ハイスクール・フリート Cross World War 作:冬吉
**2026年5月2日 午前7時00分**
**首相官邸・地下危機管理センター(特別通信室)**
日本の政治の中枢。
その最も深い場所に位置する極秘の通信室には、かつてないほどの重く、そして歴史的な緊張感が張り詰めていた。
正面の壁を覆う巨大なメインスクリーン。
その画面の向こう側に繋がっているのは、アメリカでも、ロシアでも、国連でもない。特異事象研究チームの秋波たちが昨晩、次元の壁をハッキングしてこじ開けた「もう一つの日本(はいふり世界)」の政府中枢である。
会議のテーブルの中央に座るのは、**高瀬総理大臣**。
その両脇を固めるのは、日本政府の要である**菅野内閣官房長官**と、自衛隊の最高責任者である**神谷防衛大臣**だ。彼らの手元には、徹夜で作成された膨大な想定問答集と、相手の世界の「常識(歴史背景)」を分析したレポートが山積みになっていた。
スクリーンが起動し、暗号化通信の最終調整が行われるまでのわずかな待機時間。
高瀬総理は、深く息を吐き出すと、手元の万年筆を置き、両脇の二人に向けで静かに、しかし重々しい声で呟いた。
「……いいか。最初の協議で、全てが問題なく進むなどとは絶対に思うなよ」
その声には、長年修羅場を潜り抜けてきた政治家としての冷徹な警戒感が滲んでいた。
「相手は同じ『日本』を名乗ってはいるが、歩んできた歴史も、背負っている常識も全く違う国家だ。我々が常識だと思っている国際法や、軍事的な『落とし前』の概念すら、向こうには存在しないかもしれない。……どこで交渉が難航するか、あるいは決裂しかけるか。あらゆるケースを想定しておくべきだな」
「総理の仰る通りです」
神谷が、険しい表情で頷く。
「軍隊を持たない向こうの政府は、自衛隊(我々)の武力を前に極度のパニックと警戒感を抱いているはずです。我々が少しでも強硬な態度に出れば、彼らは恐怖から心を閉ざし、逆に我々が譲歩しすぎれば、昨日の海戦で血を流した国民や現場の自衛官たちが納得しない。……極めて綱渡りの交渉になります」
菅野も、ネクタイを締め直しながら同意した。
「ええ。賠償問題、法的処置、そして何より『次元の穴』を通じた今後の安全保障。……価値観が違う以上、言葉一つで致命的なすれ違いが起きる可能性すらあります」
二人の側近の懸念に対し、高瀬総理は深く頷き、そして、鋭い眼光の奥に「一国のリーダーとしてのブレない信念」を宿して告げた。
「だが……どれほど難航しようとも。どれほど途方もない時間を要してでも、我々は向こうとの『強固な関係構築』を成し遂げなければならない」
高瀬は、テーブルの上で両手を力強く組んだ。
「武力でねじ伏せるのは簡単だ。だが、それでは何も解決しない。我々が昨日、堂島1佐ら現場の自衛官たちの流した血と忍耐によって辛うじて繋ぎ止めた『平和への切符』を、政治の力で無駄にするわけにはいかないのだ。……これは、2026年(このせかい)の我々、日本政府の責任(意地)だ」
「……はい!」
菅野と神谷が、総理の強い決意に深く頷き、姿勢を正した。
『――総理。暗号化通信のパス、安定しました。並行世界(はいふり世界)の日本政府と、回線を直結します』
通信オペレーターの緊張した声が室内に響く。
「繋いでくれ」
高瀬総理の短い命令と共に、巨大なスクリーンのノイズが晴れた。
そこに映し出されたのは、こちらの危機管理センターとよく似た、しかしどこか意匠の異なる会議室。
そして、カメラの向こう側で息を呑み、極度の緊張で顔を強張らせている「もう一つの世界の総理大臣」と、国土交通省・海上安全整備局の長官たちの姿だった。
彼らの背後には、軍事アドバイザーとして急遽呼ばれたブルーマーメイドの宗谷校長と宗谷監督官も控えている。
二つの世界の「日本」が、初めて国家の代表として顔を合わせた瞬間だった。
『……あ、貴方がたが……並行世界の、日本国政府の代表、ですね……』
画面の向こう側の総理が、震える声で口火を切った。
「いかにも。私は、日本国・内閣総理大臣の高瀬だ。……そしてこちらが、神谷防衛大臣と菅野内閣官房長官である」
高瀬総理は、あえて威圧感を与えないよう、しかし国家のトップとしての威厳を崩さない絶妙なトーンで応じた。
「まずは、互いの世界に生きる人類として、このような形で直接言葉を交わせる機会を持てたことを、歓迎したい。……そちらの世界の『海上安全整備局』が直面している困難と混乱については、我々も深く憂慮している」
『歓迎、ですか……。我々の部隊が、貴国に重大な攻撃を加えたというのに……』
向こうの総理が、信じられないというように目を見開いた。
「事実は事実として、これから厳正な協議を行う。だが、我々は貴国と『戦争』をするためにこの回線を開いたのではない。……我々の目的は、二つの世界に生きる人々が、今後どのようにして無用な血を流さずに共存していくか。その『ルール』を共に作ることにある」
高瀬総理の堂々たる宣言に、向こうの政府高官たちが息を呑む気配が、マイク越しにも伝わってきた。
「歴史も、常識も違う。協議は間違いなく難航するだろう。……だが、逃げるわけにはいかない。我々には、海を護り、国を護るという共通の『魂』があるはずだ」
高瀬総理は、カメラのレンズを真っ直ぐに見据えた。
「……さあ、始めよう。二つの世界の未来を決める、歴史的な対話を」
2026年5月2日、午前7時5分。
武力による破滅を退けた日本は、互いの常識とプライド、そして平和への切実な願いを懸けた、前代未聞の「次元間・外交協議」のテーブルへと、遂に着いたのだった。