れたときのような。

 パドックと新聞を睨みつけるのに夢中になって券を買い忘れたときのような。

 Vにぶち込む作業を忘れてドヤ顔トイレ離席をした時のような。

 

「無抵抗で耐え抜いたから誇らしい。彼はそんな殊勝な考え方をする人なの?」

「今の時点では確かに佐々木の推測でしかない。だが佐々木の洞察力と観察力に関して言えば、堀北、お前も知らない訳じゃないはずだ」

「……そうね、私も彼に一杯食わされた側の人間ですもの」

「決定的に信じろとは言わない、常に可能性を巡らせ続けるのは悪いことじゃ無い。だがお前にはクラスを纏め上げていってもらうんだ、クラスメイトの実力は正しく把握しておかないと、いつか致命的な穴に陥ることになるぞ」

「…………じゃあ、なにかしら、例えば───」

 

 人狼ゲームであまりに理路整然とした推理をしすぎて、相手が人格を持つ人間であるという要素を忘れてしまって敗北した時のような。

 無情の合理に縛られすぎて、情の非合理さを忘れていた時のような。

 

「───まさか彼が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とでも言いたいのかしら」

「あ、それじゃん」

「は……はぁ?」

「……今朝の一撃がそんなにも効いていたか、すまなかった」

「さっき堀北に説教してたやつのセリフじゃねぇぞ」

 

 佐々木乃亜の中で答えは確定した。

 ここからは須藤へ質問をしに行こう。なあに、1つ2つをぶつけるだけでいい。答えなんていらない、無言でもいい、すぐさま立ち去っても構わない。

 ぶつけたときの一瞬の仕草や動作で、人間の内側なんぞ、すぐに割れる。

 この後の予定を頭でくみ上げながら、乃亜はお馴染みとなった山菜定食に食らいつくのである。

 冷めてたからより不味かった。

 

「ん? ……佐々木」

「あん? ……………………あー、行ってくれば?」

「いいのか? その……こういうのは、あれだろう? 脳破壊と呼ばれる現象なんじゃないのか? NTRという悍ましくも美しいモノだと聞いたが……」

「別に片想いしてるわけでもねーから。あの態度で片想いは頭おかしすぎるだろうが」

「いったい何の話をしているの……?」

「コイバナだ、それも別クラス同士の禁断の愛ってやつだな」

「お前はいつかそのドヤ顔に後悔することになる」

 


 

 彼には、中身が見えません。

 ギャンブが好きだと公言して憚らない。実際、どうしようもないくらいの中毒者であるのは確かです。

 けれど何も考えず、ただ自分の悦楽の為だけに一か月で600万以上を貯め込む事など出来るのか?

 答えは否の筈だ、ふつうなら。

 

「賭け事とは一言で言いますが、実際にはどんな内容でしたか?」

「大体はポーカーかな。運任せにダイス振ったりコイン弾いたりもそこそこ……いや結構……いや滅茶苦茶好きだけどさ、先月は確実に稼ぐのが重要だと思ってたから」

「なるほど」

 

 佐々木乃亜の中では、ポーカーは『確実に稼げる手段』らしい。

 勝って当然と認識しているようでした。ポーカーにおける己の実力を信じ切っている、これは過信ではないのでしょう。傲りともとれる尊大な姿勢は僅かでも感じ取れなかったのです。

 ───テーブルの上に開かれた、計10枚のカード。

 内5枚は私の方に並べられて、ブタと呼ばれる役にすらならない結果が揃っていました。

 そして残りの5枚は、彼の方に、()()()()()()()()()()で置かれていました。

 

「……………………その程度か」

「むうっ」

 

 流石に理不尽が過ぎる発言に、小さく睨みつけてしまいました。

 彼の今しがた発した一言で、やはり私は確信しました。

 佐々木乃亜はサイコパスと分類される精神性の持ち主です。

 

「あっ、ご、ごめん、つい」

 

 他者を追い詰める時には無自覚に、けれど的確に、屈辱と不安と精神性の脆弱な部分を煽って心を踏みにじるのでしょう。ここでミソなのは、無自覚であるということです。別に心を踏みにじる行為そのものが好きという訳でもないのでしょう、踏みにじったしばらく後に目撃してきた反応が、偶然にも彼の好むモノばかりだったというだけで。

 容赦という情緒を持たない子供の頃なら、もっと恐ろしく、無邪気に、とぼけた顔をして、人の心を砕いて踏みつぶしていたのではないでしょうか。面識もない彼の子供の頃の友人が可哀そうに思えてきました。

 

「で、でもさ、ほら、まだまだやれるでしょ? 椎名って頭良いんだし、優秀な奴は運だって持ってる訳だしさ」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ような彼が、何を言っているのか、ちょっと分かりませんでした。

 携帯の電卓で計算している仮想のチップは、殆どの割合を彼に奪い取られてしまいました。運勢が絡まない純粋な駆け引きの上でも、私は悉くの勝負を逃しています。ここまで追い詰められてしまえば負けは濃厚です。

 あまりにも強すぎました。こうして強さを実感して、理解できた面もあります。

 

「ふんっ……やっぱり佐々木君とやるポーカーなんてつまらないです」

「え、ええっ、ごめんって……椎名も()()()強いから、加減無しじゃ多分勝てないし……」

「謝りながら煽るのは……流石にサイコパス過ぎませんか?」

 

 戦慄を隠せない私の表情に、彼は心外とでも言いたそうな顔をしていました。心を外に置いてきたのは間違いなく貴方でしょうに。

 もしも幸運に値が存在しているのなら、確かに彼の数字は高いのでしょう。ですが彼のポーカーの強さの秘密の一つは、『どうでもいいタイミングで強すぎる役を叩き出す』という部分になるのでしょう。

 今回も、ブタに対してロイヤルストレートフラッシュです。オーバーキルなんて話ではありません。勝てる訳がありません。ですが、言ってしまえばこれは、無意味な幸運に近かったのです。

 彼は今、一度もレイズを選択しませんでした。私の最初のベットに対して素直にコールを選択しました。この強すぎる役で、勝ちは確定してるも同然な役だというのに、賭け金の上乗せを選択しませんでした。それも迷うそぶりもなく、ノータイムでコールを選びました。

 だから相対している者からすれば、強い役を引いたタイミングが全く読めなくなるのです。強い役ならば、どうしても賭け金を釣り上げたくなります。こればかりはどうしようもありません。だから仕草や思考時間などにそれが表れて、読み取れる相手ならそこから降りるという選択も取れます。

 

「はぁ……これで明日のお昼は私の奢りということになりますね」

「うっす、ゴチになります」

 

 ───要点を纏めるなら、彼は、『不幸も幸運も自分の都合の良いように使いこなす』。ポーカーのような心理と運勢が70/30の不均等に絡むゲームであるのなら、30の運勢を改造して95/5の殆ど心理戦の状態へと状況を持っていく。……彼の異才が頭脳に依ったものでなく肉体に依っていたのなら、そこいらの折れかけの木の枝で猛獣を叩きのめす、なんて滅茶苦茶な怪物にでもなっていたのかもしれません。

 転がり込んできた特大の幸運を捨てる判断をケロリとこなす。手に収まった特大の不幸を活用するために迷わずオールインを仕掛ける。

 それらを用いて彼ほどに勝率を高めるのであれば、欲と感情を、思考と切り離して動かさなくてはなりません。

 ですがそれは、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「Dクラスよりもマシとは言え私もそこまでの余裕は無いので、加減してくれるなら嬉しいのですが。……───今月のポイントも、まだ振り込まれていませんからね」

「別にその話をしに来た訳じゃ無いんだけど」

「知ってます。けれど私に勝てば()()ことくらいは期待していましたよね、断言しちゃいます」

「……椎名には敵わんな。何でそれでポーカーあんなに弱いの?」

 

 彼は、人という生き物が大好きなのだと思いました。

 人の努力をする姿が好き、人のがんばる姿勢が好き、人の這いあがらんとする心が好き、人が絶望の淵から立ち上がらんとする姿が好き、人が成功に喜ぶ姿が好き、人が失敗を糧に進む背中が好き、すなわち彼の根底にあるのは人類愛。ギャンブルという人間としての心を不安定にする趣味を愛しているのも、その灼熱の人類愛こそが大きな理由なのではないかと推理します。

 

「…………もう絶対に奢りません、何一つ呟きもしません、ポーカーも二度としません、読書の邪魔なのであっちに行ってください」

「ごめんなさいでした。……反応が幼馴染に似ててつい」

「……その幼馴染は女の子ですね?」

「うん」

「おそらくはプライドが高い?」

「笑えるくらいに」

「可哀そうに」

「光栄だろうが」

 

 好きだから虐めたりもします。好きだから心底からの協力を惜しみません。好きだから真っ向から立ち向かいます。まるで人ではない怪物が───そう、例えば人間のことが大好きな悪魔が、念願叶って人の世界に降り立ったのなら、彼のような生態をしているのではないでしょうか。

 息を切るように「ハッ!」と笑ってから、負ける末路も、勝利の未来も、どうなっても喜んで受け入れるのでしょう。

 

「さて──────少し、独り言を呟きますが、図書室なので静かに呟きます。佐々木君も静かにしていてくださいね」

 

 そんな彼が、友人と()()()()存在を害された時、どんな暗がりを表に出すのか。

 

「要となるのが『石』であるのは確かです。ですがきっと、石をどかせば(よこしま)な『龍』が笑顔で飛び出てくるでしょう」

「へぇ……まあ、蛇も龍もどうせ同じようなもんだしなぁ……──────邪龍退治にはまだ早いと思ってたけど、()()()()やるか」

 

『異才』の悪魔が人を本気で害するのなら、()()なってしまうのか。

 少しだけ、気になります。

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