織田家の嫡子~藤左衛門家の特異点   作:デトロ!開けろイト市警だ!

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045羽州の最上家

田代城は、まだ治部家の本拠としての熱を濃く残していた。

 

瀬田のような新しい中央の匂いではない。

もっと生々しく、もっと近い。

人が動き、兵が詰め、蔵が開き、使者が絶えず出入りする。

若い家が、若いままに勢いで膨らんでいく時の城の匂いだった。

 

その田代城へ、奥州からの客が来た。

 

最上出羽守義守。

そして、その嫡子、源五郎義光。

 

贈り物は、奥州馬数頭と、鷹狩用の鷹。

ただ珍しいだけの品ではない。

北の名家が、己の格と実利を一度に見せる時の、よく選ばれた手土産だった。

 

信繁は、対面の座で二人を迎えた。

 

「ようこそ田代へ。遠路はるばる、恐れ入ります」

 

出羽守が、静かに頭を下げる。

 

「治部大輔殿にお目通り叶い、忝く存じます」

 

源五郎は父の少し後ろに控えていた。

まだ若い。

だが、その目には、若いなりの野心と、こちらを値踏みする光がある。

年は俺とそう離れない。

諏訪四郎勝頼より少し若いか同年、そんなところだろう。

 

俺は、まず馬へ目をやった。

 

「良い馬ですね」

 

出羽守が頷く。

 

「奥州の馬にございます。細身で早いだけではなく、長く使えるのが取り柄にございます」

「ええ。北の馬は足腰が違う」

 

ただ褒めるのでなく、分かった上で受けた。

その返しに、出羽守の表情がほんの少し和らぐ。

 

鷹もまた良かった。

据わりがよく、余計な騒がしさがない。

この辺り、最上はただの田舎大名ではない。

贈り物の作法を分かっている。

 

俺は湯呑を置いた。

 

「それで、今日の話は、馬と鷹だけではありますまい」

 

出羽守は、そこで少しだけ呼吸を整えた。

 

「左様にございます。此度、将軍家への拝謁を願い上洛の途にありましたが、それだけでは足りぬと考えました。今、尾張、美濃、近江をめぐる流れは、奥州にあっても見逃せぬほど大きく動いております」

 

源五郎が口を継いだ。

 

「六角を崩し、南近江へ兵を入れ、近江南部を押さえる。その上で将軍家にも顔が利く。奥羽にいたって、そこまで来れば分かります」

 

率直だった。

若いな、と思う。

だが嫌いではない。

 

思わず俺は少し笑った。

 

「見えますか」

「見えます。見えるからこそ、父は早く動くべきだと申しました」

 

出羽守は息子の言葉を受けるように続けた。

 

「羽州探題の家といえど、遠くにいて格だけを抱えていては痩せます。ならば、格を生かして、早いうちに新しい中央へ糸を結ぶべきと考えました」

 

そこで、本題へ入る。

 

「娘、義姫のことにございます」

 

やはりそこだ。

 

俺はあえて表情を変えない。

 

「婚姻で」

「はい。もちろんすぐ隣の伊達へ向ける考えもございましょう。ですが、それはあくまで奥羽の内の結びつき。この先の世を見れば、それだけでは足りぬやもしれぬと考えました」

 

俺は、そこで少し問いの角度を変えた。

 

「織田と結びたい、と」

 

出羽守は、深く頭を下げる。

 

「恐れながら」

 

源五郎は、父ほど深くは下げない。

だが、目が言っている。

奥羽の内輪だけで回していては遅い。

中央へ出るなら、今だ、と。

 

俺は、少しだけ間を置いた。

 

「随分と早い判断ですね」

 

出羽守は、それを正面から受けた。

 

「遅い家から食われる世でございましょう」

重い返答だった。

「しかも、ただ強いだけではなく、将軍家と朝廷の筋を背にした家が、南近江へまで手を伸ばしておる。ならば、奥羽の家もまた、早くどちらを向くかを決めねばなりますまい」

 

この返しは良い。

かなり良い。

 

最上は、単に伊達を嫌って中央へ来たのではない。

もっと大きい盤で見ている。

しかも羽州探題の家格を持つ家が、自分から織田の権威を認めて寄ってきたとなれば、それ自体がかなり大きな意味を持つ。

 

――遠方の大名ですら、織田を認める。

――しかも、奥羽の名のある家が。

これは信長兄上も勘十郎兄上も、宣伝として悪くないと見るはずだ。

 

源五郎が、少し身を乗り出した。

 

「治部大輔殿。父は家の格と先を見て動いております。けれど、俺はもっと単純です。今、一番面白いのが中央です。だったら、最上がそこへ一番早く糸を伸ばすのは悪くない賭けだと思いました」

 

出羽守が、わずかに眉をひそめた。

 

「源五郎、もう少し言い方というものがあろう」

「間違ったことは言っておりません」

「言っておらぬが、そのまま言うな」

 

俺は、その様子に思わず少し吹きそうになった。

 

「親子ですね」

「お恥ずかしい限りで」

 

と出羽守は言うが、息子を本気で止める気もないらしい。

つまり、根っこは同じなのだ。

 

そこへ、女房衆が静かに動き、別室から義姫が通された。

 

年の頃は、お市と同じ。

もう子どもではない。

だが、女として完成しきる一歩手前の、いちばん難しい年頃でもある。

顔立ちは整っている。

何より、目が生きていた。

親に言われてただ座っている姫ではない。

 

義姫は、きちんと礼を取った。

 

「最上義にございます」

 

俺も頭を下げ返す。

 

「治部大輔信繁です」

 

出羽守が言った。

 

「娘も、ただ連れてきたのではございませぬ。もし織田家との縁が現実味を帯びるなら、顔も見ず、声も聞かずに進める話ではないと思いました」

 

筋がいい。

かなり。

 

俺は、義姫へまっすぐ視線を向けた。

 

「義姫殿は、この話をご存じで」

 

「はい」

返答は静かだった。

「父より、奥羽の内だけで結ぶのでは足りぬ時代になりつつあると聞いております。それに、織田家が、もはやただの尾張の一大名ではないことも」

 

そこでほんの少しだけ、目元が柔らかくなる。

 

「治部大輔殿のことも聞いております」

「ろくでもない話も混ざってそうだな」

 

そう言うと、義姫は少しだけ笑った。

 

「それも少々」

 

源五郎が横から頷く。

 

「だいぶ」

「おい」

 

座の空気が少し緩んだ。

その緩み方が悪くない。

 

俺は、そこで少しだけ真面目に戻した。

 

「正直に言います。この話、悪くないと思います」

 

出羽守も源五郎も、顔を上げる。

義姫も、わずかに息を止めた気配があった。

 

「最上家の家格。羽州探題としての名。北の出入口としての位置。そして、この時期にこういう判断ができ、実際に自ら赴く足腰の早さ。早いが軽くない」

そこで、一度言葉を切る。

「ただし、俺一人で決めていい話ではないのも確かです」

 

出羽守が、静かに頷いた。

 

「承知しております」

「織田家の誰へ振るのが最も筋がいいかで、意味が全部変わる。しかも今の俺には、お市もいれば真理姫もいる。雪姫も客将としてこちらにいる。そこへ義姫殿まで、という話は、俺がありがたいかどうかだけで決めていいものじゃない」

 

ここは、はっきり言っておくべきだった。

 

出羽守は、その返答にむしろ安心した顔をした。

 

「左様にございますな」

 

源五郎も、今度は軽口を挟まなかった。

そこは分かっているのだろう。

 

義姫が、ここで初めて自分から口を開く。

 

「治部大輔殿は、私との婚姻を受けること自体は嫌ではないのですね」

 

真っ直ぐな問いだった。

 

俺は少しだけ息を吐く。

 

「嫌なら、最初にそう申します」

「では」

「ありがたい話です。かなり」

 

そこは、ぼかさなかった。

 

義姫の目が、ほんの少しだけ和らぐ。

 

「そうですか」

「ただ、それとこの話自体の流れの良さは別です。だから、上総介兄上と勘十郎兄上へ持っていきます」

 

出羽守が深く頭を下げる。

 

「お願い申し上げます」

 

源五郎も続く。

 

「治部大輔殿、最上は拾っておく価値がありますよ」

 

俺は、そこで目の前の出羽の驍将相手に少し笑った。

 

「さっきからお前、自分で言うな」

「本当でしょう」

「本当だな」

 

源五郎は、その返しににやっとした。

やはりこいつは面白い。

 

俺は、最後に出羽守へ向き直った。

 

「もう一つだけ、こちらの本音も言っておきます」

「は」

「最上家が、遠い奥羽からこうして早く寄ってきたこと自体に、大きな値があります。羽州探題の家柄が、織田の権威を認めて寄ってきた。これは婚姻そのものとは別に、周囲の大名家にとってはかなり強い」

 

出羽守は、その言葉を静かに受けた。

 

「そう見て頂けるなら、本望にございます」

「だから、決して軽く扱いません」

 

義姫もまた、静かに頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

 

俺も礼を返す。

 

この日、田代城で交わされたのは、ただの婚姻打診ではなかった。

奥州の名門が、自ら中央の新しい秩序へ糸を投げてきた。

それを、俺は確かに受け止めた。

 

そして同時に、こうも思っていた。

 

――最上を早めに取れるなら、羽州口はかなり楽になる。

――将来、庄内や北の境で上杉と話をする時にも、最上が内側にいるのは大きい。

――兄上たちも、これを悪い先例とは見ないはずだ。むしろ、遠方の大名へ向けた良い前例にできる。

 

義守、義光、義姫の三人が去ったあと、俺はすぐその足で、上総介兄上と勘十郎兄上のもとへ向かうつもりだった。

 

奥羽から伸びてきた一本の糸は、ここで確かに、織田家の盤へ掛かったのである。

 

 

最上親子と義姫が田代城を辞したその日のうちに、俺は上総介兄上と勘十郎兄上のもとへ向かった。

 

こういう話は、勢いで寝かせると駄目だ。

熱のあるうちに持っていく。

相手が遠い奥州の家ならなおさら、返しが早いこと自体に値がある。

 

兄上たちは、その時ちょうど近江筋と美濃筋の書付を見ていた。

 

「戻ったか、治部」

 

と上総介兄上。

 

「はい」

「面白い顔をしておる」

「面白い話を持ってきました」

 

勘十郎兄上が、文台の上からこちらを見る。

 

「最上か」

「はい」

 

さすがに話が早い。

 

俺は座につき、まず余計な飾りを抜いて話し始めた。

 

「最上出羽守、源五郎親子が将軍拝謁のため上洛の途上、田代城へ寄りました。手土産は奥州馬数頭と鷹。単なる将軍拝礼で終える気はなく、義姫殿を某を通じて織田家へ入れたいと打診されました」

 

上総介兄上の眉が、わずかに上がる。

 

「やはりそう来たか」

「読んでましたか」

「出羽から娘を連れてきた時点で、半分はそういうことだろうと思っていた」

 

勘十郎兄上は、すでにその先を見ていた。

 

「で、誰へ振りたいと言ってきた」

「俺です」

 

そこで、上総介兄上の口元が少しだけ上がる。

 

「治部大輔信繁へ、か」

「はい。水面下で進行していた伊達への婚姻より先に、中央へ太い糸を打ちたいと。羽州探題の家格を生かして、早めに織田家の権威へ接ぐ価値を見ています」

 

上総介兄上は、そこまで聞いてすぐには返さなかった。

だが、表情は悪くない。

 

勘十郎兄上が先に問う。

 

「出羽守本人の口ぶりは」

「かなり良かったです。遅い家から食われる世だと腹を括ってました。尾張美濃の家ではなく、将軍家と朝廷を背にして近江へまで手を伸ばす新しい中央勢力だと見ています」

「嫡男の源五郎は」

「若いです。でも、若いなりに現状が見えてます。今一番面白いのが中央だ、最上はその賭けを打つべきだと、かなり率直に言いました」

 

上総介兄上が、そこで楽しそうに笑った。

 

「嫌いではない」

「俺もです」

「義姫は」

 

その問いには、俺も少しだけ息を整えた。

 

「本人も理解してました。親に連れられただけじゃない。顔を見て、声を聞いて、この先へ進めるか判断しに来てました」

 

勘十郎兄上が頷く。

 

「なら軽くはないな」

「ええ」

 

上総介兄上が、指先で机を軽く叩く。

 

「羽州探題の最上が、遠路わざわざ娘を持ってきて、織田へ寄る。しかも、将軍家拝礼のついでではなく、明確に治部を狙ってくる」

そこまで整理してから、上総介兄上ははっきり言った。

「良い先例になる」

 

俺は黙って頷いた。

 

そこだ。

俺が最上の申し入れに価値を見たのは、羽州口や上杉筋だけじゃない。

遠方の名門が、自分から織田へ接ぎ木しに来る。

それ自体が、これから先、外の大名へ向けた強い札になる。

 

勘十郎兄上も、同じところを見ていた。

 

「婚姻政策を、織田が受け入れる余地があると示せる。しかも、尾張美濃近江の近場だけではない。羽州探題の家格ある最上が、こちらへ自発的に寄ってきた、という実例になる」

 

上総介兄上が笑う。

 

「遠い家ほど効くな」

「はい。中国、九州、四国、東国でしたら佐竹、伊達、あるいはその周辺だけでなく、もっと外へも響きます。織田へ繋がる価値がある、しかも織田はそれを受ける器がある、と」

 

だがそこで、勘十郎兄上はわざと水を差した。

 

「一方で、治部家に義姫を入れると、治部家がまた一段太くなる」

「そうです」

「そこはどう見る」

 

ここが、ちゃんと詰めるべきところだった。

 

俺は少し考えてから答えた。

 

「太くはなります。ただ、この時点では、むしろ治部家へ入れるのが一番筋がいいです」

 

上総介兄上が面白そうに見る。

 

「ほう」

「本家嫡流へ入れるには、まだ最上が遠すぎる。外へ向けた宣伝価値はあるが、重さのわりに近すぎる。本家の弟御筋へ振る手もありますが、そうすると最上側から見て、狙った中央接続の太さが少し弱い。逆に、俺なら」

 

そこで一拍置いた。

 

「今ちょうど、軍も政も実務も前に出始めてる。武田との縁もできた。そこへ最上が乗るのは、最上側の見立てとしてかなり正しいです」

 

勘十郎兄上は、すぐには頷かなかった。

 

「自分で言うか」

「そこは言いますよ。じゃないと整理にならないんで。今後も見据えれば、当家以外の選択肢も出て来ることになるかと」

 

上総介兄上が、くくっと笑う。

 

「治部らしい」

 

俺は続けた。

 

「それに、義姫を俺が受ける意味は、奥向きの数だけじゃない。羽州探題家格を、若い織田家中核へ接ぐ。北の家が、治部家という新しい受け皿へ入る。その意味は大きいです」

 

勘十郎兄上の目が細くなる。

 

「上杉か」

 

「はい」

やっとそこへ届いた。

「今すぐどうこうじゃありません。ただ、将来的に庄内や羽州口をめぐって、後で上杉と境目を擦り合わせる局面が来るはずです。最上を先に内側へ入れておけば、北の出入口で一本余裕ができる」

 

上総介兄上がそこで、はっきり頷いた。

 

「なるほどな」

「羽州は遠いです。でも遠いからこそ、今のうちに手を打つ価値がある」

 

勘十郎兄上が、そこでようやく手を止めた。

 

「悪くない。というより、かなり良いな」

「俺もそう思います」

 

上総介兄上が、机から身を起こした。

 

「治部」

「はい」

「おぬし、最上を受ける気はあるのだな」

 

そこは、逃げずに答えた。

 

「あります」

「女としてか、政としてか」

「両方です」

 

上総介兄上は、そこで少しだけ楽しそうに笑った。

 

「正直でよろしい」

「兄上にだけは言われたくないな」

「何だと」

「いえ何でも」

 

勘十郎兄上が、すっと話を戻す。

 

「義姫本人はどうだった」

「良かったです」

「どう良い」

「親の言いなりじゃない。状況も、織田家の重さも、ある程度は分かった上で、自身の希望でこちらまで来てる。顔立ちがどうこうより、そこが大きいです」

 

上総介兄上は、その返しを聞いて満足げだった。

 

「なら、なお良い」

 

そして、もうほとんど腹は決まっていたのだろう。

あとは、どう言葉にするかだけだった。

 

「よし」

上総介兄上が言った。

「最上の婚姻打診、受ける」

 

俺は、そこでようやく一つ息を吐いた。

 

「ありがとうございます」

 

「ただし」

勘十郎兄上が続ける。

「これは単なる治部家の奥の追加ではない。織田家として、今後も外部大名の婚姻政策を受ける先例になる。だから扱いは丁寧にする」

 

「はい」

「最上には、羽州探題家格を軽んじぬ返しをする。一方で、織田の裁可あってこその婚姻だともはっきり見せる。そこを外すな」

「分かってます」

 

信長が、最後に締める。

 

「遠い奥羽から、わしらの権威を認めて寄ってきた。なら、その判断が正しかったと見せてやらねばならぬ」

 

その言葉は、最上へ向けたものでもあり、外の諸家へ向けたものでもあった。

 

――早く寄れば、織田は受ける。

――しかも、格を見て、筋を立てて受ける。

 

それを、実例として示す。

 

「治部]

「はい」

「義姫はぬしへ入れる。好きにせい、とは言わぬが、きちんと遇せ」

「もちろんです」

「雪姫もおる。真理姫もおる。お市もおる。そこへ義姫じゃ。奥向き、回せるのか」

 

上総介兄上がわざとそう聞く。

 

俺は、少しだけ肩をすくめた。

 

「回すしかないでしょう」

 

勘十郎兄上が、そこで珍しく少し笑った。

 

「それでよい。実務は後で詰める。最上への返書、時期、格式、輿入れの道筋、全部こちらでも整える。だが、最初に受ける責はお前が負え」

「承知しました」

 

そうして、この話は決まった。

 

最上出羽守義守が投げてきた一本の糸は、ここで正式に織田家の盤へ結ばれた。

しかも、その結び目は治部家に置かれる。

 

遠い羽州探題の家が、中央の若い俊英へ娘を入れる。

それは、ただの婚姻ではない。

これから先、外の大名が織田を見る目そのものを、少し変える先例になる。

 

俺は、兄上たちのもとを辞しながら思った。

 

――さて。

――ここからは、最上へどう返すかだ。

 

話を受けるだけでは足りない。

最上が早く動いた価値を、最上自身にも、そして外にも分かる形で返さなければならない。

 

田代城へ戻る足は、自然と少し早くなっていた。

 

 

田代城での対面からほどなくして、織田家の返答は、最上家の予想より一段深いところへ届いた。

 

婚姻の件を受ける。

それだけでも十分だった。

 

羽州探題の家柄とはいえ、遠い奥羽の最上が、これから中央の秩序へ接がれる。

義姫が治部家へ入る。

それだけで、義守の打った賭けは半ば勝っていた。

 

だが、織田家はそこで止めなかった。

 

上総介信長と勘十郎信勝は、最上の早い動きを、ただの縁談として処理しなかったのである。

「遠方の名家ですら織田の権威を認めて寄ってきた」

その事実を、他家へ見せる好例として使う腹を決めていた。

 

信長は、足利将軍家への筋を通し、さらに朝廷へ奏上した。

最上出羽守義守の嫡子、源五郎義光を、**出羽介**へ補任したい、と。

 

若い。

だが若いからこそ意味がある。

 

今この時点で、中央が義光を名指しで引き上げる。

それは、最上義守の判断が正しかったことを、権威の側から証明する行為に等しかった。

 

将軍家も、これを拒まなかった。

むしろ、北の名家が秩序へ寄るなら悪くない。

そういう空気があった。

 

こうして、源五郎義光は、**出羽介**となった。

 

その報せが山形へ届いた時、最上家中の空気は明らかに変わった。

 

ただの吉報ではない。

家の向きが変わったのだ。

 

義守は、書状を読み終えてから、しばらく何も言わなかった。

やがて、ふっと息を吐く。

 

「……早く動いて正解だったな」

 

その一言には、実感がこもっていた。

 

義光は、父の前でこそやや抑えた顔をしていたが、目の奥の熱までは消せていない。

 

「出羽介、ですか」

「不満か」

 

「まさか」

義光は、そこでようやく笑った。

「良い名です。最上源五郎義光、ではなく、最上出羽介義光。奥羽で聞こえが全く違います」

 

義守は頷く。

 

「違うとも。国人衆の見る目も変わる。伊達も、佐竹も、蘆名も黙ってはおるまい」

 

まさにその通りだった。

 

最上家が中央へ寄った。

その結果、娘は治部家へ入る。

さらに嫡子は出羽介に補任された。

 

これを見て、奥州の諸家が何を思うか。

 

まず伊達や蘆名は、最上を単なる隣国とは見られなくなる。

婚姻で繋ぐはずだった相手が、今や中央の若き中枢と直接結ばれ、その返礼として官途まで得たのだ。

「最上は織田へ通じている」

その一点だけで、外交の重さが変わる。

 

佐竹も同じだった。

遠い羽州の最上が、将軍家と朝廷を背にした中央新秩序へ食い込み、しかもそれを形にした。

これを「北の一国人の身の程知らず」で済ませられるほど、もう状況は甘くない。

 

さらに効いたのは、最上家中の内部だった。

 

これまで最上は、羽州探題の家格を持ちながらも、奥州の現実の中でその格を十全に換金できていたとは言い難い。

だが、義光の出羽介補任は違う。

これは家格が、現実の権威へ変換された瞬間だった。

 

国人たちは見る。

寺社も見る。

近隣の小領主も見る。

「最上へ付けば、中央へ通じる」

そう見えるようになる。

 

義守は、そこまで読んでいたのだろう。

報せを聞いたその日のうちに、近臣を集めて短く言った。

 

「これより後、最上は“北の一勢力”では足りぬ。羽州探題として、しかるべき振る舞いを取る。雑な境目争いや、短い得で家格を汚すな。我らは、織田と繋がる家として見られる」

 

それは、家の向きを変える宣言でもあった。

 

義光もまた、その言葉を受けて、以前より一段静かになった。

いや、静かというより、**自分の野心を乗せる器が大きくなった**という方が正しい。

 

若く、鋭く、前へ出たがる男だ。

だが今や、ただの源五郎ではない。

出羽介として見られる。

それは自信にもなるし、同時に雑な振る舞いを許さぬ枷にもなる。

 

そして、永禄七年の雪解け。

 

道はぬかるみを残しつつも、馬と駕籠を通せるようになった。

その頃、義姫は輿入れした。

 

先に雪姫がいる。

さらにその後、鶴姫、美景姫、香耶姫が入った後の流れとして、義姫が治部家へ来る。

 

義姫の輿入れは、単に奥が一人増えた、で終わる話ではなかった。

最上家は、娘を送っただけではない。

嫡子に出羽介を得た。

中央へ通じる家として、自らを一段引き上げた上で、娘を送ってきたのである。

 

だから義姫自身も、ただの遠方から来た姫ではなかった。

羽州最上家と、中央治部家を繋ぐ、一本の太い結び目だった。

 

治部家から見ても、この婚姻は重い。

 

羽州の名門が、早い段階で自分たちの権威を認めて寄ってきた。

しかもその返礼として、中央は官途を返した。

婚姻と官途が連動し、外部大名への先例になる。

「織田へ寄れば、格を見て返す」

この評判は、目に見える石高以上に効いていく。

 

俺は、義姫が田代へ入った日の夜、ふと一人で思った。

 

――最上は、かなり良い時に拾えた。

――羽州口、庄内、いずれ上杉と擦る境。

――その時に、最上が内側にいるのは大きい。

――しかも、これは遠方の大名へも良い宣伝にもなる。

 

織田は、ただ力で押すだけの家ではない。

寄ってきた家を、きちんと格に応じて遇し、婚姻と官途で秩序へ編み込む家だ。

 

最上義守の早い判断は、最上自身を助けただけでなく、

織田家が「外の名門をどう扱う家か」を、天下へ一つ示すことになったのである。

 

 

出羽介補任の報せは、奥州で静かに、だが確実に効いた。

 

最初にざわついたのは、最上の近隣だ。

もっと言えば、**最上を“こちら側の都合で見積もれる家”と思っていた連中**だった。

 

最上は羽州探題の家柄である。

それ自体は前から変わらぬ。

だが、家格は持っているだけでは意味が薄い。

現実の権威に換えられぬ家格は、時にただの古傷になる。

 

ところが今回は違った。

 

最上出羽守義守が、いち早く中央へ寄った。

義姫を治部家へ入れた。

その返礼として、嫡子義光が出羽介に補任された。

 

これは、家格が現実の力へ変換されたということだった。

 

伊達家中で、その報せを最初に聞いた者は、しばらく返事ができなかった。

 

「……出羽介?」

 

使者の口から出たその名を、二度聞き返したほどだった。

 

「は。最上源五郎義光殿、出羽介に補任とのこと」

 

座が重くなる。

 

伊達の者たちから見れば、最上は確かに侮れぬ隣国だ。

だが、あくまで奥州の内で競り合う相手でもある。

そこへ、織田と将軍家と朝廷の筋を通した官途が、しかも若い義光へ落ちてきた。

 

それはもう、隣の家が少し格好よくなった、で済む話ではない。

 

「……早いな」

 

そう呟いたのは、伊達左京大夫晴宗だった。

 

声に、苛立ちはなかった。

むしろ、やられた、という種類の苦笑が近い。

 

「最上殿は、伊達と結ぶより先に中央を選ばれたか」

家臣の一人が、慎重に言う。

「義姫様の件も、もう戻し難うございましょうな」

 

晴宗は、少しだけ目を細めた。

 

「戻す、戻さぬの話ではない。すでに一手遅れている」

 

それが本音だった。

 

伊達は奥州では強い。

だが、この時点で織田の中央秩序へ一本早く糸を結んだのは最上だ。

しかも、婚姻だけではなく、官途という分かりやすい形まで得た。

これでは、奥羽での見え方が一段変わる。

 

「羽州探題の家格に、今度は中央の後ろ盾か」

別の家臣が、重く言う。

「最上は、ただの最上ではなくなりましたな」

 

晴宗は黙った。

否定のしようがない。

 

義守の腹は読める。

遠い地の名門として、いつまでも奥羽の内だけで回っていては痩せる。

ならば中央へ接ぐ。

その判断自体は、たしかに理に適っている。

 

問題は、それを最上がやり、伊達が先にやらなかったことだった。

 

しばらくして、晴宗は静かに言った。

 

「……ならば、こちらも急ぐしかあるまい」

「と、申されますと」

「織田を無視して奥羽だけで見ていれば済む状況ではなくなった。最上に後れを取った分、別のやり方で中央と結ばねばならぬ」

 

それは、伊達の向きも変える一言だった。

 

最上が先に行った。

ならば伊達もまた、別の形で中央へ近づく必要がある。

 

つまり、最上の出羽介補任は、最上だけを強くしたのではない。

伊達をも動かしたのである。

 

 

一方、常陸の佐竹もまた、この報せを軽くは受け取らなかった。

 

佐竹家中では、まず書状を読んだ者が、低く言った。

 

「最上、出羽介」

 

その五文字に、すべてが詰まっていた。

 

佐竹常陸介義重は、まだ若い。

だが若いからこそ、周囲を取り巻く状況の変化に敏い。

 

「婚姻と官途が連なっておるな」

と義重は言った。

「ただ姫を出しただけではない。中央へ寄ると決め、その見返りを形にした」

 

重臣が、慎重に返す。

 

「しかも、相手が治部大輔殿にございます。尾張の一大名ではなく、今や織田家の若き中核」

 

義重は、小さく息を吐いた。

 

「分かっておる。だから重いのだ」

 

佐竹から見ても、最上は遠い。

だが、遠い家が中央へ寄り、官途を得る。

それは常陸の家にも無関係ではない。

 

何より、**織田が遠方の大名を、きちんと婚姻と官途で返す**と証明された。

これが大きかった。

 

「織田は、寄れば応える」

 

義重がそう言うと、側近が頷く。

 

「ええ。しかも、格を見て返してきます」

「ならば、こちらも考えねばなるまいな」

 

義重の目は、若いが真っ直ぐだった。

 

最上のように羽州探題の家格を持つわけではない。

だが、常陸には常陸の重みがある。

佐竹は、伊達や最上より遅れたくない。

 

「治部大輔か、上総介か、勘十郎か……」

 

義重は、そこでまだ答えを出さぬまま言葉を切った。

 

だが、その迷い自体が、もう十分変化だった。

 

最上出羽守義守の早い一手は、最上一門の格を上げるだけでなく、

伊達に後手を自覚させ、佐竹に中央志向を強めさせた。

 

そして、その噂はさらに外へ行く。

 

「羽州の最上が、織田へ娘を入れ、嫡子に出羽介を得た」

 

この一文だけで、十分な宣伝だった。

 

遠い家でも、早く寄れば報いがある。

しかも、ただ屈したからではなく、家格に応じて返してもらえる。

 

これは、これから外の名門たちが織田を見る目を変える。

 

力だけではない。

婚姻と官途で編み込む家。

寄ってきた家を、ただ呑まず、秩序の中へ置き直す家。

 

その実例として、最上は見事に機能した。

 

山形では、義守が静かにその手応えを噛みしめていた。

 

「伊達も、佐竹も、これでこちらを軽く見られぬな」

 

義光――いや、今や出羽介義光は、少しだけ笑った。

 

「見たければ見ればいい。そのたびに、最上は織田へ通じていると、思い出させてやればよい」

 

義守は、その言い方にわずかに眉をひそめながらも、否定はしなかった。

 

若い。

だが、この若さは今は武器になる。

 

義姫が治部家へ入り、義光が出羽介となる。

最上は、奥州の一角に留まる家ではなく、中央へ糸を持つ北の名門として、一段上の位置へ上がり始めていた。

 

そしてその上昇は、奥州そのものの盤面を、静かにずらし始めていたのである。

 

 

勘十郎兄上に呼ばれて部屋へ入った時点で、政の話だと分かった。

 

上総介兄上が先に座り、勘十郎兄上がその脇にいる。

こういう並びの時は、大体、外へ返す文の話だ。

 

「参りました」

 

頭を下げると、上総介兄上が手元の書付を軽く持ち上げた。

 

「治部」

「はい」

「奥州も忙しゅうなってきたぞ」

「……伊達家にございますか」

 

勘十郎兄上が、少しだけ口元を緩めた。

 

「察しが良すぎるな」

「最上家の次なら、そこしかございますまい」

「左様」

 

差し出された文を受け取る。

伊達左京大夫殿名の打診状だった。

 

最上家が義姫婚姻でこちらへ接続した。

しかも、義光殿には出羽介の筋まで通り始めている。

それを見た以上、伊達家が黙っていられるはずがない。最上家の早期接近とその返礼は、既に奥州での見え方を変える先例になっている。

 

文面は整っていた。

慌てているようには見せぬ。

だが、急いではいる。

その加減が、いかにも左京大夫殿らしい。

 

「やはり来ましたか」

 

俺がそう言うと、上総介兄上が頷いた。

 

「最上だけに先を行かせる気はない、ということだろう」

「はい」

「出してくるのは」

「彦姫殿にございましょう」

「うむ」

 

勘十郎兄上が腕を組む。

 

「で、治部」

「はい」

「向こうは、こちらの誰を見ておる」

 

俺は、文をもう一度見た。

露骨には書いていない。

だが、行間は濃い。

 

「少なくとも、本家級を見ておりますな」

「具体には」

「上総介兄上、もしくは勘十郎兄上級かと」

 

勘十郎兄上は、露骨に嫌そうな顔をした。

 

「困るな」

「仰る通りです」

「俺を出すのも違うし、兄上を出すのはもっと違う」

「はい」

「だが、軽く返せば最上との扱いの差になる」

「そこにございます」

 

最上家は、義守殿と義光殿が将軍謁見のついでとはいえ、父子で直接来た。

一方で伊達家は、今回は文である。

この差をどう返すか自体が、織田家からの返答になる。

 

上総介兄上が、そこで指先で机を軽く叩いた。

 

「なら、どう返す」

「本家そのものではなく、別家だが一門中枢の太い枝で返すのがよろしいかと」

「市之助か」

「左様にございます」

 

勘十郎兄上もすぐに頷いた。

 

「妥当だな」

「孫三郎叔父上の嫡子」

「本家そのものではないが、軽くもない」

「はい」

「伊達家から見ても、“織田本家へ直結ではないが、中枢へは太く繋がる”形になります」

「那古野織田家ごと上がる」

「まさに」

 

市之助信成は那古野織田家嫡流で、一門中枢の太い枝として立てられる人物だ。那古野織田家は尾張後方統治の重要軸であり、孫三郎叔父上自身は京で大樹公の傍に侍する。市之助自身も一門若手有力者として扱うべき立場にある。

 

上総介兄上が俺を見る。

 

「最上とは返しの厚みが違うぞ」

「それでよろしいかと」

「ほう」

「最上家は、父子で直接参りました」

「うむ」

「伊達家は文にございます」

「……」

「婚姻は受ける。されど、返礼の厚みは同じではない。それ自体が、こちらの物言いになります」

「左様か」

「はい」

 

勘十郎兄上が、少しだけ笑った。

 

「つまり、左京大夫殿自らお越しであれば、もう一段違ったかもしれぬ、と」

「含みとしては、その通りにございます」

「嫌らしいな」

「外交でございますので」

「お前が言うと商いみたいだ」

「半分は同じでございましょう」

 

上総介兄上がそこで笑った。

 

「違いない」

少し間を置いてから、兄上はまた言った。

「で、治部」

 

「はい」

「他には何が欲しい」

 

俺も少しだけ笑った。

 

「最上家は奥州馬を数頭、きっちり持ってきてくれましたでしょう」

「うむ」

「伊達家からも、何か一つ、分かりやすいものは欲しいところにございます」

「馬か」

「馬は悪くありませぬな」

「欲深いのう」

「婚姻だけでは、こちらが損を致します」

 

勘十郎兄上が吹き出した。

 

「そこは隠せ」

「内輪にございますれば」

「それはそうだが」

 

上総介兄上は笑いながらも、すぐに真顔へ戻った。

 

「次郎殿への官途筋はどうだ」

「今回は不要かと」

「ほう」

「最上家には、直接来たことへの返礼もございました」

「うむ」

「伊達家に同じ厚みまで付ければ、差が消えます」

「……」

「婚姻は受ける。されど、そこまでに留める。それで、左京大夫殿にも意味は伝わりましょう」

「そうよの」

「はい」

 

勘十郎兄上が頷いた。

 

「それでいい。次郎殿にまで何か付けるのは、さすがに厚すぎる」

「はい」

 

上総介兄上が、ようやく文を机へ置いた。

 

「では返すぞ」

「は」

「彦姫殿の相手は、市之助信成」

「承知致しました」

「ただし、伊達家へは“軽く見た返し”と思わせるな」

「無論にございます」

「那古野織田家の格、一門中枢の厚み、そこを前へ出せ」

「承知致しました」

「市之助を呼べ」

 

勘十郎兄上の命で、市之助が呼ばれる。

 

入ってきた市之助は、場の重さを一目で測ったらしい。

最初から崩さず、きちんと頭を下げた。

 

「上総介様、勘十郎殿、治部、市之助信成参りました」

「来たか」

「何やら重そうな顔ぶれですが」

「重いぞ」

「でしょうね」

 

勘十郎兄上が、書付を指で示した。

 

「伊達から婚姻打診が来た」

「……伊達家ですか」

「そうだ」

「で、お前のもとへ輿入れをさせる」

「俺ですか」

 

市之助はそこで一瞬黙った。

軽口で流さないのが、あいつの良いところだ。

 

「不満か」

 

と上総介兄上。

 

「いえ」

「ただ」

「うん」

「俺個人というより、那古野の御家ごと上げる話でございましょうな」

 

「その通りだ」

上総介兄上が、少し満足そうに頷く。

「分かっておるではないか」

 

「那古野織田家を、ただの後方の枝と見せぬためでもある」

「そうだ」

「伊達家から見ても、“織田本家そのものではないが、一門中枢へ太く繋がる”形になる」

「その通り」

 

市之助はそこで、ようやく少し笑った。

 

「では、重いですが悪くない話ですな」

「嫌ではないか」

「嫌なわけがありませぬ」

「ほう」

「奥州の大名家からの縁談など、そうそうある話ではない」

「うん」

「しかも、最上家への返しを見たうえで、伊達家が次に出してきた札」

「……」

「軽いわけがない」

「その重さが分かるなら十分だ」

 

俺がそう言うと、市之助は少し肩を竦めた。

 

「だが、治部」

「何だ」

「お前、たぶん俺の話そのものより、奥羽まで波及したことの方を面白がってるな」

「そりゃ面白いだろう」

「ひでえな」

「義姫との婚姻が一地方の婚姻で終わってないってことだぞ」

「まあ、それはそうだ」

 

上総介兄上が笑った。

 

「本当に盤面が広がると目の色が変わる」

「それで食べておりますので」

「食い意地の話ではない」

「半分は同じにございます」

 

少しだけ笑いが入ったところで、場の硬さがいい具合に解けた。

 

勘十郎兄上が最後に言った。

 

「市之助」

「は」

「これは妥協の返しではない」

「承知しております」

「お前と那古野織田家を立てる返しだ」

「はい」

「伊達家にそう見せる」

「はい」

「だから、軽く受けるな」

「無論にございます」

 

それで話は決まった。

 

伊達は、最上の次に中央へ手を伸ばした家となる。

だが、その手を取るのは上総介兄上でも勘十郎兄上でもない。

信光家嫡流、市之助信成だ。

 

それでよかった。

むしろ、その方がよかった。

 

織田は、上総介兄上一人の家ではない。

最上には最上への返しがあり、伊達には伊達への返しがある。

その差まで含めて、織田の厚みだと見せられるなら、この打診は十分に値があった。

 

 

勘十郎兄上に呼ばれて部屋へ入った時、今度はどこだ、とは思わなかった。

 

最上が動き、伊達が続いた。

ならば次も東国奥羽方面だろう。

そこまでは、もう読める。

 

「参りました」

 

頭を下げると、上総介兄上が文ではなく、小札を指先で弾いた。

 

「治部」

「はい」

「今度は佐竹だ」

「……左様にございますか」

「文ではないぞ」

 

と、勘十郎兄上。

 

「左衛門尉殿が、直接来ておる」

「ほう」

 

それで大体見えた。

 

最上は、最上出羽守殿と嫡男源五郎殿、義姫が自ら来た。

伊達は、左京大夫殿の文だった。

そして佐竹は、一族の長老である左衛門尉殿を寄越してきた。

 

順に、東国の家々がこちらへの近づき方を変えてきている。

 

「常陸介殿が、妹君を三十郎へ入れたいとのことだ」

 

と、上総介兄上。

 

「さや姫殿でございますか」

「うむ」

 

勘十郎兄上が俺を見る。

 

「どう見る、治部」

「伊達よりは一段重うございます」

「理由は」

「文ではなく、使者を直接寄越しております」

「うむ」

「最上ほどではございませぬが、少なくとも“顔を見ずに済ませるつもりはない”ということにございましょう」

「左様か」

「はい」

 

上総介兄上が机を指で叩いた。

 

「で、三十郎はどうだ」

「十分以上に重い札にございます」

「……」

「上総介兄上、勘十郎兄上と同腹の弟御にございますれば」

「うむ」

「婚姻札としての値は、かなり高うございます」

「その通りだな」

 

前回の伊達では、市之助でも十分に太かった。

だが、三十郎殿は別だ。

本家当主そのものではないとはいえ、同腹の弟を返すとなれば、佐竹への返しとしてはかなり厚い。

 

「軽いどころか、相当だな」

 

と勘十郎兄上。

 

「左様にございます」

「これに何を足す」

「常陸介にございます」

「やはりそこか」

「はい」

 

最上には源五郎義光殿へ出羽介。

伊達には、婚姻のみで官途は付けぬ。

ならば佐竹には、三十郎殿を返し、常陸介補任を返礼とする。

 

それでちょうどいい。

いや、かなり厚い。

だが、最上と並べ切らずに済む。

 

「最上が一番、佐竹は一族の名代を寄越したのでそれに少し劣る程度。伊達とは差が付いた」

と、上総介兄上。

「そんなところか」

 

「左様にございます」

「佐竹は、かなり最上寄りまで上がる」

「はい」

「だが、最上は当主と嫡子が自ら来た」

「そこが残ります」

「伊達は」

「文ゆえに、一段落ちます」

 

勘十郎兄上が少しだけ笑った。

 

「分かりやすいな」

「分かりやすくて結構かと」

「ほう」

「皆、次にどう来れば厚く返るか、自分で学びます」

「嫌らしいな」

「外交にございますので」

「前も言ったが、お前が言うと商いみたいだ」

「半分は同じにございます」

 

そこで、上総介兄上が笑った。

 

「で、治部」

「はい」

「受けるな」

「受けてよろしいかと」

「三十郎で」

「はい」

「常陸介も付ける」

「はい」

 

少しして、左衛門尉殿が通された。

 

年の頃といい、物腰といい、なるほど軽く寄越された使者ではない。

ただ文を置きに来たのではなく、こちらの顔色と重みを見て持ち帰るための者だ。

 

「よう参られた」

 

と、上総介兄上。

 

左衛門尉殿が深く頭を下げる。

 

「はっ。主常陸介の名代として、罷り越しました」

「左衛門尉殿自ら来られたか」

「はい」

「若殿より、ことのほか強い仰せにございました」

「……なるほど」

 

そこは大きい。

伊達のように文を寄越したのではなく、佐竹は使者を直接立ててきた。

それも、家中で軽くはない左衛門尉殿を寄越してきた。

 

「常陸殿を、三十郎へ」

 

と、勘十郎兄上。

 

「はい」

「軽い相手ではない」

「承知の上にございます」

「最上家と同じ返しを求めるか」

 

「いいえ」

左衛門尉殿は、そこで静かにかぶりを振った。

「最上家は最上家にございます」

 

「……」

「されど、佐竹は佐竹として、織田家との結びを求めます」

「うむ」

「軽く扱われるつもりもございませぬ」

 

「当然だな」

上総介兄上が、そこで言った。

「ならば、こちらもそれに見合う返しをしよう」

 

「……」

「常陸殿の婚姻打診、受けよう」

「はっ」

「相手は三十郎だ」

「忝く」

「さらに」

「……」

「常陸介補任の筋、こちらで進めよう」

「……!」

 

左衛門尉殿の目が、そこで初めて少し揺れた。

 

婚姻だけでも十分に重い。

そこへ常陸介補任まで付く。

これは、伊達より明らかに一段上の返しだ。

 

「上総介様」

「何だ」

「厚き御返し、忝く存じます」

「これは、そなたらが直接来たことへの返しでもある」

「……」

「文だけなら、ここまではいかなんだやもしれぬ」

「肝に銘じます」

 

それで十分だった。

 

最上家は、当主と嫡子が自ら来た。

だから最も厚く返した。

佐竹家は、重臣を直接寄越した。

だからかなり厚く返す。

伊達家は文。

だから一段落とした。

 

あまりに分かりやすい。

だが、こういうものは分かりやすい方が効く。

 

左衛門尉殿が下がったあと、勘十郎兄上が言った。

 

「治部」

「はい」

「これで、奥羽や東国の連中はますますこちらの顔色を見るぞ。西国も黙っておらんかもしれん」

「左様にございましょう」

「面倒だな」

「結構なことにございます」

「なぜだ」

「もう、東国や奥羽でも“織田へどう近づくか”が流れの一つになったということです」

「……」

「最上が先に動き、伊達も文を寄越し、佐竹がそれに続いた」

「うむ」

「皆、自分の家格と接触の仕方で、返しの厚みが変わると理解致します」

「嫌らしいな」

「先ほどから何度も頂いております」

 

上総介兄上が声を上げて笑った。

 

「違いない」

 

そこで兄上は、ふと真顔へ戻った。

 

「治部」

「はい」

「三十郎には、お前からもきちんと話しておけ」

「承知致しました」

「三十郎は軽い札ではない」

「もちろんにございます」

「だからこそ、佐竹へ返す意味がある」

「はい」

 

その言い方で、話は締まった。

 

三十郎殿は、軽いから出すのではない。

むしろ重い。

その重い札を出し、さらに常陸介を返す。

だからこそ、佐竹は伊達より上へ置かれる。

 

最上≧佐竹>伊達。

 

この順が、奥州へどう響くか。

それを思うと、少しだけ可笑しかった。

 

もう、遠い東でも、こちらを基準に皆が動き始めている。

 

 

 

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