五条悟になってワンピース世界に転生したけど、エースだけは絶対に死なせない   作:熊々

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ローと別れた帰り道。
夜風に乗って届いた「若くて、空腹そうな」気配。
あれの正体に、翌朝の市場で出くわします。

シャボンディで三人目。
ピンク髪の少女と、山積みのピザと、軽口の応酬。

——どこかで聞いた名前だと思った方は、たぶん当たりです。

高評価いただいた方、閲覧、お気に入りいただいた方ありがとうございます。
まだまだ続きますのでどうぞよろしくお願いします。


第十九話 ピザの女王

朝のシャボンディ諸島は、夜の喧騒とは別の生き物だった。グローブ24番の市場通りには露店がひしめいていて、果物の山と魚の腹と安酒のにおいが混ざる。観光客が地図を広げ、海賊が朝飯をかきこみ、奴隷商人が早い時間から客を物色している。健全な街じゃない。だが生きている街ではある。

 

俺は安いコーヒーを片手に、その雑踏を歩いていた。

 

シャクヤクの店を出てからまだ何刻も経っていない。ローの言葉が頭の隅に残っている。残っているが反芻する気分でもない。朝の光は、夜のうちに考えていたことを薄っぺらく見せる。考えるなら夜がいいし、忘れるなら朝がいい。今日は後者の朝だった。

 

——昨夜の気配。

若くて空腹そうな、あの気配。

 

辿るつもりはなかった。ただ市場を抜けて宿に戻る道筋に、その残り香が落ちていただけだ。落ちているなら踏んで通り過ぎるのが筋だろう。覗き込む気はない。気配なんてものは追いかけ始めると癖になる。癖になると寿命が縮む。俺はそういう癖を二十三年間ずっと避けてきた。

 

そう思っていた。思っていたんだが——。

 

 

屋台の前にピンク色の頭が一つあった。

 

ピザ屋の屋台だった。マンモスの背中みたいに巨大な鉄板の上で、生地が次々に焼かれている。チーズが弾けてトマトの赤が滲む。観光客が三、四人ほど並んで順番待ちをしていた。香ばしい焦げの匂いが朝の風に乗って通りまで流れてくる。

 

その列の先で、ピンクの少女が一人ピザを食っていた。

 

一枚じゃない。足元に空の皿が積まれていた。三、四枚は積まれていた。テーブルの上にも一枚、半分かじりかけが乗っていて、両手にはまた別の一枚が握られている。隣の席の客は皿の山を見て見ぬふりをしながら距離を取っていた。当然だった。あんなものを朝から目撃したら誰だって食欲が消える。

 

口の周りはトマトソースで汚れていた。頬は栗鼠みたいに膨らんでいた。そのままもう一口かじった。

 

「……」

 

俺は足を止めた。止めるつもりはなかったが止まった。ピンクの髪、薄汚れた帽子、肩を出した派手なシャツ、腰に短いブーツ。歳は——見たところ十二か三か。少女と呼ぶには気の強そうな目をしている。少女と呼ぶには口の動きが大胆すぎる。少女と呼ぶには皿が多すぎる。

 

噂で名前は聞いたことがあった。

 

ジュエリー・ボニー。最悪の世代の一人。懸賞金一億四千万。シャボンディに上がってきていると、昨夜シャクヤクが言っていた気がする。あの女将の口から名前が出る客は、だいたい厄介な部類だ。今回も例外じゃないらしい。

 

面識はない。声をかける義理もない。俺はコーヒーを一口飲んで視線を外した。外してそのまま通り過ぎようとした。

 

「——おい」

 

少女のほうが先に口を開いた。口の中のピザを呑み込んでから、もう一口かじりながら、俺の背中に投げてきた声だった。

 

「あんた、変な目してんね」

 

俺は半歩戻った。

 

「片目だけ蒼いって、シャボンディに二人もいねえって聞いたぜ。ここ最近の酒場の話題はあんたで持ちきりだ」

「……観光客だ」

「観光客は変な目してねえよ」

少女はピザの最後の一切れを口に押し込み、指を舐めた。それから足元の皿の山を顎でしゃくった。

「座れよ。一杯おごってやる。コーヒーぬるくなってるだろ」

「結構だ」

「つれねえな」

 

俺はもう一度半歩戻った。今度は彼女の向かいの椅子の前まで。座らずに椅子の背に手だけかけた。

「一つ聞いていいか」

「なんだ」

「お前こそ、何でこんな朝からそんなに食ってんだ」

ボニーは新しいピザを受け取りながらふんと鼻で笑った。

「腹減ってんだから食ってるだけだろ。文句あるか」

「ない」

「だろ」

 

 

それからしばらく、軽口だけが転がった。

 

天気の話。屋台の値段の話。観光客の財布の薄さの話。海軍が最近うざいという話。彼女はピザを食い続け、俺はコーヒーを温め直してもらった。屋台のおっちゃんは商売熱心で、頼んでもいないのに二杯目を注ぎ足してくれた。たぶん皿の山に怯えて、少しでも常連を増やしておきたいんだろう。

 

会話は軽い。軽いまま転がしておけば、それで済む話だった。済ませるつもりだった。

 

だがこちらが一歩引いていると、向こうが一歩踏み込んでくる。世の中はだいたいそういうふうにできている。引く側はずっと引き続けるしかなくなるし、踏み込む側はどこまでも踏み込んでくる。最悪の世代と呼ばれる連中はだいたい後者だ。

 

「で」

 

ボニーは三枚目だか四枚目だかのピザを半分まで進めて、ちらりと俺を見た。

 

「あんた、何なんだ。本当に」

「ただの飲んだくれだ」

「飲んだくれは朝からコーヒーなんか飲まねえ」

「酔いを冷ましてんだよ」

「ふーん」

 

少女はピザを置いた。両手の指を布で拭って頬杖をついた。汚れた頬の下から、急に大人びた目がのぞいた。

 

——そういう目をたまにする子だな。

 

俺は心の中でそれだけ思った。それだけ思ってコーヒーをまた一口飲んだ。子供と大人の境目を行き来する人間は珍しくない。だが、その境目を一秒で跨ぐ人間は珍しい。

 

「あんた、噂のシャボンディの幽鬼だろ」

「噂は噂だ」

「キッドのとこの店半壊させたって聞いたぜ」

「向こうが先に殴ってきた」

「ハートのトラ男と桟橋で長話してたって聞いたぜ」

「世間話だ」

「ふーん」

 

ボニーはもう一度ふんと笑って、それから目を細めた。煽る目になった。

「なあ。あんた、本当に強いの?」

 

 

来たな、と思った。

 

軽口の応酬の、その先。こいつはこういうやつなんだろう。試さずにいられない。引っ張ってみずにいられない。少女の顔をしているのに、海賊の顔も持っている。最悪の世代と呼ばれる連中は、たぶんみんなそうだ。一人の人間の中に二つも三つも顔を抱えていて、どれが本物かはたぶん本人にもわかっていない。

 

俺はコーヒーを置いた。そしてこっちから一手踏み込んだ。

 

「お前」

「なんだよ」

「何歳に見せてる?」

 

——。

 

ピザが宙に浮いた。

 

正確には、口元に運ばれかけていたピザの一切れが、彼女の指から落ちた。皿の上ではなくテーブルの上に、ばちゃ、と落ちた。チーズが伸びた。伸びたままテーブルの木目に張りついた。

 

ボニーは固まっていた。瞬きをひとつしてから、もうひとつしてから、ようやく口を開いた。

 

「な——」

 

口の端にトマトソースが残っていた。

 

「どうしてそれを」

「片眼だけ、呪力の流れが見える」

 

俺は自分の左目を、人差し指の背で軽く撫でた。

「お前の年齢、ぐるぐる動いてるのが見えてる」

 

——本当のところ、流れが見えるのは事実だ。だがそこから「年齢を動かしている」と当たりをつけたのは、ただのカマかけだった。カマかけだったが彼女の反応で確信した。最悪の世代の懸賞金は伊達じゃない。だが、少女の表情は伊達でしか作れない。今の彼女の顔は完全に後者だった。

 

ボニーは数秒黙った。それからゆっくりと頬杖を外した。椅子の上で背を伸ばし、両手の指を小さく組んだ。

 

笑った。

「……ほう」

 

少女の顔のまま、海賊の声で笑った。

「ほうほう。シャボンディの幽鬼、噂以上だな」

「褒められても困る」

「困ってる顔じゃねえだろ、そりゃ」

 

ボニーは指を組んだまま机の上に肘を立てた。そして片方の手だけ、俺のほうに軽く向けた。

 

——空気が変わった。

 

 

呪力の流れではない、別の力。人の年齢を押したり引いたりする力。その流れが彼女の指先からこちらへ伸びてきた。

 

伸びてきたはずだった。

 

俺は手を動かさなかった。左目だけ薄く細めた。

 

——境界。

 

無下限の薄い膜が、俺の輪郭の少し外側で静かに立ち上がった。立ち上がって彼女の力を迎えた。迎えて止めた。止めて消した。

 

一拍だった。

 

ボニーの指先から伸びた力が、俺の身体に届く前でぷつと途切れた。途切れたというより、距離が無限に引き伸ばされた。彼女の力は俺の輪郭に永遠に届かない。届く前にどこか遠い場所へ落ちていった。

 

ボニーの目が見開かれた。

 

「な——」

 

組んでいた指がほどけた。

 

「なんだ、それ」

「軽口は、軽口で返してくれよ」

 

俺は左目をまた閉じた。膜は、立ち上がったときと同じ速さで消えた。立ち上げた事実すら屋台の煙の中に紛れた。

 

「本気で来られると、こっちも本気で返さなきゃいけなくなる」

 

声を低めた。低めたつもりはなかったが、勝手に低くなった。本気冷却というやつだ。喉の奥が一瞬だけ別人の声になる。慣れた感覚だった。慣れているがあまり好きじゃない感覚でもある。

 

ボニーは口を半分開けたまま俺を見ていた。見ていたというより、俺の輪郭の少し外側を見ていた。そこに何があったのか、まだ目で追いかけていた。空気の歪みすら残していない俺の境界を、それでも探し続けていた。

 

——届いてない。

 

彼女の唇が、声にならない形でそう動いた気がした。

 

——私の力が届いてない。

 

俺はコーヒーをもう一口飲んだ。もう、ぬるかった。

 

 

屋台のおっちゃんが菜箸を取り落とした。かちゃ、と鉄板の縁で菜箸が跳ねた。チーズが焦げる音だけが、しばらく続いた。

 

並んでいた観光客の一人が、列をそっと外れて別の屋台に向かった。別の客が財布をしまって立ち去った。ピザ屋の前から、さっきまでの賑わいが一段引いた。誰も何が起きたか正確にはわかっていない。だが何かが起きたことだけはわかっている。野生の勘というやつだ。シャボンディに長く居る人間はみんな、この勘を持っている。

 

ボニーはピザを抱え直した。山積みの皿を両手でかき集めた。立ち上がりながら舌打ちした。

「ち、ちっ」

舌打ちは強がりに聞こえた。

「勝てねえなこりゃ」

「勝ち負けの話じゃない」

「同じことだ」

 

ボニーはピザの山を抱えたまま、屋台のおっちゃんに銀貨を投げた。釣りはいらねえ、と低く言った。それから俺の横を通り過ぎた。

 

通り過ぎ際に立ち止まった。俺の顔を横目で見た。汚れた頬の下から、また大人びた目がのぞいた。

「あんた」

「なんだ」

「どこかで、会ったような気がする」

 

——おや、と思った。

 

思ったが顔には出さなかった。コーヒーカップの縁を指で軽く撫でただけだった。会ったことはない。少なくとも俺の記憶の中にはない。だが彼女の中にはあるらしい。彼女の年齢が「ぐるぐる動いている」というのが本当なら、俺の知らないどこかの彼女が俺を知っていてもおかしくはない。

 

「気のせいだ」

「だろうな」

 

ボニーは小さく笑った。笑ってピザを抱え直した。雑踏の中にピンクの頭が消えていった。消える瞬間まで、彼女は一度もこちらを振り返らなかった。

 

 

屋台の前には俺と、おっちゃんだけが残った。

 

おっちゃんはまだ菜箸を拾っていなかった。鉄板のチーズが黒く焦げていた。煙が立ち上って朝の光に溶けた。商売人の顔ではなく、完全に通行人の顔をしていた。

 

俺はカウンターに銀貨を二枚置いた。

「すまんな」

「……」

「焦げた分と、列が散った分だ」

 

おっちゃんは銀貨を見て、それから俺の顔を見た。見てまた銀貨を見た。それから、おそるおそる口を開いた。

「兄ちゃん」

「ん」

「兄ちゃん、あの蛇姫みたいなお嬢さんに何したんだ」

 

——蛇姫。たとえがずいぶん遠くから飛んできた。たぶん新世界の話か何かだろう。聞いたような名前だが、顔は知らない。誰かと比べられるほど派手な振る舞いをしたつもりはないんだが、屋台のおっちゃんの目には派手に映ったらしい。

 

俺は思わず片頬だけで笑った。

「軽口を、軽口で返した」

「あれが軽口かよ」

「向こうがそう言った」

 

おっちゃんは菜箸をようやく拾った。拾って鉄板の焦げを、ぱきりと剥がした。剥がしながらまだ俺の顔をちらちら見ていた。商売道具を持っても、まだ商売の顔に戻れていなかった。

「兄ちゃん、あんた」

「うん」

「あんた、何者だ」

 

——既視感のある問いだった。

 

数日前の酒場のマスターにも似たようなことを言われた気がする。あのときの答えを、俺はもう忘れかけていた。忘れかけていたが思い出した。思い出してそのまま口に出した。

「ただの、飲んだくれだ」

 

おっちゃんはそれを聞いてふっと笑った。笑って首を振った。

「飲んだくれは、銀貨を二枚も置いていかねえよ」

「酔いが回ってる」

「コーヒーで?」

「強いコーヒーだ」

 

おっちゃんはもう何も言わなかった。焦げたチーズをゆっくりと剥がしていた。剥がし終えた頃には、新しい客が一人また屋台に近づいてきていた。商売は再開する。シャボンディはどんなことがあっても止まらない。止まる街は売れない街だ。

 

 

俺は屋台に背を向けた。

 

朝の光はもう一段高くなっていた。市場の奥から新しい客の声が上がっていた。果物売りが声を張り、漁師が魚の腹を叩いていた。シャボンディはまた、何事もなかったかのように騒がしくなっていく。

 

ピンクの頭はもうどこにも見えなかった。

 

代わりに海のほうから、潮の匂いが流れてきた。桟橋のほうの空に鳥が群れていた。群れていて騒がしかった。鳥が騒ぐ朝はろくな船が来ない。漁師町のじいさんが昔そんなことを言っていた気がする。

 

——明日にはもう、シャボンディはもっと騒がしくなるな。

 

俺は左目を軽く撫でた。撫でてコーヒーカップを、ようやくゴミ箱に投げ込んだ。

 

夜が明けるたびに街は重くなる。重くなって何かを呼び寄せる。

 

呼び寄せられる側になるのは、勘弁してほしいんだが。

 

 

 




シャボンディ三人目、ジュエリー・ボニー。
ピザと軽口と、ほんの少しの「届かない」感触。

街が騒がしくなる前夜の、最後の朝の話でした。

★★★
ここまで読んでくださってありがとうございます。
ボニーとの軽口、楽しんでいただけたら嬉しいです。
「ピザ吹き出すボニー、可愛い」と思った方は★やお気に入り登録で教えてもらえると、書き手はピザを一枚多く焼く気力が湧きます。
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