マブラヴ・インサート 〜白き少佐の因果強化計画〜 作:きのこ大三元
構成を調整して、全体を読みやすい様に、順次修正しておきます…
10月27日 深夜
横浜基地・真白私室
<< 神宮寺 真白 >>
結論から言うと。
月詠真那中尉は、想像以上に強敵だった。
いや、敵ではない。
敵ではないのだけれど。
斯衛軍の精鋭というのは、こういう場面でも一切手を抜かないらしい。
屋上での会話が終わった後、自分は部屋へ戻ろうとした。夜風は冷たかったし、月詠中尉にも「長居はするな」と言われたばかりだったからだ。
けれど、そのまま別れる流れにはならなかった。
「神宮寺少佐」
「はい」
「念のため、部屋までお送りします」
「え、そこまでしていただかなくても……」
「夜間の単独行動は慎むべきだと、先ほど申し上げたはずです」
「……はい」
反論できなかった。
正論だった。
正論だったのだけれど、背後に月詠中尉がいる状態で廊下を歩くのは、なかなか緊張する。
赤い斯衛の制服。
乱れのない歩調。
こちらの背中に向けられる、鋭い気配。
護衛されているのか。
監視されているのか。
たぶん、両方だ。
途中で、神代少尉たち三人とは別れた。月詠中尉が短く命じたからだ。
「お前たちは待機していろ」
「はっ」
「ですが、真那様――」
「待機だ」
「……了解しました」
三人は従った。
ただ、最後までこちらを見る神代少尉の視線は、かなり鋭かった。
気持ちは分かる。
自分でも、自分を簡単に信用できるとは思えない。
経歴不明。香月副司令の管理下。異例の少佐待遇。冥夜に近づき、207B分隊にも言葉を与えている若い男。
怪しすぎる。
自分で並べてみても、だいぶ怪しい。
そんなことを考えているうちに、自室の前へ着いた。
「ここです」
「確認します」
「え?」
月詠中尉は、自分が扉を開けるより先に周囲を確認した。
廊下。
天井。
隣室。
扉の隙間。
一瞬で視線が走る。
本当に、護衛の動きだった。
「異常なし。入室を」
「は、はい」
自分は少しぎこちなく扉を開け、部屋に入った。
月詠中尉は、そのまま自然に続いて入ってきた。
「……えっと、月詠中尉?」
「もう少し確認したいことがあります」
「確認、ですか」
「はい」
扉が閉まる。
密室。
自分の私室。
深夜。
月詠真那中尉。
状況だけを並べると、かなりまずい。
いや、やましいことは何もない。
何もないはずだ。
けれど、心臓が少しうるさかった。
「座ってもよろしいですか」
「も、もちろんです」
月詠中尉は、椅子に腰を下ろした。
姿勢が美しい。
背筋がまっすぐで、無駄がない。
座っていても、まるでいつでも動けるように見える。
自分はベッドの端に座る。
距離はある。
あるはずなのに、やけに近く感じる。
「神宮寺少佐」
「はい」
「先ほどの会話で、確認できたことと、確認できなかったことがあります」
「……はい」
「冥夜様への害意は薄い。少なくとも、現時点ではそう判断しました」
「ありがとうございます」
「礼を言う場面ではありません」
「すみません」
さっきも同じことを言われた気がする。
月詠中尉は、じっとこちらを見る。
「しかし、貴官には不明点が多すぎる」
「……それは、否定できません」
「貴官の立場。香月副司令との距離。新型OSに関わる理由。そして……時折、貴官が見せる妙な確信」
胸が少し跳ねた。
「妙な、確信……ですか」
「はい」
月詠中尉の声が静かに刺さる。
「冥夜様や207B分隊のことを、初対面とは思えぬほど理解しているように見える時がある。まるで、あらかじめ何かを知っていたかのように」
「……」
「先ほども、貴官は言葉を選び損ねた」
「……すみません」
「謝罪を求めているのではありません。確認しています」
逃げられない。
この人は見逃さない。
それを改めて理解した。
「……話せないことがあります」
自分は正直に言った。
「今は、まだ」
「香月副司令の指示ですか」
「それもあります。でも、それだけじゃありません」
「では、何故」
「話したら、きっと色々なものが壊れます」
月詠中尉の目が細くなる。
「曖昧な答えですね」
「はい」
「ですが、嘘をついているようには見えない」
「……ありがとうございます」
「礼ではありません。評価です」
少しだけ、空気が緩んだ気がした。
ほんの少しだけ。
そこから、話は本当に尋問のように進んだ。
冥夜に近づいた理由。
207B分隊に関わる理由。
自分の素性。
夕呼副司令との関係。
この世界に現れた経緯。
XM3の知識。
御剣冥夜への認識。
207B分隊の弱点をなぜ知っているのか。
もちろん、話せる範囲は限られている。
けれど、月詠中尉は疑問を一つずつ丁寧に潰していった。
嘘を見逃さない目。
矛盾を逃さない耳。
こちらの反応を観察する沈黙。
尋問としては、かなり優秀だった。
いや、優秀すぎた。
そして途中から、話題は少しずつ逸れていった。
「年齢は」
「二十歳です」
「体調は」
「今は、大丈夫です」
「今は、ですか」
「……最近、少し忙しかったので」
「食事は」
「食べています」
「量は」
「えっと……たぶん」
「たぶん、では困ります」
「はい……」
「睡眠は」
「取っています」
「時間は」
「……日によります」
「答えになっていません」
「すみません……」
冥夜に近づく理由を問われていたはずなのに。
いつの間にか、自分の生活習慣まで確認されていた。
尋問のようで。
世話焼きのようでもあった。
ただ一つ問題があるとすれば――距離が、ずっと近かったことだ。
最初は椅子に座っていたはずなのに、いつの間にか月詠中尉は立ち上がり、こちらの近くに来ていた。手元の資料を見るため。表情を確認するため。体調を見るため。
理由はいくらでもあった。
けれど、近い。
「真白少佐」
「はい」
呼び方が、いつの間にか少し変わっていた。
神宮寺少佐ではなく、真白少佐。
そのことに気づいてしまって、余計に落ち着かない。
「貴方は、もう少しご自身の価値を自覚なさるべきです」
「価値、ですか」
「はい」
月詠中尉は真剣な顔で言った。
「この世界において、若い男性は大変貴重です。まして、少佐のように特殊な力を持ち、冥夜様とも関わりを持つ方であればなおさら」
「……」
「故に、軽率な行動は慎んでいただきたい」
「すみません」
「ですが」
そこで、月詠中尉の声が少し柔らかくなる。
「私であれば、少佐をお守りできます」
「月詠中尉が、自分を?」
「はい。冥夜様のためにも。そして……」
言葉が一度途切れる。
月詠中尉は、ほんの少しだけ視線を逸らした。
「私個人としても」
胸の奥が、変に鳴った。
この人は冥夜の忠臣だ。
まず冥夜があり、そのために動く人。
そう思っていた。
もちろん、それは間違っていない。
けれど今の言葉には、月詠真那という一人の女性の感情が混ざっていた。
「……月詠中尉」
「真那、と」
「え?」
「二人きりの時は、真那とお呼びください」
「いや、それはさすがに……」
「真白少佐」
「はい」
「真那と」
逃げ道がない。
いや、あるのかもしれない。
本当に嫌なら、拒めばいい。
月詠中尉は強引なようでいて、こちらの反応をちゃんと見ている。
それは分かる。
でも、その目でまっすぐ見られると、どうにも弱い。
「……真那さん」
「はい」
その瞬間。
月詠中尉――いや、真那さんの表情が、ふっと緩んだ。
それは訓練場でも、屋上でも見せなかった顔だった。
凛とした軍人の顔ではない。
冥夜の護衛としての顔でもない。
ただ一人の女性としての顔。
自分は、そこで逃げ道がなくなったことを悟った。
いや。
正確には、自分で逃げ道を閉じたのかもしれない。
この世界で、誰かと深く関わることは、ただの感情だけでは終わらない。
力になる。
戦力になる。
誰かを守るための手段になる。
自分の能力は、信頼や親密さに反応する。
それはこれまでの流れで、もう薄々分かっていた。
でも、それだけで割り切れるほど、自分は器用ではない。
だからせめて。
利用するのではなく、向き合うべきだと思った。
「真那さん」
「はい」
「自分は、まだ分からないことばかりです。自分の力も、この世界のことも」
「……」
「でも、冥夜を守りたいという気持ちは本当です。207B分隊のみんなも、まりもさんも、夕呼副司令も……できるなら、誰も失いたくない」
「真白少佐……」
「だから、力を貸してください」
真那さんは静かに目を細めた。
そして、深く頷いた。
「承知しました」
その声は、とても真剣だった。
「この月詠真那、真白少佐のお力となりましょう」
「ありがとうございます」
「ただし」
「ただし?」
真那さんが近づく。
また、距離が近い。
「今夜は、私のことも少しだけ知っていただきます」
「……それは」
「嫌であれば、退きます」
真那さんの声は静かだった。
押しつけではない。
命令でもない。
けれど、その瞳は真っ直ぐこちらを見ていた。
「ですが、今夜だけは……少し、私のことも知っていただきたい」
そう言われると、何も言えなかった。
窓の外には、さっきまで見ていた星空が広がっている。遠くで、基地の機械音が微かに響いていた。
真那さんの手が、自分の手に重なる。
冷静で、強くて、忠義に厚い人。
その手は思っていたよりも温かかった。
「……分かりました」
自分がそう答えると、真那さんは静かに微笑んだ。
その夜のことは、詳しくは語らない。
ただ、分かったことがある。
月詠真那という女性は、忠義だけで生きているわけではなかった。
冥夜を守るために刃となる人。
けれど同時に、誰かに寄り添う温かさも持っている人だった。
静かな声。
こちらを確かめる言葉。
逃げ道を塞ぐようでいて、最後の一線だけは決して踏み越えない手。
そして、強く見えるほどに不器用な優しさ。
真那さんは、何度も確認した。
「嫌なら、止めます」
「無理はさせません」
「真白少佐の意思を、私は軽んじません」
そのたびに、自分は答えた。
嫌ではない、と。
怖くないわけではないけれど、嫌ではない、と。
夜は、静かに更けていった。
基地の機械音が遠くなり、時計の音だけが妙にはっきり聞こえた。
その時間は、激しいものではなかった。
けれど、確かに何かが変わっていく時間だった。
警戒と監視。
護衛と保護。
忠義と個人の感情。
その境目が、少しずつ曖昧になっていく。
真那さんは、最後まで月詠真那だった。
冥夜を守る護衛であり、斯衛軍人であり、真白を見極める者だった。
でも同時に。
その夜だけは、自分の前で少しだけ、ただの真那さんでもあった。
そして――。
自分の能力は、やはり関係の深さに応じて強く反応する。
それはもう、疑いようがなかった。
* * *
10月28日 夜明け前
横浜基地・真白私室
<< 月詠 真那 >>
夜明け前の空は、まだ暗かった。
窓の外に星が残り、基地の外壁を薄い青が撫で始めている。
月詠真那は、静かに目を開けた。
すぐに意識が戻る。
いつものように、周囲を確認する。
部屋の位置。
扉。
窓。
逃走経路。
物音。
気配。
異常なし。
そう判断してから、ようやく自分がどこにいるのかを思い出した。
横浜基地。
神宮寺真白少佐の私室。
深夜に、確認と尋問を名目として入室した場所。
そして、自分が一夜を明かしてしまった場所。
「……」
真那は、静かに息を吐いた。
感情が乱れているわけではない。
取り乱しているわけでもない。
だが、冷静に状況を整理すればするほど、昨夜の自分の行動が通常ではなかったことは分かる。
冥夜様のため。
監視のため。
神宮寺少佐を見極めるため。
理由はいくらでもある。
どれも嘘ではない。
だが、それだけではなかった。
真那は、自分の手を見下ろした。
指先を軽く握る。
開く。
「……軽い」
小さく呟いた。
身体が軽い。
視界が澄んでいる。
呼吸が深く入る。
筋肉の反応も、普段より明らかに早い。
疲労がない。
それどころか、身体の奥に細い芯が通ったような感覚がある。
ただの休息ではない。
ただの精神的な充足でもない。
何かが、自分の中に入っている。
何かが、自分の身体を底から押し上げている。
「……これが、神宮寺少佐の力」
真那は、ようやく理解した。
報告だけでは分からなかったもの。
香月副司令が隠し、神宮寺真白自身も扱いきれていないであろうもの。
他者を強くする力。
信頼や距離に反応し、相手の能力を引き上げる因果。
昨夜、自分はそれに触れた。
そして、確かに変化している。
真那は、まだ眠っている真白を見た。
神宮寺真白。
白き少佐。
冥夜様へ近づく、危うい男。
香月夕呼の管理下に置かれた異物。
そして、放っておけば誰かのために自分を削り続けるであろう青年。
昨夜まで。
月詠真那にとって、彼は警戒対象だった。
見極めるべき相手だった。
今も、それは変わらない。
信用したわけではない。
すべてを知ったわけでもない。
だが。
「……守る必要がある」
その言葉は、思ったより自然に出た。
冥夜様のため。
207Bのため。
香月副司令の計画のため。
そして、おそらく。
自分自身の意思としても。
真那は静かに立ち上がる。
動きに無駄はない。
けれど、その動きは昨日よりも少しだけ滑らかだった。
身体の変化は、後で確認する必要がある。
香月副司令に報告すべきか。
どこまで報告するべきか。
冥夜様にどう伝えるか。
神代たちにどう説明するか。
問題は山ほどある。
だが、まずは一つだけ決めた。
神宮寺真白を、軽々に失わせない。
彼が冥夜様を生かす道に繋がるのなら。
彼の力が、この横浜基地の未来を変えるのなら。
そして、彼自身が自分の命を軽く扱うのなら。
その時は。
自分が止める。
真那は、眠る真白へ視線を落とした。
「……真白」
まだ呼び慣れない名前。
だが、不思議と口に馴染んだ。
「貴方は、本当に危うい」
小さな声だった。
真白は目を覚まさない。
ただ、呼吸だけが静かに続いている。
真那は、その様子をしばらく見つめてから、そっと部屋を出る準備を始めた。
夜が明ける。
紅の護衛は、まだ自分の中に芽生えた感情の名を知らない。
それでも、確かに何かが変わっていた。
監視ではなく。
警戒だけでもなく。
守るという意志が、そこに混じり始めていた。
それは、月詠真那が白き少佐への警戒を捨てきれぬまま、しかし初めてその危うさを守るべきものとして見始めた夜。
そして、紅の護衛の中で、まだ名もなき感情が静かに夜明けへ向かい始めた日だった。
第10.5話「紅の夜明け」 END