五条悟になってワンピース世界に転生したけど、エースだけは絶対に死なせない 作:熊々
第9話は、ついにサー・クロコダイル戦です。
本作で最初の本格戦闘——、無下限呪術 vs スナスナの実(ロギア)の対決になります。
ロギアは「自然そのものになる能力」。武装色の覇気か海楼石でしか触れられない。
一方の無下限呪術は「触れることそのものを無限の彼方へ押しのける能力」。届かないし、届かせない。
届かない者と、届かせない者——この対称性が、今話の戦闘の骨格です。
砂が熱かった。
ブーツの底がじりじりと焼ける。
息を吸えば肺の奥まで乾く。
それでも足は止めない。
アルバーナまで、あと半日。
⸻
ナノハナを発って三日が経っていた。
カルーの背にビビが乗っている。
その隣をルフィが走ったり歩いたりしながら進む。
ナミが日傘を回し、サンジが「ナミさーん、お水をどうぞ」と踊り、ゾロは三本の刀をぶら下げてまっすぐ間違った方角に進もうとして、チョッパーに襟首を引っ張られていた。
ウソップは、誰が見ても元気そうな顔で、誰が見ても具合の悪そうな台詞を吐いている。
「お、俺、砂漠病に、かかったかも、しれない……」
「ねえぞそんな病気」
ナミが半眼で言った。
「ある! 絶対あるって! ほら、足が、震えてきた!」
「足じゃなくて根性が震えてんだろ」
俺が言うと、ウソップがわかりやすく絶句した。
「ぐ、ぬぬ、アズール、お前、最近、容赦が、ねえなぁ!?」
「最初からこんなもんだよ」
「嘘だ! ナノハナでは、もう少し優しかった!」
「気のせいだ」
「気のせいじゃない!」
ルフィが両手を頭の後ろに組んで、げらげら笑った。
こいつは誰が誰をいじっても楽しそうに笑う。
そういう生き物だ。
たぶん原作で最後まで変わらない。
俺はその隊列の少し後ろを歩いていた。
無下限の境界をほんの薄く肌の上に這わせている。
こうしておけば砂も熱もほとんど触れない。
無下限ってのは、要するに自分の周囲の距離を無限に引き伸ばすって話だ。
触れない。届かない。
スナスナの実だろうがロギアだろうが関係ない。
(——便利な能力だ。前世じゃこれで首もぎ取られかけたけどな)
ビビがカルーの背からこちらを振り返った。
フードの下から青い髪が風にはねる。
「アズールさん、暑くないんですか」
「暑い」
「でも、汗、かいていません」
「俺の体質が特別なだけだ。気にすんな」
「……羨ましいです」
「だろうな」
ビビが、ぷ、と小さく噴いた。
笑った。
この三日で初めて見る笑顔だった。
良いことだ。
こいつには笑っていてほしい。
これから、王様の前でもっと泣くことになるんだから。
⸻
砂丘を一つ越えた。
その向こうに——、
土煙が見えた。
二つ。
東と西。
互いに向かって進んでいる。
ビビの顔から一瞬で血の気が引いた。
「……反乱軍と、王軍」
「だな」
「間に合わなかった……っ」
俺は空を見上げた。
日はまだ高い。
時間はある。
「間に合うさ」
「アズールさん、でも——っ」
「ビビ」
俺は声を二段下げた。
ふざけるトーンはここでしまう。
「お前は王様のところに行け。サンジ、ナミ、ウソップ、チョッパー、護衛でついていけ」
「お、おう!」
「ナミさんと一緒なら何処へでもッ!」
「俺っ、急に勇気出てきた!」
「みんなを守るのは僕だッ」
「ルフィ、ゾロ。お前らは反乱軍を止めろ」
「お! ぶっ飛ばせばいいのか!?」
「ぶっ飛ばすな。止めろ。コブラ王の名前を出せ。コブラ王は雨を降らせていなかった、ダンスパウダーを使っていなかった、って」
「うー……むずかしいー」
「ゾロ、お前がルフィの口を縛れ」
「了解」
ゾロがにやりと笑った。
「で、お前は?」
ナミが聞いた。
俺は東を向いた。
土煙のさらに向こう。
アルバーナの王宮の方角。
そこにいた。
気配。
重く湿った砂の気配。
(——いるな)
「俺は本命を取りに行く」
⸻
砂が舞った。
俺は地を蹴った。
無下限を足の下に薄く敷いて、滑るように進む。
速度が出る。
カルーが隣で必死に走った。
すぐに置いて行った。
風がゴーグルに当たって流れる。
肌に無下限の薄い膜がある。
熱は来ない。
砂も来ない。
世界が静かだった。
(——クロコダイル、原作通り葉巻吹かしてんのかな。七武海って肩書きは強そうだけど、ロギアの中で一番、相性で死ぬタイプだ。俺の前で、ロギアはただの的でしかない)
砂丘の頂に立った。
下に見えた。
王宮への道。
その途中、開けた岩の窪み。
コートを羽織った巨漢。
葉巻。
左手に金色のフック。
「クックック」
低い笑い声が風に乗って届いた。
「待っていたぞ、ガキ」
⸻
俺は砂丘を降りた。
普通に。
歩いて。
無下限の境界を、半歩、外まで押し広げる。
クロコダイルがこちらを見上げた。
細い目。
鋭い目。
こいつ、見聞色もある程度使えるはずだ。
「お前が噂のガキか。ナノハナでMr.1を伸した」
「噂、早いな」
「商売だからな、こっちは」
クロコダイルが葉巻を口から離した。
灰が、ぽとり、と砂に落ちる。
落ちた瞬間、灰が砂の中に消えた。
——溶けるように。
——同化するように。
ロギア。
スナスナの実。
(原作で見たやつだ。クロコダイルの右フックって地味に効くんだよな。当たればの話だけど)
「お前、目的は何だ」
クロコダイルが聞いた。
俺は肩をすくめた。
「ビビの隣に立ってる。それだけだ」
「王女の犬か」
「犬じゃない。客分だ」
「同じことだ」
「全然違う」
クロコダイルが、ふ、と笑った。
「クックック。まあ、いい」
「お前の目的は?」
「お前に教える義理はない」
「そっか」
俺は両手をポケットに突っ込んだ。
ゴーグルを下げる。
青い目を晒す。
「じゃ、聞かなくていい」
「強気だな、ガキ」
「強気じゃない」
「では何だ」
「飽きてる」
クロコダイルの眉が、ぴくり、と動いた。
「お前みたいな小物のためにここまで来たのが、ちょっと面倒くさいんだよ。さっさと終わらせて、ビビのところ戻りたい」
「——小物、だと?」
「七武海って肩書き、結構ピンキリだよな。お前、たぶん、下から二番目くらいだ」
(——いや、最下位かもしれない。原作でロビンに裏切られてインペル落ちだもんな。本人の前では言わないけど)
クロコダイルの葉巻の先が赤く燃えた。
深く吸って、深く吐く。
怒りを煙に混ぜる癖。
「死ぬぞ、ガキ」
「無理だな」
⸻
砂が動いた。
クロコダイルが右手を振り下ろす。
その瞬間、岩窪み一帯の砂が奔流に変わった。
何百トンか、何千トンか、知らない。
津波だ。
津波みたいな砂の壁が立ち上がる。
——『砂漠の刃(デザート・スパーダ)』
低い囁き。
壁の中から無数の刃が生まれた。
湾刀。
直刀。
刃の林。
それが一斉にこちらに向かって走る。
速い。
原作のルフィに向けてたあれより、ずっと速い。
(まあ、それでも届かなきゃただのノイズだ)
俺は立っていた。
動かなかった。
両手はポケット。
ゴーグルは下げたまま。
砂の刃が俺の二十センチ手前まで来た——、
そこで。
刃の輪郭がぼやけた。
進もうとするほどに薄れていく。
砂粒が境界に近づくほど、無限に減速していく。
押し込んでも押し込んでも距離が足りない。
刃が消えた。
というより。
——溶けて、流れて、滑り落ちた。
俺の二十センチ手前で。
形が保てなくなって。
さらさらと地にこぼれていく。
クロコダイルの葉巻がゆっくりと下がった。
「……何だ、それは」
「俺の技」
「砂が消えた、だと——?」
「消えてない。届いてないだけだ」
「ふざけるな、ガキ」
「ふざけてない。お前の砂は俺の二十センチ手前で永遠に近づき続ける。一生、辿り着かない」
クロコダイルが両手を振った。
四方八方から砂が押し寄せる。
津波が合流して、俺を丸ごと包んだ。
視界が黄色に染まる。
——ように見えるだけ。
俺の周囲、半径二メートル。
そこにぽっかりと空気の球がある。
押し寄せた砂は、その境界のすぐ外側でぼやけて流れて滑り落ちる。
中には一粒も入ってこない。
息も苦しくない。
熱も来ない。
砂の壁の向こう側。
クロコダイルの気配がわずかに揺れた。
(——困惑してるな。無理もない。ロギアってのは相手に触れることが前提の能力だ。触れない相手に当たったのは、こいつも初めてだろ)
砂の壁がわずかに薄くなった。
クロコダイルが業を煮やしたのか、自分から踏み込んできた。
砂が人の形をなした。
左手のフックを後ろに引いて。
右手をこちらに伸ばす。
五本の指。
晒した、生身の手のひら。
(——あ。あれだ)
原作でヴィヴィの腕を一瞬で干からびさせた、あの手。
スナスナの実、第二の能力。
**水分吸収**。
触れた相手から水を奪う。
人体なら即座にミイラ化する。
ロギアの中で最も生命に対して攻撃的な能力。
その手が俺の頬を狙って伸びた。
——伸びたまま。
クロコダイルの指先が宙で止まった。
正確には止まったように見えた。
動いてはいる。
ぐ、ぐ、と押し込もうとしている。
けれど距離が縮まらない。
「ぐ、う——っ、何だ、この距離は——」
「言ったろ」
「届かない」
クロコダイルの目の白い部分がわずかに増えた。
細い目が見開かれていく。
その隙に。
こいつは次の手を打ってきた。
足元の砂。
俺の足の下、半径数メートルの砂が——、
液状化した。
——『リキッドサンド』。
砂の流砂。
触れたものを底なしに飲み込み、沈める。
原作で観光客を何十人も飲んだ、あの技。
世界が、ぐにゃり、と軋んだ。
俺の足の下が地面じゃなくなる。
本来ならそのまま沈む。
——本来なら、な。
俺の足の裏。
ブーツの底。
そこにも無下限の境界はある。
砂は境界に近づくほど無限に減速する。
沈もうとしても無限に底が遠ざかる。
砂が俺を飲もうとして——、
飲めずに、足の下を滑っていった。
俺は立っていた。
液状化した砂の表面で。
水の上を歩く聖人みたいに。
ふざけた絵面で。
(——うわ、これ、ダサくね。でも、こうなるんだよな、物理的に)
クロコダイルが息を呑んだ。
「な——、ぜ、沈まない」
「沈めないんだよ。お前の砂が俺の足の裏に届かない。届かないものに引きずり込まれるわけがない」
クロコダイルの葉巻が、ぼろり、と口から落ちた。
落ちた葉巻が地面につく前に、本人が両手を広げた。
岩窪み一帯の空気が——、
渇いた。
ぴり、と肌が痺れるような感覚。
広域からの水分の収奪。
原作でアラバスタを滅ぼしかけた、あの規模の縮小版。
砂嵐。
渇きの嵐。
触れたものから水を奪う、サブレの亜流。
それが俺の無下限の球を、外側から舐めた。
——舐めただけ。
球の内側の空気は守られていた。
中の湿度も温度も変わらない。
俺の肌は乾かない。
唇も割れない。
外で砂が唸る。
内で俺は息をしている。
「クックック——」
笑い声が震えていた。
「ロギアに触れられるはずがない、というのは知っているか、ガキ」
クロコダイルが勝ち誇ったように言った。
無理に笑った顔。
追い詰められた人間がする笑い方。
俺は砂の壁の向こうの、その顔を見た。
「知ってる」
そして肩をすくめた。
「俺もそうだよ」
クロコダイルの笑みが止まった。
「俺にもお前は触れられない。お前にも俺は触れさせない。**対称だろ?**」
「な——」
「それで結局、ロギアに勝てるか負けるかは——、こっちに覇気があるかどうかだけの話だ」
俺はポケットから右手を抜いた。
⸻
——『術式順転"蒼"』
世界が青く灯った。
蒼は引く力。
引力。
無下限の応用。
俺の目の前に、収束の一点が生まれた。
砂が引かれた。
俺を包んでいた砂嵐が。
液状化した足元の流砂が。
クロコダイルのコートにまとわりついていた砂粒が。
——そして。
ロギアの身体に混じった砂粒の中の流れ。
原作で誰も可視化しなかった、あの収束点。
ロギアが形を保つために戻り続けるコア。
蒼はそれを識別した。
無下限の応用は、距離と引力を操作する。
だから砂粒のうち、コアに戻ろうとしているやつだけを——、
選んで引ける。
「な、何だ、こ——」
クロコダイルのロギアの身体が傾いた。
コアごと引かれている。
砂で出来た身体がこちらに流れて来る。
本人の意思に反して。
何百トンの砂が一点に集まる。
俺の目の前に。
直径、十メートル。
回転する砂の球。
その中心にロギアのコア。
クロコダイルの本体に繋がる流れ。
俺は左手を開いた。
——『術式反転"赫"』
蒼の逆。
反転。
斥力。
押す力。
集まった砂の球の中心に、赫が点いた。
赫色の光が爆ぜる。
砂の球が内側から弾けた。
——爆ぜた、というより、世界が押された。
衝撃波が砂漠を走る。
岩窪みの岩が半分砕けた。
砂が上空に噴き上がる。
ロギアの身体が解体された。
砂粒に戻れないほど強く、内側から押し出される。
コアが剥き出しになる。
人型の本体が——、
宙に放り出された。
⸻
そこから先は、もう決まっていた。
クロコダイルの本体。
コートをボロボロにはためかせて、宙を舞う。
形を戻そうにも、砂粒が四散しすぎている。
すぐにはロギアに戻れない。
(——今だ)
俺は走った。
無下限を足の裏に薄く敷いて、地を滑る。
速い、速い、速い。
腰の刀。
「灯」。
抜いた。
刀身に武装色を流す。
黒い覇気。
刀身が夜の色に染まる。
(——レイリーに五歳から叩き込まれた武装色。ジジイはこれを"対自然系の最低限の礼儀"と呼んでいた。ロギア相手の、唯一の回答。俺の無下限と最高に噛み合う、もう一つの武器)
刀身が黒く光った。
「クックッ——、っ、く、そが——っ」
クロコダイルが空中で形を戻した。
戻した瞬間。
俺はもう、目の前にいた。
クロコダイルの目が見開かれた。
細い目がまん丸になる。
俺は刀を振り上げた。
——『黒閃』。
直線。
最短。
覇気の極致。
刀身が空気を置き去りにして走る。
クロコダイルの左肩から右脇腹まで——、
黒い軌跡。
斬った。
ロギアの身体ごと。
砂粒に戻れないほど深く。
覇気の刃で。
血が噴いた。
赤い。
ちゃんと赤い。
砂じゃない。
本体。
クロコダイルが地面に落ちた。
膝をついた。
立とうとして、立てない。
「ぐ、う……っ、何、だ、何が、起こった——」
「俺の刀がお前の本体に当たった。それだけだ」
「そんな、ガキが、七武海に——」
「黙れ」
俺は声を二段下げた。
「お前みたいなのに割く時間も、言葉もない」
クロコダイルの目が初めて揺れた。
恐怖。
七武海の目の中に。
小さく、確かに、それが点いた。
——その時。
「ぐっ……ガキ、舐めるなぁ——っ」
クロコダイルがコートの内ポケットから何かを抜いた。
細いナイフ。
鈍く青く光る刃。
(——海楼石のナイフか。原作通り、隠し持ってたな。……でも、ちょっと考えてみろよ。海楼石は悪魔の実の能力者を無効化する石だ。俺は能力者じゃない。無下限は術式だ。悪魔の実の能力じゃない。つまり——海楼石は俺には関係ない。そして何より、海楼石だろうがただの鉄だろうが、俺の境界には届かない)
俺は半歩も引かなかった。
無下限の境界も変えなかった。
ナイフが俺に向かって突き出された。
速い。
死に物狂いの突き。
最後の悪足掻き。
ナイフの先が——、
俺の無下限の境界線の手前で。
ぼやけた。
進もうとするほど薄れていく。
鋼の刃の輪郭がふやけて霞む。
クロコダイルの震える腕も、肘も、肩も、その先の何もかも——、
無下限の境界の向こうに辿り着けない。
ナイフが止まったように見えた。
実際は無限に減速しているだけ。
クロコダイルの口が開いた。
「な、ぜ——」
「言ったろ」
俺はゴーグルの奥の青い目を細めた。
「俺の前では、何も届かない」
⸻
俺は刀を納めた。
クロコダイルのナイフを無下限の境界に引っ掛けたまま、放置する。
この男はもう立てない。
黒閃がロギアの本体まで届いた。
覇気で斬られたロギアは、しばらく動けない。
決着はついた。
——けれど。
俺は振り返った。
砂丘の上。
そこに息を切らした麦わら帽子の少年が立っていた。
「アズール、ずっりーぞ! お前一人で、やんなぁッ!」
ルフィだった。
走ってきたらしい。
ゾロは反乱軍を止め切ったあとで、後を追ってきたんだろう。
遠くでゾロが舌打ちしながら、こっちに向かっている。
「うおおっ、肉だぁ——いや、違げぇ、クロコダイルだ!」
「ルフィ」
「おう!」
俺はルフィを見た。
ルフィのまっすぐな目を見た。
(——こいつだよな。本当にぶっ飛ばすべきは。俺じゃない)
俺はクロコダイルから半歩退いた。
「最後の一発、やってみるか」
「いいのか!?」
「俺の趣味じゃない。これはお前と、お前の友達のための、国の話だ」
「……?」
「お前が決めるべきだ」
ルフィが目を瞬かせた。
それから——、にぃ、と笑った。
歯を見せて。
あの、馬鹿みたいにまっすぐな笑い方で。
「わかった!」
ルフィが両手を後ろに引いた。
腕が伸びる。
ぐ、ぐ、ぐ、とゴムが軋む音。
クロコダイルが霞む目でルフィを見た。
立とうとする。
立てない。
血が砂に染みる。
「ガキが、二人——」
「うっせーよ! ビビの友達、泣かせた、お前が、悪い!」
ルフィが腕を解放した。
——『ゴムゴムの、バズーカ』
両手の拳がクロコダイルの胸に突き刺さる。
クロコダイルの身体が砂を巻き上げて吹き飛んだ。
岩を突き破って。
砂丘を貫いて。
遠く、遥か、遠くまで。
砂塵が舞った。
俺は空を見上げた。
⸻
風が止んだ。
砂が地に落ちる。
ゆっくり。
ゆっくり。
葉巻が地面に転がっていた。
火はもう消えている。
ルフィが両手を頭の後ろで組んだ。
「肉、食いてー」
「クロコダイルをぶっ飛ばした直後の第一声がそれかよ」
「だって、腹減った」
「……ま、お前らしいわ」
俺は笑った。
笑いながら空を見た。
抜けるような青。
雲が一つ流れている。
(——エース。お前は今、どこにいる。バナロ島はまだ先か。……間に合うかな、俺。間に合わせるしかねえか)
⸻
その時。
背中に視線を感じた。
俺は振り返らなかった。
振り返ったら消えるのが、わかっていた。
遠く——、
砂丘の向こう。
コートの裾が、ふわり、と風に揺れる気配。
ミス・オールサンデー。
ロビン。
(——見てたな。全部。蒼も、赫も、黒閃も)
風が彼女の髪を揺らす音が、聞こえた気がした。
「あなた……何者なのかしらね、レイヴン・D・アズール」
ぽつり、と。
届くはずのない距離から、その声は確かに俺の耳に届いた。
俺は振り返らずに、空を見たまま答えた。
「俺は、俺だよ」
「ロビン」
呼んだ。
名前を。
風が止まった。
⸻
ルフィが走り出していた。
反乱軍と王軍が止まった平原の方へ。
ナミの怒鳴り声と、サンジの嬉しそうな声が遠くで聞こえる。
ビビが王様に抱きついて泣いている気配がある。
ゾロが岩に寄りかかって酒瓶を傾けている。
チョッパーが誰かの傷を診ている。
ウソップが嘘の手柄を誇張している。
俺はその輪から少しだけ離れて立っていた。
肩を誰かに借りる気はない。
けれど、孤独でもない。
ただ、空が青い。
砂が風に流れる音だけがする。
(——勝った、な。原作のあのコブラ王の演説のとこまで、無事に通せた。クロコダイルは放っておいても海軍が回収するだろ。問題はここからだ。ロビンが麦わらに加わるのも近い。そして——エースがバナロ島に着くのも近い)
俺はこめかみを軽く押さえた。
(……黒ひげ、か。あいつは無下限じゃ止まらない。あの引きずり込む実は、距離も間合いも関係なく、強制的に引っ張る。まともに相対したら、無下限が機能しない可能性がある。——だから、間に合わせるんだ。エースがバナロ島に着く前に。俺が先に、黒ひげをぶっ潰す)
風が頬を撫でた。
砂じゃない、風だった。
湿った、海の匂いが、ほんのわずか、混じっている。
アラバスタの、東の海。
その、向こう。
——次の戦場の、気配が、近い。
エースが、笑っていた、あの顔が、瞼の裏に、灯る。
俺は、ゴーグルを、上げた。
「——間に合わせる」
砂漠の風が、その言葉を、東へ、運んだ。
——次回、第10話「歴史の島の、考古学者」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
無下限とロギアの相性問題は、書く前に一番悩んだところです。
「ロギアは触れない」「無下限は届かない」——両方が成立する世界で、戦闘をどう成立させるか。
答えは、対称性をぶつけることでした。届かない同士が向き合ったとき、最後に届くのは、武装色を纏った刀だけ。クロコダイルの「ロギアに、触れられるはずがない」に、アズールが「俺もそうだよ。対称だろ?」と返す場面が、今話の構造の核です。
ルフィに最後の一撃を譲ったのは、原作リスペクト半分、物語上の判断半分です。
クロコダイルを倒すのは、アラバスタを救うのは、ビビの友達であるルフィでなくてはならない。アズールは「お前と、お前の友達のための、国の話だ」と言って退きます。彼の「弱者には甘い」信条が、ここでも顔を出した形です。
そして章末——、遠くから見ているコートの裾。
ミス・オールサンデーが、アズールの戦いを最初から最後まで見ていた。次回、彼女との対話が始まります。