ハイスクール・フリート Cross World War 作:冬吉
**2026年5月1日 午前11時45分**
**太平洋・八丈島東方沖**
**改インディペンデンス級沿海域戦闘艦『みくら』・『べんてん』艦橋**
波の音が、やけに大きく聞こえる。
空はどこまでも青く、海は春の日差しを反射してキラキラと穏やかに輝いている。
しかし、その美しい自然の風景とは裏腹に、『みくら』と『べんてん』の艦内を支配しているのは、息をするのも苦しいほどの「凄まじい罪悪感」と「精神的な拷問」だった。
「……まだ、撃ってこない。どうして……」
純白の『みくら』の艦橋で、情報調査隊の**平賀**が、双眼鏡を持つ手を震わせながら、掠れた声で呟いた。
彼女たちが「誤射」という形で引き金を引いてから、すでに1時間が経過している。
現代の軍艦同士の戦闘において、1時間という時間は「永遠」に等しい。もし相手が反撃する意思を持っていたなら、噴進魚雷が着弾した数秒後には、彼女たちの頭上に無数のミサイルが降り注いでいたはずなのだ。
しかし、前方に立ち塞がる灰色の艦隊(第5水上戦隊)は、微動だにしない。
ただ砲口を向け、圧倒的なレーダーのロックオンを維持したまま、徹底した「沈黙」を貫いている。
防弾ガラスの向こう側――自分たちが放った魚雷によって黒煙を噴き上げている灰色の艦(さわぎり)の周辺では、オレンジ色の服を着た隊員たちが、小さなボートや空飛ぶ機械(SH-60Lヘリ)を使って、傷ついた仲間を必死に救出する姿が、残酷なほど鮮明に見え続けていた。
「あれだけひどい火災を起こして……負傷者だって、たくさん出ているはずなのに。それでも彼らは、私たちに砲口を向けるよりも、仲間の命を優先している……」
**寒川**が、モニターに映る救助映像から目を背けるようにして、顔を両手で覆った。
「私たちが……私たちが一方的に、彼らを傷つけたのよ……! 無抵抗の相手に、致命傷を負わせた……!」
**志度**も、自責の念に押し潰されそうになりながら、コンソールに突っ伏した。
ブルーマーメイド。
それは「海に生きるすべての人を守る」という崇高な理念の下に設立された、世界中から尊敬を集める治安維持組織だ。彼女たちは、そのエリートとしての強烈な自負と誇りを持っていた。
海賊から民間船を守り、遭難者を救助し、海上の平和を維持することこそが、彼女たちの存在意義だったはずだ。
だが、今の自分たちの姿はどうだ。
正体不明とはいえ、相手の威圧感に勝手に怯え、パニックを起こして引き金を引いた。そして、反撃もせずに仲間を助けようとしている人々を、その背後から攻撃したのだ。
(これじゃあ……これじゃあまるで、私たちが憎んできた『海賊』そのものじゃない……!)
**福内艦長**は、操舵席に座ったまま、ギリッと唇を噛み締め、その口から血が滲むのも構わずに震えていた。
自分たちの犯した「取り返しのつかない過ち」。
相手からの反撃(ミサイル)による物理的な破壊よりも、この「一切反撃してこないという現実」の方が、彼女たちの誇りと精神を、真綿で首を絞めるようにジワジワと、確実に破壊し続けていた。
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**漆黒の『べんてん』艦橋**
「……撃てよ……ッ!」
**宗谷真冬**は、床に這いつくばり、前方の灰色の艦隊に向けて、涙と汗でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、掠れた声で叫んだ。
「なんで撃ってこないんだ……! なんで私たちを、海の底に沈めない……ッ!!」
真冬の悲痛な叫びが、静まり返った漆黒の艦橋に虚しく響く。
彼女の背中を覆う黒いマントは、もはや威厳の象徴ではなく、罪の重さに耐えかねて引きずられる重しのように見えた。
ましろを助け出すためなら、どんな敵だろうと容赦なく叩き潰す。
その覚悟で次元の嵐を乗り越えてきたはずだった。
だが、目の前の現実――血を流しながらも反撃の刃を収め、ひたすらに仲間を救う大人たちの姿は、真冬の信じていた「武力による解決」という正義を、根底から木っ端微塵に粉砕していた。
「私たちが……悪いんじゃないか……。私たちが先に手を出して、あいつらを傷つけたんだ……! だから、復讐しろよ! 私たちを撃てよぉぉッ!!」
真冬は、床を何度も叩きつけながら、子供のように声を上げて泣き叫んだ。
自分が撃ったことに対する後悔。そして、反撃すらしてくれない相手の「圧倒的な倫理的優位」に対する、絶望的な敗北感。
(ましろ……ごめん。姉ちゃん……ブルーマーメイドの誇り、守れなかったよ……)
真冬が、完全に心を折られ、絶望の暗闇に沈み込もうとした、まさにその時だった。
『ピーーーーーーッ!!』
『みくら』と『べんてん』の艦橋に、これまで聞いたことのない、極めて特殊な周波数の強烈な通信アラームが鳴り響いた。
「な、何!? 敵からの通信!?」
平賀が弾かれたようにコンソールに飛びつく。
「違います! この波形……ブルーマーメイドの暗号通信じゃありません! かといって、先ほどの(自衛隊の)オープンチャンネルでもない……! 全く新しい、未知の識別信号(IFF)が、猛烈な速度でこちらに接近してきます!!」
志度が、レーダーモニターを凝視しながら叫んだ。
「接近中!? どこからよ!」
福内が立ち上がる。
「方角、北北東! 灰色の艦隊(自衛隊)のさらに後方から、一隻の小型艦艇が異常な速度で突進してきます!! 速力……よ、42ノット(約77キロ)!? 航洋艦サイズで、こんなスピードあり得ません!!」
「42ノットだと!?」
真冬も、涙で霞む目を擦りながら、よろよろと立ち上がった。
そして、その未知の小型艦艇から発信されている『通信波形』を解析した平賀が、信じられないものを見たように、目を限界まで見開いて絶叫した。
「嘘……嘘でしょ!? この識別信号のパターン……!」
平賀は、震える手でメインスクリーンにその通信内容と、接近してくる艦のカメラ映像を投影した。
「横須賀女子海洋学校所属……航洋艦『晴風』!! ま、間違いありません! 消えたはずの『晴風』が……こちらに向かってきています!!」
「「「――ッ!!?」」」
その名前が響き渡った瞬間。
絶望と罪悪感に押し潰されかけていた真冬たちの時間が、完全に停止した。
そして、ノイズ混じりの通信機から、あの聞き慣れた、太陽のように明るく、そして今は必死の思いが込められた少女の声が、戦場となりかけた太平洋の空に響き渡ったのだった。
『――こちら、横須賀女子海洋学校所属、航洋艦「晴風」艦長、岬明乃です! お願い、撃たないで!! 自衛隊の人たちも、ブルーマーメイドのみんなも……戦っちゃダメぇぇぇッ!!!』