五条悟になってワンピース世界に転生したけど、エースだけは絶対に死なせない 作:熊々
冒頭はシャクヤクの夜の翌朝。それから、ビビ王女との出会い。アラバスタへ向かう動機の確立。
そして、本作で何度も繰り返されるであろう、あのセリフ——「死ぬなよ」を、初めて言う回です。
シャボンディのバーカウンター。隣に座ったオレンジの帽子の男に、アズールが言うセリフ。
原作既読の方は、この場面で何が起きているのか、痛いほどわかると思います。
未読の方には、ただ、覚えておいてほしいです。アズールはこの誓いを、最後まで、絶対に裏切りません。
第1部、ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
次回からは第2部・アラバスタ動乱編。麦わらの一味と、ついに出会います。
それでは、第1部最終話、お楽しみください。
朝。
シャクヤクの部屋のベッドで、俺は天井を見つめていた。
隣で、シャクヤクが寝息を立てている。
「……やっちまった」
いや、後悔はしていない。
していないが——この後どうすりゃいいんだ俺。
「ふふ、アズくん。後悔してる?」
寝てなかった。
くそ、心臓に悪い。
俺はゆっくり首を傾けて、隣を見る。
シャクヤクは枕に頬を預けたまま、薄目を開けて、こっちを見ていた。
唇の端が、悪戯っぽく持ち上がっている。
「起きてたのかよ」
「ずっと前からね」
「タチが悪いな」
「あら。タチが悪いのは、昨日のアズくんの方じゃない?」
——勘弁してくれ。
朝っぱらから何を言い出すんだこの女は。
俺は片手で目を覆って、深く息を吐いた。
シャクヤクが小さく笑う。
それから、ゆっくり身体を起こした。
シーツが滑って、白い肩が露わになる。
俺は反射的に視線を逸らした。
(落ち着け。29歳だ。29歳の救命医だ俺は。乳の一つや二つで——いや、シャクヤクさんの乳は、ちょっと、あれだ)
「アズくん」
「なんすか」
「ねえ。これは、これ、よ」
シャクヤクの声は、いつもより少しだけ低く、柔らかかった。
俺は目元から手を外して、彼女を見上げる。
シャクヤクは煙草に火をつけながら、ふっと息を吐いた。
「アズくんが、大人になっただけ。それ以上でも、それ以下でもない。——いい?」
「……はい」
「いい子ね」
頭を撫でられた。
姉貴に頭を撫でられている29歳。
いや、姉貴じゃない。
そこが、ややこしい。
(姉貴に格上げじゃなくて、シャクヤクさんに格上げか……ややこしいな)
俺は内心で苦笑して、ベッドの縁に腰掛ける。
床に落ちていたシャツに手を伸ばした、その瞬間。
「アズくん」
「ん?」
「コーヒー、淹れてくれる?」
「ああ、いいすよ」
「——裸のままで」
俺の手が、止まった。
「……シャクヤクさん」
「なに?」
「あんた、本当にいい性格してるな」
「ふふ。今さらでしょ?」
俺は、シャツを掴みかけた手を、そのままベッドに置いた。
ため息をひとつ。
それから、立ち上がって、キッチンへ向かう。
背中越しに、シャクヤクの満足げな笑い声が聞こえた。
⸻
コーヒーの香りが部屋に広がる頃、扉が叩かれた。
俺はマグを片手に振り返る。
シャクヤクはすでにガウンを羽織っていて、扉の前に立っていた。
彼女は俺をちらりと見て、片眉を上げる。
「服、着なさい」
「言われなくても」
俺はキッチンの陰でズボンを履き、シャツに袖を通す。
扉が開いた。
レイリーだった。
「邪魔するぞ、シャッキー」
「あら、おはよう」
「……アズールはいるか」
シャクヤクが俺の方へ目線を流す。
俺はマグを片手に、リビングに出ていった。
レイリーは、俺を見て、それから一瞬だけシャクヤクに視線を移し——何も言わなかった。
何も言わない、その沈黙が、一番きつい。
「で、爺さん。朝から何の用だ」
「仕事だ。坊主」
レイリーの声が、低くなる。
俺は椅子に腰を下ろし、コーヒーを一口含んだ。
「アラバスタ王国が、バロックワークスって組織にやられそうらしい」
「……バロックワークス」
頭の中で、原作の記憶がカチリと噛み合う。
クロコダイル。
雨の降らない国。
反乱、内戦、そして——ビビ。
「依頼主は」
「会わせる。来な」
⸻
レイリーに連れていかれた先は、シャボンディの裏通りにある、目立たない一軒家だった。
看板もない。
窓には厚いカーテン。
普通の旅人なら絶対に近寄らない場所だ。
レイリーが扉を三回叩いて、何かの合図をする。
鍵が、内側から外された。
中に入って、俺は目を細めた。
——少女が、立っていた。
青い髪。
華奢な体躯。
だが、背筋はまっすぐ伸びていて、その立ち姿には、たしかに気高さがあった。
年は、十六か、十七か。
若い。あまりにも若い。
そして、その瞳。
——疲弊している。
ひどく、深く、疲れ果てている。
(ビビちゃんだ)
(ルフィたちと出会う前のビビちゃんだ)
俺は内心で、ひとつ唾を飲んだ。
レイリーが俺の肩を軽く叩いた。
「アラバスタ王国第一王女、ネフェルタリ・ビビだ」
「……」
「ビビ王女。これが、噂の幽鬼だ」
ビビは深々と頭を下げた。
ドレスではない、地味な旅装。
それでも、彼女が王族であることは、その所作で分かる。
「アズールさん。あなたの噂を聞いて、シャボンディまで参りました」
「噂って、何の」
「——人を、救う暗殺者がいる、と」
俺は片眉を上げた。
誰だその矛盾の塊みたいな噂を流したのは。
レイリーをじろりと睨むと、爺さんはしれっと窓の外を見ていた。
「どうか、アラバスタを、救ってください」
ビビが、もう一度、頭を下げる。
深く、深く。
王女が、市井の暗殺者に、頭を下げている。
——重い。
これは、重い依頼だ。
俺は椅子に腰掛けて、足を組んだ。
わざと、軽く言う。
「依頼料は?」
ビビが顔を上げる。
彼女は、覚悟を決めた目で、テーブルの上に布包みを置いた。
ほどく。
——青い宝石。
金貨の山。
古い指輪。
王家の紋章入りのペンダント。
たぶん、王宮から、彼女が持ち出せる限りのもの。
「これが、今のわたくしに用意できる、すべてです」
俺は、それを、見つめた。
それから——指で、布の端を摘んで、ぐい、と彼女の方へ押し戻した。
「いらねえよ」
「……え?」
「俺、金で動いてんじゃねえんだ」
ビビの瞳が、揺れた。
「じゃあ、何で動くの……?」
「気分」
俺は肩をすくめる。
それから、少しだけ、声を落とした。
「あと、——お前が今、本気で泣きそうな顔をしてるから」
ビビの肩が、ぴくり、と震えた。
彼女の唇が、わずかに開く。
何かを、言いかけた。
でも、声にならなかった。
代わりに、ぽろり、と。
彼女の頬を、涙が、伝った。
ひと粒、ふた粒。
それから、堰を切ったように、ぼろぼろと。
「……ぅ、……ぐっ」
ビビは両手で口元を押さえた。
それでも、嗚咽は止まらない。
細い肩が震え、膝から崩れ落ちる。
レイリーが静かに窓の外を向いた。
気を遣ったのだろう。
こういうとき、爺さんは妙に粋だ。
俺は椅子から立ち上がって、ビビの前に膝をついた。
彼女の頭に、軽く、手のひらを乗せる。
「おう。泣け泣け。ここなら、誰も見てねえからよ」
「……っ、ご、ごめんなさ……っ」
「謝んな。王女が一人で全部背負って、よく、ここまで来たな」
ビビが、子どもみたいに、声を上げて泣いた。
(——よし、第一陥落)
(いや、待て俺。何を考えてんだ前世医者)
(けど、まあ、信頼は、勝ち取った)
俺は、ビビが泣き止むまで、ずっと、手のひらを彼女の頭に乗せていた。
⸻
夜。
シャボンディの裏通り、いつもの——いや、最近よく顔を出すようになった、薄暗いバー。
カウンター席。
俺はバーボンを舐めながら、明日の出航のことを、ぼんやり考えていた。
アラバスタ。
原作通りなら、ビビは麦わらの一味と出会って、あの長い砂漠を越えて、クロコダイルと戦う。
俺が先に介入したら、ルートはどう変わる。
変えていいのか。
変えるべきなのか。
——いや。
変える。
俺がここにいる意味は、それだ。
「兄ちゃん、隣いいか」
軽い声が、隣から落ちてきた。
俺は、グラスを置いた手を、止めた。
ゆっくり、首を、横に向ける。
オレンジの帽子。
そばかす。
黒髪。
笑顔。
——ポートガス・D・エース。
息が、止まりかけた。
(……マジかよ)
(マジかよ、レイリー爺さん。これ、お膳立てしただろ)
たぶん、爺さんは何も知らない。
偶然だ。
本当に、偶然、こいつは、ここにいる。
黒ひげを追って、シャボンディに補給で立ち寄った。
それだけの話だ。
それだけの、話なのに——。
「……ああ、座れよ」
俺は、できるだけ、何でもない声で、答えた。
エースはひょい、と隣に腰を下ろした。
バーテンダーに「同じやつ」と短く頼む。
グラスが置かれる。
エースは琥珀色を、ぐい、と一口。
「うめえな」
「だろ」
短い沈黙。
それが、不思議と、心地よかった。
エースが、俺の方を、横目で見た。
「お前、強そうだな。海賊か?」
「いや。何でも屋」
「何でも屋ね」
エースが、にやりと笑う。
人懐っこい笑顔だった。
原作で見た通りの、いや、それ以上に、まっすぐな目をしていた。
「お前は——エース、だな」
エースの眉が、ぴくりと上がる。
「あ? 俺の顔、知ってんのか」
「新聞でな」
「ち、写真嫌いなんだよなー、あれ」
エースは頭を掻いて、笑った。
それから、ビールをもう一口。
俺もグラスを傾ける。
カウンターの上で、二人分の影が、ゆらりと揺れた。
俺は、グラスを置いた。
唇を、舐める。
言うか、言うまいか。
迷って——言うことにした。
軽く。
できるだけ、軽く。
「——なあ、エース」
「ん?」
「死ぬなよ」
エースの動きが、止まった。
ほんの、コンマ何秒。
それから、彼は、声を上げて、笑った。
「はは! いきなり何だよお前」
「いや、なんとなく」
「縁起でもねえな。死なねえよ俺」
エースはグラスを掲げて、にやりと笑った。
「まだ親父に、何も恩返ししてねえからな」
——親父。
白ひげ。
エドワード・ニューゲート。
俺は、グラスの中の氷が、カラン、と鳴る音を聞いていた。
(お前が、死ぬ未来)
(俺が、変える)
(——絶対に、変える)
口には、出さなかった。
出したら、軽くなる。
こういう誓いは、胸の奥で、重く、置いておくものだ。
「そうかよ」
俺は短く返した。
エースは満足そうに、ビールを呷った。
それから、俺たちは、特に深い話はしなかった。
天気の話。
シャボンディの食い物の話。
バーテンダーの愛想の悪さの話。
くだらない話ばかりを、ぽつりぽつりと、交わした。
どれくらい、時間が経っただろうか。
エースが、ふと、立ち上がった。
「じゃ、俺、行くわ」
「おう」
「兄ちゃん、名前なんつうの」
「アズール」
「アズール、か」
エースは、にっと笑った。
「縁があったら、また飲もうぜ」
「ああ。——縁、作るよ」
エースは少し首を傾げて、それから、ひらりと手を振って、店を出ていった。
扉が、閉まる。
カランカラン、とドアベルが鳴る。
俺は、グラスの底を、見つめた。
氷が、ゆっくり、溶けていた。
(……必ず、助ける)
それは、誓いというより、もう、呪いに近かった。
⸻
翌朝。
シャボンディの港。
潮の匂い。
木材の軋み。
人の声。
鳥の鳴き声。
俺は旅装に着替えて、桟橋に立っていた。
隣で、ビビが、深く一礼する。
小さな船。
腕利きの船員が二人。
それと、俺と、ビビ。
それだけの、慎ましい船旅だ。
桟橋の手前、見送りに立っていたのは、二人。
シャクヤクと、レイリー。
シャクヤクは、いつもの煙草を、咥えていなかった。
代わりに、両手を前で組んで、俺を見ていた。
朝の光が、彼女の頬に、淡く落ちている。
「アズくん」
「ん」
「気をつけてね」
「ああ」
シャクヤクは、ふっと笑った。
それから、ほんの少しだけ、声を、揺らした。
「帰ってくる場所がある、こと、忘れないで」
俺は、瞬きを、忘れた。
シャクヤクの瞳が、潤んでいた。
泣くようなタイプじゃない。
泣くのを、一番嫌うタイプだ。
それなのに、目の縁が、薄く濡れている。
——ああ、くそ。
こういうの、ずるい。
俺は片手で目元を押さえる振りをして、空を見上げた。
朝の空は、馬鹿みたいに、青かった。
「……忘れねえよ」
「うん」
「絶対、帰るから」
「うん」
シャクヤクは、もう、何も言わなかった。
ただ、ゆっくり、頷いた。
レイリーが、俺の肩を、軽く叩いた。
振り返る。
爺さんは、いつもの片眉を上げた表情で、俺を見ていた。
「坊主」
「ああ」
「Dの名に、恥じない動きを、見せろ」
俺は、一瞬、息を呑んだ。
Dの名。
アズール・D・レイヴン。
俺の、この、嘘みたいな本名。
レイリーは、たぶん、知っている。
「D」が何を意味するのか。
俺がどれほどの覚悟で、これからアラバスタへ向かうのか。
全部、知った上で、こいつは、こう言っている。
「……期待しすぎんなよ、爺さん」
「期待してるさ」
レイリーは、にやりと笑った。
それから、踵を返した。
振り返らずに、片手だけを上げて、ひらりと振った。
シャクヤクは、最後まで、その場に立っていた。
⸻
船が、ゆっくり、桟橋を離れた。
水音。
帆が風を孕む音。
木が軋む音。
それから、遠ざかるシャボンディの、街のざわめき。
俺は、甲板の手すりに、寄りかかった。
シャクヤクの姿が、だんだん、小さくなっていく。
彼女は、こちらに、手を振らなかった。
ただ、立って、見ていた。
それが、シャクヤクらしい、見送り方だった。
隣で、ビビが、深く頭を下げた。
「アズールさん。本当に、ありがとうございます」
「ん、いいから、顔上げな」
俺は手を伸ばして、彼女の肩に、軽く触れた。
「王女様が頭下げる相手じゃねえよ、俺は」
「……でも」
「でも、もくそもねえ。顔、上げろ。前見てな」
ビビは、ゆっくり、顔を上げた。
青い髪が、海風に揺れた。
彼女の瞳には、まだ涙の残滓があったけど、今度は、しっかり前を向いていた。
風が、吹いた。
南西から、温い風だった。
アラバスタの、方角。
砂の匂いが、まだするはずもないのに、鼻に届いた気がした。
俺は、目を、細めた。
——麦わらの一味と、出会う。
その時が、ついに、来る。
——次回、第6話「砂の国へ」(第2部・アラバスタ動乱編 開幕)
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
第1部、五話で前世から現在まで一気に駆け抜けました。本来ならもっとじっくり書きたかった部分もあるんですが、ハーメルンの読者は「いつ麦わらと出会うか」を待ってくれている、と判断して、テンポ重視で構成しました。
エースとの邂逅シーンは、書きながら自分で泣きそうになりました。
「死ぬなよ」と、軽く言うアズール。「死なねえよ」と、明るく返すエース。
原作で何度も読んだあの男の、まだ何も知らない笑顔。
彼が、まだ生きている時間。
ここを書くために、第1部があったと言ってもいいです。
ビビとの邂逅は、原作改変の起点になります。原作だとビビは麦わらの一味と先に出会いますが、本作ではアズールと先に出会う。これにより、アラバスタ編は原作とはやや異なる動き方をしますが、最終的にはルフィとビビの絆を、原作以上に強く描く予定です。
シャクヤクさんの見送りは、書きながら一番悩んだ場面でした。彼女が涙を流すかどうか。
泣かない女が、ほんの少しだけ目を潤ませる。
それくらいの匙加減で、読者にも「これは、ただの旅立ちじゃないな」と感じてほしかったです。
次回、第6話「砂の国へ」。
第2部・アラバスタ動乱編、開幕です。
ビビと共にアラバスタへ向かう航路。途中で起こる、ある事件。
そして、アラバスタの港で——ついに、麦わらの一味との初遭遇。
★や感想、お気に入り登録、本当に励みになります。
第2部からが、本作の本番です。お付き合いいただけると、嬉しいです。
それでは、また次回。