マブラヴ・インサート 〜白き少佐の因果強化計画〜 作:きのこ大三元
幕間「ピアティフ中尉の予定表」は正しくは、8話後の物語となります。
今後は気をつけさせてもらいますm(_ _)m
10月27日 朝
横浜基地・副司令執務室隣室
<< 神宮寺 真白 >>
「……詰めれば、いけますよね」
自分は、机の上に広げたメモを見ながら、そう呟いた。
白い紙の上には、自分で書いた予定が並んでいる。
午前、XM3α版の再テスト。
昼、香月副司令への報告。
午後、第207衛士訓練小隊B分隊の訓練見学。
夕方、霞とのデータ確認。
夜、XM3改修案の整理。
その後、A-01向け説明資料の下書き。
「……うん」
少しだけ、頷く。
厳しい。
かなり厳しい。
けれど、不可能ではないはずだった。
自分の身体は、以前よりずっと丈夫になっている。
疲れにくい。
回復も早い。
シミュレーターで何度か戦術機を動かしたあとでも、普通なら倒れていてもおかしくないはずなのに、身体そのものはまだ動いた。
なら、使える時間は使った方がいい。
この世界には、時間がない。
11月11日。
BETAの新潟上陸。
その日までに、XM3を形にしなければならない。
A-01に使えるところまで持っていかなければならない。
207Bにも、できるだけ早く成長してもらわなければならない。
まりもさんを守るためにも。
霞を救うためにも。
夕呼副司令の計画を進めるためにも。
「……自分が、動かないと」
そう呟いた時だった。
「神宮寺少佐」
背後から声がした。
「ひゃっ……!」
思わず変な声が出た。
振り返ると、そこにはピアティフ中尉が立っていた。
いつものように、背筋を伸ばし、表情は落ち着いている。
手には端末と資料を抱えていた。
「おはようございます」
「お、おはようございます……ピアティフ中尉」
慌ててメモを隠そうとした。
だが、遅かった。
ピアティフ中尉の視線は、すでに机の上の紙に向いていた。
「……それは?」
「えっと……今日の予定、です」
「拝見しても?」
「……はい」
差し出すしかなかった。
ピアティフ中尉は、紙を受け取ると、黙って目を通した。
一行目。
二行目。
三行目。
表情は変わらない。
ただ、少しだけ沈黙が長くなった。
その沈黙が、妙に怖かった。
「神宮寺少佐」
「はい」
「これは、予定表ではありません」
「え?」
ピアティフ中尉は、淡々と言った。
「故障前提の運用計画です」
「故障……」
「はい」
即答だった。
自分は少しだけ視線を逸らした。
「で、でも、自分、体力は普通よりありますし……」
「それは把握しています」
「なら……」
「動けることと、休息が不要であることは別問題です」
その言葉に、返す言葉が詰まった。
ピアティフ中尉の声は、いつも通り落ち着いていた。
怒っているわけではない。
責めているわけでもない。
ただ、事実を告げているだけ。
それなのに、変に逃げ道がなかった。
「ですが、時間が……」
「時間がないことも把握しています」
「だったら、自分が少しでも動けば……」
「神宮寺少佐」
ピアティフ中尉が、自分の言葉を静かに遮った。
「あなたが倒れた場合、XM3の開発速度は低下します。207Bへの助言も停止します。霞さんとのデータ確認も止まります。香月副司令への報告も遅延します」
「……」
「あなたが一日多く動くことで得られる成果と、あなたが倒れることで失われる成果。どちらが大きいか、計算する必要があります」
「……計算、ですか」
「はい」
ピアティフ中尉は、机の上に紙を戻した。
「少なくとも、この予定表は計算されていません」
言い切られた。
胸の奥が少しだけ痛んだ。
分かっている。
たぶん、無理をしている。
でも。
「……自分が休んでいる間に、誰かが死ぬかもしれないと思うと」
言葉が、勝手に漏れた。
ピアティフ中尉の目が、わずかに細くなる。
「新潟のことも、A-01のことも、207Bのことも……自分は知っているのに、全部は覚えていなくて……でも、何かできるかもしれなくて」
自分は、拳を握った。
「だから、少しでも動いた方がいいと思ったんです」
ピアティフ中尉は、すぐには答えなかった。
隣室の空調音だけが、静かに響いていた。
やがて、彼女は口を開く。
「その可能性は否定できません」
優しい嘘ではなかった。
「あなたが休息している間に、何かが起こる可能性はあります」
「……はい」
「ですが、あなたが休息しなかった結果、救えるはずだった人を救えなくなる可能性もあります」
その言葉は、静かだった。
けれど、重かった。
「神宮寺少佐。あなたは、ご自身を一つの作業単位として考えすぎています」
「作業単位……」
「はい。あなたは、代替不能な人員です」
代替不能。
その言葉が、妙に重く響いた。
「香月副司令は、使えるものは使います」
ピアティフ中尉は淡々と続ける。
「必要なら、あなたにも相応の負荷をかけるでしょう」
「……ですよね」
「ですが、負荷をかけることと、壊してよいことは違います」
思わず顔を上げた。
ピアティフ中尉は、こちらを真っ直ぐに見ていた。
「壊れれば、使えません」
「……すごく事務的な言い方ですね」
「事務的に申し上げています」
「ですよね……」
少しだけ苦笑した。
でも、不思議と嫌ではなかった。
夕呼副司令なら、たぶんもっと皮肉っぽく言う。
まりもさんなら、もっと感情を込めて心配してくれる。
霞なら、少ない言葉でこちらの不安を見抜く。
ピアティフ中尉は、そのどれとも違った。
淡々としている。
冷静で、事務的で、無駄がない。
けれど、そこには確かに、自分を壊さないようにする意志があった。
「では、予定を組み直します」
「え、今からですか?」
「はい」
ピアティフ中尉は、迷いなく机の前に座った。
自分のメモを横に置き、別の紙を取り出す。
ペンの音が、さらさらと響いた。
「午前。XM3α版テスト。二時間まで」
「二時間……」
「連続稼働は避けます。途中で十五分の休憩を挟みます」
「はい……」
「昼。食事および休憩」
「食事は、まあ……」
「食事時間を削ることは認めません」
先に釘を刺された。
「……自分、そんなに信用ないですか?」
「ありません」
即答だった。
「即答……」
「昨日の記録では、昼食を十分に摂取していません」
「それは、その……考えごとをしていて」
「理由は問いません。結果として不十分です」
言い返せない。
ピアティフ中尉は、そのまま続ける。
「午後。207B訓練見学および助言。一時間半まで」
「一時間半ですか?」
「はい」
「もう少し見た方が……」
「一時間半です」
「……はい」
「夕方。霞さんとのデータ確認。三十分」
「三十分……」
「延長は、香月副司令または私の許可が必要です」
「かなり厳しいですね……」
「必要です」
さらに、ピアティフ中尉は紙に線を引いた。
「夜。香月副司令への報告。終了後、休息」
「XM3の改修案整理は……」
「翌日に回します」
「A-01向け資料は……」
「後日です」
「深夜作業は……」
「禁止です」
「少しだけでも……」
「禁止です」
「……厳しい」
「必要です」
同じ言葉が、何度も返ってくる。
けれど、少しだけ分かってきた。
ピアティフ中尉は、自分を止めたいわけではない。
自分が動き続けるために、動きすぎるのを止めている。
「神宮寺少佐」
「はい」
「こちらを向いてください」
「え?」
言われるまま、顔を上げた。
ピアティフ中尉が近づいてくる。
思ったより、距離が近い。
「ピ、ピアティフ中尉?」
「失礼します」
そのまま、手袋越しの指先が、自分の額に触れた。
「……っ」
思わず固まる。
額に当てられた手は、少し冷たかった。
ピアティフ中尉は表情を変えない。
「微熱はありません」
「手で分かるんですか……?」
「簡易確認です」
「そ、そうですか……」
心臓が少しだけ早くなる。
こちらだけが妙に意識しているのが、なんだか恥ずかしい。
ピアティフ中尉は、そのまま自分の顔色を確認するように見つめた。
「ただし、睡眠不足の兆候があります」
「……少しだけです」
「少しだけ、ではありません」
どこかで聞いたような言い方だった。
霞にも、似たようなことを言われた気がする。
「皆さん、そういうところは鋭いですね……」
「神宮寺少佐が分かりやすすぎるのだと思います」
「それはそれで、少し傷つきます……」
ピアティフ中尉は、額から手を離した。
「精神的疲労も見られます」
「……そこまで分かるんですか?」
「記録と照合しています」
「記録……」
「表情、発声、姿勢、歩行速度、食事量、シミュレーター後の反応。総合的に判断しています」
「すごく見られてますね……」
「業務です」
また、その言葉だった。
業務。
任務。
管理。
補佐。
ピアティフ中尉の距離感は、いつもそこに収まる。
でも。
「……心配、してくれているんですか?」
つい、そんなことを聞いてしまった。
言ってから、少し後悔する。
ピアティフ中尉は、すぐには答えなかった。
ほんの一拍。
それから、いつもの静かな声で言う。
「神宮寺少佐の体調管理は、私の業務範囲です」
「業務範囲、ですか」
「はい」
「……ありがとうございます」
ピアティフ中尉は、わずかに瞬きをした。
それだけだった。
けれど、その一瞬だけ、表情が少し柔らかくなった気がした。
その時、隣の扉が開いた。
「何よ、朝から楽しそうじゃない」
白衣を羽織った夕呼副司令が、眠そうな顔で出てきた。
手にはコーヒーカップ。
目元には、明らかに徹夜の気配がある。
「楽しそうではありません……」
「そう? ピアティフに捕まって予定管理されてる男の顔って、なかなか面白いわよ」
「捕まってたんですか、自分」
「ええ。見事に」
夕呼副司令は、自分の予定表をひょいと取り上げた。
最初に自分が作った方を見る。
そして、鼻で笑った。
「却下」
「早い……」
「こんなの通したら、あんた三日で潰れるわよ」
「三日は持つんですか……?」
「そこに安心しない」
夕呼副司令は、次にピアティフ中尉が作り直した予定表を見る。
「悪くないわね」
「ありがとうございます」
ピアティフ中尉が静かに頭を下げる。
夕呼副司令は自分を見る。
「真白」
「はい」
「あんた、自分を何だと思ってるの?」
一瞬、迷った。
でも、今の自分の中にある答えは一つだった。
「……白銀武の代わり、ですかね」
夕呼副司令は、眉を上げた。
そして、あっさりと言う。
「違うわよ」
「え?」
「便利な駒」
「もっと酷くなりましたけど!?」
思わず声が出た。
夕呼副司令は楽しそうに笑った。
けれど、すぐに少しだけ目を細める。
「でもね、駒だって壊れたら使えないのよ」
その声は、さっきより少しだけ低かった。
「使える時に使う。休める時に休ませる。壊れそうなら補修する。そうやって運用しなきゃ、戦力なんて維持できない」
「……」
「だから、休息も命令よ」
夕呼副司令は、ピアティフ中尉の予定表を指で叩いた。
「これに従いなさい」
「……はい」
逆らう理由は、もうなかった。
というより、逆らえる雰囲気ではなかった。
ピアティフ中尉が、清書した予定表を自分に差し出す。
「本日の正式予定です」
「ありがとうございます……」
受け取った紙を見る。
そこには、自分の無謀な予定とは違う、きちんと余白のある予定が並んでいた。
余白。
自分では削ろうとしていたもの。
でも、たぶん、それが必要なのだ。
「明日は、第207衛士訓練小隊B分隊の訓練見学が予定されています」
ピアティフ中尉が言う。
「神宮司軍曹の承認を得ています」
「まりもさんも……」
「はい」
予定表の一番下には、明日の項目が小さく書かれていた。
第207衛士訓練小隊B分隊。
訓練見学・助言。
同行、神宮司軍曹。
終了後、休憩。
「……いよいよ、207小隊ですね」
自分は小さく呟いた。
冥夜。
千鶴。
彩峰。
たま。
そして、まだ入院中の美琴。
彼女たちを、どう導けばいいのか。
どこまで関わっていいのか。
答えは、まだ分からない。
「神宮寺少佐」
「はい」
ピアティフ中尉が、まっすぐこちらを見る。
「助けすぎないようにしてください」
思わず、息を呑んだ。
「……分かるんですか?」
「神宮寺少佐は、そういう方だと判断しています」
「……」
否定できなかった。
たぶん、自分は助けすぎようとする。
答えを知っているから。
悲劇を見たくないから。
失敗させたくないから。
でも、それでは駄目なのだ。
彼女たち自身が強くならなければ、この先を生き残れない。
「……気をつけます」
「お願いします」
ピアティフ中尉は、静かに頷いた。
夕呼副司令は、コーヒーを飲みながらこちらを見ていた。
「ま、せいぜい上手くやりなさい」
「はい」
「あと、食事は抜くな」
「……はい」
「睡眠も削るな」
「はい……」
「深夜作業は?」
ピアティフ中尉が続ける。
「禁止、です」
自分が答えると、ピアティフ中尉は満足したように頷いた。
こうして、自分の無謀な予定表は、ピアティフ中尉の手によって綺麗に解体された。
代わりに残されたのは、少しだけ現実的で。
少しだけ窮屈で。
そして、たぶん。
自分を壊さないための予定表だった。
翌日。
自分はその予定表に従い、第207衛士訓練小隊B分隊の訓練場へ向かうことになる。
未来を変えるために。
けれど今度は、一人で全部を抱え込まないように。