ハイスクール・フリート Cross World War 作:冬吉
**2026年5月1日 午前9時25分**
**海上自衛隊 第2水上戦群 第5水上戦隊 旗艦『はぐろ』艦橋**
「……応答なしか」
艦長兼司令の**堂島1佐**は、スピーカーから流れる虚しいノイズを聴きながら、モニターに映る白と黒の異形な艦影をじっと見つめていた。相手はこちらの呼びかけに対し、沈黙を貫いている。あるいは、あまりの技術格差に通信プロトコルが適合していないのか。
堂島は深く椅子に座り直し、落ち着いた声で命じた。
「全艦、距離を32海里から22海里まで縮める。両舷前進、半速」
「了解。全艦、距離22海里まで接近。両舷前進、半速!」
副長の**秋月2佐**が力強く復唱し、航海長の**佐野3佐**が即座にスロットル・レバーを操作する。
四隻の灰色の巨体が、規律正しい陣形を維持したまま、再び南へと滑り出した。
「……22海里(約40キロ)まで詰めるんですね、艦長」
秋月副長が、自身のヘルメットの顎紐を締め直しながら問いかけた。
「ああ。32海里ではまだ遠い。光学機器の解像度を上げ、相手の細部をより正確に把握する必要がある。……それに、22海里という距離は、相手が我々と同じ『日本語』を話す組織であるならば、心理的なプレッシャーがはっきりと伝わる距離だ」
堂島の目は、冷静にチェス盤を俯瞰するプレイヤーのようだった。
22海里。
現代の護衛艦にとっては、主砲の射程外ではあるが、対艦ミサイルはもとより、ヘリコプターを発艦させれば数分で接触できる距離だ。自衛隊側にとっては依然として圧倒的な優位を保てる「安全圏」だが、相手側からすれば、逃げ場を失い、喉元に刃を突きつけられたような圧迫感を感じるはずの距離だった。
「神宮寺。データリンクを『あけぼの』『あさひ』『さわぎり』と同期。相手が微動だにすれば、即座に全艦で目標を追尾しろ。……決して先には撃つな。だが、相手が『火を噴いた』瞬間に、こちらは『火の海』で返す準備をしておけ」
「はっ! 火器管制レーダー(FCS)、アクティブのまま待機! ミサイル防衛システム、全自動モード展開!」
砲雷長の**神宮寺3佐**の指先が、流れるような動作でコンソールを叩く。
灰色の艦隊が、波を切り裂き、白い航跡を伸ばしながらジリジリと距離を詰めていく。
***
**同時刻**
**改インディペンデンス級沿海域戦闘艦『べんてん』艦橋**
「……っ! 来るぞ!!」
漆黒の艦橋で、**宗谷真冬**はモニターに映る灰色の艦隊が、再び前進を開始したのを見て、思わず身を乗り出した。
「宗谷艦長! 正面の四隻、再び前進を開始! 速力、およそ15ノット! ……真っ直ぐ、こちらに向かってきます!」
副官が悲鳴に近い声を上げる。
「チッ、舐められたものだぜ。こちらの呼びかけ(警告)を無視して距離を詰めてくるとはな……!」
真冬は、ましろを失った焦燥感と、未知の巨大艦隊への怒りが混ざり合い、黒いマントを激しく波打たせた。
『真冬!! 落ち着きなさい! 相手の速力は半分よ、これは威嚇(いかく)ではなく、交渉のための接近の可能性があるわ!』
『みくら』の**福内艦長**からの通信がノイズ混じりに響く。
「交渉だと!? 向こうは重武装の艦隊で、こっちはボロボロの二隻だぞ! 交渉など、対等な力の差があって初めて成立するものだ!」
真冬は艦長席の肘掛けをギリリと握りしめた。
「相手との距離、28海里……25海里……! 止まりません! まだ来ます!」
「……噴進魚雷の射程まで、あと少し。……あと少しだ」
真冬の瞳に、危険な光が宿る。
彼女たちの世界の常識では、20キロ(約11海里)が実質的な決戦距離だ。相手がその「あと一歩」まで近づいてきた時、彼女は反射的に引き金を引いてしまうかもしれない。
**2026年5月1日 午前9時30分**
**海上自衛隊 第2水上戦群 第5水上戦隊 旗艦『はぐろ』艦橋**
四隻の護衛艦が、指定された22海里(約40キロ)のラインに到達しようとしていた、まさにその時だった。
「……待て。全艦、22海里での停止命令は、撤回だ」
艦長席の**堂島1佐**が、海図モニターから目を離さずに低く響く声で命じた。
「このまま前進を継続。……目標との距離、**11海里**(約20キロ)まで接近してから停止せよ」
「じゅう、いち……!? 艦長、本気ですか!?」
副長の**秋月2佐**が、思わず声を荒らげた。
11海里。それは現代の海戦において、ミサイルはおろか、艦載されている主砲(127ミリ砲)の有効射程にすら入りかねない、文字通りの「目と鼻の先」である。
「距離11海里は、相手が旧式の長距離魚雷などを積んでいた場合、完全に被弾圏内です! リスクが大きすぎます!」
砲雷長の**神宮寺3佐**も、青ざめた顔で振り返る。
しかし、堂島の横顔は岩のように動じなかった。
「22海里で睨み合えば、相手は『いつでも逃げられる、あるいはいつでも撃てる』と錯覚し、無駄な暴発を招く恐れがある。……相手の艦をよく見ろ」
堂島は、モニターに映る白と黒の三胴船(トリマラン)を指差した。
「相手は現代のステルス艦のようなフォルムをしているが、甲板には57mm単装砲が剥き出しになっている。おそらく、我々のような超長距離の対艦ミサイルは持っていない。……ならば、我々が相手の『最大射程』のギリギリまで踏み込み、そこに巨大な灰色の壁として立ち塞がるんだ」
堂島の目は、百戦錬磨の勝負師のそれだった。
「圧倒的な戦力差を見せつけ、相手の喉元に冷たい刃を突きつけたまま、ピタリと動きを止める。……極限の膠着状態(デッドロック)を作り出し、相手の心理を完全に制圧する。真の『抑止』とはそういうものだ」
「……っ。心理戦、ですか」
秋月副長は息を呑み、そして覚悟を決めたように力強く頷いた。
「了解しました! 『あけぼの』『あさひ』『さわぎり』へ伝達! 停止命令をキャンセル! 目標との距離11海里まで、両舷前進、半速!!」
自衛隊が誇る四隻の巨大な護衛艦は、歩みを止めることなく、さらに深く、未知の艦隊の懐へと踏み込んでいった。
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**同時刻**
**改インディペンデンス級沿海域戦闘艦『べんてん』艦橋**
「……止まらない! まだ来ます! 距離18海里……15海里……!」
『べんてん』の副官が、悲鳴のような声で距離を読み上げる。
「チィィッ……!! やる気か、あの灰色の鉄塊ども!!」
**宗谷真冬**は、黒いマントをギリリと握りしめ、防弾ガラスの向こうに迫りくる四隻の艦影を睨みつけた。
水平線の彼方に豆粒のように見えていたシルエットが、急速にその威容を現し始めている。
無駄な装飾を一切削ぎ落とした、巨大な傾斜装甲。空を突き刺すような高いマスト。そして、艦首に鎮座する巨大な主砲と、無数の垂直発射装置(VLS)のハッチ。
それは、ブルーマーメイドの「治安維持」のための艦とは明らかに一線を画す、純粋に「敵を殺すため」だけに研ぎ澄まされた、恐るべき軍艦の姿だった。
「宗谷艦長! 距離、12海里! 噴進魚雷の有効射程に、完全に入ります!!」
「……よし! VLS、全門射撃準備!! 相手が少しでも砲口を向けた瞬間、全弾叩き――」
真冬が艦長席を立ち、右手を高く振り上げた、その直後だった。
『目標の四隻……急速に減速!! 距離11海里……完全に、停止しました!!』
「……なに?」
真冬は振り上げた手をピタリと止め、目を見開いた。
『みくら』の**福内艦長**からの通信が、ノイズ交じりに響き渡る。
『真冬、見える!? あの四隻……私たちの噴進魚雷の「最大射程」のラインで、ピタリと止まったわ!!』
「なんだと……偶然か? いや、偶然にしては正確すぎるだろう……!」
真冬は、背筋に冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。
距離11海里(約20キロ)。
それは、真冬たちが積んでいる『噴進魚雷』がギリギリ届くか届かないかという、最大のデッドライン。
相手の灰色の艦隊は、わざわざその「最も危険な境界線」まで足を踏み入れておきながら、一切の攻撃動作を見せず、ただ沈黙のまま立ち塞がったのだ。
まるで、「撃ちたければ撃ってみろ。だがその瞬間、貴様らは海の底だ」と語りかけているかのように。
「……バケモノめ。こちらの射程も、戦力差も、すべて計算ずくで『盤面を支配』しに来たって言いたいのか...」
常に血気盛んで、力で押し通してきた真冬が、生まれて初めて「圧倒的な威圧感」に呑まれ、引き金にかける指を震わせていた。
『みくら』の艦橋でも、**平賀**が青ざめた顔で眼鏡を直していた。
「……完全に、心理戦で盤面を制圧されたわ。これじゃあ、こちら(私達)から手を出せば『即死』、逃げようとしても『背中を撃たれる』。……完璧なチェックメイト(詰み)よ」
波の音だけが響く太平洋。
距離11海里の海上で、2026年の日本を守る『海上自衛隊』は、たった一度の砲撃も行うことなく、その圧倒的な存在感と冷徹な戦術眼によって、異世界から来た猛将の動きを完全に封じ込めたのだった。