ハイスクール・フリート Cross World War 作:冬吉
絶望的な兵器の性能差。その冷酷な事実を突きつけられ、凍りついていた会議室の空気を破ったのは、部屋の隅で静かに話を聞いていた**水瀬1曹**だった。
「……秋波さんの仰る通り、自衛隊とブルーマーメイドの艦が戦えば、結果は火を見るより明らかでしょう。ですが」
水瀬は、傷ついた少女たちを庇うように一歩前へ出ると、真っ直ぐな瞳で冬吉を見据えた。
「自衛隊は、未知の船が現れたからといって、闇雲にミサイルを撃つような組織じゃありません」
その凜とした声に、艦長の**明乃(ミケ)**たちがハッとして顔を上げる。隣に立つ**橘3曹**も、深く頷いて水瀬に同意した。
「……その通りよ。水瀬1曹の言うことは正しいわ」
秋波は、あっさりとそれを肯定し、手元のタブレットを操作してスクリーンを切り替えた。そこには、海上自衛隊の厳しい訓練風景と、分厚い法律の条文が映し出される。
「この世界の日本は、第二次世界大戦が終わってから80年の間、ただの一度も他国と戦火を交えることがなかった。……つまり、自衛隊員たちの練度や兵器の性能がどれほど高くとも、彼らには『相手と実弾で殺し合った』という実戦経験が根本的に欠如しているの」
「実戦経験が……ない」
副長の**ましろ(シロ)**が、小さく呟く。
自分たち晴風の乗員は、『シュペー』の28センチ砲弾や『伊201』の雷撃、『武蔵』の46センチ砲弾の雨を掻い潜り、死線を超えてきたばかりだ。しかし、この恐ろしい兵器を持つ未来の"日本人達"は、実は本当の戦争を経験していないという矛盾。
「さらに、彼らを縛る『法(ルール)』の鎖は異常なほど重いわ」
秋波は、ホワイトボードに書かれた文字を指差した。
「もし、貴方達の世界の艦が現れて、海上自衛隊に『海上警備行動』が発令されたとしよう。だけど、その状態では、相手側から明確な『攻撃(射撃)』がない限り、自衛隊は絶対にこちらから手を出せない、いえ、出しちゃいけないの、ひたすら防御と警告に徹するしか方法がないの。」
「相手が撃ってくるまで、撃ち返しちゃいけないの……?」
水雷長の**メイ(西崎芽依)**が、信じられないという顔をする。
「もし相手がRATt(ウイルス)に感染してて、いきなり大砲を撃ってきたらどうするの!? 防御だけじゃ、自衛隊の人たちだって危ないよ!」
「それが、この国の『専守防衛』という理念の限界であり、隊員たちが背負わされているリスクなの...」
秋波は深く息を吐き出した。
「もちろん、国家への明確な武力攻撃だと認定され、『防衛出動』が下令されれば話は別よ。自衛隊にあらゆる火器の使用が許可され、あの恐ろしい対艦ミサイルの封印も解かれる。……だけど、それでも彼らは、国際社会への影響や政治的な判断を考慮しながら、極めて慎重に武器を使うという極限状態に置かれるの」
秋波の言葉の裏にある「重圧」を、明乃たちは痛いほど感じ取っていた。
ミサイルを一発撃てば、それが戦争の引き金になるかもしれない世界。自衛隊の人々は、常にその恐怖と責任を背負いながら、引き金に指をかけているのだ。
「……だからこそ、厄介なの」
秋波は、白衣のポケットに手を突っ込み、頭を掻いた。
「もし、RATtに感染した横須賀女子海洋学校艦やブルーマーメイド・ホワイトドルフィンと言った貴方達の世界の艦が、パニック状態のまま自衛隊の護衛艦に攻撃を加えてしまったら……。自衛隊は『正当防衛』、あるいは『防衛出動』として、反撃せざるを得なくなるの」
「ッ……!」
明乃の肩がビクッと跳ねた。
「一度法的なリミッターが外れれば、あとは機械的な殲滅戦が行われる。……自衛隊の現場指揮官は、部下の命を守るために、躊躇なく対艦ミサイルの発射ボタンを押すでしょうね。相手が高校生の少女だとしても、ウイルスに操られていようが関係ない。飛んでくる砲弾を前にしては、相手を沈めるしか選択肢がなくなる。」
会議室は、水を打ったような静寂に包まれた。
水瀬や橘も、唇を強く噛み締めている。もし自分たちの乗る艦が攻撃されれば、反撃しなければ自分たちが死ぬ。その究極の二択を迫られれば、彼らは必ず「国民と部下」を守るためにミサイルを撃つ。それが国防の義務だからだ。
「……そんなの、絶対にダメです」
沈黙を破ったのは、明乃の震える、しかし芯のある声だった。
「私たちの世界の仲間が……病気のせいで暴走して、この世界の優しい人たちを攻撃しちゃうなんて。そして、その反撃で、仲間が海の底に沈んじゃうなんて……そんな悲しいこと、絶対にさせません!」
明乃は立ち上がり、真っ直ぐに秋波を見据えた。
ましろも、ミーナも、晴風の全乗員が一斉に立ち上がる。
「私たちにできること……いえ、私たちにしかできないことですよね。秋波さん」
ましろが、鋭い眼光で秋波を睨み返す。
「もし、私たちの世界の艦がこの世界に現れたら。……ミサイルが飛ぶ前に、私たちが盾になってでも通信を繋ぎ、相手の艦の暴走を止める。それが、私たちがこの世界で生かされた『意味』だというなら……その役目を引き受けます。」
「てやんでえ! 晴風の速力とアタシらの度胸を舐めるなよ! 自衛隊のミサイルより早く、ドンピシャで仲間を止めてみせるぜ!」
機関長の**麻論(マロン)**が、力強く自分の胸を叩いた。
「ブルーマーメイドは……誰も見捨てないから……っ!」
航海長の**リン(知床鈴)**も、涙目になりながら必死に頷く。
秋波は、そんな少女たちの覚悟の宿った瞳を見渡し、フッと口角を上げた。
「……さすがは主人公たちね。その気概がなきゃ、この最悪のメタフィクション・シナリオは乗り越えられないわ」
秋波は、リュックからもう一つのファイルを取り出し、テーブルの上に放り投げた。
「政府と防衛省も、そのための『準備』を始めているわ。……貴方達の晴風を単なる試験艦ではなく、有事の際の『対パラレルワールド専用・第一接触(ファースト・コンタクト)艦』として運用するための、極秘の改修プラン。」
「晴風の、改修……?」
「えぇ。現代のミサイル戦には到底ついていけない貴方達の艦の生存率を、少しでも引き上げるためにね」
秋波は、悪戯っぽく笑った。
「安心して。貴方達の世界の『艦の美学』を壊すような無粋な真似はしない。だけど、通信システム、電子戦装備、そしてエンジンの出力制御……防衛装備庁と私達の技術で、晴風をこの世界でも生き残れる『バケモノ』にチューンナップしてあげる」
絶望的な兵器の差。そして、複雑に絡み合う大人たちの法律とルール。
しかし、そのすべてを越えて「仲間を救う」という揺るぎない目的を手に入れた少女たちの顔には、もう迷いはなかった。
2026年の海で、彼女たちはただ保護されるだけの存在から、二つの世界を繋ぐ「最後の命綱」としての使命を帯びることとなった。
晴風と31人の乗員たちの、本当の戦いの準備が、今ここから始まろうとしていた。