ハイスクール・フリート Cross World War 作:冬吉
**2026年4月29日 午後8時00分**
**海上自衛隊 横須賀基地・隊員宿舎 会議室**
夕食の温かい余韻は、この二人の来訪者によって完全に冷え切ってしまった。
会議室に集められた31名の晴風乗員とミーナ。そして彼女たちの足元にいる**五十六**と**多聞丸**。
全員の視線が、教壇に立つヨレヨレの白衣を着た女性・**秋波**と、分厚い資料を抱えた19歳の**女性助手「栞」**に注がれていた。
「……つまり、アタシたちはアンタたちの世界じゃ、『アニメ』っていう作り話の中の登場人物だったって言うのか……?」
機関長の**麻論(マロン)**が、信じられないというように声を震わせる。
「そうよ。だから私は、貴方達の名前も、その猫たちの名前も、貴方達の世界がメタンハイドレートの採掘で海に沈んだ歴史も、全部知っているの」
秋波は、リュックの脇から取り出したボトル缶コーヒーを開け、一口飲んでから淡々と告げた。
「だけど、驚くのはそこじゃないわ。……次元の壁を越えて、俺たちの『現実』にフィクションの艦艇が迷い込んできたのは、君たち『晴風』が初めてじゃないんだ」
「えっ……?」
艦長の**明乃(ミケ)**が息を呑む。
「数年前のことだ」
秋波は、栞に目配せをした。助手がタブレットを操作し、スクリーンに一枚の不鮮明な画像を映し出す。
そこには、巨大な全通甲板を持つ灰色の護衛艦が写っていた。しかし、現在の海上自衛隊のいずも型とは明らかに違う。艦首には反り上がった「スキージャンプ台」が備わり、甲板にはステルス戦闘機『F-35B』が並べられていた。
「あれは……航空機を載せる船……」
副長の**ましろ(シロ)**が、その巨大な威容に目を見張る。
「えぇ。漫画や映画の作品である『空母いぶき』に登場する、架空の航空機搭載型護衛艦『DDV-192 いぶき』よ。貴方達と似たような経緯で、突如としてこの世界の海に転移してきた」
「フィクションの船が、もう一隻……。じゃあ、その船と乗っていた人たちは、今どうしているんですか!?」
明乃が身を乗り出して尋ねた。
「元の世界へ帰したわよ。私と、ここにいる栞で開発した『時空転送装置』を使ってね」
秋波の言葉に、晴風の乗員たちの顔がパァッと明るくなった。
「帰した!? ってことは、その装置を使えば、私たちも元の世界に帰れるってことですか!?」
水雷長の**メイ(西崎芽依)**が歓声を上げる。しかし、秋波の表情は微塵も晴れなかった。
「……残念だけど、今は無理よ」
栞が、冷徹な声でピシャリと言い放った。
「あの装置は、極めて不安定です。並行世界の座標軸を特定し、質量を転送するには、繊細かつ慎重な調整が必要になります。もし計算がコンマ一秒でもズレれば、元の世界ではなく、宇宙の果てや、マグマの海といった『全く別の世界』に君たちを放り込んでしまうリスクがある。……それに、いぶきを転送した際のオーバーロードで、装置のコアは一度完全に故障してしまっているんです」
「そんな……」
航海長の**リン(知床鈴)**が、絶望に肩を落とす。
「今は修理と再調整の真っ最中よ。だから、貴方達には当分、この世界の『特待生』として大人しくしていてもらう必要があるわ」
秋波は缶コーヒーをテーブルに置き、その眼光を鋭く光らせた。
「けど、問題はそこじゃない。……私は、これがまだ『終わり』じゃないと考えているわ」
秋波の重い声に、会議室の空気が再び張り詰めた
「考えたくもないけど……貴方達の世界とこの世界の『次元の穴』が完全に塞がっていない以上、第二、第三の艦艇が現れる可能性があるわ。……横須賀女子海洋学校の他の生徒たち、ミーナの同郷であるヴィルヘルムスハーフェン校の艦、東舞鶴や呉の艦。さらには、ブルーマーメイドの教官艦や実動艦隊、ホワイトドルフィンが転移してくるかもしれない」
「みんなが、この世界に……!?」
明乃は、それが希望なのか絶望なのか分からず、言葉を詰まらせた。
「そして、ここからが一番最悪のシナリオよ」
秋波は、ホワイトボードに『RATt(ラット)』と書き殴った。
「もし、未知のウイルス(RATt)に感染し、暴走状態に陥った艦がこの世界に現れたらどうなる? あるいは、事態を把握できないまま転移してきたブルーマーメイド又はホワイトドルフィンの艦隊が、重武装した海上自衛隊の護衛艦と遭遇し、敵対勢力と誤認して攻撃を仕掛けてしまったら……?」
「ッ……!!」
ましろの顔から、完全に血の気が引いた。
「そうなれば、『海を守る組織』同士が、血で血を洗う戦争状態に突入するわ。防衛出動が下令されれば、自衛隊は貴方達の仲間を『完全な敵』として殲滅することになるわ。」
「待ってください! ブルーマーメイドの艦も、教官艦も立派な主砲を持っています。 もし戦いになれば、自衛隊だってタダじゃ済まないはず……」
反論しようとした砲術長の**タマ(立石志摩)**の言葉を、秋波は冷酷な事実で叩き潰した。
「えぇ…タダで済むわ。……一方的な虐殺(ワンサイドゲーム)になるからよ」
秋波はスクリーンを切り替え、海上自衛隊のたかなみ型護衛艦『おおなみ(DD-111)』と、そこから火を噴いて発射されるミサイルの映像を映し出した。
「貴方達の世界における海戦の最大の欠如(致命傷)。……それは、『対空戦』の概念がないことよ。航空機が存在せず、すべてが目視範囲での大砲と魚雷の撃ち合いで完結している貴方達の艦には、空からの攻撃や、超音速で飛来する対艦ミサイルを迎撃する手段が全く存在しない」
スクリーンに映し出されたミサイルの諸元データ。
「たとえば、この『おおなみ』が搭載している『SSM-1B(90式艦対艦誘導弾)』。この対艦ミサイルの推定射程は、およそ150キロから200キロよ。分かる? 晴風の10センチ高角砲の射程の、実に10倍以上になるのよ」
「200キロ、先から……?」
タマが、震える声で呟いた。
「そう。自衛隊の護衛艦は、貴方達の艦からは水平線の彼方で見えもしない遥か遠くから、レーダーで正確にロックオンし、海面スレスレで飛ぶミサイルを撃ち込める。……貴方達の仲間は、敵の姿を一度も見ることもなく、警報音が鳴った数分後には、艦ごと海の底に沈んでいるのよ」
「……っ!」
明乃は両手で口を覆い、凄惨な想像に体を震わせた。
シュペーのような巨大な艦でさえ、現代の対艦ミサイルの飽和攻撃を受ければ、反撃の糸口すら掴めずに沈められてしまう。それが、100年の技術格差と「兵器の進化の方向性の違い」がもたらす、残酷すぎる現実だった。
「だからこそ、私達は最悪の事態を防がなきゃならない。貴方達の仲間が、この世界の兵器の餌食になる前に」
秋波は、絶望に打ちひしがれる少女たちを見渡し、真っ直ぐに言った。
「もし、この世界のどこかに貴方達の世界の艦が現れた時……海上自衛隊のミサイルが飛ぶ前に、真っ先にコンタクトを取り、説得し、戦闘を止められるのは。同じ世界から来た『晴風』の乗員である、貴方達しかいないの...」
平和な特待生としての生活。それはかりそめの休息に過ぎなかった。
次元の壁を越えた少女たちは、自分たちの「同胞」を現代兵器の無慈悲な破壊から救い出すための、新たな、そして最も過酷な使命を突きつけられたのだった。