五条悟になってワンピース世界に転生したけど、エースだけは絶対に死なせない 作:熊々
第14話は、カリファ戦です。
第11話のカフェで交わした別れを、ふたりは塔の中で果たします。アワアワの実 vs 無下限呪術——、相性のかみ合わなさを、戦いの中でどう描くか。本話の見どころのひとつです。
そして、四年前に彼女が飲み込んできた言葉が、戦いのどこかで——、というのが、本話のもうひとつの核です。原作のカリファ像を崩さずに、本作の関係性をどこに着地させるか。書きながら、一番慎重になった回です。
続きが気になる夜を、お届けします。それでは、お楽しみください。
ジャブラの息は浅く落ち着いた。
廊下の冷たい床の上に転がしておくのは寝覚めが悪い。
俺は無下限の境界を薄く広げて、男の体を持ち上げた。
押すでも引くでもなく、空気そのものをクッションにして廊下の壁際の凹んだ場所まで運ぶ。
塔の内部は石造りで天井が高い。
蝋燭の代わりに油の灯りが等間隔で燃えていて影が長く伸びていた。
ジャブラを寝かせた壁際に、海軍の予備の毛布が一枚重ねてあった。司法府の備品だ。雑な置き方からして職員の誰かが業務外に使っているらしい。塔の中で番をする時間が長くなれば規律と裏腹に小物がどこかで雑になる。前世の病院の当直室と同じだ。建物の奥には必ず人間の生活臭が滲む。
(——任務外の備品が雑に置かれてる。司法の島も内側はけっこう生活臭いな)
毛布を一枚抜いて、男の上にかぶせた。
これで風邪はひかない。気絶からの覚醒もしばらく後になる。
狼の男には少し悪いがこっちにも事情がある。
「悪いな」
短く声をかけてから、俺は立ち上がった。
廊下の先からは塔の上層へ続く螺旋階段が見えていた。
階段の入口の上に、世界政府の紋章が浅く彫り込まれている。羊と双頭の鷹。光の角度で見るたびに、こちらが見られているような気分になる紋章だった。
⸻
階段は上に行くほど石の磨耗が浅くなっていく。
下の階層はCP9の下級職員や守衛が使う通路で、上に上がるほど通る人間が限られていく構造らしかった。
だから磨耗が違う。歩く人間の数が違うからだ。
階段の中央が窪んでいる下層とまだ角の立っている中層、たぶんほとんど誰も上らない最上層。三層構造の塔は、中で動く人間の階級そのまま石の窪みに刻まれている。
足音を殺す必要は、もうあまりなかった。
ジャブラを倒した時点で、この中層階の警備網はだいたい黙ってしまっていた。
それでも見聞色は浅く張り続けた。
戦場では「気配を切る」より「気配を流し続ける」ほうが疲れない。
前世の暗殺者時代に教官が言っていた。
集中するより流す。狙うより感じ続ける。
息は止めず吐き続ける。脈は数えず預ける。
階段を半周のぼった。
その途中で見聞色が一個の輪郭を捉えた。
冷たい。
冷たくて、整っていて、無駄がない。
——いる。
足音は立てなかった。だが息も殺さなかった。
殺気は出さない。出すと向こうがやりやすくなる。
俺は鞘の握りを一度だけ確認して、階段の最後の数段をのぼりきった。
⸻
階段を上りきった先は、中層の広間だった。
中央に大きな円形の床。天井から下がった大きなシャンデリアの油は消えていて、代わりに壁の油灯がいくつか低く燃えていた。
光の量は少ない。広間の半分は影に沈んでいる。
天井の梁が太く、石造りの建物特有の冷気が床から脛のあたりまで這いのぼってくる。
世界政府の中枢に近い建造物は、どこに行っても床から冷える。前世の救命医時代に、こんな話をしてくれた老外科医がいた。「権力を集める建物は寒い。あれは設計のせいというより、そこに集まる人間のせいだ」。本当かどうかは知らない。ただ今この広間に立っていると、その言葉が妙に正しい気がしてくる。
その中央に、女が立っていた。
背筋が伸びている。
スーツの裾が膝下で揃っている。
眼鏡のレンズが油の灯りを薄く反射していた。
カリファだった。
「やっぱり、来たのね」
声は静かだった。
四年前と同じだった。何度も会ったわけじゃないのに声の質感だけ妙に覚えている。
「会いに来た」
「セクハラよ」
三度目だ。
第3話の路地裏で。第11話のカフェで。そして今、塔の広間で。
口癖というより彼女が俺と会ったときに最初に置く合言葉みたいな一言だった。
俺は刀「闇」の鞘を握ったまま間合いを五歩残して止まった。
五歩。これも四年前と同じ距離だった。彼女が剃で踏み込んでくる初動を読み切れる距離。同時にこちらが鞘を抜くまでの時間が間に合う距離。
「四年ぶり、ね」
カリファが言った。
「アラバスタの後にも、会ったろ」
「あれは、休戦中」
「で、今は?」
「敵同士よ」
短い往復だった。
それで十分だった。
四年前に「次は敵同士よ」とこいつは言わなかった。「次があるかどうかは知らない」と言った。今は「敵同士よ」と言い切る。
その差を、こっちは正確に受け取った。
間合いの取り方。足の置き方。視線の高さ。肩のラインの落とし方。
それらが全部、暗殺者時代の同期そのものだった。
(——変わってないな、こいつ)
カリファが眼鏡のフレームに指を一度だけ触れた。
それは戦闘前の合図だった。
四年前から変わっていない癖だ。彼女と組んで模擬戦をやっていた頃、毎回その仕草の直後に最初の一手が来た。
⸻
カリファが先に動いた。
両手を胸の前で軽く打ち合わせる仕草。
そこから薄い透明の泡がいくつも、こぼれ落ちた。
アワアワの実。
泡は床に落ちる前に空中で散開して、俺のほうへ斜めに流れてくる。
触れた瞬間に石を「洗う」泡だ。石の表面の硬度を、布巾でぬぐうみたいに削り落とす。直撃すれば人体の骨もぬるくなる。
俺は動かなかった。
無下限の境界が、皮膚の数センチ外側で泡の流れを止めた。
止めたというより、届かなかった。
泡は俺の輪郭の手前で空中に張り付き、しばらく浮いていて、それから音もなく弾けて消えた。
「触れない、のね」
カリファが言った。
声に動揺はない。確認するみたいな言い方だった。
「お前のアワアワが優しいから、無下限が反応しない」
「軽口」
「軽口」
カリファの指がわずかに動いた。
剃。
姿が消えた。
正確には、消えたように見える速度で踏み込んできた。
⸻
風の角度が変わった。
俺の左斜め後ろ、半歩。
刀「闇」の柄を引き寄せて、抜かずに鞘ごとカリファの軌道を逸らす。
刃を見せないのは礼儀じゃない。間合いを彼女に教えないためだ。
カリファの指が伸びた。
指銃。
俺の鎖骨を狙ってきた一突きを、武装色を浅く乗せた左手の甲で受け流した。
指の硬度と俺の腕の硬度が当たった瞬間に、火花は出ない。代わりに鈍い金属音だけが広間に短く反響した。
「ふ——」
カリファが息を吐いた。
吐いた瞬間に、もう次の動きに入っていた。
紙絵。
体が紙のように薄くなって、俺の刀の鞘の軌道を縦に避ける。
避けながら左手をこちらの首に伸ばしてくる。指先にまた泡。
近距離でアワアワに触れたら、こっちの皮膚が一枚もっていかれる。
無下限の境界を首だけ局所的に絞った。
絞ったぶん、彼女の指先が境界に当たって弾かれた。
カリファの体が宙でわずかに崩れた。
その崩れの中で、彼女の右足の踏み込みの深さが、本来より一段浅かった。
(——気のせいじゃない)
俺の中で何かが、引っかかった。
四年前の訓練場で、彼女が踏み込む時の角度を、俺は何百回も見ている。
今のそれは、その角度より一段浅い。
技術的なミスじゃない。
技術的にカリファがこの程度のミスを出す相手じゃないことは、こちらが一番知っている。
つまり、わざとだ。あるいは、無意識に出てしまった迷いだ。どちらにしても、この戦闘の温度を彼女自身が何度か内側から下げている。
(殺す気の動きじゃない)
(それが嬉しい、と思う俺もどうかしてる)
⸻
距離を取り直した。
カリファが眼鏡のフレームに指を一度だけ触れた。整えるというより、間を作る仕草だった。
「あなたの賞金、3億2,000万でしょ?」
息の整えに、言葉を混ぜてきた。
「——表向きは」
俺は鞘の握りを軽く戻した。
「お前は数字を信用しすぎる」
「ふん」
それだけだった。
それ以上は、こちらも踏み込まなかった。
(政府は、俺の正体を出さない)
(出したら、自分らの暗殺記録まで全部表に出るからな)
賞金は政府が「表に出してもいい部分」だけで決めている。残りの部分は彼ら自身の暗部に直結している。出せば出すほど自分の首を絞める。だから俺の本当の数字はどこにも書かれない。
その先は黙った。
カリファも、俺が黙った理由を理解した上で黙った。
そういうやり取りができる相手は、世界に何人もいない。
四年前の訓練場で、俺たちは一度だけこの話をしている。
賞金額というのは、政府が「世間に見せたい暴力」と「見せたくない暴力」を分ける装置だ。見せたい暴力には数字がつき、見せたくない暴力は数字がつかないまま消される。彼女はそれを当時から理解していた。理解した上で、見せない側の暴力を担当する組織に残った。
俺は降りた。
彼女は残った。
それだけの違いが、四年経って広間の油の灯りの下で形になっている。
⸻
カリファが再び動いた。
今度は六式の連結。
剃で右に流れて、紙絵で姿勢を低くしながら、指銃を二発こちらの腿と肩に同時に。
俺は刀「闇」を抜いた。
抜き打ちじゃない。抜いて、見せた。
漆黒の刃が、油の灯りをほとんど吸って反射しなかった。
武装色を刀身に薄く乗せる。
指銃の二発を刀の腹で受けて流した。一発目は腿の外側に逃がし、二発目は肩の手前で刃の角度を変えて天井に逸らした。
天井の石に、二発目の指銃が小さな穴を空けた。
油灯がひとつ落ちて、床で一度跳ねてから消えた。
カリファはもう次に行っている。
剃で背後に回り込もうとした。
俺は振り返らなかった。
振り返らずに、無下限の境界を背中側だけ厚く絞った。
カリファの足が境界の壁にぶつかって止まった。
ぶつかったというより、踏み込もうとした床そのものが彼女から数センチ遠ざかった。
無下限の応用だ。「届かない」を彼女の足元だけに発生させた。
カリファの体が一瞬、無重力みたいに浮いた。
その浮きを、こちらは見逃さなかった。
⸻
足を踏み込んだ。
刀「闇」を肩の高さに引いた。
ここで黒閃を抜いてもよかった。
抜かなかった。
殺しに行くなら抜く。殺しに行かないなら、抜かない。
俺は刀を寝かせて、カリファの周囲に無下限の境界を低く閉じた。
彼女の体の周囲、半径一メートル弱。
その範囲だけ空間が「届かない」になる。
カリファが剃で抜けようとした。
抜けなかった。境界の中で、彼女の足だけが空転した。
紙絵で薄くなろうとした。
薄くなれなかった。境界の内側では、彼女の能力の作用半径が伸びない。
指銃で境界を撃ち抜こうとした。
撃ち抜けなかった。指の運動量が境界の手前でほどけて消えた。
カリファの呼吸が、初めて短く乱れた。
額に汗の粒が一つだけ浮いた。
それは戦闘の汗じゃなかった。
四年前まで同じ訓練場で背中合わせに立っていた人間が、今こうして「届かない」の中に閉じ込められていることへの汗だった。
俺はその一メートルの境界の縁に立って、刀を下ろした。
「お前、政府の犬じゃない、って、四年前に言ったろ」
低い声で言った。
「あれ、本気だ」
カリファが、目を伏せた。
油の灯りが眼鏡のレンズの下半分だけを照らした。彼女の睫毛の影が頬に短く落ちた。
しばらく、何も言わなかった。
それから、ほとんど聞こえないくらいの声で、
「……あなたが、裏切らずに残っていれば」
と言った。
⸻
四年前に、俺はその選択をしなかった。
政府の側に残る、という選択を、俺は降りた。
降りた理由を、カリファに詳しく説明したことがない。
説明しても、たぶん彼女は理解しなかった。
理解できる側にいる人間と、できない側にいる人間がいる。彼女はまだ向こう側にいた。
向こう側というのは「上から命じられた人間を殺すのが仕事だ」と言われて頷ける場所のことだ。
俺はその場所に、頷けなくなった。
前世が救命医だったからかもしれない。五条悟という男の魂が残っていたからかもしれない。あるいは両方かもしれないし、両方でもないのかもしれない。
理由はもう分からない。
ただ俺は四年前のあの夜に降りた。降りて、今ここにいる。
降りたとき、俺は彼女に何も言わなかった。
訓練場の入口を出る寸前に、一度だけ振り返った。
カリファはそこに立っていた。
何も言わなかった。引き止めもしなかったし、罵りもしなかった。
ただ俺の背中が出ていくのを、じっと見ていた。
その目を、たぶん俺は今でも覚えている。
覚えているからこそ、ここに来ている。
ここに来てしまっている。
「裏切ってよかった、と、今でも思ってる」
俺は刀の柄を握り直した。
「お前を、政府の犬のままで死なせたくない」
カリファの肩が、わずかに揺れた。
笑ったのか、ため息だったのか、見分けがつかなかった。
「……生意気」
「自覚はある」
⸻
カリファが、膝をついた。
崩れたんじゃなかった。
自分でついた。
戦闘の続行を、自分の側から畳んだ。
膝が広間の石床に触れた音が、油の灯りの揺れる音より小さく響いた。
それを見届けてから、俺は無下限の境界をほどいた。
ほどいて近づいた。
カリファは顔を上げなかった。
顔を上げないことで彼女は俺に「これは決着だ」と伝えていた。
俺もそれを受け取った。
刀「闇」を逆に持ち替えた。柄頭の側を下にして、彼女のうなじの後ろに当てた。
軽く打った。
殺さない打ち方には、コツがある。前世の暗殺者時代の最初の半年で叩き込まれた。打点は頸椎の二番と三番のあいだ。強さは骨に響かせず、神経の伝達だけ一瞬切る程度。落ちるのは早く、醒めるのも比較的早い。後遺症はほぼない。
「眠れ」
短く言った。
カリファの体が一瞬遅れて、横にゆっくり倒れた。
⸻
倒れた彼女を俺は壁際に運んだ。
ジャブラのときと同じだった。無下限の境界を薄く広げて空気をクッションにしてゆっくり運ぶ。
壁際に座らせて上着の襟を直した。
眼鏡が戦闘のあいだに少しずれていた。
外して、彼女の膝の上にそっと置いた。
「すまん」
声は出さずに唇だけで動かした。
少しの間、そこに立っていた。
四年前のあの夜にカリファが俺を見送った目を、もう一度思い出していた。
何も言わなかった目だった。
その目を、今日この広間でもう一度見た気がした。
見た気がしただけで、本当に見たかどうかは分からない。
立ち上がる前に膝の上の眼鏡をもう一度見た。
レンズに油の灯りの光が小さく映っていた。
戦闘の最中も最後までフレームは折れなかった。彼女が手入れを欠かさない人間だからだ。
四年経っても変わっていない。
——変わっていないものは、彼女のほうがたぶん多い。
俺のほうが、変わった。
降りたぶんだけ、変わった。
降りなかった人間と、降りた人間の差は、技術の差じゃなくて、立っている場所の差だ。技術はもう一度合わせれば追いつく。場所の差は、追いつけない。
⸻
壁際のカリファに、もう一度視線を落とした。
寝息はまだ浅い。気絶からの呼吸はだいたいこのリズムから始まって、十分かそこらで深くなる。深くなった頃には、俺はもうここにいない。
彼女が目を覚ましたとき、最初に見るのは膝の上の自分の眼鏡だ。誰が外したかすぐ分かるはずだ。分かった上で、たぶん彼女は何もしないし、何も言わない。
それでいい。
それでいいと、こちらが勝手に決めている。
立ち上がった。
広間の天井を見上げた。
塔の最上階は、ここからまだ何階か上にある。ロビンが連行されているのは、その最上階だった。
見聞色を浅く流した。
最上階の気配が、絶対零度のような圧で広間まで降りてきていた。
冷たいんじゃない。
整いすぎていた。
人間の動きの中で、無駄な揺らぎがひとつもない種類の気配。
カリファのそれよりさらに精度が高く、ジャブラのそれより遥かに静かで、ここまで戦った相手の誰とも階層が違う気配だった。
ルッチだ。
(——本命だな)
その奥に、もう一つ気配があった。
ロビンだ。
弱っているが消えてはいない。
まだ間に合う。
ここまで上がってくるのに、想定よりは時間を使ってしまった。
それでもまだ、間に合う。
階段の入口に向き直った。
刀「闇」を鞘に納める音だけが、広間に低く響いた。
⸻
広間の油灯が一つまた落ちた。
落ちた油が床で一度燃えてすぐ消えた。
眼鏡を外して、寝かせた。
次は——、鳩の男。
俺は階段を、踏み込んだ。
——次回、第15話「鳩の男」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
カリファ戦で一番気をつけたのは、原作の彼女の魅力を損なわないことでした。
本作のアズールは、敵を殺すことに躊躇しないキャラとして第3話で確立しています。だからこそ、相手によって戦い方を変える——、その匙加減が、本話のテーマでした。本作の彼が、彼女のためだけに選んだやり方が、本文の中にあります。
四年前の沈黙の上に乗った言葉、というのが、ふたりの関係の根です。彼女は本当はずっと思っていた、けれど立場がそれを許さなかった——、その圧の中で生きてきた人を、本話で初めて少しだけ自由にしてあげた、つもりです。
賞金額の扱いは、メタ感を出さないことを意識しました。
アズールの強さを派手に見せつけるのは本作の趣旨ではありません。政府の事情と、彼の正体と、その間にある何か——、戦闘の合間にさらりと流して、読者には行間で察してもらう構成にしました。
次回、第15話「鳩の男」。
塔の最上階。第3話の訓練施設で覇王色をぶつけ合ったあの男との、四年ぶりの再会です。本作で最初の、本気の殴り合いになります。
面白いと思っていただけたら、ぜひ★を残していただけると嬉しいです。お気に入り登録、本当に励みになります。
それでは、また次回。