ハイスクール・フリート Cross World War   作:冬吉

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第38話 状況確認会議と日本主導 後編

 

「……パンドラの箱、ですか」

ましろがゴクリと息を呑み、明乃も不安そうに身を固くした、その時だった。

 

*コン、コン。*

 

重厚な防音扉が、外からノックされた。

基地の中枢であるこの第一会議室は、本来であれば厳重な警備が敷かれ、アポなしの訪問者など絶対にあり得ない場所だ。

 

「……何事だ?」

刈谷が眉をひそめ、入口の警備員に目配せをした。

 

「――それに関して、私からお話があります」

 

扉の向こうから、凛とした、しかしどこか底知れぬ凄みを帯びた女性の声が響いた。

ゆっくりと開かれた扉から会議室に足を踏み入れたのは、アメリカ海軍のカーキ色の制服(サービス・カーキ)に身を包んだ、一人の女性将校だった。襟元には中佐(コマンダー)の階級章が輝いている。

 

「なっ……なぜ米海軍の将校がここにいる!?」

自衛隊の幹部たちが一斉に色めき立ち、腰を浮かせる。

 

「お見知りおきを。在日米海軍 第7艦隊政治顧問補佐官、**ナオミ・アリサト(有里 直美)中佐**です」

彼女――日系人であるアリサト中佐は、周囲の険しい視線を全く意に介する様子もなく、会議テーブルの中央へと歩みを進めた。

 

「第7艦隊司令であるトーマス・ヴァンス中将を含む将官たちは、当初、日米安保条約を盾に取り、この『晴風』の事実上の接収を強行しようと息巻いていました。……しかし、私は彼らに叩きつけてやったのです。もし我々が強硬手段をとれば、どんな『最悪のシナリオ』が待っているかを」

 

アリサト中佐は、刈谷、そして明乃たちを順番に見渡し、静かに、しかし劇薬のような言葉を紡ぎ始めた。

 

「私はこう進言しました。……『もしも、我々が日米安保条約や地位協定(SOFA)を盾にし、ましてや接収という強硬手段に走った場合のリスクを計算されていますか? 乗組員の強引な引き渡しを要求すれば、それは日本政府の主権に対する重大な侵害です。日米という世界で最も強固な同盟関係に致命的な軋轢を生み、日本国民の底知れぬ反米感情を呼び覚ますことになります。万が一、海上自衛隊と対立し、銃口を向け合うような事態になれば……それで最も利を得て祝杯を挙げるのは、”北京”と”モスクワ”の指導者たちです』と」

 

そのあまりにも生々しい国際政治の言葉に、晴風の乗員たちは息をすることも忘れて聞き入っていた。

 

「『そして、現在、我が米海軍の戦力は完全に二正面に分散され、悲鳴を上げています。今年の2月末に開始されたイランへの軍事攻撃以来、中東方面にはエイブラハム・リンカーンとジェラルド・R・フォードの二個空母打撃群が展開したまま。さらに先日、この佐世保を母港とする強襲揚陸艦トリポリ率いる遠征打撃群すらも、中東への増派として引き抜かれたばかりです。……今の第7艦隊に、これ以上リソースを割く余裕がどこにあると言うのですか?』」

 

アリサト中佐は、かつての上官に突きつけた論理を、今度は日本の政府高官たちに向けて再現してみせる。

 

「『もしここで我々が横暴な振る舞いに及べば、燻っていた日本国民の反米感情は一気に業火となって噴き出します。沖縄の基地問題が解決の糸口すら見えないこの不透明な状況下でそれを実行すれば、横須賀や佐世保のみならず、三沢、座間、横田、厚木、岩国……すべての基地とキャンプが機能不全に陥るでしょう。それは即ち、台湾有事における我々の防波堤と最強の橋頭堡を自ら手放すことを意味します』」

 

「……」

刈谷は眼鏡の奥の目を細め、黙って彼女の言葉を聞いていた。

 

「『極東における米軍の事実上の撤退。これが現実になれば、日本のみならず、韓国、台湾、フィリピンといった同盟国は「アメリカは同盟国を平気で裏切る」と見なします。パックス・アメリカーナによる国際社会での地位は、音を立てて崩壊するでしょう』」

 

アリサト中佐の言葉は、単なる軍事戦略に留まらなかった。

 

「『我が国、アメリカ合衆国自身も決して盤石ではありません。深刻なインフレが国民生活を圧迫し、経済的格差の拡大と国境の移民問題で社会は分断されています。このタイミングで日本と戦火を交えるようなことになれば、自国民からは猛烈な批判を浴び、最悪のシナリオを想定するなら、全米規模の暴動、ひいてはシビルウォー(内戦)に発展する恐れすらあります』と」

 

「…なんという分析だ。自分の国の弱点を、これほどまでに冷徹に抉り出すなんて...」

ましろが、額に冷や汗をにじませながら呟いた。

 

アリサト中佐はフッと冷たく笑い、さらに言葉を重ねた。

 

「我が軍の愚かな作戦部長は、『自衛隊などすぐに制圧できる』と豪語していました。だから私は、彼にこう教えてあげたのです。『もしも日本と戦争になったとして、彼らが太平洋戦争の時のように、無謀なバンザイ・チャージや神風特攻のような非人道的な戦術を取ると思っているのなら、今すぐその制服を脱ぐべきです』と」

 

「『現在の海上自衛隊の対潜水艦戦闘能力は、疑いなく世界トップクラスです。イージスシステムの運用実績も、我々と同等かそれ以上。さらに彼らは近年、スタンドオフ防衛能力を劇的に進化させています。25式地対艦誘導弾や高速滑空弾の実戦配備に加え、防衛装備庁はすでに**”レールガン(電磁砲)”**の洋上射撃試験に成功しています。……マッハ7で水平線の彼方から飛んでくる無誘導の質量兵器を、今の我々のミサイル防衛網で迎撃する術がおありですか?』」

 

「レールガン……!? マッハ7の砲弾……!?」

大砲を扱う砲術長の**タマ(立石志摩)**が、信じられないというように目を見開いた。

 

「『軍事面だけではありません。経済面において、半導体製造に必要な高純度素材の大半は未だに日本企業が独占しており、半導体製造装置の世界シェアの30%を彼らが握っています。もしサプライチェーンが止められれば、シリコンバレーも国防総省のシステムも数ヶ月で完全に機能停止します。さらに、米国国債の最大保有国も日本です。彼らが一斉に米国債の売りに走れば、ドルは即座に紙屑と化します』」

 

アリサト中佐は、会議室の空気を完全に支配していた。

 

「『アメリカが表の覇権国であるというのなら、日本は、**”裏の覇権国”**です』」

 

「……う、裏の覇権国……!」

記録員の**ココ(納沙幸子)**が、タブレットを持つ手を震わせながら、そのあまりにも強烈なパワーワードに圧倒されていた。(彼女の一人芝居すらも凌駕する本物の『国家の闇』の迫力だった)。

 

そして最後に、アリサト中佐は明乃たちの方へと向き直り、彫りの深い美しい顔に、殺意と敬意が入り混じった不気味な笑みを浮かべた。

 

「私は司令官たちに、こう忠告してやったのです。……『日本民族は、どんな相手であろうと、表向きは礼儀正しく対等に振る舞います。しかし、土足で己の場を踏み荒らそうとする無礼な者に対しては……何年、何十年と時間をかけて緻密な計画を練り、一切の感情を交えずに、確実に相手の首を刈り取るでしょう』と」

 

彼女の声は、静かでありながら、底知れぬ恐怖を孕んでいた。

 

「『”にこやかに笑っている人”ほど、腹の底で何を考えているか分かりませんからね。……日本人は、一度キレれば、簡単には収まりませんよ?』……とね」

 

会議室は、水を打ったような静寂に包まれた。

日本政府の役人たちも、自衛隊の幹部たちも、そして晴風の少女たちも、目の前のアメリカ海軍将校が放つ圧倒的な「知性」と「狂気」に縫い留められていた。

 

「……それで」

重い沈黙を破ったのは、刈谷だった。彼は眼鏡の位置を直し、アリサト中佐を真っ直ぐに見据えた。

「あなたのおかげで、アメリカ第7艦隊が『実力行使』という愚行を思いとどまったことは理解した。では、合衆国としての現在の要求はなんだ?」

 

アリサト中佐は表情をスッと元に戻し、極めて事務的なトーンで答えた。

 

「今回の不明艦事案は、**日本主導による日米合同調査**とし、我々は**調査データの共有のみに留める**。乗員(彼女たち)の身柄や艦の所有権には一切口を出さない。……これが、私が強硬派を黙らせてまとめ上げた、アメリカ側の最終妥協案です。日本政府にとっても、悪い話ではないはずですが?」

 

それは、事実上の「不可侵宣言」であった。

彼女は、明乃たちをアメリカの魔の手から守る防波堤となってくれたのだ。

 

「……ナオミさん」

明乃が、呆然としながらも彼女の名前を呼んだ。

「あなたが、アメリカの軍隊から、私たちと晴風を守ってくれたんですか……?」

 

アリサト中佐は、明乃の真っ直ぐな瞳を見ると、先ほどの冷徹な政治家の顔から一転、少しだけ柔らかな、ひとりの人間としての微笑みを浮かべた。

 

「……私の中にも、あなた方と同じ日本人の血が流れていますからね。それに、こんな小さな少女たちを国際政治の生贄にするほど、アメリカ海軍も腐ってはいませんよ」

 

時空を超えて迷い込んだ少女たちを巡る、大国同士の冷酷なゲーム。

しかし、一人の日系人将校の放った冷徹な論理が、最悪のシナリオをすんでのところで回避させた。

「日本主導の合同調査」。

この決定により、晴風の乗員たちはひとまず「軍事的に奪われる」という最大の危機を脱し、政府の保護下で帰還への道を模索する権利を手に入れたのだった。

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