織田家の嫡子~藤左衛門家の特異点 作:デトロ!開けろイト市警だ!
小田井城でのある日のことだった。
本当に、何でもない時だったと思う。
軍議の最中でもなければ、評定でもない。
慶次郎と助右衛門が珍しく揃って、俺の側でだらだらしていた。いや、助右衛門はだらだらしていたわけじゃないな。あいつは座っているだけで、何となく「待機中の槍」みたいな空気になる。だらだらしていたのは、主に慶次郎の方だ。
俺はその日も、何かの帳面を見ていた。
兵糧か、人の出入りか、どっちかだ。こういう時代に生きていると、派手な戦の裏で、結局一番多く見るのは紙と人の顔になる。
で、ふと、本当にふとだ。
前の人生の知識が、何の脈絡もなく浮いた。
前田慶次郎。
有名だ。
有名すぎる。
そこまでは、まあいつものことなんだが、その次だ。
そういえば、こいつ、滝川一族の出だったはずだよな。
その瞬間、頭の中で別の名前が跳ねた。
滝川一益。
俺は帳面から目を上げて、慶次郎を見た。
「なあ、慶次郎」
「何だ、治部殿」
「そういえば」
俺は少し首を傾げる。
「織田家家臣団に、滝川左近将監はいないよな」
慶次郎が、ちょっとだけ目を瞬いた。
驚いた、というより、何で今そこへ飛ぶ、という顔だった。
「ああ」
と慶次郎。
「左近将監なら、伊賀か伊勢のどこかにおります」
俺は思わず身を乗り出した。
「どこかの家中に出仕してるのか?」
「いえ、浪人中です」
あまりにもあっさり返ってきて、逆に一拍止まった。
浪人中。
いや、待て。
それ、待てよ。
「おお」
と慶次郎が、そこで少し面白そうに口元を上げる。
「治部殿が雇っていただけるなら、ありがた――」
「連れて来て!」
慶次郎が止まった。
助右衛門も止まった。
空気まで一瞬止まった気がした。
慶次郎が、やや遅れて言う。
「……は?」
「連れて来て」
俺は念を押した。
「今すぐ」
「今すぐって」
「今すぐだよ」
「いや、治部殿」
慶次郎がさすがに笑う。
「左近将監は、一人でふらっと歩いてるわけじゃありません」
「うん」
「一族を連れております」
「一族全員!」
今度こそ、慶次郎は完全に黙った。
助右衛門が、静かにこっちを見る。
その目は「また始まった」という目だった。
失礼な話だが、完全には否定出来ない。
「治部殿」
と慶次郎。
「本気か」
「本気だよ」
「左近将監だけでなく?」
「一族ごと」
「食わせると」
「食わせる」
「住まわせると」
「住まわせる」
「武辺だけじゃないぞ」
「分かってる」
「老人も女も子もいる」
「だから一族全員なんだろ」
慶次郎は、そこで初めて完全に笑いを引っ込めた。
俺の顔を少し見て、それから、ああ、こいつ本当にその気だな、って顔になる。
「承知しました」
「よし」
「しかし」
と慶次郎は続けた。
「ずいぶん食いつきましたな」
「そりゃ食いつくだろ」
俺は思わず言い返した。
「滝川左近将監一益だぞ」
「……」
「来るなら、来てもらうに決まってる」
助右衛門が、そこで一つだけ低く言った。
「そこまでか」
「そこまでだよ」
俺は帳面を閉じた。
ここは、説明しづらい。
いや、説明しようと思えば出来る。
出来るが、そのまま言ったら俺の頭がおかしいと思われる。
前田慶次郎は有名だ。
前の人生でも、名前だけなら知らない方がおかしいくらい有名だった。
で、そういう名前の知名度って、時々妙な連鎖を連れてくる。
花の慶次。
あれを読んでいれば、慶次郎だけ切り離して考える方が難しい。
あの男の横にいるべき奴がいる。
無駄口少なくて、骨太で、慶次郎と並んだ時に妙に絵が締まる奴だ。
奥村助右衛門。
俺は、目の前の助右衛門を見た。
こいつがもういる時点で、だいぶ嬉しい。
嬉しいんだが、そこで終わりじゃない。
慶次郎がいて、助右衛門がいて、さらに滝川左近将監一益まで来るとなったら、そりゃ食いつくに決まってる。
前の人生の漫画知識だけで人材登用を決めてるみたいで、我ながら少し嫌だなとは思う。
だが、嫌でも何でも、使える奴が来るなら使う。
しかも、浪人中で、一族ごと抱えられるなら、なおさらだ。
「治部殿」
と慶次郎が言う。
「左近将監を何だと思っておる」
「有能な武辺で」
「うむ」
「ただ前へ出るだけじゃなくて引き際も判断できる」
「うむ」
「任せたらちゃんと任された分を回せる奴。鉄砲の名手で、城主としても有能。忍の者とも縁がある」
慶次郎が、少しだけ眉を上げる。
「……ほう」
「それに」
俺は助右衛門も見る。
「お前らと並べた時に、締まる。俺の代わりに前線で指揮できる。十兵衛殿とは違った運用が出来るし、左近将監がいれば十兵衛殿をもっと内治に寄せることができる」
助右衛門は無言だった。
慶次郎は、そこで吹き出した。
「締まる、だと?」
「そうだよ」
「人を掛け軸か何かみたいに言うな」
「実際そういう見方も大事だろ」
「何だその見方は」
「分かる奴が並ぶと、戦の形が締まるんだよ」
「理屈のようでいて」
慶次郎は肩を揺らした。
「だいぶ雑ですな」
「雑でも合ってるならいいだろ」
助右衛門が、そこで短く言う。
「間違ってはおりませぬ」
俺はそっちを見た。
「お前、それ認めるんだ」
「その、滝川左近将監が来れば」
助右衛門は淡々としている。
「確かに締まるでしょう」
慶次郎が、面白くなさそうな顔を少しだけした。
「何だ、助右衛門」
「は」
「お前、左近将監びいきか」
「びいきではない」
「なら何だ」
「強い者が増えるのは良いことだ」
その返しに、今度は俺が笑った。
本当に、こういうところだよな、助右衛門は。
色気がない。
飾りもない。
だが、その実、変なところで話を綺麗に地面へ下ろす。
「聞いたか、慶次郎」
「聞いた」
「お前よりよっぽど素直だぞ」
「助右衛門と比べられて嬉しい男は少ないぞ」
「俺は別に嬉しくなくていい」
「治部殿は時々、本当にひどい」
慶次郎はそう言いながらも、口元は笑っていた。
あいつも分かってるんだろう。
俺が冗談半分で言ってるわけじゃないってことを。
「どれくらいで行ける」
「そうですな」
と慶次郎は少し考えた。
「今いる場所次第ですが」
「うん」
「探して、話をつけて、一族ごと動かすとなると」
「うん」
「少しはかかる」
「でも行くんだろ」
「行きます」
慶次郎は頷く。
「治部殿がそこまで言うなら」
「よし」
「ただし」
「何だ」
「連れて来たあとで、“何か思ってたのと違う”は無しです」
「ねえよ」
「本当に?」
「本当だよ」
「一族全員だぞ」
「だから一族全員でいいって言ってるだろ」
慶次郎は、そこでようやく観念したみたいに息を吐いた。
「承知しました」
「よし」
「左近将監一人ではなく」
「うん」
「一族ごと、連れて参ります」
それを聞いた瞬間、俺の頭の中で、何か一つ階梯が進んだ気がした。
まだ来てもいない。
話もついていない。
道中で何があるかも分からない。
だが、それでも分かる。
こういう「まだ居ない奴」を先に手の内へ入れられる時、戦国は少しだけこちらへ寄る。
「治部殿」
と慶次郎が、立ち上がりながら言う。
「一つ聞いてよろしいか」
「何だ」
「左近将監の名を、どこで聞いた」
俺は一瞬だけ考えて、それから肩を竦めた。
「何となくだよ。気比大神のお告げとでも思っとけ」
慶次郎は、絶対に信じていない顔をした。
助右衛門は、信じるも信じないもない顔だった。
「何となきゃ」
と慶次郎。
「治部殿の“何となく”ほど怪しいものはありませんな」
「当たるだろ」
「当たるのが困るんです」
「じゃあ、なおさら連れて来い」
「承知しました」
慶次郎が出ていく。
助右衛門も続く。
二人の背を見送りながら、俺はようやくもう一度帳面を開いた。
だが、さっきまで見ていた兵糧や人足の数字は、もう頭へ入ってこない。
滝川左近将監一益。
前の人生の知識ってのは、時々こういうふうに、変なところで急に繋がる。
戦場の先手先手だけが改変じゃない。
こういう「拾い漏らしてた名前を、今のうちに拾う」ことだって、立派な改変だ。
しかも今回は、一人じゃない。
一族ごとだ。
俺は、思わず少しだけ笑った。
悪くない。
いや、かなりいい。
慶次郎がいて、助右衛門がいて、そこへ左近将監まで来る。
どう考えても、面白くないわけがない。
その時点で、俺はもう、滝川一族が来た後の座組を勝手に考え始めていた。
♢
小田井の来客用の部屋なんて、本来はもっと慎ましい場所のはずなんだが、その日は妙に狭く見えた。
人が多いからじゃない。
いや、人も多い。
多いが、それより一人一人の気配が濃い。
畳は新しくない。
柱も、那古野みたいに立派な木じゃない。
香なんて焚いてないし、障子の紙だって張り替えたばかりってほど白くもない。
なのに、その小座敷へ入った瞬間、俺は思った。
ああ、やっぱり濃いな、と。
一番奥に座っているのが、滝川左近将監一益。
年の頃は十兵衛と比べると若い。父上とほぼ同年代だろう。
だが、座り方が若くない。
浪人をして、一族郎党ごと連れて歩いてきた男の座り方だ。
痩せてはいない。
だが、余計な肉もない。
手も目も、どっちも遊んでいない。
それでいて、あからさまな殺気を出してるわけでもない。
こういう男は、戦場へ出しても使えるし、座敷へ置いても使える。
どっちかだけの奴より、厄介で、ありがたい。
左近将監の少し斜め向かいに、明智十兵衛。
その隣に竹中半兵衛。
こっちの二人は、もう別の意味で濃い。
十兵衛は、初めてこの小座敷へ通されたわけでもないくせに、まるでその場の席次ごと飲み込んで座っている。
礼を崩しているわけじゃない。
だが、いざとなれば座敷そのものを仕切れる顔をしている。
半兵衛は半兵衛で、十兵衛ほど表へは出ない。
出ないが、障子の紙のたるみから火桶の置き方まで、一通り見てから静かに座ったのが分かる。
あいつはそういう男だ。
何も言わない時ほど、目だけはよく働いている。
で、残りが慶次郎と助右衛門。
この二人は、もう見慣れた。
見慣れたが、改めてこういう座へ置くと、やっぱり妙だ。
慶次郎は、どこにいても慶次郎だ。
武辺の癖に、妙に人の顔と空気を読む。
派手に見えて、見るところは見ている。
助右衛門は逆に、最初から最後まで助右衛門だ。
静かで、硬くて、無駄がない。
あいつは派手さこそないが、座敷の中に一本槍を立てたみたいな安定感がある。
俺は座って、五人を一度見回した。
うん。
やっぱり濃い。
「治部様」
最初に口を開いたのは、左近将監だった。
声は低い。
だが、低いだけじゃない。
ちゃんと礼を立てた上で、距離を測っている声だ。
「このたびは、一族ごと召し抱えていただき、かたじけなく」
「いや」
俺は首を振る。
「こっちが来てほしかったんだ」
「……」
「左近将監が一人ならともかく、一族ごと抱えるのは重かろう、と言われはしたが」
「そうでしょうな」
左近将監は少しだけ口元を動かした。
「軽くはありませぬ」
「ならなおさらだ」
俺は笑う。
「軽くないものを、軽くないまま抱えられる時に抱えた方がいい」
左近将監の目が、そこで少しだけ細くなった。
試すような細まり方じゃない。
ああ、こいつはそういう勘定で動く若か、という細まり方だった。
「老人と女が多うございます」
と左近将監。
「槍働きが出来る者は、数えればすぐ尽きましょう」
「聞いてる」
「儀太夫益氏もおります」
「それも聞いてる。慶次郎の親父さんだっけ?」
「……」
「で?」
と俺は少し肩を竦めた。
「だから切る理由にはならないだろ」
そこへ、慶次郎が口を挟んだ。
「左近将監の叔父貴」
「何でしょう」
「治部殿は、そこを本当に気にしない」
「気にしない、ではあるまい」
と十兵衛が静かに言う。
「気にした上で、それでも要ると判断しておいでなのです」
左近将監の目が、今度は十兵衛へ向いた。
「明智殿にございますか」
「十兵衛で結構」
「では十兵衛殿」
左近将監はわずかに頭を下げる。
「その言い方だと、すでに長くお仕えのようだ」
「長くはありませぬ」
十兵衛は平然としている。
「ただ、治部様はそういうお方だと、もう知っているだけです」
そこへ、半兵衛が柔らかく重ねた。
「抱える人数が多いのは、見方を変えれば根でもあります」
「根」
と左近将監。
「はい。根のない者は、使い捨てには向きますが、家にはなりにくい」
「……」
「治部様は、人だけでなく家まで抱えようとしておいでです」
「買いかぶりだよ」
と俺。
「そこまで立派じゃない」
「立派かどうかではなく」
半兵衛は少しだけ笑う。
「やっておいでです」
こういうところなんだよな、この二人は。
話が早い。
しかも、俺が適当に誤魔化したいところまで勝手に拾って言葉にする。
便利すぎて時々腹が立つが、やっぱりありがたい。
左近将監が、今度は半兵衛を見る。
「竹中殿、ですかな」
「半兵衛です」
「では半兵衛殿」
左近将監は、そこでほんの少しだけ口元を緩めた。
「なるほど、たしかに、説明が半分で済みそうな顔ぶれだ」
「半分どころか」
と慶次郎。
「治部殿の妙な話でも、須臾で飲み込むぞ、この二人は」
「慶次郎」
と俺。
「はいはい」
慶次郎は肩を竦める。
「褒めてる」
助右衛門が、その横でぽつりと言った。
「事実ではある」
「お前まで乗るなよ」
そこだけで、座敷が少しだけ緩んだ。
左近将監も、ようやく肩の力を一つ抜いたのが分かった。
新参の一門ごと抱えられた男にとって、一番厄介なのは、無言のまま値踏みされ続けることだ。
そこを少し崩したかったから、慶次郎と助右衛門のこの手の横槍は、正直助かる。
俺は左近将監へ向き直った。
「左近将監」
「は」
「一つ、先に言っておく」
「何でしょう」
「俺は、貴殿をただの槍働きとして呼んだわけじゃない」
「……」
「戦場で使えるのは前提だ」
「は」
「だが、それだけなら他にもいる」
「……」
「忍び働きが出来るなら、その伝手も使いたい」
「ほう」
左近将監の目が、そこで初めてはっきり光った。
「どこまでお聞きで」
「甲賀の出だとか、そういう話を少し」
「少し、でございますか」
「少しでいい」
俺は言う。
「全部を今ここで明かせって話じゃない」
「……」
「ただ、伊賀や伊勢、美濃の境目あたりで、足が速くて、口が堅くて、地べたを知ってる奴は要る」
「おります」
即答だった。
それが良かった。
変に勿体ぶらない。
出来ることと出来ないことの線が引けてる男だ。
「なら、それでいい」
「承知しました」
「ただし」
俺は少しだけ笑う。
「忍びばっかり集める気はないぞ」
「無論にございます」
「表も裏も、両方いる」
「そのように見えます」
左近将監の視線が、十兵衛、半兵衛、慶次郎、助右衛門へ順に流れた。
たしかにそうだ。
表で筋を通す十兵衛。
裏で流れを読む半兵衛。
前で突っ込む慶次郎。
黙って割る助右衛門。
そこへ左近将監が入るなら、外の目と横の足が増える。
悪くないどころじゃない。
相当いい。
「で」
と慶次郎が、わざとらしく言う。
「治部殿」
「何だ」
「そろそろ、こっちも片付けていただきたい」
「何を」
「十兵衛と半兵衛だ」
俺は、そっちを見た。
この二人については、たしかに宙ぶらりんだった。
どっちももう、だいぶこっちへ寄っている。
話もする。
考えも共有する。
実際に、美濃の西美濃三人衆や鵜沼の虎、大沢次郎衛門の扱いだって、この二人の頭を借りずに進める気はなかった。
墨俣だってそうだ。
俺がお市との婚姻の陰で、こそこそ築砦の形を練っていた時、この二人はただ感心して見ていたわけじゃない。
見て、測って、どこまで本気かを見定めていた。
十兵衛が、静かに口を開く。
「治部様」
「うん」
「私は、貴方がただの戦上手ではないと見ました」
「……」
「西美濃三人衆をどう崩すか、鵜沼をどう扱うか、墨俣をどう築くか、それらを、別々の手ではなく、一つの流れとして見ておいでだ」
「買いかぶりだよ」
「いいえ」
十兵衛は首を振らない。
「そこが、仕える理由になります」
半兵衛が続いた。
「私は、築く方を見ました」
「……」
「壊す方は、武辺なら誰でも口にします」
「うん」
「ですが、治部様は壊した後に何を置くかまで、先に考えておいでだった」
「……」
「墨俣の砦もそうです。城ではなく、流れを置こうとしておられた」
「……」
「ならば、仕えるに値します」
小座敷が、そこで少しだけ静かになった。
慶次郎は、さっきまでの軽さを引っ込めている。
助右衛門も、まっすぐ二人を見ていた。
左近将監は、何も言わずに聞いている。
あいつはたぶん、こういう時の言葉の重みをちゃんと量れる男だ。
俺は、一度だけ息を吐いた。
「……分かった」
そして、まず十兵衛を見る。
「十兵衛」
「は」
「仕えてくれ」
「御意」
短い。
だが、それで十分だった。
次に半兵衛。
「半兵衛」
「はい」
「お前もだ」
「承りました」
こっちも短い。
短いが、やっぱり十分だった。
そこで慶次郎が、ようやく笑った。
「やれやれ」
「何だよ」
「これでようやく、口だけじゃなくなった」
「お前、今まで何だと思ってた」
「口と勘の集まり」
「失礼だな」
「当たってるだろ」
「半分はな」
「半分も当たってるなら十分だ」
助右衛門が、その横で静かに言う。
「違います」
「何がだ」
と慶次郎。
「口と勘だけでは、ここまでは集まりませぬ」
慶次郎が一拍止まり、それから笑った。
「……それもそうだ」
左近将監も、そこで初めてはっきり笑みを見せた。
「なるほど」
「何が」
と俺。
「この座敷が狭く見えるわけです」
左近将監はゆっくりと言った。
「人が多いのではない」
「……」
「人の中身が濃い」
「今さら気づいたか」
と慶次郎。
「今、確信しました」
と左近将監。
俺は、その返しに少しだけ笑った。
たしかに狭い。
小田井の、ただの来客用の部屋だ。
那古野みたいな広間じゃない。
清洲の評定座敷でもない。
だが、その狭い部屋に今いる五人は、たぶんこれから先の俺の戦と実務の骨になる。
十兵衛。
半兵衛。
慶次郎。
助右衛門。
左近将監。
表の筋。
裏の流れ。
前へ出る武。
黙って割る武。
そして横から潜る足。
俺は、その並びをもう一度見た。
悪くない、じゃない。
ここまで揃うなら、相当やれる。
「よし」
そう言って、俺は手元の紙を引き寄せた。
「じゃあ、早速働いてもらう」
「早いですな」
と半兵衛。
「早い」
と十兵衛。
「だが、そうでなくては」
と左近将監。
「当然です」
と助右衛門。
慶次郎だけが、少しだけ面白そうに笑う。
「治部殿」
「何だ」
「やっぱり、手柄首の匂いがする」
「首だけ見てると置いていくぞ」
「なら、その少し横を見ることにします」
そう言った慶次郎の顔が、妙に嬉しそうだった。
たぶん俺も、似たような顔をしていたんだろう。
♢
小田井の小座敷で、あの五人が一度に揃った夜、俺はさすがに少しだけ頭を抱えた。
抱えたといっても、人が集まりすぎて困った、という贅沢な悩みだ。
だが、戦国の贅沢な悩みは、大抵そのまま兵糧と銭の悩みへ変わる。
十兵衛。
半兵衛。
慶次郎。
助右衛門。
左近将監。
この五人だけなら、まだいい。
問題は、その後ろにいる人間だ。
左近将監は一人で来たわけじゃない。
慶次郎が連れてきた滝川一族は、おおよそ三十人。老人、女、子が多い。槍働きが出来るのは数えればすぐ尽きる。慶次郎の実の父親である儀太夫益氏もいるし、食わせ、住まわせ、冬を越させるとなれば、ただ「面白い面子が増えた」で済む話じゃない。
俺の今の知行で不可能とは言わない。
言わないが、かなり赤い。
というより、下手をすると見栄だけで回してる家に見える。
それは駄目だ。
人を集める時、勢いで集めるのはいい。
だが、集めた後で「やっぱり食えませんでした」は最悪だ。
特に今回は、一族ごと抱えた。
なら最初に詰めるべきは、武功の分け前より先に、食わせる仕組みの方だった。
だから翌日、俺は清州城へ上がった。
上総介兄上と勘十郎兄上へ、正式に報告を入れるためだ。
小田井で拾ってきた武辺を、勝手に手元へ溜め込んでます、じゃ済まない。
しかも今回は十兵衛と半兵衛まで正式に仕えると決まった。
ここを曖昧にすると、あとで家中の評判が濁る。
上総介兄上の前へ出ると、勘十郎兄上も一緒だった。
この二人が並んでいると、話が早くて助かる。
その代わり、言い訳はあまり通らない。
「太郎左衛門」
と上総介兄上。
「ふん、顔が少し渋いな」
「良い渋さならよいのですが」
勘十郎兄上が、そこで口元を少しだけ上げた。
「人は集めた」
「は」
「で、銭だな」
「……はい」
やっぱり早い。
この兄上は、こういうところが本当に早い。
「申してみよ」
と上総介兄上。
俺は頭を下げた。
「まず、ご報告にございます」
「うむ」
「滝川左近将監一益、一族ごと小田井へ入っております」
「聞いておる」
「は」
「それと」
俺は続ける。
「明智十兵衛、竹中半兵衛の両名も、正式に某へ仕える旨、定まりました」
「……」
「美濃での西美濃三人衆、鵜沼の虎、大沢次郎左衛門への対応、墨俣築砦、それらを見て、決めたとのことです」
上総介兄上の目が、わずかに細くなった。
「そうか」
短い。
だが、悪くない時の短さだ。
勘十郎兄上が言う。
「慶次郎、助右衛門、左近将監、十兵衛、半兵衛」
「はい」
「ずいぶん面倒な連中が揃ったな」
「ありがたいことにございます」
「ありがたいが」
兄上は少しだけ肩を竦めた。
「お前の知行では、腹が苦しかろう」
「その通りです」
ここで見栄を張っても仕方ない。
俺は、はっきり言った。
「今のままでも回せぬことはありません」
「ほう」
と上総介兄上。
「ですが、かなり赤字に近い水準にございます」
「……」
「左近将監一族を抱え、十兵衛と半兵衛を正式に迎えた以上、今のままでは長くは持たせたくありませぬ」
「うむ」
「そこで、お願いがございます」
上総介兄上は顎を少し引いた。
「申せ」
「椎茸でございます」
勘十郎兄上が、そこで先に笑った。
「やはりそこへ行くか」
「行きます」
俺は真顔で答えた。
「今の俺の手元で、最も確実に銭へ換えやすいのは、椎茸です」
「……」
「ですので、椎茸栽培の権利を、織田本家へ買い上げていただけないかと」
上総介兄上は、少し黙った。
椎茸。
言ってしまえば地味だ。
戦の場で槍や鉄砲の話をしてる時に、急に椎茸と言い出すと、わけが分からなく見えることもある。
だが、この兄上はそういうところで笑わない。
「どう買う」
と上総介兄上。
「本家の名でさらに広げていただく」
「うむ」
「苗床、山の使い方、干しの流れ、売り先、それらを本家へ渡す代わりに」
「……」
「俺の側へ、まとまった銭と、今後の分け前を少し」
勘十郎兄上が、そこで指を軽く畳へ当てた。
「全部を手放す気か」
「全部ではありません」
「うむ」
「元の仕組みと、次の改良は俺の手元へ残します」
「なるほど」
そこが分かる兄上で助かる。
ただ売るだけなら、その場しのぎで終わる。
大事なのは、今ある利を本家へ渡し、その代わり次の利を作る余地を自分の手元へ残すことだ。
「左近将監一族を養うため、か」
と上総介兄上。
「それだけではございませぬ」
俺は答えた。
「十兵衛と半兵衛は、使い捨ての客将で抱えるべき人材ではありません」
「……」
「慶次郎と助右衛門も、ただ戦場で働かせるだけでは損です」
「……」
「ここで家の形にしておきとうございます」
上総介兄上の口元が、ほんの少し動いた。
面白がっている時の顔だった。
「家の形、か」
「は」
「お前は時々、若いくせに年寄りじみたことを言う」
「若いからこそ、急いでおります」
勘十郎兄上が、その横で笑う。
「上手く返したつもりだろうが」
「つもりではあります」
「半分は出来ている」
そこで、上総介兄上が言った。
「椎茸は買おう」
俺は頭を下げた。
「ありがたき幸せ」
「ただし」
兄上は続ける。
「買うだけでは足りぬな」
「……」
「お前、今どこにおる」
「小田井の城の一角にございます」
「嫁は」
「お市が来ております」
「お市はどこにおる」
「清州の城、にございます」
「……」
そこで、兄上は本当にあからさまに呆れた顔をした。
「お前」
「は」
「よくそれで今まで黙っておったな」
俺は返事に少し詰まった。
黙っていた、というより、動いていたら後回しになった、が正しい。
だが、正しいからといって褒められる話じゃないのも分かる。
勘十郎兄上が、代わりに深く息を吐いた。
「兄上」
「何だ」
「これはさすがに、小田井の一角へ部屋住みのまま使っている場合ではありますまい」
「うむ」
「桶狭間、その後の美濃切り崩し、墨俣、家中の人材吸着」
「……」
「ここまで来てなお、小田井の隅へ置いておくのは、働かせ方として下手です」
上総介兄上は、そこで即座に頷いた。
「光明寺へ入れ」
俺は、一瞬だけ言葉を失った。
光明寺城。
そこはただの寝所じゃない。
城だ。
預かるとなれば、形だけじゃなく実が伴う。
「光明寺、にございますか」
「そうだ」
と上総介兄上。
「城代として置く」
「……」
「知行も増やす」
「……」
「それで左近将監一族も養え」
「は」
勘十郎兄上が、そこで静かに重ねる。
「ちょうどよい」
「……」
「尾張の内で、お前をただの寄宿の若にしておく時期は、もう過ぎた」
「……」
「光明寺なら、小田井とも本家とも切れぬし、対美濃の最前線にも近い」
「はい」
「その上で、家を立てるには悪くない」
俺は、ようやく深く頭を下げた。
「ありがたきことにございます」
「お市も入れるぞ」
と上総介兄上。
その一言が、妙に胸へ来た。
戦のこと。
銭のこと。
家臣のこと。
そればかり考えていたが、そうだ。
お市だって、今は小田井の一角へ押し込められてるようなものだった。
「は」
と俺。
「それは、ぜひ」
「ぜひ、か」
勘十郎兄上が口元を少し上げる。
「その返事は早いな」
「そこは早くて当然でしょう」
「今さら素直だな」
「今さらです」
上総介兄上が、そこで鼻で笑った。
「よい」
「……」
「椎茸は本家で買う」
「光明寺はお前に預ける」
「知行も増やす」
「……」
「その代わり」
兄上はまっすぐ俺を見た。
「今まで以上に働け」
「はっ」
それしかない。
だが、その「今まで以上」が、少し嬉しかった。
働きを見た上で、なお次の働きを置かれる。
それはつまり、まだ使う価値があると思われているということだ。
備後守様のところへも話はすぐ回ったらしい。
あとで聞けば、
「ようやくか」
と笑ったという。
たぶん、そうだろうなと思う。
慶次郎に伝えると、あいつはまず言った。
「城か」
「城だ」
「似合うようで」
「うん」
「まだ似合わねえな」
「お前、そこはぶれねえな」
「そのうち似合う」
「前にも聞いた」
助右衛門は、短く一言だった。
「よろしいかと」
十兵衛は、もっと露骨に安堵した顔をした。
「これでようやく、身の置き方が整います」
半兵衛は頷く。
「銭の流れも、だいぶ楽になります。椎茸も無駄にならない。むしろ、広がるでしょう」
左近将監は、しばらく黙ってから言った。
「治部様」
「何だ」
「よい主に当たりましたな」
「俺がか」
「我ら一族が、にございます」
そこは、少しだけ照れた。
だが、否定もしなかった。
光明寺城。
知行増し。
椎茸の権利売り。
お市の移り住み。
一つずつ見れば地味だ。
だが、その全部が揃うと、ようやく「寄ってきた人材を、勢いだけでなく、家として抱える」形になる。
その夜、小田井へ戻ってから、俺は一人で少しだけ考えた。
桶狭間で首を追った日から、盤がまた一つ進んだ。
十兵衛がいる。
半兵衛がいる。
慶次郎と助右衛門がいる。
左近将監一族もいる。
そして、お市が光明寺へ来る。
それはただ住む場所が変わる話じゃない。
戦の若が、ようやく「家」を持ち始める話だ。
悪くない。
いや、かなりいい。
そう思ったところで、俺はようやく本当に息を吐いた。
♢
光明寺城へ、お市が入った。
ただそれだけのことなのに、城の空気が変わるのが分かった。
門の内へ入ってくるのは、お市だけじゃない。
下女。
女房。
荷。
衣装箱。
奥で使う小さな道具。
香の匂いが移った布。
そういう「戦の城」には本来まだ薄かったものが、一つずつ入ってくる。
俺は城門の内側で、それを見ていた。
光明寺城は、まだ俺の城になりきっていない。
いや、城代として預かった以上、名目ではもう俺の城だ。
だが、名目と実感は違う。
戦場で首を追うのと違って、城ってのは人が入って初めて主の手触りが出る。
兵だけじゃ足りない。
台所と水と寝所と、奥の空気まで入って、ようやく「ここが家だ」と言える。
お市は輿から降りると、まず城そのものを一度見た。
じろじろ眺めるんじゃない。
一目で、高さ、動線、奥の置き場、女房衆がどこを通るかまで測ってる目だ。
それから俺を見る。
「迎えに出てくださったのですね」
「出るだろ、そこは」
「そうですか」
口ではそう言うが、お市の目は少しだけ柔らかかった。
たぶん、そこを見ていたんだろう。
城代になったからって、城の中でふんぞり返ってる男じゃないかどうかを。
「中はまだ少し雑だ」
と俺は言った。
「普請も残ってる」
「雑でもよいのです」
お市は静かに返す。
「筋が通っていれば」
そこは、さすがに俺も少し笑った。
「耳が痛いな」
「痛がるぐらいなら、まだ大丈夫でしょう」
そう言って、お市は下女や女房たちへ短く指示を飛ばした。
それだけで人が散る。
誰がどこへ箱を運び、誰が奥へ先に入り、誰が水場を見るか。
一気に決まる。
やっぱり、この人は奥向きの主だ。
俺が戦と銭と普請で頭を使ってる間に、お市は城の奥を人が住める形へ変えていく。
この噛み合い方は大きい。
そのまま、家臣団との顔合わせを小広間でやった。
大げさな評定の間じゃない。
あくまで「家の主筋が入りました」の顔見せだ。
だが、こういう時の置き方を間違えると、あとでじわじわ効く。
まず十兵衛。
次に半兵衛。
慶次郎。
助右衛門。
左近将監。
その順で出した。
お市は座して、全員の礼を受けた。
受け方がまた良かった。
高すぎず、低すぎず。
本家の姫としての格を落とさず、それでいて「城代の妻としてこの城へ入った」温度で受ける。
十兵衛が最初に頭を下げる。
「お市様。このたびは、光明寺城へようこそお入りくださいました」
「明智十兵衛殿」
とお市。
「治部をよくお支えくださっているとうかがっています」
「身に余るお言葉」
十兵衛は静かに答える。
「今後は、お市様にもこの城の奥を整えていただけるかと」
お市はわずかに頷いた。
「こちらこそ」
短い。
だが、それで十分だ。
半兵衛はもっと柔らかく出た。
「台所と蔵は、後ほど一通りご覧いただければと」
「ええ」
とお市。
「そこは、私も早く見ておきたいところです」
それを聞いて、半兵衛の目が少しだけ和らいだ。
あいつは台所と蔵を軽く見る奴を信用しない。
だから、今の一言でだいぶ腹へ落ちたはずだ。
慶次郎は、いつも通りだ。
「お市様」
「慶次郎殿」
「ようやく城らしくなりますな」
俺はすぐに横から口を挟んだ。
「お前、それ褒めてるようでだいぶ失礼だぞ」
「褒めております」
「どこがだ」
「治部殿一人では、どうしても城が“陣所の延長”で止まる」
「……」
「そこへお市様が入られれば、ようやく家になる」
そこで、お市が少しだけ笑った。
「では、褒め言葉として受け取っておきます」
慶次郎は満足そうに頷いた。
助右衛門は、いつも通り短い。
「助右衛門にございます」
「よろしくお願いいたします」
とお市。
「治部の前へ立ってくださる方だとうかがっています」
「前へは出ます」
助右衛門は言った。
「ですが、背は預かります」
その返しに、お市の目が少しだけ真面目になった。
「それは、ありがたいことです」
助右衛門は頷いた。
こいつは、ああいう言葉を軽く受けない。
だからこそ信じられる。
最後に左近将監。
「滝川左近将監一益にございます。一族ごと、この城へお世話になります」
「こちらこそ」
とお市。
「治部が、是非とも来てほしかったと申しておりました」
「ありがたきことにございます」
左近将監は低く返す。
「その言葉に恥じぬよう働きます」
顔合わせはそれで終えた。
長くはやらない。
長くやると形ばかりになる。
ただ、短くても分かることは多い。
十兵衛は、お市を見て奥の筋が通ると判断した。
半兵衛は台所が話せる相手だと見た。
慶次郎は城がようやく家になると思ってる。
助右衛門は「背を預かる」と言った。
左近将監は、主筋の格を見て安心した。
悪くない。
相当いい。
顔合わせが一段落して、人が少し引いたあとだった。
俺は十兵衛と左近将監を残した。
半兵衛も、どうせ勝手に残ると思っていたが、案の定残った。
慶次郎と助右衛門も、そのままいた。
お市は奥へ入る前にこっちを見た。
「まだ何か」
「少しだけ」
と俺。
「鉄砲の話だ」
お市は、それで全部察した顔をした。
「では、私は奥を見てきます」
「頼む」
「ええ」
下女や女房たちを連れて、お市は奥へ消える。
背筋がまっすぐだ。
あの人が入ると、本当に城の奥が奥になる。
それを見送ってから、俺は十兵衛と左近将監を見た。
「二人とも、鉄砲は分かるよな」
十兵衛の目がわずかに動く。
左近将監は、もっと露骨に動いた。
「治部様」
と十兵衛。
「分かる、とは」
「名手って意味だよ」
「……」
「少なくとも、俺よりはずっと」
左近将監が、そこで少しだけ口元を上げた。
「そう申されると、否定しにくいですな」
「否定しなくていい」
俺は床の上へ簡単な線を指で引いた。
「聞きたいのは別だ」
十兵衛も左近将監も、黙って手元を見た。
「敵がまっすぐ追ってくるとして」
「……」
「こっちが少し引く」
「はい」
と十兵衛。
「で、追わせる」
「うむ」
左近将監が頷く。
「その先で、横から撃つ」
俺は線を交差させた。
「左右から」
「……」
「いわば十字で挟む形だ」
「……」
「これ、効くよな」
二人とも、そこで完全に黙った。
慶次郎が先に反応した。
「おい」
「何だ」
「鉄砲の素人が、そこへ気づくか普通」
「気づいただけだよ」
「気づき方が嫌だ」
半兵衛は、口元だけ少し動かした。
「確かに嫌ですな」
「お前まで言うか」
十兵衛が、ようやく息を吐いた。
「効きます」
「だよな」
「ただし」
十兵衛はすぐ続ける。
「ただ横へ置けばよいわけではありませぬ」
「うん」
「撃つ地点へ、敵が十分に入り込む必要があります」
「だから引く」
「はい」
十兵衛は頷く。
「しかも、ただ逃げるのではなく、“崩れた”と思わせて引く」
「……」
「そこまで考えておいででしたか」
今度は左近将監が、少し低い声で言った。
「疑似撤退、にございますな」
俺は頷いた。
「本当に崩れたら意味がない」
「はい」
「だが、崩れたように見せて追わせる」
「……」
「その先で十字砲火」
「……」
「そこで殺し間を発動する」
左近将監と十兵衛が、ほとんど同時に俺を見た。
その顔が、よく似ていた。
鉄砲の素人がそこまで読むか、という顔。
それから、その先に、やはり主に選んだだけはある、という納得が乗る顔。
十兵衛が静かに言う。
「さすがに」
「何だ」
「そこまで見ておられるなら、こちらも怠けられませぬ」
左近将監も、低く頷いた。
「ただ撃てる者を集めるだけでは足りませぬな」
「そうだ」
「引く隊」
「誘う隊」
「横で待つ隊」
「それぞれの息が合わねば、ただの崩れになります」
「うん」
「だが、合えば強い」
「非常に強い」
と十兵衛。
「敵が勝ちを確信して前へ伸びたところへ、横から火を浴びせるわけですから」
慶次郎が、そこで鼻を鳴らした。
「嫌な主だな」
「褒め言葉として受け取る」
「そういうところだよ」
助右衛門は、いつもの調子で短く言う。
「だが、良い」
「お前はいつも結論だけだな」
「十分かと」
左近将監が、そこで俺へ向き直った。
「治部様」
「何だ」
「今は何挺ございます」
「十あるかないかだ」
「……」
「まだ十名程度の鉄砲隊だよ」
「なら」
左近将監は言う。
「今のうちが良い」
「うん」
「数が少ないうちに、型を叩き込めます」
十兵衛も頷いた。
「多くなってから覚えさせるより、芯を持った十人を先に作る方が早い」
「……」
「その十人が、のちの百人を育てます」
俺はそこで、ようやく腹が決まった。
「じゃあ頼む」
二人とも、こっちを見る。
「十兵衛、左近将監」
「は」
「鉄砲隊の育成を請け負ってくれ」
「は」
「今は十名程度でいい」
「……」
「だが、撃てるだけじゃ足りない」
「はい」
「引けること」
「誘えること」
「横で待てること」
「そこまで含めて仕込んでくれ」
左近将監は深く頭を下げた。
「承知仕りました」
十兵衛も、静かに続く。
「治部様の狙う形へ届くよう、整えます」
その返事を聞いた時、俺の中で光明寺城の意味が、また一つ変わった。
ただ住む城じゃない。
ただ預かる城でもない。
ここで、人を育てる。
隊を育てる。
奥を整え、兵を整え、次の戦の癖まで仕込む。
そういう城になる。
お市が奥へ入り、城が家になり始めたその日に、こっちは鉄砲隊の骨を決める。
我ながら、戦国らしいのか、実務屋らしいのか、よく分からない。
だが、どっちでもよかった。
城の奥にはお市がいる。
表には、十兵衛、半兵衛、慶次郎、助右衛門、左近将監がいる。
そして手元には、まだ十名ほどの鉄砲隊がいる。
少ない。
だが、少ないからこそ仕込める。
「よし」
そう言うと、慶次郎がすぐに口元を上げた。
「また匂ってきたな」
「何がだよ」
「手柄首だよ」
「首だけ見てると、そのうち鉄砲の横撃ちに巻き込むぞ」
「なら」
と慶次郎。
「その少し前で止まることにする」
十兵衛が小さく息を吐く。
左近将監は、ほんの少しだけ笑った。
助右衛門は黙っていたが、悪くない顔だった。
光明寺城の最初の日としては、上出来だった。