───要であるのが『石』であるのは確かです。
「あー、そう、なるほど、お前が
「い……石? 確かに俺は石崎だけど……」
───昨日から頭痛がひどい。
乃亜の発言に戸惑いながら、体中の傷の痛みに顔をしかめるのは、Cクラスの石崎だ。
妖精の呟きを思い返せば、なるほどそういうことかと納得した。
───ですがきっと、石をどかせば。
つまり、コイツを退かさないと、奥で笑ってる邪悪は出てこない。
逆に言えば、コイツを退かしさえすれば、奥で笑ってる邪悪は自らの意思で出てくると。
───
引っ込まれる恐れを懸念していた乃亜だったが、こうして綾小路と堀北の3人で参加してみれば、理解もしやすかった。……なんだよ、話は早いじゃないか。
早いところこの1件をパーにすればいい。そうすればクラス間抗争に於ける被害もなく、むしろ堀北のレベリングという観点で見れば実においしいイベントですらあったのかもしれない。
オマケに首謀者は自発的に穴倉から出てくると来た。なら出てきた瞬間を押さえて
椎名の言が信用に値するのかというハナシなら、食堂での乃亜が見た様子からして、虚言で惑わそうという訳でもないらしい。……もしも嘘を言っていたのなら、彼女に対しての容赦も必要ないという意思表示も含まれているのだろう。乃亜の悪意を見たがっている節があるが、だとしたら本人で
いずれにせよ、このくだらないお話合いを終わらせなければ、にっちもさっちも状況は動かない。
───これは佐々木君が楽しんでいたゲームとは違います。
「……──────ハァ……やるか」
───頭痛がする。
昂揚しない気分のまま、乃亜は本格的に口を開いた。
生徒会室で行われた、DクラスとCクラスによる、須藤暴行事件の話し合い。
互いの主張が全くもって平行線であるのは予想していた。
しかし事前に佐々木が予想した通り、Cクラスは3人も、須藤と同程度の重傷を負って出てきていた。車椅子のレベルの奴がいなかったの幸いだった。
そしてやはり佐々木が予想したように、怪我人の人数差で少しづつ裁判官でもある生徒会長と生徒会書記の心象は、Cクラス側へと傾きつつあった。……生徒会長は茶番であることを看破していたが。
堀北の弁論も筋は通っていた。兄である生徒会長がいようとも、委縮することなくハッキリと意見を伝え、持ち前の自信に満ちた力強い言葉によって場の空気を動かそうと躍起になってくれていたが───如何せん、そもそも今回の議題自体が、不毛な言い争いの場へとなり果ててしまっている。
佐々木が重要参考人であると睨んだ生徒───佐倉の目撃証言は、確かに有用だった。だが須藤への暴力の重症度を鑑みるに、彼女へ有用な証言をさせる事自体が危険であると判断した佐々木が、彼女から協力してもらうことを断念したのだ。Dクラス側としては、佐倉の証拠が無ければ決定打に欠ける……だが、佐々木が佐倉の身柄を危ぶんだのなら恐らくは
悔しそうに唇をかみしめる堀北の前で、痛み分けという納得のいかない結論へと進みかけたその時。
「絶対的な証拠はある」
たった一言が、場の空気を掌握した。
ついにヤツが動いたのだ。
「何なら今から届けてもらってもいい」
「ほう……そこまで言うからには真実なのだろうな。許可する、持ってこさせるといい」
机の上で手を組んでいる生徒会長が、新たな変数に期待したような声で佐々木を促す。
ずっと黙り込んでいた生徒が、突然に膠着した状況をひっくり返しかねない一言を差し込んだのだ、彼の興味を引くには十分だったのだろう。周囲の人間も同様に、警戒や期待といった各々の形の視線を佐々木にぶつけている。
オレもその一人だった。具合が悪そうな日々が続いていた佐々木だったが、まさか単独で動き、佐々木自身の圧倒的洞察力による情報ですら不確定であると自ら判断するような佐々木だ。そんな男が『絶対』とまで言い切るほどの情報は、きっと100%の勝率を誇る極大の一手なのだろう。
オレはとても期待していた。オレは早々にこの件を流して時間稼ぎへ持って行くつもりだったからだ。だから佐々木の一言には引き込む力があったのだろう。
だが……佐々木乃亜とは、その全ての予想を超えていく男だった。
「『
そして、ヤツは弾けた。
「みんなで仲良く『
おもむろに椅子を引いて、思い切り勢いをつけて、両足を偉そうに机の上で組んだ。
佐々木の鍛え抜かれた足が叩きつけられて、机が軋む音が生徒会室に木霊する──────全員、唖然とした。
同伴していた茶柱や、偉そうに座っていた生徒会長までもが口を開けていたのは、印象に残る。
「…………ばっ、バカバカしい話ですね全く。見苦しいったらありゃしない」
「そうでもないね。何故なら証拠はあるからだ」
Cクラスではあるが一応は教師相手だというのに、不遜な態度を崩さず、佐々木はノータイムで断言して見せる。
そのするりとした物言いに、オレはやはり新証拠の可能性を信じてしまっていた。───だがそんな情報は事前に共有した覚えもなく、匂わされていたこともない、
そういえばこいつは賭博プリンスだったことを思い出す。つまりは。
───ブラフか、それにしては堂々としすぎだが、佐々木らしいな。
「では何故5時間も待つ必要があるのでしょうか? 無駄な時間稼ぎもいい加減にしていただきたいものですね」
「じゃあ逆に聞くけどよぉ、何で
「は?」
この時には既に、全員の意識は『5時間』の意味に釣られている。
もはや、証拠の内容を意識している者は、一人や二人だった。
そしてその例外は、Cクラスの陣営には誰も該当していない。包帯を巻かれ尽くした者も、教師である者も、『5時間』と描かれたシャボン玉に目が引かれて、中身が空虚でしかないという可能性を認識できずにいた。
「少しでも時間が欲しいってんなら『明日持ってきます!』でも『家に忘れちゃって……』でも、宿題忘れた小学生ムーブかましときゃ良かったろ。でも俺は
ちなみに『5時間』宣言からは2分しか経過していない、携帯を一瞥してから言ったのにも関わらずだ。きっとこいつは心臓が超合金なんだろうな。やる気がないのかは知らないがいい加減すぎる野郎だった。
だが佐々木の発言は至極もっともな意見だった。そしてこれは、間違いなく佐々木自身の『5時間』宣言を揺るがす意見でもある。それを敢えて自分から言い出す、そして他の粗を相手に探させる。
するとどうなるのか───相手は、勝手に考え出す。『5時間』が真実だった場合の不都合、『5時間』に当て嵌まるためのナニカ、ありもしないモノを、自分の記憶から取り出して無理やりに当てはめようとする。
「……」
「なぁ、本当に分かんないのか?
「……椎名、だと……? …………まさか……」
きっと佐々木はこう考えている、「あ、やべ、当てずっぽうでなんか掘り出しちった」と。その話題を出されると何のことか分かる訳もない佐々木としては困るのだろう、早いところ話題を変えようとしていた。
とはいえ圧巻としか言えなかった。
椎名という名が誰を差すのかは不明だったが、Cクラスの間ではそこそこ通じる力があったらしい、分かりやすく動揺が増していた。……どうせ佐々木は「そういやそんなんもいたな」くらいのノリで付けてみたのだろうが、その判断というべきか本能というべきか、取捨選択の鋭さと即決っぷりは、確かに賭博プリンスの本懐と言えるのだろうか。
「なーんか残念だな、Cクラスは目下最大の敵だったと思ってたけど、大したことなさそうでさ」
「……ハッタリだ、時間も何もかも出鱈目ですよ。そこまで追い込まれては意固地になってブラフを張るしかないという証拠ですよ」
「あー、
一応は冷静さを取り戻しかけていた教師が対抗しようとするが、佐々木があまりにも簡単に意見を引かせたこと、『龍園』という無視はできない単語、そして捨て駒という龍園がやりそうな
冷静に聞いていれば分かるだろう。『5時間』と『龍園』に繋がりなど何一つもない、多分絶対関係ない、1から10までが出鱈目だろう、すげぇなコイツ。だが相手は考える、謎の証拠のリミットを明確に断言したこと、捨て駒であるという意識を強めさせたこと。そして勝手に相手は繋げていく、『5時間後に自分たちが自爆させられるような何かを龍園は仕込んでいるのではないか』と。
佐々木は全てを鼻で笑って、相手からの質問には何も答えず、相手からの嘲笑も無視して、されど綺麗に話をどんどんすり替えていった。
「このうっとおしい催しもとっとと畳んでさ、早いとこ龍園引っ張ってきてくんない? お前らじゃ話になんねーのも分かったし。俺がいるって言えばあっちから来てくれるだろうし」
「はっ、はん、龍園さんがお前なんかを相手する訳が「話は変わるけどさ──────」
あれだけ拘っていた『5時間』はもはやどこへ行ったのだろうか。今では龍園を連れてくるか来ないかに話は変わっていた。そして矢継ぎ早に、次の空砲を佐々木は打ち鳴らす。
時にはこうして相手の話へ強引に割り込んでいっても、もはやだれも止められなかった。いや、Cクラスの陣営は、止めたくても止められなかったのだろう。
「──────カメラ、
「……はぁっ!? 無かったに決まってるだろうが! 無いからこうやって……!」
言葉の全てに意味があると思い込んでしまうのだ。佐々木は嘘だけで喋っている、深堀りされればすぐに矛盾は出る。だが力強い断言を自信満々に続け、ノータイムで事実であるかのように話を続け、そして敢えて相手に熟考させるように促すのだ。……するとどうだろうか、「そういえばそんな気がする!」と勝手になってくれる。バーナム効果から始まるホラ吹きの常套手段を、余すことなく披露する。占い師見習いからすれば実に勉強となる参考資料に違いない。
ギャンブラー精神に目覚めていなければ、今頃は特殊詐欺でもして国際手配でもされていたんじゃなかろうか。或いは坂柳の扱い方からして、結婚詐欺とか。
「チンパンジーは単細胞で困るね、いったいいつ俺が
「……虚言とハッタリのフルコースね」
「ああ、面白いな、これ」
堀北も少し前から気が付いている。この蹂躙がどこへ着地するのかも大体の想像はついているだろう。それでも口を挟まないのは、弁舌力の良いお手本として見物していたいのだ。
少しだけ呆れた様子なのは、まあ、それはオレも同意見だから何とも言えなかった。
コイツは人狼ゲームの狂人に据えれば無双する。何ならコイツと人狼系統のゲームは絶対にやりたくない、即当てて即終わりだ、つまらなすぎる。そう思った。
「無かったって言えるの? 本当に? 動画撮影って──────携帯でも撮れるくね?」
「ッ!? ま、まさか……!!」
「おっと興味深いなその反応。動画があったら不都合みたいな顔してんね? むしろお前らの身の潔白を証明できるのに? それって決定的って言えるくらいに不自然な態度じゃない? 生徒会長の目の前で? ───お前、今、大ポカやらかしちゃったねぇ? あららんどうしちゃったの、顔面真っ青だけど? 人って焦りと恐怖で顔から血の気引くんだけど、あららのら! 石崎クンってば顔色悪いよ! もしかしてポカしたからこの後に龍園からボコボッコにされる想像でもしてるワケだ!? 可哀そうにね! アイツその辺容赦ないだろうから、お前のそのギブスの上から蹴り入れて全治までのロスタイム追加とか平気でやりそうだもんね!!」
些細な感情のブレを、えげつないくらいに抉り出す、周りの状況も使い尽くす、この場にいない龍園の印象すら使う。詰められている石崎は、今にも泡を吹きそうな勢いだった。南無。
オレは既に、この賭博プリンスの独壇場を、特等席で観戦するモードに入っていた。
……携帯で動画撮影ができるという事実はそこまで衝撃的なのだろうか……おお、今度は携帯からドローンに話題が変わったな……呼び出してリンチにしたんだからドローンを仕掛けるのは難しいと思うんだが……。
被害者である須藤には悪いが、ポテトチップスとコーラが欲しい気分だった。
「よくもまあ、あそこまで喋り続けられるわね」
須藤を先に帰らせてから、後からぞろぞろと生徒会室を後にした乃亜達。
Cクラスの連中は痛みの支配する体を引きずりながらも足早に、それでいて乃亜への畏怖の感情の乗った視線を向けながら去っていった。そこまでのことしたかしらん?
ずっこけ堀北3人組に茶柱を含めた4人だけが残された生徒会室前で、軽蔑混ざりの視線を、乃亜へとぶつける堀北。……なるほどコツを知りたいらしい。じゃあそう言え、口下手すぎるだろ。
「コツは微妙に会話を
「貴方ほどには出来るとも思えないけれど……貴方みたいにもなりたくないし」
「一番の立役者にすごいこと言うんだな、堀北は」
そうなのだ、「ひとまずは平行線だし佐々木乃亜もこう言ってるし、証拠用意してから1週間後でまた会おう!」という結論へ持って行ったのは他ならぬ乃亜だったのだ。精一杯頑張ったというのにこの仕打ちとは……嘘だ、全然頑張っていなかった、なんならかなりテキトーにやってた。
相も変わらずな堀北の辛辣な態度に、綾小路は戦慄している。無論ながら、テンションの低い今の乃亜でさえちょっと驚愕していた。
くつくつと、喉の奥から笑い出した茶柱が、乃亜へと感心の色を向けてねぎらってくる。
「呆れたものだな……証拠など無い、言葉にも意味などない、だがCクラスの連中は最初から『佐々木乃亜』を警戒していた。だから初めに披露した荒々しいデモンストレーションの時点で全てを釣り上げてしまえば、後は掌の上で踊らせるだけ。計算通りにすべてがうまく運んだな? 流石は賭博プリンス様じゃないか」
「話し合いの最中、俺の動向は強めに見られてたっすからね。龍園にでも言われてたんじゃないすか? 『佐々木の動きは必ず報告しろ』とかなんとか」
この時点で、龍園が本当の標的にしているのが誰なのか、龍園が何故このような強引な手段を
……まさか、どこぞの白い妖精が龍園に「貴方はもう、
「あっち側には雑魚しかいなかったのも幸いしてるっすね。お陰様でやりたい放題できた、ちょっとのストレス発散にはなったかな。……龍園は『Dクラス全体』ではなく、『佐々木乃亜』の名前を出してまで俺がどう動くのかを知りたがってる。───これは、何を意味すると思う?」
突発的に作った問いを堀北へと投げかける。
投げられた堀北は、すぐさま考えを纏めるために思案の海へと入り込み、その様子を興味深そうに茶柱は観察していた。
「警戒は、当然でしょうけれど……そのあからさまな言い回しは、もう一声欲しいってことよね」
「分かってきたな」
「……恐怖?」
「所感でいい、何となくでも理由をつけてみろ」
一つの結論が出て止まりかけていた思考を、綾小路の声が再び動かさせる。
「…………石崎君を始めとしたCクラスの彼らは、佐々木君が本格的に発言する前から怯えているような気がしたわ。……龍園君が指示を出した時に、彼が佐々木君に恐れを抱いていたから、その恐怖が伝播していた……?」
「うん、オレも同意見だ」
「堀北に同意する」
「……気に入らないわね」
男子2人を睨みつける堀北。だが全然効かないのだった。
その様子を見守っていた茶柱は、再び楽しそうに、喉の奥から笑い始めた。
「ほう、最近のお前たちはやたらと仲が良いと思ってはいたが、そうか、育成中という訳か」
「リアルウイニングポストっすよ。やったことないっすか?」
「同級生でそれをやる倫理観皆無のアホには縁が無いな、お前以外には」
「喜ぶには早いぞ佐々木、これは褒められているんじゃない、クズ野郎だと言われているんだ」
「そうね、照れたところで貴方のゴミのような人間性が地の底から上がるわけではないのよ」
「お前らの名前を『絶対に許さないノート』に書き込んでおくからな」
納得がいかずに首をかしげる乃亜を先頭に、生徒会室から離れていく。
先に帰ったはずの顔が、途中の廊下で待っていた。見える感情は、謝意──────その顔が見えた瞬間、乃亜はその方へと歩き出していく。
「須藤」
無表情で、乃亜達を待っていたであろう須藤へと近づいていく。
彼が何かを喋り出す前に、乃亜は冷たい声で全てを封殺する。そうだ、苛ついているのだ、乃亜は。
「この件が片付いたら色々な理由で言う機会が無くなるだろうから、今の内に言っとく」
乃亜は、無表情のまま、
「二度と無抵抗なんて馬鹿しでかすんじゃねぇぞ」
周囲は信じられないものを見るが、須藤自身が一番信じられなかった。乱暴に掴まれたと思ったのに、怪我が痛むようなことは一切なかった。
全身怪我だらけでも、ようは負担が無い持ち上げ方をすればいい。乃亜は体を動かしづらい人間の、負担の少ない持ち上げ方を知っている。知っているから出来るだけだ。
「自分だけが傷つけば解決だと思ったか? 自分が我慢すりゃ上手く収まると思ったか? アホだろお前。……綾小路も堀北も必死に走り回って! 俺にキレられて! 敵に訴えられて────結局は嵌められて形勢もイーブンに持ち込まれて!! 分かるか? 現状が示してんだ! 自己犠牲なんかに価値は無いんだってよ!!!!」
「私はスルーか」
「ついでに茶柱も巻き込んで!!」
「教師を呼び捨てにするな」
茶柱から軽いチョップを喰らう乃亜。
教師からの体罰を受けた衝撃のあまり、乃亜は須藤から手を離す。
呆然としていた須藤は、しかしすぐに我を取り戻すと、真剣なまなざしで乃亜を見ていた。
「そのバカみてぇな真似は二度とすんな。素行が悪かろうと、ガラが悪かろうと、お前が傷ついても大丈夫なんて本心から思ってる奴なんざクラスにゃ一人も居ねぇんだよ。つーか居たら俺がギタギタにしてやる」
「佐々木……ああ、悪ぃ……」
「俺は何があっても、今回のお前の行動を褒めたりなんかしねぇぞ。何もせずにそこまでの怪我するくらいなら、ガンガンぶん殴り返してやればよかったって今でも思ってる」
「言い過ぎよ、元々は手を出させるために計画していたのでしょうから」
「全然だ、むしろ目の3つや4つくらいは潰してやりゃよかった」
心底の本音を吐き捨てた。
だって事の仕組みは簡単だ、敵が暴力を使って、こちらが理知的な手段を設ける余地がないのなら、それはもうどうしようもない、どうしようもないのだから、ぶん殴るしかない、敵を凌駕する暴力を用いなければならない、暴力を誇るつもりならそれ以上の暴力でその誇りを粉々に砕かなくてはならない。
砕いても心が強靭で、何度でも向かってくるようなら、『殺』さなくちゃいけない。
何せ今回は、ルールが無い。
チップは無い。コインを弾いて解決する事もできない。
5カードを揃えたところで意味などない。ダイスを振っても役に立たない。
乃亜が楽しんでいたゲームとは違う。
理知的な対処法が無ければ、ただ抗うこと以外にできないのなら、その時、乃亜は?
「佐々木……?」
「…………もう、すんなよ」
「あ、ああ……もう2度としねぇ。……ありがとうな、佐々木」
須藤が嬉しそうに言ってくる。──────違うだろう、感謝を受けるべきは違う、なんで。
……頭を振って、痛みの棘を振り払う。
どうやら乃亜の機嫌の悪さは周りにも伝わっているようで、堀北が珍しくも気を遣った言葉を掛けてくれるようだ。
そして彼女は、その優しいお口を開いた。
「暑さで頭がおかしくなってるわね」
「バリカンでその髪剃ってやろうか」
訂正。コイツは言いたいことを言ってるだけだ。
第1回、『CクラスVSDクラス裁判会』の次の日。
放課後になってから、綾小路は唐突に手を差し出してきた。
坂柳ならまだしも、野郎の手なぞ咄嗟に取る訳もなく、ぼんやりと「このままシャーペン突き刺したらどんな悲鳴を上げるのかしら」とか考えていた。……案外目の前のポーカーフェイスボーイなら「いたい」だけで済ませそうな予感がした。
「佐々木、ポイントをくれないか」
「いきなりの無心はどうかと思うけど……」
力にはなりたいがしかし、綾小路がポイントを乞うてきた意味を少し考えても、やはり
もしかして友達付き合いの形を間違って教えていたかしら、乃亜は少し悩んでしまう。反面教師にしていたわけではなく、ガッツリ学びの教材として使われていた可能性には、さしもの乃亜とて罪悪感まっしぐらだった。
「どうやらお前の不調はまだ続いているようだな」
「……お前は俺を高く見積もりすぎ。全部を見通す預言者さまじゃない」
「大預言者Noahなのにか」
「どっちかっつーと俺はたぶん…………あー……ポイント使って何かを買うなら一之瀬に頼めばいいだろ」
物欲の類を辛うじて感じた乃亜は、携帯を出す労力すら面倒がって一之瀬へと投げる。
彼女のリソースは潤沢だ。乃亜の方が持っているだろうと言う輩もいるかもしれないが、今は財産の多くを坂柳へ預けている。また誤送金事件を引き起こすことに臆病になっているのだ。
それに、今は、ギャンブルにかまける気分ではない。あまり多くのポイントを持ち歩いても意味が無い。
「オレも考えたが、お前との確執を考えれば頼み辛いんだ。こないだ会った時も、神崎という生徒と堀北がいたからかもしれないが、Dクラスの俺達に対して気まずそうだったぞ」
「それでも
「……本当に何か弱みでも握っているのか?」
「言いたくない」
それきり一之瀬については、喋る意思が失せていく。
……一之瀬に限った話でもないのか、これは。
「今日も休んだらどうだ?」
「そうする」
鞄を持って寮へ帰り支度を済ませていく。
その前に──────ちょっと、真面目に考えてみる。
「………………ああ、カメラか」
「! ……不調なのか絶好調なのか分からない奴だな」
「昨日、Cの連中はカメラの有無へ敏感に反応してた。存在自体の精査は相当に済ませていただろうが、そりゃ正確な位置を完全に把握しているなんて、人間である以上は『絶対』なんて言い切れない。
そして一番警戒していた俺がひょこり『絶対的な証拠はっありまぁす(笑)』とか堂々と宣って、挙句にカメラや映像の可能性にまで思わせぶりに言及してんだ、相手が龍園や坂柳やお前だったら平然としてただろうが、思考停止したチンパンジー共にそんな器用なことができる訳が無い。マスカット一粒で金網ガシャガシャさせてブ千切れる野蛮なモンキーだぜ? 龍園様からの指示待ちのゴミ共でもあるアイツらに頭を使うって発想は無いんだろうさ。
だからカメラの存在に思いっきり動揺した。
「正解、だが……大丈夫か?」
「あー? 何が?」
乃亜はもう疲れていた。しっかりと考えた反動か、思考には昨日以上の量の
どうしても、単純で、分かりやすくて、思考する必要のない簡単な手段が表に出てこようとしている。それを押さえつけるのが、とにかく疲れていた。
「…………いや、何でもない。早めに帰って休め。間違いなくお前は疲れている」
「そうする。……───最後の交渉の時は呼んでくれ、絶対に、必ず」
「分かってる」
友人が何かを言いたげにしているのは理解できるが、生憎、今の乃亜には汲み取るだけでも
……訂正。不快じゃない。不快なわけがない。友からの思い遣りが不快に思える訳がない。
不快じゃなかった、そうに違いなくてそれが事実だ、そう結論付けた乃亜は、教室を後にした。
頭を振って頭痛を振り払った。
全部、気のせいだった。
「彼、大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないんだろう。……こういう時は適材適所だな」
堀北が珍しく、素直に心配の感情を声に出している。本人も多少は自覚があるらしいが、外から見た今の佐々木乃亜は、オカシイとしか言えない。
だから綾小路は、携帯端末をポケットから取り出した。
「大丈夫にできるやつに頼もう」
そして、1通のメッセージを送った。
ちゃんと歩けていた自信は無い。
普通の自分で進めているのかは分からない。
正常な判断で下校していたような記憶もない。
ふらふらと、どこへ進みたいのかもわからず、何も考えず歩いていた。考えようとしても、
手持無沙汰な自分を嫌ったのか、ポケットからコインを取り出そうとした。
だが、どこにも無くて、そういえば坂柳に没収されてからそのままだったと思い出した。
賭博禁止のウィークもとっくに過ぎ去っている。新しいコインを買いに行くのもいいだろうと、顔を上げた。
絶句した。
「…………」
どうして、乃亜はここへ。だって、警戒していた、アレの声は乃亜を良くない方向へ手招こうとしている、それが分かる、乃亜が嫌っている乃亜の根幹を抉り出そうと言葉を尽くす。彼女の興味心一つで、佐々木乃亜という少年はこんなにも不安定にさせられている。
ここにいたくない? ここにいるべきではない? ここにいてはならない?
ではなぜ、佐々木乃亜はここにいる。
本当は──────ここに、来たくて────────────「入らないんですか?」
白い囁きが、首元に埋まっていた。
「っ……!」
「あ……驚かせちゃいましたか?」
彼女は、急に飛び退いた乃亜の姿に、少しだけ傷ついたような顔した。
年相応の女の子のように、拗ねた色は、本物であると判断した。
年相応の女子高生のように、心配を表に出す色は、本物であると判断した。
「でも嬉しいです。……あれから会えてなかったですよね? メッセージを送っても返信がなかったものですから、佐々木君に何かあったんじゃないかと心配していました───よかったです」
乃亜の知らないその色も、いつぞやの見間違いではないと、判断した。
「私
否定を口の中で紡ぐ暇は無かった。紡ごうとしていたかさえ定かではなかった。
左手を掴まれて、紙とインクの香りが充満する世界へと誘われていく。
白く、細い、彼女の長髪が靡いて、乃亜の視界の中心に現れる。
真っ白の世界に、何も言えずに囚われていると、視線に気が付いた彼女が振り向いた。
「? ───ふふっ」
にこやかに笑う。
掴まれた左手を振り抜けば逃げられる、でも抵抗を起こす気は、でなかった。
俯きながらも大人しく誘われる乃亜を見て、彼女の色は、柔らかい笑みの深みと共に増した。
瞳の中で揺れているその色──────ああ、分かった、理解できた、納得もいった。
それは、色香と呼ばれる、人の悪性の一つ。
椎名ひよりは、きっと、乃亜の中で蠢く、人が持ち合わせてはならないモノへの興味心に。
佐々木乃亜は、きっと、彼女の囁きが、乃亜の根幹のモノを抉り出すその痛みに。
図書館の妖精と、賭博好きの悪魔は、魅せられあったのだ。
興味心とは、欲望だから。痛みとは、存在の肯定だから。
昔読んだ、他人事とは思えない一説が、口から洩れる。
「───罪は、戸口で待ち伏せている」
色欲という名の罪は、きっと、乃亜がこの場所へ来ると知って、待ち伏せていたのだろう。
真っ白な色彩を纏って、紙とインクの香りを纏って、
「ふ───ふ、っ……でしたら私は、このあと、佐々木君に
「
こわいほどに、椎名は──────
頭を振って頭痛を振り払った。頭痛だけが、気のせいだった。
他は、真実だった。
気が付けば、夕暮れすらも姿を隠した、闇色の時間帯になっていた。
19時を回り、20時まで到達しようという頃になって、ようやく乃亜は寮への帰路を進んでいた。
足取りは重たくは無い。けれど決して軽くもない。
ただ、悪い気分ではなかった。
自分ですら否定していた部分を、受け入れてくれた。
目を覆いたくなるほどに悍ましい佐々木乃亜の宿痾を、肯定してくれた。
それがただの興味心であることなんて知っている。隠しているモノ、隠そうとしているモノ、それが必死で在ればあるほど、秘密を暴きたくなるのは、人の宿命だ。人の秘密とは、どうしても、甘い味がするから。それが醜ければ醜いほど、暴いて手にした時の喜びは果てが無いだろう。
でも、それでも、乃亜は嬉しかったのだろう。
自分本位な生き方しか知らないから、だから、乃亜は、自分が笑えるならそれでよかった。
「お腹、減ったかも」
熱の籠るような時間だった。
噎せ返るような色を取り込んだ時間だった。
そりゃ疲れる。汗だって掻くし、腹だって減る。
「夕飯、あったっけ」
もう寮のマンションへついてしまっている。エレベーターにも乗り込んでいる。何かを買いに戻るのも少し億劫だった。
部屋に戻り、食べれるものがあるかどうかを確認してからでもいいだろうと。
携帯を確認して、乃亜の持っているポイントを確認してから───何となく、坂柳とポイントをなし崩し的に共有している現状に、謎の罪悪感が生まれた。……くれと言われれば無償で渡すが、少なくとも共有財産のような現状はもうやめた方がよさそうだ。
坂柳へその旨を伝えるメッセージ文を作り上げている最中、乃亜の部屋のフロアへ、エレベーターは止まった。
「……」
部屋の鍵を取り出すために、携帯端末を一度ポケットにしまう。
歩きながら文章を打っていたからか、画面で埋まっていた視界が、一気にクリアになる。
乃亜の部屋の玄関が見えた。そして。
彼女は、ほほ笑んでいた。
「おかえりなさい、乃亜君」
たった今、彼女へ向けたメッセージを打っていた途中だった。
坂柳は、杖を壁に立てかけて置いて。
扉の前で、小さく座り込んで、誰かを待っていた。
「……」
「遅かったですね。まあいつまでも子供という訳にはいきませんから? 昔みたいに叱ったりはしませんけれど、しかしあまり遊び歩くのも問題です。乃亜君はただでさえ素行が悪くて不良でギャンブル中毒のダメダメな人なんですから」
「…………てた」
乃亜の小さな言葉も、坂柳は聞き逃さず、しっかりと紡がれるのを待っている。
「いつから待ってた」
「さあ? ちょっと、分からない質問かもしれません」
「……今、俺の携帯の電池が切れそうだ。時間が見たい。画面見せろ」
「いやです」
このやりとりの時点で乃亜は看破した、坂柳は携帯の電池残量を見せたがらなかった、少なくとも3時間弱は経過している。
洞察だの考察だの観察といった小難しい話じゃない、これはもう直感だ。
坂柳は、学校が終わってから、ずっとここで乃亜を待っていた。
携帯を弄って、ずっとここで座って、一人で。
「……神室とかは?」
「お買い物に付き合ってもらった後に解散しました」
胸が張り裂けそうになる。
何で連絡してくれなかったのだろうか。どうして、一報さえあれば、乃亜は別に暇だったから、坂柳の暇つぶしくらいなら付き合っていた。なのに、どうして。
───そうすれば、きっと、
「……お疲れであるとは伺っていましたが、成程、確かに重症ですね」
「何言ってんだ、お前……バカなのか」
「いえ、ついに私に嫌気がさして無視していたのかと思っていたのですが……安心しました。気が付いていなかっただけなんですね」
心底からの安堵を乃亜に見せて──────背筋が凍った。
「……いつ、頃」
「17時30頃と、18時頃に、一通ずつ」
「…………ちょっと、遊んでた、ごめん、気が付かなかった」
彼女の目を見ると、不快な胸騒ぎが乃亜の情を蝕んでいく気がした。
だが、彼女の微笑みは、涙が出そうになるほど、胸を締め付ける、切なくなる。
「……───乃亜君、私は乃亜君に待ちぼうけをさせられました」
「うん……ごめん」
「いいんですよ、気にしないでください。……そしてここには、なんという素晴らしい偶然でしょうか、私が買ってきたであろうスーパーの袋があります。お野菜にお肉にと、きっと素晴らしい人格者がふんだんにポイントを費やしたであろう高級品質の食材があります」
「……運んだのは神室だろ」
「うるさいですよ罪人乃亜君。……そして私は、この食材を提供して『待ちぼうけをさせられた罪』の清算を求めます」
「───分かった、とりあえず部屋入るか」
幼い頃を思い出すようなやり取りをして、自然と浮かんだ笑顔で2人共に部屋へと上がる。
昔と違うのは、部屋の内装か、年齢か、背丈か。
──────それとも、穢れたこの──────
「ふふ、乃亜君のお料理する姿は久々ですね。エプロンが似合ってないところとかも、昔と変わらず可愛らしいですよ」
『───既に備わっている『
「ほっとけ」
何への言葉かも、もはや判別はつかなくなっていた。それでも乃亜は、持ち前の洞察力を目の前の現実のためだけに総動員させて、白い言葉をどうにか遠ざけ続ける。違和感が無いように、予感と直感で会話を成立させていく。
きっと乃亜が頑張れば、その分だけ、菫と銀の少女は笑ってくれるから。
懐古が胸を切なくさせる、暖かな空気の中。
悪魔は、白い言葉でとっくに目を覚まし、全てを冷たく俯瞰していた。
先生、なにもしてないのに椎名が壊れてきます