もしかしてこの学校ってバカなんじゃなかろうか、その時は本気で思った。
坂柳の父親は天才と紙一重のアレなんじゃないかと普通に思った。
「Cクラスのバスケ部員が学校側に対し、須藤を訴え出た。部活終了後、須藤から一方的な暴行を受け、負傷した───とな」
「 は? 」
口を大きく広げた須藤が、呆気に取られていた。
そりゃそうだ、無抵抗貫いてああもボコボコにされて、骨にまでキツイ一撃加えられて、その最果てに裁判まで起こされてちゃたまったものではない。
というか、あまりにも無理がありすぎる訴えだった。通る訳がない、そんなものは茶柱でさえ理解しているのだろう、彼女はただただ面倒そうな表情を隠そうともせず、事務的な読み上げの中でも所々で溜め息だってついている。
と、思いきや。
「───この件には、証拠が無い」
「(雲行き変わったか)」
話が一気に変わってきたようだ。
勝ちが確定していると高を括っていれば、茶柱が告げたその一言で、
賭けは嫌いじゃない、不確定の中でくるりくるりと回るのはライフワークとも言える。
だが、今回に限って言えば、あまり楽しくはなさそうな予感がしている。
「目撃者でもいれば、話は別だがな」
須藤は驚愕に連れていかれたままで、未だに再起動を果たせてはいない。
そんな須藤と
「? ……堀北はどう感じた」
「……………………全く分からないわね。ダメ元の起訴? でも負けてしまえばそれ以上の損害を被るのはCクラスでしょうし……でも、そうね……証拠が無いということは、相手の努力次第ではイーブンに持ち込めなくもない。それとも……まさかとは思うけれど、勝算があるから挑んできている?」
敵の勝算の可能性への言及は悪くない。引き分け狙いという推測も的を得ているのかもしれない。
だがやはりまだ、だ。
まだ彼女には発展性があった。良い話だ、悪くは無い、むしろとても良い。それを思えば楽しみで仕方ない、のに。
だが、やはり、今の乃亜には──────。
「須藤の怪我の状態は紛れもない状況証拠だ。佐々木の推測通りに無抵抗だったのなら、一方的に怪我をしているのは須藤1人だけ、だから負ける訳がない。……だが」
「……龍園が、見越していない訳が無い」
「龍園……Cクラスの生徒だったわよね」
図書館の真っ白な妖精さんの、静かな呟きを思い出す。彼女からの情報は実は少ないが、核心的な裏付けは取れている。彼女も乃亜がただ一つの『確信』を得たがっていると知って、あんな
彼女は嘘を吐いていなかった───というよりは、椎名ひよりにはどうしてか、佐々木乃亜を謀ろうという意思が一切なかった。龍園へ反感を抱いているのかと思えばそういう訳でもなく、乃亜へと強く肩入れをする訳でもない、何とも言えない位置で揺蕩う不思議な妖精さんだった。
───正当防衛を主張することすらバカバカしくなるこの状況だ、だが龍園が噛んでいるとすれば、バカだなんだと笑ってばかりはいられない。
業腹な手口とは言える、これまで海外のカジノなんかにも忍び込んで賭けてたりした乃亜だが、こんな強引な手を使ってこられるのは実のところ2度目だった。だからちょっとだけ、ぶっちゃけた話をすると
堀北一人に任せて、後は綾小路と共に後ろで「がんばえー」と手を振っていてもいい。
だが、須藤の怪我を見て、無抵抗の人間だとしてもあそこまで暴力を奮えるという事実を認識して、堀北はまだやはり矢面に出すべきではないと判断した。───言ってしまえば、龍園を舐めていたのだ。
「佐々木なら、どんな策を以て須藤を訴える」
「……」
「佐々木……?」
「…………───『悪』の発想ならパッと2個出た」
「……聞かせてくれ」
「須藤を襲ったやつを同じくらいに……いやそれ以上に痛めつけて、証言台に出させる、車椅子で登場させるくらいに
すると『怪我』というファクターの価値は大きく下がる、相手方の重症度次第では、『怪我』の土台の上ではこっちの方が劣勢にすらなるだろう。後はどっちが先にやった、やってないか、そんな不毛な争いの幕開け。
……そこからもう複数人を同じくらいに痛めつけて、「別の日に襲われてました」とでも言わせる。こうすりゃ被害者の数による多数決によって詰み。
んでもう片方は人質大作戦。このクラスなら───そうだな、軽井沢あたりだろうな。
例えば櫛田は顔が広い、八方美人の甲斐あってか他クラスにも知名度は届く、下手に手を出せば要らないヘイトを買う。例えば堀北はそもそも眼中にない、これは単純に他クラスへの知名度と、Dクラス内でのカーストの問題だな。
その点で言えば軽井沢はちょうどいい。アレ一匹で取り巻きが釣れる、平田も釣れる、平田のコバンザメも釣れる、バカ共が大漁でいいことづくめだ。オマケにクラス内での発言力もそこそこで、須藤と天秤にかけても軽井沢を選ぶアホは多いだろうな。顔もいいから悲劇性も抜群、声もキーキー雌猿みてぇにうるせぇからビデオ映えすんだろ。
そんで軽井沢を拉致して監禁暴行、裸に剥いて泣き喚いてるとこを写真でも動画にでも撮って、Dクラスにメッセージ付きで送る。
『須藤への訴えを無条件で通せ』ってな。ここで大切なのは、別にメッセージの命令に従ったところで、撮ったデータを消すだの軽井沢を返すとも明言していないところだ。そうして始まるのは、Cが操りDが暴れる構図の、やりたい放題フリーダムタイム。
そうやって次々と飛ばされてくる命令、けれどDクラスは何もできない。はいこれで詰み」
堀北の顔に焦りが浮かんだ。理解できるようにはなってきたようだ、これが別に
あり得ない話ではない、いやむしろ───とか、考えているのだろうな。
「あの時言ったろ、使えないゴミなら使えないゴミなりにリサイクルできる『価値』があるって」
「……? ……そう、予習した範囲が出てきてしまったのね」
目を伏せながら、こめかみを白い指で揉み解す堀北。予習した範囲とは、ガリ勉美少女の堀北らしいコメントだ。
綾小路はそんな真っすぐな彼女へ問いた。
「堀北、同じことを聞くことにはなるが、狙いは何だと思う?」
「Dクラス潰し」
「具体的に」
「……クラスポイントを潰しに来ている、そこから派生してプライベートポイントも削り、クラス全体の士気は落ちる、不和を呼び込み結束を阻害することで、下から登ってくる脅威を封殺できる。
それから須藤君という運動系の戦力潰し、これに関しては退学させられたら万々歳、予後不良を与えられたらラッキーくらいかしら。
───そしてCからDへ与えられる敗北感、これは強烈でしょうね。なにせ『自分たちのクラスにはあの滅茶苦茶な要求が通ってしまう』なんて価値観が植え付けられてしまえば……心は折れる、もう2度と上には行けなくなる。……今一度実感したわ、この一件は甘く見ていいものじゃない。何かのはずみで負けてしまえば、クラスを丸ごと乗っ取られても不思議じゃない」
現状と想定の再認識をこなし、甘えの姿勢が抜けた堀北。
最悪の想定はすればするほどいい。臆病に足を取られるのなら論外だ、臆して一歩も進めないなら尻を蹴飛ばして無理やり地獄でも何にでも飛び込ませるが、堀北はそうはならないだろう、何たって とホワイトルーム最高傑作が育成中の期待の新馬なのだから。
………………あれ?
「1週間後、生徒会を交えてCクラスと話し合いが行われる。その結果次第ではポイントは剥奪。須藤にも処分が下されるだろう」
その一言で締めくくられて、茶柱の話は終わった。
それは同時にHRが終わりを告げようとしていることだった。
「早速だが、オレは今日の内から動くべきだと思う」
「……」
「そうね、一週間後までに何かしらの手立てを……せめて時間稼ぎが出来るだけの材料を見つけないと」
「そうだな」
「……オレは堀北と一緒に、一之瀬へ協力を仰ぎに行こうと思う」
「!?」
堀北が目を丸くしながら、綾小路のシャツの襟を引っ張り上げる。
そして綾小路の耳元で疑問を投げかけた。
「なんだかどきどきしそうなよかんがするぞ」
「永久に黙りなさい。……大丈夫なの?」
「昨日会った時、あいつはCクラスから嫌がらせを受けていると言っていた。状況を共有すれば一時的な協力関係は築ける。ゆくゆくを考えれば、お前にも一之瀬の性質を見せておきたい」
「……一之瀬帆波が有用なのは確かだ、使えるモノは使い潰せば良い」
佐々木乃亜と一之瀬帆波の事情は配慮する必要などないのだ。そこに足を引っ張られるのはとても困る。一之瀬の力を借りられるという事実は、それだけで結構な価値があると乃亜は推測している。
……まあ、嫌と言えば嫌だが、それはもう言っても仕方ないだろう。
いつかの敵より眼前の敵ということだ。
「ほら、切ない片想いな佐々木もこう言ってる」
「……」
「ほ、本当に好きだったのか……?」
「違う」
扉を開けて自分の姿を表した時、喧騒が一斉に鳴り止んだ。
次の授業までの束の間の瞬間、それは一息入れて、気持ちを切り替えるために必要な儀式でもあった。それを邪魔させたことに、綾小路は多少の申し訳なさを
視線が一斉に自分の方角へ向いている事を意識しながらも、我関する事もなく、目的の人物をパッと見て探してみる。
名前と性別しか知らない、いわゆる友達の友達という存在だ。顔も知らない自分からすれば、結局は誰かしらに聞く必要性があるだろう。だから最初にこうして目で探してみる無意味も、あまり目立った学校生活を送りたくない自分としての、最後の抵抗のようなものだった。
だが、存外世界とは自分の思った通りに進んだりもするようで。
一眼で分かった。
性悪だの腹黒だの悪性情報が人の形を為した災害だの、あまりにそれはどうなのかと思うような表現をする『彼』ではあった。
同時に、同じくらいの頻度で、優秀だの、頭が良いだの、可愛いだの、美少女だのと、頭脳の高さや容姿を褒めちぎっている印象もあった。
だから杖を机に立て掛けた少女と目が合った時、現実離れした容姿とその存在感を感じて、彼女こそ綾小路が探していた存在であるとすぐに理解した。
菫色の視線が、綾小路の全身を観察している。
友人のような隔絶した洞察力がある訳でもない綾小路だったが、『彼』のように例えるのならば、その
その真意を理解するには、きっと時間が惜しい。ただでさえ授業と授業の隙間を縫ってここに居るのだ。
「坂柳有栖だな」
「……───綾小路清隆君、ですね」
互いに知っている、知られている、しかし怪訝な思いは浮かばない。
共通の友人、そして『彼』を通した特徴の把握。あれだけ優秀優秀だと『彼』が言うほどの存在ならば、綾小路の特徴を諳んじるだけで、顔を知らずとも特定出来るであろうことは想定済みだった。
「話がしたい」
「ふむ……それでしたら、場所を変えましょうか」
「いいのか? ……オレはこの場でも構わないが」
立て掛けられた杖、あまりにも小さく華奢過ぎる体付き、そして友人曰くの『軟弱貧弱悪辣美少女』というあまりにもあんまりな渾名。
短い休み時間を歩かせて彼女を消耗させるのは、『彼』に対して申し訳なさを覚えるだろう。
「お気遣いありがとうございます。ですが、『彼』の耳にはあまり入れたくはないお話とお見受けしました」
「話が早いな。あいつが気に入っているのも分かる気がする」
「それでは行き───気に入っている、とは、具体的にはどんな?」
「ああ、あいつはお前に対しての文句も多いが、それと同じ……いやそれ以上に褒めちぎっては自慢してくる。『可愛い』『美少女』『アリスって名前が良く似合う』『お菓子食べてる姿がリスみたい』『頭が良い』『天才、超天才』『深窓の令嬢(擬態)』『チェスは俺より強い』『あいつのおかげで俺は野垂れ死なずに生きていられてる』……発言の1割も満たないがこんなところか」
「…………そうですか……そうですか、そうですか。……ところで喉は渇いていませんか? 小腹も大丈夫ですか? 何か買いたかったらいつでも言ってくださいね。それから多少授業に遅刻してしまっても『彼』のポイントから補填分はお渡しする事を約束しておきます」
「互いの財産に区別が無いのは似たもの同士だな」
幼馴染のポイント残高を、当たり前のように自分の担保として考える友人を思い出した。
そうして2人は教室から移動していく。Aクラスからの警戒の視線はあったが、スキンヘッドの生徒が周囲へ一言掛けた途端に鎮められる。
『彼』の中では、堀北を据えるにはまだ時期尚早と考えていたようだが、それも確かに納得できる統率力の一端を見た気がした。この統率でクラス全体のアベレージも高いのなら、なるほど相当な強敵だ。だがいずれはぶつかる、ぶつける、それが楽しみで仕方ない『彼』なのだろう。……今は、どうなのかは分からないが、分かるために綾小路は坂柳の元へ訪れたのだ。
移動して腰を落ち着けてからも、坂柳は上機嫌を保っていた。綾小路はそれ見て、聞きたい事を聞きながら、要所要所で『彼』からの褒め言葉を挟んでおいた。
遅刻の補填にしてはあまりにも過多なポイントを受け取って、綾小路は、他者を用いて遠回しに褒める事による利益を学ぶのだった。
「これが噂のスペシャル定食か」
「はぁ……期待はしていませんでしたが容赦がありませんね」
グラタンをスプーンで口へ運びながら、椎名はエビフライを満足気味に齧る隣の男子へ睨みをぶつけている。乃亜は気にせず尻尾まで喰らいつき、その様子に椎名はますます悔しそうな視線をぶつけていた。
騒がしさがピークに達するお昼時、乃亜と椎名は隣り合って、奢り奢られながら、昼餉を共にしていた。
「うん、良いボリュームだ。こりゃ確かに不平等条約も結ばれる訳だ」
「ほぅ、定食一つで植民地が作れる時代とは、人の欲は飽くなきものですね」
「奢りなら尚更に美味く感じるように出来ているし、だから人間って生き物は面白いワケなんだ」
「発言が悪魔や人外のそれですね。佐々木君なら納得ですけれど」
「椎名は俺をなんだと思ってんだか」
「現代に顕れてしまった人類愛に溢れる悪魔、でしょうか」
「だと思ったわ。初対面の時から人間を見るような目で俺を見てなかったもんな」
「……だから人外扱いされるんですよ」
苦虫を噛み潰したような顔をしながら、けれど溜め息を吐いて気分を切り替えた椎名。
椎名は、彼女にとっての本題を切り出した。
「一週間後、でしたか」
「そうだな」
「佐々木君であれば理解しているでしょう。このまま行けばイーブンです」
「俺に言ってもよかったの?」
「貴方に行き着く先の予測が出来ないとは思えませんから」
「そうか」
「……勝算があるのでしょうか?」
「この件自体をパーにする手段ならかなり思いつく。そうすりゃ無駄に怪我しまくったあっちと、1人だけが怪我したこっち、それで相対的ではあるけど勝ち。」
「けれど───貴方は、それが許せない」
「……」
言い当てられて、つい顔を逸らしてしまう。
「これは紛う事なく『悪』の手段です。悪辣とは、相対する者を不快にさせるにはどうするべきか、それを考えるところから始まるものだと私は考えます」
「同意だ」
「須藤君の怪我を見て、不快を感じましたか?」
「そりゃな」
「嘘を吐きましたね」
くすりと、声にも出していない誰かの心が聞こえた気がした。
周りを見渡しても、近くには椎名と自分以外はいなかった。
「貴方が不快に感じたのは、物質的な話ではなく、精神的な話の筈です。貴方達は須藤君を含めた赤点候補生の為に尽力しました。そして彼等は、尽力してくれた貴方達に恩義を感じていた」
「……」
「そんな貴方達への恩義に報いるべく、須藤君は大人数で襲われようとも立ち向かいもせず、貴方達への献身の為に、誇り高き無抵抗を見事に貫いたのでしょうね」
「……あいつはそれを誰にも言ってなかった。胸に秘めて、俺達に気を負わさないようにしてたんだろ」
「そうなのです」
彼女が少し笑ったような気がして、そんな自分の目が信じられなくて、もう一度椎名の顔を見た。
彼女は悲痛であるとでも言いたげな顔をしながら、けれどすらすらと、椎名ひよりの口から出るとは思えないような事を喋り始める。
「彼は顔を殴られ、お腹を蹴られ、腕を踏まれ、足を叩かれ、目に見える場所にも、一見では分からないような場所にも、何度も何度も、大人数に囲まれて何度も、丹念に入念に、無様に蹲る姿を嘲笑われながらも、誰かに助けられる事もなく、孤独の中で暴力を振るわれ続けた」
椎名が分からなくなってきていた。
断言する言葉は、きっと彼女の優れた予測と龍園の様子から保管して得た、彼女の中の結論なのだろう。だから直接その目で見たような物言いは理解できる、乃亜とて似たような形で見解を喋る事は何度もあったからだ。
でも、乃亜は、目の前の白い少女が本当に椎名ひよりなのか、それが分からなくなってきていた。
心の激情を煽りたがるような声色で、囃し立てるような色をして、紫苑のように揺らぐ瞳の潤いには謎の期待と───乃亜には理解が出来ない悍ましい色が見えた。
「素晴らしい精神力です、その強さは腕っぷしが強いのとも違って、誰に出来ることでも無いでしょう。誇り高い、そう言っても過言ではない黄金のような行いなのでしょう。けれど───その誇りを龍園君は穢してしまいました」
暴力的な事を、こんな色で喋れるような少女だったのか。
乃亜は、本当に、彼女を見誤っていたのだろうか。
図書館をプラネタリウムと言ったあの彼女は、本当に今目の前にいるコレと同一人物なのか。
「貴方は、その行いが許せない。だからこの一件を無かったことにしても、何一つの責を負わずに済んでしまうCクラスの人達に怒りを抱いてしまう。引き分けに持ち込むために怪我をした人たちですら……いいえ、須藤君の頑張りを穢すための意地汚い努力をした彼らだからこそ、貴方には怒りの対象として目に映る」
乃亜の胸の中心を、その指で優しくつついた。
「須藤君の誇り高き行いを、泥だらけの靴で踏み躙るような行為に対して、貴方は強い怒りを覚えている」
当たっている、だが。
「勝負という土台の上での佐々木君は容赦が無く、鮮烈に、凄惨に、怒涛の勢いで敵を打ちのめす。ですがそれは互いが了承した同位置にて行われる『戦い』であるからこそ、貴方は安心して敵を潰すことが出来ている。
これは佐々木君にとっては、とても大切なルールです。貴方が無意識のうちに己を律している
ですが……残念な事に今回の龍園君の行いと企みには、ルールがありません。闇討ち、と呼ばれるモノですね。
チップはありません。コインを弾いて解決する事もできません。5カードを揃えたところで意味などありません。ダイスを振っても役に立ちません。
そんな時に佐々木君はどうしますか? これは佐々木君が楽しんでいたゲームとは違います。きっと行き着く結末では、暴力が待ち構えているような結末もあり得るでしょう。暴力に抗うことでしか手がなくなった時、貴方は、どうやって貴方の中の怒りを晴らすつもりなのでしょうか。
佐々木君の中には、暴力に対する理知的な対処法があるのでしょうか? それとも……」
白い手が、乃亜のシャツを優しくつまんだ。
そしてゆっくりと、椎名の一言一句に対して衝撃の抜け切らない乃亜を、彼女はゆっくりと引き寄せる。
彼女は顔を近づけて、乃亜の首元へと顔を埋めて、こう言った。
「───既に備わっている『
気に食わなければ、怒りのままに『潰せ』ばいいと。
耳元で、白い妖精が、乃亜へと囁いた。
「佐倉がなんか知ってる。多分、現場を見てそう」
放課後になってから、綾小路へ、自身の中で確定している結論を無機質に伝えた。
須藤の隣に座る、佐倉愛里という女生徒。
彼女には、須藤が登校する前から既に、ある程度の緊張感があった。てっきり乃亜は須藤が遅刻したが故のクラスポイント減点を恐れているのかと思ったが、須藤が登校した姿を見た瞬間に、その情は大きく膨れ上がっていた。
故に須藤を見やるついでに彼女を眺めていたのだが───恐らくはビンゴだ。
「罪悪感、恐怖、羞恥、大まかにこの3つが見えた」
「罪悪感に恐怖は……理解できる。リンチの現場を見ての恐怖と、その証人として名乗り出る事が出来ない罪悪感だろう。だが羞恥は……一体なんだ?」
「さあ」
何処ともなく空虚を見つめながら、会話を一方的に打ち切ってしまう。
明克に笑う様子も、冷静に事実を積み上げていく様子も、悦楽に耽る様子も、今の佐々木乃亜では発現させられない。言い表すならば、元気が出ない、とでも言えば良いのだろうか。
腑抜けていると自嘲しても、やはり皮肉の笑みすら浮かばない。
「……」
「佐々木……熱でもあるんだろう、帰って休め」
「…………いや、具合が悪い日こそ当たる。インフルでも単勝握り締めたら大穴取ったし、骨折しても病院から抜け出して駅前で打ったらお座り一発だったんだ」
「誰もそんな話は聞いてないわ」
「一回転目で全回転リーチでRush突入したんだ、隣の兄ちゃんがそれ見てキレ気味だったんだ……ザマァ……」
「やっぱり今日のお前は調子が悪そうだな」
「いつも通りに見えるけれど」
「よく見ろ堀北」
ビシッと人を思い切り指差す綾小路。
それに釣られて面倒な顔を隠す事なく乃亜を見る堀北だったが、綾小路の説明を聞いた瞬間に考えを改める事になる。
「普段の佐々木ならば思い出の中の悦に浸って気持ち悪く笑う、ニヘラと粘り気のある笑みだ、かなりキモい。だが今はどうだ」
「! 確かに、今の佐々木君はまったく気持ち悪くないわ……! よっぽど辛いのね」
「お前らには人の心が無いのか」
揶揄われている自覚はあるが、やはり、乃亜はどうにも力が出ない。
本当に風邪でも引いたのかもしれない。
「……佐倉愛里が目撃者だという情報もお前から貰ったんだ、一之瀬とも連絡は取れたし協力するという言質も取れている。丁寧に突き詰めていけば佐々木抜きでも問題は無いだろう。この一件に関してはオレと堀北で何とか出来る範疇だと思う」
「いや、でも……」
「そうね、いつまでも子供扱いされっぱなしは癪だもの。邪魔だから帰りなさい」
「でも……」
「キツイ言い方だな、病人は労わるものだぞ」
「……佐々木君が心配だから休んでもらいたいのよ。……これで良いかしら、綾小路先生?」
「ばっちぐー、だ。先生だけは絶対にやめてほしいが」
そう言って、2人は乃亜に一切意識を向けないようにしていた。会話からハブにして、無理矢理にでも帰れという事なのだろう。
この分ではどんな意見も突っぱねられそうだった。
「分かった、帰る」
「そうしろ」
「お大事にしなさいね。……じゃあ私達は、まず一之瀬さん達に会いに行きましょうか」
「ああ、方針を決める為にも直接合わない訳にはいかないからな」
そう言って、堀北と愉快な仲間1号2号は教室内で解散した。
教室を出る前に、少し、止まる。
「須藤」
「……な、なんだよ」
扉の近くの席の須藤に、不意打ち気味に話し掛ける。
彼は、やはり、何かを隠そうとしていた。乃亜にだけは知られないようにと、きっと堀北が声を掛けても同じような色を見せるのだろう。
だから、やっぱり、乃亜の推測は当たっているのだろう。
「怪我、早く治して、大会でダンク決めてこいよ」
「……おうっ、ありがとうな!」
腫れた顔で、けれど痛みを感じさせない、快い、清々しい笑顔だった。
───良くないモノが溜まっていく。
白い妖精が唆して自覚させたモノが、時間が経つごとに表に浮き上がろうとしているのを感じる。
過去を以て封じていたモノ。
未来への展望の輝きで見えないようにしていたモノ。
現在を謳歌する事によって過ぎ去ろうとしていたモノ。
ふと、自分の両手を見る。
ふと、自分の足元を見る。
大丈夫。人は転がっていない。
大丈夫。腹を抑えて嘔吐する子供はいない。
大丈夫。殴られる事に怯えて蹲る女性はいない。
大丈夫。大丈夫。きっと大丈夫。自分は全然大丈夫。
「坂柳、暇してっかな」
Aクラスを覗いてから帰ろうと思った。
別にそこには、意図など無い。
普通の高校生とは、そういうモノだろう。
椎名が壊れちゃった