ハイスクール・フリート Cross World War 作:冬吉
明乃の涙ぐんだ真っ直ぐな言葉に、橘3曹は優しく微笑み返し、そして、ポツリと、どこか遠くを見るような静かな声で呟いた。
「……実はね。私と、今アフリカの海にいる姉が自衛隊に入ったのは、”15年前”の出来事がきっかけなんだ。……どうしても、誰かの役に立ちたいって思ったからだよ」
「15年前……」
副長の**ましろ(シロ)**が、ハッとして顔を上げた。現在が2026年。そこから15年を遡れば……。
「……2011年。先ほどの歴史の授業で須藤分析官が言っていた……『東日本大震災』ですか」
「うん、そうだよ」
橘は、明乃の手を優しく握り返したまま、ゆっくりと頷いた。
「当時、私はまだ8歳で、姉は11歳だった。私たちは東北の海沿いの町に住んでいて……あの日の午後、今まで経験したこともないようなものすごい揺れが来て、その後に……あの真っ黒な津波が、町を全部飲み込んでいったの」
談話室は再び水を打ったように静まり返った。
先ほどの映像で見た、街や車、そして人々の生活を無慈悲に飲み込んでいく黒い波の恐怖が、晴風の少女たちの脳裏にフラッシュバックする。
「家も、通っていた学校も、全部流されちゃった。雪が降るくらい寒くて、電気も水道もなくて、食べ物もなくて……真っ暗な避難所で、お父さんとお母さんと一緒に、ただ震えていることしかできなかった」
橘の声は穏やかだったが、その奥には、決して消えることのない深い悲しみと恐怖の記憶が刻み込まれていた。
「でもね。震災から数日後……泥だらけになった私たちの町に、迷彩服を着た人たちが、緑色の大きなトラックに乗ってたくさんやって来てくれたの。……それが、自衛隊だった」
橘は、少しだけ目を細め、あの日の光景を愛おしそうに思い出す。
「道なき道を切り拓いて、瓦礫を退かして、行方不明になった人たちを泥だらけになりながら必死に探してくれた。そして、凍えそうになっていた私たちに、温かい豚汁とご飯を作ってくれて……トラックでお湯を沸かして、仮設のお風呂まで作ってくれたんだよ」
それは、奇しくも昨日、晴風の乗員たちがこの基地で受けた歓待と同じだった。
温かい食事と、大きなお風呂。それが、絶望の淵にいる人間にとってどれほどの救いになるか、明乃たちは身をもって知っている。
「その時、豚汁のお椀を私に渡してくれた隊員さんの手は、瓦礫を退かして傷だらけで、泥で真っ黒だった。……でも、その手が、私には世界で一番温かくて、頼もしく見えたの」
橘は、ポロポロと涙を流す明乃の頬を、そっと指で拭った。
「その時に、お姉ちゃんと約束したんだ。『大人になったら、私たちもあの迷彩服を着よう』って。誰かが絶望して、泣いている時に……真っ先に駆けつけて、その手を引いてあげられる強くて優しい人になろうって」
「橘さん……っ」
明乃は、堪えきれずに橘の胸に飛び込んで、声を上げて泣き出した。
橘は、明乃の背中を優しくポンポンと叩く。
「……須藤分析官の言った通り、私たちは『有事』になれば、戦って命を落とすかもしれない。それは事実です。でもね、自衛隊の任務は国防だけじゃない。……この国で暮らす人たちの『当たり前の日常』を、災害や悲しみから守り抜くこと。それが、私たちがこの制服を着ている、一番の理由なんです」
水瀬1曹も、静かに頷いて言葉を繋いだ。
「自衛隊には、『事に臨んでは危険を顧みず』という宣誓があります。それは、ただ命を捨てるための言葉じゃありません。……自分が危険な場所に飛び込んででも、『絶対に誰かの命を救い出す』という、私たちなりの愛と誇りの言葉なんですよ」
その言葉を聞いた瞬間、晴風の乗員たちの心を覆っていた「漆黒の重い空気」が、まるで温かい春風に吹き払われるように、スッと晴れていくのを感じた。
「命を、救い出す……」
水雷長の**メイ(西崎芽依)**が、パァッと顔を輝かせた。
「ブルーマーメイドと……同じだね」
砲術長の**タマ(立石志摩)**も、ギュッと握りしめていた手を解き、安堵の涙を浮かべる。
「てやんでえ……! そうだ、そうじゃねえか!」
機関長の**麻論(マロン)**が、真っ赤な目で鼻をすする。
「銃や誘導弾を持っていようが、やってる事の根っこはアタシたちと同じだ! 誰かを助けるために、あのデカい船を動かしてんだ!」
「……フッ。武力という名の鋼鉄の鎧を着ていようとも、その内に秘められた心は、慈愛に満ちた蒼き人魚(ブルーマーメイド)と同じということか……!」
記録員の**ココ(納沙幸子)**も、タブレットを強く抱きしめながら、涙声で力強く言い切った。
「橘3曹、水瀬1曹」
ましろが、姿勢を正し、二人の自衛官に向かって深く、真っ直ぐな敬礼を送った。
「私たちブルーマーメイドは、『海に生き、海を守り、海を往く』ことを誓いとしています。……時代も、世界も、背負っているものも違うかもしれない。けれど、あなた方と共にこの海にいることを、私は心から誇りに思います」
「……ありがとう、宗谷副長」
水瀬と橘も、姿勢を正して美しい敬礼を返した。
明乃は、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、いつもの太陽のような、とびきりの笑顔を咲かせた。
「橘さんのお姉さん、ジブチの海で海賊さんからみんなを守って、すっごくかっこいいですね! 私たちも、絶対に負けません! この世界で、いっぱい勉強して、私たちにできる『人助け』をいっぱい探します!」
「ぬぅっ!」と明乃の肩で**五十六**が賛同するように鳴き、ましろの足元では**多聞丸**がミャアと可愛らしく鳴いた。
「はい! 岬さんたちなら、絶対に立派なブルーマーメイドになれますよ!」
橘も、心からの笑顔で応えた。
絶望的な歴史と、戦争の現実。
それに打ちのめされそうになった少女たちを救い上げたのは、目の前にいる等身大の女性たちの、泥だらけの過去と「人を救いたい」という純粋な願いだった。
2026年の日本。
恐ろしい兵器がひしめくこの横須賀の基地で、晴風の乗員31名と自衛官たちの心は、確かに一つに結びついた。彼女たちの「未来を生き抜くための航海」は、確かな絆を帆に受けて、今度こそ力強く前へと進み始めたのだった。