ハイスクール・フリート Cross World War 作:冬吉
**2026年5月1日 午後9時50分**
**海上自衛隊 横須賀基地・吉倉桟橋**
ブルーマーメイドの隊員たちを乗せた警務隊のトラックの車列が、オレンジ色の街灯に照らされながら、ゆっくりと基地の奥深くへと消えていく。その後ろ姿を、赤いテールランプが見えなくなるまで、特異事象研究者の**秋波**は黙って見送っていた。
春の夜風が、白衣の裾をパタパタと揺らす。
秋波は、自販機で買った冷えた缶コーヒーのプルタブを「プシュッ」と開け、一口煽ってから、夜の海に向けて静かに呟いた。
「……歴史が違っても……戦争のない空白が、ブルーマーメイド隊員のメンタルを抉り取られ続けた結果……『みくら』と『べんてん』の乗員達、恐怖に流されて引いてしまった(引き金を引いてしまった)、という事ね…」
「……どういう意味だ、秋波さん」
隣に立っていた内閣官房特命チームの**刈谷室長**が、怪訝な顔で振り向く。
「そのままの意味よ。……彼女たちを責めるのは簡単だわ。けど、あの子らの抱えている『根本的な脆弱性』を理解しないと、今後の交渉は見誤るわ」
秋波は、岸壁に係留されたまま静まり返っている、巨大な黒と白の三胴船を見上げた。
「私たちの世界(2026年)の軍隊は、過去に二度の世界大戦という地獄を経験し、冷戦という『いつ世界が終わるか分からない恐怖』を何十年も味わってきたわ。……だからこそ、海上自衛隊は『撃たれるまで撃たない』という狂気じみた軍紀(ルール)を、歯を食いしばってでも守り抜ける。兵器の本当の恐ろしさと、戦争がもたらす破滅を、歴史の血肉として知っている。」
秋波は、缶コーヒーを軽く揺らした。
「だけど、あの子たちの世界(はいふり世界)はどう? 100年前に海面が上昇して以来、国家間の戦争という概念そのものが消滅している。ブルーマーメイドは確かにエリートだけど、彼女たちが想定している『敵』は、あくまで見境なく撃ってくる『海賊』や『暴走船』に過ぎない。……つまり、彼女たちのメンタルは、『国家間レベルの絶望的な睨み合い』や、『圧倒的な威圧感による抑止(デッドロック)』に耐えられる構造になっていないの」
刈谷室長は、ハッと息を呑んだ。
「……なるほど。相手が撃ってこない、ただ無言で照準(ロックオン)を合わせ続け、徐々に距離を詰めてくるという『現代軍事の心理戦』そのものが……」
「えぇ。戦争を知らない彼女たちの精神(メンタル)にとっては、理解不能な『拷問』だったのよ」
秋波は、寂しそうに笑った。
「パニック映画でよくあるでしょ? 幽霊や怪物よりも、得体の知れない『見えない恐怖』に追い詰められた人間の方が、先に狂って身内の引き金を引いてしまう。……平和な世界で治安維持を担ってきた彼女たちの『戦争のない空白の歴史』が、皮肉にも、自衛隊の圧倒的な重圧に耐えきれず、恐怖に流されて暴発する結果を生んでしまった」
秋波は缶コーヒーを一気に飲み干し、空き缶をゴミ箱に放り投げた。
「だからこそ、堂島1佐や自衛隊の連中が報復のミサイルを撃たなかったことは、奇跡に等しい偉業なんだよ。もしあそこで自衛隊が撃ち返していれば、彼女たちは『ほら見ろ、やっぱり海賊じゃないか!』と自分たちを正当化し、血みどろの殺し合いになっていたでしょう。……だけど、自衛隊は撃たず、ただ仲間を救う姿を見せつけた。その圧倒的な『"防人"の対応』が、彼女たちの正義とプライドを完全に打ち砕いた。」
「……残酷な話だな。誇り高きエリートたちが、自分たちの精神的な未熟さを、身をもって思い知らされたというわけか」
刈谷室長が、重苦しい声で呟く。
「それが『次元が交わる』ってことの恐ろしさよ。兵器の性能差よりも、歴史が育んだ『精神(メンタル)の差』が、一番厄介なの」
秋波は、岸壁から少し離れた海上に浮かぶ、小さな駆逐艦『晴風』を見つめた。
甲板では、明乃やましろたち高校生の少女たちが、警務隊に連行されていった真冬たちブルーマーメイドの人間達を案じながら、身を寄せ合っているのが見えた。
「……だけど、あの子たち(晴風の乗員)は違った。大人の部隊が恐怖でパニックを起こす中、あの16歳の女子高校生は、狂気と死が交錯する射線のど真ん中に、自らの意志で船を割り込ませた。……大したものよ、晴風乗員達(あの子たち)は」
秋波の口元に、微かな、しかし心からの敬意を込めた笑みが浮かんだ。
「戦争の歴史を持たない世界の大人たちが絶望に屈した海で、同じ世界の子供たちが、勇気一つで最悪の戦争を止めたのよ。……刈谷室長。これから始まる取り調べと交渉、絶対に『魔女狩り』にはさせてならないわ。彼女たちにも、守るべき世界と誇りがあるんだからな」
「言われるまでもない。高瀬総理も、そのつもりだ」
刈谷はネクタイを締め直し、力強く頷いた。
夜の横須賀基地。
海風が冷たさを増す中、二つの世界が初めて真っ向から衝突し、そしてギリギリで踏みとどまったこの長い一日は、歴史の分岐点として、関わった全ての人間たちの心に深く、重い爪痕を残して静かに暮れていった。