五条悟になってワンピース世界に転生したけど、エースだけは絶対に死なせない 作:熊々
第10話は、アラバスタ動乱編の最終話です。
クロコダイル戦の余韻が引かないまま、舞台はアルバーナ王宮へ移ります。コブラ王の演説、ビビとの別れ、そして——王宮の屋上で、ある女との初対話。
砂塵が引いた。
⸻
東から風が吹いていた。
熱風じゃない。
湿った海の匂いをわずかに混ぜた、夕方の風だ。
アルバーナの白い壁の上に、その風が転がっていく。
ついさっきまで剣戟の音と砲声が満ちていた都市が、嘘みたいに静かだった。
王宮の正面広場。
反乱軍の褐色の頭巾と王軍の銀の鎧が向き合ったまま動かない。
誰も剣を抜いていない。
誰も拳も握っていない。
ただ立っている。
その中央にコブラ王が立っていた。
担架の上から這うように降りた人だ。
血が滲んだ包帯の隙間から、それでも王はまっすぐに背筋を伸ばして声を絞り出した。
「アラバスタの民よ——」
しわがれているのに不思議とよく通る声だった。
声の出し方を知っている人間の声だ。
「すまなかった」
最初の一言がそれだった。
反乱軍のコーザがぐっと唇を噛んだのが見えた。
王は続けた。
雨のことを。
ダンスパウダーのことを。
裏で糸を引いていた男のことを。
そして——娘のことを。
「——ビビは戻った。お前たちのために、戻ってきた」
ビビが王の隣に並んだ。
砂と血で汚れた頬のまま。
泣くのを我慢していた。
我慢して、それでも王女の顔をしていた。
俺はその輪から十歩ほど離れた柱の影に立っていた。
肩を貸せとは誰も言ってこない。
俺もまた輪に入る気はない。
これはこの国の、この国の人間の儀式だ。
俺は通りすがりだ。
(——いい王様だな。原作で描かれたとおりだ)
そう思いながら俺は柱に背を預けた。
ルフィが少し離れた段差に座り込んで両足をぶらぶらさせていた。
ナミがその後ろで腕を組んで、めずらしく静かにしていた。
ゾロは寝ていた。
ウソップとチョッパーは何やら泣きそうな顔で広場を見ていた。
サンジは煙草の煙を細く吐いていた。
家族みたいな絵だった。
⸻
演説が終わって群衆が静かにざわめき始めたころ、誰かが俺の前に立った。
ビビだった。
砂漠を駆けたぼろぼろのドレスのまま、それでも背筋を伸ばして王女として立っていた。
「アズールさん」
俺は柱から背を離した。
「ありがとうございました」
短く、深い礼。
泣きそうな声を必死に押し殺した声だった。
俺は頭を下げ返さなかった。
代わりに軽く片手を上げた。
「礼はいい。お前が走ったから、ここまで来た」
「……それでも」
「それでも礼を言いたい、か」
うなずく彼女を俺はまっすぐ見た。
「じゃ、受け取っとく」
それだけ言って俺は彼女の頭にぽんと手を置いた。
すぐに離した。
「——強くなれよ、王女様」
ビビの瞳からようやく一粒こぼれた。
こぼしたあと彼女は王女の顔に戻って、もう一度礼をした。
「——はい」
(……こいつ、いい女になるな。原作よりずっと近くで見たけど、芯が、強い)
俺は内心でだけそう思った。
⸻
夕日が傾き始めたころ、俺は王宮の屋上に登っていた。
階段を使ってない。
無下限の境界を足元と手のひらに薄く敷いて、外壁を歩いて登った。
他人に見られたら騒ぎになる動きだから、見聞色で人払いを確認してからだ。
風の通るいい場所だった。
砂漠の街の屋根が一面に広がって、その向こうにオアシスの緑が点々と見える。
さらに向こう、地平線の手前で海が銀色に光っていた。
俺は手すりに肘をついた。
——背後に気配。
振り返らない。
振り返ったら消える気配だ。
「あら」
低く落ち着いた声。
含み笑いのような遠い声。
「あなたって本当に、振り向かないのね」
俺は手すりに頬杖をついたまま答えた。
「振り向くと消えるだろ。お前」
「ふふ」
足音がひとつ。
俺の隣まで。
そこで止まった。
距離、二メートル。
近くもない遠くもない、ちょうど駆け引きをするのにいい距離。
ミス・オールサンデー。
ニコ・ロビン。
横顔がきれいに夕日を受けていた。
俺より少しだけ年上の、影のある女。
コートの裾が風に揺れていた。
(——原作より若いな、やっぱり。二十代の真ん中、くらいか)
「あなた……何者なのかしらね、レイヴン・D・アズール」
砂漠で投げかけられた問いを、彼女はもう一度ここで投げてきた。
こちらを見ていない。
彼女もまた横顔のまま地平線を見ていた。
俺は少し笑った。
「強いて言うなら——」
一拍。
「未来を知ってる男かな」
風が止んだ気がした。
ロビンの横顔がわずかにこちらを向いた。
完全には向かない。
警戒の角度のまま、目の端でだけ俺を捉えた。
「未来を、知っている」
繰り返した。
低く。
試すように。
「ああ」
「……それは悪魔の実の能力?」
「いや。能力じゃない。——たぶん、もっと厄介なやつ」
ロビンは沈黙した。
彼女の左手がコートの内側で組まれた。
(——花花の実か。今、咲かせる準備をしてる)
見聞色がそれを拾った。
俺は動かない。
動かないことが答えになる場面だ。
「——たとえば?」
ロビンの声が半音低くなった。
俺は手すりから肘を離し、彼女の横顔にまっすぐ言葉を投げた。
「お前が麦わらに加わる未来も、知ってる」
ロビンの呼吸が止まった。
聞こえた。
止まった、と。
見聞色を通して、その一拍の停止がはっきり聞こえた。
仮面が剥がれた。
彼女の無表情の仮面が、一瞬だけ剥がれた。
剥がれた下にあったのは——子供みたいな戸惑いだった。
「……何の話」
「そのままの話だ」
「冗談を言うのがお上手なのね」
「だったら、いいんだけどな」
俺は薄く笑った。
ロビンの左手がもう一段、深くコートの内側に入った。
組まれた指の数が増えた気配。
「——あなた、私を捕まえに来た?」
低く、刃物のような声だった。
「政府の人間?」
俺は鼻で笑った。
意図して笑った。
彼女に伝わるようにわざと、はっきりと笑った。
「逆だ」
そう言って、俺は手すりから完全に体を離して彼女のほうを向いた。
「お前を——政府から、引き剥がしに来た」
⸻
ロビンの目が見開かれた。
ほんの一秒。
それだけだった。
すぐに彼女は元の無表情に戻ろうとした。
けれど戻りきらなかった。
戻りきらない隙間から、二十年逃げ続けた女の本物の表情がほんの少しだけ覗いた。
——疲れた女の顔だった。
俺は無下限の境界をほどいた。
意識的にほどいた。
俺の周囲に常時張ってある無限の壁。
あれを彼女との間からだけ剥がした。
彼女が花花を咲かせれば、今、俺は確実に届く距離にいる。
それを敵意なし、として提示した。
ロビンがそれに気づいた。
気づいたのが見聞色越しにわかった。
彼女は左手をゆっくりコートの外に出した。
「——あなたって」
「うん」
「自殺願望でも、あるのかしら」
「ないな。生きるためにここまで来た」
「だったら、なぜ警戒をほどくの」
「警戒したまま話しても、お前は信用しない。そうだろ」
ロビンが目を伏せた。
伏せた目に夕日が当たって、長い睫毛が影を作った。
「——ふふ」
笑った。
今度の笑いはちょっとだけ、違う質の笑いだった。
「変な人ね」
「よく言われる」
⸻
「お前の歴史の真実探し。——ポーネグリフ。空白の100年。世界の真実」
俺は彼女の表情を見ないようにして、地平線を見たまま続けた。
直接見たら彼女はまた仮面を被るからだ。
「俺は邪魔しない」
「……」
「邪魔しないどころか——後ろ盾になる」
ロビンの肩がほんの少し揺れた気がした。
「——どうして」
短い問いだった。
小さい声だった。
けれど二十年ぶんの重さが、その三文字に乗っていた。
俺は答えた。
「俺も未来を知ってる男だ。"D"の意味は——お前の探してる答えと繋がってる」
ロビンの息がまた止まった。
「あなた……Dの一族」
「らしいな」
「らしい」
「本人もよくわかってない」
俺は肩をすくめた。
「気がついたらDが付いてた。——でも、たぶん、答えに辿り着く側だ」
ロビンは沈黙した。
長い沈黙だった。
風が屋上を横切っていった。
コートの裾がふわりと揺れた。
彼女はその風を見ていた。
それからゆっくり、彼女は俺のほうを向いた。
今度は横目じゃない。
正面から俺を見た。
二十年ぶんの警戒。
二十年ぶんの孤独。
その奥にあるまだ消えていない——希望、みたいなもの。
それが夕日に染まった彼女の瞳の中に、確かに揺れていた。
「あなた、何者」
三度目の同じ問いだった。
けれど今度の問いは敵意じゃなかった。
たぶん初めて——興味で、訊いていた。
俺は答えた。
「レイヴン・D・アズール。——お前が麦わらの船に乗る日まで、見届ける男だ」
⸻
ロビンがふっと笑った。
仮面の笑いじゃない。
作り笑いでもない。
ほんの少しだけ口の端が自然に上がった、その笑いだった。
(——あ。これだ。原作で、たまに、出るやつだ)
俺は内心でひとつだけ息を吐いた。
「……またどこかで会えるかしら」
ロビンがぽつりと言った。
俺はうなずいた。
「会う」
短く。
迷わず。
「お前が麦わらの船に乗る日まで、絶対に見届ける」
ロビンはもう笑わなかった。
代わりにゆっくり目を閉じた。
何かをしまうみたいに。
それから目を開けてコートを翻した。
「——じゃあね、未来を知ってる人」
「ああ」
「次に会うときは、私の名前で呼んで」
「わかった、ロビン」
最後の名前を、俺は、はっきり呼んだ。
彼女の足音が屋上から消えた。
無数の花が咲いて消える気配。
——気配ごと消えた。
⸻
入れ替わるように、別の気配が街の北に現れた。
複数。
強い。
(……来たか。海軍)
俺は屋上から見下ろした。
港の方角。
白い軍艦が複数。
その先頭の艦から降りてくるでかい影がひとつ。
老人だった。
ばかでかい老人。
肩に何かを担いでいる。
(——ガープだ)
モンキー・D・ガープ中将。
そして、もう一隻の側から降りてきたのは白いコート、二本の葉巻、煙の体。
(——スモーカー)
その後ろに眼鏡をかけた女剣士が、刀の柄を握って走り寄ろうとして転んでいた。
(……たしぎ。原作よりちょっと礼儀正しそうな転び方をする)
俺は屋上の手すりを軽く蹴った。
無下限の境界を足元に薄く敷いて、外壁を滑り降りる。
地上に降りてローブのフードを深く被った——その瞬間。
——目が、合った。
港の方からまっすぐ、こちらに。
ガープが、ばかでかい老人がこちらを見ていた。
距離、五百メートル以上。
人垣も建物もいくつも挟んでいる。
なのに合った。
ガープが片眉を上げた。
笑った気がした。
何かを思い出したみたいな顔で。
その口が動いた。
声は届かない。
でも見聞色越しに、唇の動きがはっきり読めた。
『——お前、レイリーのとこの坊主か?』
⸻
(——げ)
俺は思わず一歩、後ろに下がった。
(……マジか。ガープ、レイリー時代を知ってる世代だ。そうか、そういや、ロジャーと同期だもんな、こいつ)
スモーカーが煙を細く吐きながら、ガープの視線の先を見た。
たしぎが刀の柄に手をかけた。
(あー、まずい。ここで絡むと、海軍と七武海回収のごたごたに巻き込まれる)
俺は逃げを選んだ。
無下限。
俺の周囲、半径数メートルだけ、空間の認識をねじる。
気配を消すんじゃない。
気配がたどり着くまでの距離を、無限に延長する。
ガープの視線の先から、俺の輪郭がぼやけた——はずだ。
ガープがもう一度、片眉を上げた。
笑った。
『——逃げ足、速えな、坊主』
唇がそう動いた気がした。
(はい、すいません、また今度)
俺は心の中で軽く頭を下げて、メリー号の停泊している小港の方角へ走った。
⸻
メリー号は小さく、傷だらけで、けれどちゃんと海に浮かんでいた。
ルフィが舳先で逆さまになって笑っていた。
ナミが帆の張り具合を確認していた。
サンジが厨房で何かを焼いていた。
チョッパーが医療箱を整理し、ウソップは大砲の整備をしていた。
ゾロは寝ていた。
俺は桟橋に立った。
「アズール!」
ルフィが舳先から手を振った。
「お前も来いよ! 仲間になれ!」
俺は笑った。
笑って首を振った。
「断る」
「えーっ!」
「俺は別ルートで先に行く」
「どこへ?」
ナミが桟橋の上の俺を見て訊いた。
腕を組んでいたけれど、声は心配そうだった。
「新世界」
俺は短く言った。
「白ひげ、黒ひげ、革命軍。——あいつらの動きを、見ておきたい」
ナミの顔が強張った。
「……それ、ヤバいやつばっかじゃない」
「ヤバいから見ておくんだ」
「気をつけてよね」
「ああ」
ビビが桟橋の端から走ってきた。
息を切らせて。
王女の顔に戻ったままで、けれど目だけはまだ女の子のままで。
「アズールさん——」
俺はビビの前にしゃがみ込んだ。
目線を合わせるみたいに。
「ビビ」
「はい」
「また会える」
それだけ言った。
ビビが唇を噛んだ。
噛んで、それでも王女らしく深く礼をした。
「——はい」
俺は立ち上がった。
「ルフィ」
「おう!」
「お前、ロビンが船に来たら迷わず受け入れろ」
ルフィが不思議そうな顔をした。
「ロビン?」
「大人の女だ。黒いコート。本を読むのが好きで——居場所を、探してる」
ルフィは少しだけ考えて、それからにっと笑った。
「わかった! じゃあ、仲間だな!」
(……お前、相変わらず判断が早すぎる)
俺は内心でだけ軽く笑った。
⸻
メリー号が桟橋を離れた。
帆が膨らむ。
ルフィが舳先で叫んでいる。
「——アズール! ぜっってーまた会うぞ!」
俺は片手を上げて応えた。
それだけだった。
振らなかった。
砂漠の縁の港町が静かになっていく。
俺は桟橋に立ったまま、しばらく海を見ていた。
——ロビンの気配は、もうどこにもなかった。
たぶん彼女は彼女のやり方で、また、どこかへ消えた。
そしていずれ、麦わらの前にもう一度現れる。
それでいい。
⸻
港町の宿の屋根に登って、俺はもう一度海を見ていた。
夜になっていた。
星が出ていた。
膝の上にしわくちゃの新聞紙が一枚。
さっき港の売店でたまたま手に取ったやつだ。
一面の見出しを、もう三回読み直した。
『——白ひげ海賊団二番隊隊長"火拳のエース"、新世界にて"黒ひげ海賊団"と接触か』
短い続報みたいな記事だった。
(……早いな)
俺は新聞を軽く握った。
握りしめないように、手の力を意識して抜いた。
(原作通りなら、エースはティーチを追ってバナロ島へ向かう。そこで敗ける。捕まる)
——先回りすれば、止められるか。
そう一瞬考えて、すぐに自分で否定した。
エースは隊長として自分でケリをつけに行ってる。あの目をした男からケリを奪うのは救いじゃない。ただの侮辱だ。
それにティーチのヤミヤミ。原作で見た限り、引きずり込む引力。無下限の境界が機能するかは賭けにもならないギャンブルだ。
中途半端に介入してエースが逃げる名分まで奪ったら——本末転倒だ。
俺の戦場はバナロ島じゃない。
(マリンフォードだ)
エースが捕まる。インペルダウンに落ちる。処刑が決まる。
海軍と海賊が全員、ひとつの場所に集まる日が来る。
そこに無下限の全部をぶつける。
それが俺の、最初から決めてる勝ち筋だ。
⸻
俺は屋根の上で立ち上がった。
新聞を二つに折って、もう一度開いた。
小さく、二段目の見出し。
『司法の島"エニエス・ロビー"、警備強化』
(——眼鏡)
冷たい影が瞼の裏で揺れた。
カリファ。CP9。元、同期。
エニエス・ロビーが警備強化に動いてる。原作通りなら、もうすぐあの事件が起きる。
ニコ・ロビン。
さっき屋上で別れたあの女。
政府が彼女を本気で取りに行く時が来る。
俺はゴーグルの位置を指で整えた。
「——間に合わせる」
エースだけじゃない。
ロビンも。
風が答えなかった。
代わりに俺の背中を、東ではなく——西へ押した。
シャボンディへまず戻る。
カリファに会う準備をする。
——次回、第11話「眼鏡の女、再び」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ロビンとの初対話、書く前に一番悩みました。
彼女の「無表情の仮面」と「二十年逃げ続けた疲労」を、どこで剥がすか。今話の答えは「アズールが先に無下限の警戒をほどいて、敵意なしを身体で示す」でした。これが効くのは、彼女が見聞色も花花も使える聡明な人だから。武器を捨てる側が先に折れる、という古典的な交渉術が、ロビンには珍しくクリーンヒットします。
「次に会うときは、私の名前で呼んで」というセリフは、原作のロビンらしさを意識しました。彼女が「ニコ・ロビン」と名乗れる場所は、本来、麦わらの船の上だけです。アズールはそれを、ここで先取りで呼ぶ役目を引き受けます。
ガープの唇読みは、本作のいちばん書きたかったファンサービスのひとつです。レイリーとロジャーが同期だった世代に、アズールの正体を「うっすら知ってる」海軍がいる、という設定の楔を打ちました。第4部・シャボンディ事件で、もう一度この構図が動きます。