機動戦士ガンダム ハマーン様、恋をする 14歳の少女が、愛したクズ男に捨てられて、最強の女帝に覚醒するまでの4年間。 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
アクシズの静寂は、死者の溜息によく似ている。
私は一人、ドックの片隅で、地球圏への潜入に使用するシャトルのハッチに手をかけていた。
この岩塊に、キャスバル・ダイクンとしての未練など何一つないはずだった。ジオンの遺産という名の鎖を、私はこれから遠く離れた地球で、別の形に変えて壊しにいくのだ。
「……本当に行くのね」
背後から届いたその声は、重力の薄い通路を滑るようにして私の鼓膜を震わせた。
振り返らなくてもわかる。ハマーンだ。
16歳の彼女は、今やアクシズの摂政として、数万の亡霊を統べる「顔」となった。けれど、その声に含まれた微かな震えだけは、出会った頃のあの危うい少女のままだった。
「ああ。私は、キャスバル・ダイクンに戻る。……いや、あるいは別の何かに。アクシズの『シャア・アズナブル』は、ここで一度死ぬということだ」
「別の何か? クワトロ……バジーナとでも名乗るつもり?」
彼女がゆっくりと歩み寄る。
視線が、交差する。
彼女の瞳には、怒りと、それ以上に深い、引き裂かれそうなほどの喪失感が渦巻いていた。
指先が、私のパイロットスーツの袖を微かに掠める。
その爪に塗られた銀色のマニキュアが、ドックのナトリウム灯に照らされて、凍りついたナイフのように鋭く光った。
「私を捨てて、一人で『革新』の中へ消えるつもりね。……私を、アクシズという名の檻に閉じ込めたまま」
「捨てはしない。君は、ジオンの遺産を守るための最高の盾だ。私が戻るべき場所を、君が作ってくれているのだと信じている」
「嘘よ。貴方は戻るつもりなんてない。貴方の瞳に映っているのは、私じゃないもの。ずっと遠い、宇宙の深淵にある、誰にも届かない場所……」
ハマーンが、私の胸元を強く掴んだ。
指先が震えている。
それは摂政としての怒りではなく、一人の女として、私の不在という未来を拒絶しようとする子供のような抵抗だった。
ニュータイプとしての共鳴が、意図せず私たちの意識を繋いでしまう。
(私を、一人にしないで。シャア。私を置いていかないで。私を、誰の『代用品』でもない、ハマーンとして抱いて――)
彼女の剥き出しの悲鳴が、脳内に直接流れ込んでくる。
そのあまりに純粋で、あまりに身勝手な祈りに、私は一瞬だけ息を呑んだ。
けれど、私は彼女の手を、優しく、けれど決定的な拒絶を込めて解いた。
「(……すまない、ハマーン。私は、君の隣にいることはできないのだ)」
「……っ。貴方って、本当に、救いようがないわ」
彼女の手が、力なく離れていく。
銀色の爪が、私のグローブの上を冷たく滑り落ちた。
彼女は「私を捨てないで」という喉元まで出かかった言葉を、無理やり飲み込んだ。
代わりに、彼女の表情は、一瞬で鉄の仮面を被ったかのような無機質なものへと変貌した。
「行きなさい。キャスバル・ダイクン。貴方がこのアクシズを捨てて、何を手に入れるのか、私はこの場所から見届けさせてもらうわ」
「ハマーン……」
「貴方がいない間、私は貴方が壊したかったこの『ジオン』を、誰の手にも渡さない、完璧な武器に育て上げる。……貴方が戻ってきたとき、後悔させてあげるわ」
彼女は一度も振り返らずに、ドックの奥へと歩き出した。
その背中を追いかけるように、バインダーのように大きな彼女の心情が、透明な重圧となって周囲の空気を歪ませる。
彼女の歩みに合わせて、床を叩くヒールの音が、死の行進のように虚しく響き渡った。
宇宙世紀0083。
私は紅の亡霊となって、孤独な闇へと身を投じる。
シャトルのハッチが閉まる瞬間、モニターに映った彼女の小さな影が、銀色の真珠のように一際強く輝いて、そして消えた。
地球圏の重力に惹かれる私の心は、すでに、彼女が守ろうとした赤色を忘れ始めていた。