機動戦士ガンダム ハマーン様、恋をする 14歳の少女が、愛したクズ男に捨てられて、最強の女帝に覚醒するまでの4年間。 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
アクシズの技術区画は、凍りついた時間の墓場のようだ。
剥き出しのパイプ、古びた電子機器の排熱、そして重油の混じった重たい空気。
その一角、作業用デスクの上に広げられた巨大なホログラム・モニターが、青白い光を私たちの顔に投げかけていた。
「この肩部のスラスター配置、リグ・ジャディエのデータと比較しても、機動性に無理があるとは思わないか」
私は、端末の数値を指先で弾きながら問いかけた。
隣に座るハマーンの熱気が、狭い作業机の下で私の脚に微かに触れる。
彼女は今、技術者としての顔をしていた。第3話のあの日、戦場で見せたあのパニックに陥った学徒兵の面影はどこにもない。彼女は、私の隣に立つ資格を得るために、驚異的な速度でこの「機械の言語」を学習し、吸収していた。
「……いいえ。AMX-003――ガザCの量産化を視野に入れるなら、むしろこの変形シークエンスにおける負荷分散こそが課題よ。シャア、貴方はいつも『速さ』ばかりを求めるけれど、兵器として必要なのは生存率でしょう?」
「生存率、か。……君は、私に死んでほしくないということかな」
冗談めかして言うと、ハマーンのペンを持つ指先が、ぴたりと止まった。
彼女の視線が、ゆっくりとこちらを向く。
青白いモニターの光を反射して、彼女の瞳が、まるで深海に沈んだ真珠のように怪しく、けれど脆く煌めく。
視線が、交差する。
互いの息遣いだけが、重機が唸る工場区画の騒音を塗り潰してゆく。
彼女の頬が微かに上気し、唇が何かを紡ごうとして、言葉にならないまま震えた。
「……当たり前よ。貴方は、私の『機動』そのものなんだから」
その声は、酷く小さくて、けれど私の耳の奥に熱い鉛のように染み込んできた。
彼女の左手、デスクの端を握る指先。
そこには、アクシズの乏しい物資の中から彼女が見つけ出したのだろう、淡い真珠色のマニキュアが塗られていた。
まだ拙い、慣れない手つきで塗られたその輝き。
私に好かれたいという、14歳のあまりに純粋で、あまりに身勝手な祈りの結晶。
私は、無意識に手を伸ばしていた。
彼女の桃色の髪に、そっと触れる。
その柔らかな感触。
指先に伝わる体温は、かつてサイド7で離れ離れになったアルテイシアの面影を、残酷なほど鮮明に呼び起こす。
「(……ああ、そうだ。お前も、こうして私を真っ直ぐに見ていたな、アルテイシア)」
私の瞳に映っているのは、目の前のハマーンではない。
宇宙(そら)の彼方へ消えた、たった一人の肉親の幻影だ。
私は彼女を愛しているのではない。彼女の瞳の奥に、自分が捨て去ったはずの「過去」という名の聖域を、都合よく重ね合わせているだけなのだ。
「シャア……。貴方の指先、どうしてそんなに震えているの?」
「……。アクシズの空調が、少しばかり効きすぎているのかもしれないな」
私は、嘘を吐いた。
彼女が私の指先に触れる。
真珠色の爪が、私の手甲の上で微かな弧を描く。
その瞬間、ニュータイプとしての共鳴が、意図せず私たちの意識を繋いでしまう。
一瞬、工場の風景が消えた。
誰もいない、夕暮れの放課後のような、黄金色の静寂。
そこには戦火も、ジオンの遺産も、摂政の責務もない。
ただの14歳の少女と、22歳の孤独な男が、机を挟んで向き合っているだけの、有り得たかもしれない、けれど絶対に有り得ない偽物の記憶。
「……シャア。私を見て。貴方の瞳に映っているのは、誰?」
ハマーンの声が、鋭く、悲しげに私の意識を現実に引き戻した。
彼女は気づいているのだ。
私の優しさが、彼女個人に向けられたものではなく、死者や行方不明者への未練の「代用品」であることを。
けれど彼女は、その震える指先を離そうとはしない。
泥沼に沈む者が、最後の一本の藁を掴むように、彼女は私のクズのような愛に縋り付いている。
「君だよ、ハマーン。……今の私の視界にいるのは、君だけだ」
私は、さらに大きな嘘を重ねた。
彼女はそれを分かっていて、けれど、嘘でもいいからと言わんばかりに、私の掌に自分の頬を寄せた。
「……嘘つき。でも、その嘘に一生騙されてあげるわ」
真珠色のネイルが、私の指と絡まり合う。
私たちは、新型MSの設計図という名の「未来」を囲みながら、お互いに「過去」を食い潰し合うことでしか繋がれない、歪な亡霊同士だった。
工場の外では、リグ・ジャディエの残照のように、古いジオンの残光がゆっくりと消えゆこうとしていた。
宇宙世紀0081。
それは、真実を語るにはあまりに幼く、沈黙を守るにはあまりに孤独な季節。
「(……いつか、君は私を殺したくなるだろうな、ハマーン)」
私は彼女の髪を撫で続けながら、自分自身の冷徹な予感に、ただ黙って目を閉じた。
これが、最高に甘酸っぱくて、最高に心根の腐った、私たちの「設計」の始まりだった。