マブラヴ・インサート 〜白き少佐の因果強化計画〜   作:きのこ大三元

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第7話となります。

今回は、XM3α版のテストと調整を進めつつ、
真白と霞の距離感にも少し触れる回になります。

新型OSの開発が少しずつ形になっていく一方で、
横浜基地での日常や、真白が周囲と関係を築いていく部分も描いていければと思っています。






第7話「白き少佐と207小隊」

10月25日 夕方

横浜基地・グラウンド

<< 神宮寺 真白 >>

 

霞の部屋を出たあとも、胸の奥にはまだ小さな余韻が残っていた。

 

――またね、真白さん。

 

扉が閉まる直前に聞こえた、霞の声。

とても小さな声だった。

けれど、自分にははっきり届いていた。

 

バイバイではなく、またね。

 

元の世界なら、何気なく使っていた言葉だ。学校でも、職場でも、友達同士でも、別れ際に深く考えずに口にしていた言葉。

 

でも、あの薄暗い部屋で、霞がその言葉を口にしてくれたことには、きっと大きな意味があった。

 

「……またね、か」

 

自分は小さく呟きながら、横浜基地の通路を歩いていた。

 

午前中のシミュレーター。不知火の初搭乗。XM3の構想。まりもさんと伊隅大尉の視線。夕呼副司令の計算。それらが消えたわけではない。

 

白銀武の代役。

少佐相当。

特務技術顧問。

横浜基地に突然現れた異物。

香月夕呼副司令の管理下に置かれた重要隔離対象。

 

肩に乗っているものは、相変わらず重い。

 

けれど、さっきよりは少しだけ息がしやすかった。

 

霞とヨーヨーで遊んだ時間。戦術でも、因果でも、オルタネイティヴ4でもない、ただの遊び。その小さな時間が、自分の中にあった重さを、ほんの少しだけ軽くしてくれていた。

 

「……ちゃんと、戻ってこないとな」

 

またねと言ったからには、また会いに行く。

その約束くらいは、守りたい。

 

そう思いながら、グラウンドへ向かう。

 

夕方の横浜基地は、昼間の熱気をまだ残していた。乾いた土の匂い、汗の匂い、遠くで響く号令。訓練を終えた者、片付けに入る者、まだ走り込みを続ける者。

 

霞の部屋とは、まるで違う場所だった。

 

あそこは静かで、薄暗くて、時間が止まっているようだった。

ここは違う。

 

走る。

叫ぶ。

転ぶ。

起き上がる。

 

生き残るために、身体を作る場所。

戦場へ出るために、心を鍛える場所。

 

「……207小隊」

 

自分は、グラウンドを見渡しながら呟いた。

 

原作で、白銀武と共に訓練を受けた仲間たち。

 

御剣冥夜。

榊千鶴。

彩峰慧。

珠瀬壬姫。

鎧衣美琴。

 

この世界では、白銀武はいない。

だから彼女たちは、まだ彼と出会っていない。

 

なら、自分はどこまで関われるのか。

 

余計なことをしすぎるのは怖い。彼女たちには、彼女たち自身で乗り越えるべき壁がある。

 

けれど、放っておくこともできない。

 

前回の総合戦闘技術演習。

千鶴と彩峰の対立。

小隊として噛み合わなかった結果。

 

このままでは、彼女たちは遠回りする。

いや、この世界では、その遠回りが命取りになるかもしれない。

 

「……失敗しても、終わりじゃない」

 

霞に教えた言葉が、ふと頭に浮かぶ。

 

バイバイではなく、またね。

終わりではなく、次へ繋げる言葉。

 

207小隊にも、きっと必要なのはそれだ。

 

失敗したから終わりじゃない。一度噛み合わなかったから終わりじゃない。次に繋げられるなら、まだ進める。

 

そう思った時だった。

 

「そこのお方……どうかされましたか?」

 

横から声がした。

 

振り向いた瞬間、自分の中の記憶が反応した。

 

長い黒髪。

凛とした立ち姿。

まっすぐな瞳。

 

御剣冥夜。

 

画面越しに何度も見た少女が、今、自分の目の前に立っていた。

 

「……」

 

思わず、言葉が詰まる。

 

実物で見ると、やっぱり迫力が違う。立ち姿だけで分かる気品。芯の強さ。そして、髪型の存在感。

 

いや、本当に髪型の迫力がすごい。

画面越しでも印象的だったけれど、実際に見ると何倍もすごい。

 

冥夜は、自分の視線に気づいたのか、少し不思議そうに首を傾げた。

 

「私の顔に、何か?」

「い、いえ。すみません」

 

慌てて答える。

 

その時、冥夜の視線がこちらの階級章へ向いた。

次の瞬間、彼女の表情が変わる。

 

「……! 少佐でしたか。失礼いたしました!」

 

冥夜はすぐに姿勢を正し、敬礼した。

 

「あはは……そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ」

「いえ。上官に対し、無礼があってはなりません」

 

真面目だ。

本当に、冥夜らしい。

 

まだ少ししか話していないのに、その生真面目さが伝わってくる。

 

「自分は、神宮寺真白です。今日から、皆さんの訓練にも少し関わることになると思います」

「神宮寺少佐……」

 

冥夜は、その名前を確かめるように繰り返した。

 

そこへ、聞き慣れた声が響く。

 

「御剣、何をしている?」

「神宮司教官!」

 

グラウンドの方から、まりもさんが歩いてきた。

その姿を見た瞬間、少しだけ胸の奥が温かくなる。

 

やはり、まりもさんがそこにいるだけで安心する。

 

ただ、この世界で彼女を死なせるわけにはいかない。

その思いも、同時に胸を締めつけた。

 

まりもさんはこちらに気づくと、きびきびと敬礼した。

 

「神宮寺少佐、お待たせしました」

「いえ、大丈夫です」

「では、予定通り207B分隊を紹介します」

 

まりもさんはグラウンドへ向き直り、声を張った。

 

「207B分隊、集合!」

 

その声に、訓練兵たちが一斉に動いた。

 

冥夜の横に、三人の少女が駆け寄ってくる。

 

眼鏡をかけた、真面目そうな少女。

榊千鶴。

 

無表情に近く、どこか眠たげにも見える少女。

彩峰慧。

 

小柄で、緊張した様子の少女。

珠瀬壬姫。

 

本当に、いる。

 

画面の中で見ていた彼女たちが、今、目の前に立っている。

その事実に、胸の奥が少しだけ熱くなった。

 

まりもさんが、彼女たちへ向き直る。

 

「よし。お前たちに紹介する。こちらは、先日この横浜基地に着任された、神宮寺真白少佐だ」

 

その瞬間、四人の視線が一斉に動いた。

 

自分を見る。

次に、まりもさんを見る。

また自分を見る。

また、まりもさんを見る。

 

……うん。

言いたいことは分かる。

 

神宮寺と神宮司。

読みが同じだ。

 

しかも、昨日は伊隅大尉から、雰囲気まで似ていると言われたばかりだ。

 

まりもさんが、わざとらしく咳払いをした。

 

「たまたま苗字の響きが同じなだけだ。余計な詮索はするな」

「はっ!」

 

千鶴が代表するように返事をした。

 

自分は一歩前へ出る。

 

「神宮寺真白です。神宮司軍曹とは、たまたま苗字の響きが同じなだけです」

 

軽く笑うと、少しだけ場の空気が和らいだ。

 

「皆さんの後半の訓練、特に戦術機訓練や新型OS関連で関わることになると思います。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします!」

 

四人の声が揃った。

 

まりもさんが頷く。

 

「では、各自自己紹介」

 

まず、千鶴が一歩前に出た。

 

「榊千鶴訓練兵であります!」

 

きびきびとした声。

委員長らしい真面目さが滲み出ている。

 

次に、冥夜。

 

「御剣冥夜訓練兵であります」

 

凛とした声だった。

姿勢も美しい。

 

続いて、彩峰。

 

「彩峰慧訓練兵であります」

 

淡々としている。

けれど、その目は鋭い。

 

最後に、小柄な少女が慌てたように前へ出た。

 

「た、珠瀬壬姫訓練兵であります!」

 

声が少し裏返っていた。

上官を前に緊張しているのだろう。

 

小さな身体をぴんと伸ばし、一生懸命敬礼している。

 

かっ……可愛い。

 

207小隊の中でも、自分の推しである。

これは小隊のみんなには内緒だ。

 

「よろしくお願いします、珠瀬訓練兵」

「は、はいっ!」

 

珠瀬訓練兵は、さらに背筋を伸ばした。

 

まりもさんが話を続ける。

 

「もう一人、鎧衣美琴訓練兵がいるのですが、現在は怪我で入院中です」

「そうですか……鎧衣訓練兵にも、後でよろしくお伝えください」

「承知しました」

 

まりもさんは、改めて207B分隊に向き直る。

 

「お前たちは、前半課程の総合戦闘技術演習に合格しなければ、後半の戦術機訓練へ進むことはできない。神宮寺少佐から指導を受ける機会も、合格してからの話だ」

 

四人の表情が引き締まる。

 

「より一層、心してかかるように!」

「はい!」

 

気合いの入った返事が、グラウンドに響いた。

 

自分はその様子を見ながら、少しだけ考える。

 

このまま訓練だけ見て帰るのもいい。

けれど、せっかくなら少し話しておきたい。

 

白銀武がいない分、彼女たちに足りないものを、少しでも早く気づかせたい。

 

ただし、直接答えを渡しすぎてはいけない。

彼女たち自身が考え、自分で掴むからこそ意味がある。

 

「神宮司軍曹」

「はい?」

「この後、少しだけ彼女たちと話してもいいですか? せっかくなので、夕食でも一緒に」

 

まりもさんは少し驚いたようだった。

 

「神宮寺少佐が、ですか?」

「はい。邪魔にならなければ」

 

まりもさんは一度207B分隊を見る。

それから、小さく頷いた。

 

「構いません。私はこの後、予定がありますので同行できませんが」

「分かりました」

 

まりもさんは207B分隊へ向き直る。

 

「お前たち、神宮寺少佐に失礼のないように」

「はい!」

 

こうして自分は、207B分隊の四人と共にPXへ向かうことになった。

 

* * *

 

10月25日 夕食時

横浜基地・PX

<< 神宮寺 真白 >>

 

PXは、夕食時ということもあって、それなりに賑わっていた。

 

とはいえ、元の世界の食堂とは違う。食材は貴重で、天然物などほとんど口に入らない。ここに並ぶ食事も、大半は合成食品だ。

 

自分が選んだのは、合成サバ味噌煮定食。

 

見た目は、思ったよりもちゃんとしている。

香りも悪くない。

 

京塚のおばちゃんから受け取る時、妙にじっと見られた気がしたが、気のせいということにしておいた。

 

たぶん気のせいだ。

 

……いや、たぶん気のせいじゃない。

 

「少佐さん、ちゃんと食べなきゃ駄目だよ」

「は、はい。ありがとうございます」

 

普通に大盛りにされた。

 

ありがたい。

ありがたいけれど、視線が痛い。

 

若い男。

少佐待遇。

香月副司令の関係者。

 

自分は、この基地ではどうしても目立つらしい。

 

テーブルには、自分を中心に207B分隊の四人が座っている。

 

上官と食事、という状況に、千鶴と珠瀬訓練兵は少し緊張していた。冥夜は姿勢よく箸を持ち、彩峰はマイペースに食べている。

 

「神宮司教官からは、神宮寺少佐は特別な人だと聞いています」

 

千鶴が、真面目な顔でそう言った。

 

神宮司教官。

 

耳で聞くと、神宮寺と完全に同じだ。

自分は少し苦笑する。

 

「特別……確かに、色んな意味で特別かもしれませんね」

「色んな意味、ですか?」

 

冥夜が問い返す。

 

「その意味は、いつか分かると思います」

 

少し意味深に答えると、四人の表情がそれぞれ変わった。

 

千鶴は考え込む。

冥夜はまっすぐ見つめる。

彩峰はサバ味噌をつつきながら、こちらを見る。

珠瀬訓練兵は「すごい人なんだ……」という顔をしている。

 

いや、そんな大したものではないんだけど。

 

自分は箸を置き、話題を変えた。

 

「ところで、207B分隊の皆さんは、総合戦闘技術演習を控えているんですよね」

 

千鶴がすぐに頷いた。

 

「はい。今回は、必ず成功させなければなりません」

 

その目はまっすぐだった。

責任感が強い。

強すぎるほどに。

 

「前回は不合格だったと聞いています」

 

その言葉に、空気が少し固くなった。

 

珠瀬訓練兵が肩を縮める。千鶴は唇を引き結ぶ。彩峰は表情を変えないが、箸の動きが止まった。冥夜も静かに目を伏せる。

 

自分は、あえて優しい声で聞いた。

 

「何が原因だったと思いますか?」

 

誰もすぐには答えない。

ハッとさせられたような空気があった。

 

特に、千鶴と彩峰。

二人の間にある見えない壁が、テーブル越しにも伝わってくる。

 

まだ、改善できていないんだ。

 

自分はゆっくりと言葉を選ぶ。

 

「皆さんのことは、書類で確認させていただきました。各々に事情があることも、少しは知っています」

 

四人がこちらを見る。

 

「その上で言います。皆さんは、磨けば輝く原石のような人たちだと思っています」

 

珠瀬訓練兵が目を丸くする。

千鶴は少し驚いたように息を呑んだ。

冥夜が静かに頭を下げる。

 

「少佐からそう評価していただけるのは、光栄です」

「でも」

 

自分はそこで、少しだけ声を強くした。

 

「小隊という以上、絶対に欠かせないものがあります。それは何だと思いますか?」

 

千鶴がすぐに答える。

 

「規律と指揮系統です」

 

冥夜が続く。

 

「各員の信念と覚悟かと」

 

珠瀬訓練兵が慌てて言う。

 

「え、えっと……助け合い、でしょうか」

 

彩峰は少し間を置いてから呟いた。

 

「……動けること」

 

それぞれらしい答えだった。

自分は頷く。

 

「どれも大切です。皆さん、それぞれいい回答だと思います」

 

そして、はっきりと言う。

 

「その中でも、絶対に必要なのはチームワークです」

 

空気が、さらに静かになった。

 

分かっているのだろう。

自分たちに足りないものを。

 

けれど、真正面から言われると、やはり気まずい。

 

「個人の能力が高くても、小隊として噛み合わなければ意味がありません。特に戦場では、一人の判断ミスが全員の命に関わります」

 

自分は、四人の顔を順番に見た。

 

「皆さんの目標は何ですか?」

 

誰も答えない。

 

「衛士になることですか? 出世して発言力を得ることですか? 誰かに認められることですか? 家のためですか? 国のためですか?」

 

千鶴の目が揺れた。

冥夜の瞳が、さらに真剣になる。

彩峰は無言でこちらを見る。

珠瀬訓練兵は小さく唇を結んでいた。

 

「今一度、自分の胸に聞いてみてください」

 

自分は続ける。

 

「その目標をしっかり確認できたら、あとは自分の信念です」

 

自分の言葉ではない。

 

本来なら、この世界に来るはずだった誰かが、彼女たちに伝えるはずだった言葉。

 

けれど、今この場にその人はいない。

だから、自分が言う。

 

言わなければならない。

 

「目的があれば、人は努力できる……!」

 

四人が、それぞれ違う表情でその言葉を受け取った。

 

千鶴は悔しさと納得が混じった顔。

冥夜は静かに燃えるような目。

彩峰は何かを考えるような沈黙。

珠瀬訓練兵は不安そうで、それでも少し前を向こうとする顔。

 

自分は、そこで少しだけ息を吐いた。

 

「それに、失敗したから終わりじゃありません」

 

霞の顔が、ふと頭に浮かぶ。

 

バイバイではなく、またね。

終わりではなく、次へ繋げるための言葉。

 

「総合戦闘技術演習も、訓練も、人間関係も……一度失敗しただけで全部終わるわけじゃないと思います」

 

千鶴が、わずかに息を呑む。

彩峰の目が細くなる。

 

「大事なのは、その失敗を次に繋げることです。次に会った時、次に挑む時、少しでも変わっていれば、それは無駄じゃありません」

 

自分は少し笑った。

 

「だから、前回の不合格で終わりにしないでください」

 

沈黙が落ちた。

 

けれど、それは気まずいだけの沈黙ではなかった。

 

何かを考える沈黙。

言葉を飲み込み、自分の中へ落とし込むための沈黙。

 

まだ彼女たちは、十七歳の訓練兵だ。

背負っているものが重すぎる。

 

それでも、進まなければならない。

 

「大変だと思います。でも、頑張ってください」

 

自分は少し笑った。

 

「自分も、できる範囲で手伝いますから」

「ありがとうございます、神宮寺少佐」

 

冥夜が深く頭を下げる。

千鶴も続いた。

 

「ご指導、ありがとうございます」

「……参考にする」

 

彩峰が小さく言う。

 

珠瀬訓練兵は両手で箸を握りしめたまま、勢いよく頭を下げた。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

自分は食器を持って立ち上がる。

 

「それと、入院中の鎧衣美琴訓練兵にもよろしく伝えてください」

「はい」

 

冥夜が答える。

 

自分は食器を返却口へ運びながら、少しだけ振り返った。

四人は、まだテーブルで何かを考えているようだった。

 

少しは、役に立てただろうか。

 

答えは、すぐには分からない。

でも、今はそれでいい。

 

言葉はすぐに結果になるものではない。

 

それでも、どこかに残ればいい。

 

次に繋がれば、それでいい。

 

* * *

 

10月25日 夜

横浜基地・グラウンド

<< 神宮寺 真白 >>

 

夜風が涼しい。

 

部屋に戻る前に、少しだけ気分転換をしたくなって、グラウンドへ来てみた。

 

昼間の熱気が嘘のように、夜の訓練場は静かだった。遠くで機械音が響いている。基地が眠ることはない。

 

この世界は、常に戦争の中にある。

 

「……本当に、遠くまで来たな」

 

元の世界。

普通の部屋。

ゲーム画面。

涙を拭いたティッシュ。

眠る前の自分。

 

それらが、今では遠い夢のようだった。

 

ポケットの中には、ヨーヨーが入っている。

 

離れても、戻ってくるもの。

 

「……自分も、戻れるのかな」

 

小さく呟いて、すぐに首を振る。

今それを考えても、答えは出ない。

 

戻れるかどうかより、今は目の前のことだ。

 

明日も霞に会う。

XM3のテストも進める。

207B分隊にも、少しずつ関わっていく。

 

やることは、山ほどある。

 

そんなことを考えていると、グラウンドの端に人影が見えた。

向こうもこちらに気づいたらしい。

すぐに姿勢を正し、敬礼する。

 

「少佐……!」

 

冥夜だった。

 

「いいのいいの。今はそんなに畏まらなくても」

 

自分は手を軽く振る。

 

冥夜は少し戸惑ったように眉を動かした。

 

「ですが……」

「自分がそうしてほしいので」

「……神宮寺少佐がよろしいのであれば」

 

まだ慣れない様子だった。

 

「自主訓練ですか?」

「はい。ですが、日課ですので」

 

冥夜は静かに答える。

 

「私は、一刻も早く衛士となり、戦場に立ちたいのです」

 

その声に迷いはなかった。

 

けれど、迷いがないからこそ危うい。

 

強い決意は、人を前に進ませる。

けれど時に、自分自身を追い詰める。

 

「昼の少佐の言葉、しかと胸に響きました」

 

冥夜はまっすぐにこちらを見る。

 

「私も、今一度自分の目標に向かって精進します」

「御剣訓練兵の目標は、何ですか?」

 

自分が尋ねると、冥夜は少しだけ夜空を見上げた。

そして、静かに答える。

 

「この星。この国の民。そして、日本という国です」

 

真剣な眼差しだった。

その言葉が、嘘ではないことはすぐに分かった。

 

冥夜は本気で背負っている。

自分の立場も、血筋も、国も、民も。

重すぎるほどのものを。

 

「そうですか……」

 

自分は素直に感心していた。

 

強い。

 

この子は、本当に強い。

 

その時、冥夜が少しだけ表情を和らげた。

 

「神宮寺少佐にも、護りたいものはありますか?」

 

問われて、自分は言葉を探した。

 

護りたいもの。

 

霞。

まりもさん。

夕呼副司令。

207B分隊。

A-01。

この基地にいる人たち。

これから出会う人たち。

 

そして、まだ見ぬ未来。

 

白銀武が護ろうとしたもの。

 

自分は静かに答えた。

 

「ありますよ」

 

冥夜がこちらを見る。

 

「地球と、全人類です」

 

冥夜の目が、わずかに見開かれた。

 

少し大きく言いすぎただろうか。

でも、嘘ではない。

 

自分は苦笑する。

 

「……まあ、受け売りですけどね」

「受け売り、ですか」

「はい。でも、自分もそうありたいと思っています」

 

冥夜はしばらく黙っていた。

やがて、静かに言う。

 

「少佐は、立派なお方ですね」

「そんなことないですよ」

 

自分は首を振った。

 

「自分は、まだ何も成し遂げていません。ただ、やらなきゃいけないことがあるだけです」

「それでも、そのように言えることが、私には立派に思えます」

 

夜風が、冥夜の髪を揺らした。

 

月明かりの下に立つ彼女は、どこか現実離れして見える。

でも、その瞳にある決意は本物だった。

 

「御剣訓練兵」

「はい」

「焦らなくていいと思います」

 

自分はゆっくりと言った。

 

「早く戦場に立ちたい気持ちは分かります。でも、戦場に立つために必要なのは、急ぐことだけじゃありません」

 

冥夜は黙って聞いている。

 

「仲間と一緒に生き残る力を身につけること。それも、衛士になるために大切なことだと思います」

「仲間と……生き残る力」

「はい」

 

自分は頷く。

 

「御剣訓練兵一人が強くても、小隊全員で生き残れなければ意味がない。だから、207B分隊のみんなで強くなってください」

 

冥夜はしばらく目を伏せていた。

 

自分は、少しだけ言葉を足す。

 

「戦場では、別れは簡単に来ると思います」

 

その言葉に、冥夜の表情がわずかに変わった。

 

自分の頭には、霞の声が浮かんでいた。

 

バイバイではなく、またね。

 

「だから自分は……できるだけ、“また会える”方を選びたいんです」

 

冥夜が、静かにこちらを見る。

 

「また会える方、ですか」

「はい。任務が終わった後に、また会える。訓練の後に、また話せる。戦場に出ても、また帰ってこられる」

 

言いながら、自分は少しだけ笑った。

 

「そういう未来を、少しでも増やしたいんです」

 

冥夜は何も言わなかった。

けれど、その瞳の奥で何かが揺れたのが分かった。

 

「……少佐の言葉、肝に銘じます」

 

冥夜は深く頭を下げる。

 

「そんな大げさな」

「いえ。少佐の言葉、確かに受け取りました」

 

真面目だなぁ。

でも、そこが冥夜らしい。

 

その時だった。

ふと、背筋に小さな違和感が走った。

 

誰かに見られているような感覚。

 

自分は反射的に、グラウンドの外れへ視線を向けた。

 

建物の影。

暗がり。

何も見えない。

 

「……?」

「どうかされましたか、少佐?」

 

冥夜が尋ねる。

 

「いえ……今、誰かいたような気がして」

 

冥夜もそちらへ視線を向ける。

だが、やはり誰もいない。

 

「夜間警備の者かもしれません」

「そうですね」

 

自分は頷いた。

 

気のせいかもしれない。

いや、この基地なら警備兵がいてもおかしくない。

 

それでも、あの一瞬の気配は、普通のものではなかった気がした。

 

「御剣訓練兵も、あまり無理はしないでくださいね」

「はい。少佐も、お身体にお気をつけください」

「ありがとうございます」

 

自分は軽く手を振る。

 

「では、また」

 

言ってから、少しだけその言葉に引っかかった。

 

また。

 

またね、とまでは言わなかった。

でも、その言葉は、さっき霞と交わした約束とどこか繋がっている気がした。

 

冥夜はまっすぐに敬礼する。

 

「はい。またご指導をお願いいたします」

「こちらこそ」

 

自分は、グラウンドを後にした。

 

背中に、夜風が触れる。

 

そして、どこか遠くから、まだ見えない視線がこちらを追っている気がした。

 

* * *

 

10月25日 夜

横浜基地・グラウンド外縁

<< 月詠 真那 >>

 

暗がりの中、四つの影が静かに息を潜めていた。

 

月詠真那中尉。

神代巽少尉。

巴雪乃少尉。

戎美凪少尉。

 

帝国斯衛軍に属し、御剣冥夜を陰から護衛する者たち。

 

その視線の先には、冥夜と向かい合う一人の若い士官がいた。

 

神宮寺真白少佐。

 

報告では、男性。

しかし遠目に見るその姿は、男と聞かされていなければ判じがたいほど中性的だった。

 

年若く、線が細く、軍人というよりは、どこか庇護される側の人間にすら見える。

 

だが、その人物は香月夕呼副司令の管理下に置かれ、異例の少佐待遇を受けている。

 

そして今、冥夜様と言葉を交わしていた。

 

怪しくないはずがない。

 

「……真那様」

 

神代巽が低い声で呟く。

 

「あの方は、冥夜様に何の目的で近づいたのでしょうか」

 

巴雪乃も目を細める。

 

「神宮寺真白少佐。年齢も若く、男性でありながらあの容姿。加えて少佐待遇。通常では考えられません」

 

戎美凪が静かに続ける。

 

「香月副司令の関係者です。警戒するに越したことはないかと」

 

月詠は無言で、真白の背中を見つめていた。

 

先ほど、真白はこちらの気配に気づきかけた。

完全に察知したわけではない。

 

だが、反応した。

 

ただの若い男ではない。

少なくとも、普通の後方勤務者ではありえない反応だった。

 

それに。

 

冥夜が、あの男に向ける表情。

 

警戒ではない。

反発でもない。

 

何かを受け取り、考えている顔だった。

 

冥夜様に影響を与え得る存在。

 

それだけで、月詠にとっては十分に警戒対象だった。

 

「……真那様」

 

神代がもう一度、小さく声を落とす。

 

「いかがなさいますか」

 

月詠はしばらく答えなかった。

 

冥夜と真白の会話の断片が、夜風に乗ってわずかに届いていた。

 

――仲間と一緒に生き残る力。

 

――できるだけ、“また会える”方を選びたい。

 

月詠の眉が、ほんの少し動く。

 

甘い言葉だ。

 

戦場を知らぬ者が口にすれば、ただの理想論に聞こえる。

 

だが、あの男の声には、不思議な重さがあった。

 

何かを知っている者の声。

何かを失う未来を、恐れている者の声。

 

月詠には、それが気にかかった。

 

「あの男は、冥夜様を惑わせているのか」

 

月詠は、低く呟いた。

 

「それとも……冥夜様を生かす道へ導こうとしているのか」

 

三人の部下が、沈黙する。

 

月詠は、真白の去っていった方向を見つめ続けた。

 

若い男性少佐。

男とは思えぬほど中性的な容貌。

香月夕呼の管理下に置かれた、素性不明の存在。

そして、冥夜に言葉を残す者。

 

放置できる存在ではない。

 

「調べる必要があるな」

 

月詠は静かに言った。

 

三人の部下が、わずかに姿勢を正す。

 

「冥夜様に近づく者である以上、見過ごすわけにはいかん」

「はっ」

 

夜風が吹く。

グラウンドには、もう真白の姿はない。

 

だが、その存在が残した波紋だけは、確かにそこにあった。

 

白き少佐。

神宮寺真白。

 

彼が冥夜にとって何者となるのか。

 

味方か。

脅威か。

あるいは、そのどちらでもない何かなのか。

 

月詠真那は、その答えを見極めるため、闇の中から静かに動き始めた。

 

この日。

神宮寺真白は、207B分隊と出会った。

 

御剣冥夜。

榊千鶴。

彩峰慧。

珠瀬壬姫。

 

白銀武のいない世界で、本来の物語とは違う形で、彼女たちと繋がった。

 

そして同時に。

 

帝国斯衛の赤い影が、白き少佐へと視線を向け始めた。

 

終わりではなく、次へ。

 

別れではなく、また会うために。

 

神宮寺真白の言葉は、まだ小さなものだった。

 

けれど、その小さな言葉は確かに、横浜基地の未来を少しずつ変え始めていた。

 

第7話「白き少佐と207小隊」 END




――本作用語メモ7――
■ 御剣冥夜
207Bに所属する訓練兵。
高い誇りと使命感を持ち、真白との出会いによって少しずつ影響を受けていく。
■ 榊千鶴
207Bの分隊長。
規律を重んじる真面目な少女で、部隊全体をまとめる立場にある。
■ 彩峰慧
207B所属の訓練兵。
寡黙で独特な雰囲気を持ち、千鶴とは対立しやすい。
■ 珠瀬壬姫
207B所属の訓練兵。
射撃に高い適性を持つが、気弱な面もある。
■ 鎧衣美琴
207B所属の訓練兵。
この時点では入院中で、本格的な合流は後になる。

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