ハイスクール・フリート Cross World War   作:冬吉

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第78話 専守防衛の幻想

**2026年5月1日 午前11時20分**

**海上自衛隊 第2水上戦群 第5水上戦隊 旗艦『はぐろ』艦橋**

 

焦げた鉄の臭いが、海風に乗って『はぐろ』の艦橋にも微かに届き始めていた。

正面には依然として沈黙を保つ白と黒の二隻の沿海域戦闘艦(LCS)。そして背後では、黒煙を上げる『さわぎり』と、それに寄り添う『あけぼの』、上空でホバリングを続ける『あさひ』の哨戒機SH-60Lが懸命の救助活動を続けている。

 

「……現在、『さわぎり』乗員の収容および後送を継続中。あと数十分で完了します」

 

通信パネルから顔を上げた副長の**秋月2佐**が、重苦しい声で報告した。

重傷者はヘリで『はぐろ』の医務室へ、その他の乗員は『あけぼの』へと次々に移乗している。被害は甚大だが、部隊の懸命なダメージコントロールにより、最悪の事態(沈没)だけは免れようとしていた。

 

その報告を聞き、艦長席に座る**堂島1佐**は、深く、静かに一呼吸を置いた。

 

「……我々も、沈むかもしれんな...」

 

ぽつりと漏れたその呟きは、歴戦の指揮官らしからぬ、あまりにも弱々しい響きを持っていた。

 

「艦長……」

秋月副長が、ハッとして堂島を見る。

堂島の視線は、モニターに映る異世界の二隻の艦に向けられていた。相手のVLS(垂直発射装置)は依然として開いたままであり、いつ第二射、第三射が飛んできてもおかしくない状況だ。

 

「『専守防衛』」

 

堂島は、自分自身に言い聞かせるように、その四文字を口にした。

 

「相手からの武力攻撃を受けた時に、初めて防衛力を行使する。我々自衛官が骨の髄まで叩き込まれ、誇りとしてきたこの国の絶対のルールだ」

堂島は自嘲気味に目を伏せ、拳を膝の上で強く握りしめた。

「……とは言ってもな。現代のミサイル戦において、先に攻撃を受けた時点で、戦いにはすでに負けている。……『さわぎり』の惨状を見れば、痛いほど分かるだろう」

 

圧倒的な防空システムを持つイージス艦であっても、飛来する脅威を100%撃ち落とせる保証などどこにもない。

撃たれるまで撃てないということは、常に「味方の誰かが血を流すこと」を前提とした、あまりにも残酷で不利な戦いを強いられるということだ。

 

秋月副長は、ギリッと奥歯を噛み締め、指の関節が白くなるほど拳を強く握りしめた。

 

「……『さわぎり』の敵討ち、せめて、あのLCS(沿海域戦闘艦)の一隻くらい……!」

 

秋月の声には、怒りと悲痛な思いが滲み出ていた。

射撃管制システム(FCS)は、いつでも相手の艦を海の底へ沈められるよう、完璧なロックオンを維持している。堂島が「撃て」と一言命じるだけで、SSM-2(17式艦対艦誘導弾)が火を噴き、確実に『さわぎり』の無念を晴らすことができるのだ。

自衛官である前に、一人の人間として、血を流す仲間を見て反撃衝動に駆られない者などいない。

 

しかし、堂島1佐は静かに首を横に振った。

 

「それでも、我々は撃たない」

 

その声は、いかなる兵器よりも硬く、揺るぎない「覚悟」に満ちていた。

 

「もしここで我々が撃ち返せば、相手も全武装をもって死に物狂いで反撃してくるだろう。そうなれば、救助中の『さわぎり』や『あけぼの』の乗員たちまで、文字通り火の海に巻き込まれることになる。……それに、何より」

 

堂島は、艦橋の窓から、春の穏やかな太平洋の水平線を見渡した。

 

「我々がここで引き金を引けば、この海は『戦場』になり、我々はこの国を未曾有の戦争へと引きずり込む張本人になる。……防衛の最前線に立つ我々が、怒りに身を任せて法と秩序を投げ捨てるわけにはいかないんだ」

 

堂島はゆっくりと立ち上がり、秋月副長、そして艦橋で歯を食いしばって耐え忍んでいるすべての乗員たちを見回した。

 

「黙って殴られ続ける……愚かな姿かもしれんが。我々が今、歯を食いしばって流している血と涙は、決して無駄ではないはずだ。この国の平和を守るための、誇り高き『盾』の証明だ」

 

「……ッ、はい……!!」

秋月副長は、込み上げてくる熱いものを必死に堪えながら、深く、力強く頷いた。

 

反撃の引き金を引くのは、誰にでもできる。

しかし、自らが殺されるかもしれない極限の恐怖と、仲間を傷つけられた怒りの中で、なお「引き金を引かない」という決断を下すこと。それこそが、戦後80年間にわたり平和を維持し続けてきた日本の『防人』たちにしかできない、最も困難で、最も崇高な戦いだった。

 

再び訪れた、重く冷たい膠着状態。

しかし、自衛隊員たちの目には、怒りや恐怖ではなく、この海を絶対に戦場にはさせないという、悲壮なまでの「決意の炎」が静かに燃え上がっていた。

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