──ミライと一緒に登校することは、テスト期間を除いてほぼ無いと言って良い。
部活の準備を朝にするのだという。マネージャーも大変だ。
あんなことがあっても、早朝に部活に行くのはやめなかったので感心するばかりだ。
願わくば、例の先輩と鉢合わせして面倒な事になっていないのを祈るばかりである。フるにしたってフり方というものがあっただろうに。
──……ね、滅茶苦茶にして。
……つい先日の事を思い出してしまった。
俺も初めてだった。
あいつも初めてだった。
彼女の言う
「いやー、それがサッパリダメでー……やっぱり脈無しだったよー、たははー……やっぱりボクみたいなオトコオンナじゃあ釣り合わなかったってわけだね」
「そんなぁ! あれだけ準備したのにぃ!?」
「縁が無かったってことで。ごめんねー、期待に添えなくて」
クラスに着くと友人と談笑しているミライの姿が見えた。
昨日の告白が失敗したことを、冗談交じりに報告しているようだった。
あれで繊細な性格だ。友達には出来るだけ心配はかけまいとしているのだろう。
ミライは俺が来たことに気付いたのか、ちらりと一瞬だけ此方を向いた。
そして──すぐ、顔を赤らめて向き直ってしまうのだった。
「ん? どした? ミライ」
「いやいや、なんでもないっ! それより今日、古典の教科書忘れちゃって」
「はぁー!? 何やってんのあんた、そういうのは隣のクラスのヤツに言いなさいって!」
「もうHR始まるよ」
「ごめーん! それもそうだよねー!」
……やっぱりしばらく、知らんふりしておいてやった方がお互いの為のようだ。
「……あー……クソ。集中できねー」
──結局。
昼休みになるまで、ミライが俺と目を合わせることは無かった。
あんなこともあれば、無理もないだろう。
俺はと言えば──いつものようにレシピ本を図書室で読んでいたのだが、どうしてもミライの事で頭がいっぱいになっており机に突っ伏していた。
「……図書室で変な声を出すのはやめてもらえる?」
「おん?」
そんな中、呆れたような声が後ろから聞こえてくる。
振り返ると、市松人形のような黒い長い髪が真っ先に目に付いた。
真面目そうな気質にぴったりな縁無し丸眼鏡をかけた彼女はいかにも「優等生」という言葉が似合う。
図書委員の本居 文乃だ。俺が図書室にばかり入り浸っているので、すっかり顔見知りになってしまった隣のクラスの女子である。
「……相も変わらず料理の本ばっかり読んでるのね」
「惰性ってやつ……おい待て、図書室で私語はいけないんじゃないですかー?」
「あたしは図書委員だから別に良いの」
横暴な奴め。まあ、今日は珍しく利用している生徒も俺くらいだから文乃も暇なのだろう。
「……惰性ってことは、なに? 貴方、料理人にでもなるつもり?」
「料理人とはちょっと違うなー……栄養士? になりたかった」
「給食とかの献立を考えるアレだったっけ」
「おう。後は……スポーツ選手の食うメニューを考えたりもする」
……ま、もうとっくに壊れた夢だけど。
「スポーツ選手って言うと……貴方と同じクラスの瀬名さんかな」
「ぶっ」
「ちょっと噴き出さないで。本が汚れたら弁償してもらうから」
「汚してねーよ。だけど、何でそこでミライの名前が……」
「……貴方達、ずっと同じ学校って聞いた。家も隣同士だって」
「どっから漏れたの、俺達の個人情報」
「その瀬名さんがデカい声で話してたのが聞こえたの」
助けて、俺の幼馴染の情報セキュリティがザル過ぎる。
「それに瀬名さんと言えば……中学の時、陸上で全国まで行ったって聞いてるよ。もしかして貴方が……」
「んまあ……一時期、あいつの飯の面倒とか見てやってたよ」
ミライの両親は忙しい。
どうしても、運動量の多い彼女の満足のいく弁当やご飯を用意するのが難しい時があった。
そこで矢面に出たのが、元来料理を作るのが好きだった俺であった。
とはいえ、俺は自分の好きな料理を作って自分で食べるのに凝っていたので──最初は苦労した。
「まるで夫婦ね」
「いろんな本を読んで……あいつ野菜嫌いだからうまいこと混ぜ込んだりして……」
「夫婦じゃなくて親子だったかも」
それでも、あいつが本番で100%の力を出せるように──色々考えた。
2年の時には全国大会まで進出して──
「……じゃあ、今でも彼女の弁当は」
「いや、もう作ってない」
──そして、中学3年のあの日。
事故でミライは大怪我をした。
部活終わり、暗がりで車に撥ねられたのだ。大腿骨骨折を始めとした酷い怪我。最初は死んでしまうのではないかと思ったくらいだ。
だけど、ミライにとってはこのまま死んでいた方がマシの運命が待っていた。
地獄のようなリハビリの果てに、何とか歩けるようにはなったけど──とっくに大会の時期は過ぎていた。
そして、あまりにも深い脚の傷は、彼女の心にすらブレーキをかけた。
……瀬名ミライは、二度と本気で走れなくなった。
どうしようもなかった。
所謂イップスってやつだ。無意識に脚を庇ってしまうらしい。俺も皆も、もう一度ミライに走ってほしかった。他でもないミライもそれを望んでいたはずだ。
だけど──現実はあまりにも残酷だった。
ミライは逃げるように高校受験の勉強を始めた。俺も、それに付き合ってやることにした。
だけど結局、ミライが俺の作った弁当を食べることは二度と無かった。
「……もう迷惑かけたくないから、って言われて。それ以来作ってない。あいつが走るの諦めるなら……栄養士も別に良いや、ってなっちまった」
「やっぱり……例の事故の所為?」
俺は頷く。あの頃のことは正直もう思い出したくない。ミライも嘘のように暗くなってしまって、俺もそれにつられてしまって。
二人して「駄目だった」「無駄だった」という無力感だけが残ってしまって──互いに負い目があったんだと思う。
結局……俺では瀬名ミライを助けることができなかったのだ。
「俺もそれで……ぷつっと気持ちが切れちまって。また元の通り、自分の好きなモンを食うための料理を作る生活に戻った」
しばらく沈黙が横たわった。
ミライのためにやることが迷惑だなんて思ったことは一度もない。だけど結局俺がどうこうしたところでミライはもう競技に復帰できない。
そんな俺があいつを傍で支えるなんて笑わせる。
「……大変だったのね」
「今のミライはマネージャーって形で陸上に関わってる。それがあいつの残った生き甲斐なんだ」
だからもう──見たくない。思い出したくもない。あんな顔で落ち込むミライの姿は。
そう思っていた矢先に例の告白事件は起きてしまったのだけど。
……ままならないものだ。
「それで……肝心の貴方はどうなの?」
「はい?」
思わぬツッコミに俺は顔を上げた。
だが、それが文乃の気遣いであることも察する。ミライのことに踏み込まれるのは俺としても良い気分がしないからだ。
「料理、嫌いになったわけじゃないんでしょ」
「そりゃあ……こんなの毎日読んでるくらいだしな」
「もったいないじゃない、せっかく料理が好きなのに。そっちの進路は考えないの? なんなら料理人にでもなればいいのに」
「それは絶対無理。……飯時に自分の作った料理を食えないなんて、想像しただけで地獄だわ。腹が減って仕事にならない。だから俺に料理人は一番向いてねーんだよ」
「……食い意地は全国級ね、あなた……」
うるせー、ほっとけ。
「……つか、今日はやけに構ってくるな。どうしたんだよ」
「知らない? 人の体験だとか経験ってのは……小説を書く上で最高の材料になるの」
「オマエ……俺の話をダシに小説を書くつもりか?」
「貴方だけに聞いてるわけじゃないから、そこは心配しないで頂戴」
そういえばこの女、文学部だったな。
今の時期、コンクールに出す作品を執筆しているのだと聞いていたが──だとしたら駄弁ってないで一枚でも原稿を書けばいいのに。
「……筆が全く進まなくって。何でも良いからアイディアを集めてるの」
どうやら──文乃の執筆は絶賛大不調らしい。
「だからまた面白い話を聞かせて頂戴?」
「誰が好き好んで小説のネタを提供するかよ。おもしろおかしく脚色されるのが目に見えてるのに」
「ケチ。釣れないのね」
小説家よ、自分で食う魚は自分で釣った方が美味だと思う。何事も手間暇かけた方が達成感が出るからだ。ネタだけに。
※※※
眠い授業が終わり、放課後になった。
ぼんやりしながら夕食が何かを考えているとインターホンが鳴る。
「……やっほ」
玄関を開けると──ちょっと気まずそうな顔でミライが小さく手を振っていた。
「どうした?」
「話が……したくって」
「うん」
今更拒む理由も無い。
俺は──ミライを招き入れた。
「ゴハン作ってたんじゃないの? 邪魔しちゃったかな」
「まだ何作るか考えてただけ。適当にパスタでも茹でるわ」
「んじゃ茹でながらで良いから……聞いてよ」
妙に行儀よく席に座ったミライが──ぽつり、ぽつりと話し始めた。
「あの先輩……今日の部活の時間に、女子の先輩にシメられてた」
「何があったんだよ」
「……ボクの告白の事を面白おかしく話したみたいで……ヒンシュク買って、ボッコボコにされてた」
ほんとボクって人を見る目が無いよね、とミライは呟く。
「……何でそんな奴好きになったんだよ」
「上っ面は良かったからね……新入生の時から面倒見て貰ってたし。でも、後から聞くと……実は他の学校にセフレ? ってやつが何人も居たみたい」
「うわあ……真っ黒」
「んで、みんなおっぱいがデカいんだってさ」
……そいつが巨乳専で助かった。
もしもそうじゃなかったら、今頃ミライはこいつに弄ばれていたのかもしれない。
しかし、そうなると付き合っても無いのにミライに手を出した俺はどうなるんだろう。
全く人の事を言えないかもしれない。
「はーあ、恋は盲目ってこのことだよ。もうしばらく、恋愛なんてコリゴリだ」
「そいつは良かった」
パスタを茹でながらも、俺の内心は穏やかではなかった。
「あのさ」
どこか勇気を振り絞るようにミライが言った。
「ところで、ひとつ聞きたいんだけど……セフレ? ってなに?」
「……」
分からんで話を進めてたのか、この子は。
「……意味とかスマホで調べなかったのか」
「なんか怖くて調べられてなくって。先に鷹斗に聞こうと思って」
「お前は俺にどんだけ信頼を置いてるんだよ」
「そりゃあ……中学の頃はトレーニング用のご飯作ってもらってたし。そういう意味では信頼してるよ」
「……昔の事だろ」
「……じゃーどういう意味。もしかして知らないのー?」
少し小馬鹿にするように言ってくる。
茹で終えたパスタを全部皿に盛りつけテーブルに置いた。
そして──小声で、その意味をミライに囁いてやる。
すぐに耳まで彼女は真っ赤になった。
しばらく魚のように口をパクパクさせていたミライだったが、漸く一言。
「……ぁ、え。それって、まるでボク達みたいじゃん」
「……そうなるのか」
「恋愛、とかじゃなくって……その。あくまでも友達、ってことでしょ」
「……だな」
「うわー、フクザツ。まさか鷹斗は──」
「お前以外居ねーよ」
「……それもそっかー、鷹斗料理バカだし」
こいつ家から放り出してやろうかな。
「……ねえ。恋愛はもう懲り懲りなんだけどさ」
「おう」
パスタにレトルトのソースを盛りつけながら──いつになく小声で彼女は言った。
顔は真っ赤になっており、明らかに思考は回っていないようだったが、それでも確かに言葉を紡いでいく。
心なしか俺も落ち着かない。こいつが次に何を言い出すか、分かったもんじゃないからだ。
「……こないだの、その……気持ちよくって。やっぱり、忘れられなくって」
思わずソースをこぼしそうになった。想像の斜め上をいってガードレールを突き破っていったね。
「……セフレ、なら……エッチしても普通……なんだよね……?」