五条悟になってワンピース世界に転生したけど、エースだけは絶対に死なせない 作:熊々
ただし、穏やかなだけでは終わりません。あの男——歪んだ笑みと、ピンクのコートと、サングラスの男が、店に踏み込んできます。原作で大暴れする彼が、若き日のアズールにスカウトをかける、という、たぶんハーメルンでも珍しい構図になりました。
そして、もうひとつの見どころは——シャクヤクさんと、扉、です。
直接の描写は控えめにしました。けれど、章末まで読んでいただければ、何が起きるか、たぶん全員わかってもらえると思います。
それでは、お楽しみください。
「——というわけで、政府を辞めてきました」
「は?」
シャクヤクが、グラスを取り落とした。
カウンターの上で、ガラスが軽い音を立てて割れる。
細かい破片が、夕陽を受けて、きらりと跳ねた。
レイリーは、新聞から目を上げて、ニヤリと笑った。
「やっと辞めたか。遅えよ、坊主」
「遅いとか言わないでくださいよ。一応、十年我慢したんですから」
「我慢ねえ」
レイリーが、新聞を畳む。
グラスを傾けて、酒の最後の一口を、喉に落とした。
「お前、最初っから、政府の犬になるタマじゃなかっただろうが」
「……否定はしません」
⸻
シャクヤクが、ふう、と煙を吐いた。
長い指で、煙草を挟んだまま、俺をじっと見ている。
赤い唇が、わずかに、笑った。
「で? これからどうするのよ、アズくん」
「ここの裏部屋、引き続き貸してください」
「家賃は?」
「何でも屋の、上がりから」
「……何でも屋」
シャクヤクが、煙を吐く。
「随分と、便利な肩書きね」
「便利でしょ。なんでもやるんで」
「暗殺も?」
「依頼内容と、報酬と、相手次第ですね」
俺は、カウンターに肘をついて、軽く笑った。
「人を殺すのに、理屈なんていらないって思ってた頃もあるんですけど。今は、ちょっとだけ、選びたい気分なんで」
シャクヤクが、肩をすくめる。
レイリーは、何も言わなかった。
ただ、新しい酒を、自分のグラスに注いだだけだ。
⸻
その夜、俺は裏部屋で、看板を作った。
板きれ一枚。
墨と、筆。
ガキの頃以来の、手書き。
「何でも屋・レイヴン」
書き終えて、しばらく眺める。
(……ダサくね?)
書き直す気力もなかったので、そのまま、店の入り口の脇に立てかけた。
シャクヤクのバーの、端っこ。
煙草の煙が漏れ出る、その隙間に、俺の看板が、ひっそりと並んだ。
⸻
何でも屋というのは、思ったより、よく流れてきた。
人探し。
護衛。
情報収集。
たまに、暗殺。
ごく稀に、医療。
シャボンディは、海賊と海軍と奴隷商と裏社会が、同じ空気を吸っている街だ。
依頼の三割は、表に出せないやつ。
五割は、出してもいいけど誰もやりたくないやつ。
残り二割が、まあ、普通の依頼。
普通の依頼の中身は、こういうのだ。
「うちの犬が、いなくなっちまったんだよ。アンタ、何でも屋なんだろ?」
ばあさんが、涙目で、俺の腕を掴んでくる。
(シャボンディの幽鬼が、犬探し)
(……まあ、いいか)
(なお、犬は、見つけた)
公園の植え込みで、寝てた。
腹を撫でてやったら、尻尾を振って、ばあさんの方に駆けていった。
礼に、焼き芋を一本もらった。
うまかった。
⸻
別の日。
「うちの娘が、攫われたんです……お願い、お願いします、何でも屋さん!」
母親が、店に飛び込んできた。
顔は青く、唇は震えている。
事情を聞いた。
シャボンディの裏に巣食う、雑魚の人さらい集団。
アジトは、シャクヤクが、煙草を一本吸う間に教えてくれた。
俺は、椅子から立ち上がる。
「シャクヤクさん。三時間で戻ります」
「了解。ご飯、温めとくわ」
「どうも」
⸻
アジトに着いたのは、三十分後。
入り口に、見張りが二人。
「——」
俺が、軽く、指を振る。
『無下限』
二人の見張りが、何かに引き寄せられるように、ぐにゃりと壁に潰れた。
血は、出ない。
内側が、潰れているだけだ。
(死にはしない。ただ、しばらく動けないだけ)
(救命医の俺が言うんだから、信じていい)
中に入る。
廊下の奥から、子供の泣き声。
俺は、軽く、息を吐いた。
(ああ。これだ)
(これが、嫌で、政府を辞めたんだ)
(子供が泣いてる場所を、命令だからって理由で、見て見ぬふりをするのが、嫌だったんだ)
——『蒼幻』
俺の影が、廊下の壁を、滑る。
出てきた男たちが、一人ずつ、無音で、崩れていく。
二十人くらい。
全員、生きてる。
医者の倫理観は、まだ、ぎりぎり残ってる。
⸻
奥の部屋で、少女を抱き上げた。
七歳くらい。
泣き腫らした目で、俺を見上げている。
「もう、大丈夫だよ」
俺は、できるだけ、優しい声で言った。
少女が、こくり、と頷く。
そのまま、俺の首に、しがみついてきた。
(……ああ)
(これだよ、これ)
(これがやりたくて、俺は、医者になったんだったな)
⸻
母親に、娘を返す。
報酬は、辞退した。
「いやでも、それじゃ、こっちが困ります」
「じゃあ、シャクヤクさんのバーで、一杯飲んでってください。それで、いいですよ」
母親は、泣きながら、何度も頭を下げた。
シャクヤクは、カウンターの向こうで、煙を吐きながら、俺を見ている。
「アズくん」
「なんですか」
「あんた、たまに、ひどく医者の顔するよね」
「……そうですか?」
「うん」
シャクヤクが、煙草の先で、俺の頬を、ちょん、と指す。
「いい顔よ」
⸻
二十歳になる頃には、噂は、それなりに広がっていた。
「シャボンディに、幽鬼が出る」
「白い髪の、若い男だ」
「金さえ積めば、なんでもやる」
「ただし、気に入らない依頼は、依頼主ごと消すらしい」
最後のは、嘘だ。
俺は、依頼主は消さない。
依頼そのものを、断るだけだ。
でも、噂というのは、面白い。
⸻
ある日、シャクヤクが、新聞をカウンターに置いた。
「アズくん。これ、見た?」
『女ヶ島の蛇姫、奴隷商人を皆殺し』
写真は、ない。
ただ、奴隷商の船が、丸ごと石になって、海に沈んだ、という記事だ。
(ハンコック)
(もう、この時期から、動いてんのか)
(あいつ、原作の登場時から、化け物クラスだしな)
(マリンフォードで、会えるな)
俺は、新聞を畳んで、シャクヤクに返した。
「強いですね、その人」
「あんたなら、勝てる?」
「さあ?」
俺は、肩をすくめる。
「美人なら、負けるかもしれません」
「……あら」
シャクヤクが、煙を吐いて、ふっと笑った。
「アズくん、最近、口が悪いわよ」
「シャクヤクさんに、似てきたんですよ」
「それ、褒めてる?」
「半分」
「もう半分は?」
「内緒」
シャクヤクが、笑った。
赤い唇が、夕陽の中で、揺れた。
⸻
ドフラミンゴが店に来たのは、それから、しばらく経った頃だ。
⸻
その日は、客が少なかった。
昼下がり。
シャボンディの空が、妙に、静かだった。
ドアが、開く。
カラン、と、ベルが鳴った。
長身。
ピンクのコート。
サングラス。
歪んだ、笑み。
「ようよう」
その男は、店の真ん中に立って、俺を見た。
「噂のシャボンディの幽鬼ってのは、お前か?」
⸻
シャクヤクが、煙草を、ぴたりと止めた。
店の隅で飲んでいた客が、震える手で、グラスを置いた。
俺は、カウンターの椅子に、腰かけたまま、振り返らなかった。
「いらっしゃい」
「フッフッフ。冷てえなあ。客だぞ、俺は」
「客なら、注文してくださいよ」
「じゃあ——お前を、もらおうかな」
⸻
その瞬間、空気が、軋んだ。
『覇王色』
ドフラミンゴの覇気が、店全体に、襲いかかってくる。
歪んだ。
重い。
本気じゃない。
だが、本気じゃないだけで、これか。
俺は、ふう、と、軽く息を吐いた。
「……まあ、こんなとこか」
俺も、覇気を、解放する。
ぶつかった。
シャクヤクは、平気だった。
レイリーが、いつの間にか、店の隅で新聞を読んでいて、ニヤリと笑っただけだった。
他の客は——全員、白目を剥いて、床に倒れた。
(あー。掃除めんどくせえな)
(あとで、シャクヤクさんに、怒られる)
⸻
ドフラミンゴが、サングラスの奥で、目を細めた。
「フッフッフ……フハハハハハ!」
笑い出した。
腹を抱えて、笑っている。
「いいなお前! 面白え!」
「どうも」
「俺の傘下に来ないか? ファミリーに、空きがある」
「断る」
即答した。
ドフラミンゴが、笑みを、ぴたりと止めた。
⸻
「……即答かよ」
「即答ですよ。考えるまでもない」
「理由は?」
「あんたのファミリーって、生え抜きじゃないと、出世できなさそうだから」
「フッ」
「それに——」
俺は、椅子から、ゆっくりと、立ち上がった。
『無下限』
俺の周囲、半径二メートル。
そこに、無限の距離が、展開される。
ドフラミンゴから見れば、俺との間が、突然、永遠に遠ざかる感覚。
そして、いつでも、解除できる。
解除した瞬間、俺の手は、ドフラミンゴの首に、届く。
「あんたの首、いつでも、刈れる距離にあるんで」
「……」
「今、刈らないのは、俺の気分次第ってことです」
⸻
ドフラミンゴが、しばらく、無言で俺を見ていた。
それから、また、笑い出した。
「フッフッフ……フハハ……ハハハハ!」
笑いながら、ドアの方へ、歩いていく。
ドアの前で、振り返った。
サングラスの奥で、瞳が、ぎらりと光った気がした。
「いつか潰し合おうぜ、アズール」
「ええ。楽しみにしてます」
ドアが、閉まる。
カラン、と、ベルが、最後にもう一度、鳴った。
⸻
シャクヤクが、ふう、と息を吐いた。
「……寿命が、十年縮んだわ」
「すみません」
「あんた、本当に、無茶するわね」
「向こうから、来たんで」
レイリーは、新聞を、畳んだ。
「坊主」
「はい」
「あいつとは、いつか、やり合うことになるぞ」
「……でしょうね」
(ドレスローザ。あいつは、俺がいようがいまいが、いつか、ドレスローザで暴れる)
(それは、それで、いい)
(俺の優先順位は、エースだ)
⸻
夜。
客が、引けた。
シャクヤクが、店の鍵を、内側から閉めた。
カウンターの灯りだけが、ぽつりと残る。
「アズくん。今夜、付き合いなさい」
「もう、付き合ってますよ」
「お酒の話よ」
「……お酒の話、ね」
シャクヤクが、新しいボトルを、開けた。
高そうな、ラベル。
コルクが、ぽん、と、軽い音を立てる。
二つのグラスに、注いだ。
⸻
「今日のあれ、すごかったわよ」
「ドフラミンゴですか」
「ええ」
シャクヤクが、グラスを傾ける。
「あんた、強くなったわね」
「そうですか」
「強くなった」
シャクヤクが、煙草に、火をつけた。
煙を、ふう、と、俺の顔の方へ、流す。
煙草の匂いと、香水の匂いが、混じる。
俺は、グラスを傾けながら、横目で、シャクヤクを見た。
赤い唇。
細い首筋。
胸元、わずかに開いた、シャツ。
(……まずいな)
(今夜のシャクヤクさん、いつもより、やべえ)
⸻
「ねえ、アズくん」
シャクヤクが、カウンター越しに、身を乗り出してくる。
赤い唇が、近い。
吐息が、頬に、かかる。
「もう、大人なんだから……ちょっとくらい、いいでしょ?」
指先が、俺の頬に、触れた。
ひんやりとした、長い指。
香水の匂いが、強くなる。
俺は、グラスを、置いた。
(待て)
(待て俺)
(待つんだ俺)
(シャクヤクさんは、恩人で)
(姉貴分で)
(レイリーさんの女で)
(俺がガキの頃から、面倒を見てくれて)
(——いや、もう、これは、無理だろ……)
⸻
「シャクヤクさん」
「……なに」
「酔ってます?」
「ちょっとだけ」
「じゃあ、今夜は、寝てください」
「……あら」
シャクヤクが、ふっと、笑った。
唇の端が、上がる。
妖艶に、上がる。
「逃げるの?」
「逃げてはいないですよ」
「じゃあ、なに?」
「先送り」
「……先送り?」
「俺が、ちゃんと、覚悟を決めてからにします」
⸻
シャクヤクが、しばらく、俺を見ていた。
それから、すっと、身を引いた。
カウンターの内側に、戻る。
煙草を、灰皿で、消した。
「……つまんない男になったわね、アズくん」
「すみません」
「ふん」
シャクヤクが、ボトルの栓を、閉める。
「先送り、長くしすぎないでよ。あたし、そんなに、気が長くないんだから」
「善処します」
「『善処』とか言う男、嫌い」
「……すみません」
⸻
翌朝。
シャクヤクは、少しだけ、すねていた。
朝飯の卵焼きに、塩を、入れすぎていた。
わざと、だと思う。
俺は、文句を言わずに、全部食った。
レイリーが、隣で、新聞をめくりながら、笑っていた。
「坊主。お前、まだ、ガキだな」
「……自覚してます」
⸻
それから、一年が、過ぎた。
⸻
二十一歳。
シャボンディの空に、いつものように、シャボンが上っていく日。
シャクヤクのバーの軒先で、新聞が、風に舞った。
俺は、その一面を、拾い上げた。
『白ひげ海賊団二番隊隊長 ポートガス・D・エース 新世界で活動拡大』
写真が、載っていた。
オレンジの帽子。
そばかす。
黒髪。
笑顔。
——若い、男だった。
俺より、少しだけ、年下の。
⸻
(……エース)
(やっと、新聞に出てきたな)
(お前、生きてるな)
(まだ、生きてるな)
俺は、新聞を、握りしめた。
(原作通りなら、お前は、これから三年か四年で、マリンフォードに引きずり出される)
(白ひげが、戦争を仕掛ける)
(そして、お前は——死ぬ)
(……死なせるかよ)
(死なせるわけねえだろ)
(俺がこの世界に、五条悟の身体で、転生した意味)
(それは、お前を、救うことだ)
(お前を救うことで、俺は、俺がここにいる意味を、証明する)
⸻
「アズくん」
後ろから、声がした。
シャクヤクが、いつのまにか、俺の背後に、立っていた。
肩越しに、新聞を、覗き込んでくる。
「何、見てるの?」
「……エース」
「え?」
「ポートガス・D・エースって男、知ってますか?」
「ああ、白ひげの、新しい隊長さんでしょ?」
シャクヤクが、煙草に、火をつけた。
「最近、噂を聞くわね。海軍が、相当、警戒してるって」
「そうですか」
「それが、どうかしたの?」
⸻
俺は、新聞を、畳んだ。
シャクヤクの方に、振り返る。
「シャクヤクさん」
「なに」
「俺、もうすぐ、動くよ」
シャクヤクが、煙草を、口から、離した。
「……どこへ?」
俺は、シャクヤクの目を、まっすぐに、見た。
「運命を、ぶっ壊しに」
⸻
シャクヤクが、何も、言わなかった。
ただ、瞳が、わずかに、揺れた。
寂しげに、揺れた。
煙草の煙が、夕方の風に、流れていく。
それから、シャクヤクは、ふっと、笑った。
「……そう」
「はい」
「いつ、出るの?」
「準備が、終わったら」
「準備って?」
「情報。装備。あと——」
俺は、少しだけ、間を、置いた。
「覚悟」
⸻
シャクヤクが、煙草を、咥え直した。
煙を、ゆっくりと、吐く。
「アズくん」
「はい」
「今夜、店、閉めるわ」
「……はい」
「あたしの部屋、いつもの場所」
煙が、シャクヤクの赤い唇から、流れていく。
「……分かるわよね?」
⸻
その夜。
俺は、シャクヤクのバーの、二階に、上がった。
廊下の、突き当たり。
木の扉が、ひとつ。
灯りが、扉の隙間から、ぼんやりと、漏れていた。
煙草の匂いが、扉の向こうから、かすかに、流れてくる。
——香水の匂いも、混じっていた。
⸻
(……俺、いま、めちゃくちゃ、緊張してるな)
(救命救急医として、心臓マッサージしてた頃でも、こんなに緊張しなかったぞ)
(ドフラミンゴと覇気ぶつけてたときよりも、緊張してる)
(……五条悟の身体、なんで、こんなとき、心拍数だけは、ガキみたいなんだ)
⸻
俺は、扉の前に、立った。
しばらく、息を、整える。
それから、手を、上げた。
——シャクヤクさん。
——あんた、本当に、罪な女だよ。
——けど、まあ。
——逃げないって、決めたんだ、俺は。
⸻
俺はシャクヤクの部屋の扉を、初めて——叩いた。
——次回、第5話「幽鬼、海賊王の息子を狙う」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ドフラミンゴが好きで、書きすぎました。「フッフッフ」を打ち込むたび、原作のあの声が脳内で再生されて、気持ちよかったです。第六部・ドレスローザでの再戦は、たぶんこの作品で一番派手な回になります。
シャクヤクさんとの章末は、書くか書かないか、最後まで迷いました。アズールはまだ二十一歳で、シャクヤクさんは年上で、レイリーが見守っていて、彼女には罪悪感もある。でも、原作のシャクヤクさんなら「気が長くないんだから」って言いそうだし、彼女が幸せそうなら、それでいい。
直接的な描写は、書かない方針です。物語に必要な分だけ、匂わせます。
次回、第5話「幽鬼、海賊王の息子を狙う」。
シャクヤクの夜の翌朝、アズールはついに動き出します。そして、シャボンディに密かに来ていた、ある王女との邂逅。さらに——新世界から戻ってきた、あの男との初対面。
「死ぬなよ」というセリフは、この作品で何度も繰り返されることになります。最初に言うのは、第5話です。
★や感想、お気に入り登録、本当に励みになります。第一部完結まで、もう一話。お付き合いいただけたら嬉しいです。
それでは、また次回。