機動戦士ガンダム ハマーン様、恋をする 14歳の少女が、愛したクズ男に捨てられて、最強の女帝に覚醒するまでの4年間。 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
アクシズの居住区には、太陽がない。天井を這う発光パネルが、規則正しく昼と夜を模倣している。その無機質な光の下で、私たちは「家族」という名の、あまりにも不格好な演劇を演じることになった。
「シャア、見て。ミネバ様、この絵本をもう覚えてしまわれたわ」
ハマーンが、ソファに座る小さな少女を慈しむように見つめて言った。
ドズル・ザビの遺児、ミネバ・ラオ・ザビ。
3歳になった彼女は、アクシズの亡霊たちが縋り付く「偶像」として、あまりに聡明に育ちすぎていた。彼女の自由を奪うのは、敵の弾丸ではなく、周囲の大人が向ける「期待」という名の無色透明な鎖だ。
「……フフ、そうだな。私より、よほどジオンの歴史に詳しい『主君』になりそうだ」
私は冷めた合成コーヒーを啜りながら、膝を折ってミネバと同じ目線になるハマーンを眺めた。
15歳のハマーン。ついこの間まで少女だった彼女が、自分よりひと回りも小さなミネバの手を引き、言葉を教える。その姿は、微笑ましい姉妹のようでありながら、どこか「教育者」という冷徹な仮面を被らされているようでもあった。
彼女の指先が、ミネバの柔らかな髪をなぞる。
真珠色のマニキュアが、幼子の純真な瞳に映り込み、不吉な煌めきを放っていた。
「ねえ、シャア。私たち、こうしていると本当の……」
彼女が言葉を切り、視線を上げた。
交差する、熱を持った視線。
狭い居住ユニット。ミネバが散らかした積み木が、足元に転がっている。それはまるで、誰もいない雨の午後に、こっそり大人たちの真似事をして遊んでいる中学生のような、逃げ場のない親密さ。
彼女の瞳が、私という「赤い彗星」の中に、彼女だけが信じたい「安らぎ」を見出そうとして震えている。
「僕たちの子だと思えばいい。そうだろう? ハマーン」
私は、わざと残酷な言葉を選んで投げつけた。
冗談に紛れ込ませた毒。
3歳のミネバを「自分たちの子供」という枠に押し込めることで、私たちが絶対に「本物」の幸せを掴めないことを、再確認させるための予防線。
「……ひどい人。ミネバ様は、ザビ家の……皆の希望なのよ」
ハマーンの指先が、ぴくりと跳ねた。
彼女は傷ついたことを隠すように、ミネバの小さな手を握り締める。
その横顔に浮かぶのは、母性というにはあまりに若く、忠誠というにはあまりに情熱的な、歪な「責任感」だった。
「でも、いいわ。偽物でも、ごっこ遊びでも。私は、貴方がその仮面を外して、この子の父親のように……私を導く人のように振る舞ってくれるなら、どんな嘘にだって魂を売る」
「嘘に魂を売る、か。……君は、私という人間を過大評価しすぎている。私はただの、流れ星の燃えカスに過ぎないのだよ」
「嘘つき。貴方は、燃え尽きるふりをして、私まで一緒に焼こうとしているくせに」
ハマーンが立ち上がり、ミネバを座らせたまま、私に一歩歩み寄った。
3歳の主君が見守る前で、摂政の娘が、一人の男の軍服の裾を掴む。
震えている。
それは、ミネバの成長と共に「ザビ家を背負う」という逃れられぬ運命への恐怖なのか、それとも、この男を「家族」として繋ぎ止めたいという、狂おしいほどの渇望なのか。
「シャア……。私、この子を立派な指導者に育ててみせる。でも、私を……『私』を独りにしないで。このまま、時間が止まればいいのに」
彼女の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
私はその涙を拭う代わりに、彼女の細い肩を抱き寄せた。
指先に伝わるのは、15歳の少女が背負うには重すぎる、ジオンという名の墓標の重み。
「(……ああ、ハマーン。君はこうして、少女であることを捨てていくのか)」
私は、彼女の桃色の髪に顔を埋めた。
そこには、ミネバと一緒に遊んだ時に付いた、微かなクレヨンの匂いが残っていた。
私たちは、巨大な宇宙(そら)の迷子だ。
未来などどこにもない。
ただ、3歳の少女が「おうちに帰りたい」と零す、その無垢な願いさえ叶えてやれないまま、お互いの孤独を餌にして生きている。
「……いいだろう。今はまだ、この夢の続きを見よう、ハマーン」
私はさらに強く彼女を抱きしめた。
私の腕の中で、少女の純粋な恋心が、ミネバを「盾」にして私を繋ぎ止めようとする執着へと変質していく。
宇宙世紀0082。
ザビ家の残響は、3歳のミネバの無邪気な笑い声と共に、私たちの「家族」を、取り返しのつかない破滅へと誘っていった。