織田家の嫡子~藤左衛門家の特異点   作:デトロ!開けろイト市警だ!

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065大阪城盤外戦

大坂城の大広間というのは、本来もっと厳粛な場所であるべきだった。

 

少なくとも、将軍家の静謐令に従って九州が落ち着き、各家の当主・重臣が召し出される場なのだから、普通はもっと張りつめた空気になる。

ところがこの日、その広間に集まった面子は、どうにも“普通”という言葉から遠かった。

 

上座には、織田上総介信長。大納言兼右近衛大将の官位を持つ。

 

その顔には、すでに半分ほど「面白いものを見に来た」色がある。

隣には勘十郎信勝。

こちらは面白がるというより、確実に胃を痛める側の顔だった。

 

列したのは、龍造寺山城守山城守。

大友左近衛少将宗麟。

そして島津三郎左衛門尉義久。

 

三人とも、普通ならその場にいるだけで周囲が息を呑む大名である。

だが、そこへ織田上総介信長まで同席していると、なぜか**濃い者同士が互いに相手の濃さを打ち消し合わず、むしろ増幅する**という妙な現象が起きる。

 

俺は、少し下がった位置からその絵面を見て、心の中でだけ呟いた。

 

――これはひどい。

 

上総介兄上が、最初に口を開いた。

 

「さて」

それだけで、広間の空気がすっと締まる。

「九州の者ども、よう参った」

 

山城守は黙っている。

佐近衛少将は、礼を崩さず頭を下げた。

三郎左衛門は静かに座したまま、声の出方だけを聞いているようだった。

 

「静謐令に逆らい、戦を広げ、家を危うくした者もおる」

 

上総介兄上の目が、順に三人をなぞる。

 

「だが」

ここで、口元が少しだけ上がった。

「その後、止まった」

 

佐近衛少将が、ゆっくり言う。

 

「止まらざるを得ぬほど、上総介殿のお力が大きかったのでしょう」

 

「ほう」

上総介兄上は面白そうに眉を上げる。

「普蘭師司怙殿は、やけに殊勝ではないか」

 

広間の空気が、ほんの少しだけ揺れた。

 

佐近衛少将は、きちんと顔を上げて応じる。

 

「洗礼名にございますれば」

「ますます分からん」

 

と、山城守が低く言った。

 

佐近衛少将が、わずかに口元を緩める。

 

「分からずとも、差し支えはございませぬ」

 

「差し支え大ありじゃ」

山城守は、もう不機嫌を隠していない。

「そもそも何だ、その名は。人が名乗るものか。呪か何かか」

 

「信仰にございます」

「なお悪い」

 

俺は、少しだけ視線を逸らした。

もうこの時点で、かなり面倒だ。

 

そして、そこへ三郎左衛門が静かに口を挟んだ。

 

「山城守殿」

 

山城守が顔を向ける。

 

「何だ」

「名にいちいち噛みついておっても、話は進みますまい」

 

声は穏やかだ。

だが、穏やかな分だけ重い。

いかにも、島津兄弟の長兄らしい言い方だった。

 

「……三郎左衛門尉殿は、落ち着いておられるな」

 

と佐近衛少将。

 

三郎左衛門は小さく息を吐く。

 

「落ち着かねば、家が残りませぬ」

 

その一言に、今度は上総介兄上が笑った。

 

「よいな」

短いが、妙に楽しそうだった。

「三郎左衛門尉は話が通る」

 

山城守が、そこで鼻を鳴らす。

 

「貴様に“話が通る”と言われて喜ぶ者がどれほどおる」

「少なくとも、話が通らぬ者はここへは座れぬ」

 

ぴしゃり、と切る。

やはり魔王である。

 

佐近衛少将はそこで、肩をすくめるように言った。

 

「では、この場にいるということは、皆それなりに“通る側”にございますか」

「そうなるな」

 

上総介兄上は即答した。

 

「もっとも」

視線が今度は山城守へ落ちる。

「通るまでにだいぶ手間のかかった者もおるがの」

「……」

 

山城守の額に、目に見えぬ青筋が立った気がした。

 

俺は、もうこの辺りで十兵衛と目が合った。

十兵衛の顔は整っている。

整っているが、確実に**“治部様、これは長引きます”**という顔をしている。

 

そこへ、勘十郎兄上が口を開いた。

 

「本日は、過去の戦の蒸し返しをする場ではない」

 

助かった。

やはり勘十郎兄上がいると広間の温度が一段戻る。

 

「各家が今後、どう残り、どう役を果たすかを定める場だ」

 

佐近衛少将が頷く。

 

「その方が、よほど建設的にございます」

「普蘭師司怙殿は、そういうところは真っ当だな」

 

と上総介兄上。

 

佐近衛少将が少しだけ困ったように笑う。

 

「“そういうところは”を付けられると、褒められている気が致しませぬ」

「実際、半分ほどしか褒めておらぬ」

「半分でもありがたく頂戴いたします」

 

そこで、今度は三郎左衛門の口元がごくわずかに動いた。

たぶん笑ったのだろう。

かなり珍しい部類だ。

 

山城守だけが、まだ熊のままだった。

 

「上総介」

「何だ、山城守」

「貴様らは、こうして座に収めておいて、どこまでを赦し、どこからを縛るつもりじゃ」

 

その問いは、かなり本質だった。

 

上総介兄上は、少しも逃げずに答える。

 

「赦す気は、あまりない」

広間が静まる。

「だが、使う気はある」

 

その答えに、一番早く反応したのは三郎左衛門だった。

眉が、ほんのわずかに動く。

 

佐近衛少将は目を伏せる。

山城守は、むしろ納得したような顔になる。

甘い赦しより、そちらの方がまだ筋が通ると感じたのだろう。

 

「山城守には、山城守の役がある」

上総介兄上は指で軽く膝を打った。

「普蘭師司怙殿にも、三郎左衛門尉にも、それぞれな」

 

「役、ですか」

 

と佐近衛少将。

 

「そうじゃ」

「敗者の役ではなく」

「その言葉を使うなら、敗者のままでは終わらぬ役だ」

 

三郎左衛門が、そこで初めて真正面から上総介兄上を見た。

 

「……大きく出られる」

「大きいからの」

 

即答。

ここはもうどうしようもない。

 

俺は、少しだけ頭を押さえたくなった。

この場、濃すぎる。

 

だが問題は、ここで終わりではなかった。

 

広間の後ろ寄り。

奥方衆が顔を出しても不自然ではない位置に、何人かの気配がある。

お市。

真理姫。

雪姫。

鶴姫。

美景姫。

香耶姫。

義姫。

そして、ほむら姫。

 

俺は、それに気づいていた。

気づいていたが、見ないようにしていた。

見たら終わるからだ。

 

ところが、終わりは向こうから来た。

 

ほむら姫が、こちらへ歩いてきたのである。

 

「治部大輔殿」

「……はい」

 

その時点で、山城守の顔色が変わった。

 

佐近衛少将が、静かに察した顔になる。

三郎左衛門が、ほんの少しだけ視線を細める。

上総介兄上はもう面白がっている。

勘十郎兄上は、明らかに胃が痛そう。

 

ほむら姫は平然と俺の傍へ座った。

 

「何でしょう」

「何でしょう、ではありませぬ」

「じゃあ何だ」

「合掌」

「まだ何もしてないだろ!?」

 

それをきっかけに、奥方衆が寄ってきた。

 

お市は静かに微笑む。

真理姫は柔らかい顔で逃げ道を塞ぐ。

雪姫は真面目なまま厳しい。

そして、ほむら姫はもう完全に大将首を取りに来る顔だ。

 

俺は、そこで確信した。

 

――終わった。

 

山城守が、ついに立ち上がった。

 

「おい治部大輔!」

 

また熊である。

しかも今日は広間なので、余計に目立つ。

 

だが、ほむら姫が振り向いて一言。

 

「兄上」

山城守が止まる。

「ハウス」

 

広間が静まり返った。

 

魔王こと上総介兄上が、そこでついに吹き出した。

笑ってはいけない場なのに、声を殺しきれていない。

 

「く、くく……山城守、見事に躾けられておるではないか!」

「上総介! 笑うな!」

「笑うわ! これは笑う!」

 

三郎左衛門ですら、ついにわずかに顔を背けた。

佐近衛少将は袖で口元を隠している。

勘十郎兄上は、もう諦めたような顔だ。

 

そして、お市が静かに言った。

 

「治部殿」

「はい」

「後ほど、少しお時間を頂きます」

 

真理姫も続く。

 

「私も、お話がございます」

 

雪姫も真面目な顔で頷く。

 

「私もです」

 

ほむら姫が、最後に言った。

 

「私もです」

 

俺は、合掌した。

 

「……南無」

 

上総介兄上が、腹を抱える勢いで笑う。

山城守は熊の顔のまま座らされる。

三郎左衛門は“鬼島津の兄”としての威厳を保とうとしているが、もう無理だ。

佐近衛少将は普蘭師司怙のまま静かに肩を震わせている。

 

こうして、

 

**魔王 vs ヒグマ vs 鬼島津の兄 vs ドン・フランシスコ**

 

という本来あり得ぬ大名会談は、

 

最後には

 

**ほむら姫+奥様方 vs 俺(合掌)**

 

という、もっと逃げ場のない戦へと自然に接続されたのだった。

 

 

「ああなったらもうどうしようもないだろ!」

俺がそう言い返した瞬間、座敷の空気は、いったん完全に止まった。

「だって女性から逆夜這いを受けたんだぞ。それで追い返したりでもしたら、それはそれでお前ら怒るんでしょ? 決意した女性の覚悟と顔を潰さないように据え膳食ったんだよ!」

 

半ばやけっぱち。

だが、理屈だけ拾えば、確かに一理はある。

あるのだが、だからこそ余計に面倒だった。

 

俺はさらに畳みかける。

 

「盤外戦で勝ったと思ったらひっくり返されたんだよ!」

 

そこで、最初に口を開いたのはお市だった。

 

「治部殿」

「はい」

「まず、“据え膳食った”という言い方をおやめ下さい」

「……はい」

 

静かだ。

だが、静かだから余計に怖い。

 

真理姫が、にこやかに続ける。

 

「治部殿のお気持ちは、少し分かります」

「おっ」

「ですが」

「はい」

「その言い方ですと、まるで災難に巻き込まれた被害者のように聞こえます」

「……あ」

 

雪姫が、真面目な顔のまま刺す。

 

「実際には、受け入れると決めたのは治部殿ご自身ではありませんか」

「いや、それはそうなんだが」

「ならば、“食った”ではなく“受けた”でしょう」

「はい……」

 

鶴姫が、涼しい顔で外堀を埋める。

 

「それに治部大輔殿」

「何でしょう」

「女性の覚悟と顔を潰さぬため、という理屈自体は結構です」

「だろ?」

「ですが、その理屈を“だから自分は悪くない”へ繋げた時点で減点です」

「減点!?」

 

美景姫が、面白がるのを隠しもせず言う。

 

「朝倉なら、そこはもう少し上手く申しますよ」

「うるさい、鬼姫」

「負けておいて口だけは達者ですね」

 

香耶姫が、横から淡々と入れる。

 

「そもそも、逆夜這いを受けた時点で盤外戦負けです」

「そこからひっくり返されたって言ってるだろ!」

「ええ。負けを認めずに言い訳へ走ったので、さらに負けたのです」

「きついな!?」

 

義姫が、真冬の吹雪のような冷たい視線を向ける。

 

「さらに、そうなれば側室を増やすことになることは明白。私たちにこうやって詰められるのも、その瞬間に覚悟なさったはずです」

「だよね」

「ですからおとなしく詰められてください」

「慈悲はないのか」

「ございませんね」

 

その時、最後に一番重いのが来た。

 

ほむら姫である。

 

「治部大輔殿」

「……はい」

「私は、確かに自分の覚悟で参りました」

「うん」

「追い返されれば、腹も立ったでしょう」

「だろ?」

 

「ですが」

ここで、ほむら姫は少しだけ目を細めた。

「それを“据え膳食った”と総括されるのは、さすがに腹が立ちます」

 

俺が固まる。

 

「それは、俺が悪かった……すみません」

「よろしい」

「よくないだろこれ」

 

お市が、そこで静かにまとめに入った。

 

「治部殿」

「はい」

「問題は二つです」

「二つ?」

「一つ。ほむら姫様の覚悟を受けたこと自体」

「うん」

「これは、もう起きたことです。今さら蒸し返しても仕方ありません」

「助かる」

「もう一つ」

「……はい」

「その後の言い方です」

「そこかあ……」

 

真理姫が、少し困ったように笑う。

 

「治部殿は、戦も政も上手なのに、こういう所だけ急に雑になりますよね」

「否定できない……」

 

雪姫が頷く。

 

「盤外戦で勝ったと思った、のも本音なのでしょう」

「そうだよ!」

「ですが」

「はい」

「それを口にした時点で、もうまた盤外戦です」

 

俺は、そこで天を仰いだ。

 

「無限地獄かよ」

 

ほむら姫が、ほんの少しだけ笑う。

 

「ええ」

「ひどい」

「ですが」

 

彼女は続けた。

 

「“覚悟した女性の覚悟と顔を潰さないように受けた”という部分は、私は嫌いではありません」

 

俺が少しだけ顔を上げる。

 

「ほんと?」

「ただし」

「やっぱりあるんだな、ただし」

「その後に、“だから俺は悪くない”と続けたから減点です」

「また採点か!」

「当然でしょう」

 

鶴姫が、そこで肩をすくめる。

 

「治部大輔殿は、本当に採点されるのがお好きですね」

「好きじゃねえよ!」

 

美景姫が続く。

 

「されるようなことばかりなさるからです」

「正論やめろ!」

 

お市が、最後に静かに言った。

 

「治部殿」

「はい」

「では、言い直して下さい」

「何を」

「今の件を、誤魔化さず、軽くせず、誰の顔も潰さぬように」

「……無理難題だな」

「得意分野でしょう?」

 

逃げ道がない。

 

俺は、しばらく本気で考えた。

戦場の包囲より、こっちの方がよほどきつい。

 

やがて、諦めたように息を吐く。

 

「……ほむら姫」

「はい」

「お前の覚悟を軽く言ったのは悪かった」

「はい」

「俺は、追い返すのも違うと思ったし、受けるなら受けるで軽く扱う気もなかった」

「はい」

「ただ、その後に自分の方を被害者みたいに言ったのは、完全に俺が悪い」

 

ほむら姫は、じっと見ていたが、やがて頷いた。

 

「それなら、六十点ぐらいにしておきましょう」

「何でそこでも採点なんだよ!」

「慣れて下さい」

 

お市が、ようやく少し笑う。

 

「治部殿」

「何だ」

「つまり、そういうことです」

「どういうことだよ」

 

真理姫が、柔らかく言った。

 

「治部殿が、どちらも潰さぬようにしようとして、言い方だけ失敗した、ということです」

 

雪姫も頷く。

 

「受けたこと自体より、雑に総括したことが問題でした」

 

鶴姫が付け加える。

 

「盤外戦でひっくり返されたのではなく、盤外戦の後処理を誤ったのです」

「後処理……」

 

美景姫が笑う。

 

「いかにも治部大輔殿らしい失点ですね」

 

香耶姫が短く締める。

 

「今後は、口を慎むことです」

 

義姫はお茶を口にした。

 

「判断自体を間違えた、とはこの場の誰も申しておりません」

 

俺は、そこでようやく深く息を吐いた。

 

「……分かったよ」

そして小さく、だが妙に本音っぽく付け足した。

「戦より難しいな、これ」

 

その瞬間、奥方衆の間に、少しだけ笑いが走った。

 

完全勝利ではない。

俺は負けた。

かなり負けた。

だが、全面壊滅までは行かなかった。

 

その意味では、確かに六十点ぐらいではあった。

 

 

大広間へ戻ると、空気がまた別の意味で終わっていた。

 

さっきまで奥向き包囲網で六十点判定を受けていた俺からすると、むしろこっちの方がまだ“戦場”として分かりやすい。

 

上座寄りで、上総介兄上が腕を組んでいる。

真正面ではない。

だが、いつでも盤ごとひっくり返せる位置だ。

 

その向かいに、龍造寺山城守山城守。

座っているだけなのに、いつでも突進してきそうな圧がある。

さっきハウスされた熊とは思えないが、熊は熊だ。

 

そして、その斜めに島津三郎左衛門尉三郎左衛門。

静かだ。

静かだが、静かな分だけ一番動かしにくい。

鬼島津の“兄”という感じが、座っているだけで分かる。

 

三竦みだった。

 

誰も動いていない。

だが誰も相手を盤の外へ逃がしていない。

将棋盤の上に、王将と飛車と角を無理やり三枚だけ置いたような、妙な緊張感である。

 

そして、その少し外れで。

 

佐近衛少将――もとい、ドン・フランシスコ普蘭師司怙だけが、なぜか座禅を組んでいた。

 

本当に、妙に大広間へ溶け込んでいる。

さっきまであれだけ濃かった男が、今は逆に**“最初からそこにあった置物”**みたいな顔をしている。

 

「何なんだ、あれ」

 

と俺が小声で漏らすと、十兵衛が同じく小声で返した。

 

「現実から一歩退いたのでは」

「いや、退き方がうますぎるだろ」

「ある種の才能かと」

 

そこへ、ほむら姫が横から低く言う。

 

「治部大輔殿」

「何でしょう」

「今、突っ込むのは危険です」

「分かってるよ」

「いえ、分かっておられません」

「何でだよ」

「今この場で、兄上方三名と普蘭師司怙殿を、どう丸く収めるおつもりで?」

「……」

「考えておられませんね?」

「ちょっと考えてる」

「その顔は考えておりませぬ」

 

きつい。

 

だがその時、俺はふっと顔を上げた。

そして、かなり良いことを思いついた顔になった。

 

「もうさ」

皆が少しだけ見る。

「お酒呑んで乾杯して、ね?」

 

大広間の空気が一瞬止まる。

 

上総介兄上が、まず目を細めた。

山城守は怪訝そうな顔をする。

三郎左衛門は無言。

佐近衛少将だけは座禅のまま薄く目を開けた。

 

俺は、そこで一気に続けた。

 

「治部印の焼酎組み合わせ、お持ちしますんで」

 

上総介兄上の眉が上がる。

 

「ほう」

「米、麦、蕎麦、芋」

 

山城守の顔が少しだけ動いた。

佐近衛少将は、ついに座禅を解いてこちらを見る。

三郎左衛門はまだ無言だが、三郎左衛門にしてはかなり興味を示している顔だ。

 

「……焼酎、だと」

 

と山城守。

 

「はい山城守殿。九州の今後を決めるのに、酒も無しでは角が立つでしょう」

「貴様、何でも酒で誤魔化せると思うなよ」

「誤魔化すんじゃない。滑らかにするんだよ」

 

佐近衛少将が、そこで少し笑った。

 

「それはなかなか、司祭には申せぬ理屈にございますな」

「普蘭師司怙殿は呑めるでしょ」

「ええ、嗜む程度には」

「嗜む程度で済んでる顔じゃないんだよなあ」

 

それには、さすがに上総介兄上が吹き出した。

 

「治部、面白いではないか」

「兄上、ここはもうそれしかないです」

 

「確かにのう」

上総介兄上は、三人を順に見た。

「山城守」

 

「何だ」

「三郎左衛門尉」

「……は」

「普蘭師司怙殿」

「はい」

「せっかく治部がそこまで申す。呑んでから殺し合うでも遅くはあるまい」

「殺し合う前提なの!?」

 

と俺。

 

三郎左衛門が、ここで初めてはっきり言った。

 

「上総介殿」

「何だ」

「呑んだ後も、殺し合わずに済むなら、その方が良い」

 

その一言には、重みがあった。

静かなのに、場が少し整う。

 

山城守が鼻を鳴らす。

 

「……酒でどうにかなるような場とも思えぬが」

「山城守殿」

 

と俺。

 

「何だ」

「焼酎ですよ」

「だから何だ」

「米、麦、蕎麦、芋、全部揃えます」

 

山城守が、露骨に迷った顔をした。

 

「……芋もあるのか」

「あります」

「麦もか」

「あります」

「蕎麦まで」

「あります」

 

ここで、ほむら姫が横から冷たく刺した。

 

「兄上」

「何だ」

「呑みたいのでしょう」

「誰がそんなことを言うた!」

「顔に書いてあります」

「書いておらん!」

「書いております」

 

また熊が騒ぎ出しかけたが、今度はハウスまで行かずに止まった。

だいぶ学習している。

 

佐近衛少将が、妙に穏やかな顔で言う。

 

「それは興味がございますな」

「普蘭師司怙殿も?」

「九州の酒を、九州の勝者と敗者とで飲む。なかなか得難い席です」

 

三郎左衛門が、静かに続ける。

 

「……悪くありませぬ」

 

決まった。

 

俺は、すぐに振り返る。

 

「十兵衛」

「は」

「出せる?」

「すでに半兵衛と伊勢守が動いております」

「仕事早いな!?」

 

半兵衛が少し下がった位置で答える。

 

「こうなる気がしておりましたので」

 

伊勢守まで、どこからともなく現れた。

 

「杯の数も足ります」

「急に現れるな」

「すんません」

 

慶次郎が、にやにやしながら言う。

 

「治部印の焼酎取り合わせ、天下の濃いおっさん選手権に投入か」

「選手権にした覚えはない」

「もうなってる」

 

その通りだった。

 

やがて酒が運ばれてくる。

 

米。

麦。

蕎麦。

芋。

 

器もちゃんとしている。

そこだけは治部家らしく抜かりがない。

大広間の中央に、妙に立派な“酒の講評会”みたいな空気が生まれた。

 

俺が、仕切るしかないと腹を括って前へ出る。

 

「えー……」

「何だその“えー”は」

 

と上総介兄上。

 

「いや、だってこの面子で乾杯の音頭取るの怖いでしょ」

「取れ」

「はい」

 

逃げ道なし。

 

俺は、杯を持った。

 

上総介兄上。

山城守。

三郎左衛門。

佐近衛少将。

その後ろに、ほむら姫、直茂、歳久、昌久、お市たちまでいる。

 

「では」

全員が見る。

「九州静謐と、家々がちゃんと残る形になったことに」

 

一拍。

 

「……乾杯」

「乾杯」

「乾杯にございます」

「……乾杯」

 

声が重なる。

 

最初の一口は、奇妙なくらい静かだった。

 

上総介兄上が最初に言う。

 

「芋、よいな」

 

山城守がすぐに反応する。

 

「ほう。貴様、分かるではないか」

「当たり前じゃ」

 

三郎左衛門は麦を見ている。

佐近衛少将は米を口にして、少しだけ目を細めた。

 

「これは、良い」

 

「でしょう」と俺。

 

「蕎麦は?」

 

と右衛門佐昌久。

 

「そっちはあとで右衛門佐殿に解説してもらおうか」

「解説が要る酒というのも妙ですな」

「でもお前、そういうの好きだろ」

 

ほむら姫は芋を一口含んで、そこで小さく言った。

 

「……嫌いではありませぬ」

「また半分か」

「今は七割ほど」

「点数上がったな」

 

そのやり取りに、ついにお市が小さく笑った。

 

大広間の空気が、少しだけ、人間のものへ戻る。

 

魔王。

ヒグマ。

鬼島津の兄。

ドン・フランシスコ。

 

その四者が、同じ座で焼酎の味を見ている。

しかも、ちゃんと会話になっている。

 

これはもう、戦よりも珍しい光景かもしれなかった。

 

俺は、ようやく少し肩の力を抜いた。

 

「……いけるな」

 

十兵衛が小声で言う。

 

「何とか、でございますな」

「酒って偉大だな」

「治部様」

「何だ」

「後でまた奥向きの場がございます」

「……忘れてた」

 

その瞬間、ほむら姫が横で言った。

 

「治部大輔殿」

「何でしょう」

「盤外戦第二回戦です」

「まだあんの!?」

「当然でしょう」

 

そうして、大広間では濃いおっさんたちの酒宴が始まり、

その横で俺だけは、次の戦場の気配にそっと合掌した。

 

 

大広間の酒宴をどうにか切り上げて、俺が奥向きへ戻った時には、もう嫌な予感しかしなかった。

 

襖の向こうの気配が、多い。

 

一人二人ではない。

それも、ただ人がいるというだけではない。

**待っている** 気配だ。

 

「……逃げていいかな」

 

と小さく漏らしたが、後ろの十兵衛が即答した。

 

「不可にございます」

「だよな」

「ご武運を」

「他人事みたいに言うなよ」

 

そう言っても、十兵衛は襖の前で一礼すると、そのまま静かに下がった。

つまり、完全に見捨てられた。

 

俺は、腹を括って襖を開けた。

 

「ただいま」

 

座敷の空気は、思ったより静かだった。

 

上座寄りにお市。

その少し横に真理姫。

雪姫と鶴姫。

ほむら姫。

 

そして、やや奥まったところに、美景姫と香耶姫、あと義姫も。

 

三人とも腹はかなり大きい。

特に美影姫と香耶姫は臨月が近い。

年が改まれば産まれてもおかしくない時期だ。

そのためか、さすがに前へ出て詰める役ではなく、今日は“見届ける側”に回っている。

だが、それがかえって怖い。

後ろから静かに見ている者ほど、最後の一言が重いからだ。

 

「治部殿」

 

お市が静かに言う。

 

「はい」

「第二回戦です」

「やっぱりか……」

 

俺は、素直に座った。

ここで無駄に抗うと失点が増える。

それぐらいの学習は、もうしている。

 

真理姫が、柔らかく言う。

 

「先ほどの第一回戦で、治部殿が少しは言い直して下さったことは分かりました」

「ありがとう」

「ですが」

「うん」

「盤外戦は、言葉だけで済むものではありませんよね」

「……そうだな」

 

雪姫が、真面目な顔のまま続ける。

 

「ほむら姫様を、今後どう扱うのか」

 

そこだ。

 

結局、問題の芯はそこにある。

一夜のことだけではない。

その後をどうするか。

治部家の奥として、家として、どう受けるか。

 

俺は、そこで少しだけ姿勢を正した。

 

「軽く扱う気はない」

 

ほむら姫が、黙ってこちらを見る。

 

「それは、前にも言った」

「はい」

「今後も言う。あの夜のことを、勢いとか、旅先での気の迷いとか、そういう雑な箱へ入れるつもりはない」

 

お市が問う。

 

「では、どうなさるのです」

「家の中で筋を通す」

「具体的には」

「まず、奥向きへちゃんと通す」

「今、通しておられますが」

「だから今ここにいるんだろ……」

 

そこへ、美景姫が奥から口を開いた。

 

「治部大輔殿」

「何でしょう」

「私どもは今、あまり前へ出て長く責める気はありません」

「助かる」

「ですが」

 

やはり来た。

 

「助かった、で済ませるなら減点です」

「厳しいな、臨月近いのに切れ味落ちないな」

「ええ。落ちるようでは朝倉で生きておりません」

 

そこへ香耶姫も、腹へ手を添えたまま静かに言う。

 

「私も、細かくは申しません」

「うん」

「ただ」

「ただ?」

「刺す気で見ていた、と前に仰いましたよね」

「……言ったな」

「今後、ほむら姫様にも同じような軽口を叩かぬことです」

「叩いてないだろ!?」

 

香耶姫は、少しも表情を変えない。

 

「先に釘を刺しておくのです」

「予防線だった」

「左様にございます」

 

ほむら姫が、そこで初めて小さく笑った。

少しだけだが、ちゃんと笑った。

 

「香耶姫様」

「何でしょう」

「そのお気遣い、嫌いではありませぬ」

「嫌いでないなら結構です」

 

美景姫が、そこで少しだけ肩を揺らした。

 

「香耶姫様、今のはほぼ受け入れでしょう」

「違います。予防です」

「朝倉より厳しい」

「斎藤ですので」

 

俺は、そこでほんの少しだけ空気が緩んだのを感じた。

助かった、とまでは言わない。

だが、**断罪一色ではない**。

 

義姫が、その緩んだところで本題を置いた。

 

「治部殿」

「はい」

「私は、ほむら姫様を否定する気はありません」

 

俺が少し顔を上げる。

 

「本当?」

「本当です」

「助かる」

「ですが」

「やっぱりあるんだな」

「あります」

 

そこでお市が、静かだがはっきりと言った。

 

「治部家の奥へ入るなら、筋が必要です」

「うん」

「治部殿一人が“軽くしない”と思うだけでは足りません」

「……」

「外に向けてどう置くか。家の中でどう扱うか。既にいる私たちと、どう並べるか。それを治部殿が逃げずに考えること」

 

真理姫も頷く。

 

「私も同じです」

 

雪姫も続く。

 

「私も」

 

ほむら姫は、その三人を見てから、最後に言った。

 

「私も、それを求めます」

 

俺は、そこで少し驚いた顔になった。

 

「お前も?」

「当然でしょう」

「いや、てっきり“そんなものは後でよい”って来るのかと」

「私は龍造寺の姫です」

 

その言葉は重かった。

 

「一夜の熱で、家の中へ曖昧に入る趣味はありませぬ」

「……」

「治部大輔殿が、私を軽くせぬというなら、軽くせぬ形を出して頂かねば困ります」

 

これは、かなり本質だった。

 

恋だの興味だの覚悟だの、それらはもうある。

だが、それを家の中でどう置くかは別問題だ。

そこを曖昧にすれば、ほむら姫自身の値も、治部家奥向きの秩序も両方傷む。

 

俺は、ゆっくり息を吐いた。

 

「分かった」

「本当に?」

 

と雪姫。

 

「本当に」

「逃げませんか」

「逃げたいけど逃げない」

 

真理姫が少し笑う。

 

「それなら結構です」

 

お市が、そこでまとめに入る。

 

「では、今日のところは二つです」

「二つ?」

「一つ。治部殿は、ほむら姫様を軽く扱わぬこと」

「うん」

「二つ。軽く扱わぬ、を、後でちゃんと形へすること」

「……」

「返事は」

「はい」

「よろしい」

 

俺は、そこでようやく少しだけ肩の力を抜いた。

 

だが、完全には抜けない。

なぜなら、まだ一番厄介な確認が残っていたからだ。

 

ほむら姫が、真っ直ぐこちらを見る。

 

「治部大輔殿」

「何でしょう」

「今の二つ、守れますか」

「守る」

「言わされてではなく?」

「俺がそうしたいからだよ」

 

ほむら姫は、しばらくその顔を見ていたが、やがて小さく頷いた。

 

「なら、今夜はそれで結構です」

 

その返しに、お市も真理姫も雪姫も、鶴姫も美景姫も香耶姫も、そして義姫もはっきりとは言わぬまま空気を少しだけ緩めた。

 

完全和解ではない。

当然だ。

だが第二回戦としては、十分に前へ進んだ。

 

俺が、心の中でようやく合掌を解いた時だった。

 

美景姫が奥から静かに言う。

 

「では、採点ですね」

「まだあるの!?」

 

香耶姫も続く。

 

「当然です」

「えぇ……」

 

義姫がため息をついた。

 

「ここに来て採点されないとお思いですか」

「思ってません」

 

お市が微笑む。

 

「今回は」

 

真理姫が引き継ぐ。

 

「言い直しだけの時よりは」

 

雪姫が真面目に締める。

 

「少し上がります」

 

ほむら姫が、最後に言った。

 

「六十五点」

「細かいな!」

「七十には届きませんでした」

「厳しい!」

 

「ですが」

彼女は少しだけ口元を緩めた。

「前回よりは、かなり良い」

 

その言い方は、たぶん本音だった。

 

俺は、そこでようやく本当に笑った。

 

「……分かったよ」

「何がです」

「まだ勝ってないけど、全面壊滅でもないってことが」

 

美景姫が頷く。

 

「そういう理解で結構です」

 

香耶姫も静かに添える。

 

「もっとも再起不能に近いですが」

「無慈悲すぎる」

 

義姫が総括した。

 

「次で七十を目指して下さい」

「お前ら、俺の人生ずっと採点してない?」

「してます」

 

と、ほむら姫が即答した。

 

そのあまりの速さに、さすがに全員が少しだけ笑った。

 

夜は更けている。

大坂城の外は静かだ。

だが治部家の奥向きでは、戦より面倒で、政より逃げ場のない話が、ようやく一段だけ前へ進んだ。

 

そして俺は思う。

 

九州静謐も、島津討伐も、大名会談も確かに大仕事だった。

だが今この時点では、

**六十五点を七十へ上げる盤外戦** の方が、たぶん一番難しい。

 

 

大広間へ戻った時、俺は一瞬、本気で自分の目を疑った。

 

「……何でこうなった」

 

それは、かなり素直な感想だった。

 

さっきまで、魔王とヒグマと鬼島津の兄とドン・フランシスコが、互いに濃さで殴り合うような空気だったはずである。

少なくとも、もう少し張り詰めていてしかるべきだった。

 

ところが今、広間の中央寄りでは――

 

龍造寺山城守山城守と、島津三郎左衛門尉が、何故か肩を組んでいた。

 

しかも、焼酎をほぼ水のように呷っている。

 

「おう三郎左衛門尉!」

「何です山城守」

「芋はやはりこう、喉へ焼きつけるように入るのがよいな!」

「……分からぬでもありませぬ」

「分かるか!」

「ですが、呑みすぎると判断が鈍ります」

「今さら俺たちの判断も何もあるか!」

「それもそうですな」

 

何だこれ。

 

さっきまで鬼島津の兄として静かに重かった男が、今はヒグマの肩を受け止めながら淡々と杯を干している。

そしてその絵面が、妙に似合うのが腹立たしい。

 

「似た者同士だな……」

 

と俺が呟くと、横でほむら姫が即答した。

 

「兄上の方がうるさいです」

「そこは否定しないんだな」

「ええ」

 

一方、その少し向こうでは、もっとひどいものが展開されていた。

 

上総介兄上と佐近衛少将――もといドン・フランシスコ普蘭師司怙が、腕相撲をしていた。

 

「待て待て待て待て」

と俺。

「何でそうなる」

 

上総介兄上は、片肘をついたまま笑っている。

 

「治部」

「何です兄上」

「こやつ、見た目より腕力があるぞ」

「だから何で腕相撲してるんですか」

 

佐近衛少将も、やたら真面目な顔で応じる。

 

「勝負事となれば、受けねばなりますまい」

「洗礼名の人が言うことじゃないんだよなあ」

「信仰と腕力は両立します」

「初めて聞いたわ」

 

しかもこの二人、ただの酔興でやっているように見えて、妙に本気だ。

上総介兄上は面白がっているが、面白がっているだけに地味に強い。

佐近衛少将は佐近衛少将で、南蛮教養人めいた顔をしておきながら、握りがしっかりしている。

 

「上総介様、そこで返されると手首が」

「普蘭師司怙殿、わしを誰だと思うておる」

「魔王かと」

「よろしい」

「よくないですよ!?」

 

そこへ、勘十郎兄上だけがまだ人間側にいた。

 

いや、人間側というより、**まともそうに見える側**だ。

 

勘十郎兄上は、鍋島左衛門大夫直茂と島津左衛門督歳久と一緒に、少し離れたところで車座になって話し込んでいる。

この三人だけ、まだ会話の内容に理がある。

 

「なるほど」

と勘十郎兄上。

「九州では、そこで兵を切るのか」

 

左衛門大夫直茂が頷く。

 

「はい。こちらは城の堅さより、どこまで兵を残せるかを先に見ます」

 

左衛門督歳久が続ける。

 

「薩摩も似たようなものです。勝っても骨が痩せれば、次が続きませぬ」

「うちの治部もそういうところがある」

 

「ええ」と左衛門大夫。

「かなり厄介にございます」

 

「それは知ってる」

 

この三人の話は、ちゃんと怖い。

戦の後の家の残し方、兵の戻し方、どこで面子を切ってどこで残すか。

つまり本当に大事な話をしている。

 

なのに、絵面だけ見ると、

 

**胃痛担当勘十郎兄上 with 九州現実派二名**

 

である。

 

「あそこだけ空気違うな……」

 

と俺。

 

ほむら姫が頷く。

 

「左衛門大夫と左衛門督ですので」

「左衛門だらけだな」

「ややこしいですね」

 

さらに、その奥では、右衛門佐昌久が何か始めていた。

 

これもまた、嫌な意味で静かに盛り上がっている。

 

相手は半兵衛、十兵衛、官兵衛。

図面を広げ、駒だの小石だのを置いて、どう見ても**演習**をしていた。

 

「おい」

と俺。

「何やってんだそれ」

 

半兵衛が顔を上げずに答える。

 

「図面演習です」

「見れば分かる」

「では問題ありません」

「どこの盤だよ」

 

そこで、右衛門佐が淡々と言った。

 

「関東」

「関東かよ」

 

十兵衛が補足する。

 

「北条、佐竹、里見が絡む場合の水陸複合運用を」

「何で九州終わったばっかでそこ行くんだよ」

 

官兵衛が、当たり前のように言う。

 

「終わったからにございます」

「嫌な当たり前だな」

 

右衛門佐は、紙の上に指を置いた。

 

「治部大輔殿」

「何だ」

「仮にこの海域で、相手が海上機動を過信するなら」

「うん」

「和風ガレオン船を数隻回し」

「うん」

「刹那五月雨撃(切なさ乱れ撃ち)で砲をばら撒けば、大抵の海城は嫌がります」

「その単語をもう使うな。お前、絶対気に入ってるだろ」

「嫌いではありませぬ」

「お前も半分かよ!」

 

ほむら姫が、横で少しだけ吹きそうになっていた。

 

「右衛門佐殿」

「何でしょう」

「それ、嫌がるどころでは済まぬ相手も多いかと」

「はい。ですので有効です」

「……嫌な頭脳」

「ほむら姫ほどではございませぬ」

「今、喧嘩を売りましたか買いますよ」

「事実を申したまでです」

 

そのやり取りの間も、半兵衛は図面に何か書き込み、十兵衛は兵の線を整え、官兵衛は「その場合、兵糧船はこう切れますな」とか何とか言っている。

 

完全に次の戦の仕込みである。

 

「お前ら」

と俺。

「酒宴の場だぞ」

 

十兵衛がようやく顔を上げた。

 

「治部様」

「何だ」

「酒を呑んで肩を組む方々と、腕相撲なさる方々と、我らと、どれが最も健全にございますか」

 

俺は少し考えた。

 

広間の中央では、ヒグマと鬼島津の兄がもう二巡目へ入っている。

向こうでは魔王とドン・フランシスコがまだ勝負中だ。

勘十郎兄上だけが現実を繋いでいる。

そしてこっちは、北条・佐竹・里見相手の砲撃演習。

 

「……消去法でお前らかな」

「左様で」

「納得いかねえ」

 

そこへ、上総介兄上が腕相撲の決着をつけたらしく、大きく笑った。

 

「わしの勝ちじゃ!」

 

佐近衛少将が、やや悔しそうにしながらも礼を崩さない。

 

「お見事にございます」

「普蘭師司怙殿、もう一度やるか」

「次は酒を一杯挟ませて頂きたく」

「よかろう」

 

その会話を聞いた山城守が、三郎左衛門の肩を叩く。

 

「見たか三郎左衛門尉! あれが天下人じゃ!」

 

三郎左衛門が杯を傾けたまま答える。

 

「ただの酔客にも見えます」

「違いない!」

「いや違くないんだよなあ……」

 

俺は、とうとう額を押さえた。

 

九州静謐の後。

敗者も勝者も、従属する者もされる者も、こうして同じ広間へ集められている。

本来なら、もっと血なまぐさく、重く、刺々しくなっていてもおかしくない。

 

なのに現実には、

 

* ヒグマと鬼島津の兄が肩を組み、

* 魔王とドン・フランシスコが腕相撲し、

* 勘十郎兄上が左衛門二名と現実会議をし、

* 右衛門佐が半兵衛・十兵衛・官兵衛と次の戦争の図面を引いている。

 

「……時代が変わった、ってこういうことなのか?」

 

俺が半ば本気で呟くと、ほむら姫が横で言った。

 

「いいえ」

「違うのか」

「治部大輔殿が妙なものばかり残した結果です」

「ひどい言い方だな」

 

「ですが」

ほむら姫は、広間全体を見回した。

「嫌いではありませぬ」

 

俺は、それを聞いて少しだけ笑った。

 

嫌な連中ばかりだ。

濃い。

面倒だ。

だが、死んでいない。

残っている。

そして、こうして同じ座で酒を呑み、次の話までしている。

 

それは確かに、悪くない景色だった。

 

「よし」

俺は手を叩いた。

「右衛門佐」

 

「は」

「刹那五月雨撃は採用するにしても、名前はもうちょっとどうにかしろ」

「では、何と」

「そこはお前らで考えろ」

「承知しました」

「上総介兄上!」

「何だ治部!」

「腕相撲はもうその辺で!」

「次は山城守とやる!」

「何でだよ!」

「望むところじゃ!」

「三郎左衛門尉殿は止めて下さい!」

「……私は見ておきます」

「止めろよ!」

 

広間は、また少しだけ騒がしくなる。

 

戦は終わった。

だが、この面々が生き残っている限り、静かにだけは終わらない。

俺は、その事実に半ば呆れながら、でも少しだけ満足して杯を取った。

 

 

地下牢は、酒宴の熱から切り離されたように冷えていた。

 

大広間では、魔王とヒグマと鬼島津の兄と普蘭師司怙が、わけのわからん方向で融け始めている。

それはそれで放っておくとして、本来なら、先に片付けないといけない奴がいる。

 

大友新次郎鎮鑑。

 

本当は、こいつの裁きもしないといけない。

なのに、なぜか酒宴になってしまった。

誰だそんなことした奴。

 

――俺だ。

 

「……はぁ」

 

自分で自分に溜息をつきながら、俺は地下へ降りた。

 

石の階段を下りるごとに、空気が湿る。

酒の匂いも、海の匂いも消える。

残るのは、汗と血と、閉じ込められた人間の澱んだ臭いだけだ。

 

見張りの足軽が、俺に気づいて姿勢を正した。

 

「治部様」

「うん。どうだ」

 

足軽は、露骨に嫌そうな顔をした。

 

「元気だけはございます」

「最悪だな」

「はい」

 

牢の奥から、ちょうどその元気な声が響いた。

 

「おい! おい治部大輔! 来たか! お前、分かってねえんだよ!」

 

俺は、牢の前で立ち止まった。

 

縄を打たれ、汚れ、引っ立てられてきたはずなのに、新次郎鎮鑑の目にはまだ妙な光が残っていた。

反省ではない。

後悔でもない。

あれはたぶん、**まだ自分は切り札を持っていると思い込んでいる目**だ。

 

「分かってねえ、ねえ」

 

俺は、静かに言った。なんでこいつはことここに至って、こんなにも上から目線で横柄な口を利くんだろう。

 

「何がだ」

 

「俺には色々知識がある!」

来たよ、と思った。

「楽市楽座とか!」

 

「はい」

「鉄砲の三段撃ちとか!」

「はいはい」

「あのでっけー船だって、俺がいればもっと強くなるぞ!」

 

その瞬間、見張りの足軽が本当に心底うんざりした顔で、

 

「うるせーぞ馬鹿!」

 

と怒鳴り、槍の石突で牢越しに鎮鑑を突いた。

 

「いでっ!」

「治部様の前で何べらべら抜かしてやがる! てめえはもう黙って縛られてろ!」

「何だ貴様! 俺を誰だと」

「知らねえよ馬鹿!」

 

俺は、思わず片手で顔を覆った。

 

「……お前じゃ無理だ、阿呆め」

「何だと!?」

 

鎮鑑が噛みつく。

だが、その噛みつき方すら、もう軽い。

 

「六角のバカ殿といい、お前といい」

 

俺は、牢の前にしゃがみ込んだ。

 

「歴史知識が生でどこまで役に立つのか、ほんと最期まで理解せずに、上っ面だけ真似しようとしてやがる」

「上っ面だと!?」

 

「そうだよ」

俺の声は、低かった。

「楽市楽座って言葉だけ知ってりゃ、市が回ると思ってる。三段撃ちって言葉だけ知ってりゃ、鉄砲隊が育つと思ってる。でっけえ船って形だけ真似りゃ、海が従うと思ってる」

 

鎮鑑は、まだ言い返そうとした。

だが俺は、その前に切った。

 

「面倒な試行錯誤とか、一切なしかよ」

 

地下牢の冷気が、一瞬だけさらに冷えた気がした。

 

「人を集める」

「金を回す」

「砲の反動に耐える船体を作る」

「火薬を安定させる」

「撃って、外して、壊れて、直して、また撃つ」

「兵に覚えさせる」

「失敗しても潰れないよう、後ろを組む」

 

一つずつ、俺は指を折る。

 

「そういう、死ぬほどつまらなくて、死ぬほど面倒で、しかも誰も褒めてくれない試行錯誤の山を越えた先にしか、物は成り立たねえんだよ」

 

鎮鑑の目が、そこでようやく少しだけ揺れた。

 

「お前はそこを一歩も歩いてない」

「……俺は、知ってる」

 

「知ってるだけだ」

俺は、静かに言った。

「知ってることと、実際にできることは違う。知ってることと、人を動かせることも違う。知ってることと、失敗しながら形にできることなんて、もっと違う」

 

見張りの足軽が、横で腕を組んでうんうんと頷いている。

お前は頷くな、と思ったが、わりと正しいので何も言えなかった。

 

鎮鑑は、なおも食い下がろうとした。

 

「だが、俺には……!」

 

「ないよ」

俺は、あっさり言った。

「少なくとも、お前に今さら差し出せる札は、もう何もない」

 

それは残酷だが、事実だった。

 

鎮鑑が本当に何かを作り上げてきたなら、周りに人が残る。

敵になっても惜しまれる。

あるいは、こいつだけは生かして使うか、と言わせる。

だが、現実には臼杵で逃げようとしたところを、志賀や佐伯に売られ、十重二十重に縄で巻かれてここへ来た。

 

それが答えだ。

 

「お前の知識は、お前を助けない」

 

鎮鑑は、そこで初めて本当に黙った。

 

俺は、その顔を見ながら、胸の内で少しだけ嫌なものが動くのを感じた。

 

こいつは、愚かだ。

上っ面だけだ。

面倒な試行錯誤を嫌い、分かった気になって真似だけして、結局全部を壊した。

 

転生して、自分は特別だと信じている。いや、そもそもそれが自然なんだ。こいつや六角四郎にとっては、現実の方が自分を裏切っているに過ぎない。

まるでなろう系の出来損ない踏み台主人公のように、『創造神が定めた法則』であるかのように、自分が“特別”であることが“絶対”なのだ。

 

でも、だからこそ怖い。

 

――俺も、気を抜けばこっち側だ。

 

俺は、そこで立ち上がった。

 

「治部様?」

 

見張りが声をかける。

 

「いや」

俺は、短く答えた。

「身を慎まないとならんな、と思ってな」

 

「は?」

「なんか分かった気になってるけど、俺は結局どこまで行っても凡人だし」

 

見張りの足軽は、ぽかんとしている。

鎮鑑も、さすがに意味が分からない顔だ。

 

「でも、俺の場合は鼻が高くなった途端、上総介兄上や勘十郎兄上、お市たちに折られるからな!」

 

見張りが、思わず真顔で頷いた。

 

「それは……そうかもしれませぬ」

「だろ?」

「はい」

「調子に乗ってる暇なんてないんだよ」

「はい」

「ホントだよ!」

 

なぜか最後だけ力が入った。

 

地下牢の空気に、その言葉が少しだけ乾いて響く。

鎮鑑は呆然としていた。

見張りは、妙に納得した顔をしている。

 

俺は、そこで踵を返した。

 

もう十分だ。

こいつから学ぶことは、才能でも策でもない。

**こうはなるな**という、最悪にありがたい反面教師だけだ。

 

階段へ向かいながら、俺は肩越しに一度だけ言った。

 

「新次郎」

「……何だ」

「お前の一番駄目なところ、分かるか」

 

鎮鑑は答えない。

答えられない。

 

「知識があると思ってたところじゃない」

俺は振り返らなかった。

「知識があるだけで、自分が人より上だと思い込んだところだ」

 

それだけ言って、地下牢を後にした。

 

上へ戻れば、また酒の匂いと、人の声と、濃すぎる大名どもの気配がある。

面倒だ。

だが、あっちの面倒はまだ生きた面倒だ。

 

俺は、ひとつ息を吐いた。

 

「……よし」

 

調子に乗るな。

分かった気になるな。

面倒な試行錯誤を省くな。

 

それを、まさか地下牢で再確認する羽目になるとは思わなかったが、必要な確認ではあった。

 

「ホントだよ」

 

今度は小さくそう呟いて、俺はまた地上の喧騒へ戻っていった。

 

 

 

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