マブラヴ・インサート 〜白き少佐の因果強化計画〜   作:きのこ大三元

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第8話「積み重ねる未来」

10月26日 午後

横浜基地・シミュレーター室

<< 神宮寺 真白 >>

PXを出た後、自分はそのままシミュレーター室へ向かった。

京塚のおばちゃんの大きな声。

207B分隊の少し柔らかくなった空気。

彩峰訓練兵が無言で分けてくれた合成焼きそば。

珠瀬訓練兵の「また、お話してもいいですか」という言葉。

昼の出来事が、まだ胸の中に残っている。

それは、昨日の霞との「またね」に少し似ていた。

一度話して終わりじゃない。

一度食事をして終わりじゃない。

一度言葉を渡して終わりじゃない。

また会う。

また話す。

また次へ繋げる。

この世界では、そんな当たり前のことすら、簡単には保証されない。

だからこそ、その小さな約束が妙に重くて、温かかった。

「……さて」

シミュレーター室の前で、自分は小さく息を吐いた。

日常の空気はここまでだ。

この扉の向こうには、また別の現実がある。

XM3。

新型OS。

白銀武が本来この世界にもたらすはずだった、人類側の切り札。

自分はその代役として、ここに立っている。

「やるしかないですよね」

そう呟いて、扉を開けた。

中には、すでにピアティフ中尉と霞がいた。

ピアティフ中尉は端末の前で記録の準備をしている。

霞は別の端末の前に座り、膨大なデータを淡々と処理していた。

その端末の横に、小さなヨーヨーが置かれている。

昨日、霞と一緒に遊んだものだ。

いや、遊んだと言っていいのかは分からない。

けれど、少なくとも自分にとっては、確かに遊びだった。

戦術でも、因果でも、オルタネイティヴ4でもない。

ただ、糸の先で回って、手元へ戻ってくるだけの小さな道具。

それが霞の端末の横に置かれているだけで、昨日の「またね」がちゃんと今日へ繋がっている気がした。

「神宮寺少佐」

ピアティフ中尉がこちらへ向き直る。

「午後の試験準備は完了しています」

「ありがとうございます、ピアティフ中尉」

「本日はXM3α版の挙動確認、連続機動時の入力遅延測定、動作中断時の安定性確認、先行入力処理の負荷測定を行います」

「……改めて聞くと、かなり多いですね」

「副司令の指示です」

「ああ……」

それなら仕方ない。

夕呼副司令は、こちらの体力と集中力を少し過大評価している気がする。

いや、過大評価ではなく、限界まで使うつもりなのかもしれない。

あの人なら、やる。

霞がこちらを見る。

「……無理は、しないでください」

静かな声だった。

昨日と同じように、短い言葉。

けれど、その言葉には少しだけ柔らかさがある。

「ありがとう、霞」

自分は小さく笑った。

「でも、今日は少し頑張ります」

「少し、ですか」

「……できれば少しで済ませたいです」

霞はじっとこちらを見ていた。

そして、小さく言う。

「……またね、があります」

胸の奥が、少しだけ温かくなった。

昨日、自分が霞に教えた言葉。

バイバイではなく、またね。

また会えるようになる、おまじない。

それを、霞が覚えていてくれた。

「はい」

自分は頷いた。

「またね、があります。だから、ちゃんと戻ってきます」

霞は、それ以上何も言わなかった。

ただ、ほんの少しだけ頷いて、端末へ視線を戻した。

それだけで十分だった。

「では、神宮寺少佐」

ピアティフ中尉が告げる。

「搭乗準備をお願いします」

「了解しました」

自分はシミュレーターのコクピットへ向かった。

ハッチが閉じる。

外の音が少し遠くなる。

正面のモニターが起動し、機体情報が表示される。

搭乗機体は不知火。

シミュレーター設定。

OSには、少しずつ形になり始めたXM3α版が組み込まれている。

まだ完成品ではない。

安定性も不十分。

挙動も荒い。

真白自身の感覚に寄りすぎている部分も多い。

それでも、従来のOSとは違う。

「……起動」

指先で入力を進める。

機体の反応が、以前より明らかに早い。

入力から動作までの遅延が少ない。

いや、少ないというより、余計な引っかかりが削ぎ落とされている。

従来OSの戦術機は、大きな鎧を無理やり動かしているような感覚だった。

一つ一つの動作が重く、動きの間に壁がある。

でも今は違う。

思考と機体の間にあった厚い壁が、ほんの少し薄くなったような感覚。

「……動く」

思わず、口元が緩んだ。

完全ではない。

けれど、確かに進んでいる。

「神宮寺少佐、初期挙動確認を開始します」

ピアティフ中尉の声が響く。

「了解」

視界が切り替わる。

仮想戦場。

荒れた大地。

距離表示。

敵影。

機体状態。

兵装残量。

自分は操縦桿を握り直した。

「……行きます」

不知火が駆け出した。

最初の踏み込み。

跳躍。

着地。

反転。

動作が繋がる。

従来OSなら、ここで一拍遅れる。

思考は次へ進んでいるのに、機体がまだ前の動作を終えきっていない。

でも、XM3α版では違う。

着地前から次の姿勢制御を受け付ける。

反転動作の途中で次の入力を重ねる。

射撃姿勢へ移る直前に、次の回避行動を仕込む。

先行入力。

動作中断。

連続機動。

白銀武が本来この世界にもたらすはずだった発想。

それが、今、自分の手の中で少しずつ形になっていく。

仮想BETAが迫る。

突撃級を避ける。

側面へ回り込む。

照準。

発射。

撃破判定。

続けて要撃級。

腕部攻撃の範囲外へ滑り込み、長刀を振る。

切断判定。

即座に後退。

次の敵影。

その次。

機体が、思考についてくる。

いや、完全についてきているわけではない。

まだ荒い。

時々、意図しない入力残りがある。

動作中断から次の挙動へ移る時、機体がわずかに流れる。

先行入力を重ねすぎると、処理が詰まる感覚もある。

けれど、従来OSよりは確実にいい。

「これなら……!」

踏み込み、跳ぶ。

着地と同時に反転。

横へ滑り、射撃。

反動を使って姿勢を変え、次の敵を斬る。

自分の中にある白銀武の感覚が、機体と噛み合っていく。

怖いくらいに。

でも、今はその怖さを飲み込む。

これは自分だけの力ではない。

それでも、使うと決めた。

衛士を生かすために。

未来を変えるために。

「もう一本、行けます」

通信越しに告げると、少し間が空いた。

『神宮寺少佐、現在の試験項目は完了しています』

ピアティフ中尉の声。

「追加でお願いします。今の挙動、もう少し詰められそうです」

『……承知しました。ただし、次で一度休憩を入れます』

「了解です」

『霞、負荷確認を』

『……処理、可能です』

霞の声が聞こえる。

その静かな声に、少しだけ安心する。

またね。

ちゃんと戻る。

そう言ったばかりだ。

だから、無茶はする。

けれど、壊れるまではしない。

自分は息を吸い、操縦桿を握り直した。

「……もう一回」

戦術機が、再び仮想戦場を駆け出した。

 

10月26日 夕方

横浜基地・シミュレーター室

<< 神宮寺 真白 >>

何度目かのシミュレーションを終えて、コクピットハッチが開いた。

外の空気が流れ込んできた瞬間、張り詰めていた集中が少しだけ解ける。

額から汗が流れ、顎を伝って落ちた。

「……ふぅ」

思わず息が漏れる。

体はまだ動く。

息も切れていない。

けれど、目の奥が重い。

戦術機を動かす疲労というより、集中し続ける疲労だ。

「神宮寺少佐、お疲れ様です」

降りた先で待っていたのは、ピアティフ中尉だった。

手にはタオルとドリンク。

いつものように整った姿勢で立っているけれど、その目はどこか感心したようにこちらを見ている。

「ありがとうございます、ピアティフ中尉」

受け取ろうと手を伸ばした瞬間、ふと距離の近さに気づいた。

近い。

タオルを渡すだけにしては、指先が触れそうな距離。

ドリンクを差し出す角度も、自然と言えば自然だけれど、少しだけこちらに踏み込んでいるようにも見える。

「神宮寺少佐、ますます戦術機の動きが凄まじくなっています。あの反応速度と機動は、従来OSでは再現できません」

「いえ……OSのおかげです。まだ自分の癖も強いと思いますし」

「それでも、神宮寺少佐のデータは非常に貴重です」

ピアティフ中尉はそう言って、じっとこちらを見る。

……汗をかいている状態で、そんなに真っ直ぐ見られると困る。

自分は反射的に一歩後ずさった。

「……神宮寺少佐?」

「あ、いえ。ちょっと汗臭いかなと思いまして」

「そんなことはありません」

即答だった。

「……そうですか」

「はい」

間が空く。

何だろう。

この世界の女性は、距離感が少し強い。

いや、ピアティフ中尉は軍人として真面目な人だ。

たぶん深い意味はない。

ないはずだ。

自分はそう言い聞かせながら、タオルで汗を拭った。

少し離れた場所では、霞が端末の前に座っていた。

コクピットから伸びたケーブルが機材に繋がれ、膨大なデータが次々と処理されている。

霞は無表情に見えるけれど、目だけは画面を追い続けている。

小さな指が、静かにキーを叩く。

端末の横には、やっぱりヨーヨーが置かれていた。

作業の邪魔にならない位置。

けれど、確かに霞の近くにある。

それだけで、少し嬉しくなる。

「霞も、ありがとうね」

声をかけると、霞がこちらを見た。

「……任務ですので」

いつもの静かな声。

けれど、ほんの少しだけ、耳が赤い気がした。

「それでも助かってるよ。本当に」

「……はい」

霞は小さく頷いて、また画面へ視線を戻した。

ピアティフ中尉が端末を確認しながら言う。

「本日の試験結果ですが、従来OSと比較して、連続機動時の反応遅延は大きく改善しています」

「本当ですか?」

「はい。ただし、問題点もあります」

「ですよね……」

良いことばかりではない。

それは、動かしている自分が一番分かっていた。

ピアティフ中尉は画面を示す。

「先行入力を重ねた際、一部の動作で入力の優先順位が不安定になっています。また、神宮寺少佐の操作感覚に合わせすぎているため、一般衛士が扱う場合、誤入力が増える可能性があります」

「やっぱり、自分専用に寄りすぎてますか」

「現時点では、その傾向が強いです」

自分は頷いた。

XM3は、自分だけが使えればいいものではない。

白銀武だけが強くなるためのOSではなかった。

多くの衛士に普及し、前線の消耗率を下げるためのものだった。

なら、自分の感覚だけに寄せてはいけない。

まりもさん。

伊隅大尉。

A-01。

そして、いずれは207B。

それぞれの技量、それぞれの癖、それぞれの判断速度に対応できなければ意味がない。

「……一般衛士向けの補正が必要ですね」

「はい。副司令も同様の判断をされると思われます」

「となると、他の衛士のテストデータも必要になる」

「その可能性が高いです」

A-01の顔が頭に浮かぶ。

伊隅みちる。

速瀬水月。

涼宮遙。

宗像美冴。

風間祷子。

涼宮茜。

柏木晴子。

伊隅戦乙女隊。

近いうちに、彼女たちにもこれを触ってもらう必要がある。

その前に、最低限の安定性を確保しなければならない。

「……時間が足りないな」

思わず呟いた。

ピアティフ中尉がこちらを見る。

「神宮寺少佐?」

「あ、いえ……」

言葉を濁しかけて、やめる。

もう、逃げるような段階ではない。

「十一月十一日が近いんです」

ピアティフ中尉の表情が少し引き締まる。

霞の指も、一瞬だけ止まった。

「神宮寺少佐が以前、副司令に進言されていた件ですね」

「はい」

BETA新潟上陸。

まだ先の話に思える。

けれど、実際にはもう二週間と少ししかない。

その日、佐渡島からBETAが新潟へ上陸する。

そして、A-01には任務が下るはずだ。

BETA捕獲任務。

通称、死の八分。

たった八分。

けれど、その八分で衛士の生死は簡単に入れ替わる。

原作では、一人が重傷を負った。

けれど、この世界でも同じように済む保証はどこにもない。

白銀武はいない。

自分がいる。

その違いが、どこにどう影響するか分からない。

ほんの少しのズレで、誰かが死ぬかもしれない。

本来なら助かるはずだった人が、助からないかもしれない。

「それまでに、最低限A-01が使える形にしたいんです」

自分は言った。

「全部完成させるのは無理でも、反応遅延の改善と動作中断だけでも実戦で使えるようにできれば、生存率は変わるはずです」

ピアティフ中尉は、すぐには答えなかった。

その代わり、端末の数値を見直す。

軍人として、無責任に頷くことはできないのだろう。

「現状では、実戦投入にはリスクがあります」

「分かっています」

「ですが、限定的な機能であれば、試験運用の余地はあります」

「……本当ですか」

「はい。少なくとも、神宮寺少佐のテストデータは、その可能性を示しています」

胸の奥が少しだけ熱くなる。

まだ間に合うかもしれない。

もちろん、簡単ではない。

このまま突っ走れば、必ず問題が出る。

夕呼副司令にも詰められる。

A-01に渡す前に、まりもさんや伊隅大尉の意見も必要になる。

それでも、ゼロではない。

「霞」

自分は思わず霞を見た。

霞は、こちらを見返す。

「……はい」

「ごめん。もう少しだけ、手伝ってもらうことになると思う」

霞は少しだけ沈黙した。

それから、静かに答えた。

「……手伝います」

「ありがとう」

「またね、のためです」

小さな声だった。

けれど、自分にははっきり聞こえた。

またね、のため。

また会える方を選ぶため。

また戻ってこられる未来を増やすため。

XM3も、そのための道具だ。

誰かを強くするためだけじゃない。

誰かを倒すためだけじゃない。

戦場から、もう一度帰ってくるための力。

「……そうだね」

自分は小さく頷いた。

「またね、のために」

ピアティフ中尉は、少しだけ不思議そうにこちらと霞を見比べていた。

けれど、何も言わなかった。

ただ、静かに記録を続けていた。

 

10月26日 夜

横浜基地・自室

<< 神宮寺 真白 >>

「……今日も疲れたぁ……」

自室に戻るなり、ベッドに背中から倒れ込んだ。

体が沈む。

柔らかいというほどではないけれど、今はこれだけで十分だった。

一日中シミュレーターに籠もっていたせいで、目の奥がじんわり重い。

体力はまだ残っている。

けれど、集中力をごっそり持っていかれた感覚がある。

「後は……データ処理待ちだな」

霞とピアティフ中尉がまとめてくれているはずだ。

もちろん、最終的には夕呼副司令の確認も入るだろう。

自分にできることは、ひとまず終わった。

いや、正確には、今日の分が終わっただけだ。

明日も、明後日も、また同じようにデータを積み重ねていく。

未来を変えるなんて、言葉にすれば大げさだ。

けれど、実際にやっていることは、とても地味だった。

一回動かす。

データを取る。

修正する。

また動かす。

その繰り返し。

でも、きっとそういう積み重ねが必要なんだと思う。

劇的な奇跡だけで未来は変わらない。

一つの言葉。

一回の食事。

一つの訓練。

一つのテストデータ。

そういう小さなものが積み上がって、やっと何かを変えられる。

今日、自分はXM3のデータを少しだけ積み上げた。

PXで207B分隊と少しだけ話した。

霞は端末の横にヨーヨーを置いてくれていた。

ピアティフ中尉は黙って記録を取り続けてくれた。

どれも、小さなことだ。

けれど、何もしていないわけじゃない。

「……十一月十一日」

小さく呟く。

その日が近づいている。

BETA新潟上陸。

A-01の任務。

死の八分。

その未来を変えられるかどうかは、まだ分からない。

でも、変えたい。

少なくとも、何もせずに見送るつもりはない。

「……間に合わせないと」

ベッドの上で、天井を見上げる。

その時、明日の予定が頭に浮かんだ。

明日は、207B分隊の訓練を見る予定だ。

昨日、自分は彼女たちに言った。

目的があれば、人は努力できる、と。

でも、言葉だけでは足りない。

その言葉を、どう動きに変えるのか。

どう仲間との呼吸に変えるのか。

それを、明日は見なければならない。

「……一呼吸、か」

戦場では、たった一呼吸が命を分ける。

けれど、その一呼吸が、仲間を見る余裕にもなる。

自分だけが前へ出るのではなく。

自分だけが正しいと思うのでもなく。

一呼吸置いて、隣を見る。

千鶴には、指示する前に相手を見る余裕が必要かもしれない。

彩峰には、動けるからこそ味方がついてこられる道を残す意識が必要かもしれない。

珠瀬訓練兵には、焦らず次の一手を見る勇気が必要かもしれない。

冥夜には、一人で背負いすぎないことを覚えてほしい。

「……明日、伝えられるかな」

自信はない。

自分は教官ではない。

まりもさんのように訓練兵を鍛えてきた経験もない。

軍人としての積み重ねもない。

それでも、知っていることはある。

原作で、彼女たちが何につまずいたのか。

何を乗り越えたのか。

何が彼女たちを強くしたのか。

その全部をそのまま言うことはできない。

けれど、少しだけ背中を押すことならできるかもしれない。

「……やるしかないですよね」

声に出すと、少しだけ気持ちが落ち着いた。

明日。

207B分隊の訓練を見る。

そして、彼女たちに伝える。

戦場では、一呼吸が命を分ける。

でも、その一呼吸は、仲間と生き残るための余裕にもなるのだと。

目を閉じる。

霞の「またね」。

珠瀬訓練兵の「また、お話してもいいですか」。

京塚のおばちゃんの「晩飯もちゃんと食べに来るんだよ」。

冥夜の真剣な瞳。

千鶴の硬い表情。

彩峰の合成焼きそば。

ピアティフ中尉の静かな記録。

今日積み重ねたものが、頭の中に浮かんで、少しずつ遠くなっていく。

未来はまだ、何も決まっていない。

けれど。

終わりではなく、次へ。

別れではなく、また会うために。

自分は、明日もまた一歩を積み重ねる。

第8話「積み重ねる未来」

それは、神宮寺真白がXM3の未来を積み重ねた日。

そして、次に207B分隊へ伝えるべき“一呼吸”を見つけた日だった。

 

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