「ねーねー、一緒に遊ぼうよーっ!」
「えー……今日暑いじゃねえか、絶対やだよ」
「だーめー!! キミも一緒に来るのっ! 絶対!」
「いや、ミライと遊んだらいっつも……どわぁ! おい、掴むなよ! 分かったから!」
──俺の人生には、必ず瀬名ミライという女が付いて回る。
髪を短くし、夏冬問わず半そでシャツと半ズボンで外を駆ける──野性児のような少女だった。
彼女に手を引っ張られ、あちこち連れ回され、泥だらけのまま帰宅して親に怒られたのは一度や二度ではない。
走るのが好きだったミライは、順当に中学で陸上部に入り、肌は見事にこんがりと焼けてしまった。
そして背があまり伸びなかったからか、中学を卒業して高校になっても一向にちんちくりんのままだった。
「……ねーねー、制服カッコいいでしょ? ボクちょっとは大人っぽくなったと思わない? セクシーに見える?」
「ミライ。どうまかり間違ってもそれだけは無い、オマエには致命的に色気が無い」
「むー……ッ。ふん! 良いもんね! そんな事言うなら、さっさとボク……彼氏を作ってやるんだから! 後悔しても遅いんだからーっ!」
「へーへー、せいぜい頑張ってくださいねお嬢様」
「あーっ!! バカにして!!」
そんなわけなので、これだけ長い事一緒に居ながら、俺はミライを「そういう目」で見たことは只の一度も無かった。
性格は子供っぽいし、見た目も子供っぽい。
何より、家も隣で会わない日の方が稀となれば、最早妹のように見てしまっているのだ。
故に、俺がミライとそういう関係になる事は永遠に無い──と思っていたのだ。
「……んにゃ……む……」
──さて。
前置きはこの辺にしておこう。
今、俺のベッドには一糸纏わぬ姿のミライが寝息を立てている。
「……おはよ」
俺が起きたのに気付いたのか、目を擦りながら彼女は起き上がる。
そして──少し恥ずかしそうにはにかんだ。
「えーと……
本当に……どうしてこうなった?
※※※
「たのもーうっ!! 鷹斗ーっ!!」
──事の始まりは1ヵ月程前。
この俺、加古川 鷹斗は帰宅部で家二帰ると宿題をして夕食を作るのが日課だった。
そんなわけでカレーを作っているとインターホンが鳴ったので出ると、部活帰りのミライだった。
彼女は妙に得意げに無い胸を張りながら指でVマークを作る。
「いやー、ボクさ。明日、告白するんだよねー!」
と、耳を疑うような宣言をして来たのである。
女らしさだとか色気だとか、ましてや恋愛だとかから無縁だと思っていたミライの驚くべきホームラン予告に俺は問い返す。
「それを何で俺にわざわざ……? オマエが誰と付き合おうが俺には知ったこっちゃないし」
「言ったでしょ? 絶対カレシ作って見返してやるって!」
「俺は今カレーを作ってるがな」
「この漂うカレー臭の正体はそれか……いや、無理矢理カレーとカレシを並べないでよ! ボクの一世一代の告白はカレーと同列なの!?」
「そういうオッサンみたいな受け答えしてるとフラれんぞ」
「オッサンじゃないやい! てか、上手くいくに決まってる! 友達にも相談したし、何回も練習したんだよ、何なら授業中もイメトレを欠かさなかったからね!」
「最近授業中にボーっとしてると思ったらそれか、てっきり飯の事を考えてると思ったわ」
「キミの中でボクはどんな食いしん坊なんだよ」
「俺なんて午前10時くらいから既に昼飯の事を考えているし、15時くらいに既に晩飯の事を考えている。男子高校生のハラペコっぷりを舐めるな」
「それで英語の時間に先生に当てられたら”Curry rice”ってやたら良い発音で言ってたのか、皆呆れてたよ。言っとくけど皆が皆ランボルギーニみたく燃費が悪いと思わないでよね」
仕方がないと弁明させてほしいところである。授業中に朧げに浮かんできたのだ。カレーの三文字が。
それに俺はランボルギーニのようにカッコよくはない。例えは不適当だ。強いて言うならジムニーといったところだろう。
「……いや、違うんだよ。そんな話をしに来たんじゃないんだよ」
「何だよ、ふらふら話題を変えやがって。オマエの人生は迷子か?」
「キミだよ!! ふらふら話題変えたのは!! てかキミにだけは人生の迷子とか言われたかないんだけどね!?」
「カレー作りに戻って良い?」
「ダメ!!」
ギャンギャンと子犬のように喚くやつである。昔っからこうなのだ。
「よくも今まで散々、やれ色気が無いだのセクシーとは無縁だの言ってくれたな! その屈辱の日々もこれでオサラバ!!」
何故こいつはまだ勝っていない戦なのに、此処まで自信満々でいられるんだろうか。
一応、相手の事を聞くことにする。せめて、悪いヤツではないことを祈ろう。
「陸上部の先輩だよ。すっごくカッコよくてイケメンでさー! しかも優しいの! どっかの誰かとは大違い!」
「そりゃあ良かった」
参った。知らない人だ。まあ、同じ部活の先輩ならある程度素性も気心も知れてるんだろうし良いんだろうが。
「なにその塩反応ーッ!!」
「だから言っただろ、オマエが誰と付き合おうが俺は気にしない、むしろ祝うべき事だろ。おめでとう、おめでとう、おめでとう」
「世界一感情の籠っていない”おめでとう”だ!! これならまだ反対された方がマシだった!!」
「何だよ反対してほしかったのか? かまちょかオマエは」
「違うよ!! 幼馴染のあまりにも冷淡な反応に涙が出そうなんだよ!!」
「そりゃあ多分、さっき切った玉ねぎの所為だ。今日のはいっとう強烈でな。ゴーグル無しではとてもではないが……」
「成程、それでさっきから目がひりひりしてたのか、道理で……!」
それで納得するんかい。
「とにかく今に見てろ! 校内でも有数のラブラブカップルになってやるんだからねーッ!!」
捨て台詞を吐きながらミライは走り去っていった。
そして──自宅が隣であることを思い出したかのように回れ右していく。
お前は一体何処に行くつもりだったんだ。
「……はぁー」
カレーの味はあまり感じられなかった。濃い目に作ったはずだったのだが。
冷蔵庫の中に作り置きを入れておく。明日の晩御飯にもなるので便利だ。
ベッドに寝転がった俺は──昔のアルバムを開いていた。
「……あのミライに、遂に彼氏……がねえ」
家も隣同士。保育器も隣同士。
幼稚園も小学校も中学校も、そして──高校も隣同士。
こいつ結局、今の今までずっと俺のそばに居たな。
「……あいつに彼氏……かぁ」
うわ言のように繰り返す。
何だ、もしかしてショックでも受けているのだろうか、俺は。
無理もない。彼女は妹のようなものだ。一緒に居過ぎて、一緒に居るのが当たり前のような。
今までこそ、しょっちゅう俺に構ったりくっついたりしていたが、最近はそれも無くなっていた。
恐らく明日告白するらしい陸上部の先輩にお熱だったからだろう。
「何で俺じゃない」などとは思わなかった。
俺があいつの事を妹のように見ているのと同じで、ミライも俺の事を兄のように見ているに決まっているからだ。
大いに結構──
「……あ」
俺はアルバムのページをめくるのをそこで止めた。
車椅子のミライが死に物狂いの顔で立ち上がろうとしている写真だった。
ずきり、と胸が痛む。
中学の──最後の夏だ。
あれ以来、ミライは──本気で走れなくなった。今の陸上部だって、彼女はマネージャーだ。選手として所属しているわけではない。
本当は──誰よりも自由に走るのを愛していたはずなのに。
「……もう、あんな顔するあいつは懲り懲りだな」
それならもう──恋愛でも良い、何でも良い。
あいつが幸せにしてくれるモノでも人でも良い。
ミライが抱える辛い過去を忘れさせてくれるなら、それで良い。
昔の事を封印するように──俺はアルバムを棚に戻した。
「……上手く、いってくれればいいんだけど」
本人には素直には言えない。
だけど、今更俺があいつのことをとやかく言う資格は微塵も無いのだ。
※※※
決行は部活の時間らしい。
帰りのHRが終わって明らかに気が逸っている様子のミライを横目に、俺は──邪魔をしないようにいつも以上に足早に家に帰る。
「……やっぱり味がしない」
思わず眉を顰めた。
味覚がどうこうじゃない。
きっと、頭の中でずっとミライの事を考えてしまっているからだろう。
せめて上手くいった、という報告の一つでもLINEに入れてくれればいい。
カレーを食べている最中、ぱらぱらと窓の外から音が聞こえてくる。
洗濯物を部屋に入れておいて正解だった。
間もなく雨はザーザーと降り注いでいき──土砂降りになっていく。天気予報は当たるものだ。
カレーを食べ終え、食器を洗う。もう時刻は7時を回っていた。部活もとっくに終わっている時間である。
そんな中、遠慮がちにインターホンが鳴った。
「はーい?」
俺は生返事をしながら扉を開ける。
「え」
そして思わず間抜けな声が出てしまった。
全身がびしょ濡れのミライが──突っ立っていた。
顔も雫が垂れており、ぐしゃぐしゃだ。雨なのか涙なのか分からない。
ただ一つ察せたのは──上手くいかなかったということだろう。
「……えーと、その。入れよ」
「……うん」
「あ、待て。バスタオル持ってくるから」
居たたまれなくなり、俺は──ミライを家に招き入れた。
何も言わず、彼女は俺からタオルを受け取り──顔と髪を拭く。
目じりは真っ赤に腫れていた。
「シャワー浴びろよ。風邪引くから」
「うん」
「……大丈夫……じゃないよな」
「……うん」
いつもの元気さは全くない。
彼女はそのまま、何かに引き寄せられるように脱衣所に入っていった。
ざー、とシャワーの音が聞こえてくる。
幼稚園の頃、泥だらけで一緒に遊んだ後──二人でシャワーを浴びていたのを思い出してしまった。
「……なあ、適当に着替え置いておくぞ。下着は……ねぇけど、一応ズボンを」
しばらくして──俺はシャツを持って脱衣所に置く。
返事は無かった。だが、しばらくして扉越しに声が聞こえてくる。
「……駄目だった」
「……そっか」
「オマエは子供っぽすぎて、そういう目で見られないってさ。皆、同じこと言うんだって思っちゃった」
「……相手の見る目が無かったんだ」
「ウソつき」
がら、と脱衣所の扉が開く。
俺は思わず後ずさった。
ミライは──何も身に纏っていなかった。
涙を滲ませ、昏い目で俺の目をじっと見ている。
だけど、俺は──ずっとミライの躯体に釘付けだった。
「鷹斗だってボクのこと、子供っぽいって思ってるくせに……っ」
ずっと、目をそらしていた。
子供っぽい、変わらない、昔のままだ、と。
だけど──蜂のように縊れた腰、艶のある小麦色に焼けた肌。
何より、脂肪が確かに乗っている彼女の柔らかさを間近で見せられて──己の思い違いをイヤでも分からされる。
「トーゼン、だよね。ボク……おっぱいもお母さんみたいに大きくないし……背も、ちっちゃいし!」
無理矢理手を掴まれ、胸に押し当てられる。
確かに膨らみは無いかもしれない。
「皆そうやって、ボクをバカにして……っ!」
だが、それでも確かな柔らかさが感じられる。
どっ、どっ、と俺の心臓は高鳴り──いつの間にか言葉を発する事すら忘れていた。
「……鷹斗……?」
そんな俺の顔を、彼女は不思議そうに見ていた。
そして、ふと俺のズボンを見て──イタズラっ子のように笑った。
「……ウソつき」
今度は、少し楽しそうに。
いつの間にかテントを張ったズボンを、面白そうに撫でた。
「キミは、大ウソつきだよ。ボクのハダカを見て……こんなになってる。散々妹みたいに見てたボクで、コーフンしてるんだ。変態。へんたい。ヘンタイ」
「……なあ、ミライ。やめよう。俺が悪かった。俺が間違ってた。お前は十分に魅力的な女の子だ。いつか……お前の事を分かってくれるヤツが出てくる。だから……」
「じゃあ、証明してよ。鷹斗」
ずい、と迫りながら──切なそうにミライは言った。
「ボクが魅力的な女の子だってこと、証明してよ。ボク、バカだから……言葉だけじゃ分からないよ」
……生憎。
俺も年頃の男子高校生だということだったのかもしれない。
あるいは──ミライの頼み事は結局断れないということかもしれない。
だって、彼女の目は潤んでいて、何かの拍子に壊れてしまいそうだったからだ。
「それともさ……ボク、やっぱり……ダメ……? ボク、魅力……無い……?」
そんな彼女を、俺は放っておくことが出来なかった。
※※※
「……ん、おいしっ」
──次の日は土曜日だった。
疲労感と気まずさを抱えたまま、俺達はテーブルで隣り合ってハムエッグトーストを食む。
シャツと半ズボンだけの恰好で彼女はトーストに齧りついていた。
何て切り出せばわからなかった。
成り行きで、感情の赴くままに──妹のように思っていた幼馴染を抱いてしまった。
罪悪感やら戸惑いやら何やらが込み上げてくる。
「……あのさ。ごめんね」
俺が何か言い出す前に口火を切ったのはミライの方だった。
「ショックで、感情がぐわーってなっちゃって……キミに八つ当たりして……こんな、こと」
「……落ち着いたか? 俺は……まだ、現実味ねーけど」
「……昨日あれだけシたのに?」
「お前は良かったのかよ。失恋間もないのに」
「……幻滅しちゃったんだ」
恨めしそうに彼女は目玉焼きだけにかぶりついた。
「……勇気を出して告白したのに、まるでジョーダンみたいに受け流されて……ケラケラ嗤われてさ。恥ずかしくなって、怒りやら悲しいやらで、どうにかなっちゃいそうで……気が付いたら、キミの家の前に居た」
きっと、失意のまま俺の家まで走ってきたのだろう。無我夢中に。
彼女の心境は──計り知れない。
「浮かれてたのかなあ、ボク」
「そりゃ相手が悪い」
それだけは確実に言える。
浮かれていたのは否定しないが──ミライはいつも真剣で本気だ。
勉強も、部活も、そして──恋も。
近くで見ていた俺だから分かる。
「真剣だったから友達にも相談して、イメトレまでしてたんだろ。好きだったんだろ。なのにソイツ……許せねーな」
ぐら、と湯でも沸きそうなくらい頭に血が昇る。
らしくないな、と思いつつも──ミライの「真剣」を嗤われたのが許せなかった。まるで自分事のように。
「もういいよ。終わった事だし。だから──昨晩の事も、全部忘れて」
ミライは──妙に上機嫌だった。
「フラれたのに機嫌が良いじゃないか」
「だって、キミはボクの為に怒ってくれてる。それで今は十分だよ」
「……こんにゃろ。俺の考えてる事は何でもお見通しか」
「そりゃそうだよ。鷹斗はクールぶってるけど、顔に出やすいから」
「……ぶってるって……」
「だから──また明日から、今まで通り……幼馴染だよねっ」
そう言われ、彼女は荷物を纏めだす。
本当に自由気ままで奔放な奴だ。
だけど、今まで通り──と言われて、俺も頷いた。
このまま気まずくなってしまうのは、俺も望まない。
色々ありすぎて飲み込める気がしないが──
「あのさ。あんまり一人で抱え込むんじゃねーぞ。お前は何でもかんでも笑顔で誤魔化そうとするだろ」
「……!」
「また──何かあったら……いや、何も無くてもいつでも来い」
──それだけは、伝えたかった。
昔から、中学の時に足を壊した時は特にそうだった。
本当に辛い時ほど、ミライは自分の傷を隠そうとする悪癖がある。
それをぶちまけられる相手が俺だっていうなら──甘んじて受け入れる。
「……ん。ありがと」
少しだけはにかんだミライは──扉を開けて、出て行く。
昨晩の事は忘れる。
また月曜日になったら、今まで通りの幼馴染だ。
俺はミライの事を妹のように思っていて、軽口を叩き合って、些細な事で喧嘩して──そんな日々が帰ってくる。
「……いや、忘れられる訳ねーだろ……それは無理があるって……」
……はずもなく。
成り行きで幼馴染と一線を超えてしまった俺は──いつまでも悶々とした気分のまま部屋の中で考える。
次に会った時、ミライとどんな顔をして会えば良いのか──と。
「あんだけからかっておいて……今更……虫が良すぎるよなあ」
※※※
「ああああーっっっ!! やっちゃったよーっっっ!! マジで何やってんのボク!!」
──同時刻。
瀬名ミライは枕に顔を埋めて絶叫していた。
(忘れて、で忘れられる出来事なワケないでしょー……次、アイツにどんな顔して会えば良いんだよ……!!)
成り行きと激情の赴くままに鷹斗と肌を合わせてしまったことを悔いる。
もう──只の幼馴染には戻れない。
先輩に向けていた胸の高鳴りとは、全く別の──嫌な鼓動がなり響く。
「……はぁ、ボクってほんとバカ」
都合の良い時だけ慰めて貰って、挙句の果てに「初めて」まで捧げて──己の思慮の浅さにほとほとミライは嫌気が差していた。
「あれだけ迷惑かけておいて……今更……虫が良すぎるよね……」
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