五条悟になってワンピース世界に転生したけど、エースだけは絶対に死なせない   作:熊々

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戦場の温度が一段下がったあと、戦場の音が戻ります。

戻ってきた音の中で、ずっと黙っていた人が一度だけ、彼の名前を呼びます。
その一回のために、ずいぶん長い回り道をした人だと思います。

それから、彼の身体の奥にまだ残っている一段については、今夜は手前で止めます。
止めるところまでで、たぶん夜が更けます。

続きが気になる夜を、お届けします。


第二十六話 沈黙の蛇姫

赤い光が消えてから、湾の温度が一段だけ底に落ちたまま戻らなかった。

 

戻らないまま戦場の音が先に動き出した。湾の塩気の底に、火薬と焦げた木材の煙が薄く流れていた。

 

右目の奥がまだ熱かった。

熱いのは反転術式が走り抜けたあとの余熱で、戻ったはずの視界の縁がうっすらと滲んでいる。

滲みはすぐに引いた。

引いたあとに残った視界はいつもより少しだけ薄かった。

 

左目の奥も一度だけ閉じて開けた。

左目は無事だった。

無事なのに右目より一段だけ反応が遅れていた。

遅れているのは反転術式の余波が左の脈にも回っているからで、二、三分もすればこの遅延は消える。

 

(——この遅延、相手に拾われたら一度死ぬ)

 

(——息を絞れ)

 

消えるまでのあいだ、無下限の境界の張り直しを少しだけ慎重にやる必要があった。

肩の上下を一段だけ浅くした。

浅くした呼吸の縁で、戦場の音がまた一拍ずつずれて戻ってきた。

 

⸻

 

赤犬の右肩から伸び直した肉が軍服の袖の中で完全に元の太さに戻っていた。

 

戻ったあとの腕が一度だけ握って開く動きをした。

握って開いた指の関節がさっきまで石化していたとは思えない速さで動いた。

石化を内側から剥がしきった皮膚の表面がうっすらと赤黒い。

赤黒いのは溶岩を一度通したあとの肉の色だった。

 

『……境界が、薄うなっとるな』

 

声はもう一度低かった。

低いまま赤犬の視線がこちらの右目の奥を一拍だけ撫でた。

撫でた視線の重さに、見聞色の針が硬く跳ねた。

跳ねた針の端で、こちらの右目の余熱が向こうにも見えていることが分かった。

赤犬は距離を取った。

 

距離を取ったのはこっちが片膝で踏ん張っているのを見たからじゃなかった。

白ひげの大震動が湾の海面をもう一度持ち上げて海軍の包囲網の右半分を内側から押し戻したからだった。

押し戻された包囲網の縁から海軍兵の悲鳴が遠くで上がった。

上がった悲鳴の方向に赤犬の視線が一度だけ流れた。

 

『——止めるな!赤犬を一人にするな!』

 

センゴクの声が演説台から飛んだ。

飛んだ声に黄猿の遠景が、やっと一歩だけこちらへ動いた。

 

一歩だった。

一歩なのに湾の半分の光が一瞬だけ歪んだ。

歪んだ光の縁に、黄色い粒子が薄く流れて見えた。

流れた粒子の方角に、こちらの見聞色の針が一拍だけ硬く跳ねた。

跳ねたが、それ以上の動きはなかった。

 

(——黄猿はまだ来ない)

 

見聞色の針がそう判断した。

判断は身体の側に降りてきて、俺の右膝が地面を蹴り直すのを許した。

許された膝が一拍遅れて石畳を浅く押した。

押した先で石畳の継ぎ目が一ミリだけ沈んだ。

沈んだ縁から、細かい砂利が空中に薄く舞い上がった。

舞い上がった砂利を、肩の上を流れた風がゆっくり横に流した。

 

⸻

 

蹴り直した先で、片膝が立ち膝に変わった。

変わったところまでで、上半身が一度大きく揺れた。

揺れた重心を戻そうとして、左肩がほんの少しだけ前に出た。

出た肩の上を、横から細い指が掴んだ。

 

掴まれた瞬間、こちらの見聞色は気配の主を一拍前に捉えていた。

捉えていたのに身体の方は止められなかった。

止められなかったのはその指の主だけはこちらの境界の薄いところを抜けてくるからだった。

 

指は冷たくも温かくもなかった。

ただ震えていた。

震えていたのは指先の一節だけで、付け根の方は普段通りの硬さで止まっていた。

 

「——立ちなさい」

 

声が俺の右肩のすぐ上で落ちた。

 

ハンコックだった。

立ち位置がさっきよりもう一歩こちらに寄っていた。

寄ったあとの距離がさっきまでの「触れずに止まった距離」じゃなくなっていた。

 

俺は揺れたままハンコックの顔を見上げた。

見上げた先の顔がこちらを見下ろしていなかった。

真横を見ていた。

真横の方角に海軍中将の構えが二つ並んでいるのが、こちらの見聞色にも映っていた。

 

横顔に、笑いの皮も軽蔑の皮も貼り直されていなかった。

貼り直す余裕が今のハンコックにはなかった。

 

胸の中で短く言葉を起こしかけて、すぐに止めた。

止めたのは、ここで茶化す瞬間じゃないと身体の方が知っていたからだった。

 

⸻

 

「——お前」

 

ハンコックの唇が動いた。

 

「女ヶ島で言ったわね」

 

短い呼吸が一つ挟まった。

 

「——『またな、蛇姫』と」

 

声が最後の一音で揺れた。

揺れたのを取り繕うために語尾が一段硬くなった。

硬くした語尾の奥で本人がまだ揺れているのが見聞色には筒抜けだった。

 

「覚えていない、とは言わせない」

 

俺は揺れたまま、ハンコックの右手の細さを見た。

細い指が俺の右の二の腕に乗っていた。

乗っているのに、力は入っていなかった。

力を入れたらこちらの右半身がそのまま倒れることを、見聞色を持っていない指の方が先に知っていた。

 

胸の中で短く笑った。

笑ったあとで声のトーンを一段だけ下げた。

下げたら、いつものふざけが半分だけ戻ってきた。

戻った半分が、声を妙に飄々にした。

 

「悪いな」

 

短く返した。

 

「忘れる男じゃないんだ、俺は」

 

返したあとでハンコックの目の動きが半秒だけ止まった。

止まったあとで瞳の表面の光がほんの少しだけ厚くなった。

厚くなった光が何かを溢しかけて本人の意思で止められた。

止められた縁の薄いところに女ヶ島の海岸の夜の色がほんの少しだけ残っていた。

 

⸻

 

ハンコックの目の縁が一拍だけ濡れた。

 

濡れたのを本人の方が一番先に気づいた。

気づいた瞬間にその縁を一度だけ瞬きで殺した。

殺した瞬きのあとで唇がもう一度動いた。

 

「——アズール」

 

初めて、名前で呼ばれた。

 

呼ばれた瞬間に、戦場の音が一拍だけ遠くなった。

遠くなったのはこちらの聴覚の方の問題だった。

身体の中の血の流れが、その三文字に合わせて一拍ずれた。

ずれた拍をすぐに整え直したが、整え直す前にもう、こちらの方も口が動いていた。

 

「ボア・ハンコック」

 

一度だけ本名で呼んだ。

呼んだら、ハンコックの肩が一拍止まった。

 

止まった肩の上で、長い髪の先が風で揺れた。

揺れた先がこちらの右の頬を一度だけ撫でた。

撫でられた頬の温度が、思っていたより冷たかった。

冷たいのに、撫でた跡だけ妙に長く残った。

残った跡の上を、こちらの呼吸が一度だけ通り抜けた。

通り抜けた呼吸の奥で、ハンコックの胸の輪郭が一拍だけ細く震えたのが見聞色に拾えた。

拾えた震えが、ここに辿り着くまでに本人が一人で噛み殺してきた数の輪郭だった。

 

⸻

 

「——蛇姫!貴様、本気で離反するか!」

 

中将の一人が距離を取りながら叫んだ。

 

『——海軍本部七武海ボア・ハンコック、王下七武海の身分につき、即時警告——』

 

警告の途中でハンコックは振り返らなかった。

振り返らないままこちらの二の腕に乗っていた指の力を、ほんの少しだけ強めた。

 

強めたのはこちらを支えるためじゃなかった。

こちらの腕の輪郭を確かめるためだった。

確かめている指の腹の動きが、肌の上を一センチだけ往復した。

往復した一センチの距離を、二度繰り返してから止まった。

 

「黙りなさい」

 

たった6文字だった。

 

6文字なのに警告を発した中将の口がそのまま閉じた。

閉じた口の奥で虚無の気配が一瞬走ったのが見聞色に映った。

メロメロの実の波長を、ハンコックは初めてこちらをかばう向きに使っていた。

使った波長の縁が広場の石畳を半分だけ薄く撫でた。

 

撫でられた石畳の上で、海軍の足音が一斉に半歩だけ後ずさった。

後ずさった足音の数が想像より多かった。

 

胸の中で短く息を吐いた。

吐いたあとで、ハンコックの横顔をもう一度だけ見た。

横顔は、まだ真横を向いたままだった。

 

(——これは本当にもう戻れねえな、お前)

 

胸の中だけでそう呼んだ。

呼んだ声が自分でも思っていたより少しだけ優しかった。

 

⸻

 

戦場の別の場所で、白ひげが二度目の大震動を放った。

 

放った震動の縁が湾の南側で氷の道を割った。

割った縁から白ひげ艦隊の三隻目が、広場の中央に滑り込んだ。

滑り込んだ船首から跳ねるように降りてきたのは——マルコだった。

 

『——隊長たち、行くぞい』

 

声は短かった。

短いのに白ひげ海賊団の隊長級の動きが、一斉に揃った。

揃った動きが海軍の二列目の中央を縦に裂いた。

裂いた縦線の真ん中で、キッドの斧鎌が中将級の一人を一撃で吹き飛ばした。

吹き飛ばした先で、ローのルームの円が広がっていた。

広がった円の中で、ローの右手が一度だけ動いた。

動いた瞬間に、別の中将級の身体が三つの輪に分かたれた。

分かたれた身体は崩れる前に円の外に運び出された。

運び出された先で気を失っただけで、まだ生きていた。

生かしたのはローの趣味だった。

 

キッドとローの視線が、一拍だけ交差した。

交差した視線の中で、互いに半秒だけ舌打ちした。

舌打ちのあとで二人はもう、それぞれの方向に駆けていった。

 

駆けていく背中を、見聞色で半瞬だけ追った。

追った先の戦場全体の輪郭が、いつのまにか前半より一回り広く見えていた。

広く見えるようになったのは、こっちの右目の戻りが一段、深くなったからだった。

深くなった代わりに、後ろの方の景色が一段、薄くなっていた。

反転術式の使用代償が、視界の奥行きの方を少しだけ食っていた。

 

⸻

 

胸の奥で、まだ動いていない領域の輪郭がぼんやりと浮いていた。

 

浮いている輪郭の内側に湾一つ分の空間を畳む構造が寝ていた。

寝ているものを起こしたら、そのあとの戦場が半分止まる。

止まる代わりにこちらの心臓も一度止まりかける。

止まりかけた心臓を反転術式で叩き直してぎりぎりで戻す。

戻したあとの数十分はたぶん立っていられない。

 

(——あれは、もう一回しか開けない)

 

寝ているものに向けて胸の中で確認した。

 

(——開けたら、たぶん戦場の半分が止まる)

 

確認した感覚を深いところに押し戻した。

押し戻したのはまだ早いからだった。

早いし——もう一つ、待っているものがあるからだった。

 

待っているのは空の上から落ちてくる予定の小さな影のことだった。

落ちてくる軌道の角度を、ぼんやりと胸の中で計算した。

計算は最後まで合わなかった。

 

合わないまま身体の方は片膝の角度を立て直し始めていた。

 

⸻

 

「立てるか」

 

ハンコックの声がまた落ちた。

 

俺は一度深く息を吸った。

吸ったあとで立ち膝の方の踵に体重を乗せた。

乗せた体重が無下限の境界を踵の下で薄く受けた。

受けた境界の下で石畳の表面が一ミリだけ沈んだ。

沈んだ表面の縁から細い砂のような粒が空気の中に薄く立ち上がった。

 

「——ああ」

 

短く返した。

 

ハンコックの指が俺の二の腕からゆっくり外れた。

外れる瞬間に指の腹が腕の輪郭をもう一度だけ撫でた。

撫でた撫で方が、さっきまでの女ヶ島の海岸の砂よりずっと丁寧だった。

丁寧だったのは、指先の方がたぶん本人より先に「これが最後かもしれない」と知っていたからだった。

 

胸の中で参ったと一度だけ呟いた。

呟いた拍子に口の端が一度だけ上がった。

 

「悪いな、蛇姫」

 

声のトーンをまた一段下げた。

 

「迎えに来たやつがいる。先に片付けに行く」

 

ハンコックは何も言わなかった。

言わない代わりに長い睫毛が一度だけ伏せた。

伏せた睫毛の影が頬の上で短く揺れた。

揺れた影の落ちた頬の白さが、湾の底に落ちた温度の中でやけにはっきり浮いていた。

 

俺は最後の一拍だけその影を見た。

見たあとで処刑台の方に身体の向きを変えた。

 

⸻

 

向きを変えた先で、中将が一人、刀を抜いて立ちふさがった。

 

立ちふさがった構えの隙間に、もう一段下の若い兵が二人続いていた。

 

「——シャボンディの幽鬼!ここから先は通さん!」

 

中将の声が裏返らなかった。

裏返らなかったのは立派だった。

立派なのに、見聞色の針には『恐怖』が一段はっきり映っていた。

映った恐怖は本人のものじゃなく、後ろの若い兵二人のものだった。

中将はその恐怖まで含めて、自分の刀の構えで覆おうとしていた。

覆おうとしている構えの肩の角度が、ほんの少しだけ高かった。

高すぎる肩は、たいてい一拍遅れる。

 

俺は左腰の鞘の上に、左の親指をかけた。

 

『闇』

 

声は短かった。

 

短い声の中で、黒い拵えの刀身が一寸だけ抜けた。

一寸だけ抜けた瞬間に、刀身の周りの光が内側に吸い込まれた。

吸い込まれた光のあとに残ったのは、刀身の輪郭の黒だけだった。

 

『——術式順転"闇"』

 

刀の鯉口が完全に切れた瞬間に、湾の風が一度止まった。

 

止まった風の中を、抜き打ちが一度だけ走った。

 

⸻

 

走ったあとの中将の身体が一拍遅れて二歩ずれた。

ずれたあとで軍服の前合わせがふわりと開いた。

開いた合わせの内側で鎧下のベルトが斜めに一本切れていた。

 

切れていたのはベルトだけだった。

 

中将は膝から崩れた。

崩れたあと目を見開いたまま動かなくなった。

見開いた目の奥に光が残っていない。

残っていないのに死んでもいない。

 

刀『闇』の真の刃は相手の意識を「黒に落とす」。

切らない代わりに起こせない。

起こせないまま戦場から退場させる。

殺さなかったのはこちらの趣味だった。

ここで殺すのはまだ早かった。

 

若い兵二人は刀身が鞘に戻る前にもう自分の足で後ろに下がっていた。

下がってくれたのはありがたかった。

ありがたいついでに、こちらは余計な体力を一回分使わずに済んだ。

体力の節約は、いまの身体には水より大事だった。

 

⸻

 

身体の向きをもう一度処刑台に戻した。

 

戻した先の処刑台がすぐそこにあった。

距離にして三十メートルもなかった。

さっきまで遠い遠いと思っていた距離がいつのまにか喧騒の中で詰まっていた。

 

詰まった距離の上にエースの輪郭が立っていた。

立っているというよりまだ膝で支えられていた。

鎖の重さで肩がもう何時間も下がっていた。

下がっていた肩がこちらの足音に気づいて一拍だけ持ち上がった。

 

持ち上がったついでに目が、こちらを見た。

 

⸻

 

「——お前」

 

エースの声は思っていたより小さかった。

 

小さい代わりにちゃんと言葉になっていた。

さっき口の動きだけで止まっていた音が今度は喉まで届いていた。

 

「——誰、だ」

 

短かった。

 

短いのにその三文字を出すためにエースが息をどれだけ底から引っ張ってきたかが見聞色の針に映った。

針に映った息の底に、何時間も声を出していなかった喉の渇きが薄く見えた。

渇いた喉で出した三文字の輪郭が、出したあとも本人の耳の裏で揺れているのが分かった。

映ったから、俺はその場で一度足を止めた。

足を止めてエースの目を半秒だけ見返した。

見返した先のエースの瞳の奥にまだ反逆児の火種が残っていた。

残っている火種が鎖の重さに押し潰されきっていないことだけが、こちらにとっての救いだった。

 

(——よお)

 

胸の中で軽く呼んだ。

 

(——その『誰だ』に答えてやれる夜じゃあ、ないんだ、まだ)

 

俺は声のトーンをいつものふざけに一段戻した。

戻したトーンで顎を一度だけ持ち上げた。

 

「ただの——夜働きの男だ」

 

短く返した。

 

返したらエースの眉が一拍だけ寄った。

寄ったあとで唇の端がほんの少しだけ上がった。

笑ったわけじゃなかった。

ただ、笑い方を思い出しかけていた。

 

思い出しかけている顔を、俺は半秒だけ見た。

見たあとで処刑台の鎖の根元の方に視線を落とした。

鎖の根元はまだ太かった。

太いまま、まだ何にも切られていなかった。

 

⸻

 

そのときだった。

 

海軍本部の上空で、空気が一度軽く震えた。

 

震えた振動の質が、砲弾でも能力でもなかった。

落下物だった。

しかも落下物の中に「人間」の気配が混ざっていた。

混ざっている数が、一人じゃなかった。

混ざっている気配の輪郭が、一個ずつ全部不揃いだった。

不揃いなのに、一塊で同じ方向を向いていた。

向いていた方向が、こちらの——いま立っている広場の真上だった。

 

「——あれは……」

 

戦場のどこかで、誰かがそう呟いた。

 

呟きが伝染した。

伝染した先で、海軍の何人かが空を見上げた。

見上げた視線の方向が、一斉に揃った。

揃った視線の先の空が、いつのまにか少しだけ暗かった。

暗いのは雲じゃなかった。

何かが、空を一段、覆いかけていた。

 

⸻

 

エースが空を見上げた。

 

見上げた瞬間にエースの喉がひゅ、と短く鳴った。

 

鳴った理由をこちらは見聞色で先に拾っていた。

拾った気配の中に「弟」の波長があった。

波長は粗くて、まっすぐで、どこにも嘘がなかった。

嘘がない波長を最後に聞いたのが何年前だったかを、俺は一拍だけ考えた。

考えたあとで考えるのをやめた。

 

俺もゆっくり空を見上げた。

 

見上げた空の高いところに何か小さなものが落ちてきていた。

落ちてきている軌道が海軍本部の処刑台の——少し手前だった。

 

⸻

 

処刑台の上の鎖が、内側に一度だけ引かれた。

 

風は、まだ止まっていた。

 

止まったままの風の奥に、まだ誰の名前も乗っていない足音が、薄く近づいていた。

 

 




第26話、戦場の音が戻りました。

戻ってきた音の中で、ずっと黙っていた女の人が、彼の名前を一度だけ呼びました。
その一回を書くためのページ数が、想像していたより少しだけ長くなりました。
書きながら、向こう側の睫毛の伏せ方を何回も書き直しました。
最終的に「一度だけ」にしました。一度で十分だと思いました。

処刑台の上の男が、初めて声を出しました。
出した声が思っていたよりずっと小さくて、書いている側もつられて声が小さくなりました。

奥にもう一段あるものは、今夜は開けませんでした。
開けないところで止めるのが、たぶん今夜の正しい止め方でした。
開ける夜は、もう少し先です。

空の高いところから、何かが落ちてきました。
落ちてくる軌道のことは、次の話で書きます。

★お願い★
★や、お気に入り登録、本当に次の一話の速度に直結します。
夜更かしさせてしまった方ごめんなさい。明日のコーヒー、いつもより一杯多めでお願いします。
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