織田家の嫡子~藤左衛門家の特異点   作:デトロ!開けろイト市警だ!

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044大樹公の一手

将軍御座所の一室には、秋の光が静かに差していた。

 

庭の音も遠い。風はあるはずなのに、障子の向こうまで気配が届かぬほど、座の空気は張っている。

 

上座には大樹公足利義輝。

 

その前に、織田上総介信長。

勘十郎信勝。

治部大輔信繁。

浅井備前守長政。

松平次郎三郎家康。

そして、越後の弾正少弼輝虎。

 

この顔ぶれで、ただの雑談で済むはずがない。

 

しかも、ただ集めたのではない。

上様は明らかに、この並びそのものを見せようとしていた。

 

大樹公は、しばらく誰の顔も見ず、手元の短刀の拵えを指で軽く撫でていた。

剣豪将軍らしい、妙に静かな癖だった。

飾りに触れるのではない。

いつでも抜けるものへ、何気なく触れている指だ。

 

やがて、将軍が顔を上げた。

 

「よく参った」

 

誰か一人に向けたものではない。

この場に呼ばれた全員へ向けた声だった。

 

上総介兄上が一礼する。

 

「上様」

 

勘十郎兄上も続く。

 

「恐れながら」

 

備前守殿も、若武者らしい張りを崩さず深く頭を下げる。

 

「お招き、忝のうございます」

 

次郎三郎殿も、三河の主としての硬さを残しながら、過不足のない礼を取った。

 

「松平次郎三郎家康、参上仕りました」

 

弾正少弼殿は、京の作法に合わせてきちんと礼を取りながらも、どこか山の風をそのまま持ち込んだような気配を崩さない。

 

俺もまた礼を取った。

 

「は」

 

大樹公は、その姿を一巡り見たあとで、ふっと笑った。

 

「面白い面子よの」

 

誰もすぐには口を挟まない。

 

上様は、しばらくその沈黙ごと楽しむように続けた。

 

「尾張の織田が美濃を呑み、三河には松平がおる。近江へ手を掛け、北近江には浅井がおる。そこへ越後の弾正少弼が、ただ傍観するでもなく口を添える。少し前なら、誰がこの並びを信じたか」

 

弾正少弼殿が静かに言った。

 

「盤面は日々動くものにございます。止まっておる方が、むしろ死に近い」

「言う」

 

上様は、その一言には少し楽しそうに目を細めた。

そして、今度は上総介兄上と勘十郎兄上を見た。

 

「上総介、勘十郎。そなたらへ尾張、美濃の守護の話を持ちかけたのは、弾正少弼からも後押しがあってな」

 

上総介兄上も勘十郎兄上も顔色一つ変えない。

だが、その一言でこの場に輝虎がいる意味が、よりはっきりした。

 

上様は、そこであえて弾正少弼殿へ視線を移した。

 

「弾正少弼」

「は」

「余はな、畿内ばかりで固まったように見せたくなかった」

 

弾正少弼殿の眉がわずかに動く。

 

「と、申されますと」

「尾張と美濃を織田へ、三河を松平へ、近江を浅井と治部大輔へ、そう置くだけでは、東海と近江の近場を固めただけにも見える。されど、そこへ越後のそなたが顔を見せることで、これは京の小細工ではなく、日の本全体に向けた一手だと見せられる」

 

そこまで言われると、俺は内心で、ああ、やはりそういうことか、と思った。

 

つまりこの座は、任官の場であると同時に、将軍自らが新しい秩序の見え方を整える場でもあるのだ。

 

織田だけでもない。

浅井だけでもない。

松平だけでもない。

そこへ上杉を同席させることで、「織田・松平・浅井・上杉が将軍家を軸に並び得る」という絵を、まず当人たち自身に見せる。

 

弾正少弼殿が、そこでほんの少し口元を緩めた。

 

「余を飾りにお使いになりますか」

「飾りであれば、そなたほど厄介なものもあるまい」

 

その返しに、さすがの弾正少弼殿も小さく笑った。

 

勘十郎兄上が静かに言う。

 

「たしかに、弾正少弼殿がここへおられるだけで、外から見た時の意味合いはかなり変わりますな」

 

上様は頷いた。

 

「そういうことよ。織田にだけ大きな顔をさせたくはない。浅井にだけ恩を売る形にもしたくはない。三河をただ織田の添え物にもしたくはない。越後がいることで、これは誰か一家を立てるための任官ではなく、将軍家のもとで武門の均衡を組み直す形になる」

 

次郎三郎殿が、そこで静かに顔を上げた。

 

「上様」

「何だ、次郎三郎」

「三河を織田の添え物にせぬ、との御言葉、ありがたく存じます」

 

声は若い。

だが、軽くはない。

 

三河という土地の重さ。

今川の圧を受け続けた家の記憶。

織田と結びながらも、ただ呑まれるわけにはいかないという意地。

それらが、短い言葉の底にあった。

 

上様は、そこを分かっている顔で頷いた。

 

「三河は、東海道の喉元よ。そこを松平が押さえる意味は小さくない。織田に近いからといって、ただ尾張の下に置くには惜しい」

 

上総介兄上が、そこでわずかに笑った。

 

「上様は、ずいぶんと次郎三郎を買われますな」

「買うとも。買わねば、三河守護など軽々しく出さぬ」

 

次郎三郎殿の目が、ほんのわずかに揺れた。

 

三河守護。

 

その言葉が、この場に置かれた意味は大きい。

 

松平家は、もはやただの三河の国衆ではない。

今川から離れ、織田と結び、三河をまとめる家として、将軍家から正式に筋を与えられる。

 

それは、次郎三郎殿にとっても、三河の家臣たちにとっても、かなり重い。

 

上様は、そこで全員へ視線を戻した。

 

「織田上総介信長を美濃守護に、織田勘十郎信勝を尾張守護に、松平次郎三郎家康を三河守護に、織田治部大輔信繁を南近江守護に任ずる」

 

上総介兄上が深く頭を下げる。

 

「は」

 

勘十郎兄上も応じる。

 

「謹んで」

 

次郎三郎殿も、低く、だがはっきり答えた。

 

「ありがたき幸せに存じます」

 

俺もまた頭を下げた。

 

「恐れ入りました」

「そして、北近江は浅井がこれを押さえよ。されど守護職そのものは、なお軽々しく定めぬ」

 

備前守殿は、迷いなく応じた。

 

「承知致しました」

 

そこで上様は、あえて弾正少弼殿へ視線を向けた。

 

「弾正少弼、これでどう見える」

 

弾正少弼殿は少しも急がず、座の全員を一度見回した。

 

それから静かに言った。

 

「将軍家を軸に、織田が尾張と美濃を押さえ、松平が三河を固め、治部大輔が京口を預かり、浅井が北近江を支える。そこへ越後が遠くより異論なくこれを見届ける。なるほど、派閥と言うにはまだ緩いが、流れとしては見える」

「流れ、か」

「はい。織田・松平・浅井・上杉。その名が並ぶだけで、三好も松永も、朝倉も、六角残党も、今川方の残りも、少しは盤の先を読み直しましょう」

 

その一言に、座の空気が一段深くなった。

上様が、まさにそこを狙っていたのだと、誰にも分かったからだ。

 

勘十郎兄上が低く言う。

 

「将軍家の下に、そういう見え方を作るだけでも効きますな」

「効く」

 

弾正少弼殿は言う。

 

「人は実より先に、形を見る」

上総介兄上がその言葉を引き取る。

「そして一度形が見えれば、実は後から寄ってくる」

 

「その通り」

 

弾正少弼殿が応じた。

 

次郎三郎殿は、そのやり取りをじっと聞いていた。

 

若い。

だが、ただ若いだけではない。

口数は少ないが、言葉の置かれた場所を見ている。

三河守護として呼ばれた意味を、慎重に腹へ落としている顔だった。

 

俺は、そこでようやくこの座の異様さを改めて実感した。

 

織田、松平、浅井、上杉。

 

家々の距離も、背負うものも、見ている方角も違う。

だが今だけは、将軍の前で、一つの並びとして見せられている。

 

これはただの任官ではない。

上様自らが、「新しい武家秩序の骨はここだ」と、半ば宣言しているに近い。

 

上様は、そこへさらに言葉を重ねた。

 

「三好が何を思うか。松永がどう動くか。朝倉が何を警戒するか。今川の残りがどう見るか。余はそれも見ておる。ゆえに、ただ任ずるだけでは足りぬ。誰と誰が並ぶかまで、見せねばならぬ」

 

備前守殿が静かに言った。

 

「では浅井は、織田の下ではなく、横に置かれたと受け取ってよろしいので」

 

「よい」

上様は迷いなく答えた。

「そなたが北近江を保ち、湖西から西へ伸び、なお織田と噛み合うなら、下では困る。並んでもらわねばならぬ」

 

備前守殿は、その一言には本当に満足したらしい。

表情は大きく変えない。

だが、目の奥が少し熱を帯びた。

 

次郎三郎殿も、そこで静かに問う。

 

「では、松平もまた、織田の下ではなく、東海道を支える一枚として見られる、と」

 

上様は頷いた。

 

「そうだ。そなたが三河を保ち、東海道を乱さず、織田と噛み合うなら、松平はただの従属では困る。三河の主として立ってもらわねばならぬ」

 

次郎三郎殿は深く頭を下げた。

 

「肝に銘じます」

 

上総介兄上が、そこで少しだけ次郎三郎殿を見た。

 

「次郎三郎」

「は」

「重いぞ」

「承知しております」

「ならよい」

 

その短いやり取りだけで、二人の間の呼吸が見えた。

 

織田と松平。

同盟であり、隣国であり、東海道を見据える上で欠かせぬ線。

近すぎれば呑まれる。

離れすぎれば危うい。

その間合いを、この任官がひとまず形として整える。

 

上総介兄上が、そこで義輝へ視線を戻した。

 

「上様は、ずいぶんと気前がよろしい」

「気前ではない」

「何です」

「必要よ。上総介。そなた一人を大きくしすぎれば、世はまた別の歪み方をする」

 

上総介兄上は、その返しには素直に頷いた。

 

「まことに」

 

勘十郎兄上が横で言う。

 

「兄上には、そのくらい言って頂いた方がちょうどよろしい」

「勘十郎、お前はいつも余計だ」

「兄上が大きくなりすぎぬよう、尾張守護として励みます」

「言うようになったな」

 

上様は、それを見てまた笑った。

 

「よい。織田は三枚。松平が一枚。浅井が一枚。そこへ上杉が遠くから支える。そう見せれば、余の後ろにも少しは重みが戻る」

 

その「余の後ろにも」という言い方に、俺は一瞬だけ目を伏せた。

 

上様は分かっているのだ。

 

将軍家だけでは、もう足りない。

だからこそ、自分の後ろへ、織田、松平、浅井、上杉という名を並べる。

己の権威で押し切るのでなく、権威の周りへ支柱を立てる。

 

それが今の義輝の打ち方なのだろう。

 

弾正少弼殿が、そこで静かに言った。

 

「上様」

「何だ」

「余の名をその絵の中へ置かれるなら、越後もまた軽くは動けませぬ」

「それでよい」

「よろしいのですか」

「よい。そなたが軽々しく動かぬからこそ、ここへ置く意味がある」

 

弾正少弼殿は、そこで少しだけ笑った。

 

「厄介なお方だ」

「そなたにだけは言われとうない」

 

その返しで、座に小さく笑いが落ちた。

 

だが、その笑いのあとで、上様は最後にもう一度、全員を見渡した。

 

「覚えておけ」

誰もが姿勢を正す。

「今日の任官は、役目を与えるだけではない。誰が誰と並ぶかを、余が世へ示す第一手だ」

 

俺は、その言葉を胸の内で反芻した。

 

第一手。

 

つまり、まだ続きがある。

これで終わりではない。

将軍家はなお手を打つつもりなのだ。

 

上様は、そこでふっと肩の力を抜いた。

 

「さて」

 

上総介兄上が目を上げる。

 

「何にございましょう」

「これで少しは、三好も松永も顔色を変えるだろう」

 

「変えるでしょうな」と弾正少弼殿。

 

「朝倉も六角残党も」と勘十郎兄上。

 

「今川方の残りも、三河を見る目を変えましょう」と次郎三郎殿。

 

「京口の空気まで変わります」と俺。

 

備前守殿が静かに締めた。

 

「ならば、形はもう立った。あとはそれぞれが実を積むのみ」

 

上様は、その言葉に満足げに頷いた。

 

「うむ。よう言った」

 

その日、御所の一室で整えられたのは、官職だけではなかった。

 

織田。

松平。

浅井。

上杉。

 

その四つが、将軍家の下で緩やかに同じ側へ立ちうる、という見え方そのものだった。

 

まだ同盟と呼ぶには早い。

派閥と呼ぶには、なお流動的だ。

 

だが、世の目はきっと、もうそう見る。

 

そして上様は、その見え方をこそ、先に作ったのだった。

 

 

御座所を辞したあとも、廊の空気はまだ張っていた。

 

誰もが礼を崩していない。

崩していないが、それは単に将軍の御前を離れたばかりだから、というだけでもない。

さっきの一座で置かれたものが、あまりに重かったのだ。

 

美濃。

尾張。

南近江。

北近江。

三河。

 

それぞれの守りと役目を、上様は官職として与えただけではなかった。

誰が誰と並ぶのか、その並びそのものを、将軍家の名の下に世へ見せると宣した。

それを当人たちが、嫌でも呑み込まされた直後だ。

 

廊を少し進んだところで、上総介兄上が足を緩めた。

勘十郎兄上も、それに合わせる。

備前守殿も、次郎三郎殿も、弾正少弼殿も、自然と歩みを合わせた。

 

妙な並びだと思う。

 

将軍の一室で並んでいた時も十分妙だったが、御座所の外でなおこの面子がまとまって歩いていると、さすがに絵が強い。

これを遠目に見た公家や近習は、たぶんしばらく話の種に困らないだろう。

 

最初に口を開いたのは、勘十郎兄上だった。

 

「上様は、ずいぶんと思い切られた」

 

上総介兄上は、少しだけ鼻で笑った。

 

「思い切ったというより、腹を決めておられたのだろう。尾張と美濃だけではなく、三河まで同じ座へ入れてきた。しかも」

兄上は少しだけ肩越しに次郎三郎殿を見た。

「ただの陪席ではなく、三河守護までその場で置いた」

 

「……」

「やるなら、あそこまでやるということだ」

 

次郎三郎殿は、歩みを乱さぬまま静かに言った。

 

「こちらとしては、軽い話ではなくなりました」

 

「もとより軽く扱う気もあるまい」

と弾正少弼殿。

 

「無論」

次郎三郎殿の返しは短い。

「ですが、尾張と美濃の並びへ三河が加わることで、東の見られ方が変わる。今までは、上総介殿が強くなった、と見る向きが多かったでしょう」

 

「……」

「これからは、将軍家の下で東海の筋が一本通った、と見る者も増える。それが利にもなり、同時に縛りにもなります」

 

その言い方が、次郎三郎殿らしかった。

 

浮かれない。

だが重さだけを言い立てもしない。

利と縛りを同時に数える。

三河を背負う人間の、硬い現実感がそのまま出ている。

 

備前守殿が、その横で頷いた。

 

「北近江も同じですな」

「……」

「上様は、浅井へ守護そのものは置かれなかった」

「されど、あの場で北近江を押さえる役として明言された以上、世はもうそのように見ます」

「……」

「恩でもあり、鎖でもある」

 

「良い鎖だろう」

と上総介兄上。

 

備前守殿は、そこで少しだけ笑った。

 

「はい。少なくとも、六角や朝倉へ繋がる鎖よりは、よほど」

 

そこは、さすがに誰も否定しなかった。

 

上総介兄上は、そういうところで無駄に情を挟まない。

浅井をただ従わせるのではなく、並ぶ側へ置く。

だが、だからといって甘く扱うわけでもない。

今の一言には、そういう兄上らしさがよく出ていた。

 

弾正少弼殿が、そこでふと立ち止まった。

 

立ち止まると言っても、本当に半歩だけだ。

それだけで、場の意識がそちらへ寄る。

 

「上総介殿」

「何です」

「そなたは、さきほど上様の意図を“任官の見せ方まで整えておられる”と言った」

「はい」

「ならば、その見せられた絵を、そなた自身がどう受けたかを聞きたい」

 

上総介兄上は、そこで少しも考え込まなかった。

 

「面白いと思いました」

 

即答だった。

 

勘十郎兄上が、少しだけ目を細める。

備前守殿も、次郎三郎殿も、黙って続きを待った。

 

「面白い、か」

と弾正少弼殿。

 

「はい」

兄上は淡々と続ける。

「余計な見栄を抜いて言えば、上様は、将軍家の後ろへ支柱を立てた。織田だけでも足りぬ、浅井だけでも弱い、上杉だけでは遠い、松平だけでは軽い」

 

「……」

「だが、それぞれを一つの座へ並べれば、“将軍家の下に、東から京口まで一本通る”という形が立つ」

「……」

「それを、まず当人たちへ呑ませた。実に鮮やかです」

 

弾正少弼殿の目が、ほんの少しだけ楽しげに細まった。

 

「鮮やか、か」

「はい。俺ならもう少し露骨にやる」

「勘十郎はどうだ」

「私も、兄上ほどではないにせよ、もう少しあからさまに利を見せます」

 

「だろうな」

と兄上。

 

「上様は、そこを半歩引いて見せた」

「……」

「だからこそ、受ける側も逃げにくい」

 

それは本当にそうだった。

 

上様は命じた。

だが、ただ押しつけただけではない。

それぞれが受けてもよい理由まで、同じ場で整えてみせた。

織田には重すぎぬよう。

浅井には軽すぎぬよう。

三河には東の役目を。

越後には遠くからの見届けの意味を。

 

全員が、それぞれ違う納得の形を得てしまっている。

だから逃げにくい。

 

次郎三郎殿が、そこで低く言った。

 

「将軍家は、まだ死んでおらぬということでしょうな」

 

廊の空気が、少しだけ重くなる。

 

言葉としては静かだ。

だが、中身は重い。

 

都ではもう何年も、将軍家の名と実のずれを見せつけられてきた。

それでも今日の座には、たしかに“まだ打てる手がある”という気配があった。

 

弾正少弼殿も、そこは軽く流さなかった。

 

「死んでおらぬ、か」

 

「はい」

と次郎三郎殿。

「少なくとも、死にかけた家の打ち方ではありません」

 

「……」

「己だけで支えるのではなく、支えるべき柱を選び、先に並びを作る。それを当人たちへ呑ませる」

「……」

「弱った家に出来る芸ではない」

 

備前守殿が、少しだけ息を吐くように言う。

 

「だからこそ、浅井も寄る価値がある」

 

「そうだな」

と上総介兄上。

「寄る価値があるうちに寄らねば、ただの遅参になる」

 

勘十郎兄上が、その言い方に口元だけで笑った。

 

「兄上は本当にそういうところが容赦ない」

「容赦で国が保てるか」

 

「保てぬな」

と弾正少弼殿が言った。

 

その一言で、少しだけ空気が軽くなる。

 

そこで、備前守殿が俺を見た。

 

「治部大輔殿は、どう受けられた」

 

いきなり振ってきたな、と思った。

だが、この場で黙るのも違う。

 

「俺ですか」

 

「そうだ」

と備前守殿。

「上総介殿や勘十郎殿や次郎三郎殿は、それぞれの持ち場を背負う側だ。弾正少弼殿は、少し外から全体を見ておられる」

 

「……」

「では、京口を預かるそなたは、あの座をどう見た」

 

俺は、少しだけ考えた。

 

正確には、考えるふりをした。

答え自体は、さっきの座の最中からほぼ決まっていたからだ。

 

「上様は」

と俺は言った。

「“先に形を作った”のだと思いました」

 

次郎三郎殿が、わずかに頷く。

弾正少弼殿も聞いている。

上総介兄上と勘十郎兄上は、たぶんもう大体分かっている顔だった。

 

「実があるから形が立つのではなく、形が立ったから実が寄る」

「……」

「今日の一座は、まさにそれでした。織田が美濃と尾張を押さえる。浅井が北近江を支え、松平が三河を保持し、治部家が京口を預かる。そして遠国とはいえ、関東管領の職にある上杉がそれを見届ける」

「……」

「まだ全部が固まったわけではない。されど、そう見えます。そう見えた時点で、三好も松永も、朝倉も六角残党も、まずその“見え方”に対して動かざるを得ない」

「……」

「上様は、そこを先に取ったのだと思います」

 

備前守殿が、小さく頷いた。

 

「やはり、そなたもそこへ行くか」

「備前守殿もそう見たでしょう」

 

「見た」

備前守殿ははっきり言った。

「だからこそ、あの場で“横に置かれた”と申した」

 

「……」

「下に入れられるのではない。並ぶからこそ、意味がある。その意味を、上様は先に見せてくださった」

 

弾正少弼殿が、それを聞いて少しだけ笑った。

 

「若いくせに、皆よく言う」

 

「若くなければ、今ここに座っておりません」

と上総介兄上。

 

「そういうところだ」

と勘十郎兄上。

 

次郎三郎殿は、そのやり取りを静かに見てから言った。

 

「では、あとは実ですな」

 

短いが、それで十分だった。

 

形は立った。

だが、形だけではいずれ空疎になる。

三河が本当に三河として立つか。

尾張と美濃が織田の背と腹として噛み合うか。

北近江が浅井の手で安定するか。

南近江が京口の押さえとして機能するか。

越後がその絵の中で意味を保つか。

 

そこまで行って、初めて今日の任官は本物になる。

 

上総介兄上が、そこで小さく息を吐いた。

 

「次郎三郎」

「は」

「三河守護、おめでとうと言うべきか」

 

次郎三郎殿は、少しだけ考えてから答えた。

 

「今はまだ、重くなったと申すべきでしょうな」

 

「そうか」

兄上は笑う。

「だが、悪い顔はしていない」

 

「上総介殿も、人のことは言えますまい」

 

それには、勘十郎兄上が先に吹いた。

 

「兄上が一番、ああいう場のあとで顔が良い」

「余計だ」

「余計ではない」

「美濃守護など、いかにも嬉しそうであった」

「勘十郎、お前は本当にその減らず口を何とかしろ」

「尾張守護として、以後も励みます」

 

そこは、さすがに備前守そしてまで少し笑った。

 

弾正少弼殿は笑いこそ大きく出さなかったが、目元には明らかに面白がっている色があった。

次郎三郎殿も、わずかに口元を緩める。

 

こういうのを見ると、やはり思う。

 

今ここに並んでいるのは、ただの任官を受けた若手大名や一門衆じゃない。

それぞれに国があり、兵があり、譲れぬものがある。

それでもなお、こうして同じ笑いを一つ落とせる程度には、今日の座で何かが通ったのだ。

 

廊の先で、近習が控えめに頭を下げて、次の案内の準備をしている。

御所の空気はまだ静かだ。

だが、さっきまでとは違う静けさだった。

 

形は、たしかに立った。

あとは実だ。

その言葉が、この場の全員に同じ重さで落ちているのが分かる。

 

そして、その重さを知った上でなお、誰も今日の任官を軽いものとは見ていない。

 

これで終わりじゃない。

むしろ、ここから始まる。

 

そういう顔を、全員がしていた。

 

 

 

 

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