ハイスクール・フリート Cross World War 作:冬吉
**もう一つの世界(2016年)――横須賀女子海洋学校**
晴風の少女たちが、見知らぬ未来の基地でようやく深い眠りについた頃。
彼女たちが本来いるべき場所――日本の国土の大半が海に沈んだ世界(こちら)の横須賀では、重く苦しい時間が流れていた。
深夜2時を回った横須賀女子海洋学校。
波の音だけが静かに響く暗闇の中で、海に面したレンガ造りの校舎の最上階……「校長室」の窓だけが、未だに煌々と明かりを灯していた。
「……現在までの捜索状況は?」
アンティーク調の重厚なデスクに座り、コーヒーの入ったカップを見つめたまま静かに問いかけたのは、横須賀女子海洋学校校長・**宗谷真雪(むねたに まゆき)**である。
彼女は、ブルーマーメイドや海上安全整備局に一定の発言力に持つ人物であり、そして晴風の副長・宗谷ましろの母親でもあった。
『ハッ。最後に晴風が確認されたウルシー環礁の海域を中心に、教官艦およびブルーマーメイドの救難艦艇7隻、飛行飛行船3機を投入して夜間捜索を継続中です。しかし……』
デスク上の通信機から、現場で指揮を執る教官の焦燥しきった声が響く。
『……現在に至るまで、航洋艦「晴風」の船影はおろか、救命筏(ライフクラフト)や漂流物、重油の流出跡すら一切発見されていません。最後に本校と通信した直後に発生した、あの局地的な「磁気嵐」を境に、レーダーからもソナーからも完全にロストしました。まるで……神隠しにでも遭ったように、海から消え失せています』
真雪は、小さく息を吐き、デスクの上に広げられた海図――晴風が最後に確認されたポイントに引かれた、赤いバツ印を見つめた。
「晴風からの、救難信号(SOS)やビーコンの発信は?」
『ありません。各周波数帯を傍受していますが、完全な沈黙が続いています。……校長、これは私の個人的な所見ですが、あの嵐は通常の気象現象とは思えません。計器を一瞬で狂わせるほどの異常な電磁場……それに巻き込まれたとすれば、艦の全機能が停止し、そのまま……』
「憶測で最悪の事態を語る必要はありません」
真雪は、凛とした、しかし決して冷たくはない声で教官の言葉を遮った。
「あの艦の艦長は岬明乃さんです。そして、副長には宗谷ましろがついています。彼女たちが、そう簡単に海に飲まれるはずがありません。どんな状況であろうと、必ず乗員の命を最優先に行動しているはずです」
『……申し訳ありません。引き続き、捜索範囲を拡大して探備を継続します』
「頼みましたよ。……夜明けと共に、第一、第二水上予備隊も捜索に投入します。何としても、彼女たちを見つけ出しなさい。」
通信が切れ、校長室に再び重い静寂が降りる。
真雪はゆっくりと立ち上がり、窓際へと歩み寄った。
窓の外に広がるのは、海上都市の灯りが点在する、見慣れた横須賀の海だ。しかし今夜ばかりは、その暗く冷たい海が、底知れぬ怪物のように見えた。
「……ましろ」
真雪は、窓ガラスに映る自分の顔を見つめながら、ポツリと娘の名前を口にした。
厳格なブルーマーメイドの家系である宗谷家に生まれ、常に重圧と戦いながらも、必死に背伸びをして立派な海の女になろうとしている次女、ましろ。
そして、類まれな直感と海を愛する心を持ち、周囲を惹きつける太陽のような少女、岬明乃。
彼女たちを乗せた晴風が、三十一人の未来ある生徒たちが、忽然と姿を消してしまった。
「……あなたがどこに居ようと、母として、そして横須賀女子海洋学校長として、必ず見つけ出します。だから……どうか、無事でいて……」
普段の冷静沈着な「校長」としての顔の奥底で、一人の「母親」としての悲痛な祈りが、夜の海へと溶けていく。
彼女たちはまだ知らない。
消えた晴風と愛する娘が、すでに10年後の未来という「別の時間軸の日本」にたどり着き、国家を揺るがす事態の中心にいるということを。
二つの世界を隔てる次元の壁は、あまりにも厚く、そして遠かった。
それでも、娘を想う母の心と、母港(よこすか)を目指す少女たちの心は、同じ夜空の下で確かに共鳴していた。