五条悟になってワンピース世界に転生したけど、エースだけは絶対に死なせない 作:熊々
第2話は、前世の烏丸蒼が「アズール・D・レイヴン」として完成するまでの五年間。冥王シルバーズ・レイリーとの修行、シャボンディの薄暗いバーでの暮らし、そして、ある事件をきっかけに彼の中の「医者」が壊れていく話です。
第1話で予告した通り、本来の飄々とした主人公像と、内心ツッコミがここから本格解禁になります。あと、ハーレムの最古参——シャクヤクさんが初登場します。原作で「色気の擬人化」みたいな扱いだったあの人を、心置きなく書きました。
それと、十歳前後で天竜人事件を踏ませました。「医者だった主人公が、なぜ暗殺者の道を選ぶのか」を、説明じゃなく体験で書いています。少しだけ重い回ですが、第3話以降の動機の根になります。
それでは、第2話、お楽しみください。
潮の匂いがした。
血の匂いと、混ざっていた。
俺は母さんの遺体の前で、まだ動けずにいた。
レイリーが、低く言った。
「坊主、ここに残れない」
「……」
「来い」
短い言葉だった。
理由も、慰めも、ない。
ただ、それだけ。
——だが、それでよかった。慰められたら、たぶん俺は泣き崩れていた。
「母さんは」
「島の薬師仲間に頼む。手厚く埋めてやる」
「……ありがとう」
「礼はいらん。お前を連れていく方が、よほど業が深い」
レイリーは、煙管を一服吸って、それから俺に背を向けた。
俺は最後に、母さんの冷たい指に、自分の指を絡めた。
——母さん。
俺、行くよ。
たぶん、もう泣かない。
⸻
レイリーの船は、思っていたより小さかった。
帆が一枚、操舵輪と、くたびれた木の床。
これで本当に冥王の船かよ、と前世の俺なら笑ったかもしれない。
でも、海に出た瞬間、俺は黙った。
船の進み方が、違う。
波に乗っているんじゃなく、波を退けている。
——あ、これ、覇気だ。
「坊主」
「なに、ジジイ」
レイリーの眉が、ぴくりと動いた。
が、すぐに苦笑になった。
「……俺をジジイ呼ばわりした五歳児は、お前が初めてだ」
「光栄だね」
「で、聞きたいことが一つある」
「どうぞ」
レイリーは、俺をじっと見た。
眼鏡の奥で、金色の瞳が静かに細められる。
「お前、なぜ俺を知っていた」
「秘密」
「……」
「秘密ったら秘密。大人をからかう子供のセリフ、知ってるでしょ」
「五歳児がそれを言うか」
俺はにやり、と笑ってやった。
レイリーは、しばらく俺を見て、それから低く笑った。
笑い方が、渋かった。
こういう男に育てられるのか、と俺は他人事のように思った。
(冥王に拾われる五歳児って、地球と海賊世界含めて、たぶん俺くらいだろうな)
風が変わる。
南の海の、生暖かい風。
俺は手すりに肘をついて、水平線を眺めた。
あと何日かで、シャボンディに着く。
——母さんを失った五歳児が、世界最強の片割れに連れられて、自由の海へ。
ふざけた話だった。
それでも、俺の中で、確かに何かが、動き始めていた。
⸻
シャボンディ諸島。
七色のシャボンが空に浮かぶ、ふざけた色合いの島。
原作で何度も見た景色——なのに、においが、違った。
甘い樹液と、潮と、煙草と、煮込まれた肉の匂い。
あと、人の匂い。生きてる、人間の匂い。
レイリーが先を歩く。俺はその後ろをついていく。
五歳の足には、レイリーの歩幅は遠かった。
それでも、俺は走らなかった。
走ったら、こいつに「子供扱い」される気がした。
「ここだ」
たどり着いたのは、薄暗いバーだった。
看板も出ていない。
——シャクヤクのバー。
俺はそれだけで、心臓が一回、跳ねた。
ドアを押す。からん、と乾いた鈴が鳴る。
カウンターの奥に、女がいた。
赤い唇。
細く立ち昇る、煙草の煙。
低い声が、ひとつ、流れた。
「あら、レイリー。今日は早いのね」
「ああ。連れてきた」
「……あら」
女が、こちらを見た。
——シャクヤク。
原作で見た顔。
でも、紙の上のキャラと、目の前にいる「人」は、まるで別物だった。
胸元のあいたシャツ。
カウンターに置かれた指の長さ。
こちらを覗き込んでくるときの、首の角度。
全部が、「色気」という単語の見本市みたいだった。
(……原作のシャクヤクさん、実物だとマジで色気えぐいんだが)
(これ、五歳児に見せていい人物か? いや精神年齢三十前だけど、それでも目に毒だぞ)
「あら、坊や」
シャクヤクが、ふっと笑った。
煙草の煙が、ゆらりと俺の顔まで届いた。
「名前は?」
「……アズール・D・レイヴン」
「アズくん、ね。可愛い名前」
レイリーが、隣で短く言った。
「裏部屋を貸してくれ。しばらく置く」
「あら。冥王が、子守ね」
「茶化すな」
「うふふ」
シャクヤクは、煙草を灰皿に置いた。
そのまま、カウンターから出てきて、俺の前にしゃがんだ。
赤い唇が、目の高さに来た。
「アズくん。今日からここが、あなたのおうちよ」
——この女は、危険だ。
五歳の俺の本能が、そう言った。
精神三十の俺は、もっと冷静に、こう言った。
(……これ、十年後、絶対に俺の理性壊しに来るやつだ)
⸻
地獄が始まった。
レイリーの修行は、想像の三倍えげつなかった。
朝、海に放り込まれる。
泳げ、と言われる。覇気を使え、と言われる。
五歳児に言うセリフじゃない。
俺は溺れた。何度も。
口の中、塩でいっぱいになった。
「立て、坊主」
「立ってる」
「覇気だ。海水を弾け」
「無茶言うな」
「無茶を通すから、覇気だ」
(五条悟、お前、こんな修行してねえだろ絶対)
(術式の制御以前に、まず生きるとこからスタートだぞこっちは)
無下限呪術——前世から持ち越したのか、転生のバグなのか、俺の手のひらと身体の表面には、確かに「無限」が広がっていた。
触れない。届かない。最後の最後で、相手の手は俺に届かない。
五条悟そのままの、反則の力。
ただ、これが厄介だった。
——ありすぎて、覇気が育たない。
レイリーは、それに気づいてからは、俺の無下限を「使うな」と禁じた。
「お前のその力は、確かに強い」
「でしょ」
「だが、強すぎる。それに頼るうちは、覇気は伸びん」
「……」
「強さは、種類で持て。一本だけ太い剣じゃ、応用が効かん」
正論だった。前世の医者の俺としても、同感だった。
専門医一本より、総合診療の引き出しが多いほうが、現場では強い。
⸻
七歳。
俺は、海中で十分息を止められるようになった。
(息止め十分って、人間やめてないか俺)
八歳。
武装色——腕を、鉄の硬さに変えられるようになった。
レイリーの拳を、ようやく素手で受けられるようになった。
受けた瞬間、肩が外れたが。
——一回で済んだ。前は、両肩、毎回外れていた。
九歳。
見聞色——気配を読む。
レイリーが背後から振る木刀を、振り向かずに避けた。
レイリーは、ふん、と一回鼻を鳴らしただけだった。
褒めない男だった。
でも、その「ふん」が、俺には十分だった。
そして、もう一つ。
レイリーが、ある日、稽古の途中で、ふと手を止めた。
「坊主」
「なに」
「お前、これ、持ってるな」
「これ、って」
「覇王色」
——ぞくり、と背中が冷えた。
俺は、笑ってごまかした。
「……マジ?」
「マジだ」
「使い方、教えてくれる?」
「教えん」
「は?」
「使うな。お前が使ったら、十年後、お前を慕う人間が増えすぎる」
冗談か、本気か。
レイリーは、それきり、覇王色の話はしなかった。
(……このジジイ、たぶん本気で言ってるな)
⸻
九歳の終わり頃から、俺はバーの手伝いをするようになった。
皿を洗い、グラスを磨き、客の名前を覚える。
シャクヤクは、満足そうに俺を眺めていた。
「アズくんは、本当に器用ね」
「前世の特技」
「……前世、って」
「冗談」
シャクヤクは、笑った。
ふふ、と。低い声で。
——この女、たぶん俺の「冗談」を、半分くらい本気で疑っている。
鋭い。あまりに、鋭い。
ある夜、客が引けたあと。
カウンターに、シャクヤクと俺だけが残った。
シャクヤクは、グラスをひとつ、俺の前に置いた。
琥珀色の液体が、揺れていた。
「アズくん」
「なに」
「もうお酒くらい、飲める歳でしょ?」
「俺、十歳」
「そう、十歳。立派な大人」
「いや、世界中どこ探しても、それは大人じゃない」
シャクヤクは、ふふ、と笑って、カウンターに肘をついた。
身を乗り出してくる。
胸元のシャツが、緩んだ。
「いいから、ほら……ね?」
——目を、逸らせなかった。
赤い唇が、すぐ近くにあった。
煙草の匂いと、香水の匂いが、混ざって俺の顔にかかった。
(綺麗だ……いや待て俺まだ十歳だぞ俺!? 精神年齢三十超えてるけど!)
(ていうか、これ、原作のシャクヤクさんがやっていい仕草か? いや原作で描かれてないだけで、シャクヤクさんなら絶対やる、絶対やるわ……!)
俺は、グラスを押し戻した。
「……俺、まだ修行中だから」
「あら、つまんないの」
「ジジイに言いつけるよ」
「やだ。それは怖い」
シャクヤクは、肩をすくめて、笑った。
そのまま、自分のグラスをくいと傾けた。
喉の白さが、灯りに浮かんだ。
俺は、目を逸らした。
逸らした先に、窓があった。
窓の外を、シャボンが、ひとつ、ふわりと上っていった。
——この生活が、ずっと続けばよかった。
そう思った瞬間に、俺は自分で自分を笑った。
(続くわけ、ねえだろ)
(俺は、ここに、エースを助けに来たんだ)
⸻
その日が、来た。
シャボンディに、天竜人が、来た。
レイリーは朝、俺の肩に手を置いて、低く言った。
「坊主」
「うん」
「絶対に、手を出すな」
「……」
「いいか。絶対に、だ」
「うん」
返事はした。
でも、その時の俺は、たぶん心の底では、わかっていなかった。
——「手を出さない」が、どれだけ重い言葉なのか。
街に出た。
シャボンが、いつも通り浮かんでいた。
人混みも、いつも通りだった。
ただ、空気だけが、違った。
——人々が、目を伏せていた。
そして、見た。
天竜人の前に、少女が、転んだ。
ただ、転んだだけだった。
ぶつかってもいなかった。
触れてすら、いなかった。
ただ、近くで、転んだ。
——ぱん、と、銃声が鳴った。
少女が、倒れた。
赤が、地面に広がった。
誰も、動かなかった。
誰も、声をあげなかった。
俺の足が、止まっていた。
動けなかった。
無下限を、出せばよかった。覇気を、放てばよかった。
でも、出せなかった。
レイリーの「絶対に、だ」が、頭の中で、鎖になっていた。
少女の母親らしき女が、声を殺して、地面に伏せていた。
俺と、目が、合った。
合った瞬間に、女は、首を振った。
——助けないで、と。
そう、言っていた。
俺は、踵を返した。
バーまで、走った。
走りながら、頭の中で、ずっと、ひとつのことを、繰り返していた。
(俺は、医者だった。救う側の人間だった)
(だが——ここでは、医者じゃ、救えないものが、多すぎる)
⸻
バーに、駆け込んだ。
シャクヤクが、カウンターの奥にいた。
俺の顔を見て、何も聞かずに、こちらに来た。
膝が、抜けた。
俺は、シャクヤクの腰のあたりに、顔を埋めた。
泣いていた。
五歳のとき、母さんの前でも泣かなかった俺が、十歳の今、初めて、声をあげて泣いた。
シャクヤクは、何も言わなかった。
ただ、俺の頭に、手を置いた。
その手が、温かかった。
「……いいのよ」
低い声が、降ってきた。
「いいのよ、アズくん。泣きなさい」
俺は、泣いた。
少女のために泣いたのか、母さんのために泣いたのか、自分のために泣いたのか、わからなかった。
たぶん、全部だった。
シャクヤクの煙草の匂いが、ゆっくりと、俺を包んだ。
——前世の母さんも、こうやって俺を抱いたことが、あったかもしれない。
そう思った瞬間に、俺は、もう一度、声をあげて泣いた。
⸻
十歳の、誕生日。
レイリーが、長い包みを、俺の前に置いた。
細長い、二本の包み。
「開けろ」
俺は、紐を解いた。
中から、刀が、二振り出てきた。
一振りは、白い鞘。
柄に、灯火の意匠。
もう一振りは、黒い鞘。
柄に、闇の意匠。
「灯(ともしび)」
「闇(やみ)」
レイリーが、ぽつり、ぽつり、と、名を呼んだ。
俺は、二振りを手に取った。
重さが、ちょうどよかった。
——俺の手のために、打たれた刀だった。
「ジジイ」
「なんだ」
「これ、いつから準備してた」
「……五歳のとき、お前を拾った日からだ」
俺は、笑った。
不器用な男だった。
こういうところで、こういう贈り物をしてくる、あまりに不器用な男だった。
レイリーは、煙管を一服吸って、低く、言った。
「坊主」
「うん」
「これからお前は、もう一段、下の地獄へ降りる」
「……」
「覚悟は、あるか」
俺は、刀の柄に手をかけた。
握った。
すっと、馴染んだ。
「あるよ」
「即答か」
「五歳の時に、決めた」
レイリーは、しばらく、俺を見た。
やがて、煙管を、ことり、と置いた。
「明日から、お前を、人殺しの世界へ連れていく」
「……」
「それが、俺がお前にしてやれる、最後の親心だ」
風が、窓から入ってきた。
シャボンが、ひとつ、ふわりと外を流れていった。
バーの奥で、シャクヤクがグラスを磨く音だけが、静かに、響いていた。
俺は、刀を、ゆっくりと、鞘に納めた。
納めながら、笑った。
飄々と、いつもの調子で、笑った。
「——わかった、ジジイ」
レイリーは、何も言わずに、立ち上がった。
背中が、いつもより、少しだけ、小さく見えた。
⸻
その夜。
ベッドの中で、俺は、天井を見上げていた。
灯と、闇が、枕元に、並んでいた。
(明日から、人を、殺す)
(医者だった俺が、人を、殺す)
不思議と、怖くは、なかった。
ただ、ひとつだけ、はっきりした感覚があった。
——前世の烏丸蒼は、この瞬間、本当に死んだ。
窓の外を、シャボンが、ひとつ、上っていった。
俺は、目を、閉じた。
——次回、第3話「最初の標的」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
天竜人事件、書くか迷いました。最初から救う展開にしてしまえば気持ちはいいけれど、それだとアズールが「最強の傍観者」のままで、暗殺者になる説得力が出ない。「動けなかった」という傷を残すことで、第3話以降の彼が走り出せます。
シャクヤクさんは、書いていて筆が乗りすぎました。十歳児に対してあの距離感を取る大人、原作の彼女ならやる気がします。アズールの理性試験は、これからまだ十年以上続きます。
次回、第3話「最初の標的」。
レイリーの紹介で、アズールはCP9の特殊枠——通称「七番員」として、政府の影の依頼を受け始めます。同期に、あの眼鏡の女、あの豹の男、あの牛の男。13歳で初任務、15歳で訓練施設、18歳で離反。一気に駆け抜ける予定です。
★や感想、お気に入り登録、本当に励みになります。
ひとつでも残していただけると、第3話を書く速度が体感二倍になります。
それでは、また次回。