マブラヴ・インサート 〜白き少佐の因果強化計画〜   作:きのこ大三元

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第12.5話「赤い制服と小さな棘」

10月28日 昼

横浜基地・食堂

<< 御剣 冥夜 >>

 

 午前の訓練を終えた207B分隊は、食堂で昼食を取っていた。

 ただし、席にいるのは四人だけだった。

 榊千鶴。

 彩峰慧。

 珠瀬壬姫。

 そして、自分――御剣冥夜。

 鎧衣美琴は、まだ入院中だ。

 復帰は、明日――10月29日になると聞いている。

「美琴さん、早く戻ってくるといいですね」

 珠瀬が、小さく呟いた。

 その声には、いつもの不安げな響きだけではなく、寂しさも混じっていた。

 千鶴が頷く。

「ええ。あの調子だと、戻ってきた途端に騒がしくなるでしょうけど」

「……いないと静かすぎる」

 彩峰が、ぽつりと言った。

 その言葉に、冥夜は少しだけ笑った。

 確かに、鎧衣がいないだけで207B分隊の空気は違う。

 明るく、騒がしく、時にこちらの調子を崩してくる彼女の存在は、思っていた以上に大きいのかもしれない。

「鎧衣が戻れば、また賑やかになるだろう」

「そうですね」

 珠瀬が少しだけ笑う。

 その表情を見て、冥夜は箸を進めた。

 食堂には、昼時らしいざわめきがあった。

 配膳口からは、京塚のおばちゃんの大きな声が響いている。

「はい次! ちゃんと食べな! 訓練兵は飯食ってなんぼだよ!」

 その声に、何人かの兵が苦笑していた。

 戦時下の基地であっても、ここには少しだけ日常がある。

 厳しい訓練の合間に、肩の力を抜ける場所。

 そう思った時だった。

 彩峰が、ふと入口の方を見た。

「……ねぇ、あれ」

 短い声。

 冥夜も、何気なく視線を向けた。

 そこにいたのは、神宮寺真白少佐だった。

 白い少佐。

 中性的な容貌と、どこか柔らかな雰囲気を持つ、横浜基地の異例の存在。

 昨日までの数日で、冥夜もその人物の言葉を何度か受け取っている。

 目的があれば、人は努力できる。

 仲間と一緒に生き残る力。

 一呼吸。

 そのどれもが、冥夜の胸に残っていた。

 だが、冥夜の視線を止めたのは、真白少佐だけではなかった。

 その隣に、赤い帝国斯衛軍の制服を纏った女性がいた。

 月詠真那中尉。

 冥夜の護衛。

 幼い頃から、自分を陰に日向に支えてきた忠臣。

 その月詠が、真白少佐の隣を歩いていた。

 それだけなら、まだ不思議ではない。

 真白少佐は、香月副司令の管理下にある重要人物だ。

 新型OSにも関わっていると聞く。

 月詠が護衛や確認のために同行しているのなら、理由はつく。

 理由は、つく。

 けれど。

 二人の距離が、近かった。

 護衛として不自然な距離ではない。

 だが、単なる任務の距離とも違う。

 真白少佐が少し歩調を緩めると、月詠も自然に合わせる。

 真白少佐が何かを言うと、月詠は視線だけを向けて、静かに答える。

 その表情は、いつものように硬いものではなかった。

 凛としている。

 護衛としての緊張もある。

 けれど、その奥に、冥夜の知らない柔らかさがあった。

「……月詠?」

 思わず、声が漏れた。

 珠瀬が顔を上げる。

「あっ、神宮寺少佐です!」

 珠瀬が手を振ろうとした瞬間、千鶴が慌てて止めた。

「待ちなさい、珠瀬」

「え? どうしてですか?」

「あれは……今、邪魔しちゃいけない雰囲気よ」

「そうなのですか?」

 珠瀬は不思議そうに首を傾げる。

 彩峰は、無言のまま二人を見ていた。

 そして、ぽつりと言う。

「……距離、近い」

 千鶴も小さく頷いた。

「ええ。普通の任務連絡にしては、少し……近いわね」

 冥夜は何も言えなかった。

 月詠が誰かと親しくすることは、悪いことではない。

 むしろ、喜ばしいことのはずだ。

 月詠は、常に自分のために立ってくれていた。

 冥夜様のために。

 その言葉を、月詠は何度も口にしてきた。

 だからこそ、冥夜は時々思うことがあった。

 月詠は、自分以外の場所で息を抜けているのだろうか。

 自分の護衛という役目から離れて、ただ一人の女性として笑う時間があるのだろうか。

 もし、それがあるなら。

 それは、とても良いことのはずだ。

 そう思う。

 そう思うのに。

 なぜか、胸の奥が落ち着かなかった。

 月詠が、自分の知らない顔で笑っている。

 真白少佐が、その隣に当然のようにいる。

 その事実が、冥夜の心に小さな棘のように触れた。

 痛い、というほどではない。

 けれど、無視できない。

 小さく、ちくりと残る感覚。

「冥夜さん?」

 珠瀬が心配そうに覗き込んでくる。

 冥夜は、はっとして表情を整えた。

「……いや、何でもない」

 そう答えたものの、視線は自然と二人を追ってしまう。

 赤い制服の月詠。

 その隣を歩く、白い少佐。

 二人の並びは、不思議と目を引いた。

 赤と白。

 護る者と、護られる者。

 強い刃と、危うい光。

 そんな言葉が、冥夜の脳裏をよぎった。

 

* * *

 

10月28日 昼

横浜基地・食堂入口付近

<< 神宮寺 真白 >>

 

「……真那さん、少しだけ距離が近い気がします」

「護衛ですので」

「食堂までですけど」

「護衛ですので」

 昨日から、この返しが増えた気がする。

 いや、増えたというか、完全に便利な言い訳として使われている。

 自分は苦笑しながら、食堂の入口を通った。

 夕呼副司令からは、昼食を取るように言われている。

 ただし、一人では行かないこと。

 結果として、月詠真那中尉――いや、真那さんが同行することになった。

 護衛。

 確かに護衛だ。

 昼前の未遂事件を思えば、必要なのも分かる。

 けれど、真那さんの距離が以前より近い。

 物理的にも、心理的にも。

 その変化を、自分自身が一番意識してしまっていた。

「真白さん」

「はい」

「歩く時、もう少し中央を」

「え?」

「壁際に寄りすぎると、退路が限られます」

「……すみません」

「謝罪ではなく、改善を」

「はい……」

 真那さんは真面目だ。

 本当に真面目だ。

 でも、その声にわずかな柔らかさがあるせいで、余計に困る。

 そんなことを考えていると、視線を感じた。

 207B分隊の席。

 御剣冥夜。

 榊千鶴。

 珠瀬壬姫。

 彩峰慧。

 四人がこちらを見ていた。

 珠瀬訓練兵は手を振りかけて止められたような顔。

 千鶴は何か察したような顔。

 彩峰は観察するような目。

 そして、冥夜は――。

 少しだけ、驚いた顔をしていた。

 いや、驚きだけではない。

 何か小さな棘が刺さったような表情。

 その視線が一瞬、自分ではなく、隣の真那さんへ向く。

「……」

 まずい。

 何がまずいのかは分からない。

 けれど、何かまずい。

 真那さんも冥夜に気づいたらしい。

 すぐに表情を引き締め、いつもの月詠真那中尉の顔に戻る。

「冥夜様」

 真那さんは軽く一礼した。

「月詠……」

 冥夜も姿勢を正す。

「神宮寺少佐と、何か用件が?」

「はい。香月副司令より、午後の測定について確認を受けております」

 嘘ではない。

 嘘ではないが、全部でもない。

 冥夜は一瞬だけ、こちらを見た。

「そうでしたか」

「御心配には及びません」

 真那さんの声は、いつも通り落ち着いている。

 けれど、さっきまでの柔らかさを知っているせいで、その切り替えが逆に目立つ。

 自分は少しだけ頭を下げた。

「御剣訓練兵。午後の訓練も頑張ってください」

「はい。少佐も、ご無理はなさらぬよう」

「ありがとうございます」

 会話は普通だった。

 普通だったはずだ。

 なのに、胸の奥が少しざわつく。

 冥夜の視線が、ほんの一瞬だけ真那さんの袖に向いた。

 そこに何かがあるわけではない。

 ただ、距離の近さ。

 空気の違い。

 それだけで、何かを感じ取ったのかもしれない。

「行きましょう、真白少佐」

「は、はい」

 真那さんが促す。

 今、名前。

 いや、少佐は付いていた。

 けれど、神宮寺ではなく、真白と呼ばれた。

 冥夜の目が、ほんのわずかに揺れた気がした。

 自分は内心で頭を抱える。

 真那さん。

 今のは、わりと致命的です。

 配膳口へ向かう途中、京塚のおばちゃんの声が飛んできた。

「おや、真白ちゃん! 今日は赤いお姉さん付きかい!」

「京塚のおばちゃん、声が大きいです!」

「食堂じゃ元気な声が一番の調味料だよ!」

 真那さんが一瞬だけ固まる。

「真白ちゃん……?」

「京塚のおばちゃんは、いつもこうなので……」

「なるほど」

 真那さんは静かに頷いた。

 だが、少しだけ口元が緩んでいる。

 それを見て、また背後の視線が強くなった気がした。

 自分は、もう何も考えないことにした。

 考えると、たぶん昼食の味が分からなくなる。

 

* * *

 

10月28日 昼

横浜基地・食堂

<< 御剣 冥夜 >>

 

 真白少佐と月詠が配膳口へ向かった後も、冥夜はしばらく入口の方を見つめていた。

 真白少佐。

 月詠が、そう呼んだ。

 いや。

 正確には、真白少佐。

 これまでは、月詠ならば「神宮寺少佐」と呼ぶはずだった。

 少なくとも、公の場ならば。

 月詠は礼を重んじる。

 立場を弁える。

 必要以上に個人的な距離を表に出すことなど、ほとんどない。

 それなのに、今の月詠は自然に名前で呼んだ。

 ほんの小さな違い。

 他の者なら気づかないかもしれない。

 けれど、冥夜には分かった。

 月詠が、自分の知らない距離で真白少佐に接している。

 その事実が、胸の奥に小さな棘のように残った。

「……冥夜」

 彩峰が、短く声をかける。

「何だ」

「ご飯、冷める」

「……ああ」

 冥夜は箸を取った。

 だが、味はあまり分からなかった。

 千鶴が、少しだけ慎重な声で言う。

「御剣、月詠中尉と神宮寺少佐は、何か任務上の関係があるのではないかしら」

「無論、それは分かっている」

 冥夜はすぐに答えた。

「神宮寺少佐は香月副司令に近い人物だ。月詠が何らかの警護や連絡を担っていても、不自然ではない」

「なら、いいのだけれど」

 千鶴はそれ以上踏み込まなかった。

 珠瀬は少し困ったように二人を見る。

「月詠さんって、御剣さんの大切な人なんですよね」

「大切な……」

 冥夜は、その言葉を繰り返した。

 月詠は、自分の護衛だ。

 忠臣だ。

 幼い頃から、側にいてくれた人。

 自分の命を守るために、迷わず刃となれる人。

 それを大切と言うのなら、間違いなく大切な人だ。

 だが、今の胸の感覚は、その言葉だけでは説明できなかった。

 月詠が誰かに心を許すことは、喜ばしいことのはずだ。

 あの月詠にも、冥夜以外に向ける柔らかい顔がある。

 それは悪いことではない。

 むしろ、良いことなのかもしれない。

 月詠が、自分の役目だけに縛られず、一人の女性として誰かと向き合うこと。

 それを、喜べない自分でいたくはない。

 それなのに。

 なぜ、自分はこんなにも落ち着かないのだろう。

 真白少佐の言葉を思い出す。

 地球と、全人類を守りたい。

 そう言った人。

 一呼吸で、仲間の命を守ることもあると教えてくれた人。

 白い少佐。

 その隣に、赤い制服の月詠がいた。

 二人の並びは、不思議とよく似合っていた。

 だからこそ、胸の棘は抜けなかった。

「……月詠」

 小さく呟いた名前は、食堂の喧騒に紛れて消えた。

 彩峰が、ちらりと冥夜を見る。

「……気になる?」

「何がだ」

「神宮寺少佐」

 冥夜は、少しだけ答えに詰まった。

「気になるというより……」

 言葉を探す。

 真白少佐が気になる。

 それは、確かにそうかもしれない。

 だが、それだけではない。

 月詠が気になる。

 真白少佐と月詠の間に、自分の知らない何かがあることが気になる。

 それを見ている自分の胸が、なぜか落ち着かないことが気になる。

「……よく分からぬ」

 正直にそう言うと、彩峰は短く答えた。

「そっか」

 それだけだった。

 千鶴が小さく息を吐く。

「御剣。分からないなら、無理に答えを出さなくてもいいんじゃないかしら」

「榊……」

「私も、人の感情に詳しいわけではないけれど」

 千鶴は少しだけ視線を落とす。

「分からないことを、分からないまま置いておく時間も必要だと思うわ」

 その言葉は、どこか真白少佐の「一呼吸」に似ていた。

 急いで答えを出すのではなく。

 一呼吸置いて、自分の中を見る。

 冥夜は、箸を置いた。

「……そうだな」

 今、この感情に名前をつける必要はない。

 羨望なのか。

 不安なのか。

 寂しさなのか。

 あるいは、自分でも知らない別の感情なのか。

 まだ分からない。

 ただ、胸に小さな棘がある。

 それだけは確かだった。

 珠瀬が、おずおずと言う。

「あ、あの……御剣さん」

「何だ、珠瀬」

「もし気になるなら、あとで神宮寺少佐に聞いてみてもいいんじゃないでしょうか」

「本人に?」

「はい。その、少佐はちゃんと答えてくれる人だと思うので……」

 珠瀬らしい、素直な意見だった。

 冥夜は少しだけ目を伏せる。

 真白少佐なら。

 確かに、誤魔化すよりも、困りながらも言葉を選んでくれる気がした。

 けれど、何を聞けばいいのか分からない。

 月詠と何があったのか。

 なぜ月詠が、あのような顔をしていたのか。

 なぜ自分は、それが気になるのか。

 そんなことを、どう聞けばいいのだろう。

「……今は、まだよい」

 冥夜は静かに答えた。

「この感情が何なのか、自分でも分かっておらぬ」

「そうですか……」

 珠瀬は少し心配そうに頷いた。

 彩峰は、いつもの調子で味噌汁を飲む。

「……ご飯、食べた方がいい」

「彩峰、さっきもそれを言っていたな」

「冷めるから」

 その淡々とした言葉に、冥夜は少しだけ笑った。

 そうだ。

 まずは、食べるべきだ。

 考えるのは、その後でもいい。

 冥夜はもう一度、箸を取った。

 だが、視線はどうしても、配膳口の方へ向いてしまう。

 そこでは、京塚のおばちゃんに大声で何かを言われて、真白少佐が慌てていた。

 その隣で、月詠が静かに立っている。

 凛としている。

 けれど、その横顔は、どこか穏やかだった。

 冥夜は、その光景を胸の奥にしまい込む。

 小さな棘は、まだ抜けない。

 けれど、それは痛みだけではなかった。

 何かを知りたいと思う気持ち。

 自分の中の変化に気づき始める感覚。

 そして、月詠という人を、これまでとは少し違う形で見つめ直すきっかけ。

 そのすべてが、小さな棘となって胸に残っていた。

 そして冥夜はまだ知らない。

 その小さな驚きと胸の痛みが、やがて自分の中で別の名前を持つ感情へと変わっていくことを。

 

 それは、御剣冥夜が月詠真那の知らない顔を見た日。

 そして、白き少佐と紅の護衛の距離に、初めて小さな棘を覚えた日だった。

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