機動戦士ガンダム ハマーン様、恋をする 14歳の少女が、愛したクズ男に捨てられて、最強の女帝に覚醒するまでの4年間。 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
アクシズを離脱したシャトルの中で、私は自身の頬に残る熱を、真空の冷たさに委ねようとしていた。
あのテラスで交わした最後の「偽りの口づけ」。
私の皮膚を裂いた彼女の銀色の爪。
その傷跡はもう塞がっているはずなのに、クワトロ・バジーナという新たな仮面を被った私の内側で、それは今も疼き続けている。
「……大尉。エゥーゴ本隊との合流まで、あと120分です」
サブフライトシステムに固定された百式の傍らで、若い操縦士が声をかけてくる。
私は返事をせず、モニターに映るノイズの向こう側を見つめていた。
そこには、私が置いてきた17歳の摂政の、壊れそうに鋭い視線が焼き付いている。
「(……ハマーン。君は今、何を見ている? 私が与えたあの白磁の機体、キュベレイのコックピットで、君は誰を呪っているのだ)」
脳裏に浮かぶのは、アクシズの工廠で交わした視線の交差。
決定的な断絶。
彼女は私の「赤」を忘れられないと言った。
だが、今の私は、その赤さえも金色の装甲の下に隠し、過去の亡霊から逃げ続けているに過ぎない。
その時、私のニュータイプとしての感覚が、微かな「震え」を感知した。
それは物理的な振動ではない。
遥か遠く、アクシズの暗闇から放たれた、私を射抜くような強烈な意思。
サイコミュの共鳴が、意図せずして私の意識を、かつての「図書室」へと引きずり戻す。
(シャア……。貴方の逃げた先には、何もないわ。貴方が見上げている星の光も、私の絶望が反射しただけの偽りよ)
ハマーンの、冷徹に研ぎ澄まされた思考。
視界が歪む。
コックピットの計器類が、放課後の冷たい教室の机へと塗り替えられていく。
そこには、彼女がいた。
銀色のマニキュアを施した指先で、紫色のインクが詰まったペンを握りしめ、私の名前を何度も、塗り潰すように書き殴っている。
(見て。私の爪が、もう銀色ではいられないのを。貴方が私を突き放したあの夜から、私の心には、拭い去れない『紫』の影が落ちているのよ)
「……っ」
私は目を見開いた。
共鳴の果てに視えた、彼女の指先。
あの銀色の輝きは、もはや濁り、後の第一次ネオ・ジオン抗争で世界を震撼させることになる、あの禍々しい「紫」へと変質を始めていた。
それは、私への恋心が完全に死に絶え、純粋な「執着」という名の毒に変わった証拠。
「(……すまない、ハマーン。私は君に、絶望という名の王冠を被せてしまった)」
私はレバーを握り締めた。
指先が震えている。
それは死への恐怖ではない。
一人の少女を、完璧な「亡霊」へと仕立て上げてしまった自分自身の、救いようのない罪悪感。
「大尉? どうされましたか、顔色が……」
「……何でもない。ただの、宇宙酔いだ。よくあることだと言っただろう?」
私は、自身のクズな独白を、百式の金色の装甲の中に封じ込めた。
宇宙世紀0087。
グリプス戦役の戦火が、すぐそこまで迫っている。
私はエゥーゴの男として、カミーユ・ビダンという新たな「光」を導く役割を演じなければならない。
だが、その光の裏側には、常にハマーン・カーンという名の巨大な闇が、私を飲み込もうと口を開けて待っている。
「百式、最終チェック。……出るぞ。地球の重力に魂を引かれた者たちを、私が、撃たねばならんのだからな」
カタパルトが唸り、私は漆黒の闇へと加速する。
背後で消えていくアクシズの残響。
私は、彼女がいつかその紫色の指先で、私の喉元を掻き切る日を、心のどこかで待ち望んでいたのかもしれない。
百式の金色の輝きは、暗黒の宇宙の中で、ただ虚しく、逃亡者の軌跡を描き続けていた。