マブラヴ・インサート 〜白き少佐の因果強化計画〜 作:きのこ大三元
10月27日 昼過ぎ
横浜基地・訓練場外縁
<< 月詠 真那 >>
訓練場に吹く風は、乾いていた。
遠くで訓練兵たちの声が響く。土を蹴る音。装備が擦れる音。神宮司軍曹の鋭い号令。そのすべてを、月詠真那は訓練場の外縁から静かに見つめていた。
隣には神代巽。
少し後ろには、巴雪乃と戎美凪。
帝国斯衛軍に属し、御剣冥夜を陰から守る者たち。
本来ならば、視線を向けるべきは冥夜だけでよい。
冥夜の安全。
冥夜に近づく者。
冥夜の周囲に潜む危険。
それを見極め、排除する。
それが月詠真那の役目だった。
だが、今。
彼女たちの視線は、冥夜だけではなく、もう一人の人物へ向けられていた。
神宮寺真白少佐。
白を思わせる柔らかな雰囲気。年若い男性。中性的な容貌。遠目では、報告に「男性」と記されていなければ判じがたいほど、線の細い姿。
そして、香月夕呼副司令の管理下に置かれた異例の少佐待遇。
素性不明。
経歴不明。
国連軍データベース上にも、明確な軍歴は確認できない。
にもかかわらず、横浜基地内で一定の自由を与えられ、神宮司軍曹や207B分隊と接触している。
怪しい。
そう判断するには、十分すぎる材料だった。
「……真那様」
神代巽が、低い声で言った。
「先ほどの訓練、ご覧になりましたか」
「見ていた」
月詠は短く答える。
視線の先では、207B分隊が片付けを行っていた。榊千鶴が彩峰慧に何かを確認し、彩峰は短く返事をして視線を逸らす。珠瀬壬姫は射撃結果を見直し、御剣冥夜がその横で静かに声をかけていた。
まだぎこちない。
けれど、先ほどの訓練前とは何かが違っていた。
「神宮寺少佐が言葉をかけてから、207Bの動きが変わりました」
巴雪乃が目を細める。
「大きな変化ではありません。ですが、確かに連携の乱れが小さくなりました」
戎美凪も静かに頷く。
「榊訓練兵と彩峰訓練兵の間にあったずれが、ほんの少しだけ修正されていました。珠瀬訓練兵も、外した後に止まりませんでしたね」
「御剣様も、前に出すぎなかった」
神代の声には、かすかな警戒が混じっていた。
「……あの男は、冥夜様だけでなく、207B全体に影響を与えています」
月詠は答えない。
代わりに、先ほどの真白の言葉を思い返した。
――戦場では、たった一呼吸が命を分けます。
――でも、その一呼吸は、仲間を見るための時間にもなります。
甘い言葉だ。
そう切り捨てることは簡単だった。
戦場で必要なのは、速さ。判断力。覚悟。命令への即応性。
一呼吸。
そんな曖昧なものを挟む余裕など、実戦にはない。そう考える者も多いだろう。
だが、真白の言葉を受けた後、207Bの動きはわずかに変わった。
榊千鶴が指示を出す前に、彩峰慧の視線を見た。
彩峰慧が、榊千鶴の指示に合わせた。
珠瀬壬姫が、外した後も次を見た。
冥夜が、一人で前に出すぎなかった。
ほんのわずか。
だが、戦場において、そのわずかが生死を分けることを、月詠は知っている。
「言葉だけで、人を動かす」
巴が呟いた。
「それも、命令ではなく、気づかせる形で」
「危険ですね」
神代が即座に言う。
「冥夜様が、あの方の言葉を重く受け止めているように見えます」
「……確かに」
戎も同意した。
「冥夜様は、神宮寺少佐の言葉をただの助言としてではなく、自分の中に取り込もうとしているようでした」
月詠は、冥夜を見る。
冥夜は今、珠瀬壬姫の隣で静かに何かを話している。その表情は、以前と変わらぬ凛々しいものだった。だが、その目には、何かを考えている色がある。
神宮寺真白。
あの男が現れてから、冥夜は少しずつ変わり始めている。
悪い変化か。
良い変化か。
それは、まだ分からない。
「香月副司令の差し金でしょうか」
神代が言った。
「冥夜様に近づき、影響を与え、何らかの形で利用しようとしている可能性があります」
「あるいは、神宮寺少佐本人が自覚なく利用されている可能性もあります」
戎が淡々と続ける。
「香月副司令の管理下にある以上、完全に無関係とは考えにくいでしょう」
巴が小さく息を吐く。
「それに、少佐待遇という肩書きも不自然です。実績も軍歴も不明。にもかかわらず、神宮司軍曹や207Bに接触できる立場を与えられている」
「男であることも、気にかかります」
神代が眉を寄せた。
「この基地において、若い男性はそれだけで注目を集めます。まして、あの容姿です。冥夜様が余計な影響を受ける可能性も……」
「神代」
月詠が短く制した。
「はっ」
神代はすぐに口を閉じる。
月詠は、真白の方へ視線を向けた。
訓練を終えた207B分隊と話す真白は、どう見ても危険人物には見えない。
むしろ、その逆だ。
控えめ。
遠慮がち。
強く押せば、簡単に引いてしまいそうな雰囲気。
だが、月詠はそれをそのまま信じるほど甘くはない。
弱く見える者が、本当に弱いとは限らない。
穏やかに見える者が、無害とは限らない。
まして、香月夕呼の庇護下にいる者であるなら、なおさらだ。
「……報告書では分からぬことが多すぎる」
月詠は静かに言った。
「直接、確かめる必要がある」
三人が一斉に月詠を見る。
「真那様が、ですか?」
「そうだ」
「危険では?」
巴が問う。
「危険であるなら、なおさら私が行く」
月詠の声に迷いはなかった。
「冥夜様に近づく者を、報告書と遠目の観察だけで判断するわけにはいかん」
神代が一歩前に出る。
「では、我々も同行いたします」
「当然だ」
月詠は頷いた。
「ただし、手出しは不要。私が話す」
「承知しました」
「確認することは三つだ」
月詠は訓練場を見つめたまま言った。
「一つ。神宮寺真白が、冥夜様へ近づく理由」
神代たちは黙って聞いている。
「二つ。香月副司令の意図。あの男が、単なる駒なのか、それとも別の意志を持つ者なのか」
月詠の声が、わずかに低くなる。
「三つ。冥夜様にとって、あの男が益となるか、害となるか」
「害となる場合は?」
神代が問う。
月詠は、静かに答えた。
「排除は最後の手段だ」
その言葉に、三人の表情がわずかに引き締まる。
「国連軍の少佐待遇。香月副司令の管理下。現時点で軽率な行動は取れん」
「では、監視継続を?」
「いや」
月詠は小さく首を横に振った。
「今夜、接触する」
風が吹いた。
赤い斯衛の制服が、かすかに揺れる。
訓練場では、真白が207B分隊に何かを言っていた。珠瀬壬姫が少しだけ顔を明るくし、榊千鶴が姿勢を正す。彩峰慧は表情を変えないが、逃げるように視線を逸らしている。
冥夜は、真白へ真っ直ぐに頭を下げていた。
それを見て、神代が小さく呟いた。
「……あの方は、いったい何者なのでしょうか」
月詠は答えなかった。
答えを知るために、これから動くのだ。
* * *
10月27日 夕方
横浜基地・斯衛軍関係者用待機室
<< 月詠 真那 >>
待機室の机の上には、簡易報告書が置かれていた。
神宮寺真白少佐。
年齢、二十歳前後。
性別、男性。
身長はやや低め。
中性的な容貌。
神宮司まりも軍曹に雰囲気が似ているとの証言あり。
横浜基地正門より身分証不携帯の状態で来訪。
香月夕呼副司令へ直接接触を要求。
その後、香月副司令の判断により基地内へ収容。
現在は特務技術顧問、および少佐相当待遇として扱われている。
XM3関連のシミュレーター試験に参加。
異常な戦術機適性を示す。
207B分隊と接触。
御剣冥夜訓練兵と夜間に会話。
本日の基礎連携訓練において、207B分隊へ助言を行う。
「……情報が多いようで、肝心なところが何も分からぬな」
月詠は報告書を見下ろしながら言った。
「経歴が空白ですからね」
巴が言う。
「神宮寺真白という人物が、どこから来たのか。何を目的としているのか。香月副司令はどこまで把握しているのか。何も確証がありません」
「香月副司令が隠している可能性は高いでしょう」
戎が静かに言う。
「あの方が意味もなく、不審人物に少佐待遇を与えるとは考えにくいです」
神代は腕を組んだまま、険しい顔をしていた。
「私は反対です。真那様が直接接触なさるには、まだ危険が大きすぎます」
「では、誰が行く」
月詠が問う。
「私が」
神代は即答した。
「あるいは、我々三人で先に接触し、真那様は後方で――」
「それでは意味がない」
月詠は遮った。
「神宮寺真白は、冥夜様に言葉を届かせた。207B分隊の動きすら変え始めている。そのような者を、部下の報告だけで判断するわけにはいかん」
「ですが」
「神代」
月詠の声が少しだけ柔らかくなる。
「案ずる気持ちは分かる。だが、私は冥夜様の護衛だ。冥夜様に近づく者を見極めるのは、私の役目でもある」
神代は唇を引き結んだ。
「……承知しました」
巴が、報告書を指で軽く叩く。
「接触場所はどうされますか?」
「屋上がよい」
月詠は答えた。
「屋上、ですか」
「人目が少ない。逃げ場も限られる。こちらが複数で接触するなら、周囲の確認もしやすい」
戎が頷く。
「神宮寺少佐は、夜に一人で外へ出る傾向があります。グラウンド、屋上、通路。いずれも確認されています」
「不用心ですね」
神代が眉を寄せる。
「若い男性でありながら、危機感が足りません」
「あるいは、自身の価値を理解していないのかもしれません」
巴が言う。
月詠は、その言葉に少しだけ目を細めた。
自身の価値を理解していない。
それは、観察していても感じたことだった。
神宮寺真白は、周囲から注目されている。
若い男性として。
少佐待遇の異物として。
香月副司令の関係者として。
しかし、本人はそれを持て余しているように見える。
自分がどう見られているか。
自分がどれほど危うい場所に立っているか。
その自覚が、薄い。
「……危うい男だ」
月詠は小さく呟いた。
神代が反応する。
「危うい、ですか」
「ああ」
月詠は報告書を閉じた。
「隠しているものが多い。それは確かだ。だが、それとは別に……あの男は、どこか自分を勘定に入れていない」
「自分を?」
「冥夜様を生かす。207Bを変える。XM3を完成させる。香月副司令の計画に関わる」
月詠は一つずつ言葉を置く。
「そのすべてに関わろうとしているにもかかわらず、自分が壊れる危険を軽く見ているように見える」
待機室に沈黙が落ちた。
神代、巴、戎の三人も、それぞれ何かを考えるように黙る。
最初に口を開いたのは戎だった。
「真那様は、神宮寺少佐を危険人物として見ておられるのですか。それとも、保護すべき対象として見ておられるのですか」
「まだ分からん」
月詠は即答した。
「だから確かめる」
報告書を手に取り、立ち上がる。
「今夜、神宮寺真白少佐に接触する」
神代たちも姿勢を正した。
「我々は?」
「同行せよ。ただし、私が合図するまで口を挟むな」
「はっ」
「確認すべきは、冥夜様への害意の有無。そして、あの男自身の覚悟だ」
月詠は扉へ向かう。
赤い制服の裾が揺れる。
その背中を追いながら、巴が小さく言った。
「真那様」
「何だ」
「あの方が、もし本当に冥夜様のためになる人物だった場合は?」
月詠は足を止めなかった。
ただ、静かに答える。
「その時は、守る」
神代たちが息を呑む気配がした。
月詠は続ける。
「冥夜様のためになる者ならば、失わせるわけにはいかん」
「……神宮寺少佐を、ですか」
「そうだ」
月詠は扉の前で立ち止まり、振り返る。
その目は、いつものように鋭かった。
「ただし、それを決めるのは今夜だ」
そして、待機室の扉が開く。
赤い影が、夜の横浜基地へ歩き出す。
神宮寺真白。
冥夜様に近づく、白き少佐。
香月夕呼の駒か。
人類の切り札か。
冥夜様を惑わせる危険か。
それとも、冥夜様を生かすための道標か。
答えは、まだない。
だからこそ、月詠真那は自ら確かめる。
忠義の刃として。
冥夜を守る護衛として。
そして、まだ名もつかぬ胸のざわめきを押し殺しながら。
それは、赤い斯衛の護衛たちが、白き少佐を見極めると決めた日。
そして、月詠真那が神宮寺真白へ直接接触する、その直前の夜だった。
第9.5話 幕間「月詠隊、観察中」 END
――幕間2.本作用語メモ――
■ 神代巽
月詠真那の部下である帝国斯衛軍の少尉。
冥夜の護衛として、真白の周囲にも関わっていく。
■ 巴雪乃
月詠真那の部下である帝国斯衛軍の少尉。
近衛の一員として、冥夜と真白を見守る立場にある。
■ 戎美凪
月詠真那の部下である帝国斯衛軍の少尉。
月詠たちと共に、真白の危険性と有用性を見極めていく。
■ 庇護
この世界で真白に向けられやすい感情の一つ。
希少な男性であり、重要人物でもある真白を守ろうとする意識。