ハイスクール・フリート Cross World War 作:冬吉
**2026年5月1日 午後10時05分**
**海上自衛隊 横須賀基地・吉倉桟橋 特異事象研究チーム仮設テント前**
秋波が、夜の海に向けて独り言のように深い考察を口にしていた、まさにその時だった。
「秋波さん!! 秋波さんッ!!」
基地内に設営された特異事象研究チームの仮設テントから、白衣を着た栞が、息を切らしながらノートパソコンを抱えて猛ダッシュで駆け寄ってきた。
「どうしたの、そんなに慌てて。自衛隊の敷地内で走ると、警務隊(MP)に怒られるわよ」
秋波が、からかうように振り返る。
しかし、栞の顔は興奮で真っ赤に紅潮し、目は異様な光を放っていた。
「わ、分かりました……! 特定したんです!!」
栞は、抱えていたノートパソコンの画面を秋波と刈谷室長に突きつけた。そこには、複雑な数式と、激しく波打つ磁場データのグラフが表示されている。
「P-1哨戒機が観測した八丈島東方沖の『次元磁気嵐』の波形データと、接岸した『みくら』『べんてん』の通信ログに残っていた微弱な残留ノイズを照合しました! さらに、昨日『晴風』から提供してもらった彼女たちの世界の天体配置データをスーパーコンピューターに突っ込んで逆算した結果……! 『晴風』『みくら』『べんてん』がいた世界の、正確な【次元座標】を完全にロックオンしました!!」
「……ほう」
その報告を聞いた瞬間、飄々としていた秋波の目の色が、獲物を見つけた肉食獣のように鋭く光った。
「次元座標の特定だと……!? つまり、あの『空間の穴』がどこに繋がっているのか、完全に把握したということか!」
刈谷室長が、信じられないというように声を上げる。
「はい! もちろん、こちらから物理的な『扉』を開いて行き来するような技術は、まだ我々にはありません! しかし、ピンポイントで空間の歪みに『電波(シグナル)』を撃ち込むことなら……!」
栞の言葉に、秋波はニヤリと深く、不敵な笑みを浮かべた。
「分かったわ」
秋波は、岸壁に静かに係留されている巨大な黒と白の三胴船を指差し、静かに、しかし確かな野心を持って命じた。
「その『みくら』と『べんてん』を指揮している場所と……交信(リンク)できるかしら?」
「……っ!!」
栞は一瞬息を呑んだが、すぐにキーボードを激しい勢いで叩き始めた。
「……相手の艦隊を指揮しているということは、超強力な通信設備を持った『中央指令部』のような場所のはずです! 『べんてん』の高出力アンテナを中継器(ルーター)として強制リンクさせ、そこに海自の広域通信網(JADGE)の出力を束ねて次元の壁に叩き込めば……理論上は、音声通信のパスを繋ぐことは可能です!!」
「秋波さん! 正気ですか!」
刈谷室長が、慌てて秋波の白衣を掴んだ。
「相手の最高司令部と直接通信を開く気か!? そんなこと、総理の許可もなしに――」
「許可なら後で事後承諾をもらうわよ。それに、総理だって喉から手が出るほど欲しい『ホットライン』のはずよ」
秋波は刈谷の手を振り払い、夜空を見上げた。
「……考えてもみなさい、刈谷室長。向こうの海の"人魚達"(ブルーマーメイドの中央機構)は今頃、自分たちの最新鋭艦が二隻も『神隠し』に遭って、大パニックを起こしているはずよ」
秋波の脳裏には、まだ見ぬ異世界の指導者たちの姿が浮かんでいた。
「そして、拿捕した真冬艦長たちがどれほど『責任は自分たちにある』と腹を括っていようと、向こうの親玉が『日本が我が国の艦隊を拉致した!』と誤解して全軍を挙げて攻めてくれば、今度こそ本当の戦争になる。……そうなる前に、こちらから『第一報』を入れてやるのが、一主権国家的な礼儀ってやつでしょ?」
刈谷室長はギリッと奥歯を噛み締め、そして、深く息を吐いて携帯電話を取り出した。
「……分かった。官邸には私から話を通す。総理と防衛大臣を、通信回線に同席させろ」
「話が早くて助かるわ」
秋波は笑い、助手に向き直った。
「やれ。横須賀(ここ)と、市ヶ谷(防衛省)、そして首相官邸の回線を直結しろ。……異世界の『海を護る親玉』に、2026年の日本国政府からの、初めての国際電話(コール)を掛けてやろうじゃない。」
「了解しました! 回線構築、急ぎます!!」
栞が仮設テントへと駆け込んでいく。
夜の横須賀基地。
警務隊によるブルーマーメイド隊員の拘束という重苦しい事後処理が進む裏側で、二つの世界を隔てていた分厚い「次元の壁」が、人類の技術によって今、一本の『電話線』として繋がれようとしていた。
その通信の先にあるのは――。
数時間前、東京湾の統括管制艦CICで、妹たち(真冬とましろ)の消失に腸をちぎられるような思いで耐えていた、ブルーマーメイドの最高責任者・宗谷真霜(むねたに ましも)のいる場所である。
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**もう一つの世界(はいふり世界)――東京湾上**
**ブルーマーメイド・統括管制艦(中央管制機構)**
司令部を支配していたけたたましい警報音はすでに鳴りやみ、代わって、鉛のように重く冷たい静寂が空間を押し潰していた。
ブルーマーメイドの最高意思決定機関であるこの場所には、厳しい訓練と教育を修了した20歳以上の成人女性からなる、海を護るプロフェッショナルたちが集結している。しかし今、彼女たちの顔には一様に深い疲労と、未知なる脅威への絶望が色濃く張り付いていた。
正面のメインモニターには、横須賀女子海洋学校の校長室が映し出されている。
そこに座る**宗谷真雪(むねたに まゆき)校長**もまた、普段の温和な笑みを完全に消し去り、血の気の引いた顔で沈痛な面持ちを浮かべていた。
「……宗谷校長。現在までのところ、八丈島東方沖で消失した改インディペンデンス級『みくら』および『べんてん』からの救難信号(SOS)は、一切確認されていません」
安全監督室トップの宗谷真霜(むねたに ましも)は、手元のコンソールを強く握りしめながら、画面越しの母へ……今は上官として、極めて事務的な声で報告した。
「周辺海域への捜索隊の派遣は、二次被害を避けるために見合わせています。……5日前の『晴風』消失に続き、主力艦艇二隻のロスト。事態は最悪です」
画面の向こうで、真雪校長が深く目を閉じた。
「……そう。ありがとう、宗谷監督官。ブルーマーメイドの威信にかけて、彼女たちの捜索と事態の解明を急ぎましょう」
毅然とした「校長」としての言葉を紡いだ後。真雪は一瞬だけ、誰にも聞こえないような微かな声で、モニター越しの長女に語りかけた。
「……お母さんは、信じてる。ましろも、真冬も……絶対に生きて帰ってくると」
その「母」としての言葉に、常に冷徹な真霜の瞳が微かに揺れた。
「……はい。私も、そう信じています」
二人が、互いの心を繋ぎ止めるように視線を交わした、まさにその瞬間だった。
**『警告! 警告! 統括管制艦のメインサーバーに、外部からの未承認アクセス!』**
司令部のオペレーターのブルーマーメイド隊員が、悲鳴のような声を上げた。
「アクセス……!? ハッキングされたという事ね! 回線を物理的に遮断しなさい!」
真霜が即座に命じるが、オペレーターの指が空を切る。
「だ、ダメです! 防壁(ファイアウォール)が全く機能していません! 相手の暗号化技術、我々のシステムの数世代……いえ、数十年先を行っています! システム全体が強制的にオーバーライド(乗っ取り)されていきます!!」
「馬鹿な……! ブルーマーメイドの中枢システムが、こうも簡単に……!」
大人である司令部の幹部たちが狼狽する中、司令部の全てのモニターから戦術データが消え去り、ノイズの嵐が走った。
そして。
『――繋がったな。こちらからの干渉を済ませる、少々荒っぽい挨拶になったことを詫びよう』
スピーカーから、重厚で、一切の感情を排した大人の「男性」の声が響き渡った。
女性のみで構成されるブルーマーメイドの通信回線に、男の声が響くこと自体が異常事態である。
「貴方は……何者ですか。どこからこの回線に侵入したの!」
真霜は、ハッキングへの驚きを無理やりねじ伏せ、鋭く問い詰めた。
『我々は、日本国政府。……ならびに、防衛省・海上自衛隊である。現在我々は、貴方たちが「5日前」と「本日」に喪失した艦艇の乗員たちと共にいる』
「日本国……政府? 自衛隊……?」
真雪校長が、モニター越しに呆然と呟く。そのような組織は、彼女たちの歴史(世界)には存在しない。
しかし、相手が放った「喪失した艦艇の乗員」という言葉に、真霜は弾かれたように身を乗り出した。
「晴風の、そして真冬たちの無事を確認したというのですか!? 貴方たちの目的は何です!」
『目的は、事実の共有と「対話」だ。……今からそちらに送る映像は、我々の世界(2026年)における本日午前10時30分過ぎの八丈島東方沖……我々の哨戒機が上空から記録した、嘘偽りなき現実だ。まずはこれを見ていただきたい』
メインスクリーンに、圧倒的な高画質の航空カメラ映像(FLIR)が展開された。
そこに映し出された光景に、真霜、真雪、そしてCICの全隊員が言葉を失った。
春の穏やかな海。
そこに停船しているのは、間違いなくブルーマーメイドの誇る白と黒の最新鋭艦『みくら』と『べんてん』だった。
そしてその正面には、全身を冷たいネズミ色に塗り固め、無数の武装をハリネズミのように搭載した巨大な四隻の「未知の軍艦」が、恐ろしいほどの威圧感を放ちながら立ち塞がっている。
「なんだ、あの巨大な艦は……。あんな無骨な戦闘艦、見たことがない……」
幹部たちが息を呑む中、映像は「最悪の瞬間」を映し出した。
『みくら』と『べんてん』の前甲板から、突如として猛烈な炎が吹き上がる。
放たれた8発の噴進魚雷が、一直線に灰色の艦隊へと襲いかかったのだ。
「――っ!! ま、真冬……!? 何てことを……!」
真霜が、信じられないものを見るように目を見開き、愕然と声を震わせた。
相手がどれほどの脅威であろうと、無抵抗で停船している相手に先制攻撃を加えるなど、海の安全を護るブルーマーメイドの理念を根底から覆す大罪である。
映像は続く。
灰色の艦隊から恐るべき速度の迎撃ミサイルが放たれ、空中で魚雷を次々と粉砕。しかし最後の一発が、最後尾の艦(さわぎり)に激突し、黒煙と水柱が吹き上がった。
自衛隊の艦が、明確に「被弾」し、破壊されたのだ。
「ああっ……!」
司令部のブルーマーメイド隊員たちが、自軍の艦が犯した凶行に悲鳴を上げ、顔を覆う。
直後、灰色の艦隊は全砲門を開き、真冬たちを海の底へ沈めるだろうと誰もが覚悟した。
だが――映像の中の灰色の艦隊は、一発の報復も行わなかった。
彼らは砲口を向けたまま、傷ついた仲間を庇うように巨大な盾として展開し、ただひたすらに救助活動に専念したのだ。
そして、その膠着状態の射線のど真ん中に、小さな『晴風』が猛烈なスピードで割り込み、事態を収束させるまでの全てが、鮮明に映し出されていた。
映像が終わり、通信の向こう側の男――内閣官房特命チームの刈谷室長が、静かに口を開いた。
『……状況は理解いただけたか。貴方たちの世界の「治安維持のプロ」たる大人たちは、見えない恐怖にパニックを起こし、無抵抗の我々に対して明確な殺意を持って引き金を引いた。……我が方の護衛艦は被弾し、現在も多数の隊員が重軽傷を負い、生死の境を彷徨っている』
「……っ」
真霜は、唇から血が滲むほど強く噛み締めた。
反論の余地など一切なかった。大人のプロとして前線に出たはずのブルーマーメイドが暴走し、逆に晴風に乗る16歳の学生たちに助けられるという、あまりにも惨めな現実。
「……申し訳ありません」
真霜が、深く、深く頭を下げた。
「我が方の部隊が、貴方たちにどれほどの被害と恐怖を与えたか……。弁解の言葉もありません。ですが、なぜ……なぜ貴方たちは、反撃をしなかったのですか。あれほどの武力があれば、べんてん・みくらを、真冬たちを沈めることなど容易かったはずです。」
真霜の震える問いかけに、通信の向こう側で、別の人物がマイクを握る気配がした。
『――我々自衛隊の目的は、敵を沈めることではないからです。宗谷監督官』
それは、現場でその極限の判断を下した張本人、第5水上戦隊司令・堂島1佐の、重く静かな声だった。
『貴方たちの世界は、100年前の日露戦争そして欧州動乱以降、国家間の「戦争」という概念が存在しないと聞いている。……海賊や暴走船を取り締まる貴方たちの職務は尊い。だが、我々が生きるこの2026年の現実は、貴方たちの世界よりも遥かに過酷で、残酷だ』
堂島の声には、歴史の血肉として刻み込まれた、途方もない重圧が滲んでいた。
『我々の世界には、核兵器という一発で大都市を焦土に出来る兵器を持ち、常に互いを監視し合う巨大な国家群が存在する。一つの過ち、一発のミサイルが、数千万、数億の命を灰にする「全面戦争」を引き起こしかねない盤面の上で、我々は常に生きている。……我々が背負い、護っているものは、「目の前の海の安全」だけではない。"1億2千万の日本国民の生命"と、"国家の独立"そのものだ。』
司令部の者達は、堂島の言葉のスケールの大きさと、その背後にある「血塗られた歴史の重み」に、圧倒されて言葉を失った。
『我々の誇りは、どれほど強力な兵器を持とうとも、決して自ら戦端を開かないことにある。「専守防衛」……それは時に、自分たちが先に血を流すことを強要される、残酷な鎖だ』
堂島の声が、静かに、しかし凄まじい熱を帯びて司令部に響き渡る。
『有事の際、我々自衛官は、敵を殺すために海へ出るのではない。……自ら危険を顧みず、国民の盾となり、己の”命を落とす覚悟”をもって事態対処に当たる。我が身が吹き飛ばされようとも、決して報復の感情に流されず、この国を戦争に巻き込まないために耐え抜く。……それが、この過酷な世界で我々が背負っている「防人の責任」だ』
「……己の命を落とす覚悟……報復の感情に流されない、責任……」
真霜は、その言葉を反芻し、自身の未熟さに打ちのめされる思いだった。
圧倒的な武力を持ちながら、撃たれてもなお引き金を引かず、仲間の救助を優先した灰色の艦隊。
それに比べて、自分たちの部隊はどうだったか。相手の威圧感という見えない恐怖に耐えきれず、自らの命を惜しみ、パニックに任せて引き金を引いたのだ。
「海を護るプロ」を自称していた自分たちの覚悟が、いかに浅く、薄っぺらいものであったかを、この異世界の軍人は行動と血をもって突きつけてきた。
『……現在、貴方たちの艦艇と全乗員は、我が国の厳重な監視下のもと、横須賀基地にて保護、ならびに拘束している』
刈谷室長が通信を引き継いだ。
『我々は彼らを捕虜として扱うつもりはない。だが、流された血の責任は、法と対話によって厳正に取ってもらう。……そちらの日本政府に伝えろ。次元の壁を越えた「外交協議」のテーブルにつく準備をしろ、とな』
「……承知、いたしました。日本国政府の寛大な処置と、自衛隊の皆様の崇高な忍耐に、心より敬意と感謝を表します」
真霜は、敗北と後悔、そして深い敬意を込めて、見えない通信の向こう側へと深々と敬礼した。
通信が途切れ、司令部のモニターが元の静かな波形に戻る。
しかし、空間を支配する空気は完全に変わっていた。
未知の恐怖に怯える段階は終わった。
彼女たちがこれから向き合わなければならないのは、怪獣でも次元の嵐でもない。
血を流してでも平和を護り抜くという、凄絶なまでの覚悟と武力を持った「2026年の防人たち」が支配する、冷酷で強大な世界そのものであった。