ハイスクール・フリート Cross World War   作:冬吉

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第73話 極限下での火蓋

**2026年5月1日 午前10時35分**

**太平洋・八丈島東方沖**

 

春の陽光が降り注ぐ青い海の上で、極限の「死の睨み合い」が始まってから、すでに45分という途方もなく長く、息の詰まるような時間が経過していた。

 

距離11海里(約20キロ)。

海面には、北を向いて停船する白と黒の巨大な三胴船(ブルーマーメイド艦)と、その正面に横一列に展開し、南を向いて完全に道を塞ぐ四隻の灰色の要塞(海上自衛隊・第5水上戦隊)が、彫像のようにピタリと静止していた。

 

**海上自衛隊 旗艦『はぐろ』艦橋**

 

「……目標二隻、依然として沈黙。武装の指向、および火器管制レーダーの照射はありません」

 

砲雷長の**神宮寺3佐**が、コンソールから滴り落ちる汗を拭うこともせず、血走った目で報告を上げた。

実戦経験のない自衛隊員たちにとって、完全武装の正体不明艦とミサイルの射程内で対峙し続けるこの時間は、精神をゴリゴリと削り取るような凄まじいプレッシャーだった。

 

「機関、異常なし。いつでも最大戦速を出せます」

航海長の**佐野3佐**も、スロットルレバーを握る手を微かに震わせながら前方を凝視している。

 

「……相手の指揮官は、相当な『我慢』を強いられているはずだ」

艦長席の**堂島1佐**は、微動だにせず双眼鏡を構え続けていた。

 

『はぐろ』の上空およそ1万フィート(約3000メートル)では、厚木基地から飛来した2機のP-1哨戒機が、旋回しながら目標の上空を完全に制圧している。

海上には四隻の重武装護衛艦。空には未確認の航空機。

堂島の計算では、相手がどれほど血気盛んな指揮官であろうと、この「絶対的な戦力差」による包囲網を見せつけられれば、自ずと戦意を喪失し、白旗を上げるか通信に応じるはずだった。

 

「……しかし、相手は一歩も引かない。見事な胆力だが、これ以上は危険だ。何かの拍子に暴発(トリガー・ハッピー)を招きかねん」

副長の**秋月2佐**が、ギリッと歯を食いしばる。

 

***

 

**同時刻**

**改インディペンデンス級沿海域戦闘艦『べんてん』艦橋**

 

「……ッ、舐めるな……! 宗谷の女が、この程度のプレッシャーで尻尾を巻くと思うなよ……!!」

 

漆黒の艦橋で、**宗谷真冬**は操舵輪をへし折らんばかりの力で握りしめ、荒い息を吐いていた。

彼女の額からは滝のように汗が流れ落ち、黒いマントを羽織った背中は極度の緊張で張り詰めている。

 

「宗谷艦長! 上空の所属不明の飛行物体、依然として本艦の頭上を旋回中! 速度、高度ともに我々の常識を逸脱しています! あれは飛行船などではありません、鉄の塊が空を飛んでいます!!」

 

副官の悲鳴に、真冬は上空の防弾ガラス越しに「P-1哨戒機」の機影を睨みつけた。

 

彼女たちの世界(はいふり世界)には、航空機という概念が存在しない。空を飛ぶものといえば、のんびりとした飛行船くらいだ。

しかし今、彼女たちの頭上を飛び回っているのは、ジェットエンジンの轟音を響かせる、信じられないほど巨大で高速な「空飛ぶ鉄塊」だった。

 

「海には四隻のバケモノ……空には未知の飛行物体……。これが、あの磁気嵐の向こう側にあった世界の力だっていうのか……!」

 

『真冬! 落ち着いて、絶対に先制攻撃を仕掛けちゃダメよ!』

通信機から、白の艦『みくら』の艦長、**福内**の切迫した声が響く。

 

『相手は通信で「海上自衛隊」と名乗ったわ! つまり軍隊よ! 相手の武装も性能も分からない状態で引き金を引けば、私たちは確実に一瞬で海の底に沈むわ!』

『みくら』の艦橋でも、情報調査隊の**平賀**が青ざめた顔でデータ解析を続けていた。

『相手の艦から発せられているレーダー波の出力、異常よ。。完全に「ロックオン」された状態のまま生かされているのよ!』

 

「だからどうした!!」

真冬は、コンソールを力任せに殴りつけた。

 

「相手がどれほどのバケモノだろうと、私たちがここで引けば……この海のどこかにいる『ましろ』を、誰が助け出すんだ!! 私は、妹を連れて帰るまで絶対に引かない!!」

 

真冬の目は、完全に血走っていた。

相手との距離、11海里。

前甲板に装備された『噴進魚雷』のVLSハッチは開いたまま。ロケットエンジンの点火準備はすでに完了している。

真冬が命じれば、噴進魚雷は火を噴いて灰色の艦隊に向かって飛んでいく。

 

そしてそれが、自分たちブルーマーメイドの「全滅」を意味する引き金になるであろうことも、真冬の戦術的直感は痛いほど理解していた。

それでも、妹への愛と、ブルーマーメイドとしての誇りが、彼女に「後退」の二文字を許さなかった。

 

ギリギリに張り詰めた糸のような、11海里の海。

自衛隊の艦長が微かな「脅威」を認定するか、あるいは真冬の忍耐が限界を迎えるか。

 

どちらに転んでも、次の瞬間には大音響と共に無数のミサイルと魚雷が飛び交う「地獄の海戦」が始まる。

誰も口を開かない。誰も動けない。

太平洋の青い海の上で、二つの世界の命運を懸けた、狂気にも似た沈黙の膠着状態が続いていた。

 

距離11海里。

その「近すぎる」海上で繰り広げられる一歩も引かない膠着状態は、ついに現場の隊員たちの精神を削り限界へと追い詰めていた。

 

しかし、その圧倒的な重圧に耐えきれず、内側から崩壊を始めたのは、現代の日本を守るプロフェッショナルである海上自衛隊ではなく――異世界からやってきたブルーマーメイドの「隊員」たちの方だった。

 

『みくら』と『べんてん』の艦内で主砲やVLS(垂直発射装置)、魚雷を扱う射撃員たちは、極度の緊張で震える指を必死に抑え込んでいた。

相手が「海賊」であれば、見境なく撃ってくるため、彼女たちも反射的に反撃に移れるだけの心の準備があった。

 

だが、目の前にいる巨大な灰色の艦隊は、距離をジリジリと縮めて喉元に刃を突きつけておきながら、一向に撃ってくる気配がない。ただひたすらに、感情を読み取れない無機質な兵器の顔をして、無言の圧力を放射し続けている。

 

(……撃たれる。いつ撃たれるか分からない……! どうしてあんなに近付いてきて、何もしてこないの……!?)

 

見えない恐怖が、ブルーマーメイド隊員たちの理性を少しずつ、確実に狂わせていく。

 

そして――ここで、宗谷真冬の持つ「悪運」が、最悪の形で引き金を引いた。

 

『べんてん』の射撃指揮所のコンソールで、パチッ、と極小の火花が散った。

海水の塩分と激しい波の衝撃による、「僅かな配線のショート」。

普段であれば「少し火花が散った」で済むはずのその現象が、極限の心理状態にあった隊員たちの目には、自艦が攻撃を受け、システムが破壊された致命的なサインに映ってしまったのだ。

 

「……ッ!! こ、攻撃されました!!」

 

悲鳴のような報告。

それが、張り詰めていた糸がプツンと切れる合図だった。

パニックは瞬時に『べんてん』からデータリンクを通じて『みくら』の乗員へも伝播(同調)した。

 

「ま、待て! 私が命令するまで撃つな!!」

『べんてん』の艦橋で、真冬が血相を変えて叫ぶ。

「ダメよ! セーフティを戻しなさい!!」

『みくら』の福内や平賀、寒川、志度も絶叫する。

 

しかし、指揮官たちの制止は間に合わなかった。

恐怖に駆られた隊員たちの手が、反射的に『噴進魚雷』の発射ボタンを叩き込んでしまったのだ。

 

『シュゴォォォォォォッ!!』

 

白と黒の三胴船の前甲板から、強烈なロケットの炎が噴き上がる。

二隻合わせて、計8発の噴進魚雷。

それは海上の空気を切り裂き、白い煙の尾を引いて、正面で立ち塞がる第5水上戦隊へと一直線に襲いかかった。

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