五条悟になってワンピース世界に転生したけど、エースだけは絶対に死なせない   作:熊々

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四年ぶりの再会。
CP9副班長、カリファ。原作よりちょっと若くて、原作よりだいぶ冷たい、眼鏡の女。アズールが裏切った政府の側に残った彼女と、雨上がりのカフェで向かい合います。


第十一話 眼鏡の女、再び

シャボンディ諸島の桟橋は雨上がりの匂いがした。

樹液で固められた木組みの板が一歩ごとに軋む。空気は湿って重い。耳の奥で潮騒の代わりに、シャボン玉の弾ける微かな音が連続して鳴っている。アラバスタの乾いた砂とはまるで違う世界だった。

 

俺はゴーグルを首にかけ、フードを浅く被り直した。港のざわめき。奴隷売りの呼び込み。海軍の巡視艇が一隻、遠くの海面を撫でるように進んでいく。アラバスタを離れて十日。船底の暗さも潮風の塩も、もう体に馴染みすぎて感覚が鈍い。十日のあいだに、俺の中の何かが少しだけ硬くなった気もする。砂漠で見たものを、海の匂いで洗い流すには時間がいる。

 

「——戻ったか」

 

低い声が背中で鳴った。振り返らない。声の主が誰かなんて、見聞色を使うまでもない。

 

「やっと帰ってきたか、坊主」

 

レイリーだった。ウェイトのない歩幅で隣に並ぶ。麦わら帽子の男の師匠が、なぜ俺の到着時間を知っているのか——いつものことだ。聞かない。

 

「アラバスタは派手にやったらしいな」

「派手じゃない」

「半島がひとつ揺れたぞ」

「揺らしたのはクロコダイルだ」

 

レイリーが鼻で笑った。

 

「お前さんが揺らさなかったとは言ってない」

 

 

シャクヤクのバーは相変わらず昼間から薄暗かった。カウンターに肘をついた瞬間にグラスが目の前に置かれる。氷ひとつ。琥珀の液体が氷の縁を滑る。

 

「アズくん」聞き覚えのある艶のある声。

 

「お土産は?」

「持ってきてない」

「ふふ」

 

シャクヤクは怒らなかった。煙草の煙を細く吐いて、肘をカウンターに置いた俺の手の甲に軽く指先を乗せた。

 

「冗談よ。生きて帰ってきたなら、それで充分」

 

——この女は、こういう言い方をする。軽口の皮を一枚はぐと中身は冷たい本気で、それを悟られないよう更にもう一枚軽口を被せ直す。年上の手管だ。覆いを暴くのは野暮だから俺もグラスを傾ける。レイリーが斜め向かいに座った。

 

「で? 砂の国の話を聞かせろ」

 

俺はアラバスタの顛末を必要な分だけ削いで話した。クロコダイルとの決着。ビビ王女の国。麦わらの一味が抜けたあとの王宮の夜。砂嵐の縁で出会った——黒髪の女のこと。

説明を削いでも、レイリーは行間を読む男だった。途中で頷く。途中で葉巻の角度を変える。要点が来ると目だけが鋭くなる。シャクヤクのほうは煙草を二本続けて吸った。途中で灰皿を換えた。換えた手の動きがわざと遅い。聞き終わってから一拍置きたい、という意思表示だ。

 

「クロコダイルは生かしたのね」シャクヤクが言った。

「殺さなかった。海軍が引き取った」

「あなたらしい判断ね」

「らしいって言われ方は嫌いだ」

「でも、らしいのよ」

 

レイリーが葉巻の煙を細く吐いた。「ニコ・ロビン」

シャクヤクの指がグラスのふちで止まった。

 

「あの子、本物の名前で名乗ったの?」

「俺の前では」

「ふうん」

 

煙草の灰が落ちる。彼女は灰皿に視線も落とさず俺の顔を見た。

 

「アズくん、あなたって本当に困った子ね」

「自覚はある」

 

レイリーが葉巻を取り出して火を点けないまま指で回した。

 

「ガープも来てたんだろ」

 

俺は頷いた。

「唇を読まれた」

「ほう」

「『エースを死なせない』って口の中で言っただけだ。ガープが一瞬だけ笑った」

 

レイリーが葉巻を口に咥えた。今度は火を点けた。

 

「ガープか。あいつはな、坊主」

煙が天井に向かってまっすぐ昇る。

「面倒なほうの面倒だぞ」

「面倒の種類が二つあるのか」

「あるさ」

 

レイリーは葉巻を指の間で回した。

 

「動いてくれる面倒と、見逃してくれる面倒だ。ガープはな、長年見てきた限りじゃあ後者寄りだ。だが、見逃すって言葉の中身が、あいつの場合は——」

レイリーが言葉を切った。

「孫を殴って黙らせるまで含む」

 

俺は無言でグラスを傾けた。エースの顔が瞼の裏で一瞬だけ浮かんだ。麦わらの男の兄。海軍中将の孫。複雑な家系図の上に座らされた、笑い方の下手な男。

 

「お前さん、ガープの唇読みを知ってて、それでも口の中で言ったのか」

「言わずにいられなかった」

「正直すぎる」

「そうかもな」

 

シャクヤクが小さく笑った。

「アズくんって、強さの割に隠し事が下手よね」

「自覚はある」

「自覚があって直らないやつがいちばん厄介なのよ」

 

 

情報整理は短く済んだ。世界政府はニコ・ロビン奪還に本気で動いている。エニエス・ロビーの警備が二重化された。CP9の全員召集の噂。スパンダム長官が直々に動いているらしいという話まで含めて、ぜんぶ既知の範囲だった。問題はその先だ。

 

「眼鏡の女がシャボンディに来てるわよ」

シャクヤクはグラスを磨く手を止めずに言った。

「昨日の夕方、44GRのカフェ。ひとりで新聞を広げてた」

 

俺はグラスの中の氷を舌の上で転がした。カリファ。CP9副班長。元・CP9同期。

 

——会いに来たのか。

——それとも俺がここに戻ることを読んでいたのか。

 

たぶん後者だ。あの女は、そういう女だった。

 

「会いに行く」

レイリーが葉巻の灰を落とした。

「殺されに行くのと、どう違う?」

「殺しに行くわけじゃないっていう違いだ」

「答えになってねえぞ」

「わかってる」

 

俺はグラスを置いて立ち上がった。シャクヤクが背中に声を投げる。

 

「アズくん」

振り返らない。

「あの子、昔より目が冷たいわよ」

 

——知ってる。俺は短く息を吐いた。

「昔から冷たかった」

 

 

雨が落ちはじめていた。

44GRの古いカフェは、シャボンディの中でもとくに観光客が来ない区画にある。マングローブの根に半ば呑まれた木造の平屋で、扉の上の鈴は半分壊れている。鳴るのか、鳴らないのか。賭けるみたいに押すと、今日は鳴った。

店内は薄暗かった。蝋燭が三本。窓の外の雨がガラスの内側に水滴の影を投げる。客は二組。奥のテーブルがひとつ。そこに女が座っていた。新聞を広げている。長い金髪。眼鏡。スーツ。組まれた脚の角度まで記憶のままだった。違うのは首にかかったCP9の徽章だけだ。

 

「久しぶり、眼鏡」

俺は前の椅子を引いた。カリファは新聞をめくる手を止めなかった。一拍。二拍。それから低い声がした。

 

「あなたが先に来ると思っていたわ」

「悪いな。寄り道が長くて」

「アラバスタ?」

「アラバスタ」

「派手な寄り道ね」

「揺らしたのはクロコダイルだ」

「あなたが揺らさなかったとは言っていないわ」

 

レイリーとほぼ同じ言い回しだった。

 

——同じ言葉を別の温度で言う人間が、世界には二人いる。

 

俺は注文も取られないまま座っていたが、ウェイターが黙ってグラスをひとつ置いて去った。水だった。氷なし。覚えてやがる。

 

「お前、いつからここに?」

「昨日の夕方」

「俺が来るのは知ってたか」

「知らないわ」

カリファが新聞を畳んだ。

「ただ、来るとしたら、たぶん今日の今頃だろうと思っただけ」

「予測精度が高すぎる」

「あなたの行動が単純なだけよ」

 

——昔のままだ。

 

 

CP9に俺がいた頃、カリファは副班長だった。班長はルッチ。鳩が肩に乗ってる男。お喋りのルッチ。あの頃はまだ誰も笑い方を完璧には消していなかった。

——いや。カリファだけは最初から笑わなかった。

訓練場の床に俺を叩き伏せた回数はたぶん十七回。逆に俺が彼女を伏せたのは十六回。最後の一回で俺は組織から消えた。彼女は最後まで残った。それだけの話だった。それだけの話のはずだった。

 

ひとつだけ、忘れていない夜がある。任務の前夜だった。場所は思い出したくない。やる仕事の中身ももっと思い出したくない。屋根の上で雨を浴びながら俺たちは並んで座っていた。彼女は眼鏡をはずして膝の上に置いていた。眼鏡をはずしたカリファの顔はCP9副班長ではなく、ただの女の顔をしていた。たぶん年に数回しか出さない顔だった。

その夜、俺は何かを言いかけて言わなかった。彼女も何かを言いかけて言わなかった。それから三日後、俺は組織から消えた。

 

——それだけの話だ。それだけの話のはずだった。

 

「ロビンに手を出すな」

俺は本題をためらわず置いた。カリファの眼鏡の奥がわずかに動いた。

「あなたが言える立場?」

「立場じゃない」

「政府を裏切った男が、現役のCP9副班長に何かを命令する権利?」

「命令じゃない。お願いだ」

「お願い」

カリファが繰り返した。声に感情が乗らない。

「あなたとわたしの間に、お願いと言える関係がまだあるとでも?」

「あったろ、昔」

「過去形ね」

「お前のメガネ似合ってるな、って言える程度には」

 

ガラスのコップに張った水面がわずかに揺れた。

 

——彼女が笑ったわけじゃない。笑った気配を、皮膚一枚奥に押し込めた。それだけだ。

 

「セクハラよ」

低い声で彼女は言った。

 

 

セクハラよ、と言うときの彼女の声は原作通りの低さだった。冷たい。けれど、その冷たさの裏で何かを噛み殺す動きが——一瞬だけ走った。俺はそれを見逃せるほど鈍くもなかったし、突けるほど性格も悪くなかった。

 

「ロビンは」話題を戻す。「西の海で生まれた、ただの考古学者だ」

「あら」

カリファが眼鏡のブリッジを指で押し上げた。

「悪魔の子、と呼ばれてる女が?」

「呼んでるのは政府だけだ」

「世界が、よ」

「世界の口を政府が動かしてる」

「証拠は?」

「証拠なんか要らない。お前が知ってるからだ」

 

カリファは答えなかった。代わりにコーヒーカップを持ち上げて、口に運んだ。湯気はもう立っていなかった。冷めたコーヒーを彼女は表情を変えずに飲んだ。冷めていることにたぶん気づいていた。気づいていて飲んだ。

 

——これは彼女なりの答えだ。

 

「お前、本当は政府の犬じゃないだろ」

俺は踏み込んだ。水のグラスに指を添えたまま、視線だけをカリファの眼鏡に合わせる。

 

「お前は組織が好きなわけじゃない。任務が好きなわけでもない。お前が好きなのは——」

「やめて」

カリファの声がはじめて温度を持った。低い。けれど確かに鋭い。

「あなたにわたしの何がわかるの?」

「わからない」

「なら黙って」

「ひとつだけ、わかる」

俺は水のグラスを置いた。

「お前はロビンを引き取る側じゃない。引き渡す側だ。それがお前の中で——たぶん、まだ整理されきってない」

 

カリファは答えなかった。雨の音だけが続いた。

 

 

長い沈黙のあと、彼女は新聞を二つに折ってテーブルの端に揃えて置いた。

 

「わたしは、CP9副班長」

声が元の温度に戻っていた。

「それ以上でも、それ以下でもないわ」

「知ってる」

「次に会うときは、敵同士よ」

「わかってる」

 

俺は立ち上がった。椅子を戻してフードを被り直す。雨が強くなる気配がした。

 

「カリファ」

呼ぶと彼女は顔を上げなかった。眼鏡のレンズに蝋燭の火が映って揺れた。

「お前を殺す気は、ない」

 

——返事はなかった。代わりに、彼女が一瞬だけ唇を噛んだ。俺はその表情を、たぶん、はじめて見た。CP9にいた頃も。訓練場で十七回伏せられたときも。最後の任務の夜、雨の屋根で別れたあのときも。彼女が唇を噛んだことは、一度もなかった。

 

——見なかったことに、しよう。それが、俺にできる最後の礼儀だった。

 

 

カフェの扉が背中で閉じる。鈴は鳴らなかった。雨は本降りになっていた。シャボンディの煉瓦色の路面に灯の色が滲んでいる。マングローブの幹を伝う雨水が樹液の照りを濡らして、夜の街灯を倍に増やしていた。

 

——届かなかったか。

——届かなかった、と言うほど踏み込んでもいない。

 

俺はゴーグルを目元におろした。見聞色をほんの少しだけ開く。街の中の人間の気配が靄のように広がる。観光客。奴隷商。海軍。海賊。それぞれの色がぼんやりと浮かぶ中で、俺の背後——カフェの中の彼女の気配だけが不自然に静止していた。新聞を、もう一度開く気配はなかった。

 

 

レイリー邸に戻ると、玄関の灯りが点いていた。シャクヤクはいなかった。レイリーが葉巻を咥えたまま、俺を見た。

 

「どうだった?」

「殴られなかった」

「いい収穫じゃねえか」

「殴られたほうが楽だったかもな」

「軽口だな、坊主」

「軽口じゃないともたない夜もある」

 

レイリーが目を細めた。葉巻の煙がゆっくりと天井に昇っていく。シャクヤクのバーで吐いた煙とまったく同じ角度で、まったく同じ速さだった。この男の体内時計はたぶん俺より十年は安定している。

レイリーが鼻で笑った。葉巻の煙を細く吐いて卓の上に新聞を投げて寄越した。世界経済新聞。今朝の便。

 

「読め」

俺はめくった。二面の小さな記事。

 

——「麦わらの一味、ウォーターセブン入港。ニコ・ロビン同行か」

 

俺は新聞を閉じた。

「乗ったか」

「乗ったらしいぞ」

「本物の名前で?」

「本物の名前で」

 

——ようやく、本物の名前で名乗れたか。

 

俺は薄く笑った。笑った自覚があった。レイリーがそれを見て葉巻の灰を落とした。

 

「坊主」

「ん」

「お前さん、間に合わせる気か。エースだけじゃなく」

「ロビンも」

「W7にも、もう政府の手は伸びてるぞ」

「知ってる」

「CP9が動く」

「知ってる」

 

レイリーが俺の顔を、長く見た。

「お前さん、ひとりで全部抱えるつもりか」

「抱えない」

 

俺は刀「闇」を腰の鞘から、ほんの一寸だけ抜いた。刃の根元が燭台の灯を反射して、白く沈んだ。

「抱えない。けど、間に合わせる」

「答えが矛盾してるぞ」

「矛盾でいい」

レイリーが葉巻を灰皿に置いた。今夜はじめて、火を完全に落とした。

「坊主」

「ん」

「W7に行くなら、ひとつ覚えとけ」

「言え」

「あの島は、造船の島だ。職人と、政府と、海賊が同じ酒場で酒を飲む。誰が誰の味方か、見た目じゃ判らねえ」

「見聞色がある」

「見聞色は心を読まねえ。読むのは気配だけだ」

 

——わかってる。俺はそう言いかけて言わなかった。レイリーが何を言いたいか、その先まで読めたからだ。読めたうえで、言われる必要がある夜だった。

 

 

夜が更けた。俺は二階の部屋の窓を開けて雨に濡れた屋根の縁に座った。シャボンディの夜は、観光地の華やかさの裏に奴隷売買の匂いがいつも混じっている。世界の縮図だ。光と闇が同じ通りで、同じ蝋燭の灯の下に並んでいる。

 

——カリファ。

——お前はどっちだ。

 

いや。たぶん彼女はどちらでもない。どちらでもないまま、CP9副班長という肩書きで自分をそこに留めている。それが、今日の彼女の答えだった。俺はそれを踏み越える権利を、まだ持っていない。

W7で会うとき、たぶん、刃を交わすことになる。そのときに、もう一度聞く。

 

——お前は本当はどっちだ、と。

 

雨が屋根瓦を叩く音が、徐々に強さを増していった。シャボンディの夜の街灯が、雨の粒子を斜めに切る。ひとつの蝋燭の灯が雨を割って、別の家の窓辺に届く。届いたほうの窓も、たぶん同じことをしている。そうやって街は、闇のなかに灯を渡しあう。

カリファの眼鏡のレンズに、蝋燭の火が映っていたのを思い出した。火を、彼女は見ていた。火を見ているという視線そのものを、彼女は俺に隠そうとしなかった。

 

——それが、今夜の、たったひとつの収穫だ。

 

 

風が雨の角度を変えた。俺は屋根から降り、刀「闇」の鞘を、軽く撫でた。

 

眼鏡の女、再び。

次は——、敵として。

 

——次回、第12話「水の都の鐘」

 




ここまで読んでいただきありがとうございます。

カリファとの再会、書き方をずいぶん迷いました。
原作の彼女は「セクハラよ」のひと言で全部弾く、外側から見ると感情が読みにくいキャラです。本作では、そこに「四年前にあなたが裏切らずに残っていれば」という揺らぎを少しだけ重ねました。直接は言わせない。けれど唇を噛む一瞬で、読者に伝わるように。原作の彼女が見せたことのない表情を一個だけ追加した、本作オリジナルの匙加減です。

「お前、本当は政府の犬じゃない」というアズールの踏み込みは、彼が暗殺者時代に共に依頼を捌いた相手だからこそ言える台詞です。観察者じゃなく、当事者の言葉。彼女の沈黙が、それを認めている。第3部の終盤・エニエス・ロビーで、この一言の意味が回収されます。

シャクヤクの「アズくん、あなたって本当に困った子ね」は、彼女が一番アズールを大人扱いしないときの口癖として置きました。シャクヤクは本作で唯一、アズールを「子供」として扱い続ける女です。本人もそれを心地よく受け入れている、というのが、二人の関係の核です。
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