ハイスクール・フリート Cross World War 作:冬吉
「舷梯(げんてい)、降ろします!」
甲板作業員の掛け声とともに、岸壁へ向けてタラップが架けられた。
「きりしま」の佐伯艦長や立入検査隊の誘導に従い、晴風の乗員31名とオブザーバーのヴィルヘルミーナ(ミーナ)は、一人、また一人と夜の横須賀の陸地へと足を踏み出していく。
先頭を歩く艦長の**岬明乃(ミケ)**の肩には、晴風の大艦長(?)である大柄なトラ縞のドラ猫**「五十六」**がどっかりと居座り、見慣れぬ景色に向けて「ぬぅ」と低く鳴いた。
その後ろを歩く副長の**宗谷ましろ(シロ)**の腕の中には、つい数日前の「しんばし」救助作業の際に彼女に懐き、飼い主から譲り受けたばかりの小さな子猫**「多聞丸」**が、不安そうに身をすり寄せてミャウと鳴いている。
「よしよし、大丈夫だぞ、多聞丸。……足元に気をつけてください、艦長」
ましろが子猫を撫でながら、前を歩く明乃に声をかける。
「うん、ありがとうシロちゃん!」
コンクリートの岸壁に降り立った少女たちは、固まって周囲を見渡した。
艦橋要員だけではない。砲雷科、航海科、機関科、主計科の面々も、全員がそれぞれの荷物を抱えながら、言葉少なに夜の基地を見上げている。
ここは確かに「横須賀」という地名だった。
しかし、彼女たちが知っている「横須賀女子海洋学校」の長閑な空気とは、何もかもが違っていた。
潮の香りに混じって鼻を突くのは、現代のジェット燃料や濃密な排気ガス、そして冷たい鉄とアスファルトの匂いだ。波音よりも、遠くで唸る巨大な換気扇や軍用車両のエンジン音、そして張り詰めたようなサイレンの音が空気を震わせている。
「……ねえ、麻論。ここ、本当に私たちの知ってる横須賀じゃないみたい。」
機関助手の**黒木洋美(クロちゃん)**が、幼馴染である機関長の**柳原麻論(マロン)**の袖を不安げに引っ張った。
「てやんでえ……わかってるよ、クロちゃん。空気がピリピリしてやがる。これが、本物の軍隊の基地ってやつか……」
普段は威勢のいいマロンも、周囲を取り囲む異様な雰囲気に声を潜める。機関科の**若狭(れおちゃん)**、**伊勢(サクラちゃん)**、**駿河(ルナちゃん)**、**広田(ソラちゃん)**たちも、身を寄せ合ってブルブルと震えていた。
「まりこー、大丈夫? 荷物、重くない?」
水雷員の**松永(りっちゃん)**と**姫路(かよちゃん)**が、おっとりとした水測員の**万里小路楓(まりこー / まりこうじさん)**を気遣う。
「ええ、大丈夫ですわ。……でも、本当に不思議な光景ですこと。大きな建物が、星空みたいに光っていますわ」
万里小路は、横須賀の街を埋め尽くす眩いばかりの夜景に目を細めた。砲術員の**小笠原(ひかり)**、**武田(みっちん)**、**日置(じゅんちゃん)**たちも、圧倒的な光の海に口を半開きにしている。
航海科の**勝田(サトちゃん)**、**山下(しゅうちゃん)**、**内田(まゆちゃん)**たちは、隣のバースに停泊している現代のイージス艦の巨大さに首を痛くなるほど見上げていた。
電信員の**八木(つぐみ)**と電測員の**宇田(めぐみ)**は、飛び交う凄まじい量の電波(ノイズ)に怯えたように耳を塞ぎ、見張員の**野間(マッチ)**はサーチライトの眩しさに目を瞬かせた。
主計科の面々――主計長の**等松(ミミちゃん)**、給養員の**伊良子(ミカンちゃん)**、**杵崎姉妹(ほっちゃん・あっちゃん)**、衛生長の**鏑木(みなみさん)**は、炊き出し用の鍋や救急箱を入れたリュックをしっかりと抱え込み、互いを励まし合っている。
「……違う。全然違うわい」
ミーナが、夜風に金髪を揺らしながら、ポツリとこぼした。
「わしらの知っている横須賀は、もっと潮の匂いがして、海鳥が鳴いとって……こんな、人を殺すための冷たい鉄の匂いなんか、せんかった。ここは、間違いなく『未来の軍事基地』じゃ」
その言葉には、堪能な標準語ではなく、本心から出た広島弁が色濃く混じっていた。
「ぬぅ……」
明乃の肩で、五十六が警戒するように低く唸る。
明乃たち一行が岸壁に整列し終わると、少し離れた場所に停まっていた黒塗りの車両から、数人の大人たちが足音を響かせて歩み寄ってきた。
スーツを着た鋭い目つきの男女と、迷彩服を着て拳銃を下げる警務官(MP)たちだ。彼らこそ、日本政府が緊急編成した「特命チーム」である。
「横須賀女子海洋学校、航洋艦『晴風』の皆様ですね」
スーツ姿の男の一人が、一切の感情を交えない事務的な声で語りかけた。
「長旅、ご苦労様でした。我々は日本国政府の命により、皆様を保護・お迎えに上がった者です。……この世界のこと、そして今後のことについて、お話ししなければならないことが山ほどあります。さあ、車へ」
男が手で示した先には、窓ガラスに黒いスモークが貼られた大型のマイクロバスが停まっていた。
ここから先は、完全に政府の監視下となる。自由はない。
「……艦長」
ましろが、多聞丸を抱いたまま、隣の明乃の横顔を見た。
明乃は、五十六の背中をポンポンと優しく叩き、そして振り返って、不安な顔で自分を見つめる30人のクラスメイトとミーナに、ニッといつもの笑顔を向けた。
「みんな、はぐれないようにね! 行こう!」
明乃の明るい声に背中を押されるようにして、少女たちは一歩を踏み出す。
2026年、横須賀。
決して交わるはずのなかった二つの歴史が、この夜、コンクリートの陸地の上で完全に交錯した。